黒宮麻衣編② ネクタイ結び合いっこ、それは汗の交換
「こんなものだろう」
黒宮は救急道具を片付け、言った。
保険医がいなかったため、黒宮が直々に消毒をしてくれたのだ。幸いにも腫れてはいなかったため、治療はすぐに済んだ。が、ガーゼでもっとぽんぽんされたくって物足りないことこのうえない。
などと考えている暇はない!
俺は煩悩を振り払うべく、首を横に三回振るった。
「どうした急に。ネコの真似か?」
「いえ、なんでもないです」
降って湧いたチャンスだ。何か話さなくては。
「あの、く、黒宮先輩は強いんですね。その、なんていうか――そう。武術! なにか武術とかやってるんですか?」
俺が噛みまくりながらもなんとか会話の種を見つけると、
「黒宮流剣術道場の後取りなんスよね」
忌々しいことに、海堂が横槍を入れた。
初耳だ!
というか、何故海堂がそんなことを知っている!
「く、黒宮流剣術……?」
「とある筋から得た情報だが、なんでも古代コンポタ文明から続く有名な剣術道場らしい」
「えっ、メソポタミア文明って言いたいの? どっちにしろおかしいけど」
「……本当は江戸時代から続く道場らしい」
「へえ。由緒正しき道場というわけか。そりゃ強いわけだよ」
関心して黒宮を見る。
黒宮はハハハ、と豪快に笑った。
上品な笑い方ではないのに、様になっているように思われるのは彼女が美人だからであろう。
美人は何をしても絵になるというやつだ。
「そんなたいしたものではないよ。ただの小さな道場だ。それに、私はまだまだ修行の身。朝晩とみっちりしごかれている下っ端中の下っ端だ」
「へえ。でもなんか、いろいろ大変なんですね。生徒会も一人でやってますよね? 他の役員はどうしていないんです?」
「それは――」
とまたしても海堂が言いかけ、
「お前には聞いていない」
と釘を刺す。
せっかくの貴重な貴重な黒宮とのベリースイートトークタイムなのだ。この夢のような時間を何故むさい男などに邪魔されねばならぬ。
俺を見捨てたくせに。
俺が威嚇するように睨みつけると、海堂が嫌らしく口角を持ち上げる。
この野郎、わざとやってやがる!
「元々は他にもいたのだがな。去年、私が生徒会に入るなりすぐに辞めてしまった。大方私一人いれば仕事は務まると判断したのだろう」
黒宮はそのことに関し、怒りを感じている様子はなかった。ただ懐かしむように言った。
それからしばらくの間遠い目をしていたが、ふいに立ち上がって
「そろそろ私はおいとまする。君たちはどうする?」
と訊ねた。
「あ、俺も帰ります。えっと、その、途中まで一緒してもいいですか?」
「うむ。なら駅まで一緒に行こうか。海堂くんもそれでいいのかな?」
「もちっスよ」
空気を読まない男が頷いた。
憧れの美人生徒会長との帰宅。
散々妄想してきたシチュエーションに、俺の心は羽根のように軽く軽く舞い上がる。
だが心配もある。
現場をファンクラブの連中に目撃され、呪いでもかけられたらどうしようか、と。
ドキドキソワソワしながら外履きに履き替える。
だが現実はそれ以前の問題であった。
これ以上、黒宮と何を話せばいいのかがわからないのだ。
立場も能力も容姿もかけ離れた雲の上のような存在。俺や海堂のようなエロとゲームだけが取り柄の人間に、何が話せようか。
結局俺たちはほとんど会話を交わさないまま、駅に着いてしまった。
黒宮家は俺たちの家とは反対方向にあるらしく、駅のホームで別れの挨拶をかわす。
非道にも電車がすぐ到着する。黒宮が手を降った。車両へと吸い込まれていく立派な背中に、俺は思わず声かけた。
「あ、あのっ」
「どうした?」
黒宮が振り返る。
なにか言わなくては。
しかし、なにも思い浮かばない。
車内への人の出入りが終わる。このままではドアが閉まってしまう。
「俺、黒宮先輩の役に立ちたいんです! だから、俺を生徒会に入れてください!」
気がつけば俺はわけのわからないことを口走っていた。
「大変だぞ?」
「の、望むところですっ!」
「そうか。わかった。ならば明日(あす)の放課後、生徒会室に来い」
「えっ」
「待っているぞ」
電車のドアが閉じた。
「おう相棒。よかったな」
遠退いていく黒宮と電車を呆然と見送っていると、海堂が肩に手をかけてくる。
「会長、副会長以外の役員は演説も選挙もない。会長が推薦すれば一発採用だ」
「い、一発採用? ま、マジか」
「マジだ。相棒が会計で俺が書記だな」
「よっしゃああああっ! 勢いで言っちまったけど、黒宮先輩とこれから毎日二人っきりいいいいい――ってお前も入るのかよおおおおおおっ!」
「当たり前だあああああっ!」
駅のホームにバカ二人の叫びがこだました。
そんなこんなで翌日の放課後。
俺と海堂は肩を組み、ニヤケ面を撒き散らしながら、綿よりも軽い身体でスキップをし生徒会室を目指した。
すれ違う人々がその異様な光景に目を丸くし、キモッと呟くのも気にならないほど、俺たちのテンションは高かった。
「失礼します」
木製の高そうな扉をノックする。
中に入ると、会長席で黒宮が手を顎の下に組み、待っていた。ゲンドウか。
「よく来たな。適当に座れ」
黒宮ははじめに生徒会の仕事を説明してくれたが、俺の頭にはこれっぽっちも入ってこなかった。俺はただ、同じ空間に彼女といられる幸せだけを実感し、彼女のネクタイを黙って見つめていた。
「そのネクタイ、なんで校章が書かれてるんです?」
「生徒会長の証だ。つけてみるか?」
「えっ、いいんですか?」
「うむ。ネクタイを外せ。交換といこう」
俺がネクタイを外すと、黒宮が俺の正面に立ち、首に手を回してきた。
俺は椅子に座っている。黒宮は前かがみになっている。巨乳が眼前で揺れる。ワイシャツの上からとはいえ、思春期の男子には刺激が大きすぎる。
「結ぶからあまり動くなよ?」
「は、はい……」
ああ、彼女の首に触れていたネクタイが、彼女の手によって俺の首に巻かれていく。
女の子にネクタイを締めてもらうなんて、これはもう夫婦ではないか。
俺は時々肌に当たる黒宮の手の感触を楽しみながら、自分のネクタイを黒宮の首にかけた。
交換と言っていた。
ということは、俺の汗が染み込んだネクタイを彼女の首に、俺の手で巻いても問題はないはずだ。
「俺の方も巻きます、ね?」
「うむ」
俺は鼻をひくひくと動かし、黒宮の頭頂部の香りを嗅ぎながら、ネクタイを締め始める。
俺の汗と黒宮の汗がネクタイの中で混ざっていく。
そして――ああ、鼻孔をくすぐる薔薇のような甘くも高貴な香り。
この香りだけでご飯三杯はいけそうだ。
時に、今ならちょっとくらいおっぱいを触っても平気だろうか。平気に違いない。
俺はネクタイを結ぶ作業を続けつつ、期待と不安で汗ばむ指先を、そーっと豊満な胸に押し当てた。
ぽにゅ。
柔らかい。
ぽにゅぽにゅ。
これはやばい。
今までに味わったことのない感触。
温かくて、柔らかくて、それでいて弾力があって――ああ、これがおっぱいなのか。夢にまで見た生徒会長のOPPAI!
「うむ。交換完了だな」
黒宮が身をかがめたまま、満足そうに言った。
鼻と鼻が密着すれすれの距離で、彼女の眩しい笑顔が炸裂する。
俺は興奮が絶頂に達し、鼻血を黒宮にぶっかけて椅子ごと仰向けに倒れた。
「いきなりネクタイ交換って、お前ら頭おかしいんじゃないの?」
そう海堂が言ったのが聞こえたような気がした。
ファンクラブ会員のくせに姫に向かってなんてことを言いやがる――と思いながら、俺は意識を失った。
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