第4話 かすかに





『なんで、家にいねぇの?』


むすっとしたまま、お兄ちゃんは当たり前のように、私の隣に座った。いつものように。


パチッと炭のはじける音がして、あぁ、焦げる!とヒデからトングを奪い取りながら。


『帰るから待っとけって、メールしただろ。』


唇尖らせたまま、今度は私に言う。


焼きすぎた肉を、私の小皿に乗せようとしたその手が、一瞬、ピクリと止まった。


『いいじゃん。見つけやすかっただろ?』


だから、答えたのはヒデだった。


ニヤッと笑いながら言ったヒデを、

じっと、睨んだ。



『‥牛丼は?』

『ナンノコトデショウ』


ククって喉を鳴らして笑うから、イラっとする。


例え私があの場で牛丼につられてても、結局この店のつもりだったのか。

お兄ちゃんが、食べれずにいる私に気が付いた一瞬を、見逃さないくらい全部わかってるくせに。


『何?牛丼って』

『今日の昼飯の話だよ。』

『お前昼も夜も肉かよ。珍しいな。』

『いいだろ。たまには。』


同じくせに。

私と同じくせに。

本当は、泣いて泣いて泣いて、好きだって声が枯れるまで言って抱きつきたいくせに。


そんなの全部背中に隠して、それでもお兄ちゃんを見て、嬉しそうなヒデが。



バカすぎて。

それはつまり、私の姿で。


イラっとする。



ヒデが飲みだしたビールジョッキの底を、戻せないように飲み干すまでぐーっと、押し付けた。


『おまっ!無茶すんなや!』


口の端からビールが溢れて、おしぼりで拭いながらむせるヒデに、べぇっと舌を出して笑った。








青い瓦屋根が続く。



バス停留所の向こうにはため池があって、その水を引いた田んぼが広がる。

あぜ道には、レンゲが咲いた。


お兄ちゃんは器用にそれを花冠にして、私の頭にのっけて、満足そうに微笑む。


うれしくて、うれしくて。

私がスカートを翻しながら、くるりと回る。


パンツ見えてる。


ヒデが笑いながら、レンゲの花を3つ束ねた指輪を作って、私の指にはめた。


お兄ちゃんとヒデの間で、私は2人と手をつなぐ。


赤茶色の電車が、田んぼの向こうで通り過ぎるのを並んで見た。



お兄ちゃんの手は、大きくて私はいつも安心した。

ヒデの手は、いつだって私の手をしっかりと握るから、心強かった。



今なら思う。



ヒデの手は、きっとお兄ちゃんを欲してた。

無邪気にお兄ちゃんに甘える私を、1番分かって支えてた。



三人で家に向かいながら、話した内容は覚えてない。


ただ、草の蒼さとか、レンゲの鮮やかな紫色、あちらこちらの家から漂う、夕飯の匂いとか。



見上げたお兄ちゃんの笑顔。

ヒデの照れ臭そうな横顔。


そんなのを、泣きたいぐらいに覚えてる。







『実加子は?』


ヒデのその声で、ハッとした。


不意に浮かんだ景色に、鼻の奥がツンとするのを慌ててビールで流し込んだ。



『実家。』

『へぇ。あれか、おとうさんおかあさん、お世話になりましたってやつか。』

『さすがに、そんな場面に俺いらねぇだろ』

『まぁな。親父さんからしたらムカツク相手だしな。』

『んなことねぇわ。』


ふふふって、お兄ちゃんが笑う。


ヒデと2人で肉を焼きながら、見てるのはミカコサンの事だろう。



お兄ちゃんの大学の先輩だというミカコサンは、ショートカットの小柄な人だった。

その小さな身体の中に、どうしてそんなにと言うくらいの包容力で、あっという間にお兄ちゃんを包んでしまった。


まだ子供の私が、お兄ちゃんを取られまいと、あからさまな視線や態度を投げかけても、あ、そんな感じ?って、笑ってしまうのだ。


大嫌い。


面と向かってそんな事、さすがに言わなかったけど、私の態度はとても酷いもんだった。


ミカコサンがお土産に持ってきたケーキには手をつけなかった。

ミカコサンが家にいたら、部屋から出なかった。

ミカコサンが、『トオルくん』って呼ぶのが許せなかった。



トオルくん、なんて。



私が呼びたかった。

呼びたかった。



ヒデもお兄ちゃんと同じ大学だ。

ミカコサンの後輩だ。

なのに、実加子、と呼ぶ。


お兄ちゃんが、ミカコサンを呼び捨てにした事はないのに。


それが、いつかを見据えたヒデの自己防衛だと気付いたのは、お兄ちゃんが家を出た頃か。


『ちゃんと、親父さんからも信頼されてるわ』


『俺と実加子の8年間を舐めんなよ。』




呼び捨てにしたことなんか、



無かったのに。




ヒデの眉が、一瞬。

ほんの一瞬だけ、ゆがんだのが。



私にだけはわかった。


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