第一章 世界線α 俺が生徒会長の薬指にリングをはめるまでの一部始終

黒宮麻衣編① 俺が憧れるあの人は紺色のスカートがよく似合う


 俺の学校には誰もが認める超絶美少女が存在する。ロシアだかアメリカだか知らないが、ハーフで黄金色の髪を腰までスラリと伸ばし、ワイシャツがはちきれんばかりの巨乳を誇る美人生徒会長。第二学年一位の成績と抜群の運動神経を併せ持つ超人だ。


「おはよう諸君」

 そんな彼女――黒宮麻衣が片手を上げ、凛とした声で挨拶すればたちまち黄色い声が上がる。男子からも女子からも等しく人気で、彼女の登校する八時十五分には校門から昇降口にかけて人の道が出来上がる。黒宮はその真中を堂々と進むわけだが、少しも得意そうな態度を見せず、嫌味がない。

 まさに完璧人間だ。

 俺はそんな彼女を遠目に見つめ、いつものように思うのだ。

「ああ、あんな先輩を彼女にできたら毎日が楽しいんだろうなぁ」

 地球の回転が逆になってもありえないことだが、一兆歩譲ってそうなったとしても、ファンに闇討ちされて命を落とすのが関の山。

 なんでも、彼女のファンクラブは会員数が五桁を超えたとか。教師と生徒の数を足しても間に合わない。どうなっていることやら。

 ちなみに俺の会員ナンバーは560だ。


「はあ。どうせ俺は勉強も運動もいまいちな地味男だよ」

 黒宮が無事昇降口についたのを見届け、生徒たちがわっと散る。

 黒宮はいつだって白い歯を見せて、誰にでも平等に笑う。そう、平等に。

 俺が毎日熱を込めた視線を送っていることなど、知りもせずに。

「……いかんいかん。何を弱気になっている! 黒宮先輩は無理でも、彼女は作るんだ。弱気になるな俺!」

 バシンと両頬を叩き気合を入れなおす。

 ふと校門の方に目をやると、見知った顔が近づいてきていた。

 茶色に染めたウニのようなツンツン頭。首に引っ掛けた黒いヘッドホン。

「おーす相棒」

「おお。残念だったな会員ナンバー723の海堂君。黒宮先輩はもう行っちまったぞ」

「あー間に合わなかったか。だが俺にはコイツがある」

 海堂がにやりと笑い、財布から一枚の写真を出す。白いワイシャツに赤のネクタイ、紺色のスカート――つまりは制服姿の黒宮が、天使のような笑顔でピースをしている写真だ。


 俺が目を見開いて奪おうとすると、海堂はひらりと身をかわし言った。

「写真部の連中が頼み込んで撮ったものらしい。いい気なもんだよな。部活動の一環だと称すれば、生徒想いな会長さんとしてはモデルになることくらいむしろ進んでやる」

「なるほど。で、それをなぜお前が持っている!」

「買った」

「いくらで!」

 海堂が手のひらを見せる。

「ご、五百円か?」

「ちっち。聞いて驚けなんと諭吉さん五人分だ」

 途端、バカらしくなって俺はため息を付いた。




 放課後。

 俺はいつものように恥ずかしがり屋な女の子がこっそり入れたラブレターでも入ってないかと、ドキドキしながら下駄箱を覗き込み、がっくりと肩を下ろす。その横でクク、と笑う海堂。俺は海堂の足を蹴り、海堂は俺の肩を拳で叩く。

 ひとしきり彼女なし男の悲しき儀式を済ませてから、ゲーセンに向かうべく学校を出る。

「ふっふ。海堂よ。昨日俺は家庭版をプレイしている最中、新しいコンボを見つけてしまった。もうお前には負けないぞ」

「どうかな相棒。俺だって――」

 海堂が言葉を切り、ガードレール二つを挟んだ反対側の歩道を指さした。

 そこに、ガラの悪そうな金髪男集団に囲まれた、美少女がいるではないか。

「あれ、会長さんだよな」

「ああ」

 俺は首を縦に振るう。

 こんな時でも会長はいつものクールな表情を浮かべている。

 だが相手は危険な不良ども。

 何をしでかすかわかったものではない。

「どうやら俺達にもチャンスが回ってきたようだな、海堂」

「やるのか、相棒」

「愚問だ!」

 俺はガードレールを乗り越え、飛び出した。


「おうおうおう雑魚ども! 我らが姫、黒宮麻衣先輩に何のようであるか!」

「ああん?」

 不良集団の鋭い目が注がれ、俺は息を呑む。

 だがビビるな。あこがれの先輩の前である。ファンクラブの会員として、そして何よりも男として、かっこいいところを魅せなければならない。

「去れや兄ちゃん。病院のおまんま食いたくねェだろう?」

 彼らはチンピラ風情のくせに、どいつもこいつも腕が太い。生意気にも鍛えてやがるらしい。

「フッ。去るのは貴様らの方だ。血を見ることになる。なあ海堂?」

 友の援護射撃を要請する。

 が、反応がない。

「……海堂?」

 もう一度呼びかけるも無反応。

 おかしいな、と思って振り返る。

 海堂は向こう側の歩道にいた。手を合わせ、俺に対して祈る。

 出番は譲るということらしい。

 なに、相手はたった五人。なんとかなるに決まってる。そう思いたい。マジで。

「誰が何を見るって? ああん?」

 不良どもがボキボキと拳を鳴らす。

 黒宮が俺を見ている。なぜか、不思議そうに。

「貴様らが貴様らの血を見ると言ったの――」


 刹那、衝撃が走った。


 視界が揺れ、尻を地面に打つ。

 殴られたのだ。鼻をおさえると、ぬめりとした感触。手を見れば、黒い。血だ。

「ふへっ、血ぃぃっ」

「ひゃはは、なんだァこいつ。口だけじゃねェかァ」

 不良どもが笑う。

 腹立たしいが、正直分が悪すぎる。鼻が痛い。

 俺が尻もちをついたまま彼らを情けなく見上げていると、あろうことか黒宮が間に割って入った。

「なんだァ。ようやく俺らと遊んでくれる気になったワケェ?」

「帰りなさい。今なら見過ごそう」

「あぁ? なんつったァ?」

「帰れと言った」

「はっ、もしかしてお前、俺らが女には手を出さないと思ってる? 舐めてンじゃねェぞ!」

 男の手が彼女に伸びた。

「先輩、逃げて――」

 黒宮は男の腕を掴むと、なんと投げ飛ばした。男はアスファルトに背を激しくたたきつけられ、動かなくなる。

「野郎ッ!」

 別の不良が殴ろうと腕を引くが、その瞬間には黒宮がシャーペンを喉元に突きつけていた。


「帰りなさい」

 どこか覇気の感じる声。

 自分に向けられたわけではないのにもかかわらず、俺はぶるぶるっと身体を震わせた。

「ちくしょうッ! 化物めっ」

 男達は倒れたままの仲間を担ぐと、慌てて逃げていった。

 どうやら黒宮は武術の心得があるらしい。

 俺なんかが助けに出る必要はなかったようだ。むしろ逆に助けられた。カッコ悪いことこの上ない。

 落胆していると、黒宮が振り返った。

「大丈夫か?」

 と、右手を差し出してくる。

「え、あ、はい」

 俺が遠慮がちに手を握ると、ゆっくりと起こしてくれる。

 柔らかくて、温かくて、小さな手だった。

「助けてくれてありがとう。君は確か宮原シンくんだな?」

「……えっ? あ、はい。てか、助けられたのは、その、俺の方で。なんか、その、すみません。かっこわるくて――」

「そう自分を卑下するな。誰かを助けるために不良に突っ込むなどそう出来ることではない。誇っていい」

「そ、そうですか。あの、どうして俺の名を?」

「私は全校生徒の名を記憶している。それより手当をしよう。ここからなら保健室に戻ったほうが近いか。君もこい! 海堂くん!」

 黒宮が言った。

 名前を覚えられていた。褒められた! 手当をしてもらえる!!

 思ってもみない展開に、俺は痛さを忘れ舞い上がった。

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