黒宮麻衣編④ ノーパン・ロマンチストは演劇がお好き
日曜日。
いつものように寝っ転がりながらゲームをしていると、携帯端末が鳴った。面倒なので無視しようとしたら、いつまでも電子音を響かせる。うざったくなって、床に放置してある端末を拾う。液晶画面に表示されている名前を見て、俺は固まった。
「も、もしもし? 黒宮先輩っ?」
『おお、やっと出たか。休日にすまないな。今暇か? もし時間があったら付き合ってほしいことがあるんだが――』
俺は詳しい要件を聞くよりも早く了承し、大急ぎで着替えると家を飛び出した。午前十時。駅前の広場にたどり着くと、黒宮が立っていた。
「おお、来たか。悪いな、突然呼び出して」
黒宮は黒いロングスカートに白いTシャツというラフな格好をしている。黄金色をした絹のごとく滑らかな髪は、ゴムで縛ってポニーテールをかたどっている。大雑把だが、顔もスタイルもいいためか、形になっている。
「いいですよ、どうせ暇でしたし。それで、何の要件なんです?」
「映画でも観ようと思ってな。SFなんだが、どうかな?」
「え、えすえむっ!?」
「それはツッコミ待ちなのか?」
「突っ込み待ち!?」
美人なくせしてなんてエロいのか!
俺が期待と妄想によって鼻息を荒くさせかけていると、
「SF映画といったのだが」
とゆっくりした発音で訂正される。
「あ、ああ、SFね。そっちか。なるほどね。――え? 映画? 二人で?」
「う、うむ。同じ生徒会役員同士、親睦を深める意味も込めてな。本当は海堂くんも誘いたかったのだが、何度電話をかけても繋がらんのだ。どうだ?」
「喜んでお供させて頂きますお嬢様!」
「うむ、よろしい」
黒宮が白い歯を見せて笑った。
海堂の奴はどうせゲーセンにでも篭っているのだろう。一生に一度しかない貴重な高校生活をゲームで浪費するとは愚かな奴め。俺は先程までの自分を棚に上げ喜んだ。
映画館まで歩いて行く最中、道行く人々が俺達に視線を捧げた。正確には黒宮にだろうが、それでも俺は誇らしかった。
誰も彼もが完璧すぎる美人を連れた俺を、羨んでいる。何をしても中の下だった俺が、羨まれる立場にいるのだ。そう思えば、ファンクラブ連中に見つかることなど、最早微塵も恐ろしくなかった。
隣を歩く黒宮は、背筋をピンと張り、自信に満ちた風に歩いている。俺も彼女に習い、背中を伸ばして雑踏の中を進んだ。このまま人々に注目されながら、踊り出してしまいたい。気分はもうマイケル・ジャクソンであった。
映画館につくと、黒宮は二人分のチケットを券売機で購入し、それから売店へと俺を誘った。
「映画といえばポップコーンだ。君はどれがいい?」
「塩ですね」
「そうか。ではポップコーンを塩とバーベキューで一つずつ。飲み物は――」
「コーラがいいです」
「コーラとメロンソーダだ」
「好きですね、メロンソーダ」
「まあな。前世はきっとメロンソーダの神だったのだ」
「どんな神ですか」
黒宮が購入を済ませると、今度こそ俺は飲食代を彼女に払った。それでもやはり、完全にリードされている。男としてはなんとかリードし返したいところだが、そこは黒宮、隙がない。
「さあ行こうか。席は前の方だが勘弁してくれ」
「大丈夫ですよ」
俺は間抜けにも入り口の段差につま先を引っ掛け、転びかけた。
「おっと」
黒宮が俺を正面から抱きとめ、同時にポップコーンとドリンクも死守した。俺は豊満な胸の感触を顔面で堪能してから、頭を下げた。
「暗いからな。気をつけろよ」
「は、はい」
俺よりイケメンだなあ、と自信をなくす。
まあ端から自信などないが。
上演が始まると、黒宮は食い入る様にスクリーンを見つめた。あわよくば手を握ろうかと思っていたが、とてもそんな真似出来そうにない。彼女は映画に真剣だ。俺は悶々としながらポップコーンをかじり、乾きまくった喉をコーラで潤した。
炭酸が弱い。氷で薄められているようだ。このボッタクリ野郎め。
映画が終わると、黒宮は興奮したように
「すごかったな! 私が思うのにこの監督は――」
映画を語るが、俺はまったく集中していなかったので、ただ相槌を打つことしか出来なかった。黒宮は映画が好きで、凝り性らしい。俳優は語らなかったが、シナリオや監督には熱かった。
「おっと、もう二時を越している。少し遅いがランチにしようか。昼はどこがいい?」
「……そうですね。黒宮先輩が好きなものを食べてみたいです」
「そうきたか。ならばアレにしよう」
黒宮が指さしたのはどこにでもあるチェーンのハンバーガーショップだった。
「んー、美味い!」
黒宮は安いバーガーを嬉しそうに頬張る。
少し意外だった。黒宮ならもっとお洒落なカフェでも指定すると思っていたのだ。まあハンバーガーは俺も好きだし、安いのは財布事情的にもありがたいのだが。
高貴なイメージがあったが、案外親しみやすいキャラなのかもしれない。本当はファンクラブなんてものを作られるより、普通に友達として接してほしいと思っているのかもしれない。
「もうすぐ期末試験だな」
「えっ?」
「なんだ、勉強してないのか?」
「まだ一週間はありませんでしたっけ?」
「こういうのは普段の予習復習がものを言うのだが、君は勉強が苦手そうだからな」
「そう見えます?」
「うむ。中間試験の結果の張り紙で君の名を見かけたことがある」
「うわー見られてたんですか」
確か結果は下から数えたほうが早かったはずだ。
黒宮は当然トップである。
しかし、そんな頃から俺の名前を把握していたとは。
「どうだ? もし良ければ勉強を教えてやるぞ」
「本当ですか! あ、でもそしたら黒宮先輩の勉強の時間が減りますよね」
「心配するな。言っただろう。普段の予習復習がものを言うのだと」
「ああ、なるほど」
「じゃあ決まりだな。次の土日は図書館デートだ」
「で、デート、ですか?」
「ああ、デートだ」
黒宮がニカっと笑う。
ファーストフード店を後にすると、突風が俺達を襲った。
「おっと」
黒宮がとっさにスカートをおさえる。が、一瞬だけ顕になった肌色を、俺を目に収めてしまった。
「んん? 宮原シンくん、何をニヤニヤしているのかな?」
「いえ、その……」
「さ・て・は?」
「……」
「ふふ、君もなかなかエッチだな。なに、女子の下着に反応するのは男子として健全だ」
「いや、その、言いにくいんですけど、黒宮先輩、その……は――」
「は?」
「は、履いてませんでしたァァッ!」
「なん……だと? そんな馬鹿な――」
黒宮がスカートをパンパンと叩いて確認する。そしてみるみるうちに顔を赤く染め、
「ぬかった。寝ぼけたまま着替えたから履き忘れていた!」
「先輩は裸で寝るんですか?」
「う、うむ……」
俺はそっぽを向き、鼻を押さえた。手が熱い。鼻血が出ている。
「わ、わわわ、忘れろ!! いいな? このことは……絶対に忘れろーっ!?」
「は、はいいいいいっ!!」
「君を男と見込んでの約束だからなッ!」
黒宮の大切な部分。恥ずかしがる珍しい姿。一生忘れられそうにない。
それから俺達は行く宛もなく街をさまよい、市民ホールの前で立ち止まった。なにやら演劇のポスターが張られている。倒錯劇、と書かれている。男が女を、女が男を演じる劇らしい。
「小さい時分、私は劇を見るのが好きだった。日常とかけ離れた世界が、舞台と観客席とのちょっとの差の向こう側に広がっている。届きそうで届かない世界に、心震わせたものだ。あの頃はお小遣いを溜めてしゅっちゅう劇を観に行ったな」
黒宮が懐かしむようにポスターを指でなぞった。
「結構ロマンチストなんですね」
「こう見えて、乙女だからな」
ハハ、と笑う。
「今は観に行ってないんですか?」
「行ってないな。段々忙しくなって、日々に埋もれてしまっていくうちに、あの頃の想いもどこかへ行ってしまった。そういえば、あの頃は役者になるのが夢だったか」
「今はどうなんです?」
「さあな。それに、私には道場の後を継ぐという役目がある」
「役目、ですか……そういえばうちには演劇部がありませんよね」
「そうだな」
「なら、作りましょうよ! 演劇部! ちょうどしばらく生徒会も暇です。俺と先輩で小さな劇をやって、文化祭で発表するんです!」
役目のせいで夢を追えないのなら、せめて青春の中でくらいは夢を味わってほしい。
それに、様々な衣装に身を包んだ黒宮を見てみたい。
「……なるほど。面白いことを思いつくな、君は」
「……ダメですか?」
「いいや、やろう。人数は少ないが、やってみる価値はありそうだ!」
思いつきの発言だったが、どうやら喜んでくれたようだ。
仕方ないから海堂も混ぜてやろう。三人で、文化祭を謳歌するのだ!
俺は生まれて初めて、文化祭がとてつもなく楽しみになった。
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