第9話:一握りの魔王軍

 朝が来た。

 太陽が登って、昨日の夜に散々降った雨に濡れた世界が、キラキラと眩しいくらいに輝いている。

 そんな中を、私は妖精さんと十六号さんとの三人で畑に向かって歩いていた。

 お城では、大ケガをした人達の治療が続いている。

 ほとんどのみんなは傷こそ回復魔法で塞がったものの、血を流しすぎたり意識を失ったりしていて、未だに満足に動けない。

 サキュバスさんが中心になって魔族軍の人達で編成された治療班が懸命に手当てや介抱を続けているけど、全員が元気になるまでには、まだしばらくの時間が必要そうだった。

 「おぉ、なんだ、なんともないな」

 不意に十六号さんがそんな声を上げる。私もその声に釣られて、目の前に広がる畑を見渡した。

 そこには、雨の滴に濡れて輝くお芋の新芽が逞しく葉を伸ばしている姿があちこちにあった。

 畝が崩れたりもしていないし、畑の中に水溜まりがあったりもしない。畑もなんとか、昨晩の嵐を乗りきっていたようだった。

「うん、そうみたい。みんなが排水路を掘ってくれたお陰だね」

私が言ったら、十六号さんと妖精さんが嬉しそうに笑ってくれる。

 どうやらあんなに降った雨はちゃんと排水路に流れてくれたようで、排水路の先に掘った溜め池にはたっぷりと水が入っていた。

「井戸は大丈夫かな?」

 ふと、妖精さんがそう言って庵の方を見やった。向こうもパッと見た限りは大きな影響は無さそうだ。

 もちろん井戸の穴の方は埋まってしまっているかも知れないから、お城の方が落ち着いたらまた戦士さん達に頼まなくちゃな。

 魔族軍の再編のことのもあるし、なにより今は隊長さん達が近衛師団の人達それぞれに師団長さんのことやこんかいの事に関する聞き取りをしているから、作業の再開にはまだしばらく時間がかかりそうだけど…

「庵は無事だけど…穴は分かんないよな」

「うん、きっと平気だと思うけど、みんなが良くなるまでは掘るのは中断しよう」

「そうだね、みんなのケガ、ひどいもんね…」

妖精さんがそう言って悲しい顔をした。

 あの戦いで、死んでしまった人達もいた。

 ほとんどは小隊長さん達を含めた、突撃部隊の魔族さん達…

 突撃部隊の人達は、私達が転移魔法でお城から一時的に逃げ出したあとに大挙して部屋に押し入り、オニババ達に戦いを挑んだらしい。

 でも、あの零号ちゃんを筆頭にした子ども達に反撃されて、多くの犠牲者を出してしまっていた。

 小隊長さんや鬼の戦士さん、鳥の剣士さんは生きててくれたけど…だからと言って、良かった、なんて言ってはいけないって思ってしまうほどの被害だった。

 それに、傷付いたの私達だけじゃない。七人いた魔導協会のローブの人達は五人が、五人いた半分の仮面を付けた子ども達は、みんな死んでしまった。

 魔導士さんの話では、子どもの体にとって強力過ぎる魔法陣を施されたのが一番の原因だ、ってことのようだった。

 特に、最後まで生き残っていたヘ号とロ号は、狂化の魔法陣によって生きるための力を食い尽くされた、なんて言っていた。

 戦いが終わったあと、彼らの亡骸から仮面を外してみると、そこにあったのは鋭い牙と尖った鼻と言う、オークのような特徴を持つ幼い顔だった。

 あの子達こそが、以前魔導士さんが言っていたオークが身籠らせた人間との間の子ども達だったんだ。

 お姉さんは、零号ちゃんの体を治療してから、零号ちゃんや魔導士さん、十六号さん達と一緒に、子ども達を先代魔王様のお墓なんだと言う場所のすぐそばに、沈痛な表情で優しく丁寧に埋葬していた。

 十八号ちゃんが言ったように、お姉さん達にとっては一歩間違えば自分達があの子達のようになっていたかもしれない、って思いがあったんだろう。

 魔導協会のオニババは、世界を平和に管理するために、お姉さんの両腕の紋章が欲しいんだとそう言った。

 でもその為だけに、人の命をまるで道具のように使っている。

 平和の礎のための尊い犠牲と言えば聞こえはいいけど、それは、私には、目的だけに執着して過程を省みない狂信的な考えに思えて、身震いを押さえきれなかった。

 ともあれ、戦いは終わった。隊長さんの言葉を借りれば、ケンカは落とし所が大切。これからどうしていくかを、きちんと話して決め、それを魔導協会にも伝えなければいけない。

 でも……果たして、この戦いの落とし所って、いったいどこなんだろう…?

 さぁっと爽やかな風が吹いてきて、私達を包んでサラサラとクローバーを揺らしながらの大地を駆け抜けていく。

 その風の心地よさを味わいながら、それでも私は、そんな重く圧し掛かかってくるような疑問を胸に抱いていた。

「十六号さん、妖精さん。お城に戻ろうか」

私は、なんとか気を取り直して二人にそう声をかける。二人はそれぞれ笑顔で私にうなずいてみせてくれた。

 それからすぐに私達はお城に向かって歩きだした。

 出入りためには西門が一番近いのだけれど、十六号さんの提案で、お城から出て来て陣地作り直している魔族軍の人達のいる真ん中を歩いた。

「おぉ、嬢ちゃん!」

「チビ、怪我はなかったか?」

「あれが噂の妖精族か…聞いてたよりずっと美人じゃないか」

私達を見る目は昨日とはまるで違った。

 雷の前に私達が誘導してお城の中に避難させてあげたことその理由の一つなんだろうけど、たぶんそれ以上に、お姉さんが暗殺されそうになり、それに対して私達が一丸となって戦ったことが、お城の中に避難していた人達にも伝わっていたようだ。

 少なくとも昨日の出来事は、ここにいた人達にとっては魔族を裏切った師団長とその手引きによってやってきた人間による魔王城への攻撃を退けた、と理解されているようだった。

 私達は命を掛けて、魔王であるお姉さんを守り、お姉さんや魔族軍のいる魔王城を人間達の攻撃からも守った。

 そのことで、私達はようやく魔族に害をなす者じゃない、って、そう信じてもらえたようだ。

「はっ、油断すんなよ。人間なんだ、どんな汚い手を使ってくるか分からんぞ」

「ちっ、得意げな顔しやがって」

そんな言葉も聞こえなくはない。やっぱり、すべての人に信じてもらうにはもっとじっくりお互いを理解していかなきゃいけないんだろう。

 私達は南門を通ってお城の上層階へと上がる。

 暖炉の部屋は主戦場になりひどく荒れ果ててしまったので、今は土の魔法が使える魔族さん達が力を合わせて補修してくれている。

 その代わりに、一息吐くための場所はその上の階にある食堂に移っていた。

「ただいま、お姉さん」

 私がそう言って食堂のドアを開けるとそこには出ていったときのままにお姉さんがいてイスに腰掛け膝の上に座らせた零号ちゃんの体に手を当てている。

 傍らではサキュバスさんもお姉さんと同じように、零号ちゃんに手を添えていた。

 「あぁ、おかえり」

「おかえりなさいませ」

「あのっ…お、おかえり……なさい」

三人はそれぞれの返事を返してくれる。でもすぐに膝の上の零号ちゃんに視線を戻した。

 何をしているんだろう?

 そう思って見ていたら、サキュバスさんがため息を吐いて言った。

「やはり、ゴーレムとは異なる命魔法ですね」

「具体的に、どう違うんだよ?」

「創生の禁術に間違いないですね。彼女は、命魔法による強力な生命活性を受けて育ったようです…魔様の血か何かに絶えず命の活性魔法を掛け続け、体を持つことに成功したのでしょう」

「じゃぁ、やっぱりあいつらの魔力とは関係ないんだな?」

「はい。彼女は言わば、魔法の力で変化を受けたもの。魔力を宿して活動するゴーレムとは違い、術者であろう人間界の神官の一族が死んだとしても、彼女が生を失うようなことはありません」

「そっか…なら、良かった」

サキュバスさんの言葉を聞き、お姉さん安堵の表情を浮かべて零号ちゃんの頭を撫でる。

 零号ちゃんはそれを嬉しそうに笑って受け入れた。

 それからすぐにお姉さんは

「畑の方はどうだった?」

と私に聞いてくれる。

「うん、平気だったよ」

私が答えると、お姉さんは嬉しそうな笑顔を見せて

「そっか、そっちも良かった」

と言ってくれた。

 そんな言葉に、私はお姉さんが、あんな戦いの後だから何かそう言える物を探しているんじゃないか、って、そんな風にも感じた。

 あんな悲しくて辛いことのあとだ。どんな小さなことでも、「良かった」って思えることを探したくなる気持ちは、なんだか私にも分かった。

 それからまた少し、お姉さん達ととりとめのない話をしていると、ドアを開ける音させて、兵長さんが食堂に姿をみせた。

「勇者様、元近衛師団員全員の聴取が終わりました」

兵長が目礼をしながらお姉さんにそう報告する。頭を上げた兵長さんの表情は厳しく引き締まっている。

 それを見たお姉さんは

「そうか…」

なんて言ってため息を吐き、次いでサキュバスさんが兵長さんに

「共謀者がいたのですね?」

と端的に尋ねた。

「ええ、師団長の側近二名が、計画を事前に知らせれていたようでしたので、捕縛して地下牢に収監しました」

「そうですか…」

兵長さんの報告に、サキュバスさんも深いため息を吐いた。

 戦いの後、お姉さんが人間の魔法で拘束していた師団長さんは、あの草原で死んでいた。

 私は直接見たわけじゃなかったけど、身柄を抑えるためにあの場所へ向かった魔道士さんとそれに着いて行った十六号さんの話では、風の魔法が何かで、自分で首の急所を切ったんじゃないか、って話をしていた。

 遺体は、サキュバスさんの願いで、半人半魔の子ども達と同じように、先代魔王様のお墓のそばに埋葬されたようだ。

 私はそれを聞いたとき、師団長さんとお城の塔で月夜を眺めたときのことを思い出していた。

 師団長さんは、私達を騙していた。でも、騙していて平気なわけじゃなかったんだと思う。

 嘘を付いていることと、たぶん、師団長さん個人は本当に信頼していたんだろうお姉さんのことを、一族の掟を守るために、世界の平和を守るために裏切らなければならないんだ、ということはきっと辛かったはずだ。

 あの涙は、そのせいで流したものなんだろう。

 その気持ちは、もしかしたら、お姉さんがあの悲しそうな笑顔を見せるときと同じ気持ちなんじゃないかな、なんて思った。

 平和のために何かを裏切って…何かと敵対してもなお、平和を探さなきゃ行けないって、そんな想いと。

「兵長、あんた、体は?」

お姉さんが兵長さんにそう聞く。

 すると兵長さんは柔かな笑みを浮かべて

「大丈夫です…残りの仕事を片付けてしまわないといけませんね」

とお姉さんに答えた。それを聞いたお姉さんも穏やかな笑顔で頷く。

「ああ。近衛師団は解体して、残りの各師団へ振り分けよう。で、代わりに各師団から少しずつ兵を出してもらって、新たに近衛師団を作らなきゃならないな…」

「そうですね…その案が良いと思います」

「あいつらの様子は?」

あいつら…きっと竜族将さん達、偉い魔族の人達のことだ。

「今は陣を整え直している頃でしょう。呼びかければ半刻待たずに集まると思います」

「半刻後は、ずいぶんと急だな。昼過ぎにしよう、場所は同じ会議室だ」

お姉さんの言葉に、兵長さんは頷いて

「はい、では、後ほど触れて参ります」

と答えた。

 魔族軍の再編も、今回のことで大きく足踏みをしてしまった。あのとき以上に話し合いが拗れたりしなければ良いんだけど…

 そんな私の心配を余所に、確認を終えて部屋から出ていく兵長さんを見送ったお姉さんは、零号ちゃんを床に下ろして立ち上がり、大きく伸びをしてみせた。

「さて、じゃあ、あたしも準備しなきゃな」

そう言って、お姉さんは、誰ともなしに穏やかに笑った。



***



 「違うですよ、もっとこう、ギュッとしてパァっと!」

「えぇ?何が違うんだ?」

「今のだと、グッとなってバーって感じです」

「そ、そうか…もう一回最初からだ…集中して、力を捕まえて…うりゃっ!」

「それも違うです!そんなにブワッとやったらせっかくの力が逃げちゃうですよ!」

「あはは、あんたは不器用だな、十七号」

「くっそぉ!何で十七号姉と零号には出来て俺に出来ないんだ!」

「幼女ちゃんの方が上手。十七号、下手くそだね」

 お昼ご飯を食べてから、私達は十六号さん達の部屋に来ていた。

 井戸掘りをしている最中に十七号くんが妖精さんにお願いしていた、魔族魔法の特訓だ。

 私は寝る前なんかにほんの少しずつだけど練習して、今は何とかコップの中の水に渦巻きを作るくらいは出来るようになっていたから、

 今、妖精さんが十七号くんに一生懸命教えている風魔法で羽を動かすくらいはそれなりにこなせたけど、十七号くんはかなり苦戦している。

「だから違うんだって。あんたのそれは、腕を振って風を起こそうとしてるだけじゃないか」

「投げる感じ。ポイって」

十六号さんと十六号さんの膝の上に座った零号ちゃんがそんな事を言って冷やかす。

 十六号さんと零号ちゃんは、妖精さんが二、三度コツを教えたら、すぐに感じを掴んだみたいで動かすだけではなくって羽をクルクル、フワフワと宙に浮かべてみせた。

 私は三つ葉を動かすのに三日も掛かったのに、こんな短い時間で出来てしまうなんて正直驚いた。

 十六号さんが言うには、

「人間の魔法は内側の力を動かす魔法で、魔力の魔法は外側の力を動かす魔法だから感じは違うけどまったく別の物ってわけでもないみたい」

らしい。

 人間の魔法が使えない私には、その言葉はよく分からなかったけど…

「幼女ちゃんもおいで」

不意に脈略もなく零号ちゃんがそう言って私の腕を引っ張った。私は立ち上がってその手に引かれるまま、十六号さんの膝の上に腰を下ろす。

 すると、零号ちゃんはとびっきりに嬉しそうな表情で笑った。

 戦いのあと、零号ちゃんはサキュバスさんとお姉さんの魔法で、斬られた腕を元に戻された。

 そのとき、お姉さんは零号ちゃんの腕の勇者の紋章をまるで羊皮紙を捲るみたいに引き剥がして、零号ちゃんの腕を斬った剣に貼り付けた。

 お姉さんにそんなこと出来たという事に私は少し驚いたけど、でも、よく考えてみればお姉さんはサキュバスさんに魔王の紋章を簡単に移してみせたりしていたし、きっと紋章を持っている人にだけ分かる何かなんだろうと私は納得していた。

 そんな零号ちゃんの腕には、今は魔道士さん特性の、十六号さん達と同じ魔法陣が描き込まれている。

 勇者の紋章を剥がされた零号ちゃんは、最初は不安そうにしていたけど、十六号さん達とお揃いの魔法陣をもらってからは安心したような、嬉しそうな顔をした。

 腕を治してからは、零号ちゃんは十六号さんに謝った。

 十六号さんはそんな零号ちゃんに、

「気にすんな。十三姉ちゃんは忙しいことが多いから、そう言うときはアタシが面倒を見てやる。あんたも、姉ちゃんって呼べよな」

なんて言っていた。

 その結果、零号ちゃんはこうして十六号さんにもべったりだ。

 ずっと自分は一人だと思っていた零号ちゃんが、お姉さんや十六号さんに一緒にいてあげる、と言われて嬉しくなってこうなってしまっているのは良く分かる。

 でも、零号ちゃんが私にまでこんなにくっついていたがるのは、なんだかちょっと不思議だった。

「投げるんだよ、十七号くん。ポイッて、ほら、ポイッ」

零号ちゃんは、私と十六号さんに寄りかかり、なんだか楽しそうな笑顔で十七号くんにそう言う。

「投げるって言ったって…」

零号ちゃんにそう言われて、十七号くんは腕に微かな光を灯しながら、

 それで何とか目の前の羽を動かそうと何度も腕を振っては、光が消えてしまう、というのを繰り返している。

 その様子がなんだか可笑しくって、私はいけない、と思いつつもクスクスっと笑ってしまっていた。

 不意に、コンコン、と部屋のドアをノックする音がした。

「どうぞー?」

十六号さんがそう声をあげると、カチャリ、とドアが開いて女戦士さんと鬼の戦士さんが顔を出した。

 「よぉ、やってるな」

女戦士さんがそんなことを言いながら部屋に入ってくる。

「ふふ、練習なら付き合うよ?」

鬼の戦士さんは今日も優しそうな表情だ。

 二人とも、戦いでは身動き出来ない程の傷を負っていたのに、回復魔法でピンピンとしている。

 そんな二人を見るなり、零号ちゃんが十六号さんの膝から飛び降りて二人の前に立ちはだかって言った。

「あの…あの…昨日は、ごめんなさい…」

零号ちゃん体を小さく縮こまらせてそう謝った。

 そんな零号ちゃんの頭を、女戦士さんがクシャクシャと撫で回す。

「なに、平気だ」

「うんうん、気にしないで」

二人は口々にそう言って零号ちゃんに笑いかけた。

 昨日の戦いで、同じ部隊の人が何人も死んでしまったというのに…二人は、そんなことを気にする様子もない。

「戦いなんだ…仕方ないよ」

女剣士さんが、昨日、治療の最中にそんな言葉を漏らしていたけど、二人ももしかしたらそう思っているのかもしれない。

 本当は心の中は複雑な思いがあるのかもしれないけど、それを黙っているのかもしれないとも思う。

 でも…そもそも二人は、人間と魔族。

 戦争の最中だってお互いを傷つけあっていたかもしれない。それでも、二人と他の人たちだって、そんなこと気にする素振りなんて見せずに一緒にいることが多い。

 近衛師団の人たちへの尋問も、諜報部隊と突撃部隊の人達が協力してやってくれていたらしいし…

 そんなことを考えていたら、零号ちゃんと一緒に私達のところにやってきた女戦士さんが、私の頭もゴシゴシっと撫で始めるなり、ニヤっと笑って

「ケンカは落としどころ、だよ」

なんて言ってみせた。

 「鬼の姉ちゃん!いいところに来てくれた!なぁ、なんかもっとコツないのかな?」

 十七号くんが鬼の戦士さんに向かってそう悲鳴を上げる。そんな十七号くんに鬼の戦士さんはニコっと笑って

「ふふ、じゃぁ、すこし練習してみようか」

とその傍らに座り込んだ。

 「あんた達はやらないの?」

女戦士さんは私たちにそう言いながらすぐそばに腰を下ろす。

「アタシらは基本的なことはできたんだよ」

十六号さんが答えると、女戦士さんはカカカと高らかに笑って

「すごいなぁ、アタシはやってみたけど出来なかったんだよ!大雑把なやつには出来ないんじゃないのか、魔族の魔法って?」

なんて言ってみせた。

 「そう、そうやって力を纏わせたら、そっと意識を前に…放つんじゃなくて、伝える感じよ」

「つ…伝える感じ…伝える…伝える…伝える…」

鬼の戦士さんの言葉に、十七号くんが意識を集中し始めた。その腕の光が微かに強くなって、さわさわと三つ葉が揺れ始める。

「お、おぉ!?」

と、妖精さんがそれを見て、抑え気味にそんな歓声を漏らした。私も、小さなテーブルの上に置かれたクローバーをジッと見つめる。

「んっ!」

十七号くんがそう声を漏らした瞬間、が三つ葉くるりとテーブルの上で向きを変えた。

「おぉ、うまいもんだ!」

「あははは、なんだ、やればできるじゃんか!」

「十七号くん、よくできました!」

女戦士さんに十六号さん、零号ちゃんが口々にそう声をあげる。

「で、できた…!」

十七号くんも嬉しそうにそう言って、私や妖精さん、鬼の戦士さんの顔を代わる代わる見つめた。

 「やっぱり戦士様の教え方は上手です」

 妖精さんがそんなことを言って感嘆したけど、それを聞いた十六号さんがすぐに

「そうかな?アタシは妖精ちゃんの教え方ですぐに感じがわかったよ」

と言葉を返す。それに続いて零号ちゃんも

「そうです、妖精さんも、上手ですよ」

とそれに賛成した。

 私にしてみたら、どっちかと言うと鬼の戦士さんの説明の仕方の方がしっくり来て分かりやすいと感じられたけど…でも、そう言うものの感じ方は人それぞれだ。

「そうだ、十七号を鬼の姉ちゃんが見てくれるんなら妖精ちゃん、アタシに回復魔法を教えてくれよ!」

十六号さんがそう話をかぶせて来た。それには、私も少し興味がある。

 回復魔法ができたら、私にだって少しはできることが増えるかもしれない。

 十八号ちゃんや、お姉さんのようには行かないかもしれないけど、自分のケガやなんかを手当することができたらきっと迷惑を掛けることも減るだろうし、

 昨日のようなときでも戦える人達の手をわざわざ割かなくて済む。

「それは出来るから私は平気」

と零号ちゃんが口を挟んだけど、私も十六号さんに賛成して

「私もやりたい!妖精さん、教えて!」

とお願いした。

 すると妖精さんはデレデレっと明らかに嬉しそうな顔をしながら

「うん、任せてくださいです!私、回復魔法は風魔法と同じくらい得意ですよ!」

と言ってくれた。

 「魔族の回復魔法は自然の力を高める魔法なのです」

妖精さんはそう言いながら、フワリと手を光らせて見せる。

「サキュバス様の命の魔法と似ていますが、それよりももっと単純で簡単なのですよ。まずは、風の魔法をするときと同じように魔力を集めるです」

 妖精さんの説明に、私と十六号さんは顔を見合わせ、それから集中して自然の魔力を腕にまとわせる。

 零号ちゃんも、人間の回復魔法が出来るから平気だ、と言ってはいたけど、十六号さんの膝の上で私達と同じように魔力を集め始めた。

「あとはその力を使ってポワッとやるです」

 ポワッと…と言われても…今は目の前にケガをした人がいるわけじゃないし…妖精さんが言うそのポワッと、っていうのも感覚はいまいち伝わってこない。

「んー、どれくらいポワッとなのかは、実際にやってみないと加減が分からないな…」

十六号さんは、ポワッと、っていうのは分かっているらしいけど、やはり実際にそれを誰かにする感覚は掴みきれないらしい。

 するとそれを聞いた妖精さんはスックと立ち上がり、窓辺に置いてあった魔導士さんのボタンユリの鉢を持って戻って来た。

「ここに試させてもらうです」

妖精さんはそう言うと、ボタンユリの茎にガリッと爪でひっかき傷をつけた。

 僅かに窪んだその場所からは、うっすらと水分が染み出してくる。

「よし…まずはアタシだ…」

十六号さんは、言うが早いか、ボタンユリの鉢植えにそっと手をかざした。

 十六号さんの腕の光が徐々に手の平の方に集まっていき、やがて手の平から広がる様に光がボタンユリへと伸びて行く。

「十六号さん、上手ですよ!」

妖精さんがそう言ったのも束の間、ふぅ、と息を漏らせて十六号さんが手を降ろした。

 ボタンユリの茎を見て見ると、ついさっき妖精さんが付けた傷が見事になくなっていた。

「すごい!十六号さん、できてる!」

私は思わず、そう感嘆してしまった。すると十六号さんはあははと声をあげて笑って

「なるほど、こっちの回復魔法ならアタシでもなんとかやれそうだ!人間魔法の回復は、術式がややこしいんだよなぁ」

なんて零号ちゃんの頭を撫でながら言う。

「次、私もやる」

と、今度は零号ちゃんがそう言って、さっき妖精さんがしたようにボタンユリの茎に傷をつけてから手をかざした。

 零号ちゃんの手の平に灯った光は十六号さんよりも弱く、すこし頼りなく見えたけど、それでもボタンユリの傷はほどなくしてまたなくなった。

「できた!」

そんな声をあげた零号ちゃんを、十六号さんがまたよしよし、と撫でながら

「すごいじゃないか零号!」

なんてほめている。でも、当の零号ちゃんはすこしだけ顔をしかめて

「これ、風の魔法より難しいよ」

なんて言った。

 私はそれを聞いてなんだか緊張してしまう。

 風の魔法より難しい…というんなら、ようやくそれをなんとなく使えるようになっただけの私に、回復魔法なんて出来るんだろうか?

「さ、次は人間ちゃんだよ」

妖精さんがそう言って、ガリっとやったボタンユリの鉢植えを私の前にズイと押し出して来た。

 落ち着いて、深呼吸。緊張していると集中しにくくなっちゃって、返ってうまく行かない。私は十六号さん達とは違って、そもそも魔法なんて使えなかったんだ。うまく行かなくったって当然…それくらいの気持ちで、とにかく楽にやらなきゃ…

 私は自分にそう言い聞かせながら両腕に意識を集中する。

 皮ふから、空気を吸い込む感覚で、自然の力を取り込む…そうすれば、ジンジンと、腕の中がほのかに温かくなってくるんだ。

 私の腕が、フワリと光り始める。

 そう、ここまでは、風魔法と一緒…あとは、これをポワッとやればいいんだよね…ポワッと、っていうのがやっぱりよくわからないけど…

 そう思いながら、私はボタンユリに手をかざしてみる。

 風魔法はこの力を、空気に混じらせて操るというか、空気を引き寄せてそれを動かすというか、そんな感じだった。

 回復魔法は…もっと、暖かな感じ、だったな…ってことは、これを空気じゃなくてそのままボタンユリに伝えればいいの…?

 私は、そう考えて腕の魔力をそっとボタンユリに伸ばしていくように意識する。やがて腕の光が、十六号さんや零号ちゃんがやったときと同じように、手の平の方に集まって来た。

「おっ、いいぞいいぞ…!」

「幼女ちゃん、がんばって…!」

十六号さんと零号ちゃんが、声を抑えながらそう応援してくれる。

私は、さらに意識を集中させて、腕の光と魔力の温もりをボタンユリに伸ばしていった。

 すると、傷をつけた部分がジワリジワリと狭くなり、まるで窪んだ部分が内側から盛り上がってくるように、やがては張りのある茎へと戻った。

「で、できた…!」

私は思わずそう声をあげて妖精さんを見た。

 妖精さんも笑顔で私をみていてくれて、目が合うとパチパチと拍手してくれる。

「あははは!すごいや、魔族の魔法は十七号より全然うまい!」

「うんうん、すごい!十七号くんは下手だからね」

「へぇ、驚いたな!」

十六号さんと零号ちゃんに、女戦士さんまでもがそう言ってくれる。私は、それも嬉しくて、えへへ、とたまらずに笑顔になってしまった。

「俺を比較に出すなっての!今に見てろ、すぐに追いついて追い越してやる!」

鬼の戦士さんと練習をしていた十七号くんがそう口を挟んでくるけど、十七号くんも笑顔だ。

 「なぁ、次はさ!あの念信ってやつも教えてくれよ!」

不意に、十六号さんがそう言った。

 あの遠くの人とも意志の疎通が出来る、っていう、魔族の魔法だ。

「いいですよ!念信は、風の魔法の応用ですけど、回復魔法ほど力が要らないので、そんなに難しくないです!」

妖精さんも、私達に魔法を教えるのが楽しいのか、満面の笑みでそう言い、座りなおして息を整えた。

「念信魔法は、風の魔法を使って自然の言葉を広げる魔法です。届けたい人にだけ伝える方法と、みんなに広める方法とがあるですよ」

「なるほど…個人に届けられる、ってのは便利だな」

「そうなのです。これで、寝る前に秘密の喋りしても、何を話しているかは誰にも分からないですよ」

「それ、私もやりたい!」

「ふふ、では、よく聞いてくださいです。まずは、魔力を集めて風の力を引き寄せるです」

十六号さんと零号ちゃんとそう言葉を交わした妖精さんは、そう言って今度は耳のあたりをフワリと光らせた。

 言葉を届ける、っていうくらいだから、聞くためには耳の辺りに魔力を集める必要があるのかもしれない。

 そんなことを思いながら、私も妖精さんの説明を聞いている。

 でも、そんなとき、妖精さんは意識を集中したまま、急に黙り込んでしまった。

「よ、妖精ちゃん…?」

十六号さんが心配げにそう声をかける。

 でも、妖精さんはそれに答えるどころか、徐々に表情を曇らせ、体をこわばらせだした。

 よ、妖精さん…ど、どうしたの…?

「おい、妖精ちゃん、何か聞こえるのか?」

不意に、十六号さんがそう声をかけた。それを聞き、異変に気付いたのか鬼の戦士さんが妖精さんの顔色を伺う。

「何か、良くない知らせが…?」

そう言った鬼の戦士さんも、額の角の辺りを光らせた。

 そしてすぐに、妖精さんと同じように厳しい表情を見せる。

 「た、大変です…」

妖精さんが、そう口を開いた。

「ええ…すぐに城主様のところに行って来るわ…知らせないと…女戦士、来て!」

「えぇっ?わ、分かった、行く、行くよ」

鬼の戦士さんが立ち上がってそう言い、女戦士さんの肩口を引っ張ったので、女戦士さんも慌てて立ち上がって駆け足で部屋から出て行った。

 そんな二人を見送った私は、改めて妖精さんに視線を戻す。

 妖精さんは、真っ青な顔をしてうなだれていた。

「よ、妖精さん…なにがあったの…?」

そう聞いた私に、妖精さんはかすれた低い声で、教えてくれた。

「魔界全土に念信が流れてるです…魔王様が、二つの紋章を使って世界を支配するつもりだと。

それを防ぐために、魔族は人間軍と共同作戦を実施して魔王様を討つ、ってそう言ってるです…」



***



 それから程なくして、私達は食堂に集まった。

 お姉さんにサキュバスさんに妖精さん。兵長さんと黒豹さんに、魔道士さんと十六号さんと十七号くん、そして零号ちゃんも、だ。

「最悪、起こりうるんじゃないかと思ってはいたが…想像以上に手が早かったな…」

そう言ったのは、魔道士さんだった。

 その言葉は、食堂の重苦しい沈黙をさらに私達に突きつけるようだった。

「魔族の勢力は、サキュバス族が中心なんだな?」

お姉さんがサキュバスさんにそう尋ねる。

「はい…恐らくは、普段、一族の防人を担っている千程が、配下にあると言って良いと思います」

サキュバスさんは沈痛な面持ちで答えた。それに黒豹さんが続ける。

「その他に、今回の再編に応じず、各地に散らばっていた元魔族軍の兵士達が千。それとは別に、新たに武器を取り戦列に加わる者が後を絶たない状況です」

その言葉に、お姉さんはガックリと肩を落とした。そんなお姉さんに辛そうな視線を向けながら、兵長さんが言う。

「人間軍はおよそ一万五千の兵を準備しているようでした…王下騎士団が中心となり、魔導協会の戦闘員、王下軍の役七割、それに各地貴族の治安軍もこれに参加しているようです」

「二万は超えるな…三万か、それ以上になる、か…」

兵長さんの報告に、お姉さんは重々しくため息を吐いた。

 妖精さんと鬼の戦士さんが魔界の念信を受け取り、それをお姉さん達に報告してすぐ、お姉さんは再編の会議を打ち切って、魔族軍の人達をお城の外、野営の陣地へと半ばむりやりに帰らせた。

 それと同時に、兵長さんが魔道士さんと一緒に転移魔法で王都へと入って、人間軍の状況を探って来てくれていた。

 それが今聞いた情報のことだ。

「サキュバス族に関しては、幾人か話が出来る者も居りましたので説得を続けてみましたが…一族のまとめ役である私の種たる母…魔族の中の神官の一族の長の決定とあらば、疑うことも、また、裏切ることも出来はしないでしょう…」

サキュバスさんは、そう言ってさらに体を縮こまらせてたいため息を吐いた。それからお姉さんに向き直り

「私の親族がこのようなことを…その、なんと言って良いか分かりませんが…恥ずかしく思っています…申し訳ありません、魔王様…」

と深々と頭を下げた。それを見たお姉さんは微かに笑みを浮かべて

「…きっと、大事なことなんだろう…きっと、この世界を守るために、みんな必死なんだ…」

と静かな声色で言う。

 また、沈黙が部屋を押し包む。

「お姉ちゃん、戦いになるの…?」

不意にそう言ったのは零号ちゃんだった。

「戦いになるのなら、私の紋章を返して。それで、私が全部殺してお城を守る」

「いや、ダメだ」

零号ちゃんの言葉に、お姉さんは首を横に振った。

「戦おうとすれば、より一層あたし達が危険な存在だと認識されちゃう…それに、相手の数が多すぎる。半壊で済ませたところで、人間にも魔族にも大打撃だ…それこそ、それぞれの国が根底から崩壊しかねない…」

お姉さんの言う言葉の意味は分かった。人間軍は、ほぼ全軍に近い規模で態勢を整えている。

 それをみんなやっつけてしまったら、人間界はほとんど丸裸…治安維持や、統制が効かなくなるかもしれない…そうなったら、王都の元に暮らしている人達が、自分の身を守りためにそれぞれの活動を始めなきゃならなくなる…そうなれば、もう国中がバラバラになってしまうかもしれない。

 魔族の方はもっと深刻だ。

 兵隊さんだけじゃなく、新たに戦いに臨もうとしている人達がいると言っていた。そんな人達が多勢命を落とせば…それは、そのまま、魔族の衰退に繋がってしまう。

 だけど、お姉さんの言葉に零号ちゃんは俯いて言った。

「だって…私イヤだよ…住むところがなくなったり、みんなが居なくなっちゃったりするの…」

そんな零号ちゃんの声は、微かに震えていた。

「おいで、零号…」

お姉さんはそう言って零号ちゃんを招き寄せ、膝の上に乗せると優しく抱きしめて言った。

「そうだな…イヤだよな…だから、考えなきゃ…どうしたらいいか、って」

「みんな殺せばいいんだ…私達をイジメるやつらなんか…」

「あたし達が良ければいいってわけじゃない。せめてくるやつらだって、大事な人を守りたいんだよ」

「…でも、それでお姉ちゃん達が死んじゃったらイヤだ。そうなるくらいなら、私が敵を全部殺す。私は、悲しいのも寂しいのもイヤだ…」

零号ちゃんはそう言って、お姉さんの体に回した腕にギュッと力を込めた。全身が、微かに震えているのが分かる。

 零号ちゃんの気持ちも、私には分かる。たぶん、絶望感なんだろう。きっと、戦いは止められない。

 ここにやってくる人間軍と魔族軍を滅ぼしても平和になんてならない。でも、じゃぁ私達がおとなしく捕まるなりお姉さんの紋章を返してたところで平和になるとは思えない…

 零号ちゃんはそんなどちらにも転べない状況でどっちかを選ばなきゃいけないんなら、大勢を殺し、世界を壊して、それでも大切に思う、大切にしてくれる人達と一緒にいたい、って、そう思っているんだ。

 「殺す、まではしなくても…あるいは、やつらがやりたがってることをしてしまう、と言う手もある」

不意に魔道士さんがそう言った。

「やつら、とは、魔導協会のことですか?」

黒豹さんの言葉に魔導士さんは頷いた。

「その力を使って、俺達が世界を管理する…争いは起こさせない。場合によっては粛清し、平和維持に努めることも出来るだろう」

「…癪だけど、可能性としては有り得るよな…でも、そうなったらやっぱり、ここへ攻めて来る奴らは多少は叩かなきゃならない…」

「その道を選ぶのなら、ある程度の犠牲は許容するべきだろう」

魔道士さんの言葉に、お姉さんは俯いて黙る。でも、少しして顔を上げ、兵長さんを見やって言った。

「兵長、何か他の案はないか?」

すると兵長さんは、険しい顔付きで口を開く。

「私も、魔道士様と同じことを考えていました。あえて、もう一つ別の案をあげさせて頂くのなら、いっそどこかに雲隠れしてしまうのも良いのかも知れません。大陸の辺境…あるいは、勇者様…いえ、城主様の力で海に島を浮かべるでも良い…世界を平和にしたいと願う城主様や我らの思いを介さぬこの地と、民の事は忘れて、ですが…」

「それは…約束を破ることになっちゃうよな…」

ポツリとお姉さんは口にしたけど、すぐに兵長さんを見つめ直して

「でも、あたしもあんた達が傷つかなきゃいけないんなら、いっそそうすべきかも知れないって思わないでもない」

と悲しげな笑顔でそう言った。

 「魔王様」

今度は黒豹さんがそう口を開く。

「私も、魔道士様のご意見に賛成いたします。魔族の同胞とは言え、もはや情けを掛ける謂れもございません。先代様の意思に手向かうのであれば、ひと思いにこれを断じるべきかと」

「先代の意思、か…」

そんな言葉に、お姉さんはサキュバスさんを見やった。

 サキュバスさんは、身を縮めて何も言わない。それどころか、お姉さんと目を合わせることもしなかった。

「サキュバス」

お姉さんがサキュバスさんの名を呼ぶ。ビクッと体を震わせて、おずおずとサキュバスさんは顔をあげた。

「何か、ないか?」

お姉さんの問いかけに、サキュバスさんはゴクリと息を飲んでから、言った。

「…反旗を返したサキュバス族の者として何かを申し上げていいのか、私には分かりません…ですが魔王様…どうか、先代様と同じような決断だけはなされないでください…」

サキュバスさんはそう言って祈るように手を組んでテーブルに頭を垂れてしまった。

 サキュバスさんにしてみたら、気持ちは私達以上に複雑だろう…師団長さんのときか、それ以上に混乱して、苦しんでいるんだ。

「分かってる…戦い以外の道を、必ず探す…」

「そうではありません…!」

お姉さんの言葉に、サキュバスさんは取り乱したような声上げて、すぐにシュンと肩を落として言った。

「どうか、ご自分を犠牲に争いを収めようなど、あのような事はしないと、お誓いくださいませんか…」

「サキュバス…」

お姉さんがそうサキュバスさんの名をつぶやく。

 サキュバスさんは心配しているんだ。

 世界のことよりも、魔族のことよりも、なにより、お姉さんの身を。

 サキュバスさんが想像していることは分かる。

 人間や魔族を滅ぼしたくないって思うお姉さんが、二つの世界の敵としてその身を犠牲に平和を紡ぐ可能性を考えるかもしれない、なんて思っても不思議ではない。

 サキュバスさんは、目の前で先代様が同じ選択をしたのを見ているんだ。

「約束する…あたしは、あんたを残して死んだりしない。あんたを生かしたのはあたしだ。あたしの勝手であんたをまた放り出したりはしないよ」

お姉さんは、力強い目でサキュバスさんを見て言った。それを聞いたサキュバスさんは、目尻に涙を浮かべながら

「はい…申し訳ございません…」

なんて、返事をしながら謝った。

 再び、部屋に沈黙がおっとずれた。

「それにしても世界の怒りを、異形のお前が一身に背負うはめになるなんてな…“生け贄のヤギ”、か…」

不意に、ため息を吐いた魔道士さんがそんな事を言った。その言葉はどこかで聞いたことがある。

 確か、誰か一人に自分や仲間内のいろんな問題を押し付けて糾弾することで、他のみんなが安心することが出来る…

 その問題を押し付けられる誰か、を“生け贄のヤギ”、ってそう呼んだはずだ。

 私は、魔道士さんの言うとおりだと思った。

 確かに魔族には人間にも対して、人間には魔族に対しての、根の深い、長い長い間に積もってきた怒りや憎しみがある。

 そして、その二つの種族のそういう気持ちが、両者を取り持とうとするお姉さんに向かっているんだ。二つの紋章を持ち、世界を自分の意思で動かすことの出来るお姉さん、ただ一人に…

 部屋に、重苦しい沈黙が訪れた。誰も、何も言葉がない。生け贄のヤギは、すべてを背負って殺されるしかない…

 殺されなくっても、その仲間内から追い出されて、一人きりになってしまうんだ。

 もちろんお姉さんに私達が付いているけど…それでも、お姉さんは紋章を持っている限り、“生け贄のヤギ”としての役回りを続けて行かなきゃいけない。

 誰からも受け入れられることなく、厄介者としてあつかわれ続けるんだ…

 そう思ったら、もう、言葉なんて出てこなかった。

 でも、そんな時だった。

「なぁ、十三姉。例えば…このまま王様になっちまう、ってのはどうだ?」

と、不意に十七号くんがそう言って沈黙を破った。

王様になる…?それ、どういう意味…?

 私は十七号くんの言葉の真意が分からずに彼をじっと見つめて継ぎの言葉を待つ。

 それは私だけじゃなくって?サキュバスさんも兵長さん達も同じ様にして十七号くんに視線を送っている。

「王様って…どういう意味だよ?」

たまりかねたのかお姉さんがそう聞くと、十七号くんはポリポリと頭を掻き、首を傾げながら言った。

「俺さ、難しいことはあんまり分かんないけど…でも、とにかく人間も魔族も、十三姉が邪魔なんだろ?それならそんな奴らが手を出して来るんなら、俺達全員で掛かって追い返しちまえばいい。殺さなくったって、怪我をさせりゃ、その分治療に当たる人間を割けるから、きっとその方が効率もいいだろうし…あぁ、まぁ、とにかくさ、追い返して、宣言しちゃえばいいんじゃないかな、って。ここいらは俺達の国だ、魔族も人間も関係ない、みんなで平和にやろうってやつらの住む国だ、ってさ」

その言葉に、全員が息を飲んだ。その発想は…確かになかった。

 それでもし、私達の考えに賛同してくれる人がいたんなら、国に国民として迎え入れて上げればいい。

 そうやって戦争を起こさないようにしながらどんどん国を大きくして行って、私達の考えや思いを広めて行ったらしてもしかして…

「なるほど…魔族と人間のどちらでもない、第三勢力としての独立を図る…か」

十七号くんの言葉に魔導士さんがそう呟いて顔あげる。

「敵視し、攻撃の対象だった“生け贄のヤギ”が、国を持ち、魔族も人間もない国で固く結束をすれば、奴らの正義も揺らぐ…だが、“生け贄のヤギ”が正当な者としての立場を作り上げれば…怒りや、憎しみは行き場を失って人間界も魔界でもあちこちで暴発するぞ…?」

「そうなったら、良い機会じゃないか。あふれた難民なんかを全部うちの国で引き取ってやればいい。幼女ちゃんに畑の作り方の授業をさせてさ、自分達の暮らしを自分達で作らせればいい。井戸掘りみたいに魔族と人間の両方混ぜてやらせるんだ。外からの敵は追っ払えばいい。こっちから攻める事はない。そうしたらさ…少なくとも国の中では、十三姉が望んでる魔族と人間の平和が成り立っていくんじゃないかな」

「良い案にも思えるけど…でも、向こうにとっては世界を支配しようとしているって映るかもしれないな…」

二人の話に、お姉さんがそう口をはさんだ。

 でも、それを聞いて残念そうな表情を見せた十七号くんを見て、お姉さんは

「だけど、積極的に支配しようとしないそっちの方が、きっといいはずだ」

と付け加えていた。

 魔導士さんの言う通りだった。

 まさかお姉さんが、世界に満ちた怒りを一心に背負うことになるなんて、考えてもいなかった。

 お姉さんは、誰よりも平和を願っていたはずなのに、そんなお姉さん自身が平和を乱す者の象徴として祭り上げられて、それを討つために、魔族と人間が手を組んだ、って言うんだ。それを一番望んでいたはずのお姉さんが、敵として立ちはだかることで…

 このことをお姉さんがどんなに辛く感じているかは、もう想像ができなかった。

 「どうあれ、やっぱり、ある程度は覚悟しないとダメだよな…」

お姉さんが肩を落としてそう言った。

 その言葉に、みんながギュッと口を閉ざす中で、兵長さんが両手の拳をギュッと握って声をあげる。

「はい、城主様。ひとつに魔導協会の殲滅、ふたつにサキュバス族の征討。これさえ成れば、少なくとも私たちがもっとも危惧する事態を防ぐことはできます」

兵長さんの声は、握った拳とは裏腹に、冷たくそして落ち着いていた。

 それは、兵長さんがあらゆる気持ちを押し殺して、お姉さんを補佐する一人としての役割りをこなそうとする努力に他ならないと、私は思った。

 「それで行くしかない、よな…。十七号の言う通り、先手を打って魔導協会やサキュバス族を叩けば、それこそ支配者だ…それをやるなら、ここでだろう」

項垂れてそう言ったお姉さんは、ふぅ、とため息をついてそれから顔を上げる。

 そして何かを考えるような仕草を見せて、兵長さん達に言った。

「兵長、黒豹…表の魔族の連中、全部引き上げさせてくれ」

 魔族軍を、引き上げさせる…!?

 お姉さん…どうして…!?

「まさか…!」

「そ、それは…どうして…?!」

黒豹さんと兵長さんもそう驚く。

 そんな二人に、お姉さんは静かな声で言った。

「魔族同士を戦わせるわけには行かない…やるんなら、あたし達だけでやろう…」

「し、しかし…!」

「三千そこそこじゃ抵抗も出来ない。相手は三万だぞ?どのみち包囲戦になる。それなら、数なんて関係ない。あたしがやれば、それで済む」

 お姉さんはそう言ってから、何度目か分からないため息をついてイスから立ち上がった。

「いいな。今日の夕暮れまでには、完全に撤退するように言え。もし撤退しない場合は…ここに来る軍勢に加勢するとみなして、あたしが討って出ると伝えろ」

「……はい」

お姉さんの様子に、兵長さんは苦い顔をしながら、小さな声でそう返事をする。

「…あたしの目的は…先代との約束を守ることだ…何が、あっても」

 お姉さんは誰となしにそう呟いて、そのままブーツを鳴らして部屋を出て行った。その後ろを、無言でサキュバスさんが追って行く。

 パタン、とドアが閉まった。

 残された私達も、もう何を喋る気力もなかった。

 お姉さんの意思が、こんなにも悲壮な覚悟になってしまうなんて…

 そう思えば思うほどに、私達が口に出せるような言葉なんてあるはずがない、っていうのが自覚されてしまう。

 でも…本当に、どうにかならないのかな…

 戦いを避けて、平和にする方法って、考えてももう浮かんでこないのかな…?

 「十六お姉ちゃん…」

重苦しい部屋の空気に耐えられなかったのか、零号ちゃんがそう言って十六号さんにしがみついた。

「ん、おいで」

十六号さんは悲しそうな表情だけど、それでも優しい声色で言い、そばにやってきた零号ちゃんを抱き上げる。

 零号ちゃんも十六号さんの首元に顔を埋めた。

  それを見ていたら、なぜだか私も不安がいっそう強く押し寄せてきて、思わずそばにいた妖精さんの手を、ギュッと握りしめていた。






 その晩、私と零号ちゃんに妖精さんは、十六号さん達の寝室にいた。

 なんでも、お姉さんがサキュバスさんと大切な話があるから、と、いつも使っていた寝室を貸してほしい、と、そう言って来たからだった。

 私は、たぶん、サキュバスさんとその一族のことなんだろう、ってそう思ったから、深いことは聞かないで、お姉さんの言う通りにしてあげた。

 十六号さんの部屋で私は零号ちゃんと一緒に十六号さんのベッドに潜っている。妖精さんは、十八号ちゃんのベッドで、すでにスースーと寝息を立てていた。

 ベッド主の十六号さんは、十九号ちゃんと二十号ちゃんを寝かしつけるために、今は隣のベッドで、聞いたことのない突拍子もない展開の寝物語を話している。

 うん、優しいドラゴンさんが出てくるのは分かるよ?でも、どうしてそのドラゴンさんと仲良くしたいから、って、主人公の女の子がいきなり芋掘り競争なんて挑むことになるの?

 「変なお話…おもしろい」

零号ちゃんがそう言ってクスクスっと笑った。

 零号ちゃんは話し合いが終わってからも、十六号さんにしがみついてずっと不安そうな顔をしていたから、笑顔が見られて少しだけ安心する。まぁ、今もずっと私の寝間着の袖をギュッと握っていたりはするんだけど…

「幼女ちゃんもお話知ってるの?」

そんな零号ちゃんは、私にそう事を聞いてきた。

「うん、良く母さんに話してもらったよ」

私が答えたら、零号ちゃんは

「母さん…家族だね。今は、どこにいるの?」

とくったくのない表情で聞いてきた。私は一瞬、微かに胸に湧いてきた胸が裂けてしまいそうな悲しみを、ふっ、と息を一緒に吐き出して正直に答えた。

「住んでた村で、洪水があってね…それに流されて、二人とも死んじゃったんだ」

私は、言い終わってからチラリと零号ちゃんの顔を見た。

 変に気を使わせたら可愛そうだな、って思って作り笑顔だったけど、とにかくなるべく明るい顔をしてあげる。

 でも、そこにあった零号ちゃんの顔は、気まずさでも申し訳なさでもない、悲しみに染まっていた。

「零号ちゃん…?」

私はそんな零号ちゃんが急に心配になってしまって、思わずそう名前を呼ぶ。でもして零号ちゃんはそれに答える代わりに、ギュッと私にしがみついてきた。

「幼女ちゃん、寂しいけど、大丈夫だよ…お姉ちゃんも一緒にいるし、私も一緒にいるよ。だから、一人ぼっちじゃないよ。ね?」

零号ちゃんはそんなことを言いながら、さらに私をギュウギュウと抱きしめて来る。

 きっと、零号ちゃんにとっては他人事じゃないんだろう。

 お姉さんがそうだった様に一人ぼっちで、ずっとずっと寂しさと孤独の中で生きてきた零号ちゃんには、私が感じたあの悲しさとか喪失感とか不安感が、まるで自分のことの様に感じるのかも知れない。

 寂しい、なんて言うのに苦しめられる前にトロールさんや妖精さん、お姉さんに会うことが出来た私は、もしかしたら幸運だったのかも知れない。

「うん、ありがとう、零号ちゃん」

私はそうお礼を言った。それでも零号ちゃんは切な気な顔で私にしがみついて、ギュウギュウギュウと腕に力を込めている。

 さ、さすがにちょっと痛いな…夜になって暑いのはなくなったからそれは良いんだけど…

 そんなことを思って困っていたら、サワサワと絨毯の音をさせながら、十六号さんがベッドへと戻ってきた。

「ふぅ、やっと寝てくれたよ」

十六号さんはそんな風に言いながら、柔らかな微笑みを浮かべている。

「おかえり、十六お姉ちゃん。ドラゴン、どうなったの?」

「あぁ、聞こえてた?…さぁ、どうなるんだろうな?話を作りながら喋ってるから、最後まで行った試しがないや」

そっか、あのおかしなお話は、十六号さんが考えたお話だったんだね。

 それなら、芋掘り競争も納得だ。

 十六号さんはベッドに登ってくると、私と私にしがみついていた零号ちゃんの間にグイグイと押し入って来た。

「んんっ、十六お姉ちゃぁん」

零号ちゃんが、寝静まった幼い二人に気を使ってか、小さな声で楽しそうに不満の声をあげる。

「アタシが真ん中なんだよっ。どいてどいて」

十六号さんもなんだか楽しそうにそう言って、両腕に私と零号ちゃんを抱えるような姿勢でベッドに横たわった。

「十六号さん、重くない?」

「あんた達二人くらい、どうってことないよ」

私はそう十六号さんに確かめてから、少し遠慮しつつその腕を枕にさせてもらう。

 頭を胸板の方にもたせかけると、トクン、トクン、と十六号さんのゆっくりとした心臓の音が聞こえて来た。

 「あったかいなぁ…」

零号ちゃんがそうつぶやくのも聞こえる。

 昼間は日が照っていて暑くて仕方なかったのに、夕方になると北風が吹いてきて、夜になった今はもう、半袖では肌寒いくらい。だから、こうしてくっついているとあったかいのは、零号ちゃんの言葉通りだ。

「あそこじゃぁ、一人で寝かさせてたのか?」

そう聞いた十六号さんの声が胸の中に響いている。

「うん、ひとりだった。狭い部屋に、ベッドしかなかったよ」

「あぁ、やっぱりあの部屋使わされてたんだ…あそこのベッド、敷き物が薄くって痛いんだよなぁ」

「ここのベッドはフカフカで気持ちいいね」

「そりゃぁ、ここはお城だからな」

十六号さんの声に混じって、クシャクシャっと言う音が聞こえる。零号ちゃんの頭を撫でているのかな…?

「ほら、もう目を閉じな。明日寝坊しちゃうぞ」

「うん、眠るよ」

「おやすみ、零号」

「おやすみ。十六お姉ちゃん…」

 私は、そんなやりとりを聞きながら、心地よいぬくもりと感触に身をゆだねていた。

 十六号さんはまだお姉さんよりもちょっと小柄だけど、それでも私に比べたら全然大人だし、こうしていると、お姉さんと一緒に寝ているときと同じくらい安心する。

 母さんと寝るときとは少し違うけど、それでも…今の私にとっては、こんな時間が何よりも大切で幸せだ。

―――ずっと、こんな時間が続けばいいのに…

ふと、そんなことを思って、私は胸にジワリと染み出すような何かを感じ取った。

 それが何かなんて、考えるまでもない。

 私は、怖いんだ。

 もうすぐ人間と魔族の軍勢がこの城に攻め込んできて、きっと激しい戦いになる。

 そうなったら、こんな時間なんてたちどころに奪われてしまうだろう。

 私は、それが怖かった。まるで、父さんや母さんを失くしてしまったあの日のことを思い出すようで、胸を針で刺されたような鋭い感情が、私の心を締め付ける。

 気がつけば、私は十六号さんの寝間着をギュッと握り締め、さっき零号ちゃんが私にしてくれていたように、十六号さんにしがみついてしまっていた。

 布ずれの音がして、ポン、と背中に当てられていた十六号さんの手が跳ねる。

「大丈夫…?」

優しい声が、聞こえて来た。

 そしたら、まるでいきなりコップから水が溢れてしまうみたいにとめどない気持ちが込上がってきて、私は十六号さんの体に顔を押し付けて言っていた。

「どうして…どうしてこんなことになっちゃったんだろう…」

それは、私が昼間から、ずっと胸に押し込めていた気持ちだった。

 だって、お姉さんは平和を望んでいただけ。争いなんてするつもりはなかった。

 ずっとずっと、それを一番に考えていたはずなのに…どうして、そんなお姉さんが世界全部の敵にならなきゃいけないんだろう?

 世界は、平和になんてなりたくないのかな?それとも、魔導士さんが言っていたように、“生け贄のヤギ”ってことなのかな…?

 でも、じゃぁ、どうしてお姉さんが生け贄になんてならなければいけないの…?

 人間を裏切ってしまったって思いを抱えて、一人になるのが誰よりも怖いのに、みんなから嫌われてしまうかもしれないのを覚悟してここまで来たのに…どうして、それが分かってもらえないの…?

 そんな考えが止まらずに、あとからあとから胸を締め上げて、涙になって溢れ出て来てどうしようもない。

 声が出ないように、って、それだけは我慢している私の背中を、十六号さんの手が何度も行ったり来たりをして私を優しく包み込んでくれている。

「畑のときに、さ」

背中を撫でてくれながら、十六号さんが静かな声でそう口を開いた。

「ケンカの落としどころ、って話してたの、覚えてる?」

私は、十六号さんの寝間着に顔をうずめながらコクリ、と頷く。

「あれを聞いたときに、思ったんだ。あぁ、もしかしたら、古の勇者様は、そいつを間違えたんじゃないかな、って、さ」

 間違えた…?古の勇者様が…ケンカの落としどころを…?

「なにそれ…?」

私は、口を開けばしゃくりあげてしまいそうで、そうとしか言葉が出てこなかった。

 でも、十六号さんはそんな私の声を聞いて、先を続けてくれる。

「大昔も、人間と魔族、いや…魔族になる前の人間、か。その二つの違った暮らし方をしている人達が争いを続けてた。それは、大地が荒れて作物や動物がいなくなってしまうほどの激しい戦いだった、なんて話だけど…とにかく、古の勇者様は神官達が作った二つの紋章を使って、争いを鎮めようとした。その答えが、この大陸を中央山脈で二つに分けて、それぞれの暮らす場所を作るってことだったんだろうけど、でも…それって本当に正しかったのかな、って思ったんだ。

 その方法はさ、確かに、ケンカを止めるためには有効だったんだろう。でも、落としどころなんかじゃなかったんだ。ケンカをしている二人を、わだかまりも解決しないままにただ引き離して、それで終わり。引き離されて、顔を見ない日々が続いてても、ケンカをしてたときの気持ちが消えるわけじゃない。そんなことだけじゃ、顔を合わせちゃえばすぐにでもにらみ合いが始まって、それからまたケンカのやり直し、だ。

 もしかしたら、この大陸の戦争っていうのは、そういうのが何度も繰り返し起こってるってことなんじゃないかな」

十六号さんの手が、背中から頭に回ってきて、私の髪を梳き始める。

「そんな繰り返しが続いている中で、十三姉は、特別だった。古の勇者様のように、二つの紋章を手にして、世界を平和にする方法を探し始めたんだ。それってのは、もしかしたら、古の勇者様の失敗をやり直すってことなのかもしれない。…そう言う意味では、さ。生け贄だろうがなんだろうが、アタシらや十三姉を敵として、魔族と人間が手を組んだ、っていうのは、それほど悪いことだとは思わないんだ。

 もちろんこれから起こる戦いでもし紋章を取られて、そのあとにそいつを使って魔導協会が世界を管理するってのはやめてほしいところだけど…でもそれだって、あそこでひどい目に遭わされたアタシ達の思いでしかなくって、普通の人にしてみたら、王都の魔導協会は法律を司っている機関なんだ。

 法律、って部分一つ取って言っちゃえば、人間界はもう魔導協会に管理されてるって言って良い。

 だって、法律を犯した人を捕まえて、処罰するまでが魔導協会の仕事だ。

 誰もそれをおかしいって言うやつはいないし、もしそれがなかったら、もしかしたら街中にゴロ付きが溢れかえっちゃうかもしれないんだ。やり方は気に入らないけど…あいつらはあいつらなりに、神官の一族として古の勇者様の失敗をなんとかやり直そうとしているのかもしれない…あぁ、話がズレちゃったな…えぇと、そう。

 どんな形でも、さ。今回人間と魔族が手を組んだ、っていうのは、それほど悪いことではないと思うんだよ。ケンカの相手とのわだかまりを超えなきゃならない程の、強大な“悪の支配者”が現れたんだからな。十三姉や魔導協会が絡んでなければ、さ…」

そこまで話してから、十六号さんがクスっと笑って

「さっきのドラゴンじゃないけど、物語としてはよくできてるよな…自分たちが悪の親玉になるとは思ってなかったけど…」

なんて言ってみせた。

 私は、十六号さんの話を聞きながら、いつの間にか泣き止んでいた。

 十六号さんの言葉に、驚いてしまったからだ。

 確かに、十六号さんの言葉の通りかもしれない。

 私達は、お姉さんのために、お姉さんの気持ちを大事にしたくって、ここに集まった。だから、お姉さんが苦しく感じてしまうことは、私達だって苦しい。

 お姉さんには、出来るだけそうであって欲しくない、って思うのが普通だ。

 でも、そう…もし私が、お姉さんにもトロールさんにも会わないで、父さんと母さんと今も村で一緒に暮らしていて、この戦争の話や目的を聞かされたとしたら…私はきっと、何も疑わずに納得するだろう。ううん、喜んで賛成するだろう。

 だから、と言って、魔導協会がとんでもないことをしでかさないかどうかは分からない。

 ううん、今までのことを考えれば、そう思わない方が無理な話だ。

 でも、人間と魔族が手を取り合ってお姉さんに敵対することは、お姉さんや私達にとっては辛いことでも、“間違い”ではないかもしれないんだ…。

 だけど、そうだとしたら…もし戦いを避けたいんなら…

「お姉さんは、魔導協会の人とちゃんと話をしなきゃいけない、ってこと?」

「…うん、そうかもしれない…それが唯一の方法だって、アタシは思う…けど、たぶん、もし話し合いが出来たとしても、行き着く結論ももう決まってると思うんだ」

十六号さんは、私の髪を梳き続けながら、言った。

「十三姉ちゃん自身を、魔導協会とサキュバス族の監視下に置いて、魔導協会とサキュバス族の合議の結果をそのまま実行するための役回りを引き受ける他にない」

「そうすれば、戦いは避けられるの…?」

「…でも、実際問題、どんな監視を付けていたって十三姉に意味はない。中央山脈を作り出せる位の力を持ってるんだ。力ではそうにも押さえ込むことはできない。だとすると、魔導協会やサキュバス族は十三姉を信頼する他にない。でも、あいつらにはそれができないんだ。それくらい、あの二つの紋章は強力だし、まして十三姉は、戦争で魔族を数え切れないほど斬り殺して、北部城塞じゃぁ、人間相手に皆殺しをしそうになったらしいし…。そういうことをやってきた人間が、大人しく命令を聞くわけないって思うのが普通だ。そんな危なっかしい人間を信用なんて出来ないし、力なんて持ってたら余計にそれを制御しなきゃいけなくなってくるけど、それも出来ないんだろうな。そう考えたら、普通の感覚じゃぁ話し合いでうまく解決できるようなことでもないような気がする」

十六号さんは、そう言って静かにため息を吐く。

 でも、私は、と言えば、ひとしきりの話を聞いて、ふと、さっき十六号さんが言っていた言葉を思い出していた。

「それこそ…ケンカの落としどころ、なのかもしれないね…私達と、魔導協会にサキュバス族との」

私がそう言ったら、十六号さんはまた優しい口調で

「向こうがまともに取り合う気があるんなら、きっとそうなんだろうな」

と言った。でも、その言葉の感じには、“そんな考えは多分ないだろう”って雰囲気を含んでいるような気がした。

 人間界にありふれている魔族の話と同じだ。

 魔王と言う悪い魔族がいて、その魔王が率いる軍隊はとても強力で、何も対策を打たなかったら人間界はたちまち支配されてしまう。だから、その心配を拭うために、人間も軍隊を結成して、魔王討伐に乗り出す…

 見たことも、感じたこともない力、っていうのは、恐怖や不安そのものだ。それを取り払おうとするのは、きっと自然なこと。今は、お姉さんがそんな存在になってしまっているんだ。

 「十六号さんは…どうしたら良い、って思ってるの?」

私は、そう聞いてみた。

 それだけのことを考えている十六号さんが、何を正解だと考えているのかを知りたかった。

「ん…アタシは、正直、何がいいのかなんて分からないよ。十七号と同じで、バカだからな。十三姉みたいに、魔族の平和だ、なんて思ってるワケでもない。そりゃぁ、仲良くやれれば、その方がいいんだろうけどさ。アタシも、零号と同じだ。自分の大切な人を守りたい、そのそばに居たい、ってそう思うだけ。だから、こんな答えなんて出せないような状況でも踏み出そうとしてる十三姉を守ってやりたい。まぁ、アタシら何かに守られなきゃいけないような姉ちゃんじゃないけどさ…でも、アタシらもあんたと一緒で、たぶん、そばに居てやれるってだけで、姉ちゃんを支えられてるんじゃないか、って思うんだ」

十六号さんは、私の頭を撫でてそう言い、でも、それからすぐに、聞こえるか聞こえないか、くらいの小さな声で

「本当なら…どんなことをしたって十三姉を守ってやりたいけどな…そんな力も、頭もないんだよなぁ」

と囁いた。

 そんな言葉からは、悔しさと切なさが伝わってくる。

 十六号さんでも、私と同じようなことを感じていたんだ。

 私も、ずっとそうだった。

 戦いが起こるようになってからというもの、私も、その役に立てないことに悩んだりした。だから、戦う力がある十六号さんも、そんな風に悩んでいるなんて考えもしなかった。

 でも、それを聞いた私はなんだかふと、心のどこかで安心するのを感じていた。

 理由はよくわからなかったけど、もしかしたら、同じように悩んでいるって人がいるって知れたからかもしれない。

「お姉さんには力があるし…軍隊とか政治のことは、兵長さんやサキュバスさんに黒豹さんもいるからきっと平気だよ…私達は、お姉さんのそばにいるのが、大事な仕事なんだと思う」

私は、自分にそう言い聞かせるように、十六号さんにそう言ってあげた。

 そう、今の状態で苦しいのは、誰でもないお姉さんなんだ。どんなに私が苦しかろうが、不安だろうが、それがお姉さん以上であるなんてことはない。

 だったら、やっぱり何があってもお姉さんを一人になんて出来ないし、私達が考えなきゃいけないのはそのことのはずだ。

 そうでもなければ、昼間、出て行け、って言われた魔族軍の人達のように、このお城から一刻も早く避難するべきだって思うし、ね。

「そうだよな…へへ、慰めてやるつもりが、逆になっちゃったな」

十六号さんが、なんだか恥ずかしそうにして笑うので、私は十六号さんの寝間着で涙を拭って、出来るだけの笑顔を見せて言ってあげた。

「ううん。私も慰めてもらったよ」

「そっか、なら良いけど…。ほら、あんたも寝な。零号はもう夢の中、だ」

十六号さんはそう言って、私とは十六号さんを挟んで反対側にいる零号ちゃんを見やって言った。

体を少しだけ起こして見てみると、零号ちゃんは既にスースーと寝息を立てている。

 十六号さんが喋っていたのに寝れちゃうなんて…もしかしたら、昼間のことで気疲れしちゃっていたのかもしれないな。

 私も泣いちゃったし、ちょっと眠くなってきた。

「うん。十六号さんも寝たほうがいいよ?」

「あぁ、うん。寝るよ。アタシも、夜ふかしは苦手な方なんだ」

十六号さんは大きなあくびをして言い、

「おやすみ」

なんて言って、私の頭をまた、ポンポン、と撫ぜて目を閉じた。

 私も、

「おやすみなさい」

と声を掛けて十六号さんの体に身を預ける。

 そうして、目を閉じ、大きく静かに息をしたときだった。

 不意に、まぶたの向こうがパッと明るく光った。

「チッ!」

そんな声がして、私たちが枕にしていた十六号ちゃんが飛び起きた。

 私と零号ちゃんは、それぞれ別の方向に弾き飛ばされてしまう。

「なに…!?どうしたの!?」

「んぁ…?ま、ま、魔力…!誰!?」

あまりのことに、私も目を覚ました零号ちゃんもそう声をあげる。

 でも、そんな私達に答えたのは、十六号さんの間の抜けた声色だった。

「なんだ、あんた達か…」

見上げる十六号さんは、一瞬見せた緊張した表情を緩めて、ダラッとした迷惑顔を見せている。

 その視線の先を追うと、そこには、十八号ちゃんの姿があった。

 それだけじゃない。

 その後ろには、十四号さんにトロールさん、それから、大尉さんと竜娘ちゃんもいる。

 「おかえり。何もこんなところに転移して来なくったっていいのに。寝るところだったんだぞ?」

十六号さんが迷惑そうな顔をして言った。

「ごめんなさい、十六姉さん。でも、こっちの状況がよく分からなかったから、ここが確実と思って」

十八号ちゃんは、部屋を見渡し、寝ていた十九号ちゃんと二十号ちゃんを見て、ヒソヒソと静かな声で返事をする。

「う、う、後ろの人は、誰!?」

そんな十八号ちゃんに、零号ちゃんが声をあげる。

 そ、そんなに大声出したらダメだって、零号ちゃん!

「しっ。静かに、零号。チビ二人が起きちゃうだろ?」

十六号さんがそう言って零号ちゃんの頭を撫でて諌めた。

 「あなた、あの仮面の子なんだってね。あたしのこと、覚えてる?」

不意に、そんな零号ちゃんに大尉さんが声を掛けた。

 そういえば、大尉さんは魔導協会で零号ちゃん相手に戦っていた。そのことを覚えてるかな…?

 私はチラっと零号ちゃんを見やる。

 零号ちゃんは、まじまじと大尉さんの顔を見つめて、それからハッと息を飲んだ。

 大声はダメ…!

 と私が思ったのも束の間、零号ちゃんは自分の口を自分で塞いで、モゴモゴモゴっ何かを言った。

 そんな様子がおかしくて、私はプッと、思わず笑ってしまう。

 「……理事長様を攻撃した人…!」

そんな私をよそに、零号ちゃんはそう言って大尉さんを睨みつけた。

 でも、そんな視線を受けても大尉さんは相変わらずの様子で

「そうそう、まぁ、攻撃してた、っていうより、あなたにケチョンケチョンにされてた連隊長を援護してた方が時間的には長かったけどね」

とヘラヘラとしながら言う。

 そんな大尉さんの言葉にはほどんど反応を見せなかった零号ちゃんは、次いで竜娘ちゃんとトロールさんを見やってさらにハッとして見せた。

「器の姫…?そっちの男の人も、器の姫をさらいに来た人だ…」

 器の姫…?

 そっか、魔導協会は、お姉さんの紋章を奪って、竜娘ちゃんに引き継がせようとしているのかもしれない、って話だった。そう呼ばれていた、ってことは、お姉さん達の読みはきっと外れていなっかったんだろう。

「零号様、とお呼すればよろしいのですね…?零号様、私は今はこちらにお世話になっています。あちらで起こったことに関しては、お気になさらないでくださいね」

竜娘ちゃんが零号ちゃんの様子を伺うようにそう言う。

 魔導協会で零号ちゃんがどんなだったのかは分からないけど、あそこで見た様子だと、人間、っていうより、道具かなにかのように扱われていたに違いない。そう思えば、竜娘ちゃんがこうして少しだけ警戒している理由も分からないではなかった。

「…うん、平気。私も今は、このお城がお家。お姉ちゃん達が、家族なんだ」

零号ちゃんが竜娘ちゃんには表情を緩めてそう言ったので、竜娘ちゃんもホッと安心した様子で息を吐いた。

 まぁ、でも零号ちゃんはすぐにまた大尉さんをギロリと睨みつけたんだけど…

 「こっちは、ずいぶん大変な事になってるみたいだね」

そんな零号ちゃんの視線なんてこれっぽっちも気にしない、って様子で大尉さんが十六号さんにそう聞く。

 十六号さんは零号ちゃんの頭を撫でながら

「うん。人間界と魔界の両方を相手にケンカしなきゃならないような事態なんだよ」

と言って、ふぅ、とため息を吐いた。

 でもそれからすぐに気を取り直して

「そっちは?基礎構文、ってやつについて、なんか分かったの?」

と竜娘ちゃん達に尋ねる。

 すると、五人の表情が一様に渋く変わった。

 基礎構文が見つからなかったのかな…?そ、それとも、見つけてみたらとっても危ないものだったりしたの…?

 私がそんなことを考えてソワソワしてしまっていたら、グッと息を飲んだ竜娘ちゃんが口を開いた。

「そのことで、ご相談したいことがあるのです…できれば、あの方には内密に…」

 あの方、って、お姉さんのこと、だよね?どうしてお姉さんに内緒なんだろう…?何かまずいことなの…?

「な、内緒にしなきゃいけないのは、なんで…?」

私が聞くと、竜娘ちゃんは難しい顔つきのままで、静かに答えた。

「あの方をお助けするために、です」

「人間…竜娘の話を聞いて欲しい」

竜娘ちゃんの言葉に、トロールさんが続く。

 それを聞いて私は、その先を知りたくて、もう一度竜娘ちゃんの顔を見た。

「おそらく…世界にも、あの方にも、どうしても必要なことだと私は思うのです」

竜娘ちゃんは私の目を見てそう言った。

 表情は険しくて、それこそ怒っているように見えるくらいだけど、竜娘ちゃんの縦長の瞳には、言い知れぬ意志と覚悟が宿っているように、私には見えた。





 雷の日からちょうど一週間。私は、青々としたお芋の葉が伸び始めている畑に居た。

 隊長さん達のお陰で畑はあんな大雨にもびくともせず、返って水が行き渡ったのか葉っぱが伸びるのは早いように感じた。

 だけどあれっきり、井戸は掘り進められていないし、畑の手入れもほとんどしてはいなかった。

「無駄になっちまったな」

 私の傍らで、隊長さんがそんな事を口にする。もう何日かしたら、このあたりは戦場になる。畑を残そうだなんてしても、きっと踏み荒らされてダメになってしまうだろう。でも、私は残念とは思っていなかった。

「ううん…この畑で、お芋は作れませんでしたけど、隊長さん達みたいな仲間が出来たからいいんですよ」

「はは、そうか…そうだな…」

私の言葉に、隊長さんはなんだか寂しそうに笑った。

 妖精さんが念信を受け取った翌日、魔王城に集まっていた魔族軍は、それぞれの場所へと戻って行った。魔族軍の人達は、状況を聞いてお城に残ろうとしていたけれど、そんな姿を見て、兵長さんが説得をした。

 「魔王様が最も恐れるのは、魔族同士、人間同士の争いが始まってしまうことだ」

って。

 ここに残れば、魔界に住んでいる魔族の人達サキュバス族と戦わなければならなくなる。お姉さんはそんなことを望んでいなかった。

 「しかし…世界の平和を願っていた純粋なやつが、世界の憎しみを一身に背負わされるだなんて…皮肉にも程があるよな…」

隊長さんはまだやるせない表情でそう言い、大きくため息を吐いた。

 隊長さんは、女戦士さんと女剣士さん、それに虎の小隊長さんに鬼の戦士さんと鳥の剣士さんを引き連れて、魔族軍が引き上げたてからひょっこり修理の終わったソファーの部屋に顔を出した。

 お姉さんに

「出て行けと言ったはずだ」

と凄まれていたけど、隊長さんは笑って

「俺たちはここを守備しろって上官命令を守ってるだけだ。逃げ出した腰抜けどももいるが、な」

なんて言い返して、結局はお姉さんを言い負かしてここにいる。

 そんな上官である大尉さんは魔道士さんと一緒に人間界の軍勢の偵察に出かけていて、ここ数日戻って来ていない。

 あの日の晩に、大尉さんと竜娘ちゃんが話してくれた計画の内ではないけど、大尉さんにしてみたら、想定内のことなんだろう。

「魔道士さんが、こういうのは“生け贄のヤギ”って言うんだ、って言ってました」

「怒りや憎しみを背負わせ易い誰かに押し付けちまう、ってやつだな。世界の平和を願うあいつに憎しみを転嫁して、人間と魔族が手を結んだ…世界の平和を願うあいつを殺すことを目的に、だ。やっぱり、これ以上の皮肉はねえよ」

隊長さんはそう言ってまたため息をついた。

 やるせない気持ちは十二分に分かってしまう。本当に、生け贄と言う他にはないだろう。 

「隊長さん…隊長さんは、古の勇者様の“ケンカの落としどころ”、って、どうだったと思いますか?」

「なんだよ、藪から棒に?」

隊長さんはそう言って首を傾げる。そんな隊長さんに私は言った。

「私、思ったんです。古の勇者様は、今の人間と…魔族になる前の人達のケンカの落としどころを間違えちゃったんじゃないか、って。ううん、落としどころなんてことじゃないかもしれない。そもそも、結論を先延ばしにしただけのような、そんな気がするんです」

私の言葉を聞いた隊長さんは、なんだか驚いた様な表情で私を見つめて来る。それに構わず、私は隊長さんを黙って見つめ返した。

 するとやがて隊長さんは、

「そうだな…」

と頭をガシガシ掻いてから言った。

「言いたいことは分かる…大陸を二つに分けた古の勇者は、結局争いそのものを終わらせたわけじゃねえ、って、そういうことだな?」

隊長さんの言葉に私は頷く。

 すると隊長さんは、ふっと宙を見据えてから、ややあって口を開いた。

「確かに…そうかも知れんな。大陸を分けて、生きる世界を分けただけのこと、か。そう考えりゃ、ケンカしてた二人を力任せに引き離しただけにすぎん。距離が出ようが睨み合って、隙あらば飛び掛かってぶん殴るくらいのことはするだろうな…」

それは、私が考えたのと、同じ答えだった。

 そう…だとしたら…

「もし、今もう一度、ケンカの落としどころを探すとしたら…それは、どんなことだと思いますか?」

私の言葉に、隊長は苦しそうな表情を見せて、そして俯いた。ほんの少しの間、沈黙が続く。

 ややあって顔を上げた隊長さんは、俯く前と同じ、苦しそうな顔で言った。

「…あるとすれば…城主サマが徹底的に悪の親玉を演じきって、世界を滅茶苦茶にするしかねえんじゃねえかと、そう思う。完璧な“生け贄のヤギ”を演じきって、世界から怒りと憎しみを奪い去って…そのまま悪のとして果てる…その方法の他には浮かばねえ。残念だが、おそらく、この世界で起こっているのはもう、付け焼き刃の誤魔化しで収まるような生易しいケンカじゃねえ…」

隊長さんは、私を見やった。

 それを聞いて、私がどう反応するのかを、恐る恐る観察しているような、そんな感じだった。

 でも、私は特別、大きな驚きも悲しみも、苦しみもなかった。

 ごく自然に、そうだろうな、と思った。私が思うくらいだ…隊長さんも、たぶん、お姉さん達も、もう気が付いているんじゃないかな。

 これから攻めてくる人間軍と魔族の人達をいくら殺さないで追い返したって、きっとまた同じことが起こる。それも、何度も何度も繰り返されるだろう。

 十七号くんが言うようにお姉さんが国の設立を宣言したってきっと同じ。人間と魔族との争いが、私達の国と人間と魔族の国の戦争に変わるだけだ。

 とにかく、人間や魔族を傷付けないように、平和のためにお姉さんが出来ることはたぶん、魔導協会やサキュバス族を滅ぼした上で、人間軍と魔族の人達に抵抗し、最後には討たれて死ななければならない、ってそう思う。それこそ…先代様が、お姉さんにそうさせたように…。

 私は…そんなことを望まない…そう、もし他に、ケンカを収める方法があるのなら…そっちの方がずっと良い…

 私はそんなことを思ってギュッと拳を握りしめ、それから立ち上がって隊長さんに声を掛ける。

「隊長さん、そろそろ戻りましょう。きっと、大尉さん達が戻ってくる頃だと思うんです」

隊長さんは、私のそんな言葉を聞いて、ため息混じりに表情をビシっと整えて言った。

「了解、司令官殿」






 隊長さんと一緒にお城に戻り、すっかり修理の終わったソファーの部屋にいくと、そこには既にお姉さんにサキュバスさんに兵長さん、黒豹さんに戦士さん達、それから十六号さん達に、妖精さんとトロールさんに竜娘ちゃんも揃っていた。

 「ごめん、お姉さん。遅くなっちゃった」

私がお姉さんにそう言うと、お姉さんはニコっと笑顔を見せてくれて、

「いや、気にしなくていいよ。まだ大尉と魔導士が戻ってないから、待つつもりだし」

と答えてくれた。

「人間様、お茶です。隊長様も、こちらへお掛けください」

サキュバスさんがそう言って、私と隊長さんにお茶を出してくれる。

「ありがとうございます」

私はそうお礼を言ってソファーに腰掛けた。

 隊長さんは、戦士さん達と同じように部屋に運び込まれていた食堂のイスに腰掛けて、ソーサーの上に乗ったティーカップを受け取っている。

「畑、どうだった?」

「うん、ちゃんと目を吹いてくれてた。あの様子なら、病気でも流行らない限りはきっと元気に育ってくれると思うよ」

私が答えたら、お姉さんは微かに、あの悲しい笑顔で笑った。

 それもそうだろう。あの畑は病気なんかでは死んだりしない。その前に、ここへ押しかけてくる兵隊さん達に踏み荒らされてしまうだろうから。

 「で…魔族の方は、どんな動きをしてるんで?」

隊長さんが、カップから口を離してそうサキュバスさんに尋ねる。

 するとサキュバスさんは、チラリとお姉さんを見やった。お姉さんはコクリと頷いて隊長さんに視線を送る。

「あいつらが戻ってから、とも思ったんだけど、先に説明していこうか…。今、魔族の軍勢は、西部城塞に集結している、って念信が流れてるらしい。規模のほどは、まだ確認できてないが、おっつけ、黒豹を忍び込ませて状況を探るつもりだ」

お姉さんはそう言い終えてから黒豹さんを見やった。

 お姉さんの視線に、黒豹さんがコクリと頷く。

「で、こっちは魔導士が戻り次第、城壁と周辺の土地に結界魔法を張り巡らせる。探知用のと城壁を保護するための物理結界だ。それから罠の類も、だな。こっちの体制だけど、やつらのことだ、この間の騒ぎで、どこに転移用の魔法陣を書き残しているか、分かったもんじゃない。それを警戒する意味で、城内の警備は散らばらせずにまとめる」

「それは、逆じゃねえのか?」

「いや、まとまっていた方が良いんだ。奇襲をかけられて各個で撃破されるのが一番マズイ。こっちはこれだけしかいないんだからな。一人でも欠ければ、損失の比率が大きくなる」

「つまり…司令官殿にへばりついて守れ、とそういうことだな、城主サマ?」

「…うん、そうだ。十六号達や零号にも、交代で前に出てもらいたい。司令部機能のあるここを守るためだけなら、それで十分だ」

「…了解した。そういうことなら、承ろう」

隊長さんは、傍らに座っていた虎の小隊長さんと目を合わせてから静かにそう返事をした。

 それを確かめてから、お姉さんが今度は兵長さんに視線を送る。

 すると、兵長さんはすぐにコクリと頷いて、全員を見渡して言った。

「今回の戦闘の目的は、魔導協会、及びサキュバス族の一団の掃討にあります。この両者は攻め手ではなく、後方に陣を構えて指揮機能を担うと考えるのが妥当です。敵の陣容を手薄にするために、城壁や城内の結界魔法、罠魔法で妨害を施しながら、敵をできる限り多く、この城の中に引き入れます。トロール殿に頼んで、城内の通路を作り変え、迷宮にする案もあります」

「城壁守って籠城戦をする、ってわけじゃないんだな?」

兵長さんの言葉に、女戦士さんがそう口を挟む。

「はい。敵の数からして、城壁を守り切ることは難しいと思われます。これだけの手勢なので、下手に戦域を広げると隙が多くなります。それから、外の敵をなるべく減らしておきたいというのが本音です。今言ったように敵の本隊を城の中で引き受け、そして本陣の守りが手薄になったところを…」

そこまで離して、兵長さんがチラっとお姉さんを見やった。今度は視線を受けたお姉さんが頷いて

「あたしと魔導士、それからサキュバスとで、魔導協会とサキュバス族の本陣を一掃する…その気になれば、ほとんど時間なんていらないだろう」

と、淡々とした口調で言った。

 「なるほど…俺たちとそっちの勇者候補の親衛隊諸君が、今度は城の防衛線になる、ってワケだ」

隊長の言葉を聞いて、お姉さんは頷いた。

「俺たちなら、敵を足止めするくらいなら十分なんとかなる。十六号の結界魔法で進路を阻んで、十八号と十七号で無力化すればいい」

十四号さんがそう言うと、隊長は鼻を鳴らして

「なるほど。ついには近衛師団、だな」

なんて冗談めいたことを言って笑ってみせた。

 「私と黒豹さんで、城主様と大尉殿の状況を逐次確認しながら、全体の指揮を執らせていただきます」

兵長さんが、確認するように部屋の中の人達を見回してそう言う。

 それについては、質問も異論も出なかった。

 「その布陣でしばらく持ちこたえてもらう。それで、あたし達が外の連中を叩き終えたら―――

 お姉さんがそう口にしたとき、パパっと部屋の中が光って、勢い良く何かが転がってきた。

 それは、魔導士さんと大尉さんだった。

 二人共黒いズボンに黒い上着を着て、顔も髪も、黒い布で覆い隠している。あちこちに泥を付け、服の所々は破けていて、そこから微かに血が滲んでいた。

「十二兄さん!」

十八号ちゃんがそう声をあげて慌てて飛びついたけれど、魔導士さんはそんな十八号ちゃんを受け止めながら何事もないようにして立ち上がった。

「良く戻った…無事で良かったよ。それで、首尾は?」

そんな二人にお姉さんがそう尋ねる。

「一応、言われた通りに各所の拠点に集結中だった部隊を控えめに襲って、糧食あたりは焼いてきたよ。これで行軍はしばらく止まると思う」

「しかし、敵の数は想像以上だな。四万に迫る程になる可能性もあるぞ」

大尉さんと魔導士さんが、口々にそう報告をした。

 お姉さんはそれを聞きながらも、冷静な顔色で

「分かった。少し休むか?」

と二人をねぎらう。でも、二人はチラッと顔を見合わせてから

「いや、報告を先にする」

「うん、早いほうが良いと思う」

と口々に言ったので、お姉さんは二人にもイスを勧めて、サキュバスさんのお茶が入る少しの間だけ黙った。

 ふぅ、と魔導士さんがカップのお茶を一気に飲み干してため息を吐き、説明を始めてくれる。

「人間側の主力は王下軍の八割。以前に東部城塞へ集結した数のおよそ倍だ。それに、各地の貴族の部隊も加わっている。こいつらもけっして少なくない。王下軍が一万五千、そこに王下騎士団が五千、さらに貴族が出している部隊が合計で九千、ってところだ」

「あれだけの数となると、山越えは厳しいと思う。たぶん、またどこかに戦略転移方陣を描いて転移してくるつもりなんだと思う」

 私は、息を飲まずにはいられなかった。人間軍だけで、三万近い勢力だなんて…

「それなら、東部城塞をもう一度確認しておく必要があるな…もしそんな人数を送るとすれば、拠点がいる」

「あぁ。おそらくはあそこを使ってくるだろうな」

お姉さんの言葉に、魔導士さんがそう意見する。

「そうなると…やはり二面作戦は避けられませんね…」

「どの道ここに攻め込ませるんです。今回は二面ということでも思います」

サキュバスさんの不安げな表情に、兵長さんがそう言葉を次いだ。

 「魔族の様子は?」

一瞬の間を縫って、魔導士さんがお姉さんにそう尋ねる。

「魔族の連中は西部城塞へ集まってきている。数は…」

お姉さんがそう言いかけて、サキュバスさんを見やった。

「およそ、九千は…」

「うち、サキュバス族は八百ほどだそうだ。あたしが出れば、いかにサキュバス族とは言っても、それほど時間はかからないだろう」

「そうだな…そっちは、お前に任せよう。俺とサキュバスで魔導協会を叩けば、時間も短縮できるだろうが…向こうにも厄介なのが何人かいる」

お姉さんの言葉に、そう話す魔導士さんは、途中で黙ってチラっと目線を逸らした。

 その先には、零号ちゃんの姿がある。

 魔導士さんは、静かに言った。

「保険を用意しておく方が、確実だろう」

その言葉は、なんだか少し重たそうな心境があるように聞こえた。

 魔導士さん、まさか…

「…そうだな」

魔導士さんの言葉に、お姉さんはイスから立ち上がって腰から下げていた二本の剣のうちの一本を鞘ごと手に取って、それを零号ちゃんに差し出した。

「お姉ちゃん…?」

「持ってろ。もしものときは…剣から紋章を受け取って、使うんだ」

それを聞いた零号ちゃんは、少し戸惑いながらもその剣をそっと受け取る。

 キン、と言う金属の音を響かせて刀身を半分ほど抜いたところに、あの日零号ちゃんが腕に付けていた紋章が焼きついている。

 魔道士さんにとってこの紋章は、魔導士さんが助け出した十五号ちゃんを殺したのが零号ちゃんだと言う、揺るがない象徴だ。でも、魔導士さんはそんな力を零号ちゃんに戻すべきだ、ってそう思ってああ言ったんだろう。

 それは、やっぱり魔導士さんにとっては苦しくて重い決断だったに違いない。

 でもそんな私の心配を知っていたかのように、カシャン、と剣を鞘に戻した零号ちゃんは

「うん、私、やる。なるだけ殺さない方がいい、そうでしょ?」

とお姉さんの目を見て言った。それを聞いたお姉さんは、ニコっと悲しく笑って零号ちゃんの頭を撫でた。

「うん…本当なら、使わせたくないし…戦わせたくもないんだ…でも、ごめんな」

「…平気。私、みんなと一緒にいるの好きだから、それを守るために戦う」

お姉さんの言葉に、零号ちゃんはそう言って見せた。

 そんな零号ちゃんの言葉と表情に、お姉さんは唇を噛んで頷き、そして魔導士さんはどこか少し穏かな視線で零号ちゃんを見つめているような気がした。

 「…それで、人間軍は行軍の再開にどの程度掛かると見てる?」

お姉さんは気を取り直したように立ち上がって、魔導士さんを見やり聞く。

 すると魔道士さんは、さして考えもせずに

「王都から各所へ追加の糧食と医薬品が届くのに、もう一週間掛かる。その間に戦略転移方陣を描くと考えるなら、来週には魔界へ入るだろう」

と答えた。

「一週間…」

兵長さんが、そう呟くように言ってお姉さんを見やる。お姉さんはそんな兵長さんにコクっと頷いて言った。

「今日から一週間、東部城塞を交代で見張ろう。あそこへ来るのを妨害できれば、もっと時間が稼げる…その間に、城中にできる限りの結界魔法と罠魔法を掛けておけば、うまくいくはずだ」

「その必要はない。俺と十六号で感知魔法を仕掛けてくればそれで済む」

「そっか…そうだな、頼む

その言葉に、魔道士さんと十六号さんがそれぞれ頷いて見せる。

 それを確認したお姉さんは、大きく息を吸って、それからため息を吐きそうになったのをこらえるようにフンス、と鼻から息を吐いて私達に言った。

「それじゃぁ、すぐに準備に掛かろう。魔道士と大尉は、ケガの治療と、それから少し休んでくれ。黒豹と兵長、あんた達の指揮りで、隊長達と十六号達に魔法陣を描かせてくれよ。トロールも一緒に行って各階の通路を改造してくれ。竜娘と幼女に妖精ちゃんは、できる限り食い物を集めておいてくれ。篭城戦をするつもりはないけど、これから先、下手に外に食料を確保しには行けなくなるだろうか、な」

 そんなお姉さんの言葉に、私も、そして皆も返事をして、そしてそれぞれの持ち場に散って行った。



***



 その晩、あたしはいつも通りにお姉さんをベッドの中で待っていた。今日は、零号ちゃんも一緒だ。

 妖精さんは体を小さくして、もうベッドに潜り込んでいる。

 零号ちゃんも、半分眠ってしまっているようなものなのに、それでもムニャムニャと言いながらなんとか意識を保ってお姉さんがお風呂から戻って来るのを待っている。

 話し合いは早くに終わったみたいだったから、もう時期戻ってくると思うんだけど…

 あれから私達はお城の各場所に散らばって、人間と魔族の軍勢を待ち受けるための準備に急いだ。

 魔道士さんが主導で十六号さん達が城壁の外に結界魔法や罠の魔法を張り巡らせ、トロールさんがお城の中の構造を作り変え、私は妖精さん、それに隊長さん達とお城の中の準備をしていた。

 トロールさんの土の魔法で通路を一本道にしたり、分かれ道の先を行き止まりにしたりすれば、それだけ敵を誘導しやすい。魔道士さん達が罠の魔法をちりばめた部屋も作ったし、一本道の先をほんの少し広い場所に繋げば、そこで通路から出てくる人達を迎え撃つことが出来る。

 少人数のこっちがうまく戦うには、敵をなるだけ狭いところに引き込んで、囲んだり出来ないようにしてから叩くんだ、と言う隊長さんの考えだ。

 そこでケガくらいの攻撃をして、負傷した人達はまたその一本道を使って運び出していもらう。そうすれば、かなりの数の戦闘員の自由を割けるはずだ。

 問題は、魔道士さん達がやってくれている城壁の強化と防御がどれだけうまく機能するか、というところだ。城壁が壊れないように守ることが出来れば、お城の中はしばらく保つ。でも、もし破られて他の場所からお城に入ってくるようなことになったら、こっちも混乱してしまうだろう。そうなったら、さらに上の階へ引くしかない。

 私達が引き上げる通路も、一箇所にしてまたそこから一本道にすれば、なんとかなるだろうけど、上の階のことはそのときはまだ、お姉さん達が話し合っている最中だったから、どうなるのかは分からなかった。

 その話し合いが終わって、お姉さんはサキュバスさんと兵長さんとお風呂に向かったから、うん、やっぱりもう少しで部屋に戻って来てくれるだろう。

 大尉さんと竜娘ちゃんは、相変わらず書庫で何やら古い文献を調べている。

 たぶん、もしものときのあの計画には必要なことなんだろう。

 そんなことを思って、私は自分の両腕をギュッと抱き締める。出来るなら、上手く行かなかった後のことなんて私は考えたくはない。

 でも、それが必要かも知れないってことは、あの日のお姉さんを見ていて、私は理解していた。

 ガチャっと音がした。顔を上げるとそこには、廊下から漏れてくる明かりに照らされてタオルで髪を拭きながら部屋の中に入ってくるお姉さんの姿があった。

 「お姉さん」

私が声を掛けると、お姉さんはあぁ、なんて声をあげて

「まだ起きてたのか」

と、ベッドまでやってきてトスっと腰を下ろして私の頭を撫でてくれる。

「ん…むにゅ…お姉ちゃん、来たぁ…?」

零号ちゃんも、眠そうな目をこすりながらそんなことを言って、お姉さんにグッと腕を伸ばした。

 「分かった分かった、ちょっと待てよ」

お姉さんはそう言って一旦ベッドから立ち上がると、二、三歩離れてフワリと風を起こした。

 その風はお姉さんのモシャモシャの髪を掻き上げ、程なくして止む。

 パサリと肩に掛った髪に手櫛を通しながらベッドまで戻って来たお姉さんは、私を下敷きにしないように腕を支えながら、ベッドにゴロンと転げて私と零号ちゃんの間に収まった。

 零号ちゃんはすぐにお姉さんにしがみつき、ニンマリと笑顔を浮かべているような表情で目を閉じる。私もお姉さんに身を寄せて、ふぅ、とため息を吐いていた。

 お姉さんの暖かな体温が、私をホッと安心させてくれる。いろんなことが渦巻いていた頭の中が空っぽになって、詰まるようだった胸がすいて、穏やかな心地に満たされる。

「お姉さん、今日もお疲れ様」

私は、お姉さんにそう声をかけてあげた。

 するとお姉さんはクスっと笑顔を見せて、片腕で私をキュッと抱きしめてくれる。

「話し合い、どうなった?」

零号ちゃんが眠そうな声色で、お姉さんにそう尋ねる。

「うん、大詰めかな。サキュバス族と魔導協会を叩いたあとの戦いの持って行き方で、悩んでる。あたしが首を差し出せばいいんだろうけど、そうもいかないから、別の案を考え中だ」

お姉さんがそう言うと、零号ちゃんは聞いていたんだか分からない様子で

「ふぅん」

と、鼻を鳴らした。

 そんな零号ちゃんの反応に苦笑いを浮かべたお姉さんの手が私の頭に乗って、ポンポン、とゆったりとした刻みで撫で始めた。

 それにまた、言い様のない心地よさを感じていたら、お姉さんが静かに言った。

「ありがとうな…こうして居てくれて…」

私はその言葉の意味が分からずに、ふと、お姉さんを見上げていた。

 そこにあったらお姉さんの表情は、その瞬間だけはこれまで見たどんなときよりも、優しくて、穏やかで…そして、幸せそうに、私には見えた。

「あんたが居てくれるおかげで…あたしは、ここに居られる。怖さと戦える…」

 お姉さんはそう言って、不意に、その目尻に涙を浮かべた。

 私はそのときになって、ようやくお姉さんの異変に気がついていた。

 その表情から感じられるのは、何か、押し殺したみたいな感覚だ。何かを一生懸命に我慢して、堪えてる。

「お姉さん…どうしたの?」

私は、思わずそう聞いた。でも、お姉さんは相変わらずその無理やりな笑顔を浮かべて

「うん…?何が?」

と聞き返してきた。

 そんなお姉さんの様子に、私はギュッと胸が痛くなる。

 きっと、話し合いでまた、いろんなことを考えちゃったんだろう。いろんなことに向き合わなきゃいけなかったんだろう。

 私は、そう思ってお姉さんに言っていた。

「お姉さん…辛かったら、ちゃんと話して。私、畑以外は、お話を聞くくらいしか出来ないけど…でも、それでなら、お姉さんの役に立てると思うんだ」

 そう言った途端、ポロっと、お姉さんの目尻から一粒、涙がこぼれ落ちた。

無理矢理に作っていた笑顔が剥がれて、みるみるその表情が悲しく、切なげに曇り出す。

 私が胸の痛みに耐えかねてお姉さんの体にギュッとしがみくと、お姉さんは、ギュッと目をつむり唇を噛み締めてから、はぁとため息を吐いた。

 そして、クタッと体の力を抜いて、ポツリと言った。

「あたし、怖いよ」

「怖い…?」

お姉さんの言葉に、私は思わずそう聞き返す。

 すると、お姉さんはコクリと頷いて口を開いた。

「あたし…怖いよ…これから起こる戦争が。今までで一番怖い…どうあっても、あたしは人間も魔族も傷つけなきゃいけないから…それも、魔族と人間が手を組んだ総力に斬り込んで、だ…それそのものが、人間と魔族、両方への裏切りになる。きっと、本当にあたしの味方はあんた達だけになるかもしれない…それが、怖いよ」

お姉さんの手が頭から滑り降りてきて、私の手に優しく触れた。私は、思わずそれをギュッと握りしめてあげていた。

「どうして…こんなことになっちゃったのかなぁ…あたし、みんなが平和に暮らせるように、って、そう思ってなんとか間を取り持とうとしてきたのに…気が付いたら、あたしが敵だ、っていうんだ。そんなのって…あるかよ…」

お姉さんの目から、ポロっと涙が溢れた。

「ただ、利用され続けてきだだけだったんじゃないか、ってそんな気がする。結局あたしは…平和のためにその身を犠牲にしなきゃいけない、勇者で魔王なんだ…そう考えてみたら当然だよな。人間は魔王を討ち倒したい、魔族は勇者を倒したい…そうすれば平和になるって、これまでずっと戦争をやってきたんだ。その両方をやってるあたしがその役目を引き受けるのは…さ」

お姉さんの話は、あまりにも取り留めがなかった。

 私は、お姉さんに人間や魔族に裏切り者と呼ばれることが怖いって気持ちがあるのは知っていた。お姉さんがずっと平和のためにって考えて、新しい事を始めようとしていたのも分かっている。

 そして、お姉さんの…ううん、私達の目の前に避けようのない戦いが迫っていることも理解できていた。

 でも、お姉さんは今、そんなことを思って泣いているんじゃないって、そう感じた。もちろん、お姉さんが話したひとつひとつのことはどれをとっても辛いこと。

 でもお姉さんはそのことが辛くて泣いてるんじゃない…

 私は、お姉さんの体に擦り寄って、静かに言った。

「お姉さん…大丈夫だよ…。お姉さんがしてきたことは、何一つ間違ってなかった。私はずっとお姉さんのそばに居たから分かるよ。お姉さんはいつだって、人間と魔族、両方の幸せを考えてやってきた。これは、お姉さんの失敗なんかじゃない。たぶん…私達が思っていた以上に、人間も魔族も愚かで、憎しみを捨てられる強さを持っていなかっただけなんだと思う…それは、私達のせいじゃない…お姉さんが間違ったからでもない…きっと、古の勇者様が、その憎しみや怒りに向き合えなかったからなんだと思う…お姉さんの失敗なんかじゃないよ…」

それは、やっぱり私の中で変わらない結論だった。昼間、隊長さんと畑で話したことだ。それを拭うために、お姉さんは出来る限りの事をしてきたと思う。

 魔界から人間を追い払って、攻めてきた人間軍を無傷で追い返して、人間にさらわれた竜娘ちゃんを助けに行かせてくれて、魔界の秩序を保つために、魔王城や魔族軍の再編成を図った。

 だけど、大地を歪め、あんなに高い中央山脈を作り上げることが出来るくらいの力があるかも知れないお姉さんの力を以ってしても、拭うことの出来ない怒りと憎しみが人間と魔族の間にあっただけなんだ…

 ギュッと、お姉さんの手に力がこもった。そんなお姉さんが、絞り出すように言った。

「悔しいよ…あたし…悔しい……」

そう…たぶんそれが、お姉さんの本心だったんだろう。私は、お姉さんのその言葉にギュッと胸を締め付けられるのを感じながら、お姉さんの手を握り返して言った。

「私も、悔しい…悔しいよ…」

気がつけば、私の頬も涙で濡れていた。

 本当なら、あのお芋畑で魔族や、私達に味方してくれた人間達と一緒に収穫をして、また次の作物を植えて…もっと畑を広げたり、違う種類の作物を考えたりして…きっとそれが、魔族と人間が一緒になれる機会になるって、畑を作っているときにはそう思えたのに。

 魔族の暮らしのいいところと、人間の暮らしのいいところを合わせて、魔族のでも人間のでもない、新しい暮らし方が考えられるかも知れないって、そう、思えたのに…

 一度溢れ出した涙はとどまることを知らずに次から次へと溢れてくる。

 そうして私はその晩、お姉さんと一緒に、泣きながらベッドで眠りに落ちて居た。





 それから、一週間が経った。

 お城の迎撃準備も終わり、私達は“そのとき”が来るまでの間の時間を、出来るだけ穏やかに過ごそうと、そう決めた。

 これから始まるのは、けして勝ってはいけない戦いだ。

 魔導協会とサキュバス族を掃討したらその後は、この城を破壊して、そして私達はどこか人里離れた場所に転移する…そして、そこでしばらくは世界の動きを見ながら生活をする、って言うのがお姉さんの考えだ。なんの解決策にもなっていない。

 でも、こんな状況で、相手を全滅させることも避けて、私達が…何よりお姉さん自身が死んでしまう事も避ける、良い方法だと思う。これで終わりじゃないし、終わりになんてさせない、って言うのがお姉さんの思いなんだ。

 上手く運べば、私達もそれが一番だって、そう思う。

 「よーし、焼けたぞ!」

「うはぁっ!旨そうだ!俺、この大きいやつな!」

「なんだっけ、この野菜…えと、パ、パ、パ…」

「パプリカです」

「あぁ、そうそう、パプリカ!これ、魔界にも似たようなのがあるんだよ、アマトウ、って言うんだ」

「あたしも!あたしもオイシイする!」

「ほら、十九号、熱いから、ちゃんと冷まして食べるんだぞ」

 そんなみんなの楽しそうな声が、お城の中庭に響く。

 今日のお昼ご飯は、隊長さんの発案でこうして中庭でバーベキューだ。そのために朝から食材を切ったり、中庭に麻布で庇を作ったりして準備をしてきた。

 魔族の人たちは、バーベキューってなんだ?って、首を傾げていたけど、外で料理をして、みんなでワイワイしながら食べるんだ、って説明したら

「野掛けみたいなものだね」

なんて言っていた。

 魔族の人たちにとってはこうして外で調理して食べることは珍しくないようで、何がそんなに特別か、なんて不思議がっていたけど、隊長さんがお酒を持ち出したりしたら、ようやくどういうものかが分かってもらえたらしく

「なるほど、野掛けっていうより、祭りだな」

と言って顔を見合わせ、ウンウン、と頷いていた。

 何はともあれ、最近はみんなで集まってもどこか湿っぽい雰囲気がつきまとっていたから、こういうのは私も大歓迎だ。

「あぁぁ!十六姉!それ、俺の肉!」

「こういうのは早いもの勝ちだ!アタシはこれを十八号と半分ずつにして食べるんだから!」

「のんびりしているのがいけない。十六姉さん、はやく分けて」

狙っていたお肉を取られた十七号くんが、十八号さんと一緒になって大きなお肉を分けている十六号さんにそう訴えている。

「お前ら、野菜もちゃんと食えよ。ほら、十九号、二十号、良く噛んで食べるんだぞ」

そんなすぐ横で、小さなイスとテーブルに着いた十九号ちゃんと二十号ちゃんに、珍しくマントを脱いでいる魔導士さんが、野菜やお肉の乗ったお皿を並べて言った。

 「お姉ちゃん!私も食べたい!どうするの?どうしたらいいの?」

「んん?焼けてるヤツを取っていいんだぞ。あぁ、あんたもちゃんと野菜食べなきゃダメだからな」

「分かった!これ!これ食べる!」

「あぁっ!待てって、それまだ生だから!」

零号ちゃんはこういうことが初めてなのか、随分と興奮してそんなことをお姉さんと言い合っている。

 そんな零号ちゃんの横に鬼の戦士さんがやってきて、

「お肉は焼けたら色が変わるんだよ。赤いのは、まだ焼けてないの。お野菜は…シワシワになった物から取ろううね」

なんて優しく教えてあげている。

 「んはぁぁぁぁ!やっぱ、酒だよなぁ!こう、暑い日はさ!」

女戦士さんが木製のジョッキを空にして誰ともなしにそんなことを言った。

 それを虎の小隊長さんが

「お前さんは本当に良く飲むな」

なんて笑って言っている。

「迷惑なんですよね、いつも。ちょっと控えるように言ってもらえません?」

そんな小隊長さんに、女剣士さんがそう言って笑った。

 「皆様、追加の食材、お持ちしましたよ」

そんな様子を妖精さんと見ていたら、お城の出入り口からサキュバスさんと兵長さん、黒豹さんが大きなトレイに山盛りのお肉や野菜を乗せて現れた。

「はは、待ってたよ!そこ置いて!」

「魔王様はどうぞお座りになっていてください。あとは私が」

「何言ってんだ!ベーべキューの焼き役は、主たる者の勤めだぞ!あと、大鍋料理のときもな!」

食材を持ってきたサキュバスさんの言葉に、お姉さんはそう言い返して豪快に笑う。

 それを聞いた黒豹さんが

「つまり…この“ばあべきゅう”とは、主から臣下への恩賞か何か、ということなのか?」

と兵長さんに聞く。

 それを聞いた兵長さんはクスっと笑って

「そんなに畏まったものではない。このような場においては、焼き役を率先して引き受け、皆の食事を支えることが一種の矜持なのだ」

と説明した。それを受けた黒豹さんはしきりに感心した表情で

「なるほど…やはり、祭りと似た要素があるな。獣人族の祭りでは、族長が臣下に酒を注いで回る作法があるのだが、それと同じようなものか…」

とひとりでウンウン、と頷いている。

 それもちょっと違うんじゃないかな…なんて思っていたら、兵長さんと目があったので、なんだかお互いに苦笑いを浮かべてしまっていた。

 「ちょっとぉ、隊長!こっちもお酒!」

キンキン声で、大尉さんが隊長さんにそういうのが聞こえて振り返った。

 隊長さんはすでになんだか赤ら顔で

「あぁん?うるせえやつだな、飲みたかったら自分で取りに来やがれ!」

なんて、とても上官に向かっての言葉じゃないような口調でそう言う。それを聞いた女戦士さんも

「そうだぞぉ、大尉!上官だからって威張るな!生意気に!」

と、ヘラヘラっとして大尉さんにそう言った。

「威張ってないし!生意気でもないし!」

大尉さんはほっぺたをプリプリさせながら、それでも自分でジョッキを持って、隊長さんのところまでお酒を取りに行っている。

 た、大尉さん、って、本当に上官なのかな…?あんまり皆に尊敬されたりしてるように見えないけど…い、いや、でも、あんな軽口を利いても平気なほどにしたわれてる、ってそういうことだよね、うん。きっとそうだ…

 「そういや、トロール!あんた、大丈夫か?」

不意に、そうお姉さんが声をあげた。

 その視線の先には、庇の隅っこで、頭に手ぬぐいを乗せて倒れている人間の姿になったトロールさんがいる。

「うぅ…まだ、クラクラする…」

「そっかぁ。おい、零号!井戸水組んで、手ぬぐい冷やし直してやってくれよ!」

そんなトロールさんの言葉を聞いて、お姉さんはそばにいた零号ちゃんにそう頼む。

「うん、分かった!」

零号ちゃんは言うが早いか、井戸の方へとピュンと駆け出した。

 トロールさんは朝から人間の姿になって、あれこれと一緒に手伝いをしてくれていたんだけれど、普段、日の光に当たりなれていないせいか、作業の途中であんなことになってしまっていた。

 トロールさんの姿でいるときは日に当たると乾燥した地面がひび割れてしまうのと同じように、あの鎧のような体を維持するには負担になってしまうんだ、って聞いたけど人間に戻っても倒れちゃうんじゃ、あんまり変わらない。

 そんなトロールさんの横では、竜娘ちゃんがその様子を見ている。

 いつもは涼しげな竜娘ちゃんも、今日ばかりはどこか笑顔を浮かべているように、私には見えていた。

 そんな中にいる私も、もちろん楽しめていないワケはなかった。こんな気分は、本当に久しぶりだ。

 嬉しいのとも、穏やかなのとも違う。ただひたすらに、楽しい、ってそんな感覚だ。

「人間の人達は面白いことをするよね」

妖精さんが、大きなお肉を食みながら私にそんなことを言ってくる。

「こんなこと、そんなにしょっちゅうやってるわけじゃないけどね…でも、作物の収穫の時期とかには、必ずやるんだよ!」

私が言ったら、妖精さんはクスクスっと笑って

「それだったら、私も人間の世界に住んでも良いかな。まだ、知らない人は少し怖いけど…なんだか、なれたら楽しそう」

なんて言ってくれた。

 本当にそうだと思う。

 私だって、魔界の暮らしが退屈だとか悪いものだとか思った試しはない。

 そりゃぁ、最初は戸惑うこともたくさんあったけど、それでも、日々の楽しみ方とか、それこそ、このお城全体がそうなように、自然を楽しむなんてことは、今まで考えたこともなかった。

「ほらほら、もっと食えよ!余らせちゃったら、全部十九号に食われちゃうぞ!」

不意にそんなことを言いながらお姉さんがやってきて、私たちのお皿にお肉や野菜を大盛りに盛り付けた。

 そこに零号ちゃんがやってきて、隊長さんが作ったんだ、と言う特製のソースをたっぷりと掛けてくれる。ガーリックと、それから塩と胡椒なんかが利いた美味しいソースなんだ。

 私は香ばしく焼けたタマネギを頬張って、それからフォークでお肉を差して零号ちゃんにも「あーん」と食べさせて上げる。

 零号ちゃんはお肉をほおばるなり、なんだか幸せそうな笑顔を見せてくれた。

 私達はお肉も優しもお腹いっぱいに食べて、とにかく騒いだ。

 ようやくすこし落ち着いてきて、私は妖精さんと庇の下で、キンキンに冷えた果汁水を楽しんでいた。

「いやぁ、お腹いっぱい」

妖精さんがポンポン、とお腹を叩きながらそんなことを言っている。

 隊長さん達は相変わらずお酒を飲みながらギャーギャーと大騒ぎをしているし、十六号さん達は井戸の方に行ってなにやらコソコソとやっていた。トロールさんもようやく体調が戻ったみたいで、残りのお肉や野菜を食べ始めているところだった。

 お姉さんも流石にお腹が空いたのか、サキュバスさんと焼き役を代わって、立ったまんまで外に作った石のグリルのそばで焼きあがったお肉と野菜を次から次へと口に運んでいる。

 兵長さんと黒豹さんは、使い終えたトレイやお皿なんかをテキパキとまとめる作業に入っていた。

 私はそんな様子を見ていて、手伝ってあげなきゃな、なんて思って立ち上がろうとしたら、突然にどこからか飛んできた冷たい何かが背中に当たって

「ひゃっ!」

と声を上げてしまった。

 見れば、十六号さんたちが手に何かを持って、こちらに迫ってきていた。

「わ、水打ちだ!」

そんな十六号さんたちを見た妖精さんがそう声を上げる。水打ち、って、あの手に持ってる棒みたいな物のこと?

 そんなことを思っていたら、

「うりゃっ!」

と十七号くんの掛け声と共に、棒の様なその水打ちから、ピュっと水が飛び出してきて、私の顔に掛かった。

 「もう!なにそれ!」

私がそう声をあげたら、十六号さんと十七号くんはピュゥっと駆け足で井戸の方へと逃げていく。

 そんな二人を見送った十八号さんが、誰もいないところにピュっと水を打ち出しながら

「虎の小隊長さんに聞いて作ってみたの。これで遊ぼうよ」

なんて言ってくれた。

「私も作るですよ!ほら、人間ちゃんも作ってやり返すです!」

妖精さんはすかさずそう言って、私の手を引っ張って立ち上がった。

 十八号さんに連れられていくと、そこには節くれた棒の様な物を切っている小隊長さんと、それを目をキラキラと輝かせて見ている零号ちゃんの姿があった。

「お、指揮官殿も来たな!」

小隊長さんはそういうなり、私と妖精さん、それに零号ちゃんに、その節くれた棒を切った物を手渡してくれる。

「いいか、この先の穴が空いたところを水につけて、この細い棒を引っ張って水を中に吸い込むんだ。そしたらあとは狙いを定めて押してやれば、水が飛び出る」

 小隊長さんの説明を聞いて、私と零号ちゃんはスコスコと節くれの棒の中から飛び出していた一回り細い棒を出し入れして顔を見合わせる。

 そんなことをしていたら、また背後からピュっと水を引っ掛けられた。

 「もう!ずるいよ!」

私はそういきりたって、零号ちゃんと妖精さんに十八号ちゃんを見やって

「仕返しに行こう!」

と駆け出した。

 井戸のところにあったバケツに水が溜まっていたので、それを吸い込んで十六号さんの後を追いかける。

 私はその背中に向かって水を打ち出した。

「ひゃぁぁっ!」

と悲鳴をあげて、十六号さんが飛び上がった。

 井戸水は川の水なんかよりも一層冷たいから、こんな暑い中で掛けられたらそれ以上に冷たく感じる。

 二回もかけられたもんね、もう一回掛け返してやらないと…!

 そんなことを思っていたら、ビュビュっと私の後頭部にちょっとした衝撃と冷たい感覚が走って

「ひぃっ!」

っと声を上げてしまう。

 振り返ったらそこには、妖精さんと零号ちゃんがニンマリした表情で立っていた。

「あ、ごめん、人間ちゃん!」

「間違えちゃった!」

なんて言う二人に、十七号くんと十八号ちゃんがさらに水を引っ掛ける。

 私達は競って井戸のところまで走って、水を吸い込んではお互いに掛け合いを始めた。

 「良し、十七号!行け!」

「任せろ、くらえ!」

「うわぁっ!何でアタシにかけるんだよ、この!」

「ちょっ!十六号ちゃん!私狙わないですよ!」

「幼女ちゃん、今度は一緒に十六お姉ちゃんを狙おう」

「うん、分かった!」

「うわっ!十八号、助けて!」

「ちょぉっ!あんた達こっちに飛ばすなよ!」

「あ、女戦士さん、ごめーん」

「十六号ちゃん、あんた謝る気ないだろ!よぉし、そっちがその気ならアタシだって考えがあるぞ!」

 そんな水の引っ掛け合いをしていたら、流れ弾の当たった女戦士さんが立ち上がって井戸までやってくると、バケツを抱えて私達を追いかけ始めた。

「うわぁぁっ!それナシ!ナシだよ!」

「ひ、ひるむな、打て打て!」

「うわっ、私、水吸わなきゃっ!誰か援護して欲しいです!」

「あっ!」

「へっ?うわぁぁぁ!!」

「あぁっ!女戦士さんが転けて十六号姉が水かぶった!」

 そんなことをしながら、私はとにかく笑った。

 十六号さんも、十七号くんも、十八号くんだって、零号ちゃんだって、皆笑顔だった。

 もちろん、酔っ払って千鳥足で私達を追い回す女戦士さんも、私達を見ていた隊長さん達や、兵長さんたち、竜娘ちゃんとトロールさん、魔導士さんもサキュバスさんもお姉さんもみんなお腹を抱えて笑っていた。

 私もそうだったし、きっとみんなもおんなじだっただろう。そのときばかりは、戦争や戦いのことなんて、忘れていた。

 楽しくて、楽しくて、そんなことを考える暇さえなかった。

 何日か前、十六号さんと眠るときに、ずっとこんな日が続けばいいのに、なんて思ったけど、そんなことを思うことすらなかった。

 ただただ純粋に、私は水かけ遊びが楽しくて気持ちよくって、お腹のそこから笑いながら、水を掛けたり掛けられたりして、私達はそろって日焼け防止という名目で着ていた長袖をずぶ濡れにさせて、それから水かけ遊びはやがて鬼ごっこになって、鬼ごっこが終わったら隠れんぼになって、とにかくその日は夕方暗くなるまで、目一杯、中庭で遊んで回った。

 お昼にいっぱい食べたから、と、夕ご飯はスープとパンで控えめにして、十六号さん達とお風呂に入った。

 ずっとずっと楽しい気分で、お城に戻ってからも、笑いっぱなしだし、ふざけっぱなしだった。

 そして、ようやく気持ちが落ち着いて来た頃には、私達ははしゃぎ疲れてすっかり眠くなってしまっていた。

 お姉さん達は夕飯のあとも、食堂でお酒を飲みながら話をしていて、私達も食堂の隅っこで十四号さんが持っていたカードで遊んでいたけれど、一人倒れ、二人倒れ、とみんなが眠りこけてしまい始めたので、会はようやくお開きになって、私は妖精さんと零号ちゃんとお姉さんと一緒に寝室に戻って、お姉さんと零号ちゃんと一緒のベッドに潜った。

 そして、翌朝早く、私達は魔導士さんの声で目覚めることになる。

 その魔導士さんの言葉は、私はもちろん、みんなの胸をギュッと締め付けたに違いない。

「東城砦に仕掛けた魔法陣が反応した。恐らく人間軍が入城しただろう。迎え撃つ準備にかかるぞ」

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