第10話:魔王城の決戦

 「おーおー、こいつはまた…壮観の一言だな」

窓から外を覗いていたお姉さんが、なんだニヤニヤしながらそんなことを言っている。

「のんきなこと言ってる場合かよ!」

十六号さんが不安げな表情で言うけれど、お姉さんはそれを鼻で笑って

「ビビったってしょうがないだろ?やるだけやる。ダメなら逃げる。引き際さえ間違えなきゃ、問題はない」

なんてあっけらかんとして言った。さすがに、踏んできた場数の違いなんだろう。お姉さんと同様に、他の大人たちもそれほど動揺している様子はない。

 私達は、ソファーの部屋に揃っていた。

 窓から差し込む光はうっすらと色づき始め、もうじき夕暮れになるだろう。

 そんな中で、お姉さんたちは敵となる人間軍と魔族軍の陣容を観察し、あれこれと細かなことを確認し合っていた。

 魔道士さんは今は反対の方の窓から西を観察しているし、兵長さんと黒豹さんは図面上で作戦の確認をしている。

 隊長さん達はそれぞれの武器を手入れしたりしてはいるけど、こっちも慌てている様子はない。

 大尉さんに至っては、あくびを漏らしながらソファーに腰掛けてボーッとしている。

 唯一、サキュバスさんだけはソワソワと、私達子どもと同じように不安げにしていた。

 私も窓の外を覗いてみたけれど、十六号さんの気持ちがよくわかった。

 四万の軍隊、とは聞いていたけれど、窓の外にはそれこそ見渡す限りの人々が、お城の周りの原っぱを覆い尽くしている。

 槍を持っている人、剣を持っている人、大きな斧を持っている人もいるし、見たことのないトゲの付いた玉を担いでいる人や、黒いローブに身を包んだ人達が物々しい様子でごちゃごちゃと動き回り、陣を作っている様子が見えた。

 雰囲気も殺伐としていて、とてもじゃないけど、安心なんてしていられる雰囲気ではない。

 こんなの、慣れていたって不安になるに決まっている。

 ううん、そもそも慣れるなんてことができるんだろうか?

 この人達がすべて、このお城に襲いかかって来るんだと思うと、こちらの戦力がどうのこうの、って言う以前に恐ろしい。

 でも、そんな私の気持ちを知ってか知らずか、お姉さんは十六号さんに言った。

「大丈夫だ。城壁の魔法陣が破られて、遠距離の攻撃魔法が届くようになったらまた別だが、先に相手を城の中に引き込んじまえばこっちのもんだ。外からの魔法を無闇にぶっ放すわけには行かなくなるだろうからな」

「で、でもよ…」

「確かに、城主様のおっしゃる通りですね。それに…相手の指揮系統はそれほど一貫してはいないようです。魔族側と人間軍側とでは統率に差異がありますし、もしかすると、適当に突付いてから中へ逃げ込めば、簡単に誘導できるかも知れません」

十六号ちゃんとお姉さんとの会話を聞いていた兵長さんがそう言う。さらにそれに続いて大尉さんが

「まぁ、慌てても落ち着いててもやることは変わらないからね。とにかく敵を城内に誘い込んで、狭所の出口で迎撃する。圧力が強ければトロールくんの魔法で通路を組み替えて奇襲を掛ける。あたし達は、とにかくそれを頭においておけば大丈夫だよ」

 なんて、サキュバスさんがお昼ご飯に出してくれた魔界のパンの残りをかじりはじめた。

 私にももちろん役目がある。そのために、私は時間を作って妖精さん達から魔族式の回復魔法を習った。私は戦場の後方に控えて、傷付いたり疲れたりしたみんなを癒す役割だ。

 出番がない方が良いけれど、そう簡単に行くわけはない、ってわかっている。

 せめて私の手に負える程度のケガであって欲しい…

「魔族の方はまだまだかかりそうだな。人間共の動きは?」

魔導士さんがそんなことを言いながら、魔族軍の詰めかけている反対側の窓のところから私達の元に戻ってきた。

「向こうは王下騎士団が王国軍の各隊の指揮を執っているみたいだな。貴族連中の部隊は繁雑だから、まぁ、崩すのは容易だろう」

お姉さんが、そんな魔導士さんに言う。すると魔導士さんが

「大尉の言うように、こっちから仕掛けるべきだな。糧食も限られているだろうし、指揮系統が弱いのなら混乱をさせて足並みを乱す方が効果的だ」

とお姉さんに判断を仰ぐ。でも、お姉さんは首を横に振った。

「ダメだ。あたしらは自分からは仕掛けない。それがあたしらの最後の意地だ」

「で、ですが…!こと、このような状況では、もう攻撃を受けているのと同じでは…!」

それを聞いて声をあげたのはサキュバスさんだった。

「あぁ、それでも、だ…ごめん、普通に考えたら、やるべきなんだろうけど…本当にこれは、あたしの意地。作戦でもなんでもない」

お姉さんは、そんなサキュバスさんのジッと見て言った。

 サキュバスさんはシュンと肩を落とし、隣にいた魔導士さんがため息を漏らす。

「まぁ、今回はとにかく協会の連中とサキュバス一族の首魁を落とせればそれでいい。この城を維持するのも最初から放棄しているようなもんだし、構わないだろ」

魔導士さんはサキュバスさんに言い聞かせるようにして言った。それからお姉さんに視線をもどして肩をすくめた魔導士さんは

「あの様子じゃ、突入は明日の朝だろうな…」

なんて苦笑いを見せて言った。

 「同感だ。陣容もめちゃめちゃだし、大勢整えるには時間かかりそうだからな」

魔道士さんの言葉にお姉さんはそう言って笑い、それから私達を見やって言った。

「まぁ、大丈夫。とにかく、落ち着いて自分のやるべきことをしよう。ヤバくなったら引くなり助けを求めるなりして、とにかく生き残るんだ」

私達は、お互いの顔を見やって頷いた。

 そう、何事もなければ、私達はお姉さんが魔道杯協会サキュバス一族の主力を叩くまでの短い時間を耐え忍べばいい。

 とにかく今は、そのことに集中しよう…十八号ちゃん達の話のようになったら、そのときにまた思い出せばそれでいいんだ。

 「そうだよな…うん、よし…アタシは魔法陣の確認をしてくるよ」

「俺達は竜娘ちゃんに付いてる」

「兵長、後で見張り役の順番を作っておいてくれると助かる」

「俺は部屋で休むぞ。明日は全力で当たる必要があるからな」

みんなが口々にそう言う中、サキュバスさんも決心をしたのか引き締まった表情で

「私は、糧食の支度を致します」

と力強く言った。

 「人間ちゃん、私達もお手伝いしよう!」

妖精さんがサキュバスさんの言葉を聞いて私にもそう声を掛けてきた。

 うん、そうだね…休んでいる分けには行かないし、何かをしていないと、また心苦しくなっちゃうかも知れない。お手伝いは、大事だ。

「うん!」

私がそう返事をすると、妖精さんだけじゃなくサキュバスさんも笑顔にになってくれた。

 そんな私達の様子を見ていたお姉さんは、なんだか嬉しそうに笑って、カツンっと身を翻してソファーの部屋から出て行った。

 お姉さんの姿を見送った私達も、すぐさま部屋から出てお城の台所へと向かった。

 台所には、お昼用の糧食を準備した後がそのまま残されていた。サキュバスさん、よほど急いでいたんだろう。

 野菜にパンに調味料なんかが、あちこちに置きっぱなしにされている。

 さすがにお肉の類は冷暗庫にあるのか見当たらないけど…でも、いつものサキュバスさんの作業を思い出せば、こんなに片付いていないのは珍しい。

 「夜の糧食はどうするの?」

 私は、そのことはあまり触れずに、サキュバスさんにそう尋ねてみた。するとサキュバスさんはふと宙を見据えてから

「パンと、それから具をたっぷり入れたシチューを作ろうと思います。寸胴缶に入れて各持ち場にお持ちすれば、いつでも食べられますし」

と私達を見やって教えてくれた。

 シチューか…それなら、野菜もお肉もたっぷりだし、急いでいても食べやすいからきっといいね。

「じゃぁ、私、お野菜切るですよ!」

妖精さんが率先して包丁を取り出し、水桶に汲んであった水でさっと洗い流す。

「私もやる!サキュバスさんはパンお願い!」

「はい、それではお願いいたしますね」

私はサキュバスさんにそう言って、ダガーよりも短い果物包丁を取り出して、台所にあった袋からお芋を取り出してその皮を剥く作業に入った。

 サキュバスさんは保冷庫に寝かせてあったパン…って言っても、魔界では「麦麩」って言うらしいけど…とにかくその生地を、専用の台の上でこね始める。

 あの生地を、陶器の壺の様な物に貼り付けて火にかければふんわり膨らんで出来上がりだ。

 生地をこねるのは力がいるから、サキュバスさんにお願いするのがきっといい。その分、私は野菜をたくさん切ってゆでたり出来るからね。

 とは言っても、みんなのお腹がいっぱいになるだけじゃ足りない。戦闘になるわけだし、次の食事の準備がいつできるかも分からない。そう考えたら、それ以上の量は作って置かないといけないだろう。それこそ、ここにある食材のうちの半分を使い切るくらいに用意してもいいくらいだ。

 私はそんなことを思いながらとにかくお芋の皮を剥き続け、タマネギや他の野菜も切り刻んで、私がすっぽり入ってしまう位の大きな寸胴鍋に放り込んだ。

 そこに妖精さんが刻んだニンジンとカボチャも加えて、さらにはベーコンも厚切りにしてたくさん入れ、水もひたひたになるまで入れた。

 作業を終える頃にはサキュバスさんが鉄製のコンロに炭をくべて火を灯していてくれたので、その火に寸胴鍋を掛けた。

 あとは、焦げ付かないようにかき混ぜて、最後に調味料で味付けをすれば完成になる。

 魔界パンが焼き上がり、シチューに調味料を入れ、味を整え終えたときには、台所にある小さな窓の外から差し込んでいた陽の光は消え、真っ暗な夜になってしまっていた。

 私は、ようやく火が通ったシチューの寸胴から私が抱える程の鍋にシチューを移して、さらにそれをグイっと持ち上げて持ち運び用のワゴンに載せ替える。サキュバスさんが焼いた魔界パンは平らな陶器の入れ物に入れて蓋をした。

 「じゃぁ、私、下の隊長さん達に運んで来ますね!」

私はワゴンを押しながらサキュバスさんにそう言った。

「あ、ですがっ…」

不意にそう声を上げたサキュバスさんに、妖精さんが

「私も行くです、だから大丈夫ですよ」

と言葉を添えてくれた。そのときになって、私は自分の言葉にうっかりしていたことに気が付いた。

 何しろこのワゴンだ。下の階へ行くには、階段を下ろさなければいけない。

 食堂もソファーの部屋も台所と同じこの階にあるからそんなことを考えることもなかったから、本当にうっかり、だ。

 妖精さんの言葉を聞いたサキュバスさんはすぐに納得したようで

「はい、どうかお気を付けてくださいね」

と私達に向けて軽く目礼をした。

 サキュバスさんは、お姉さんや魔導士さん達に食事を運ばなければいけない。手分けをしないと、お腹を空かせているだろうみんなを待てせてしまうからね。

 私は妖精さんと一緒に台所を出た。妖精さんが片手に明かりを灯してくれたので、私はそれを頼りに廊下を進む。

 やがて見えてきたのはソファーの部屋の半分ほどの部屋で、その先には人が一人、ようやく通れる程の下りの階段がある。

 ここは、トロールさんが作った、魔王城防衛の最後の要衝。

 細い階段を上ってきた敵を、その出口にあたるここで迎え撃つ。それなら、幾ら敵が多くても囲まれるようなこともない。

 兵長さんが提案した防御案だ。

 同じような構造になっているのはここだけじゃない。

 お城の入口の門戸を入ってからこの階に辿り着くまでには同じような作りの小さな部屋が六つある。

 この階段の下にある場所が、当座の詰所。隊長さんたちはそこにいるはずだ。

 私はワゴンをグイっと持ち上げて、慎重に階段を降りて行く。妖精さんが足元を照らしてくれているので、もう夜だけど安心だ。

 細い階段の先からうっすらと明かりが漏れているのが見え始めた。

「皆さん、ご飯持ってきたですよ!」

私の足元を照らすのに先を歩いていてくれていた妖精さんが、一足先に灯りの方へと声を掛けた。私もワゴンを下ろして、部屋の中に引いて入る。

 部屋には、槍や剣、見たことのない鉄の棒なんかがたくさん差さった樽や、飲むのに使うんだろう水の入った樽もある。

 そんな部屋の隅にはテーブルが設えられていて、隊長さんに女戦士さんと女剣士さん、それに虎の小隊長さんと鬼の戦士さんに鳥の剣士さんが居た。

「うはぁ!待ってた!」

私たちの姿を見て、女戦士さんが飛び上がった。

「腹が減っちゃぁ、なんとやら、だな」

隊長さんがそんなことを言って鳥の剣士さんと顔を見合わせて笑っている。

「皆さん、いっぱいあるので精を付けて欲しいですよ!」

妖精さんがそんなことを言いながら、魔界パンの入った陶器の入れ物をテーブルに置く。

 そんな様子を見て、鬼の戦士さんが初めて見る長い金属の棒を壁に立てかけてから立ち上がった。

 それからみんなで手早く食事の準備を済ませると、隊長さんたちは勢い良くシチューをかき込み始めた。

「ん!うまいな!」

虎の小隊長さんがそう言ってくれる。

「この魔界のパン…ムギフ、って言ったっけ?私、こっちの方が向こうのパンより好みだよ」

「人間界のパンってのは少し硬いですよね」

女剣士さんと鳥の剣士さんがそんなことを言い合いながら、サキュバスさんの焼いたムギフをほおばった。

 そんな様子からは、緊張感なんてとても伝わってこない。

 まるでいつもどおりの、賑やかな食事風景だ。

 あの日、隊長さんは他の隊員たちは「逃げ出した」なんて言ったけれど、その後大尉さんから聞いた話では、残ると言い張った他の隊員達を、隊長さんが追い払ったらしい。

 なんでも、万が一のときの逃亡先を確保する算段を付ける役目を頼んだらしかった。そのとき大尉さんが言ってくれたように、確かに大切なことだ。

 そもそもこの戦いは最終的には魔王城を捨てることになる可能性の方が大きい。ここから逃げ延びた先で、私達を匿ってくれる人達がいると言うんなら、それに越したことはないはずだ。

 これから戦いが始まるけれど、もしかしたら隊長さん達は、もっともっと先のことを考えているのかもしれない。

 戦いのあとのこと、その場所での暮らしのこととか、そういうのだ。

 それはつまり、誰ひとりこの場所で死んじゃったりする、なんてことを考えてないんだ、って、私には思えた。

 だからこそ、緊張もたいしてしていないし、ふさぎこんでもいない。隊長さん達にとっては、ここはただの通過点なんだろう。

 そして、そんな隊長さん達を見ていると私まで胸が軽くなるのを感じた。

 「鬼の戦士さん、その棒はなんです?」

不意に、食事をしている鬼の戦士さんに妖精さんが聞いた。

 棒、っていうのは、たぶん武器なんだろう壁に立てかけられたあの金属の棒だ。見てくれは槍のようだけど、先端に付いているのは刃ではなく、角ばった塊になっている。

「あぁ、これはソウコン、っていうんだ。えっと、人間界だと…」

「メイスだろうね。でも、そんな槍みたいに長いメイスは見たことないけど」

鬼の戦士さんの言葉に、女剣士さんがそう言う。

 メイス、って、確か、棍棒みたいにして相手を殴ったりする武器だよね…?あれとおんなじなんだろうか?

「それで殴ったりするんだよね?」

私が聞いたら、鬼の戦士さんはコクっと笑顔で頷いて

「うん、そう。本当は槍が得意なんだけどね…今回の戦いは、なるべく敵に致命傷を与えないでくれって城主さまに言われててね。それなら、刺すよりも打撃で押し返そうかな、って思って」

と教えてくれる。

 お姉さん、そんな指示まで出してたんだね…いくらなんでも、ケガをさせないように戦うなんてことは難しい。でも、刺したり斬ったりして血を出させてしまうよりも、確かに殴るだけの方が命に関わるケガはしにくいような気がする。

「まぁ、アタシらは斬るけどな」

そんな言葉に、女戦士さんが口を挟んだ。

 女戦士さんは分厚い幅広の剣を半分抜いて見せている。

「別に、みんながそうしろってことじゃないとおもう。でも、心がけって大切じゃない?」

「そうだな。お前に刃物を持たせると、それこそ殺さん方が無理だ」

鬼の戦士さんに虎の小隊長さんが笑っていった。それを聞いた鬼の戦士さんがプリプリと頬をふくらませて

「隊長!なんでそんなこと言うんですか!」

と怒り始めた。それを見るや、他のみんなは声を上げて笑い出す。

 私も妖精さんも、やっぱりそんな和やかすぎる様子に、思わず笑い声をあげてしまっていた。

 そんな風にして、状況に合わないおしゃべりを続けていたら、不意にグゥっと、私のお腹が音を立てた。

「なんだよ、幼女ちゃんは腹ペコか?」

そんな音を聞きつけた女戦士さんが私にそう声を掛けてくれる。

 お腹が空いた、って感覚は緊張のせいかどうかとにかく感じなかったけれど、考えてみればお昼ご飯以来、もうずっとなにも食べてない。食べる気がしなくっても、体の方は何か食べ物を欲しがっているようだ。

 「そうみたい。私達も夕飯まだだから」

私が言ったら、鬼の戦士さんが心配げな表情で

「食料はまだ大丈夫?二人が食べる分はちゃんと残ってるの?」

と聞いてくれた。もちろん、台所の冷暗庫には、まだ食料は残っている。みんながお腹いっぱいになる量を作っても、あと二三日は大丈夫だろう、っていうくらいには。

 「うん、平気。私達の分は台所にあるから、ソファーの部屋に戻って食べるね」

「そう。それなら良かった」

私の言葉に、鬼の戦士さんが安心した表情を浮かべてそう言った。

 「じゃぁ、人間ちゃん。私達ももどってご飯にしよう!」

妖精さんがそう言ってくれたので、私もうん、と頷いて

「じゃぁ、皆さん。ケガしないでくださいね。ケガしたら、無理しないで私を呼んでください」

と隊長さんたちに頭をさげる。

 「あぁ、頼んだよ、指揮官どの」

「そうだな。まぁ、なるべく世話にならないように戦うつもりでいるから安心してくれ」

「サシの勝負なら負ける気はしないからね。そっちは上で兵長さんと状況を見ててくれよ」

虎の小隊長さんに隊長さん、それから鳥の剣士さんが口々にそう言ってくれる。

 私は、やっぱりみんなが頼もしくって、一層緊張がほぐれるのを感じられた。

 そんなときだった。

 女剣士さんの表情が一瞬、引き締まった、と思ったら、まるで光が瞬くような速さで剣を引き抜いた。

「誰だ!?」

女剣士さんがそう叫ぶ。

 次の瞬間、バッと妖精さんが私の目の前に立ちふさがった。同時に、隊長さん達も武器を手にテーブルから勢いよく立ち上がる。

 女剣士さんの視線は、階段の方に向けられていた。

 誰か、居るの…?敵…?

 私は、そう思いながら妖精さんの体の向こうにあった階段を覗き込む。

 そこには人の姿があった。

 見慣れた軽鎧に身を包み、 額にいっぱい汗をかいて、長い金髪が張り着けている女の人だ。

 その鎧にその顔に、私は見覚えがあった。

「女騎士、様…?」

声をあげたのは、妖精さんだった。

 そう、そこに居たのは、間違いなく砂漠の街の憲兵団に居て、私と一緒にオークの村に囚われ、私を助けてくれたあの女騎士さんだった。

「勇者さまはいらっしゃいますか…?」

女騎士さんは、静かな声色で私達を見やって言った。

 ガシャリ、と隊長さん達が武器を鳴らせて身構える。

 「ま、待って、隊長さん!この人は、砂漠の街の憲兵団の人で、兵長さんの部下の人なんだ!」

私は、その様子に慌てて声をあげる。

「砂漠の街…?西部交易都市か…確かに、その軽鎧は兵長さんと同じもの、だな」

隊長さんが鋭い目つきで女騎士さんを見つめ、さっきまでの平和な様子から一転、張り詰めた空気の中でそう言い、ややあってスッと片手を振りかざした。

 それを見た女剣士さんに女戦士さんがゆっくりと武器を下におろす。

「私は、敵ではありません。西部交易都市の憲兵団で、騎馬小隊の指揮を執っています。勇者さまに敵の動きをお伝えするために、ここへ参りました」

女騎士さんは、未だに剣とあの鉄の棒を下げていない虎の小隊長さんや鬼の戦士さん達に切っ先を突き付けられながらも、落ち着いた声色でそう言った。

「やつらの動き?」

隊長さんがいぶかしげにそう聞くと、女騎士さんはコクっとうなずいて

「急いでお伝えしたいのです。どうか、案内していただけませんか?もし不審と思われるのなら、武器をお渡ししても構いません」

と、腰のベルトに差してあった剣を鞘ごと抜いて一番近くに居た鬼の戦士さんにそっと差し出した。

 鬼の戦士さんは、チラっと虎の小隊長さんを見やり、小隊長さんがコクっとうなずいたのを確かめてから、女騎士さんの剣をそっと受け取った。

 「で、こいつを信用できるのか?」

隊長さんが、ふぅ、と小さなため息をついて私と妖精さんにそう聞いてくる。

「はいです。女騎士さんは、私と人間ちゃんを助けてくれたですよ」

「そうなんです。私達、砂漠の街でオークにさらわれて、その先で女騎士さんと出会って、女騎士さんは私達のために戦ってくれたんです」

妖精さんと私は隊長さんにそう説明し、それから私はさらに

「お姉さんのところに連れて行かなきゃ。きっと、何か大事なことなんですよね?」

と女騎士さんにそう尋ねた。

 女騎士さんは、表情を変えないままにうなずいて

「はい。大事なことです。紙にまとめてあります」

と隊長さんを見やって言った。

 私は、妖精さんと一緒に逡巡を始めた隊長さんをじっと見つめる。

 隊長さんは、口元に手を当ててふむ、なんてうなってから

「そうだな…味方に情報…少しでも有利になるものなら、喉から手が出るほど欲しい」

と剣を鞘に戻した。

 「女剣士。お前、付き添え」

「了解です、隊長」

隊長さんに言われた女剣士さんは、そう返事をして剣を鞘に納めた。

 女剣士さんは私達にかぶりを振ると

「あなたたちも一緒に。まだ食事がすんでないんでしょ?」

と笑顔をみせてくれた。

 そうだった。今、夕ご飯を食べに戻ろうって話をしていたっけ。

 そんなことを思い出したら、とたんにお腹がぐうっと鳴った。それを聞きつけた妖精さんがクスっと笑う。

「もう、妖精さん、笑わないで」

私がそう言ったら、妖精さんはそれがおかしかったのかいよいよ声をあげて笑い始めてしまった。

 「じゃぁ、女騎士、って言ったっけ。あんたも来なよ」

女剣士さんはそう言って、上へと続く階段を上がって行った。

 その後ろに女騎士さんが続き、私と妖精さんは最後に階段を上っていく。

 ソファーのある階に出て、廊下を少し歩いてさらに上にある玉座の間へと続く階段をあがった。その先にある大きな両開きの扉を開けると、そこは広間がある。

 ここが、玉座の間。

 お姉さんがまだ勇者だったころに先代様を殺した場所だ。

 「城主様」

そう女剣士さんが声をあげた。

 玉座の間には、お姉さんとほかのみんなが揃っている。

 いつの間に運び込んだんだろうか、部屋の真ん中におかれたソファーとテーブルが一式あって、そこに腰かけているみんながこっちを向いた。

 その女剣士さんの言葉に、一番に反応したのは兵長さんだった。

「あなたは…!女騎士、どうしてここへ?」

驚いた様子の兵長さんに、女騎士さんは静かに言った。

「私は、敵ではありません。西部交易都市の憲兵団で、騎馬小隊の指揮を執っています。勇者さまに敵の動きをお伝えするために、ここへ参りました」

「憲兵団まで駆り出されているのは分かっていたが…まさかあなたまでこんな場所に…」

「誰だ、あの姉ちゃん?」

「兵長さんと同じ鎧だな。ケンペイダンってやつだろ」

「そうだね。砂漠の街の治安維持をやってる部隊の人みたい」

「でも、アタシの結界と感知魔法には引っかからなかったな…どうやって来たんだろう?穴があるんなら、塞ぎに行かなくちゃな…」

兵長さんと女騎士さんの会話を聞いているのかいないのか、玉座の隅っこで十六号さんと十七号くんに大尉さんがそんなことを話し始めている。

「情報は貴重だな。感謝する。入って聞かせてくれ」

魔導士さんがそう言って、私達を傍へと呼んだ。

 「それで、女騎士。敵の動き、ってのは?」

そんな女騎士さんに、お姉さんがどこか嬉しそうな笑みを浮かべて女騎士さんにそう声を掛ける。

「はい、大事なことです。紙にまとめてあります」

女騎士さんはそう言って、軽鎧の胸当ての中に手を差し込んだ。

「魔王様、お下がりください!」

その刹那、どこからかサキュバスさんの絶叫が聞こえてきたかと思ったら、天井から何かが降りかかって来て、女騎士さんの体を貫いた。

 その何か、は、サキュバスさんと、そしてその手に握られた、槍のような鎌のような、柄の長い武器だった。

 私は一瞬、目の前で起こった出来事が理解できずに固まってしまう。

 ううん、私だけじゃない。

 部屋の中の時間が、まるで凍ったように止まってしまったような、そんな感じだった。

 サキュバスさんが、女騎士さんを…刺した…?ど、どうして…?

 サキュバスさん、女騎士さんは…何か、敵の情報をもってここに来てくれたのに…

 槍のような武器で貫かれた女騎士さんは、その柄を握って体を何とか支えようとしているけど、力が入らずにガクガクともがいている。

「サ、サキュバス様!」

そう叫んだのは、妖精さんだった。

 ハッとして私の体に意志が戻る。

「サキュバス様!その方は味方です!敵じゃないです!」

妖精さんがそう言ってサキュバスさんを押しとどめようと一歩を踏み出した。

 でも、切り裂くような声でサキュバスさんが

「近づかないでください!」

と妖精さんを押しとどめる。同時に、服の裾からダガーを取り出して女騎士さんの首を一閃に薙いだ。

 あっ、と声をあげる暇もなかった。

「サキュバス殿!やめてください!」

「サ、サキュバス…!何やってる!そいつは!」

兵長さんの悲鳴のような声と、お姉さんの絶叫が重なる。

 そんな中、女騎士さんの首がゴトリ、と、床に落ちて転がった。

 い、いくらなんでも、こんな傷を回復魔法で元に戻すのは不可能だ。

 女騎士さんを…死なせちゃった…よ、よりにもよって、サ、サ、サ、サキュバスさんが…!

「女騎士!」

兵長さんがまた悲鳴を上げて、そして剣を抜いた。

 ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ兵長さん!剣なんて抜いて…まさか、サキュバスさんを斬るつもりじゃ…!

「やめろ、兵長!」

剣を手にサキュバスさんと女騎士さんの方へと駆け出そうとした兵長さんを、ソファーから飛び上がったお姉さんが押しとどめる。

「兵長様!魔王様のことをお願いします!」

それにも関わらず、サキュバスさんがそう叫んだ。

 何…?いったい、サキュバスさん、どうしたの…!?

 「血…血が…」

そんなとき、すぐそばにいた妖精さんが呟くのが聞こえた。

「よ、妖精さん…?」

「血が、血が、出てない…」

 血が?…出て、ない…?

 私は一瞬その言葉の意味が分からず、妖精さんの視線を追ってすぐに何を言っているのかを理解した。

 胸から槍で貫かれ、首を刎ねられたはずの女騎士さんの体からは、一滴の血も滴っていない。あんな槍で体を貫かれたら、普通はもっとたくさん血が出るはずだ。

 首なんて刎ねたら、きっともっと、血がバッと噴き出すに違いない。

 でも、どうして…?女騎士さんの体からは、それがないの…?

 「クソ!そう言うことかよ!」

不意に、魔導士さんがそう歯噛みして言った。

「十六号、結界開け!」

「えっ!?えぇっ!?」

「くっ…ダメ、間に合わない…!」

戸惑う十六号さんの声にかき消されそうな声色で、サキュバスさんがそう呟いた。

 そのやりとりの合間に突然、首のなくなった女騎士さんの体が急にまばゆく光りだした。

「お、女騎士…?これは…?い、いったい、何が…!?」

戸惑っている兵長さんをよそにサキュバスさんが叫んだ。

「みなさん!逃げて!」

次の瞬間、バッと目の前が真っ白に輝いて、私は何か得体のしれない力に全身を強く弾かれた。

 グワングワンと頭の中が揺れ、どこか遠くからキーンという音が鳴っていて耳がよく聞こえない。体のあちこちが痛んで、動かない。

 今、何があったの…?女騎士さんの体が光った、と思ったら、それ以上にまぶしい光で何も見えなくなって…それで…

 私は、まるで寝起きのようにはっきりとしない意識の中で、なんとか今起きた出来事を理解しようとしたけど、うまく行かない。

 とにかく、起きないと…起きる?待って、私、寝ているの…?

 床に手をついて、体を起こす。

 それからあたりを見回して、私は、それでも何が起きたかを理解できなかった。

 あったはずの部屋がない。ソファーもテーブルも、壁も、天井もない。見えるのは、すすけた床と、もうもうとした煙の向こうに見える星空だった。

 て、転移魔法…?ううん、違う…これ、まるで火事にでもあったような…

 私は、なんとか床から立ち上がろうとして、膝を立てる。

 コツン、と、つま先が何かにぶつかって、ゴロリと転げた。その何かに思わず目をやった私は、一瞬、背筋が凍ってしまうほどの寒さに襲われる。

 それは、サキュバスさんが刎ね飛ばした女騎士さんの頭だった。しかも、半分が砕けてなくなっている。

 思わぬものをみつけてしまって、凍り付いた体のせいでその頭から目が離せなくなってしまう。

 でも、女騎士さんの頭を見続けてしまっていた私はふと気が付いた。

 砕けた半分から覗いているのは、肉や骨じゃない。

 部屋が吹き飛んで、明りも消えてしまったせいで確かじゃないけど…でも、これ、もしかして…

 私は、ふっと金縛りの解けた体をかがめて、その頭を持ち上げてみた。

 やっぱり、そうだ。これは、外身は女騎士さんに見えるけど…女騎士さんじゃない。崩れた半分から覗いているのは、まぎれもなく土だ。粘土質でカチカチに固まっているけれど、これは、たぶんこのあたりの土に違いない。

 そう、だから、あの女騎士さんは女騎士さんじゃなくて、その姿をマネ出来る魔法を掛けられた…ゴーレムだった…

「サキュバス殿…!サキュバス殿、申し訳ない…私、私が…!」

不意に、そんな悲鳴が聞こえてきた。

 そうだ、サキュバスさん…!

 私はハッとして頭を床に置き、顔をあげた。

 そこには、全身が焼けただれたサキュバスさんの姿があった。

「た、大変…!サキュバス様!」

妖精さんが叫んで、サキュバスさんの体に飛びついた。私も慌てて痛む体を引きずりながらその傍へと寄る。

 皮膚は焼け焦げてあちこちが黒く炭になってしまっている。残っている肉や皮膚も、グジュグジュと血と肉が混じり合ったような状態になってしまっている。

 でも、そんなになってもサキュバスさんは、ヒューヒューと苦しそうに、まだ、息をしていた。

「す、すぐに回復魔法をするです、頑張ってください!」

妖精さんがそう言ってサキュバスさんにそう言って両手をかざした。

 すぐに妖精さんの腕に赤い光が灯って、サキュバスさんの傷がゆっくりと塞がっていく。

「クソ…俺たちを負傷させてお前をこの城に貼り付ける算段か…」

魔導士さんも顔の半分に大きな火傷を負っているのが分かった。

 ほかの、みんなは…?

 私はハッとしてあたりを見渡した。

 お姉さんは、まだ呆然としてしまっている。

 黒豹さんは、ケガは軽そうだ。

 竜娘ちゃんは大尉さんと一緒にいる。二人も大丈夫そう…

 そして、次に見た姿に、私は息をのんでしまった。

 十四号さんも十七号くんも、無事。十八号ちゃんに零号ちゃん、それにトロールさんも大きなケガや火傷はないように見える。

 ただ、でも…十六号さんだけが、床に転がっていた。体が、ピクリとも動いていない…

「じゅ、十六号さん!」

私は思わず十六号さんの元に駆け寄った。

「十六号姉!」

「十六姉さん!」

十八号ちゃん達も、十六号ちゃんの様子に気が付いて駆けつけてくれる。

「姉ちゃん、どうしてあんな無茶…!」

「十六姉、サキュバスさんと私達に結界を張るので精一杯だった…自分を守れなかったんだ…」

十七号くんの言葉に、十八号ちゃんがそう歯噛みして言う。

「どいて…!」

そんな二人の間を縫って、零号ちゃんが十六号さんの体に飛びついた。

 そして、黒くなった十六号さんの体をサッとさすると、

「大丈夫、まだ、間に合う…!」

とつぶやくように言って両腕を十六号さんに押し付ける。

 すると小さな魔法陣が十六号さんの体中に光とともに浮かび上がった。  

「まだ、蘇生できる…!体を回復させて…!私が、心臓を動かす!」

零号ちゃんは、私たちに言うが早いか、バシっと十六号さんの体に微かな雷のような光を放った。

 そ、それで、心臓が動かせるの…?十六号さん、助かるの…!?

 そんなことを思っていたら、零号ちゃんが私を見やった。

「幼女ちゃん、早く、回復魔法!体が戻らないと心臓が動いてもダメ!みんなも、早く!」

そ、そうか…回復魔法で体をもとに戻さないと、どっちにしたって助からない…やらなきゃ…!

 私は両腕に気持ちを落ち着けて両腕に魔力を集める。暖かな感覚とともに、赤い仄かな光が腕を包み込む。十八号ちゃんも、十四号さんも回復魔法の魔法陣を展開させ始めた。

 お願い、十六号さん…!死んだら、イヤ…死んじゃ、ダメだよ…!

 私は、こみ上げる恐怖と不安と悲しみをこらえながら、とにかく必死で十六号さんの体に回復魔法を掛け続ける。

 そんなとき、バタバタと音がして部屋の入り口だったところに誰かが姿を現した。

「これは……いったい、どうしたってんだ!?」

その方を私は見れなかったけど、声の感じからして、たぶん虎の小隊長さんだ。

「あの女騎士ってのは、爆裂魔法を仕掛けられたゴーレムだったようだ。サキュバスが気が付かなきゃ、戦う暇もなく、俺たちの親玉が死んでただろうな…おい、しっかりしろ!」

「あ、あぁ…あいつら…あいつら、なんて真似を…」

「クソ、おい、バカ!いい加減正気に戻れ。あれはゴーレムだ。お前の知ってる女騎士って憲兵団員じゃない。石人形だ!」

視界の外で、魔導士さんが必死になってお姉さんを落ち着かせている声が聞こえてくる。

 ケガ人が出れば、私達だって手当をする必要が出てくる。そうなったら、本来戦える十八号ちゃんや妖精さんも、手当を優先しなきゃいけなくなる。結果的に私達の戦力がケガした人の倍は削られてしまう。

 それに、今のお姉さんの様子すら、魔導協会の人たちは、考えに入っていたはずだ。裏切りも、仲間の死も、お姉さんにとっては何よりも効果的な攻撃だ。

 魔導士さんが言ったように、ケガ人を出したり、ああして仲間が死んだり、裏切ったりするようにお姉さんに思わせて、お姉さんの動きを止める。

 師団長さんが裏切ってお姉さんを毒とナイフで攻撃したときには、お姉さんは本当に危なかった。いくら勇者と魔王の両方の紋章を持っていても、不死身になれる、ってわけじゃない。

 力を使う前に急所を狙われれば、今の爆裂魔法のように一瞬で部屋ごとお城の上層部を吹き飛ばすような力を加えられたら、お姉さんだって死んでしまう。

 魔導協会の人たちは、正攻法でやったって勝てないことは、百も承知なんだ。

 だから…だから、お姉さんのやさしいところを利用して、こんな…こんなことを…!

 そんなとき、まるで雷のような轟音が地面から響いてきた。

 音…?違う、これは…声だ。人間の、魔族の、お城の周囲に集まった“敵”が、鬨の声をあげているんだ…!

「小隊長さん、それに、黒豹!やつら、この機に電撃戦でここを陥とすつもりだ!突っ込んでくるぞ、階下の防衛頼む!」

そう言った魔導士さんは、マントを脱ぎ棄てて空を仰いだ。

 私も、上空から何かの気配を感じて思わず空を見上げた。そこには、星空にまぎれて無数の光が、不規則に漂っている。

 でも、それもつかの間、その光…浮遊できる魔法を使った人間軍と魔族軍の人たちが、ものすごい勢いで私たちに落ちてくるように突撃を仕掛けてきた。

 「黒豹、早く行け!」

「しかし!魔導士様!」

「ここは俺たちが支える…!あの数に階下を突破されたら、殺す他に形勢を覆す手がなくなる…あぁ、くそっ!」

魔導士さんがそう唸って、辺りにさらに魔法陣を展開させた。

 その魔法陣からバリバリっと今まで以上の稲妻が走り、空から攻撃を仕掛けてくる敵を次々に撃ち落とす。

 だけど、敵はそんな魔導士さんの攻撃を上回る数で上空に姿を現してはこちらに突撃を仕掛けてきた。

 不意に、魔導士さんの稲妻とは違う色が輝いて、私は思わず顔を上げる。

 そこには、私達に迫ってきている真っ赤な火球があった。

「ちっ!十八号、離れろ!」

「ダメ!十六姉をほっとけない!」

魔導士さんの言葉に、十八号ちゃんが叫んだ。

 そんな短い間にも、火球は私たちのすぐ目の前まで迫ってきていた。

「任せろ!」

と、どこからかそんな声がしたと思ったら、何かが火球を遮るようにして目の前に広がった。

 それは、石の破片が組み合わさって出来た大きな盾だった。

 これ、トロールさん!?

 私がそのことに気が付いたのと同時に、魔導士さんが叫んだ。

「早く行け、黒豹!トロール!天井を塞げないか!?」

「は、はい!」

「石材がずいぶん吹き飛ばされた。天井を作るには、別の場所を崩さないといけない」

黒豹さんと虎の小隊長さんが部屋から飛び出していき、人間の姿になったトロールさんは、私達のすぐそばにいて、片腕に魔力の光を灯している。

 そのトロールさんの脇を、竜娘ちゃんを抱えた大尉さんが駆け抜けて、未だに腰を抜かしているお姉さんの元へと走った。

「ちょっと!しっかりしなさいよ!あなたがやらなきゃ、みんな死ぬんだよ!?」

大尉さんはお姉さんの胸ぐらを掴んで体を揺さぶっている。

 そんな大尉さんの発破に、お姉さんはギュッと目を瞑り、唇を噛み締めて立ち上がった。体がブルブルと震えているようにも見える。

 お姉さんの心の状態も心配だけど、今は、十六号さんだ…

 私はそう思い直して十六号さんに視線を戻す。

 零号ちゃんが小刻みに小さな稲妻を迸らせるたびに、十六号さんの体がビクン、ビクン、と跳ね上がる。

 お願い、十六号さん…頑張って…!

 私はそう語りかけるように、さらに回復魔法を強めた。

 その刹那、ゲホゲホっとむせ返って、十六号さんの体が動く。

「十六姉!十六姉!!」

十八号ちゃんがしきりにそう名を呼ぶと、煤けて真っ黒になった顔に、きらりと目が光った。

「あぁ、良かった…十六姉!」

十八号ちゃんがポロリと涙をこぼす。

「アタシ…死んでたのか…?」

しわがれた、おばあちゃんみたいな声で十六号さんがそう聞いて来た。

「十六お姉ちゃん…心臓、止まってた…」

雷の魔法陣を解いた零号ちゃんはそう言って、ペタンとお尻から床に座り込んだ。

「そっか…助かったよ、ありがとう…」

十六号さんはそう言うと、そっと腕を動かして零号ちゃんの頭をなでつける。

 それから、むくっと体を起こすと

「幼女ちゃんに十八号もありがとう。あとは、自分でやる」

と自分の体に回復用の魔法陣を纏わせた。

 黒く焦げ付いた十六号さんの皮膚がボロボロと剥がれ落ちて、新しい皮膚へと変わっていく。

 それを確認した私は、十六号さんに抱きつきたいのをこらえてお姉さんの元へと走った。

 お姉さんは大尉さんに叱咤されてなんとか立ち上がり、両手で自分の頬をひっぱたいているところだった。

「お姉さん、大丈夫!?あの女騎士さん、ゴーレムだったんだって!」

私が改めてそう伝えると、お姉さんはコクリと頷いて

「あぁ…師団長のときと同じだな。あいつら、どうしてもあたしの懐に入り込んで傷をえぐりたいらしい…」

と静かに言った。そしてそれを言い終えたお姉さんは、あの悲しげな表情を浮かべて笑い、夜空を仰いで見せた。

「小さい頃に家族を失くして、魔導協会であんな暮らしをして、勇者になったら魔族殺しに駆り出され、それが終わったと思ったら、今度は大陸全体の悪、だ。あたしの人生って、とことんケチを付けたくなるな…」

つっと、お姉さんの頬に涙が溢れる。

「こんな世界、救う価値があるって、そう思うか?あたしは、聖人君主なんかじゃない。あたしにこんな扱いをする世界を、なんであたしは救おうだなんて思ってるんだ?」

 そう言ったお姉さんは、自分の両腕を見やった。

「まさに呪いだな、魔王…こんなものをあたしやあんたは一身に背負わされて…いったい、なんの為に戦ったんだろう…。あんたを殺すんじゃなかったよ。あたしがもう少し賢ければ、あんたの思惑に気がつけただろうに。そうなってたら…あたしはあんたと二人でこの荷を背負えたかもしれないな…」

そして、お姉さんは涙を拭って両の拳をギュッと握った。

 途端に、両腕の二つの紋章が青と赤の光を放ち、部屋に大きな風の渦が巻き起こる。その風の渦は上空でさらに巨大になって、空から攻撃をかけようとした敵を飲み込み、まるで旋風に吹き飛ばされる落ち葉のように散り散りにされていく。

 「一旦、下の階に引こう。トロール、階段を塞いで追っ手を遮断してくれ」

「わ、わかった!」

お姉さんの言葉にそういうなり、トロールさんは魔力を使って残っていた壁をすぐさま解体し、その石材を使って玉座の間の扉を一気に塞いだ。

 次の瞬間、部屋全体に転移魔法が発動して、目の前が明るくなるのと共に私達はソファーの部屋へと移動していた。

 「くっ…」

不意にそう声が聞こえたので、私がハッとして目をやると、そこには体を起こして荒く息をしているサキュバスさんの姿があった。

「サ、サキュバス殿…!」

「兵長様…お怪我は…?」

「私は問題ありません…そんなことよりも…」

「いいえ、良いのです。説明する暇がありませんでしたから、勘違いされて当然と思います」

あの女騎士さんの姿をしたゴーレムを刺したサキュバスさんに、女騎士さんは剣を抜いて斬り掛かった。そのことを謝っているんだろう。

 そんな二人のやりとりを聞きながらお姉さんが魔道士さんに

「これは、のんびりやってる場合じゃなさそうだな」

と声を掛ける。

「あぁ、こんな形で夜襲を掛けてくるとは、相変わらず根性の曲がった連中だ。まだ何か手を講じて来る可能性が高い。やるのなら、早いほうが良いだろう」

魔道士さんもそう言ってお姉さんの言葉に頷く。

 「十六号、傷は?」

「もう平気」

敵の迎撃の手が休まった魔導士さんの問いに、十六号さんが答える。

 すると魔導士さんは十六号さんに

「俺が援護するから、天井の向こう側に物理結界を張ってくれ。それで上空からの攻撃がしばらく防げる」

と声を掛けた。

「うん、わかった。転移頼むよ」

十六号さんはそう言って魔導士さんの服の裾を掴むと、魔導士さんの転移魔法でどこかへと姿を消した。

 たぶん、玉座の間に戻ったんだろう。敵を吹き飛ばした今なら、魔法陣を描くだけの時間はあるに違いない。

 それにしても、魔導士さんが言った「やるのなら…」という言葉。そう、それはお姉さんが前線に行くことを意味している。

 敵陣深くに突撃して、魔導協会とサキュバス族を打破する作戦だ。

 でも、それを聞いて私はふと、さっきのお姉さんの言葉に不安を感じた。

 さっきお姉さんは言ってた。

 こんな世界を救う価値があるのか、って…まさか、お姉さん、変なこと考えたりしてないよね…?

 私は思わず、お姉さんのマントの裾を握っていた。

 ソワソワと落ち着かない気持ちが胸に込上がってきて、どうしようもなく不安になる。世界を救うことを諦めるってことは、すなわち、お姉さんが魔導協会やサキュバス一族だけじゃない。ここに集まっているすべての敵を殺すことを意味している。

 もし、お姉さんがそうと決めたのなら、私はそれでも良いと思う。でも、お姉さんはきっとそれをしたら、きっと後悔する。

 確かに、私達を騙す様な手を使って攻撃を仕掛けてくるのは、ひどい。そうでなくたって、お姉さんはずっと人間たちに利用されてきたんだ。そう思っても全然おかしくなんかない。

 でも、それをするには、お姉さんは優しすぎる。北の城塞で起こったことと同じことに、必ずなっちゃうはずだ。

 いっときの感情でそこにいる人を皆殺しにして、それからお姉さんがどうなったのかを、私は一番身近で見ていたんだ。

 「お姉さん…変なこと、考えてないよね…?」

私はお姉さんにそう聞いた。

するとお姉さんは私の前に腰を下ろして、優しくその腕で私を抱きしめてくれた。

「…そうだな…。それは、やっぱり、良くないよな」

耳元で、お姉さんがそう言う声が聞こえた。

 やっぱり、そう思ってたんだね…全部を感情のままに消し去ってしまおう、って…

 それに気付いた私は、お姉さんの首に抱きついた。腕にギュッと力を込めて、お姉さんに伝える。

「お姉さん。私は…私達は、お姉さんの味方だよ。いつも言ってるけど、ずっと一緒に居る。例えお姉さんがどんな存在になったとしたって、それは変わらないよ。でも、敵全部を相手にしたら、ダメ。そんなことしたら、お姉さんは絶対に後悔する。今はいいかもしれないけど、戦いが終わってから、きっとあの北部城塞のときと同じように感じちゃうはず。私は、そうなってほしくない。お姉さんに、もうあんな後悔はして欲しくないんだ」

私の体に回されたお姉さんの腕に、ギュッと力がこもった。

「あぁ…うん。そうだよな…あんたの言う通りだよ…」

お姉さんはそう言うと、私から腕を解いて立ち上がった。

 その表情は、あの悲しい笑顔ではなくなっている。

 引き締まった凛々しい表情で、両の拳をギュッと握ったお姉さんは、私の頭をまた一撫でして、サキュバスさんを見やって言った。

 「サキュバス、傷は?」

「はい、ひとまず、大丈夫かと。ご心配をおかけしました」

「いや、気がついてくれて良かった…そうでもなければ、あれだけで何人か死んでたかもしれない」

サキュバスさんにそう言ったお姉さんは、少し安心したような笑顔を浮かべる。でもそれからすぐに表情を引き締めて、

「魔道士が戻ったら、予定通りに敵の本陣に突っ込む。援護、頼むな」

と頷きながら言う。サキュバスさんもそれを聞いて

「はい。身を賭してでも、お守り申し上げます」

と頷いた。

 ほどなくして、階下から雄叫びが聞こえ始める。城門を破った敵の一段がお城の中に踏み込んで来たのだろう。

 隊長さんたちが、下で戦いを始めているはずだ。

 お姉さんの表情が、少し険しくなる。ギュッと握られた拳に、私はそっと手を置いてあげた。

 ハッとした様子のお姉さんが、私を見下ろしてくる。

「大丈夫だよ、お姉さん。竜娘ちゃんには大尉さんと兵長さんが着いててくれてるし、もしものときは、私と妖精さんとトロールさんで隊長さんを助けに行く」

私は、お姉さんの目をジッと見つめてそう言った。

 そう、それがうまくいけば、何も問題はないはずなんだ。それが一番、確実な方法に間違いはないんだから…

 私の言葉に、お姉さんはコクっと頷いてそれから拳を解いて私の手を握り返してくれる。

「あぁ、分かってる…。さっさと終わらせて、どこか遠くに逃げちゃおうな」

お姉さんのその言葉に、私も頷いて返した。

 パッと一瞬部屋が明るく光って、魔導士さんと十六号さんが戻ってきた。

 二人共、落ちついた様子だ。

「物理結界、問題ない。これで上空からの侵入はしばらく防げるはずだ。この間に、やっちまおう」

魔導士さんがそう言い、それからサキュバスさんの方を見やって

「サキュバス、どうだ?」

と尋ねる。サキュバスさんは最初の爆発でビリビリに破れてしまったローブを脱ぎ捨てて

「ええ、行けます」

と応えた。それに、魔導士さんは

「よし」

と相槌を打ってお姉さんを見やる。

 お姉さんも、二人を交互に見やって、そして、笑った。

 あの、悲しげな笑顔で。

「魔導士…サキュバスも。先に謝っておくよ。ごめんな…」

その言葉に、サキュバスさんも魔導士さんも、返事をしなかった。

 でも、お姉さんはそのままに続ける。

「あたしに手を貸すってことは、サキュバスにとっては同族殺し、魔導士も、人殺しをするってことになる…」

そんなお姉さんの言葉に、一瞬、サキュバスさんも魔導士さんも沈黙する。

 でも、すぐにその沈黙を、サキュバスさんが破った。

「魔王様お一人に全てを託して生きさらばえるなど、私には出来ません。功績を残すも罪を負うも、共にそれを甘受させていただけること、幸いに思います」

その言葉に、魔導士さんが続く。

「俺はそもそも何を殺そうが気にはしない。ずっとそうして生きてきたんだ。相手が人間だろうが魔族だろうが、変わりゃしないさ」

二人のそんな言葉を聞いて、お姉さんは悲しい笑顔のままに、

「…すまないな…でも、ありがとう」

と呟くと、両頬をバシっと叩いて表情を引き締めた。

 「よし、行こう」

「はい」

「さっさと片付けてくれよな」

お姉さんは私の頭をまた撫でて、少し先の床に転移魔法陣を展開させた。

 その上に、お姉さんとサキュバスさん、そして魔導士さんが乗ると、パッと部屋が明るく光って、その姿を消した。

「行っちゃったね」

不意に、そばに来ていた妖精さんがそう言った。見上げたら、妖精さんは眉を潜めて、苦しそうな顔をしている。

 それはそうだろう。私も同じ気持ちだ。

 「さて…じゃぁ、アタシらもやることやらないとな」

そんな私達を見ていた十六号さんが、そう言って物理結界用の魔法陣を部屋中に展開させる。

 あれで、ここを守るつもりなんだろう。

「ここは、俺たちに任せろ」

十七号くんもそう言ってくれる。

 私は、二人の言葉に頷いて見せる。

 そんな私と妖精さんの元に、零号ちゃんとトロールさんが駆け寄ってきてくれた。

「さぁ、私達も行こう…隊長さんたちを守ってあげないと」

「うん!」

「私がやるよ。大丈夫、殺さないようにする」

「おいが壁で塞ぐ手もある。とにかく、魔王様を待つ」

私達はそう言葉を交わして、頷き合い、そのまま階段を駆け下りて隊長さん達が戦っているだろう階下へと向かった。

 さっき夕御飯を食べていた一つ目の階層は誰もいない。さらに階段を駆け下りて、二つ目の階層に辿り着くけれど、そこにもまだ敵は来ていないようでもぬけの空だ。

 この小部屋は全部で八つもある。

 多くあるだけ、そこで足止め出来る時間を稼げるから、お姉さん達が魔導協会とサキュバス族を制圧するための時間を稼げることになる。

 あとは、隊長さんたちが無事でいてくれればいいのだけれど…

 そう思いながらも四人でさらに階段を降りて行く。

 四つめの部屋にたどり着くと、さらに下から人々の怒鳴り声が聞こえ始めた。

「もう、ここまで来てるの?!」

そう声をあげたのは、妖精さんだった。

 まだ戦いが始まって一刻も経っていない。

 それなのに、八つあるうちの半分まで攻め込まれているなんて…

「…隊長さん達、無事かな…」

零号ちゃんの表情が不安に歪んだ。

「急ごう…!」

私は胸にこみ上げた恐怖を唇を噛んで押さえ込み、皆にそう言って階段を降りた。

 そこには、全身に血しぶきを浴びながら階段から上がってこようとしている鎧姿の人間を、槍と剣で必死に妨害している隊長さんたちの姿があった。

「隊長さん!」

部屋に着くなりそう声を上げた零号ちゃんが、猛烈な勢いで下へと続く階段に突進した。

 ガシャンっと金属が弾ける音と共に、男の人の悲鳴が幾重にも重なって聞こえる。

「チビ、下がってろ!ここは俺たちがやる!」

「ダメ!皆、ケガだらけじゃない!」

階段の出口に立ちふさがった零号ちゃんを押しのけようとした隊長さんは、零号ちゃんにそう言い返された。

「隊長、仕方ない。不甲斐ないアタシらがいけないんだ…」

 ふと、戦っている方とは違う方から声がしたので目をやったら、女戦士さんと鳥の剣士さんが部屋の隅の壁にもたれて座り込んでいた。

 女戦士さんは鎖帷子ごと袈裟懸けに切りつけられた大きな傷があり、鳥の戦士さんは顔の半分に布を押し当てて居る。布には、べっとりと血が染み込んでいた。

「幼女ちゃん、手当て!」

「うん!」

私は妖精さんと声を掛け合って二人の元に駆け寄る。

 私は女戦士さんのそばに座り込んで、回復魔法を展開させた。

 部屋には、隊長さん達しかいない。

 先に行ったはずの黒豹隊長の姿はそこにはなかった。

「女戦士さん、黒豹さんは?」

「あぁ、あの人なら、さっき外に出て行った。周囲の偵察を頼んでる」

その言葉に、私は内心、ホッとする。

 姿ないから、なにかあったのかと心配をしてしまった。

 「零号、おいが援護する。殺すのはなしだ」

「うん、分かってる。足元を揺さぶれる?体勢を崩して、あとは一気に押し込んでやる!」

「任せろ。みんなは一息入れたほうがいい」

そんな話をしている間に零号ちゃんとトロールさんがそう言い合って、隊長さんたちの前に出た。

 トロールさんが部屋の床に手を着くと、階段の方から石同士がぶつかるようなガチガチと言う音が聞こえ始める。

「くそ、石使いの魔法だ!」

「足元を取られるぞ、気をつけろ!」

「おい、魔族ども!対抗しろ!」

階段の敵がそう叫んだのも束の間、

「でやぁぁぁ!」

と右腕の紋章に光を灯した零号ちゃんが掛け声と共に、一番前にいた兵隊の構えていた盾を拳で殴りつけた。

 ベコン!と鈍い音と共に、兵隊さんは後ろに続いていた別の兵隊達もろとも階段の下へと突き落とされていく。

 相手を押し包むこともできない狭い通路で相手にしなければならないのが、勇者の紋章を持った女の子、となればよほど腕の立つ人じゃなければ太刀打ちはできない。

 でも、零号ちゃんはまだ戦い方がうまいわけではない、って自分で言っていた。

 相手は、ゴーレムを爆発させてくるような戦い方をする人たちだ。それこそ、さっきと同じようにここに爆発するゴーレムを送り込んでくるかもしれないと思っておいたほうが良い。

 いくら勇者の紋章を持っていても、あの爆発を備えなしに間近で浴びてしまうのは危険だ。  

 「あんた、回復魔法、うまいじゃないか」

不意に、女戦士さんがそう言って眉間に皺を寄せたまま笑った。

「うん…たくさん練習したから…」

私がそう言い訳をすると、女戦士さんはホッと息を吐いて

「頼もしいな」

なんて言ってくれる。

 褒めてもらえるのは嬉しいけれど、ただの言い訳にそう言われるとどこか居心地が悪くなってくる。

 それでも私は、努めて嬉しそうに笑って

「ありがとうございます」

と答えていた。

 「指揮官殿。お前さんがここに来たってことは、城主サマは出張ったんだな?」

そんな私に、顔に付いた血を拭いながら隊長さんが聞いてきた。

「はい。ついさっき、転移魔法で」

私がそう言うと、隊長さんはふぅ、とため息を吐く。

「それなら良かった。この調子だと、それほど長くは保たねぇからな。今はまだ前衛の雑兵だが、頃合を図って主力が出てくるだろう。俺たちなんかが相手になるかは疑問だ。もっとも、虎の部隊の方は俺たちよりはマシだろうが…」

「いや、魔族魔法を人間の魔法陣で強化しているとはいえ簡単じゃない。現に一太刀目を浴びたのはウチの剣士だ」

隊長さんの言葉に、虎の小隊長さんがそう言う。

 虎の小隊長さんに鬼の戦士さんに鳥の剣士さんは、サキュバスさん達と同じように魔導士さん特性の強化魔法陣を施されている。それでも、万全ってわけじゃないようだ。

「それに」

と虎の隊長さんが続ける。

 「敵が同じことをしてこないとも限らない。魔族の秀でた使い手は魔王軍所属でやつらの中にはそれほど多くはないと思うが…それでも、先日の解散からあとはどうなったかしれない。最悪、ウチの龍の大将クラスが人間の魔法陣で強化されて出向いてくる可能性だってあるんだ」

「なるほど、確かに…そう考えると、思いやられるな」

隊長さんは、そんな場合でもないだろうに、ヘヘヘと可笑しそうに笑った。

 隊長さんは、それくらい厳しい戦いになるのを、たぶん分かっているんだ。

 それでも、士気を折らないために、お姉さんが仕事を終えるまでは、戦う覚悟を決めているように、私には思えた。

 そうでもなければ、今みたいな話を聞かされて笑っていられるはずがない。

 そう感じた私は、また胸がギュッと苦しくなる。考えようによっては、私は隊長さん達のことだって裏切っているんだ。

 そんな私の考えに気が付いたのか、妖精さんが

「人間ちゃん、女戦士さんの様子はどう?」

と私の顔色を伺うように聞いてきた。

「うん、もう少しで、出血は止まると思う…」

私がそう答えたら、女戦士さんはあははと笑って

「動けるようになる程度で良い。どうせまたケガするんだ」

なんて言う。

 やっぱり、そう言う言葉は苦しいね…

 不意に、ズンと言う衝撃が私達を襲った。

 階下で何かが爆発したような、そんな感じで突き上げてくる衝撃だ。

 隊長さんがすぐさまチッと舌打ちをする。

「おいでなすった、か」

「今の感じは、魔族の魔法じゃないな。人間か?」

虎の小隊長さんがそう呟いて剣を握り直した。

 ズシン、ズシン、と再び衝撃が走って、部屋全体がミシミシと軋む。

 次の瞬間、部屋の床がボコっと盛り上がって、何かが飛び出し天井にぶつかった。

「ぐぅっ!」

そう声を漏らしたのは零号ちゃんだった。

「おい、大丈夫か!?」

天井から溢れるように落ちてきた零号ちゃんを隊長さんがそっと受け止めてそう声をかける。

「あいつ、強い…!」

零号ちゃんは大きなケガは無い様子だけど、擦り傷やあざなんかをあちこちに作っていた。

 勇者の紋章を持っていても苦戦するような相手なんだ。

 いくら戦いにまだあまり慣れていない零号ちゃんでも、あの雷の魔法はそんなの関係がないくらいに強力なはず。それでも、一方的には勝つことができないなんて…

 私はそのことを感じ取って体がこわばるのを感じた。

 と、床に空いた穴から再び何かが飛び出してきた。

 今度は、トロールさんだ。

 トロールさんは飛び出てくるやいなや、床に手を着いて穴を魔法で塞ぎに掛かっている。

 そんなトロールさんが言った。

「あの剣士が来る」

「あの剣士…?」

トロールさんの言葉に、妖精さんが反応した。

「あ、あの剣士さん、って…?」

私がそう聞いたとき、突然トロールさんが塞いでいた床が軋んで、割れた。

 いや、割れた、なんて言う感じじゃない。

 斬られた、って言う感じで…!

「くそっ!」

そう声を上げたのは女戦士さんだった。

 女戦士さんは私の体を捕まえると、ふわりと宙に浮いた。

 ゾクゾクっとする妙な感覚が背筋を駆け抜けて、私は気が付いた。

 女戦士さんが浮いてるんじゃない、私達が、落ちてるんだ…!

 ガラガラと音を立てて床が崩れていく。

 下には誰かがいて、私達を見上げて剣を構えていた。

「あいつ!」

そう声を上げたのは零号ちゃんだった。

 零号ちゃんは抱き止められていた隊長さんの腕から何もない空中を蹴るようにして飛び出すと、十六号さんのような強力な結界魔法を発動させる。でも、その結界魔法は下の階にいた人が、鋭く剣をひと振りした瞬間にあっけなく切り裂かれてしまった。

 その人に、私は見覚えがあった。

 あれは、剣士さんだ。

 東部城塞でお姉さんを裏切り者だと言って、私達ごと殺そうとした…お姉さんの、元仲間、だ。

 「言わんこっちゃない!とんだ大物のお出ましだ!」

隊長さんがそう言いながら空中で剣を抜いた。

「やつは…!勇者一行の剣士か!」

虎の小隊長さんも剣士さんを知っているようだ。

 それもそうだろう。お姉さん達勇者一行は、魔族にとっては忘れもしない存在に違いない。

 「みんな、あいつ、危ないよ!」

零号ちゃんは、結界魔法を切り裂かれたことにも動じずに、クルリと身を翻して床に着地する。

 ついで、私達も下の階へと降り立った。

 零号ちゃんを先頭に、隊長さん達もそれぞれ武器を構えて、私をかばうように前に立ちふさがる。

 あのときは戦う前に魔導士さんが強制転送で人間界に送り返してくれたけど…零号ちゃんが苦戦するほどの力を持っているなんて…

 いや、考えてみれば当然かも知れない。

 だって、この剣士さんだって勇者の仲間だったんだ。魔導士さんと同じくらいに強くても、不思議じゃない。

 剣の腕は兵長さんの方が上だ、ってお姉さんはいつだかに言っていたけど、戦いは剣の腕だけじゃ決まらない。魔法の強さや使い方が大きく影響されるんだっていうのは、私にも分かっていた。

 床や零号ちゃんの結界魔法を斬れるなんて、剣がいくら上手く使えても難しいだろう。

 そう考えれば、剣士さんが魔法を使って何かを強化していると思うのは当然だ。

「やれやれ…噂では聞いていたが、他にも裏切り者がいるとは…」

剣士さんは、あの日の夜、お姉さんに向けた侮蔑の表情を浮かべて隊長さん達をみやった。

 それを見た私は、正直、ゾッとした。

 この人は、何も変わってない。

 この短い間に、私や妖精さん達も、お姉さん自身だって、いろんなことを考えていろんなことを経験して来た。

 出会った頃には想像もしていなかったような今を生きている。

 でも、この人は違う。

 まるで、あの時からずっと、時が止まっているかのような、そんな不気味さがあった。

 「救世の剣士サマが勇者サマに叛意しようなんてずいぶんな話じゃねえか」

隊長さんが憎らしげにそう言う。でも、剣士さんの表情は微塵も揺るがない。

「叛意?バカを言うな。人間を裏切るだけでは飽き足らず、我らを討って世界を牛耳ろうと言う輩に付き従うバカは、貴様らくらいなものだろう?」

そんな言葉に反応したのは、零号ちゃんだった。

零号ちゃんが身構えて怒鳴る。

「なんだよお前!お姉ちゃんを悪く言うな!」

「聞く耳を持つなよ、チビちゃん。一言聞いただけでわかるよ。この手のやつは、話が通じないんだ」

零号ちゃんの言葉に、虎の小隊長さんがそう囁いた。

 そんな囁きを聞き取った剣士さんは

「ふん、裏切り者の話など聞く耳をもたん」

と私達に嘲笑を浴びせかけた。

「お姉ちゃんやみんなを悪く言うな…!」

「悪に悪だと言ってなんの問題がある?御託を並べるのなら俺を殺してからにするんだな」

零号ちゃんにそう言った剣士さんは、ゆらりとその剣を構えた。

 そのとたん、剣士さんの体中に魔法陣が浮かび上がる。

「来るぞ!」

「任せて!」

隊長さんの怒鳴り声にそう応じたのは、女剣士さんだった。

 女剣士さんは先頭の零号ちゃんの前に躍り出ると、そのまま剣士さんに斬りかかる。

「どこの者か知らんが、その程度ではなにも成せんぞ」

剣士さんはそう言うなり、体を前かがみにして床を蹴った。

 次の瞬間には、女剣士さんの握っていた剣が真ん中程から消えてなくなる。

 すこし遅れてキィンと鋭い金属音がして、女剣士さんが床に転げた。

「チッ!」

その様子を見て女戦士さんが駆け出し、女剣士さんに覆いかぶさるようにしてその身を庇う。

 「このぉ!」

零号ちゃんが剣士さんに斬りかかり、女剣士さんに追撃しようとした剣士さんの足を止めた。

 ガキン!と金属音がして、零号ちゃんと剣士さんの剣が噛み合う。

 でも、零号ちゃんはそれでは終わらなかった。剣を押し合いながら雷の魔法陣を展開させた零号ちゃんは、そこから一気に雷を放出させる。

 バリバリという音とと閃光が剣士さんを襲うけど、その雷は剣士さんの体にうっすらと纏われたなにかの上を滑るようにして壁へとそれて焦げ跡をつけるだけだ。

「その紋章、確かに本物のようだな…だが、あいつほどの力はないし、魔導士ほど洗練された魔法陣でもない…恐るるに足らん」

そう言ってニヤリと笑った剣士さんは、零号ちゃんの剣を弾くやいなや、零号ちゃんの小さな体を思い切り蹴りつけた。

 さらに、体勢を崩した零号ちゃんの盾目掛けて剣を振るって床へと押し倒す。

 そして、後ろに控えていた私達目掛けて空中を剣で真横に薙いだ。

「危ない!」

トロールさんがそう叫んだ瞬間、私達の前に石の壁が立ち上がった。

 剣が届く距離なんかじゃないのに、石壁は鈍い音とともにまるで斬られたような跡を残して床に崩れる。

 今…何をしたの…?まるで、サキュバスさんの使う風の魔法みたいだ…!

「高速で剣を振って空気を弾く、か…なるほど、人間の魔法が奥が深いな…」

虎の小隊長さんがそう呻く。そんな小隊長さんの言葉のあと、隊長さんが緊張した声色で私に言った。

 「指揮官殿、あいつらの世話を頼む」

 ハッとして女戦士さん達の方がいたをみやると、そこには血だまりの中でもがいている女戦士さんと女剣士さんの姿があった。

 一瞬息が詰まったけど、それでも私は床を蹴って二人の元に駆けつける。

 二人はすでに半分意識を失い、まるで大きな剣で切り裂かれたように、体の表面が浅くだけど広く斬り裂かれていた。

「人間ちゃん、早く!」

二人の様子に息を飲んでしまった私に、妖精さんがそう声を掛けてくれる。

「うん!」

 私は再び女戦士さんの体に手を当てて回復魔法を展開させた。

「…腕の一本や二本は覚悟しないとまずいな…」

「急所だけには気を付けてね…」

「援護はまかせろ」

「チビちゃん、行くぞ…!」

「うん…!」

隊長さんに虎の小隊長さん、鬼の戦士さんに鳥の剣士さん、そして零号ちゃんが剣士さんを囲んでそう声を掛け合う。

 そんなみんなを剣士さんは、相変わらずの表情で見つめていた。

 「せいあぁぁ!」

鬼の戦士さんが掛け声とともにあの金属の棒をビュンと前に突き出した。

 剣士さんは素早い動きでそれを剣で払いのける。

 その隙に、鳥の剣士さんが斬りかかった。

 でも、剣を振り終えた剣士さんはギュンと素早く腰をひねって鳥の剣士さんのお腹を蹴りつける。

 さらにそこへ隊長さんと虎の小隊長さんが斬りかかった。同時に、トロールさんが石礫を、零号ちゃんが雷を剣士さんに降らせる。

 剣士さんは鳥の剣士さんを蹴った足を床に付けるやいなや、自分の周りをぐるりと剣でなぞるようにして二人の援護を弾き返した。

 隊長さん達の剣が剣士さんに迫る。

 さすがにそれは受けきれなかったのか、剣士さんは一歩飛び退いて体勢を整えると、腰に差してあった短刀を引き抜いて空を斬った隊長さん達に斬りかかった。

 隊長さんと虎の隊長さんもそれに反応したけれど、剣士さんの動きは十七号くんのように目にも止まらないくらいの素早さで、剣で受け止めようとした二人の体を舐めた。

 空中に僅かな血しぶきが舞う。

 そんな二人の間から、零号ちゃんが盾を構えて剣士さんに突進した。

 零号ちゃんも剣士さんに負けてないくらいに素早い動きで、それこそ今の私には何かの塊にしか見えないくらいだったけど、剣士さんは零号ちゃんの盾を蹴りつけてその突進を押さえ込み、剣を付き出そうとしていた零号ちゃんの頭上から剣と短刀を振り下ろした。

「零号ちゃん!」

私がそう叫ぶのと同時に剣士さんに人の頭くらいある石がドカンとぶつかって、剣士さんは体勢を崩しかける。

 その隙を零号ちゃんは逃さずに小さい体を生かして懐に潜り込み、下から剣士さんを切り上げた。

 でも、そんな攻撃も剣士さんは身を仰け反らせて躱し、片手を着いて後ろに身を翻して零号ちゃんから距離を取る。

 正直、想像以上だった。

 隊長さん達だって兵士さんで、前線で敵と戦ってきた人たちだ。弱いはずはない。

 零号ちゃんだって、まだ幼くても戦い方を良く知らなくても、魔導協会で鍛えられた勇者の紋章を操る人だ。それなのに、そんな人たちを相手に剣士さんは一歩も引けを取らないどころか、今の剣戟の間に二人の隊長さんに傷を負わせた。

 そして零号ちゃんの攻撃を躱して、未だに傷一つ着いていない。

 唯一当たったのはトロールさんの石の援護だけど、それだけではたいして効いたようにも見えない。

 これが、お姉さんと一緒に戦ってきた人なんだ…

 お姉さんは、勇者の紋章だけでも五千人の兵隊と戦ってなんとか勝てるくらいの力があるって前に言っていた。そんなお姉さんと一緒に戦ってきた剣士さんももしかしたら…紋章はなくても千人か、それ以上を相手にしても勝てるくらいの力があるのかもしれない。

「時間稼ぎ、ね…稼げりゃ良いが、こりゃぁ、最悪全滅もあるかもしれんな…」

「チビちゃん、情けないが君が頼みの綱だ…無茶はしてくれるなよ…」

隊長さんが胸元の傷を庇いながらそう言い、虎の小隊長さんは真っ二つに割られた胸甲を脱ぎ捨てて零号ちゃんに言う。

 「なるほど、足止めをして策を弄するつもりか。だが、そうはさせん」

剣士さんはそう言ってまた、ゆらりと剣を構えた。

 まずい…ほんの短い時間に、四人がケガをさせられた。

 隊長さん達の傷はそれほど深くはないけれど、隙を付かれた女戦士さんと女剣士さんのケガはひどい。

 それでもまだ、場所が場所だったから回復魔法でなんとかなる。

 でも、さっき鬼の戦士さんが言ったようにこれを急所…例えば頭や首なんかに受けたら、回復魔法を使うまもなく死んでしまうかもしれない。

 だけど、苦戦している零号ちゃんが隊長さん達を庇いながら戦うのはたぶん無理だ。

 せめてもう一人、剣士さんと一体一で戦っても互角でいられる人が要る…

 この中でそれができるのは…

 私はそう思って、顔を上げた。すぐ隣で女剣士さんに回復魔法をしている妖精さんと目が合い、そして、私の思いが伝わったのか、妖精さんはそのままトロールさんを見やった。

 うん、たぶん、それしかない…剣士さんに引いてもらわないと、隊長さん達が死んじゃいかねないから…

 そんな私達を、トロールさんも見ていた。私はもう一度妖精さんを見て、目で合図を交わし、トロールさんに視線を戻して頷いてみせる。

 トロールさんも、そんな私に応えて、コクっと頷いてくれた。それからすぐに

「零号」

と零号ちゃんに声を掛ける。

零号ちゃんも状況が理解できていたようで、なにも聞かずにコクっと頷いた。

 「ここはおい達に任せろ」

トロールさんは零号ちゃんが分かっているのを見るや、隊長さん達を押しのけて零号ちゃんとともに先頭に立った。

「おい、トロール…何を言って…」

隊長さんがそう言いかけたとき、トロールさんは魔力の光をその腕に灯らせた。

 淡く青い光が、トロールさんの来ていたシャツの袖口から漏れ出している。

「まだやるつもりか…?貴様、見かけは人間だが、どうやら魔族のようだな…人魔と言ったか、人型の魔族の種類だろう?」

剣士さんもそんなことを言いながら、体中に魔法陣を浮かび上がらせる。

 「行くぞ、零号!」

「!?」

そうトロールさんが叫んだのと、突然剣士さんが体勢を崩したのとは、ほとんど同時だった。

 見れば、剣士さんの足元の床の石が剣士さんにまるでまとわりつくようにして塊になっている。

 次の瞬間、零号ちゃんが剣士さんに向かって駆け出し、飛び上がって剣士さんを盾で殴りつけた。剣士さんは足を動かせないのか、その場に突っ立ったまま剣を振り上げて零号ちゃんの盾を受け止める。

 でも、その僅かな間に零号ちゃんは盾とは反対の手に雷の魔法陣を展開させて、盾を引くのと同時に剣士さんの体に拳を突きつけた。

 バリバリバリっと言う音と閃光が部屋を包んで、剣士さんの体からプスプスと煙があがる。さらに、雷で一瞬体をこわばらせた剣士さんに、足元に固められた石が真下から突き上げるようにして飛び交い、体に弾ける。

「うっぐ…!こしゃくな!」

剣士さんはその目に怒りを灯して、魔法陣を光らせ零号ちゃんに向かって剣を振るった。

 そんな零号ちゃんを、トロールさんが作り出した石の壁が受け止める。

「馬鹿な…!防がれただと…!?」

さっきまでのトロールさんが作り出していた壁は、剣士さんに切り崩されてしまった。

 でも、今の壁は剣士さんの攻撃を受けても事も無げに零号ちゃんを守っている。

 と、そんな石壁の向こうから零号ちゃんが踊り出て来て、頭上高くに剣を振り上げた。

「くそっ!」

剣士さんが再び剣でそれを受け止めようと構える。

 でもそんな剣士さんに、石壁に使われていた石が、まるで流星のように次々と襲いかかった。

 零号ちゃんの攻撃に意識を取られていた剣士さんは、さっきとは段違いの勢いの石礫を全身に受けて、

「ぐふっ」

と声を漏らせて片膝を着いた。

 そんな剣士さんの頭を、飛び上がった零号ちゃんが剣の腹でしたたかに殴りつける。

 ガツン!と鈍い音がして、剣士さんはそのまま床に倒れ込んだ。

 着地をした零号ちゃんはそのまま三歩ほど後ろに後ずさって剣士さんから距離を取る。

 でも、これくらいで終わりってことはない。

 気を抜けば首と体が離れ離れになってもおかしくはないんだ。

 「私が刃を立ててたら、お前は死んでいた。お前の負けだ」

零号ちゃんが緊張した様子で剣士さんにそう言う。

 しかし、剣士さんは言葉もなく起き上がって零号ちゃんを睨みつけた。その目は、さっき以上に濃い怒りに満ちている。

「舐められた物だな…あの程度で俺を殺せたとでも?手加減をしているのなら、考え違いもいいところだ」

「お姉ちゃんに、なるべく殺すな、って言われてる。だから、生きてるうちに引っ込んで欲しい」

零号ちゃんは、そんな剣士さんの鋭い視線にも動じずにそう答える。

 しかし、剣士さんはそんな言葉を聞いて、さらに表情を怒りに燃やし出す。

 「なるほど…良いだろう。こっちはお前らすべての首を刎ねるつもりだ。手を抜いてもらっている間に、殺させてもらう」

剣士さんはそう言うと、さらに体中に魔法陣を浮かび上がらせた。

「あの野郎、どれだけの魔法陣を操れるってんだ…!」

それを見た隊長さんがうめき声を上げる。

 剣士さんからはビリビリと焼けるような感覚が伝わってきて、私は気圧されそうになるのを必死にこらえた。

 とにかく今は、女戦士さん達のケガをなんとかしないと、放って置いたら命に関わっちゃう。

 剣士さんのことは、零号ちゃんとトロールさんに任せる方がいい。

 私がそう思って覚悟を決めたときだった。

 バタバタっと音がして、下へと続く階段に誰かが姿を現した。男の人で、見慣れない鎧を着込んでいる。

 「新手か!?」

虎の小隊長さんがそう言って剣を構えた。

 でも、その鎧の人は剣も抜かずに跪くと、剣士さんに声たからかに言った。

「報告!本陣深部にて、敵の首魁と思われる三名との戦闘が発生!被害、甚大です!」

「なんだと!?」

その報告に、剣士さんが呻いた。

 お姉さんだ…!お姉さん、魔導協会に打撃を与えられたんだ…!

 私は思わず妖精さんを見やった。妖精さんも、パッと輝くような明るい笑顔を見せている。

「なるほど、時間稼ぎというのはそういうことか…!」

剣士さんはさらにそう低い声で言うと、零号ちゃんを睨みつけた。

「本陣は半壊、魔導協会の師道員が多数負傷しています!敵は現在、どこかへ姿をくらましている様子ですが、剣士殿は至急、本陣に戻り警護役をお願いいたします!」

鎧の人は、さらにそう剣士さんに進言する。

 剣士さんの表情がとたんに険しく曇った。

「城主サマ、やってくれたな…!」

隊長さんもそう言って、微かに笑みを浮かべている。

 でも、私はその報告に疑問を感じざるを得なかった。

 鎧の人は、半壊、と言った。全滅とは言っていない。

 もしお姉さんが上手くやったとしたら、あのオニババを討てた、ってことになるはずだ。でも、今の報告にはそれがない。

 きっとオニババは今回の戦争の大事な役目を負っているはずだ。その人が死んだとなれば、少なくとも剣士さんにその報告がないのはおかしい。

 ここが敵地で、私達の前だから言わないようにしているだけかもしれないけど、とにかくその報告がない、っていうのが、私を一気に不安にさせた。

 「本陣に危急となれば、戻らざるを得ん、か…」

剣士さんはそう言って、一瞬、顔を伏せて再び零号ちゃんを睨んだ。

 「だが、各部隊のためにもこのままというわけにも行くまいな」

剣士さんはそう言うと、剣を今まで以上に大きく剣を振りかぶった。

「あぁっ…まずい!」

そう声をあげたのと、剣士さんが剣を振るったのとほとんど同時だった。

 強烈な風が巻き起こって、先頭にいた零号ちゃんが血しぶきをあげて壁に吹き飛んだ。

 零号ちゃんだけじゃない、その後ろにいた隊長さんも小隊長さんも、鳥の剣士さんに鬼の戦士さんまでもが、まるで強烈な何かに打ち倒されるように昏倒する。

 とっさに女戦士さんをかばった私も背中からそれを受けて、強烈な痛みで意識が遠くなるのを感じた。

 それでも私は、床を這いながら顔をあげる。

 他のみんなも床に転げてしまっているけれど、みんな微かに動きがある。

 良かった…大丈夫、まだ死んでない…

 「に、人間ちゃん…だいじょう…ぶ…?」

妖精さんが、床を這いながらそう声を掛けてくれた。

 大丈夫かどうかは、分からない…痛いし、苦しいし…とにかく、背中が焼けるように痛いけど…でも、でも私、まだ生きてる…

 そんな私の元に妖精さんが這ってきて、そっと背中に触れてくれる。

 暖かな何かが背中を包んで、痛みが徐々に薄れていくのが感じられた。

 そんな中、私は零号ちゃんが立ち上がる姿を見た。

「ぜ、零号ちゃん…」

私は、知らずにそうつぶやいてしまう。

 零号ちゃんは、剣を支えに体を震わせながら立ち上がって、階段の方を睨みつけていた。

 剣士さんの姿はもう見えない。

 その代わりに聞こえて来るのは、たくさんの人が階段を駆け上がってくる足音と怒声だった。

 剣士さんが引き上げて行ったとしても、それに代わってさっきまで階段に詰めかけていた敵が攻めてくるのは当然だろう。

 見る限り、隊長さん達もトロールさんも身動きが取れないでいる。

 そんな中、剣士さんの攻撃を間近で受けたはずの零号ちゃんだけが立ち上がって敵を迎え撃とうとしていた。

 でも、零号ちゃんはもう立つだけで精一杯だ。

 あんな状態で押し寄せてくる敵と戦うなんて、できるはずがない…

 私は、それを理解して思わず妖精さんの肩口を掴んでいた。

 背中にできているんだろう傷口が痛んだけれど、それどころじゃない。

「妖精さん…人を、十六号さんを呼んで…!念信で…!」

私の言葉に、妖精さんはハッとした様子で階段の方を見やった。

「零号ちゃん!」

妖精さんもそう叫んだ。

 でもそんなとき、階段の入口には額に角を生やした一団がなだれ込んでくる。

 あれは鬼の戦士さんと同じ、鬼族だ…!

「むぅ、あの剣士、確かにやるようだな…」

先頭にいた、いかにも強そうな鬼族の一人が私達を眺めてそう言った。

 そんな鬼族に、零号ちゃんは震える腕で剣の切っ先を突きつけて見せる。

「やめておけ、童。その体では、死するだけぞ」

「行かせない…誰も、殺させない…ここは私のお家なんだ…みんなは私の家族なんだ!」

そう叫んだ零号ちゃんは、一帯に雷の魔法陣を張り巡らせた。

 とたんに、鬼族の人たちが動揺し始める。

「ごめんね…手加減できそうにないから、死んじゃうかも…でも、仕方ないよね」

零号ちゃんがそう呟くと、パシパシっと魔法陣から音を立てて雷が漏れ出した。

 だけど、雷がほとばしる前に零号ちゃんはその場に膝から崩れ落ちる。

「ぜ、零号ちゃん!」

私は思わずそう名を叫んだ。直後、背中からビリビリと痛みが襲って思わず体を丸めてしまう。

 そんな中で、私は零号ちゃんの作った魔法陣が宙に溶けるように消えるのを見た。

 「この童…生かしておけば我らの妨げとなろう…」

鬼族の人はそう言って、額に吹き出た汗を拭うと、剣を引き抜いた。

 だめ…やめて…!

 そう叫ぼうとしたけど、背中が痛くて声が出ない。

 そんな私の気持ちなんか伝わるはずもなく、鬼族の人は零号ちゃんの首にその刃をあてがった。

 私はそれを見てグッと右の拳に力を込める。

 こうなったら、やるしかない…上手くできるかは分からないけど…それでも、零号ちゃんを守るためには…!

 そんなとき、ポン、と私の肩に妖精さんの手が乗った。

 思わず見上げた妖精さんは、さらに上を見上げている。

「大丈夫…来てくれた!」

妖精さんの言葉に、私はハッと抜けた天井を見上げた。

 そこには、宙に浮かぶ十六号さんの姿があった。

「てめえら!俺の妹に何してんだ!」

急に怒鳴り声が聞こえたと思ったら、ドドドンという音とともに鬼族の人達がまるで吹き飛ばされるように方々の壁に吹き飛ぶ。

 その真ん中には、零号ちゃんを抱きしめて立っている十七号くんの姿があった。

 ストっと足音をさせて、私のそばに十六号さんが降りてきた。

「大丈夫…?」

十六号さんは私のそばにしゃがみ込むと、顔を覗き込んでそう聞いてくる。

 私はコクっと頷いて

「うん…それよりも、零号ちゃんを…」

と十六号さんに伝える。

 十六号さんは

「うん、わかった」

と答えると、鼻息荒く吹き飛んだ鬼族達に睨みを効かせている十七号くんのところまで小走りで向かい、十七号くんの腕から零号ちゃんを抱き上げた。

「零号、大丈夫…?」

「…十六、お姉ちゃん…のマネ、した…」

「頑張ったんだな…偉かったよ。すぐに治してやるからな…アタシが言えたことじゃないけど、でも、もう無茶はするなよ…」

十六号さんの言葉に、零号ちゃんはコクっと頷いてその身を十六号さんに預けた。

 十六号さんは回復魔法を展開させながら

「十七号、全部追い出せ」

と十七号くんにそう指示を出した。

「おう、任せろ!」

十七号くんは返事をするやいなや、部屋中に吹き飛ばされ伸びていた鬼族の人達を階段の下へと放り投げ始めた。

 階段の下からは、気を失っている鬼族の人たちとは別の悲鳴が聞こえる。

 たぶん、放り投げた鬼族の人たちがさらに詰め掛けようとしていた人たちにぶつかっているんだろう。

 鬼族の人たちをすべて下に投げ終えた十七号くんは、チラっと私達の方を見やって、ホッとため息を吐く。

「零号以外は大丈夫そうだな」 

そう言った十七号くんに、私は言ってあげた。

「ありがとう、親衛隊さん。かっこよかった」

そしたら十七号くんは赤い顔をして頭をポリポリと掻きながら

「お、おう…」

なんて口ごもって答える。そんな様子がすこし可笑しくって、私は思わず笑ってしまっていた。

 そんな私達のやりとりが終わると、十六号さんがそばにやってきて、膝を付いて座り込んだ。

 どうしたのだろう、と思った矢先、十六号さんは小さな声で囁くように言った。

「十三姉ちゃん、帰ってきた」

 お姉さんが、帰ってきた…?

 そういえば、さっき剣士さんに報告に来た人が言っていた。

 本陣に打撃を与えて、姿を消した、って…お姉さん、まさか…

 私の考えを知ってか知らずか、十六号さんは俯いて力なく首を振った。

 あぁ、やっぱりそうだったんだね…お姉さん、無理だったんだ…

「魔王様…」

妖精さんがそう無念そうに口にした。

 私も、同じ気持ちだった。

 お姉さんは、魔導協会もサキュバスの一族も倒せなかったんだ。こうなったらもう、私達に残されている手段はひとつしかない。

 私は背中の痛みが薄れていることにも気がつかずに、胸のうちに湧いてきた締め付けるような悲しい気持ちに、ただただ、胸を噛み締めていた。

 それから私達は十七号くんが階段の出口で戦っている最中に全員の治療を済ませた。

 零号ちゃんも大きな傷は塞がって、すっかり元気に戻った。

 隊長さん達も、力不足を私達に詫びながら、それでも再び武器を取って十七号くんと入れ替わる。

 トロールさんが吹き抜けになってしまった天井を作り直し、隊長さん達が苦戦するような敵が出てこないことを確かめると、私はほんのすこしの間と伝えてトロールさんと妖精さんに零号ちゃんと十七号くん、十六号さんと一緒に上の階へと登った。

 私達がソファーの部屋にたどり着くと、そこには人だかりができていた。十四号さん達に、魔道士さんとサキュバスさんもいる。

 もちろん全体指揮をしている兵長さんもだ。

 「お姉さん」

 私は小さな声で、お姉さんを呼んだ。ここからじゃお姉さんの姿は見えないけど、でもそこにいるんだって、私には分かった。

 そんな人垣を、ただ一人遠巻きに見つめていた大尉さんの姿に気がついて私は、その目をじっと見つめる。すると大尉さんは、力なく首を横に振って見せた。

「ダメ、だったんですか…?」

「うん…魔導協会を襲撃して少しして、急に苦しみだした、って。あの女も、サキュバス族の打倒も全然出来なかったみたい…」

そうだとは思ったけど、やっぱりそれは私の心に重くのしかかるようだった。

 あぁ、やっぱりそうだったんだね…改めてそれを確かめると、また胸がギュッと痛くなる。

 きっとお姉さんは怒るだろうな。ううん、怒るだけならまだいい。裏切られた、ってそう思われないことを、お姉さんを傷付けないでいられることを願うしかない。

 例えそれが、もしかしたらお姉さんの心に癒えない傷を作ってしまうようなことになってしまっても、私達にはもう、それしか残されてはいないんだ。

 私は、人垣をすり抜けてそのまんなかに行く。そこにはお姉さんが苦しげな表情で床に四つん這いになっていた。大きな傷があるわけでもない。

 攻撃を受けたらしい痕跡はあるけど、服が縮れているくらいで他に大きな出血があるわけでもなかった。

 でもお姉さんの呼吸は荒く、顔に油汗をいっぱいにかいているのがわかる。

「おい、しっかりしろよ…どうしたんだよ急に!」

魔道士さんが慌てた様子でお姉さんにそう尋ねる。

「まさか、先日の毒が今頃…?いえ、そんなこと、あるわけが…」

サキュバスさんも動揺してか、そんなことを口走りながら右往左往していた。

 そんな中で私は、お姉さんの体を調べた。右の腕には真っ青に輝く勇者の紋章、そして左腕にも、くっきりと光に筋を放って輝いている魔王の紋章がある。

 私はそれを見て、覚悟を決めた。もう戻れないだろう…でも、今のままじゃもしかしたら全員殺されてしまいかねない。

 それなら、やっぱり、あの計画を実行に移すしかない。私は振り返って大尉さんをみやり、頷いた。トロールさんも妖精さんも私に続いて大尉さんに合図を送る。

 十六号さん達は、もう決めていたのだろう。大尉さんは私達の合図を受けるや、人垣の中へと歩いてきて、四つん這いになっていたお姉さんの両肩に手を置く。

 そんな大尉さんの行動に皆が注目し、そしてお姉さんまでもが苦しみに歪む顔をあげた。

「大丈夫、すぐに気分は楽になるよ」

大尉さんはそう言ってお姉さんに笑いかける。

「おい、何を言ってる…?」

そんな疑問を投げかけた魔道士さんを無視して大尉さんはお姉さんの左手を取って、グイッと自分の方に引っ張った。

「治し方、分かるのか…?」

お姉さんが絞り出すような声色でそう聞く。そんなお姉さんの言葉に大尉さんは頷いて

「うん、知ってる。少し痛いけど、我慢してね」

とお姉さんに伝えて、それから

「やろう」

と零号ちゃんに声を掛けた。

 皆の視線を浴びた零号ちゃん…すでに、目からボロボロと涙をこぼしていたけど、それでも腰の剣に手を伸ばした。

「おい、零号!」

「悪い、十二兄、少し大人しくしてて」

とっさに半身に構えた魔道士さんを、十六号さんが結界魔法で押さえ込む。同時に

「これは…!?なんなのですか…?!」

とサキュバスさんが悲鳴を上げた。サキュバスさんを抑えるのは十七号くんの仕事だ。

兵長さんもすでに、十四号さんに羽交い締めにされて捕まっている。

 「何、する気だ…!?」

お姉さんが苦しげに言うので、零号ちゃんからまた、大量の涙が零れだした。

 でも、それでも零号ちゃんはギュッと唇を噛みしめて、腰に下げていた剣を目にも止まらぬ速さで引き抜いた。

 そして、大尉さんが捕まえていたお姉さんの左腕を一閃に薙いだ。

 「ま、魔王様!!!」

「零号…お前…!」

魔道士さんとサキュバスさんの悲鳴と怒りの声の中、お姉さんの左腕の肘から下が大尉さんの両腕に収まる。

「くそ、何のつもりだ…!」

そう言って立ち上がりかけたお姉さんの動きを、私と妖精さんとトロールさんの三人で一気に魔力で風を押し掛けて封じ込める。

 それを確かめてから、今まで部屋の隅にいた竜娘ちゃんがお姉さんの目の前まで歩み出てきて、静かに聞いた。

「腕を刎ねられて、具合いはいかがですか…?!」

「何…!?」

竜娘ちゃんの言葉に戸惑いと絶望がこもった声色でお姉さんがそう反応する。すると竜娘ちゃんはもう一度丁寧に、お姉さんに聞き直した。

「魔王の紋章から解き放たれて、ご気分に変化はありましたか…?」

その言葉に、お姉さんは凍り付いたように固まって、竜娘ちゃんを見やった。

「嘘だ…嘘だろ…?」

お姉さんはそう言いながら、なおも固まったままで竜娘ちゃんにそう言う。そんなお姉さんに、竜娘ちゃんは言った。

「基礎構文を読んで、こうなるのではないかと、そう感じていたのです」

基礎構文。それは、竜娘ちゃんが大尉さんと一緒に探しに行った、“世界を世界たらしめている”ものだ。

 そもそもその存在自体が不明確で、本当にそんなものがあるかどうかすら確かじゃなかった。

 そして、その基礎構文というものを探すために出て行った竜娘ちゃんが大尉さん達とこのお城に戻ってきたあの夜に、私達はこうなってしまう可能性をすでに知らされていた。

 でも、あの夜は奇襲のあった翌日でみんなも混乱していたし体力も消耗していて、基礎構文に付いては誰も尋ねず、曖昧なままになっていた。そしてたぶん、今こうして話題に出るまで、意識もしていなかったに違いない。

 それくらい、その基礎構文というのは存在があまりにも“物語”じみていた。

 呆然としているお姉さんをよそに、竜娘ちゃんは続けた。

「勇者の紋章は身体能力を大幅に向上させる特殊な魔法陣です…それ故に、実は些末な不調を覆い隠してしまうことがあるのでは、と私は考えました。そして、それが現実であったからこそ…魔王の紋章に適合出来なかった副作用がかき消されていたのです」

そこまで言うと、竜娘ちゃんはまるで何かに祈るように…ううん、贖罪を求めるかのように、胸の前に手を組んで、そして言った。

「あなたは、魔王の紋章には適応していない。勇者の紋章の力で副作用を押さえ込んでいただけなのです」

 その言葉に、魔道士さんやサキュバスさんの表情が凍り付いた。お姉さんはさっきからずっと、有り得ないって顔をしている。

 それがどれだけ絶望的に感じられるかを私は理解していた。

 だって、いくら勇者の紋章があったとしても、それひとつでは攻め込んできている敵の相手をするどころか、

 サキュバス族と魔導協会全てを一気に相手にして戦うことすら厳しいだろうと言うのが分かるから…

「普段、紋章を使っていないときは症状は現れないでしょう。ですが、適応していないにも関わらず魔王の紋章の力を半分でも使おうとすれば、体内で均衡が崩れて魔王の紋章の副作用が必ず現れてしまう…今回も、そして前回の奇襲で毒と重症を負わされたあなたが生死の境を彷徨ったという話で、その可能性が確信に変わったのです」

竜娘ちゃんの言葉が、部屋にしんと響いて消える。

 その雰囲気を打ち壊すように、魔導士さんが口を開いた。

「基礎構文、ってのは、なんだったんだ…?」

竜娘ちゃんは、魔導士さんの言葉を聞いて

「はい。でも、先に腕を治します」

と、大尉さんが懐に抱いたお姉さんの腕に触れ、そして、赤く輝く魔王の紋章を引き剥がす。

 誰もがそれを、固唾を飲んで見ていることしか出来なかった。

 紋章がまるで羊皮紙をめくるようにはがされた腕を、大尉さんがお姉さんの残りの腕に押し当てて、そして青く輝く魔法陣を展開させた。

 切れた腕がみるみるうちに繋がり、お姉さんは最後には自分の意思で左手の指先を動かして、具合いを確かめる。

 けれど、お姉さんも魔導士さんもサキュバスさんも、これっぽっちも安心なんてしている様子はなかった。

 お姉さんは呆然と…ううん、やっぱり、悲しいよりももっと辛そうな表情をしている。

 サキュバスさんは混乱している様子だし、魔導士さんに至っては、明らかに怒っている。

 それでも、竜娘ちゃんは静かに言った。

「すべて、お話します。私達が見つけた基礎構文のこと、そして、そのそばの石碑に綴られていたこの世界の始まりの言い伝えの話を…」

竜娘ちゃんは、そうして静かに、まるで寝物語でも話すみたいな、ゆっくりとした穏やかな口調で、あの日、私達が聞いたのと同じことを皆に説明し始めた。

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