第6話 分身と想い
⚫︎ヒデ
青い瓦屋根。
ひとつづきになった、長屋のような細い家が連なる。
古臭い二階建て。
全く透き通ることのない、分厚い花柄ガラスの重たい窓。
ガラゴロと開けたら、この辺で有名な神山だっていう山が見える。
でも、残念。
来年には、目の前にマンションが出来るそうだ。
山も、見えなくなるだろう。
窓を越えて、青い瓦屋根を歩くと数歩で隣の家の窓。
ドン、と叩けば同じように重たい窓を開ける、トオルがいる。
俺を見て、面倒くさそうに頭ぽりぽりして。
ふぁぁってあくびしながら、
当たり前のように、何にも言わず俺を迎える。
いつもそうだった。
いつだってそうだった。
それは物心ついてからずっとで、トオルにとっての俺と、俺にとってのトオルは、同じなんだと思ってた。
トオル。
トオルは俺のお隣さん。
俺の幼馴染み。
俺が、この世界で唯一大事な人。
愛とか恋とか、好きってことの種類とか。
考えたりもしたけど。
トオルが、大事だ。
トオルが、欲しかった。
トオルに妹が出来た。
抜け殻だったトオルが、ちびっこい紗季の手をとる。
いくら幼馴染とは言え、8歳の小学生の男同士が、手をつないで歩くと言うことに遠慮した俺は、やむなく紗季の手を握った。
お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん。
大好き。
まっすぐトオルにそう言える紗季が、羨ましかった。
羨ましくなる、自分が嫌だった。
必死に、大好き、とトオルに甘える紗季が、
その無自覚さが、俺には可愛くてかわいそうで、
あー、これ、俺か。
って、たまらなく苦しかった。
大学出て、働き出して、
『紗季も20歳だし。』って家を出たトオルは、
『でも、大事なんだ、俺。』
と、つぶやいた。
その時の情けない顔を覚えてるよ。
『大丈夫。見とくよ。俺が、紗季のことは。』
そういうと、もっと情けない顔をして、うん、って言った。
きっと、トオルは知らない。
俺が、どんだけトオルが大事か。
代わりに、紗季のそばで様子を見てやりながら、トオルによく似た紗季の仕草に、胸が痛かったことなんか。
知らないだろ。
知らないんだろ。
‥一生知らなくていいけど。
この世界で、たった一つ欲しかったもんが、
明日人のものになる。
明日、トオルは結婚する。
『さーて、と。』
んー、と背伸びをする俺の後ろで、引き戸をまたいでトオルがじーちゃんと常連達に、おめでとう、がんばれよ、よっ!色男!と、揉みくちゃに祝われている。
先に出ていた紗季が、空を見上げていた。
月。まんまるの。
俺に気付いた紗季が、ん、と無言で月を指差す。
ん、と俺も月を見た。
『ありがとう!頑張る!色男頑張るから!』
揉みくちゃになりながら、トオルはそう言って引き戸を必死に閉めた。
ボサボサの頭に、俺と紗季はなんだそれ、って笑う。
ふぅって、息を吐いたトオルが、ふにゃりと笑って紗季の手を取った。
そして、俺の手を取った。
『おい。何やってんだオッさん。』
『んー?』
『紗季だろ。せめて真ん中紗季だろ』
『やだ。』
『やだ、じゃねーわ!』
『だって。俺はヒデも紗季も好きなんだ。手ぐらいつながせろ。』
月は、明るい。
柔らかく柔らかく、この小さな町を照らしてる。
俺を、トオルを、紗季を。
込み上げてきたもんを、ぐっと飲み込んだ。
仕方ねぇなってそぶりで、でかいため息ついて見せたら、トオルがにやりと笑う。
トオルを真ん中に、俺らは歩く。
柔らかな月明かりの下で、手をつなぐ。
ぎゅって、たまらなくなって手に力がこもる。
そしたら、同じように握り返された手。
『美味かったなー』
『いい肉は美味いな。』
『紗季、めちゃくちゃ食っただろ』
『ヒデがアホみたいに乗せるからでしょ』
『あー、うるさい。素直にありがと。ごちそうさま、ひーでくん♫って言えないの?』
『ごちそうさまじゃない!ビタ一文出してない!』
『あー、うるせぇ。』
『お兄ちゃん、ダメだよ?ちゃんと言わなきゃ、この先ずっと言われるよ?トオルの祝いにA5ランク奢っただろって!違うのに!』
『いってやれ!トオル。どんなに高い肉たらふく食っても、貧乳は貧乳だって。』
トオルをはさんで、俺と紗季は必死だった。
手をブンブン振りながら、
必死に刻み込もうとしていた。
この手のひらに、トオルの温度を。
この、バカバカしくて愛おしくてたまらない時間を。
泣かないようにしゃべり続けながら。
『あーもう。うるせ~わ。』
ぴたっと足を止めたトオルが、ふふふふふって笑う。
思わず、紗季と顔を見合わせると、
頰に、触れた。
俺と紗季は、お互いの頰に触れたトオルの唇の感触に、立ちすくんでいた。
ふふふふふ、ってまたトオルが笑う。
ぐすぐすと泣き出した紗季が、呟くように言った。
『お兄ちゃん、すき。』
『おう。知ってる』
トオルは俺ら二人の手を、ぐっと引っ張った。
『ヒデは?』
『は?』
『言わねーの?』
あぁ、もう。
なんだこれ。
『トオル。』
『ん?』
『‥幸せになれよ』
『‥ずっと。お前が大事だよ。だから、幸せになれ。』
『おう。』
ブンブン、トオルが繋いだ手を振る。
『すき。』
『うん。』
『大好きお兄ちゃん。』
『うん。』
『トオル。』
『うん?』
『嬉しいよ、俺』
『おう。』
『お前が、すげー心底、大事だ』
『知ってる。』
手をつなぐ。
まんまるの月。
柔らかな月明かり。
来年には、俺らの古い家の前に、マンションが建つらしい。
あの山も、そしたら窓から見えなくなるだろう。
けど、知ってる。
ちゃんと、あの山はそこにある。
そこにあると、俺らは知っている。
明日、トオルは結婚する。
俺らの手を引いてきたやつが、
やっと包んでもらえた人と。
『‥よかったな。』
俺のつぶやきは、
『‥うるせぇ』
トオルの涙声に溶けていった。
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