黒宮麻衣編③ アイスは彼女の舌の上でタップダンスを決める

 ああ、なんと素晴らしき帰り道。俺はルーブル美術館ですら恐れひれ伏す美の女神こと黒宮麻衣と並び、いつもの道を歩いている。彼女がいるだけで、見慣れた退屈な通学路が、宝石でも散りばめたかのように光って見える。

 ファンクラブメンバーの誰もが願いつつも、果たせなかった夢の放課後デート。そう、デートだ。D・A・T・E。デート!


 海堂はサボりまくった清掃委員の仕事が溜まり、まだ残らされている。この機会を活用しない手はない。

「黒宮先輩はこの後も稽古ですか?」

「いや、今日は休みだ。だから今日のうちにたっぷり授業の予習復習をしようと思ってな」

「おお、予習復習してるんですね」

 さすがだなあと感心し、俺はある妙案を閃き指を鳴らす。

「そうだ。もし良ければこのあとちょっと寄り道でもしませんか?」

「寄り道か。ふむ。たまにはいい。どこへエスコートしてくれるんだ、紳士殿?」

「おゲームセンターでございます、お嬢様」

 正直彼女でもない女の子を連れて行っていい場所かどうか、自信はなかった。まあでもクレーンゲームとかあるし? と思って提案したのだが、意外にも好感触である。


「ほうほう。それは楽しみだ!」

 いつものゲーセンで黒宮が最初に目をつけたのは、なんとプリクラであった。

 彼女は横一列に並ぶブースの前を行ったり来たりし、俺を見てはブースを見つめ、また俺を見た。

 普段の黒宮はクールにしているか、太陽よりも眩しい笑顔を輝かせているかのどちらかだ。

 その彼女に、こんなにも子どもっぽくそわそわする一面があったとは。

 俺はキュンキュンと疼く胸を押さえ、これがギャップ萌えという現象なのだな、と心の辞書に付け加えた。


「入りますか?」

「うむ! やろうやろう」

 黒宮が嬉しそうに中に入る。俺が続くと、黒宮は画面をいじりながらこれもいいあれもいいなどと声を弾ませた。

 無邪気にはしゃぐ彼女を横目に、俺は頬を緩ませる。

 不意に黒宮が俺の方を向き、肩に手を回してくきた。

「何をしている? もっとくっつけ。写真に収まりきらないぞ!」

「いや、でもこれ以上は――」

 胸が当たる――というか、もう当たってるぅ!

「これ以上は、なんだ? ちゃんと言わないとわからないぞ?」

「だから、その、お、お胸が当たっていますで候」

「ふふーん? なんだぁ? 意識してるのか?」

「えっ、いや、その」

「意識してないのか……」

 黒宮が残念そうに眉をひそめる。

「してますしてます! もうドッキドキです! 心臓吐き出す五秒前です!」

「ほんとぉ? じゃあもっとドキドキさせちゃうゾ」

 語尾にハートでもついていそうな言い方をして、ぎゅっと腕を組んでくる。当然、豊満な胸がぎゅっと押し付けられる。


「――!」

 俺は驚き、汗をどっと流して口をパクパクとさせた。

「もの凄い慌てようだな。可愛いやつだ。いいじゃないか。どうせ誰も見ていない。君も、こういうことを期待してたんじゃないのか?」

「そ、そそそそんなことは決してててて」

「フ、冗談だ」

 微笑し、腕を離して撮影ボタンを押す。

「ええー」

「なんだ? やっぱり腕を組んでいたかったのか?」

「いや、それは、その――」

 否定をしたら黒宮を傷つけるかもしれない。

 されど肯定したら欲望丸出しで気持ち悪がられるかもしれない。

 黒宮がそんな風に人を悪く思う人ではないということは重々承知のはずだが、どうにも不安は残る。ああこれぞ悲しき男の性かな。

 どっちを選んでも不正解。ならば答えは――沈黙!


 俺が唇を噛み締めていると、シールが完成する。シールの中で俺は酷い間抜けヅラをしていた。完全に鼻の下が伸びている。くそったれめ。

「ほら」

 黒宮がシールを丁寧に二等分し、渡してくれた。受け取る時に指が当たった。

 黒宮は自分の分を一枚はがし、携帯端末の裏に貼り付けると満足そうに頷いた。

 それから俺たちはシューティングや格ゲーで遊んだ。

 外がすっかり暗くなった頃、通りかかったファミレスに俺が誘うと黒宮が了承する。

「何を頼もうか」

「そうですねえ……あ、このパフェなんてうまそうですね」

「ほうほう。このカップル限定超特大パフェか」

「かかか、カップルぅ? ああ、ほんとだ。じゃなくて、えーと、その」

「よし、頼もうか」

「え、ええっ、でも俺達はその、か、かか、カプールなどではなななくなくててて――」

「端から見ればわからんよ」

 そう言うと、黒宮は店員を呼び注文してしまう。

 それからドリンクバーも追加し、「君は何がいい?」と訊くので「メロンソーダがいいです」と返すと、二人分のメロンソーダを持ってきてくれる。その手際の良さに、俺は目をパチクリするばかり。


 やがて運ばれてきたのは、バケツほどの大きさをしたグラスに入ったチョコパフェであった。ハート型に切られたバナナやチョコスティック、イチゴやメロン味のボール型アイスなども添えられていて、なんとスプーンは一本だけ。二人で食えということらしい。いや二人でもムリだろう。

「ほら、あーん」

 黒宮がアイスをすくい、スプーンを差し出してくる。

「さすがにまずいですよっ」

 どこで誰が見ているかわかったものではない。

 だが俺の心配など察する気は端からないらしく、黒宮がいたずらっぽく笑う。

「こうでもしないとカップルに見えないだろう? ほら、口開けろ」

「……あ、あーん」

 観念し口を開けたところで、ぱくり。自分で食べる黒宮。

「んーっあまーい!」

 黒宮が自分の両頬に手を当てて、言った。

 俺が唖然としていると、

「ほれ。今度は本当だ。あーんして?」

 とスプーンをもう一度俺の口元に持っていく。今度こそ、俺は食いついた。

「どうだ?」

「美味しいれす」

 周りの視線など最早どうでもよくなった。

「せ、先輩! 今度は俺がやりますよ!」

「む? そうか?」

 俺はスプーンを受け取ると、小刻みに揺れる手でチョコアイスをひろい、黒宮の唇に近づけた。

 柔らかそうな唇。吸い込まれていくスプーン。

 ああ、彼女の舌の上でアイスが踊り、唾液に抱かれ、彼女の熱で溶けていく。

 エロチックハイパーバースト!

 その様を想像し、俺は震えた。

 次はイチゴ味のアイスを持っていく。ぽたり、わずかに溶けていたアイスが黒宮のワイシャツの隙間、胸元に垂れた。

 わざとではない! ラッキーなハプニングだ!

「ひゃっ」

「す、すいませんっ、拭きますっ」

 とっさにおしぼりに伸ばした腕を、掴まれる。

 さすがにセクハラだったか。

 黒宮が顔を近づける。

「いや、あの、先ぱ――」

 弁解しようとした矢先、ぺろり。

 頬を舐められた。

「ファッ!?」

 俺は立ち上がった。


 舐められた舐められた舐められた――


 俺は頬を指で拭う。わずかに濡れている。濡れている!

「ああすまん。アイスがついていたものでつい、な」

 しれっと言う。

 俺がこんなにも心臓を働かせているのに、彼女は気にもとめていない。男扱いされていなそうなのは悔しいが、美人が相手ならば翻弄されるのも悪くない。すまんな海堂、俺はお前を置いて、一つ上の次元へ行ってしまった。黒宮に玩具にされるという新たな次元へ。


 ここまできたらキスも近い。俺はなんとかアイスを口移ししてもらう方法はないものかと、ない頭を絞る。

 刹那、携帯端末が鳴った。黒宮の端末だった。黒宮が電話に出る。

 なんだよ邪魔すんなよ――と俺は心のなかで電話の主を非難する。何故か海堂の姿が頭に浮かんだ。

 黒宮が携帯を切った。

「すまない。稽古の予定が入ってしまった」

「………………そ、そうですか。それならしょうがないですね」

「本当にすまない。お金は置いておくよ……」

 黒宮が財布を出す。いいですよ払いますよと言っても聞かない。なさけないことに、女の子に奢られてしまった。

 俺は去りゆく女神の背を見送って、ほとんど減っていない化物パフェを眺めた。

「どうすんのこれ」

 俺は下痢を覚悟で武器(スプーン)を手に取った。

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