第8話:魔王城の嵐(後編)

 ドサリ、とお姉さんの体が床に崩れ落ちた。その左胸には、血まみれになったダガーが突き立ったままだ。

「十三姉!」

十六号さんがそう叫んで、イスから飛びだし、師団長さんを蹴りつけた。

師団長さんは床を転がって行った先で体制を整えて着地する。

 「お姉さん!」

私もそう声をあげて、お姉さんに駆け寄ろうとするけれど、体が言うことを効かない。

 イスから降りたは良いものの、足に力が入らずに、床にぐしゃりと崩れ落ちてしまう。

 床に転がった私は、それでも、お姉さんを見つめた。

 お姉さんは、ゲホゲホと何度もむせ返りながら、身動き一つせずに床に転がったままだ。

 何がなんだか、もう私にはわからなかった。

 どうして?

 どうしてお姉さんが?

 どうして師団長さんがこんなことを…?

 お姉さん、お姉さん大丈夫…?

 しっかり…お姉さん、お姉さん、死んじゃイヤだよ…お姉さん…!

 私は動かない体に必死に力を込めて、お姉さんのそばまで這っていく。

 床は血まみれで、お姉さんはビクンビクンと体を震わせている。

「さすがに、人間の魔法陣を扱えるだけのことはありますね…毒を以ってしてここまでの身体能力とは…」

師団長さんがお腹のあたりをさすりながら、そう言う。

「妖精ちゃん!動ける!?」

「うぅ、ダメです…体が、おかしいです…!」

「くっ…師団長…なぜ、なぜこのようなことを…!」

十六号さんは何とかって様子で経って、師団長さんから私たちをかばうように立ってくれているけど、妖精さんもサキュバスさんも動けない。

 さっきのお茶に、毒が仕込まれていたんだ…

 お姉さんはその上に、ダガーで胸なんか刺されて…

 「お姉さん…お姉さん、しっかり…!」

 私は何とか体を動かして、お姉さんに縋り付くようにしてそばに寄り沿う。

 苦しげな表情のお姉さんが、私の手をギュッと握ってきた。

 でも、私には、その手を握り返すだけの力がない。

 また…また、私は何もできない…お姉さんを助けることも、お姉さんの力になることも、サキュバスさんや妖精さんを守ることすらできない…

 どうして…どうしてこんなことになっちゃうの…?

 お姉さんは…お姉さんはただ、世界を争いのない世界にしたかっただけなのに…だた、それだけなのに…

 「あんたぁ…!どうしてこんなことを!」

十六号さんの怒号が室内に響く。

すると、師団長さんは悲しげな表情で笑って言った。

「我ら一族は…この大陸の調和を守るための存在。そして、その調和のために、二つの紋章を盛った古の勇者の再来は、危険極まりないのです」

「それが…それが一族の決定だというのですか?!」

サキュバスさんが、体を震えさせながらイスから立ち上がり、師団長さんをにらみつけてそう聞いた。

 その質問に、師団長さんはうなずく。

「はい、姫様…残念ながら、そのお方は、我らの掟を破る者。排除し、魔王の紋章を返していただきます」

「あなたは…魔王様の言葉を信じていたわけではなのですか…?!私たちを、だましていたのですか!?」

「いえ…私は、魔王様を、これまでのどんな魔王よりも、魔族を愛し、その安寧を願われている方だと、そう思っていました…先代様が選ぶにふさわしい、立派な方でした」

サキュバスさんの質問に答えた師団長さんの目から、ハラリと涙がこぼれた。

 昨日の晩に、師団長さんは言っていた。

 お姉さんが魔族の王にふさわしい人だって、敬愛できる人だってそう言っていた。涙を流しながら言ったんだ。

 あれは、嘘なんかじゃなかった。

 師団長さんの本当の気持ちだった。

 …でも、師団長さんはその言葉の最後に言った。

 一族の習わしや、他の魔族の想いが同じとは言えないけど、って…

 もしかして、師団長さんは…最初からお姉さんを殺すためにこのお城にやってきて、私たちに信用されるように私たちの味方をしてくれて、あんなに気遣ってくれるようなことをしてきたの…?

 うそ…そんなの、うそだよ…!

「なんにしても、十三姉ちゃんを傷つけた罪は、その命で払ってもらうからな…!」

十六号さんが、そう呻いた。しかし、師団長さんは涙をぬぐって身構える。

「その体で、私とやり合えると思わぬことです」

でも、それを聞いた十六号さんが笑った。

「ハハ、そうでもないよ…人間の魔法ってのは、身体能力の強化だ…アタシらは、そのとびっきりのやつを十二兄ちゃんに仕込まれてる。要するに、だ」

十六号さんは、両腕を振って師団長さんの回りに幾重にも魔法陣を張り巡らせた。

 それは、今まで私が見たことのない魔法陣だ。

「バ、バカな!?毒を食らっても、これほどの力を!?」

「いや、毒は結構聞いたよ…でもな、身体強化ってのは、何も筋力を強くするばっかりじゃない。その気になれば、体から毒を排する力を高めることだってできるんだ!」

十六号さんはそう叫ぶと、突き出した両腕の手をギュッと握りこんだ。

「潰れちゃえよ、あんたさ!」

とたんに、師団長さんの周囲にあった魔法陣が、一斉に師団長さんに降りかかった。

 それは、まるで重い岩のようで、師団長さんは魔法陣一つ一つを体に受けるたびに、体を弾かれてまるで踊りでも踊っているかのように倒れることもなくその場でもんどりを打つ。

 でも、次の瞬間、十六号さんが何かに弾き飛ばされて、壁に激突した。見ると、私たちのすぐそばに師団長さんがいて、魔法陣に打たれていた方には誰の姿もなくなっている。

 もしかして今のは、光魔法…!?

「このぉ!」

十六号さんが壁を蹴って師団長さんに飛び掛かる。でも、師団長さんは両腕を前に振って室内に風を巻き起こした。それにあおられて十六号さんは別の方の壁へとたたきつけられる。

「くそっ…くそぉぉ!」

十六号さんがそう叫んだ。でも、壁にへばりついたようになった十六号さんは身動き一つしない。

 風の魔法で、壁に押し付けられているようだ。

「なかなか強力ですが…やはり、まだお若い。戦い方を知らないようですね」

 肩で息をしながらも師団長さんはそう言って、それから私とお姉さんのところまで歩いて来て、上から私たちを見下ろした。

 その眼は、悲しげな決意に満ちていた。

「やめて…師団長さん、お願い…お姉さんを、殺さないで…!」

私は、必死に体を動かして、お姉さんをかばうように覆いかぶさる。

 でも、師団長さんはそんな私を蹴り除けて、それから片腕をユラリと振り上げた。

「魔王様!」

「十三姉!くそっ…やめろ…やめろぉぉぉ!!!」

「お姉さん…やめて!!!」

 そんな私たちの絶叫が終わらないうちに、部屋にひときわ大きな雷鳴が鳴り響く。

 一瞬、目の前が真っ白になって、目を閉じてしまっていた。

 カツン、と足音が聞こえた。

「まったく、騒がしいと思えば、どうしてこうも厄介なことになってるんだろうな」

次いで響いてきたのは、抑揚のない単調な男の人の声。

 見上げればそこには、大きな背中。見覚えのある黒いマントに、色の薄い短い髪。

「ま、ま、魔導士、さん…?」

私は、思わずその名を呼んでいた。

 それに気が付いてくれたのか、魔導士さんは私を振り返ってニコリ、と初めて笑顔を見せてくれる。

「十二兄!」

十六号さんが、私たちのところに駆け寄ってくる。

「よくやった、十六号。まずまずの時間稼ぎだ」

そんな十六号さんに、魔導士さんが言う。

「手間かけさせる前にやっちゃおうと思ったのに…ごめん」

「奴はかなりの使い手だ。お前らなんかには手におえない。気にするな」

肩を落とした十六号さんの頭を、魔導士さんはそう言ってやさしく撫でた。

「手当できるか?」

「回復魔法はできない…でも、単純に活性させるだけなら、なんとかなる!」

「それでいい。そいつなら、それだけでも時期に自分で回復できるだけの力を取り戻せる。やれ」

魔導士さんと話をした十六号さんは、その言葉にうなずいて私とお姉さんのそばにやってくると、ひざまずいてお姉さんに両腕を掲げた。

 十六号さんの手の平の前に魔法陣が浮かび上がって、柔らかな光がお姉さんを包み込んでいく。

 回復魔法とは違うようだけど、それでもお姉さんの傷をいやすための魔法のようだ。

 良かった、お姉さん…!頑張って…!

 「なぜ…なぜ、ここが!?」

不意に、いつの間にか、部屋の反対まで追いやられ、体中から微かな煙をあげている師団長さんがそう呻き声をあげる。

「十六号とやりあったのが運の尽きだ。この一帯は、俺の感知魔法を敷いてある。お前ら魔族の魔法を感知できるかはいまいち確証はなかったが、打ち合わせどおりに、十六号が真っ先に攻撃魔法を使ったんでな。とんできてやったのさ」

 魔導士さんは師団長さんにそう言い放って、両腕に魔法陣を浮かべて見せた。 

 そして、怒りのこもった声で師団長さんに言った。

「で、今死ぬか?それとも、洗いざらい吐いて死ぬか?選ばせてやろう…」

でも、そんな師団長さんは、やがて何かを覚悟した笑みを浮かべて、膝から崩れ落ちるようにその場に項垂れた。

「あきらめた、か…」

そう言って、魔導士さんが腕から魔法陣を打ち消す。

 その時だった。

 部屋の向こうで項垂れていた師団長さんの回りに、光る魔法陣が姿を現した。

 あれ…あの魔法陣は…!

「まさか…!?転移魔法だと…!?逃げる気か!」

そう魔導士さんが呻いた次の瞬間、部屋にパパパっと閃光が瞬く。

 そして、その閃光の跡の光景を見て私は息をのんだ。

 なぜならそこには、師団長さんが逃げただなんてのとは全然違う、

 魔導協会のローブを羽織った人たちと、そして、その中に、私と背丈の変わらないくらいの、小さな子どもたちが何人もいる光景があったからだった。

「あの者達は…まさか…!」

「ああ…くそっ…どうしてこんなことになってやがる…」

サキュバスさんの言葉に、魔導士さんがそう吐き捨てた。

 そんなの…変だよ…どうして、どうしてサキュバス族の師団長さんが、魔導協会なんかと…?

「いつからだ…?」

魔導士さんが低い声で尋ねる。すると一団の中にいたあの神官の一族のオニババは不敵な笑みを浮かべて答えた。

「あなた方があの子を連れ去ってしまいましたのでね…魔界に残った一族と合議をして決定したのですよ。その二つの紋章をただの人間に持たせたままでいるのは危険である…そう結論されました」

「ふざけるな…貴様がそんなことのために動いていたとは思えない。本当の目的は?!」

「我々は、世界の調和を望む者。世界の均衡を保つ者。そして、二つの紋章を管理する者。いずれの条件をも満たす方法は、すでにあなたも考えているのではなくて?」

オニババの言葉に、魔導士さんが表情を歪めた。

「紋章とあの竜の娘を使って、世界を管理するつもりか…?!」

「ふふふ…ご名答。さすがに主席だったことはありますね」

そうか…そうなんだ。魔導協会が竜娘ちゃんを捕らえて、二つの紋章を欲しがった理由…

 それは二つの紋章を神官の一族の持ち物にして、その力で、世界の戦争を終わらせるつもりだったからなんだ…

「それで世界が平和だと…?寝言もほどほどにしておけよ…!」

「寝言とはずいぶんな言い様ですね。何も民草から自由な生活を奪うつもりはありませんよ。ただ、力を以って世界の平和に反する行為を抑止し、もし行動に移る者がいれば力を以って押さえ込む…何か問題があって?」

「それは圧政と何ら変わらない。貴様らは王に、いや、神にでもなるつもりか?!」

「それを神と言うのなら、そうなのでしょう。もっとも、私はそうは感じていませんが」

そう言ったオニババはニヤリと笑った。世界の平和のために、世界を秩序を守る役を、二つの紋章を使ってしようって言うんだ…

 サキュバス族がそれに賛成している、ってことは、一所に人間界の神官の一族とサキュバス族とが集まって、共同で紋章を管理するってことだろう…

 いい考えのように思えなくもない…少なくとも、戦争で大勢の人が死んでしまうよりは…

 私は、意外にもそんな事を考えてしまっていた。

 もし、神官の一族達が王制や魔界の統治する魔王って存在を脅かすつもりがないのなら…それはひとつの理想的な世界なのかもしれまい…

 でも…。

 私は傍らで苦しんでいるお姉さんを見やった。きっとお姉さんはそんなことには賛成しない。それこそ、そうしようと思えばやれてしまう力を持っているのがお姉さんだ。

 だけど、お姉さんはそれを絶対にしなかった。北部城塞の人間を切った以外では、魔族も、私達を攻撃して来た東部城塞の人達さえ、力を使わなかった。

 お姉さんにはもっと別の…違う平和な形を想像していたに違いないんだ。

「さて…無駄なおしゃべりで彼女の回復を待とうとされているのでしょうが、そうさせる訳には行きません。手早く片付けさせて頂きますよ」

「ちっ…!」

オニババの言葉に魔導士さんが身構えた。

「あの人を殺せば良いんですか?」

 不意にそう聞こえて全員の前に足を踏み出したのは、魔導協会で見た仮面の女の子だった。他の子ども達は顔の下半分だけ隠せるマウスだけど、あの子は違う。

 顔全体を覆うマスクで、目や顔は見て取れない。

 でも、確かなのはあの子が魔導士さんを圧倒する力を持っていることと、それに近い力を持っているかも知れない他の子ども達の姿だ。

 一対一でも勝てなかった魔導士さんが仮面の子の他に、別の子達と魔導協会のろーぶを纏った人達を一人でいっぺんに相手したって、勝てるとは思えない…

 そのことを十分理解しているんだろうオニババが答えた。

「ええ、まずはあの男を全力で片付けなさい。他の子ども達も手を貸しなさいね。戦力は圧倒的ですが、彼の底力は油断出来ませんからね…」

微かな衣擦れの音だけをさせて、小さな人影が前に出てくる。

 そのうちの一人は、あのときと同じ仮面をつけた子ども。

 そして、その子のほかにも、口元だけを隠すような仮面をつけた子ども達が5人もいる…

「いかにあなたと言えど、この子達と私達魔導協会の精鋭相手に、どの程度持つのでしょうか…?」

「くっ!」

オニババの言葉に、魔導士さんがそう歯噛みする。

「十二兄!アタシも…!」

「ダメだ!もしこいつらの…特にあの仮面の子どもの相手をできるのは、十三号だけだ。そいつを回復させない限り、俺たちに勝ちはない…」

「でも…!」

十六号さんの悲痛な叫びが部屋に響く。

 そう、この状態では、お姉さんの回復なんておぼつかない…せめて、妖精さんとサキュバスさんの毒がなければ、妖精さんに回復してもらって、十六号さんとサキュバスさんも戦えるのに…

 今の状況じゃ、私でもどうにもならないってことくらいは分かる…

 どうしよう…このままじゃ、みんなが…お姉さんが…!

 そう思っていたときだった。

 バタン、と扉が開いて、部屋にドカドカと激しい足音をさせて何人もの人がなだれ込んできた。

「あぁ、くそ…そっちは想定外だったな…」

呟くようなダミ声が聞こえる。

 そこに居たのは、隊長さんたち王下軍の元諜報部隊の面々と、そして虎の小隊長率いる魔族軍突撃部隊の人たちだった。

「お前ら…!」

「あぁ、連隊長殿。そこら中をうろついてた元近衛師団の連中は俺達の部下とほかの魔族軍のやつらに捕縛させた。どうやら、師団長殿のたくらみに関しては知らねえようだったが…まぁ、信用できやしねえよな」

隊長さんが魔導士さんにそう言って、腰に下げていた剣を抜いた。

「さて…近衛師団の相手をすりゃぁ良いと思って来てみれば魔導協会とは…こいつは、骨が折れそうだな」

「裏切り者同志が手を組んだ、ってわけか。いけ好かない」

「どっちが裏切り者かなんてわかりゃしないよ。そんな小さいことにこだわる必要なんてない。アタシ達は、城主サマの命を守るだけさ」

「そうね…混乱しているからこそ、私たちは私たちの信じる者を守りましょう…!」

虎の小隊長さんも、女戦士さんも、鬼の戦士さんも口々にそう言って剣や槍、斧を手にして構える。

 他の、顔を見たことがあるくらいしか知らない人間と魔族の軍人さんたちも、武器を引き抜いて魔導協会の人たちに向かって構えた。

「十六号!」

そんな支援を受けた魔導士さんが、不意に十六号さんの名を呼んで、そして怒鳴った。

「飛べ!」

それを聞いた十六号さんは、一瞬ハッとしたような表情を見せて、素早くサキュバスさんと妖精さんを自分のそばに抱き寄せた。

 それから、もう一方の腕で私とお姉さんを抱き込むと、目をつむって何かを念じはじめる。

 とたんに、床の上に私たちを囲むように魔法陣が現れた。

「転移魔法!」

「慌てることはありません。すぐに追えます。まずは、ここにいる反逆者たちを片付けましょう」

魔導協会の人とオニババの会話が聞こえた次の瞬間、目の前がパッと光って、私たちは星の輝く夜空の下に居た。

 あたりには青々とした草が生い茂り。あちこちに花がたくさん咲いている。

 ここって…確か、ボタンユリを取りに来た、あの場所だ…!

 私はそのことに気が付いて、顔をあげて遠くを見渡した。

 その先に、雷雲に覆われている魔王城の姿だけが見える。

 ここへ転移魔法で逃げて来て…魔導士さんたちが戦っている間に、お姉さんを回復させるつもりなんだ…

 私は、十六号さんと魔導士さんの考えがわかって我に返り、それまで庇っていたお姉さんを見る。

 お姉さんは、なおも弱弱しい呼吸をしていて、苦しそうだ。

 お姉さん、頑張って…今、十六号さんが治してくれるから、それまで…!

 でも、そんなときだった。パパッと目の前が光って、草原のその先に、二人の人影が姿を現した。

 それを見て、私は息が詰まるような感覚を覚える。

 それは、師団長さんと魔導協会のローブを羽織った男の人だった。

 「し、師団長…」

サキュバスさんが苦しそうにそう呻く。

「くそっ…!」

十六号さんもそう歯噛みした。

 十六号さんでは、師団長には勝てそうになかった。それに、今は戦えるのも回復ができるのも、十六号さん一人だけ…

 ダメだ…ここに来ても、なんの解決にもなってない…

 「十六号様…毒抜きの魔法は扱えますか?」

不意に、サキュバスさんが十六号さんに聞いた。

「え…?あ、はい…使えるけど…でも!」

「妖精様の毒抜きをお願いいたします…妖精様さえ魔法を扱えるようになれば、魔王様の回復を早められます」

「でも、毒抜きにも少し時間がかかる…あいつらが、そんなことをさせてくれそうもないだろ…?」

思わず、という感じで言葉を荒くした十六号さんがそう主張する。でも、そんな十六号さんにサキュバスさんが言った。

「大丈夫です…その間の足止めは、私が引き受けます…」

サキュバスさんは、そう言うなり体を震わせて立ち上がった。

「姫様…どうしても、邪魔をされるというのですか…?」

師団長さんが、そんなサキュバスさんに尋ねる。

 すると、サキュバスさんは苦しそうなその顔を、やおら力のない笑みに変えた。

「私は…死ぬつもりでした。先代様とともに、勇者にこの首を刎ねてもらうつもりでした。ですが、その勇者は、いえ、新たな魔王様はおっしゃいました。そばに侍り、ともに生きないか、と…師団長、あなたも存じているはずです。魔王様は、種族や思想、そんなものを見ているのではありません…この方は、常に、私たちの命を、私たちの存在そのものを考えてくれているのです。私は、その思いにこの命を救われました。そのときから、私の命は、魔王様の思いとともにあります。ですから…」

不意に、サキュバスさんの周囲に小さな風が舞った。

 背中の羽と頭の角が黒い霧になって空中に溶けていく。

 そして、サキュバスさんは…妖精さんや、あのときのトロールさんと同じ、“元”の人間の姿になって見せた。

「魔王様の命を取ろうとするのであれば、まずは私を殺して行きなさい…!」

「それが、姫様の答えなのですね…魔族の禁忌を犯し、一族の意志に背き、その者を守るというのですね…」

 サキュバスさんの言葉に、師団長さんはお姉さんを刺したあのダガーを片手に身構えた。

「姫様、残念ですが、仕方ありませんね…同胞のなさけです。一思いに、斬らせていただきます」

「ふふふ…残念なのは、あなたです、師団長…」

不意にサキュバスさんが笑った。

 次の瞬間、サキュバスさんの両肩が光りはじめる。

 そこには、魔導士さんが描くのによく似ている魔法陣が浮かび上がっていた。

 それは、魔導士さんが妖精さんやトロールさんに施したものと同じもの…人間の、身体強化の魔法陣だ。

「今の私は、あなたが良くご存じの私とは違うものと思われた方がよろしいですよ」

サキュバスさんがそう言った次の瞬間、すさまじいつむじ風が巻き起こって、魔導協会の人と師団長さんを包み込んだ。

 立っているだけでやっとに見えるのに…サキュバスさんが、こんな魔法を…!

「姫様…人間の魔法陣などを施して、ついには魔族までをも裏切るおつもりなのですね!」

つむじ風にまかれながら、師団長がそう叫ぶ。

 だけど、サキュバスさんの攻撃はそれでは終わらなかった。

 サキュバスさんはつぶさに右肩の紋章を光らせると、その腕から逆巻く炎を吐き出した。

 炎は旋風に巻き込まれるように吸い寄せられ、たちまち炎の渦になって師団長さん達を包み込む。

 肌が焼けそうな熱さが私の肌を襲った。

「なるほど…確かにこれは、強力ですね…!」

 突然、頭上から降りかかるような声が聞こえて私は思わず空を見上げた。

 そこには、両腕をほのかに光らせている師団長さんの姿がある。

 それに気付いた瞬間には師団長さんがその両腕を振るった。

 途端に、辺りの地面が盛り上がり、私達目掛けて殺到してくる。

 こ、これ…土の魔法!?

「くっ…!」

サキュバスさんはそう声を漏らして、震える両腕を大きく横向きに突き出した。

 サキュバスさんの腕から巻き起こった強風が、迫ってくる土の壁にぶつかって押し留める。その刹那、暗闇から一閃の何かがサキュバスさんに飛びかかった。

 魔導協会のローブの人…!

 それに気付いたサキュバスさんは身を捩って躱そうとする。

 でも、毒で体の自由の効かないサキュバスさんは避けきる事ができず、ローブの人の蹴りを直接下腹部に叩き込まれた。

「ぐっ…!」

苦しげなサキュバスさんの声が漏れる。

「サキュバス様!」

妖精さんが叫んだ。

 途端に、空から光筋が何本も降ってきて、ローブの人を追いかけるように這い回る。

 辺りに、火が燻ったような匂いが立ち込めた。

 今度は妖精さんの光魔法…!

「妖精ちゃん、動いちゃダメだ!まだ解毒出来てない!」

十六号さんが妖精さんにそう叫ぶ。

「でも、サキュバス様がやられちゃうですよ!」

妖精さんが十六号さんにそう怒鳴り返した。

蹴りをもらってしまったサキュバスさんは、脚を震わせてその場に膝を付く。

 それでも、なんとか土の壁を風の魔法で防いでくれていた。

 サキュバスさんは、人間の魔法で力を強化しているだけじゃない。

 魔導士さん達と同じように、人間の魔法を操ることも出来た。

 でも、それでも…今のサキュバスさんじゃ、やられてしまうのは時間の問題だ…毒もあって体がうまく動かないし、風の魔法も東の城塞で見たものよりも力がない。

 それなのに相手は二人…しかも師団長さんはサキュバス族の中でも一番の使い手で、大尉さんが言うには天才だって、話だ。

 もしかすると、毒のない状態でも人間の魔法がなければサキュバスさんの方が不利かもしれないのに…

 私はそう思って後ろを振り返った。

 そこには、十六号さんの治療魔法を受けている妖精さんが上半身を起こし、片腕を突き出して必死に月の光を使ってあの光の筋でローブの人へ攻撃を仕掛けている。

 妖精さんに治療を急がせるためには、サキュバスさんへの攻撃を誰かが防ぐ必要がある…

 でももう、それにかかりきになれるのは…私しかいない…

 そう思った私は、もう無我夢中だった。

 反応の鈍い体を引きずって、私はサキュバスさんの前に立った。

 砂漠の街で女騎士さんが買ってくれたダガーを腰のベルトから引き抜いて、体の正面で構える。

 使い方なんて分からない。

 こんな物で誰かを傷付けようだなんて思ったこともない。

 でも、でも…!

 今私が足止めをやらなかったら…お姉さんも、みんなも、大事なものを全部なくしてしまうようなそんな気がする…

 父さんや母さんのように…もう、手の届かないどこかに行ってしまう気がする…

 そんなのは…そんなのは、いやだ!

「人間様!お下がり下さい、危険です!」

 背後からサキュバスさんの声が聞こえる。

 でも私は振り返らなかった。ううん、毒のせいでそんな事をする余裕もない。

 ビリビリと全身が痺れて力も出ないし感覚も鈍い。

 正直、立っているだけで精一杯だけど…でも、私だって…私もみんなを守るんだ!

「どかない…!」

 私はそうとだけ叫んで、地上に降りてきた師団長さんを睨みつけた。

 洞窟にやって来た偽勇者さん達の前で私はただ、怒鳴ることしか出来なかった。今だってそれに変わりはない。

 だけど、それでもやらないよりはずっと良い!

「師団長さん、昨日の晩の話は嘘だったの!?」

私は声の限りに師団長さんに怒鳴った。

嘘ではなかった、って、お城でも言っていた。それは分かってる。

 でも今は、少しでも時間が必要だ…!

「嘘ではないと申しました…。私個人としては、魔王様を敬愛いたしております…」

師団長さんは少し沈んだ声で言った。

「それならどうしてこんなひどいことするの!?掟がそんなに大事なの!?昔の人が決めたわけの分からない決まりを守るためだけに、今を平和したしたいって気持ちを無視して傷付けて、何の意味があるの!?」

私の言葉に、師団長さんの表情が歪んだ。

「我々はこの大陸の調和を司る者!二つの紋章を持つその方が調和にとってどれほど危険か、お分かりになりませんか!?その方は、その気になれば大地を割り、空を引裂き、数多の命を奪ってもなお余りある力を持っているのですよ!?」

「お姉さんはその力を使いたがらなかった…使わせようとするのは、みんなお姉さんの願う平和な世界に相容れない、怒りに染まった人達だけじゃない!師団長さんだって同じ…!こんなことしなければ、お姉さんは戦いなんて望んでいない。支配しようなんてこれほども思っていない…!ただ、みんなが笑って暮らせる世界を作りたい…そう思っていただけなのに!」

「その方はそうであったとしても…それを継ぐものが同じとは限りません。人は痛みを忘れる生き物です。戦争を知らぬ者がその紋章を継げば、再び戦乱が起きるでしょう。しかも、今度は大陸の人々すべてが命を賭しても覆すことの出来ない巨大な力として、この大陸を荒らしましょう…それを防ぐ手立ては、我ら神官の一族の手に紋章を納め正しく管理する以外にありません」

「お姉さんを殺してまで紋章を奪おうって人達に、どうして平和なんて事が考えられるんですか!?正しく世界を管理するなんて、人を殺してまでそれを成そうとする人達になんて出来るはずない!」

 私は、負けなかった。

 負ける訳にはいかなかった。

 私は戦えない。

 相手をやっつけるだけの強力な魔法を使うことも、素早く無駄なくダガーを振るうことも出来ない。

 でも、そんな私が戦いの中でただひとつだけ出来ることがある。

 それは、話すことだ。

 説得するでも、理解してもらうでもない。

 お姉さんの意思を代弁する者として、お姉さんの思いを知る者として、お姉さんの気持ちを考えて、その思いをぶつける…

 たとえ届かなくても、たとえ聞いてもらえなくても…思えば私はずっとそうしてきた。

 戦いのときも、そうじゃないときも、お姉さんの思いを受けて、それを伝えて来た。

 畑の指揮官様の、唯一の武器で、唯一出来る抵抗だった。

「私は…私はこんな方法許さない…!例え世界が平和になっても…争いがなくなっても…!

 そんな物のために誰かが犠牲にならなきゃいけないんだったら…私の大事な人を殺されなきゃいけないのなら、私はそんな平和は要らない!」

師団長さんの表情はさらに厳しく曇る。

 迷っているんじゃない。

 私の言葉に言い返すことを考えている感じだ。

 言い返されたなら、さらに言い返してやればいい。

 長引けば長引くほど、師団長さんが私と戦おうとすればするほど、妖精さんの毒を抜く時間が稼げる…少しでも長く…少しでも、ほんの少しだけでも…!

「私だって…本当ならこんなことしたくはありません…ですが、掟なのです。この世界を保つための、我々の世界を壊さないための、決まりなのです!その方は、存在そのものが危険だということが、なぜ分からないのです!?」

「お姉さんを知っているんなら、敬愛しているのなら分かるはずです!お姉さんは世界を壊したりしない…世界を力で変えようなんてしない…!」

「では、魔王様が北部城塞で行った人間軍への攻撃はどうなります!?激情に駆られてあのような行為をする者に、世界を壊すほどの力を与えたままでいいと仰るのですか?」

「そのために、私達がいます…私達はお姉さんの意思を理解して、お姉さんと共にあります!あのとき、私はお姉さんを北部城塞にたった一人で行かせてしまった…だからお姉さんは怒りに飲まれてしまった…失敗だったと思います。私やサキュバスさんが一緒にいればあんなことにはならなかったはずです!」

「そんな仮定の話で納得出来ることではありません!現に、被害が出ているのです…同じ事が次起これば、世界が壊れてしまうかもしれない。それを防ぐには、この方法しかないのです…!」

急に、師団長さんの声のトーンが落ちた。

 戸惑っているんでも、困っているんでもない。

 あれは感情を圧し殺して、何かをやり遂げようとするための表情だ。

 ダメ…もう少し…もう少しだけ付き合って…!

「あのときの涙は…何だったんですか!?」

私の叫び声に、師団長さんは、いつだか、お姉さんが良く見せていたのに似た、あの悲しげな笑みを浮かべて言った。

「愛する主を殺さねばならない、家臣の涙ですよ」

ふわり、と辺りに風が吹いた。

 風魔法が…来る…!

 私はとっさに体を固くして襲って来るだろう衝撃に備える。

 そんなとき、私の目の前に何かが覆いかぶさってきた。

 柔らかな体が私を包む。

 これ…サキュバスさん…?

 ま、待って…サキュバスさん…何を…!?

 次瞬間、シュン、とまるで竹棒を振ったときのような風を切る音がいくつも耳に届き、そして、サキュバスさんが呻いた。

「かはっ…!」

ドサリと、サキュバスさんの体が私の上に降ってくる。

 支えようとするけれど、毒のせいで僅かにこらえることすらできずに私はその体に下敷きにされてしまった。

 ヌタっと生暖かい何かが手に触れる。

 これって…血…?

 サ、サ、サキュバス…さん…?

 私はサキュバスさんの下から這い出て、その顔を見やった。

 ゴボっと、サキュバスさんは苦しそうに血液を口から吐き出す。

 今の、風の魔法じゃなかったの…?

 風の魔法は、物を押し上げたりする魔法じゃないの…?

 どうして…どうしてこんなに、いっぱい、血が……?

「サキュバスさん!」

 私はサキュバスさんの体を抱きしめた。

 サキュバスさんの体のあちこちには切り刻まれたような傷跡があり、口から以上の血が流れ出している。

 サキュバスさん…私を庇って…!

「に、人間様…」

 サキュバスさんが震えるし唇を動かして私の名を呼んだ。

「サキュバスさん…!しっかりして!」

そう言った私に、サキュバスさんはクスっと笑顔を見せてくれて、言った。

「さすがの、名調子でございました…お見事でしたよ…」

ゴボっと、再びサキュバスさんの口から血が溢れ出す。

「ダメ…ダメだよ、サキュバスさん…喋らないで…お願い…!」

私は必死にサキュバスさんにそう言った。でも、サキュバスさんはまたニコリと笑って

「魔王様を、お願いいたします…ね…」

と私の目を見て言ってくる。

 やだ…いやだよサキュバスさん…!そんなの、そんな…死んじゃうみたいなこと言わないでよ…!

 私はいつの間にか溢れ出していた涙と鼻水なんて気にせずにサキュバスさん体にしがみついた。

 血を止めなきゃ…手当て…そう、手当てだ。ポーチの中に傷薬と包帯が入ってる。それで血を止めれば…きっと…

 そう思って私がポーチに手を掛けたとき、ザリっと土を踏む音がした。 

 顔をあげたらそこには、師団長さんの姿があった。

「申し訳ありません、姫様…」

師団長はそう、呟くように言って、両腕に風の魔法を纏わせた。

 もう、ダメなのかな…?

 間に合わないの…?

 お姉さんを助けるのも、サキュバスさんを守るのも…?

 私は、なんとか助けてほしい、とただそんな思いだけで、後ろにいる十六号さんを振り返った。

 十六号さんは、妖精さんに解毒魔法を掛けながら私をジッと見つめて言った。

 「まったく…慌てたじゃないかよ、バカ」

 えっ…?

 十六号さん、それ…どういう…

 そのときだった。

 メキっと鈍い音がした。

 ハッとして再び顔を上げるとそこには、肩の辺りに何かを食いこませた師団長さんの姿があった。

 ううん、何か、なんかじゃない。

 それは…

「遅いんだよ!十七号!」

 十六号さんがそう叫ぶのと同時に、十七号くんに踏みつけられた衝撃に耐えかねた師団長さんが地面に叩きつけられた。

 そんな師団長を足場にして、身を翻した十七号くんがスタッと降り立って、エヘン、と胸を張って言った。

「親衛隊、ただいま参上だ!」

 そんな言葉に、私の目からはボロボロっとさっき以上の涙が零れだしてきてしまっていた。

 そうだ、私たちと入れ違いでお風呂に行った十七号くんがまだいたんだ…きっと、魔導士さん達の様子を感じ取ってあの暖炉の部屋に戻り、そしてここへ来るように言われたに違いない。

「迷った…」

不意に、後ろの方からそんな静かな声が聞こえてきた。

 振り返るとそこには、十六号さんと妖精さん、お姉さんのそばに降り立った十八号ちゃんの姿がある。

 十八号ちゃんは、竜娘ちゃんの警護についていたはずなのに…どうしてここに…!?

「十八号ちゃん!?どうしてここに!?」

思わず叫んだ私の言葉に、十七号くんが

「十六姉が暴れたのを感じて、急いで十四兄ちゃん達のところに転移したんだ。その先で、探し当てるのに苦労しちゃってさ。遅れて、すまん!」

と答えてくれる。

 そうか…十七号くん、私たちの危機を感じ取って、竜娘ちゃんに着いて行った大尉さんや十八号ちゃん達に助けを求めに行ってくれたんだ…。

 「十八号、回復魔法行けるか?」

「うん、大丈夫…十三姉さん、ひどい傷…」

十六号さんに言われて、お姉さんを見下ろした十八号ちゃんの顔がみるみる怒りに歪む。

 でも、お姉さんもひどいけど…

「十八号ちゃん!サキュバスさんもひどいケガなの!」

 私はサキュバスさんを抱きしめてそう伝えた。

 ハッと顔をあげてくれた十八号ちゃんはパッと身を翻して私達のところまでやってくると、サキュバスさんの体に触れて、私ごとお姉さんのすぐそばに転移魔法で移動する。

 そしておもむろにお姉さんとサキュバスさんのそれぞれに片手を掲げると、その手をふわりと光らせた。

 これは…回復魔法…?

 妖精さんのとは違う感じがするけど…でも、よく似た温かい光…!

「…まだ残っていたのですね、勇者候補と言う子どもが…」

そう声がしたので見やると、上空からの十七号くんの蹴りで地面に叩きつけられていた師団長さんが起き上がり、目の前の十七号くんを見下ろしていた。

 二人が来てくれたけど…十六号さんは師団長さん相手に手も足も出なかったけど、二人で戦えれば、もしかしたらお姉さんの治療の時間は稼げるかも知れない…

 そんな思いが湧いてきた私の耳に、十六号さんのとんでもない一言が聞こえてきた。

「よし、十七号。そいつら潰すぞ。十三姉ちゃんの仇だ」

「よし来た、親衛隊を舐めんなよ!」

十六号さんの言葉に、十七号くんもそう言って腕を捲くる。

二人とも…師団長さんに勝つつもりなの…!?

 十六号さん一人じゃダメだったのに、二人揃ったからって、そんな…

「威勢がよろしいですね…ですが、先ほど私の相手にもならなかった方とその弟様が束になったところでどうなるものとも思えませんね…」

正直、師団長さんの言う事はもっともだ。

 あの力の差を見せられたら、勝てるとはとうてい思えない。

 でも、そんな私や師団長さんの言葉も裏腹に、十六号さんは言った。

「アタシは支援特化なんだよ。十七号は、戦闘特化。悪いね、裏切り者さん。アタシらの組み合わせは、十八号相手にするよりも厄介だから…」

不意に、パッと十七号くんが姿を消した。

 次の瞬間、師団長の右側から飛んできた十七号くんが、師団長さんの脇腹に重い蹴りをめり込ませてまた姿を消す。

 い、いったい、今の、何…?

「こ、これは…?!」

師団長さんが何かに気づいて辺りを見回した。それにつられて私も周囲に目をやると、そこにはあちこちに十六号さんが得意とする結界魔法の魔法陣が浮かび上がっていた。

 あれは確か、壁のように物や人を通さない、物理結界、というやつだ。

 でも、どうしてあれをあんなにたくさん、しかもあちこちにバラ撒くみたいに出現させているの…?

 今度は右から、十七号くんが師団長さんを蹴りつけて姿を消した。

 私はそれを見てようやく気がついた。

 十七号くんは、十六号さんが作り出している物理結界を壁にしてそれを蹴り、目に見えないくらいの速さで移動し続けてるんだ…!

「十七号!あっちの協会のやつもだ!」

「おぉし、任せろ!」

どこからともなく十六号さんの指示に答えた十七号くんが、ローブの人の頭を蹴っ飛ばして昏倒させる。

 その一撃で、ローブの人は地面に転がったっきり動かなくなった。

「くっ…小癪な…!」

師団長さんは顔に怒りを浮かべてそう言い放つと、腕に光を灯して十六さんや私達の方に向けて振り向けた。

 風が巻き起こって、辺りの草が舞い上がる。

 キンキンっと、金属同士がぶつかるような音がするのに気が付いて私が顔をあげると、半球状の結界が私達と十六号さんを包み込むようにして広がっていた。

 その結界に、しきりに何かが当たって弾けている音だ。

「なるほど…サキュバスさんをやったのは、風魔法と土魔法の合わせ技か」

十六号さんが感心したように漏らす。

「どういうこと?」

私が聞くと十六号さんは、ああ、と声をあげて

「石礫みたいなもんだ。土の魔法で石を操って、それを風魔法に乗せて打ち出してるんだ」

と教えてくれた。

 そうか…ものすごい勢いで飛んできた小石が、サキュバスさんの体にめり込んだり切り裂いたりしたから、こんな傷に…

 私はそう思って地面に倒れたまま、十八号ちゃんの回復魔法を受けているサキュバスさんを見下ろした。

 その石礫から、私を守ってくれたんだ…私は、サキュバスさんの優しさと想像してしまった痛みで、胸が詰まった。

「そっちが石礫なら、こっちは人間礫だ!」

再びどこからか声が聞こえたと思ったら十七号くんが師団長さんを蹴りつけて姿を消した。

 師団長さんはよろめき、いつの間にか肩で息をし始めている。

「アタシを攻撃したって無駄だよ。アタシの結界魔法は、十二兄のよりも硬いんだからな」

十六号さんがそう言ってニヤリ笑った。

 確かに今の状況で十六号さんを狙う師団長さんの考えは分かる。

 捉えられない程の速さでどこから攻撃してくれるか分からない十七号くんに攻撃を仕掛けて来るより、その足場を作り出している十六号さんを狙うほうがよっぽど簡単だ。

 でも、十六号さんの結界魔法は強力でそう簡単には破れない。

 十六号さんは、さっきは攻撃に転じなきゃいけなかったから歯が立たなかったけど、結界魔法で身を守っているだけならこうも簡単に師団長さんの攻撃を防いでみせた。

 でも、そうなったら次に狙われるのは…

「ならば…!」

師団長さんがそう言って今まで以上の光を腕に灯して、それを頭上高くに掲げた。

 そう、私達に攻撃を当てられないのなら、次に狙うのは十七号くんに決まっている…!

「十七号くん!」

私はとっさにそう声をあげる。

でも、そんな私の声に答えたのは十七号くんではなく、十六号さんだった。

「心配しなくても大丈夫だ」

そう言った十六号さんが、ピッと指先を動かしてみせた。

 すると、辺りに散らばっていた結界の魔法陣が師団長目掛けて殺到する。

 師団長さんはその結界を吹き飛ばしてしまいそうな程の強烈な風魔法を解き放った。

 辺りの草花が夜空へと舞い上がり、私達を守っている結界にはカツン、コツン、と石の弾ける微かな音がする。

 だけど、その強烈な風魔法のほとんどは殺到した結界魔法に当たって遮られ、行き場を失って師団長さんの周りに霧散した。

 そして、その魔法が消え切らない瞬間に、十七号くんの叫び声をあげる。

「これで仕舞いだ!」

十七号くんは私達を守っていた結界を蹴って師団長さんに飛び掛かり、まるで焼けた炭のように真っ赤に燃えているような拳を師団長さんの顔面に叩きつけた。

 師団長さんは十歩以上の距離を吹き飛ばされ、ドサッと大地に落ちたっきり、ピクリとも動かなくなった。

「よぉし、片付いたな」

十六号さんが、ふぅ、とため息をついて、結界魔法を解除した。

 私は…呆気に取られてしまっていた。

 ついさっきまで、師団長さんに殺されてしまうんじゃないかって…

 殺されてしまったとしても、お姉さんを守るんだ、ってそのくらいに思っていたのに…

 十七号くんと十八号ちゃんが来てくれて、十六号さんと十七号くんの連携攻撃が始まってまだほんの少しの間だったのに…

 わ、わ、わ、私達…助かっちゃった…!

「ふぅ、まぁ、これで十三姉の分はやり返せただろ」

そんな事を言いながら、十七号くんが私達のところにやってきた。

「十三姉の様子は?」

「心臓の再生は終わった。でも、血を流しすぎてる。もう少し、時間がかかる」

「そっか…」

十八号ちゃんとそう言葉を交わした十七号くんは、ふぅ、ともう一度息を吐いてどこかに視線を投げた。

 その先には、雷に照らし出されている魔王城があった。

 「十二兄、無事かな…」

「まぁ、大丈夫だろ。十二兄だって、十三姉ちゃんが戻らなけりゃ勝てないことくらいわかってる。なるべく時間を稼ぐ戦い方をしてるはずだ。それに、もし負けてたらこっちに押し寄せてきちゃってるだろ。やつらがアタシらを追って来てない、ってことは、まだ向こうで足止めできてんだろう」

心配げに呟いた十七号くんに、十六号さんがそう言って諌める。それから

「それより、手伝ってよ。妖精ちゃんと幼女ちゃんの毒抜きしなきゃ」

と私の方をみやって言ってくれた。

「おう、そうだな。妖精さんは俺がやるよ」

十七号くんは、そう言って妖精さんの傍らにしゃがみ込んで魔法陣を展開させる。

 私のところには、十六号さんがやってきて手をかざしてくれた。

 ふわり、と暖かな感覚がして、体の奥にジンジンと熱い何かが脈打ち始める。

 すると、体のしびれが少しずつ弱くなってくるのを私は感じた。

「これが、体の力を活性させる、って魔法?」

「あぁ、そうだよ。お風呂に入ってるみたいだろ?」

私の言葉に、十六号さんは笑ってそう聞いてきた。

 確かに、あの湯船につかっている感じによく似ている。

 体が芯から温まって、ドクン、ドクンと血が流れているのが感じられた。

 「うぅ、動けるようになってきたですよ…」

 妖精さんがそんなことを言ってむくりと体を起こした。

 そのころには、私もようやくしびれが取れて来て、手にも足にも力が戻ってきていた。立つのはまだ辛いけど、妖精さんのように座っているだけなら楽なものだ。

 「うっ…くっ…!」

 不意に、サキュバスさんが呻いたので私は驚いてサキュバスさんの顔を見る。

 すると、サキュバスさんは何かに戸惑っているような表情をしながら、ムクリ、と起き上った。

 良かった…回復魔法がちゃんと効いたんだね…

「…人間様、ご無事ですか…?」

 サキュバスさんは、キョロキョロとあたりを見回して何が起こったのかを把握したらしい。

 それからすぐに、まずは私にそう聞いてくれた。

「うん、大丈夫です。サキュバスさんこそ、もうどこも痛くないですか?」

「はい…命脈尽きたかとも思ってしまいましたが…なんとか無事のようですね」

サキュバスさんはそういうと、同じように十八号さんの魔法陣を向けられたお姉さんに目を落とした。

「魔王様の容体は…?」

「血が足りないから、もう少しだけ掛かる。増血は回復魔法じゃなくて、活性魔法で体の機能に頼らなきゃいけないから、時間が必要」

サキュバスさんの言葉に、十八号さんが静かに答えた。

 そんなとき、カサっと草のこすれる音が聞こえた。

 ハッとしてあたりを見回すと、吹き飛ばされた師団長さんが、ヨロヨロとその体を震わせながら起き上っている姿があった。

 私は、思わず体が緊張で固くなるのを感じた。

 胸が詰まって、息苦しくなる。

 そんな…師団長さん、まだ戦うつもり…?

「ちっ…なんだよ、ずいぶんと丈夫なやつだな」

十七号くんがそう言って半身に構える。

「何度やっても同じだろ…十四兄の考えたアタシらの連携は、そう簡単に破れないだろうからな」

私への活性魔法を解いた十六号さんも、ユラリと立ち上がって結界魔法を展開させた。

 「ここでやらねば…やらねばならないのです…」

師団長さんはそううわ言のように呟いて、腕に魔法の光をともした。

 その光は、腕から肩、そして師団長さんの体全体を覆っていく。

 ふと、私は、ビリビリと微かな振動を感じた。

 これ、震えてるの…?大地と、空気が…?

「あいつ…大規模法術を使う気か…?」

「いやぁ、大規模法術の力をアタシらに集中させよう、って腹だな。さすがに、結界で防ぎきれるか自信ない」

そう言った十六号さんは、さらに私たちの回りに何重にも重ねて結界を発動させる。

 それでも、伝わってくる振動はやむどころか、どんどん強くなっているように感じられた。

「十七号様、まだ戦えますか?」

「大丈夫だけど…サキュバスさん、そっちこそ平気なの?」

気が付けば、さっきまで座り込んだままだったサキュバスさんが何とか、と言った様子で立ち上がっていた。

「はい…あの者に、引導を渡す必要があります…魔王様に遣える身として…」

三人とも、師団長さんの攻撃を受け切って、反撃するつもりなんだ…

 そんなことをして…無事でいられるんだろうか…?

 あんな魔法は見たことがない。まるで、このあたり一帯の自然の力を師団長さんが操っているような、そんな迫力さえある。

 もしかしたら…十六号さんの結界では防ぎきれないかもしれない。

 師団長さんに攻撃を仕掛ける十七号くんが傷つくかもしれない。

 サキュバスさんが、また誰かをかばって、次は、もうどうしようもないくらいの傷を負わされてしまうかもしれない。

 でも、そんなことを考えたって、師団長さんはやる気だ。

 もうこうなったら私にできるのは、倒れて動けないお姉さんの盾になるくらいのものだ。

 私は、そう思ってお姉さんの体を庇おうと、師団長さんを睨みつけたまま体をその場に伏せた。

 途端に、ガクっと体が地面に崩れ落ちてしまう。

 私はハッとして、ようやくそこにあったはずのお姉さんの体がないことに気が付いた。

 次の瞬間、私の頭の上に、暖かで柔らかな、厚みのある何かがポンっと乗った。見上げるとそこには、血で服を真っ赤に染めた、お姉さんの立ち姿があった。

「お…お姉さん!」

私は、その姿に声を上げずにはいられなかった。

 そんな私に、お姉さんはチラリと目線を送ってくれて、血に濡れたその顔を、やおら優しい笑みに変えた。

「ありがとな」

お姉さんはそう言うと、ザリっと足を一歩踏み出した。

 「魔王様…!」

「十三姉!」

「十三姉ちゃん!」

サキュバスさんと十六号さん、十七号くんも振り返ってお姉さんの名を呼ぶ。

 お姉さんはそんな三人の肩を、私の頭にしたようにポン、ポンと優しく叩いて真っ直ぐに歩き、師団長さんの方へと近付いていく。

 「魔王…様…」

そして遂には、師団長さんまでもがそう言って、全身にまとわせていた魔法の光を消し、ガクリと脱力したようにその場に跪いた。

 そんな師団長さんのそばに歩み寄ったお姉さんは、なんのためらいもなく腰の剣を引き抜いて、師団長さんの首へと当てがう。

 師団長さんは抵抗する素振りも見せずに、ただ前えと首をもたげてその切っ先を受け入れている。

「言い残して置きたいことはないか、師団長」

お姉さんが低く暗い声色で言った。

 それを聞いた師団長は力なく首を横に振り、それからややあって微かに顔を上げ、囁くように言う。

「魔王様へ刃を向けたことに後悔はありません…ただ…」

師団長さんは、昨日の晩なんて比べ物にならないくらいの、まるで子どもが嗚咽を上げて泣いているようなくらいの涙を零しながら続けた。

「魔王様とその仲間の皆様の御心を傷付けたことは、罪深い行いであったと自覚しています」

師団長言い終えるとまた、スイっと首を前に差し出した。

「沙汰はお受けいたします…」

その言葉に、私は息を飲んだ。

 師団長さんは、確かに私達を裏切った。

 笑顔でお姉さん私達に近付いて信頼を得て、そして最初から機会を伺ってい、お姉さんを殺そうとした。

 私達の大切なお姉さんを傷付けたんだ。

 相応の罰を受けてほしい、って、そう思う部分もある。

 でも…、と私は考えていた。

 それは、怒りと憎しみだ。

 この世界を、大陸を、魔族と人間を狂わせて、殺し合いを続けさせている元凶。

 私達はそれを否定して新たな世界を…新しい平和を作ることが目的だったんじゃなかったんだろうか…?

 だとしたら、今私達がその感情に飲まれてはいけない…それは…この世界を再び戦いの続く世界へと歩ませる一歩のような気がした。

――お姉さん…待って!

 そう声を上げるべきなんじゃないか、と迷っていたそのとき、お姉さんが私を見た。

 その目は、あの魔族や人間の怒りや憎しみを一身に浴びた時に見せる悲しい表情だった。

 私はそれを見て、何かが吹っ切れたようにお姉さんの目を見つめ返して、首を横に振った。

 するとお姉さんは、すぐにニコリと表情を緩めて剣を鞘に納め、そして勇者の紋章を光らせると師団長さんの周りに魔法陣を描いて見せた。

「あんたの沙汰は、追って考えよう」

お姉さんがそう言うなり、魔法陣が師団長さんを中心に収束していき、その体をロープで縛り付けるようにして絡め取った。

「……いいのかよ、十三姉?」

十六号さんがそう聞く。するとお姉さんはまた笑顔を見せて、十六号さんに頷いてみせた。

「ああ、うん…今はそんな事を考えてる場合じゃないし、な」

お姉さんはそう返事をすると、チラッと魔王城の方を見やってから私達の方に戻ってきた。

 そしてお姉さんは、私たちをその両腕で一挙に抱き寄せてギュウギュウと力を込めてきた。

「お、お姉さん!?」

「ま、魔王様!?」

「魔王様…!苦しいです!」

「十三姉…」

「やめろよ、恥ずかしい…」

「十三姉さん…」

それぞれ悲鳴を上げた私達だったけど、そんな言葉を聞いていたのかどうなのか、お姉さんははっきりとした声色で私達に言ってくれた。

「あんた達…ありがとう。あたしを守ってくれて、無事でいてくれて、ありがとう…!」

そう言ったお姉さんの目からは、一筋の涙が零れ落ちていた。

 ありがとう、なんて、言われるようなことじゃない。

 私こそ、お姉さんにありがとうって、そう言いたい。

 生きててくれて、ありがとう、って。

 そんなお姉さんは、それでもすぐに涙をぬぐって立ち上がり言った。

「城に戻る。おそらく、相当ヤバイことになってるだろうけど…あとは、あたしが片を付ける。あんた達は、この子を守ることだけに全力で当たってくれ」

お姉さんはそれから私達一人ひとりを見やった。

 その言葉は、うれしい言葉だった。

 もしかしたら、遠ざけられるんじゃないか、ってそう思ったから。

 でも、お姉さんはきっとわかってくれているんだ。

 こんなときこそ、私たちはお姉さんのそばに居なきゃいけない。

 お姉さんを支えるために、お姉さんが感情に呑み込まれないように、声の届く場所に居なきゃいけないんだ。

 私達は、それぞれお姉さんにうなずき返す。

 それを見たお姉さんも、コクリとうなずいてから微かな笑みを浮かべて

「じゃぁ、行くぞ」

と手を伸ばしてきた。

 私はその手を握る。

 妖精さんとサキュバスさんがそれに続き、十六号さんに十七号くん、十八号ちゃんも加わった。

 私達の周囲に転移魔法の魔法陣が展開されて、パパパパッと目の前に閃光が瞬く。

 そして、次の瞬間には、私達はさっきまで時間を過ごしていた暖炉の部屋に戻ってきていた。

 でも、部屋の様子は全くと言っていいほど、あのときとは変わっていた。

 床にはあちこちに血しぶきが広がり、何人もの人が倒れている。

 ローブを来た魔導協会の人も、あの半分の仮面をつけた子ども達の姿もある。

 それだけじゃない。隊長さんの諜報部隊の隊員達や、虎の小隊長さん達の突撃部隊の人たちらしい姿。

 さらには、見たことのない軍装をした魔族の軍人さんらしい姿もあった。

 みんな、ここで戦ったんだ。

 私達を…お姉さんを追いかけさせないために、体を張って…

「ようやくのご帰還か…!」

そう声がした方を見やると部屋の隅に追いつめられるようにして、隊長さんと女戦士さん、そして鳥の剣士さんがいた。

 三人は、背後に控える血まみれの魔導士さんを守っているようだった。

 「サキュバス族の天才と呼ばれた彼女が、しくじりましたか…」

部屋の反対側には、オニババと、そして、魔導協会のローブを着た男の人が一人と、半分の仮面をつけた子どもが二人に、先頭にはあの仮面の子がいる。

 部屋中に転がっている人たちは、無事なんだろうか?

 鬼の戦士さんや、虎の小隊長、女剣士さんは床に突っ伏したままで、息をしているのかはわからない。

 ほかの魔族の人たちも、人間の人たちも、魔導協会や半分の仮面の子どもたちも、だ。

 「すまない…完全にあたしの油断だった」

お姉さんが申し訳なさそうにそう言う。

「なに…敵さんの作戦勝ちだ。気にすることはねえよ」

隊長さんがそう言って、大きく息を吐く。

「あとは、任せて良いな?」

息を荒げながら、魔導士さんがお姉さんに聞いた。

「あぁ。ケガ人の救助と手当を頼む」

お姉さんはそう言ってうなずくと、オニババ達の方へと一歩踏み出した。

 「さて…ただで帰れると思うなよ?」

お姉さんはそう言って、両腕の紋章を光らせる。

 赤と青の光がお姉さんを包み込み、体のあたりでは紫色になっているようにも見えた。

 その様子に、ローブの男と半分の仮面の子ども達が動揺するのがわかった。

 オニババまでもが微かに表情をゆがめて

「これが、二つの紋章を得た者の力、ですか…」

と口にしている。

 私は何度か見ているし、光だけを見て力がどれだけかなんて分からないから、驚いたりはしないけれど、やっぱり見る人が見れば、別世界の力なんだろう。

 でも、そんな様子のオニババに、仮面の子が言った。

「理事長様。あれが、敵?」

するとオニババは、すぐに気持ちを整え直したのか仮面の子に伝えた。

 「そうです。あの者が、あなたからすべてを奪った張本人。あの者を殺せば、本当のあなたが戻ってくるのですよ」

「そう…よかった」

仮面の子はそう返事をするなり、腰にさしていた剣を抜いて盾と一緒に構える。

 それから、小さな声で言った。

「ロ号、ヘ号。陽動を」

そう言われたのは、半分の仮面の子ども達だった。

 二人は慌てて剣を構えると、その腕に紋章を浮かび上がらせた。

 あれは…ふつうの人間魔法の紋章だ。

 あの仮面の子が付けていた勇者の紋章じゃない…。

 私は内心、少しだけ胸をなでおろしていた。

 あの半分の仮面の子たちまで勇者の紋章を持っていたりなんかしたら、さすがのお姉さんの苦戦するかもしれない、と心配していたからだ。

 「かかれ」

仮面の子がそう声を出した。

 とたんに、二人の半分の仮面の子たちがお姉さんに飛び掛かる。

 でも、お姉さんは素早く腕を振り上げて、二人に向けて中指を弾いて見せた。

 空中を跳ねてお姉さんに斬りかかろうとした二人は、あの見えない何かをたたきつけられて壁際へと弾け飛ぶ。

 しかしその後ろから、仮面の子がお姉さんに迫っていた。最初の二人とは速さが段違いで、お姉さんは一気に間合いを詰められる。

 でも、お姉さんはこれっぽっちも慌てたりしていなかった。

 即座に結界魔法を発動させて仮面の子の突進を受け取める。

「物理結界、無駄!」

仮面の子はそう言うなり剣を振って結界の魔法陣を切り裂いた。

「ちっ!」

お姉さんは舌打ちをすると、素早く半身に構えて、拳を握った右手に小さな魔法陣を浮かび上がらせてそれを突き出した。

 剣を振り終えたところだった仮面の子にその魔法陣が襲い掛かって激突し、仮面の子もまた壁際まで吹き飛ばされる。

 ドシン、と激しい音がして、仮面の子は壁に激突して床に崩れ落ちた。

 圧倒的だった。

 魔導士さんを苦しめたあの勇者の紋章を持つ仮面の子でさえ、ほとんどお姉さんの相手にすらなっていない。

 私が危険にさらされるような隙すらない。

 どう考えても、魔導協会の人たちに勝ち目なんてない。

 でも…私は、オニババの顔を見やって、これっぽっちも安心なんてできなかった。

 オニババは、不敵な笑みを浮かべて笑っていたからだった。

「大人しく引き上げて、これからもあたし達に構わない、っていうんなら、命だけは助けてやるぞ?」

お姉さんは静かにそう口にする。

 でも、オニババはそれを聞いて、クスっと笑った。

「あなたに、この子は斬れません。これ以上傷付けることもならないでしょう」

そう言ったオニババは、床に転がった仮面の子の手を無理やりに引っ張って立ち上がらせた。

「返せ…返せ…私を、返せ…!」

仮面の子はうわ言のようにそう言って呼吸も荒く肩を怒らせている。

 眉間に皺を寄せて、憎しみと怒りのこもった目で、お姉さんを睨み付けている。

 私は…私は、目の前で何が起こっているのかを理解できなかった。

 壁にたたきつけられた衝撃のせいで、仮面の子から、仮面が外れていた。

 そして、その下に見えたその顔は…何日か前に考えたオークと人間との間の子どもなんかじゃなかった。

「なんだよ…?どういう、ことだよ…?」

お姉さんが絶句した。

私も、喉が詰まって言葉なんて出ない。

 部屋全体が、その子の顔を見て、混乱してしまっている。

 それもそうだろう。だって、その顔は…まるで…

「そ、そのチビ…じゅ、十三姉…と…同じ…?」

十六号さんが詰まりながら、そう口にした。

 そう。

 仮面の下にあったのは、オークと人間の子なんじゃない。

 ましてや、他の誰かなんかでもない。

 私たちの目の前にいたのは、クセのある黒髪に、凛々しい眉に、強い意志を宿した黒い瞳。

 どれも、毎日見ている、誰よりも身近にある顔だった。

 その顔は、お姉さんそのものだった。

 私と同じくらいのちょうど十歳を過ぎたくらいに見える、子どもの頃のお姉さんはきっとこんなだろう、って、そう言うしかない顔を持つ子が、そこにはいた。

 「ど、どういう、ことだ…」

お姉さんが、そう口を開く。

 誰もが、そう思っているに違いなかった。

 それくらい、仮面の子は、お姉さんに似ていた。ううん、似ている、なんてものじゃない。

 本当に、それはお姉さんそのものだった。

 「魔王様に、妹君がいらっしゃったのですか…?」

サキュバスさんが呟くように言った。その言葉に、私はハッとする。

 そういえば、お姉さんが魔導協会に連れて行かれたときのことを話してくれたときに、お姉さんは妹が居た、と言っていた。

 家事で焼けて、両親と一緒に死んじゃったんだ、って、そんな話だったと思う。

 もしかして、その妹が生きていて、それで…?

 私はお姉さんを見やった。でも、お姉さんは首を横に振る。

「違う…あたしと妹は、三つしか違わなかったし…妹は、もっと髪の色も目の色も薄かった。顔も、父さんに似てた…あれは、妹じゃない…」

ち、違う、って言うなら、あの子はなんだって言うの…?

 妹じゃなきゃ、あんなに似ているなんてどう考えたって説明がつかない。

 でも、その言葉を聞いたサキュバスさんは息を飲んで言った。

「あなた…まさか、創生の禁術を…!?」

その視線は、魔導協会のオニババに向けられている。

 ソウセイの禁術…?

 それって、命の魔法の使ってはいけない力のこと…?

 確か、死体にゴーレムの魔法を掛けたりすることも出来るけど、してはいけないんだ、って話をしていたのは覚えているけど…

 それだって、あんなにお姉さんにそっくりな子どもが居る理由にはならない。

「どういうことだ、サキュバス…?」

お姉さんが、戸惑った様子のままにサキュバスさんに尋ねる。

しかし、それに答えたのはサキュバスさんではなく、微かに笑みを浮かべたオニババだった。

「創生の命魔法。つまりは、命を創り出す魔法ですよ」

「あなたは…!神にでもなったつもりですか!?」

「神?何を言います…これは私達神官の一族に伝えられし力。それを正しいことに使って、何を咎められるというのです?」

「おい、サキュバス…説明しろ!あの子どもは、何なんだ!」

オニババと言葉を交わしていたサキュバスさんに、もう一度お姉さんが声を上げた。

サキュバスさんは、グッと息を飲んで口を開く。

「創生の禁術は、命を紡ぐ魔法です…血や肉体の一部から、その持ち主を再生させる魔法…新たな命を生み出す、禁忌の魔法の一つです…」

 血や体を使って命を作る魔法…?

 そんなことが、出来るの…?

 だって、人間は植物じゃない。

 植物なら、一つの木から採った枝を挿し木にすればそのまままた木になるものだってあるけど、人間がそんな風になるなんて想像がつかない。

 でも、もし、もしそれが本当なら…あの仮面の子は…お姉さんと同じ、お姉さんの体から分かれて生まれてきた子、ってこと…?

「ふふふ…禁忌とされる理由は、倫理の問題ではなく、この術の難解さにあるのですよ…この術と、新たな勇者の紋章を描くために、一族の優秀な使い手、四人が命を落とし、七人が魔法を使うことのできない体になりましたが…それでも、得たものはありました」

オニババがそんなことを言った。

「なるほど…十三号の肉体を持っていれば、勇者の紋章を宿すことも出来る…強力な手駒を増やすには、これ以上の方法はない…」

魔導士さんがそう口にする。

 新しい勇者の紋章を作り、その器になることが出来るお姉さんをも作った、ってそういうこと…?

 スチャっと音をさせて、仮面の子…幼いお姉さんが、剣を構えた。盾を捨て、両手を剣の柄に添える。

「死んで、返せ…私を、返せ…!」

まるでうわごとのように呟いた彼女は、私が目で追えないほどの速さでお姉さんに斬り掛かった。

 ガンッ!と鈍い音がして、見るとお姉さんがすんでのところで結界魔法を展開させて幼いお姉さんの剣撃を防いで居た。

「物理結界は、無駄!」

そう言って、剣に力を込めた幼いお姉さんの腕を、お姉さんが握りしめてその動きを止める。

「いったい、なんだ!?あたしがあんたから何を奪ったって言うんだ!?」

お姉さんの言葉に、幼いお姉さんの表情が憎しみに歪んだ。

「あなたがいるから、私は私になれない。私は、私の存在をあなたに奪われたまま…生まれたそのときから、私は仮初の存在…でも、あなたが死ねば、私は私になれる!」

 そう言った刹那、幼いお姉さんが腕に炎を灯した。炎は意思を持つようにお姉さんの体にまとわりつき、音を立てて燃え上がった。

「くっ!」

お姉さんはそう声を漏らせて、幼いお姉さんの腕を離した。それでも幼いお姉さんは再び、容赦なくお姉さんに斬りかかる。

 お姉さんは、結界魔法とは違う魔法陣を展開して目の前に大きな氷の壁を作り、さらには自分の体の炎を消してみせた。

 でも、その表情は厳しく険しい。

「やめろ、あたしを殺したって、なんにもならないぞ!」

「違う。あなたを殺せば、私は私になれる。もう、道具でなくて良い。私は、勇者として人間になれる…!」

「なっ…!?」

幼いお姉さんの言葉に、お姉さんはたじろいだ。

 その瞬間を見逃さず、幼いお姉さんの振るった剣がお姉さんの体を引っ掛けて、肩のあたりからブパッと血が吹き出した。

「お姉さん!」

私は思わず、そう叫んだ。

 お姉さんはすぐに体勢を立て直して、幼いお姉さんから距離を取った。

 その様子に、幼いお姉さんの方は手応えを感じているのか、剣を握り直して、半身に構える。

「おい、そんなまがい物とっとと片付けろ…!そいつは十五号を殺ったんだぞ!?」

魔導士さんがそう叫んだ。

 でも、お姉さんはぼそり、と答える。

「…出来ない…」

「魔王様…!」

「こいつは、あたしだ…孤独と悲しみに震えて、自分を探してるだけなんだ…捨てられないように、一人にならないように…ただ、それだけなんだ…」

お姉さんの表情が、悲しみに歪んだ。

 目の焦点が合っていない。

 それを見て、私は分かった。お姉さんは、まるで正気じゃない。

 お姉さんは、言っていた。

 捨てられたくなくて、一人になりたくなくて、必死になって訓練に励んで、勇者の紋章を受け取ることができたんだ、って。

 幼いお姉さんも、同じことを言った。

 お姉さんを殺さないと、捨てられるかもしれない、一人になってしまうかもしれない…ううん、もしかしたら、今も一人のままなのかもしれない。

 それが、お姉さんを殺すことで、一人で居なくてもよくなる。

 皆に、きっと、オニババや魔導協会に受け入れられる…そんな風に思っているんだ。

 お姉さんにとって、目の前の幼いお姉さんは昔の自分、そのままなんだ。

 幼い自分がしてきたように、一人にならないための努力をしているに過ぎない…

 それを、お姉さんが邪魔出来るはずもない…

 だって、お姉さん自身がそう生きてきたんだ。

 裏切り者呼ばわりされて、魔族と世界の平和を考えるようになってからも、ずっとそのことを気にかけて居た。

 私たちがそばにいるよ、と言ってあげることで、安心させてあげられた。

 今だってお姉さんは、一人になってしまうのが怖いんだ。目の前の幼い自分が、どれほどの恐怖を感じているかが分からないはずはない…

 姿も、心も、お姉さんは幼いお姉さんと重ね合わせてしまっているんだ…

 「死ね…死んで、私を返せっ!」

幼いお姉さんは、顔を醜く歪めてお姉さんに斬り掛かった。

 お姉さんは、肩から血が吹き出るのも構わずに、魔法陣と風魔法を使ってその剣撃を受け止める。

 何度も何度も斬りつける幼いお姉さんの攻撃を一方的に受け止めているだけ。お姉さんは、自分の剣を抜くこともしなければ、魔法で攻撃する仕草すら見せない。

 一方的に攻撃を仕掛ける幼いお姉さんはやがて愉快そうな笑顔を浮かべ、反対にお姉さんは、悲しさと辛さに表情を染める。

 幼いお姉さんが、剣をお姉さんに振り下ろした。お姉さんがそれを受け止めるために、両腕を交差させて頭上に掲げたその時だった。

 ピシピシっと音がして、お姉さんの足元が氷で固められてしまう。

「くそっ!」

お姉さんがそう呻くのと同時に、幼いお姉さんは片手で剣をお姉さんの結界魔法に押し付けながら、もう一方の腕を突き出した。

 パリパリっと、乾いた音とともに、幼いお姉さんの腕に小さな稲妻が走る。

 雷の魔法…!

 私がそのことに気付いたのも束の間で、お姉さんは幼いお姉さんから放たれてた無数の雷を全身に浴びて悲鳴を上げた。

 お姉さんがその場に、ガクッと膝を付く。

 それを見た幼いお姉さんは再び両手で剣を持ち、それを高々と頭上に振り上げた。

「やめて!」

私はそう叫んだけど、幼いお姉さんはそんなことは関係なしに、剣を振り下ろした。

 ガキン、と鈍い音がして、剣が結界魔法にぶつかって止まる。

「物理結界は、無駄だと言った」

幼いお姉さんは、怪しげな笑みを浮かべて剣にグイっと力を込める。

 同時に、その腕の勇者の紋章が輝きを増して、お姉さんの結界魔法の光が弱まった。

 宙に浮かんだ結界用の魔法陣の光が、幼いお姉さんの剣に吸い込まれるようにして消えていくのが分かる。

 結界魔法が人間のどんな力を増幅させているのかは分からないけど、幼いお姉さんは結界魔法の力を吸い込んでいるのか、それとも無効化する方法を知っているらしい。

 それが幼いお姉さんの持つ特別な力のせいなのか、それとも、ある程度の力があれば誰でも出来る技なのか…

 だけど、それが分かっていないお姉さんではなかった。

 ふわり、と風が室内に起こって、お姉さんの周りに集まっていく。

 これは、サキュバスさんが使っていた風の結界魔法。

 風の力を使って、相手の攻撃を受け止めるんだ。

 重いものを持つときと同じ理屈のはず…。

 魔法陣が消えて、一瞬、幼いお姉さんの剣が加速する。

 でも、その剣は風の結界魔法に阻まれて、お姉さんの頭のギリギリのところでとまった。

 それを見た幼いお姉さんは、今度は両腕にパリパリっと稲妻を纏わせる。

 剣にまで縮れた光の筋が何本も走って、それが風の結界魔法を越えお姉さんに降り注いだ。

「ぐっ…!あぁぁぁぁ!」

お姉さんは体をビクビクと震わせて、その雷を受け続けている。それでも、お姉さんは攻撃なんてしようとしない。ただ、ジッと耐えているだけだ。

 このままじゃ、いくらなんでも、お姉さんが…!

 私はそう思って魔導士さん達を見やる。

 でも、魔導士さん達は怪我をした人たちに回復魔法をかけるので手一杯。

 それに、もしお姉さんの手助けに入ったとしたって、魔導士さんでも勝てなかった幼いお姉さんに十六号さん達やサキュバスさん、まして妖精さんが勝てるはずもない。

 手を出せば、きっと必要以上に被害が増えてしまう。それは、お姉さんに一層負担をかけてしまうことになる…それは、ダメだ。

 でも、お姉さんはきっと、絶対に幼いお姉さんを攻撃したりなんかしない。

 きっと出来ない。

 お姉さんの悲しみや不安を知っているからこそ、私はそう思った。

 幼いお姉さんに勝ってしまえば、まして命を奪ってしまえば、お姉さんは幼い自分を悲しみと孤独の中に追いやってしまうことになるからだ。

 そんなことを、お姉さんが出来るはずはない…

 やがて、幼いお姉さんの雷の魔法が止む。

 お姉さんの体からは、皮膚の焼けるいやな臭いとともに、微かな煙が上がっていた。

「ずいぶん、頑丈…」

幼いお姉さんが、色のない声でそう言う。

 いつものお姉さんなら、そんな言葉に笑って返事でもしそうなのに、そんな気配は全くない。

 そんなお姉さんを見て、幼いお姉さんははぁ、とため息を吐いた。

「なぜ、戦わない?」

そんな言葉に、お姉さんが顔をあげて答える。

「…答えが、分からないからだ」

「答え?」

幼いお姉さんの質問に、お姉さんは再び口を開く。

「…そうだ。戦う理由も、負ける理由も、勝つ理由も、思い浮かばない」

幼いお姉さんは、それを聞いて首を傾げた。

「私はお前を殺したい。殺されるのがイヤなら、戦うはず」

「戦えば、あんたを傷付けなきゃいけない…あんたの意思を折らなきゃならない。そんなこと、あたしには出来ない…」

「なぜ?」

「あんたは、あたしだからだ…」

お姉さんの言葉に、幼いお姉さんはまた首を傾げて、そして肩をすくめた。

「私とお前が同じなら、死んで奪ったものを返せ」

幼いお姉さんは、そう言ってお姉さんに剣の切っ先を突きつける。

 お姉さんは、それをジッと見据えて黙った。

 お姉さんは、考えているんだ。

 たぶん…目の前の自分を、救う方法を…

 でも、そのときだった。

 突然、ビクン、と幼いお姉さんが体を震わせた。

「あっ…あっ…あぁっ…」

 そんな、あえぎ声とも悲鳴ともとれない声が、幼いお姉さんの口から漏れ出す。

「うぅっ…あぁっ!」

「くっ…うぅぅっ!」

不意に、別の方からも同じようなうめき声が聞こえた。

 見ると、あの半分の仮面を付けた子ども達も、幼いお姉さんと同様に体を震わせて、なんだか苦しんでいる様子だ。

 いったい、何が起こっているの…?

 そう思って私は幼いお姉さんに視線を戻す。

 すると、腕の勇者の紋章の光が見たことのないくらいに眩しく輝き始めた。

 「おい…まさか…!」

 そう声を上げたのは、お姉さんだった。

 お姉さんは、目の前の幼いお姉さんではなく、壁際のオニババを睨みつけていた。

「流石に、強化した紋章一つでは勝ち目がないようですが…これなら、無抵抗のあなたを切り刻むだけの力も得ましょう」

オニババは、腕に光を灯してそう言う。

 その腕の光は、三本のまっすな光の筋になって、幼いお姉さんと、二人の半分の仮面の子ども達へと伸びていた。

 そしてその光は、三人の背中に魔法陣を形作る。

 それを見た魔導士さんが言った。

「狂化の魔法陣…!?」

「狂化…?なんなのですか…それは?」

「魔法陣の制御を狂わせる魔法陣だ…本来の魔法陣が持つ効果を数倍に跳ね上げる…肉体への負荷は、それ以上になる…!本来は、危機的状況にほんの一時しのぎで使われるべき法術だ…」

 そ、そんな危険な魔法陣なの…!?

 私は息を飲んだ。

 そんなことをしたら、お姉さんはだって今のままでは無事では済まない…本当に、殺されてしまうかもしれない…!

 「力…力が、溢れてくる…」

幼いお姉さんは恍惚とした表情でそう言うと、手にしていた剣でお姉さんの体を薙いだ。

 寸前のところでその白刃を挟んで受け止めたお姉さんだったけど、その両腕はプルプルと震えている。

 雷の魔法のせいで、まだ体にうまく力が入らないんだ…

「やめろ…体が保たないぞ…!?」

「なら、早く死ね」

幼いお姉さんは両腕にグッと力を込めた。

 ズルっとお姉さんの手から剣が滑り抜け、身を反らせたお姉さんの鼻先をかすめる。

「ロ号!へ号!」

幼いお姉さんが叫んだ。

 その刹那、あの半分の仮面の子ども達がお姉さんに飛びかかり、炎と氷の魔法を浴びせかけた。

 お姉さんは飛び起きながら結界魔法を展開してそれを受け止める。

 でも、そんなお姉さんに幼いお姉さんが礫のような勢いで剣を突き出した。それを受けたお姉さんは、一気に壁際まで吹き飛ばされる。

「十三号!」

とうとう魔導士さんが叫んで立ち上がった。

 魔導士さんもボロボロだけど、回復魔法のお陰か傷はふさがっているように見える。

 魔導士さんは両腕に魔法陣を浮かび上がらせて雷を放った。

 でもそれは、幼いお姉さんの雷魔法に引き付けられて、部屋の中に四散して消えてしまう。

「あなたを、無力化すれば!」

今度はサキュバスさんが風の魔法で部屋の反対側に居たオニババを狙った。

 でも、それはすぐそばにいたローブの男の人の結界魔法で防がれてしまう。

 「魔導士!サキュバス!やめろ!」

壁に体をめり込ませたお姉さんが二人に叫んだ。

 その一瞬の隙に、幼いお姉さんがお姉さんのすぐ前にまで移動して剣を振り下ろした。

 金属のぶつかり合う音が響く。それを受け止めたのは、十六号さんだった。

 隊長さんの部下の人の物らしい剣を手にしている。

 ギリリッと、二人の剣が擦れて鳴った。

「やめろよ…!十三姉に、手を出すな!十三姉は、あんたを傷付けたくないんだよ!」

「なら、あなたから死ぬ?」

そう言った幼いお姉さんは、バリっと一瞬だけ雷を剣に流した。

「ぐふっ…」

とたんに、十六号さんがそう息を漏らせて脱力する。

 それを確かめるまでもなく、幼いお姉さんは剣を翻して十六号さんの体を袈裟懸けに斬り付けた。

「あっ…!」

真っ赤な血が吹き出して、十六号さんがその場に膝を付く。

「十六号!」

その光景に声を上げたお姉さんが、十六号さんを抱きとめて結界魔法を幼いお姉さんにぶつけた。

 それは一瞬で切り払われて消えてしまうけど、次いでふわり、と風が舞って、幼いお姉さんは風の魔法に煽られて数歩押し戻された。

 「十六号、大丈夫か?!」

「十三姉…」

苦しそうに声をあげる十六号さんに、お姉さんが回復魔法を施した。

 みるみるうちに傷がふさがっていくのが見て取れるけど、そんな隙を幼いお姉さん達が見逃すはずはない。

 雷の魔法と火の魔法、氷の魔法がお姉さんに襲いかかった。

「くそっ…!」

お姉さんは十六号さんをかばうようにして体を捩り、その背中ですべての魔法を受け止めた。

 もう、お姉さんは悲鳴すら上げなかった。

 ジッと歯を食いしばり、それでも、十六号さんに回復魔法を掛け続ける。

 「いい加減にしろ!」

「十三姉さん!」

そう声がして、ロ号とへ号と呼ばれた子ども達の前に、十七号くんと十八号ちゃんが立ちふさがった。

「やめろ…あんた達…!」

お姉さんが顔を上げて、声を上げる。

 でも、二人は止まらなかった。

 十七号くんはヘ号の方に接近戦を仕掛け、十八号ちゃんはロ号に真っ赤に燃える火球を放つ。へ号は十七号くんの突進を受け止めて、力任せに壁へと叩きつけられた。

 ロ号は火球を一瞬で氷の魔法で固めて消し、さらにその氷をくだいて十八号ちゃんに殺到させる。

 このままじゃ、ダメだ…お姉さんが戦ってくれない限り、私達は負けちゃう。

 でも…でも、お姉さんを戦わせるの?

 みんなのために、あのお姉さんと同じ子を、お姉さん自身に傷つけさせる、って言うの…?

 本当に、それでいいの…?

 確かに、それ以外にはきっと方法はない…でも、じゃぁ、お姉さんの心を犠牲にして、私達はそれでも勝つべきなの…?

 もちろん勝てなければ、お姉さんは殺されてしまう…ううん、違う。

 お姉さんは、あの子の相手をせずに逃げ出すことだってできるはずだ。

 その方が、お姉さんにとってはきっと良い。

 私達は魔導士さん達の転移魔法を使えば、逃げきれる可能性だってあるし、そもそも魔導協会の狙いはお姉さんだ。

 逃げた私達をわざわざ追ってくるようなことはないだろう。

 でも、ここには私達だけじゃない。

 たくさんの魔族の軍人さんたちが、下の階にはたくさんいるんだ。

 その人たちは何がなんでも守らなきゃいけない。

 お姉さんや私達が逃げおおせても、魔導協会は魔族の人達を狙うだろう。それが、お姉さんにとっての大事な物だって知っているから…

 そんな魔族の人達を守るためには…そのためには…やっぱり、戦うしかないの?でも…そうしたら、お姉さんが…

 私は、自分でも身勝手なことを考えてしまっていた。

 私は、お姉さんを守りたい。魔族の人も、守りたい。

 でも…でも、もし、どちらかしか守れないのだとしたら…私は、私は…

 私は、お姉さんの心を守ってあげたい…

 「お姉さん!逃げよう!」

私は叫んだ。

そんな声に、お姉さんがハッとして私を見る。

「そんなこと、出来ない!」

「でも!お姉さんがここで殺されちゃって、二つの紋章を奪われでもしたらもうどうしようもないよ!」

それが取って付けただけの理由なんだ、ってことは分かっていた。

 だけど、お姉さん、逃げようよ…!他の誰でもない、お姉さんを守るために…!

 そんな私の言葉を尻目に、再び幼いお姉さんが剣を手に、お姉さんに斬り掛かった。

「くぅっ!」

お姉さんは歯を食いしばって、十六号さんが持っていた剣を拾い上げてその剣撃を受け止める。

パシパシっと、幼いお姉さんに雷が迸った。

 また…あれが…!

 そう思って、私は自分の目を覆いそうになった。

 でも、そのときだった。

 お姉さんも同じように、全身に雷をまとわせる。

 すると、幼いお姉さんの方が不意に体を震わせ始めた。

「くっ…このぉ!」

幼いお姉さんはそう声を上げると、怒った表情でさらに多くの雷を発生させて剣に流し込む。

 バチバチっと、まるでムチが弾けるような音がして、交差している二人の剣が赤く色づき始めた。

 剣同士の間で雷が行き交い、お姉さんと幼いお姉さんの体からはプスプスと煙が上がり出す。そんなとき、お姉さんが叫んだ。

「十六号、離れてろ!」

それを聞いた十六号さんは、ハッとして飛び起きると回復の終わった体で私達のところに走って戻ってくる。

 それを見届けたお姉さんは、ついに、幼いお姉さんを見てからすっかり光を失っていた両腕の紋章に再び光を灯した。

 「うぐぅっ…!」

再び、幼いお姉さんが声を漏らせて体をビクつかせる。

「もうやめろ…その狂化魔法陣をそれ以上維持したら、体がダメになるぞ…!」

お姉さんは、まるで何かをお願いするような、そんな表情で幼い自分にそう声を掛ける。

 でも、彼女はお姉さんを睨みつけて、言った。

「体が壊れても、お前を殺す…!それで、私は私になるんだ…!」

次の瞬間、幼いお姉さんの魔法陣がまぶしい位に輝き始める。

 幼いお姉さんから強烈な閃光とともにバシバシと音を立てて稲妻が走った。

 「マズい…!」

そう声が聞こえたとき、私は後ろから魔導士さんに抱きかかえられて、気がつけば結界魔法の中に居た。

 その直後、幼いお姉さんの体から無数の雷が部屋中にその稲妻を伸ばし始めた。

 「ぎゃっ!」

「あがっ!」

そんな声がしたので目をやると、幼いお姉さんの変化に気付かなかったのか、ロ号とへ号がその雷に打たれて体を痺れさせ、床に倒れ込んだ姿があった。

 これ…まるで本物の雷みたいだ…こんな力を、私とさほども変わらないあの小さな体で操っているの…!?

 私は、そう思って光に目を細めながら幼いお姉さんを見やった。

 光の中で、幼いお姉さんは、ゴボッと大量の血を吐いた。

「おい…!もうやめろ!」

「やめない…お前を殺すまで、やめない!」

口からだけじゃない。

 そう言った幼いお姉さんは、鼻からも目からも血を流し始め、皮膚がパシっと言う音と共に裂けてそこからも血をにじませる。

 どうして…?

 どうしてそこまでして、お姉さんを殺したいの?

 そんなことしなくったって、あなたはあなたで、それでいいじゃない…

 お姉さんとあなたは…姿形も、考えていることも似ている…

 でも、おんなじ存在ではない。

 だって、私の目の前に二人共いる。

 例え挿し木で育った木だったとしても、その木は花を付けることも、実を付けることも出来る。

 一つの体を二人で共有しているんじゃない。ちゃんと二人共、世界に存在しているんだ。

 どちらかがどちらかを殺して奪い取るようなものなんてない。どちらかがどちらかを傷付けて…自分が傷つくようなこともない…そう、そうだよ。

 お姉さんの態度で、あの幼いお姉さんの言葉で、私は誤解していた。

 あの子は、お姉さんなんかじゃない。

 お姉さんだって思うから、おかしなことになるんだ。

 あの子は、お姉さんの体から生まれたお姉さんとは別人の誰か。

 お姉さんと同じように、魔導協会に利用されて、脅かされて、必死になってしまっている身寄りのない子どもなんだよ。

 だったら…答えなんて、ひとつしかない…!

「お姉さん!」

私は叫んだ。

 きっとお姉さんなら分かってくれる…きっと伝わる。絶対に、間違いなく…!

「その子を、助けてあげて!」

 その場に居たみんなが、私を見た。

 何を言っているんだ、って、そんな顔をしていた。

 でも、私はお姉さんの目だけをジッと見つめていた。

 次の瞬間、お姉さんの顔が歪んだ。その表情は、困ったな、って、そんな感じだった。

 難しいことを考えたわけでも、何かの気持ちを押し込めている顔ではない。

 そう、ちょうど、狭いところに何かが落ちちゃって、手が入らなくって取れずに困っているみたいな、そんな顔だった。

 「何を言ってる…?」

幼いお姉さんが、私を見て言う。

 でも、そんな僅かな隙を、お姉さんは見逃さなかった。

 お姉さんは、片腕で剣を支えると、もう一方の手で自分の腰の剣を引き抜いた。

 そして、目にも止まらない速さで剣を握っていた幼いお姉さんの腕を薙いだ。

 何かが空中に舞い、ドサッと床に落ちる。

 私はそれを見て、瞬間的に肝を冷やした。

 それは、腕だった。

 幼いお姉さんの腕。しかも、紋章が描かれている右腕だ。

「あっ……あぁぁぁぁぁぁぁ!」

幼いお姉さんの絶叫が室内に響く。

 次の瞬間、幼いお姉さんの肩の周りをお姉さんの氷魔法が覆った。

「十八号!その腕も凍結させておけ!」

お姉さんは、今までの様子がウソのような張りのある声でそう指示を出す。

「は、はい!」

十八号ちゃんは我に返ったように返事をして、魔法陣を展開し床に落ちた幼いお姉さんの腕を氷漬けにした。

 その間に、お姉さんは、幼いお姉さんをギュッと抱きしめていた。

「腕…!腕っ…!私の紋章がっ…!」

幼いお姉さんは半狂乱になってお姉さんの腕の中で暴れている。

 でも、お姉さんは混乱しても、取り乱してもいなかった。

 身じろぎをし、必死に抵抗をしようとしている幼いお姉さんを抱きしめて、その頭をクシャっと撫でる。

「大丈夫…大丈夫だ…」

「離せっ…!私の腕を返せ…私を返せ…!」

幼いお姉さんは、魔法陣を奪われて魔力を失ったようで、残っていた方の手を握り拳にしてお姉さんの頭をポカポカと叩いている。

「あんたは、ひとりなんだろう?」

「そうだ!お前が、お前が私を奪ったせいで…!」

「そっか…そうだろうな…あたしも、ひとりだったんだ」

お姉さんは体を丸めて幼いお姉さんをまるで愛おしむように抱きしめながらそんなことを口にした。

 「十七号、十八号、手を貸せ!」

突然魔導士さんが叫んだので私は思わず顔を上げた。

 魔導士さんは両腕に雷の魔法陣を浮かべて、サキュバスさんと共にオニババとローブの男に襲いかかっていた。

 サキュバスさんの風魔法がオニババを捕らえてその場に押しとどめ、そこに魔導士さんの雷魔法が降りかかる。

「おのれっ!」

オニババは目の前に結界魔法陣を展開して魔導士さんの雷を防ぐ。でも、その直後には素早く反応した十七号くんが飛び蹴りで結界魔法陣を破壊した。

 さらにその後ろから、十八号ちゃんが火球がオニババを襲う。

「宗主様!」

そう声が聞こえて、ローブの人がオニババの前に立ちふさがった。

 火球がローブの人を捉え、激しく燃え上がる。

 次の瞬間、オニババ達の足元に転移魔法陣が輝いた。

「く

そっ!全力でいけ!」

魔導士さんがそう叫んだ。

 同時に、魔導士さんの雷魔法、サキュバスさんの風魔法、十八号ちゃんの火球がオニババ達に降り注いだけれど、それぞれの魔法が到達する直前、部屋をパッと明るく照らして二人は姿を消した。

「逃がしたか…」

「どうする、十二兄さん。あの子が控えていないなら、私達とサキュバスさんで協会へ乗り込んで行ってひと思いに叩ける」

十八号ちゃんが魔導士さんにそう提案する。

 しかし、魔導士さんは首を横に振った。

「いや…こっちは手負いだ。それに、今はここを空けるのは得策じゃない。近衛師団長が裏切ったんだ。他にヤツと意思を通じていた物がいないとも限らない」

「そっか…主力が出払ったんじゃ、その間に暴れられても対応が遅れるね」

魔導士さんの言葉に、十八号ちゃんは冷静な様子でそう返事をして頷き、それからお姉さんたちの方に目をやった。

 お姉さんは、相変わらず幼いお姉さんを抱いて居る。

 そんな様子は、さっきまで戦っていた人をしてにしているとは思えない。まるで、ぐずる赤ん坊をあやしているような、そんな感じだ。

「お前がひとりだなんて嘘だ!それなら、どうしてこんなに人がたくさんいるんだ!どうしてみんなお前を助けるんだ!」

「ひとりだったよ。あたしは何かのためにずっと戦ってきた。そのときどきで、目的はいろいろだってけど…そしたら、いつの間にか、一人じゃなくなってたんだ」

「なんだよそれ!そんなの、信じられるか!」

「お、おい、こら、暴れるな」

腕の中で暴れる彼女をお姉さんは優しく抱きしめて、落ち着かせる。

 そんな様子を見ていた十八号ちゃんが、ふと口にした。

「ねえ、十二兄さん…もし、あそこに居た頃、兄さんが私達を殺さなければ勇者になれない、って話をされたら、兄さんはどうした?」

その言葉に、魔導士さんはグッと黙ってから、はぁ、と息を吐いて言った。

「それでも俺はお前たちを手に掛けるようなことはしなかった…とは、言い切れないな」

「あの子は、きっとそうだったんだ…だから、十五号姉さんを殺した…生き残るために…」

そう言って、十八号ちゃんはギュッと拳を握った。

 何を思っているんだろう。

 私はそんなことを考えてしまっていた。

 魔導協会であった辛いことの記憶だろうか?それとも、十五号さんって人のこと?もしかしたら、あの幼いお姉さんが過ごしてきた時間を思っているのかもしれない。

 私は、十八号ちゃんにそのことを聞こうとして、でも、うまく聞ける気がしなかったから、言葉を飲み込んだ。

 たぶん、同じ境遇に居た十八号ちゃん達にしか分からないことがあるんだろう、ってそう思ったからだ。

 「どうして…どうしてこんなことになるんだよ!私の腕を返せ…私を返せ…!理事長様に捨てられる…お前を殺さないと、私はどこへも帰れない…!」

幼いお姉さん…確か、零号、って呼ばれていたっけ。

 零号ちゃんは、目から大粒の涙をこぼして叫んだ。

「ひとりはイヤだ…帰る場所がないのはイヤだ…!そんなのイヤだ…イヤだよ…!」

「なら、ここに住め」

お姉さんは、零号ちゃんの頬を伝った涙を拭ってそう言った。

 その言葉に、零号ちゃんは急に暴れるのをやめてお姉さんをジッと見つめる。

「ここが、あんたの帰る場所だ。今日からここが、あんたの家だ。あんたはひとりじゃない。あたしがそばに居てやる。あたしじゃ不満なら、他にももっと人はいるぞ?」

お姉さんは、零号ちゃんの顔を覗き込むようにしてそう言い、それから私を見やった。

 不思議と、それだけで、お姉さんの言いたいことが私には分かった。

 私は床に座り込んでいるお姉さんと、そのお腹に座り込むようにして抱かれている零号ちゃんのそばへと行って、膝を付いて座り、零号ちゃんに挨拶をする。

「私は、幼女。みんなには、人間、って呼ばれたり、畑の指揮官、なんて呼ばれたりしてるんだ。よろしくね」

私の言葉に、零号ちゃんはポカンとした表情をしてしまっていた。そんな表情がおかしくて、私はクスっと笑ってしまう。

「それから、あっちはサキュバス。向こうは、妖精ちゃん。魔道士はもう知ってるな?それから、兵長に黒豹は…あぁ、まだ意識戻ってない、か…」

お姉さんは、優しい笑みで零号ちゃんにそう話しかけ続ける。

 そんな様子を聞いていた十八号ちゃんが、十七号くんと十六号さんに目配せをして、三人並んで私達のそばまでやってきた。

「よう。俺は、十七号だ」

「アタシは、十六号。力任せに斬りやがって、痛いじゃないかよ」

「私は十八号。よろしく」

三人は三様の挨拶をして、零号ちゃんを見つめた。

 相変わらず、呆然とした様子の零号ちゃんに、お姉さんが穏やかに声を掛ける。

「ほら、あんたも挨拶くらいできるだろう?名前は?」

そんなことを言われて、零号ちゃんはパクパクっと、口を動かして、それから慌てた様子でゴクリ、と一息飲み込んでから

「わ、私は……零号」

とか細い声で言った。

 それを聞いたお姉さんが、すかさず零号ちゃんの頭を撫でつけて

「ん、いい子だ。ちゃんと挨拶できたな」

なんて褒める。

 それから、お姉さんは、穏やかな声色のままに、零号ちゃんに言った。

「あたしは、勇者で、魔王で、この城の城主で、十三号、って呼ばれてたこともある。皆好きなように呼んでくれてるから、あんたも好きなように呼んでくれな」

その言葉に、零号ちゃんが再びお姉さんに視線を戻した。

「なんで…?どうして…?私は、私は…私じゃないのに?」

「あんたはあんただよ。でも、あたしはあんたじゃないし、あんたはあたしじゃない。よく似ているけど、違うんだ」

「違う…?」

「あぁ、そうだ。あたしも、この子達も魔道士も、みんなあんたと同じで魔導協会で“使われて”、最後には捨てられた。そう言う意味では、同じだけど、ただそれだけだ。存在が同じやつなんていやしない。同じ経験をしてきたって、ほら、こいつらは見るからに違うだろう?あんたとあたしも、そうなんだ。同じ体だろうが、同じ経験をしようが、同じじゃない。だから、さっきまでやってたみたいに戦ったり、こうやってあんたの涙を拭いてやったりできるんだ、そうだろう?」

そんなお姉さんの言葉を聞いても、零号ちゃんはやっぱり呆然としたままだ。

 それを見たお姉さんは、苦笑いを浮かべて、もっと優しい口調で、もっと優しいことば遣いで零号ちゃんに言った。

「あんたは、零号。あたしは十三号。他のやつらにもそれぞれ名前があって、それぞれいろんなことを考えてる。誰ひとり、あんたと同じやつなんかいない。あんたは、あんただ。わかるか…?」

「私は、あなたと違うことを考えてる…だから、あなたと同じではない…私は、私…」

零号ちゃんが、ポツリと言った。それを聞くや、お姉さんがまた、大げさに零号ちゃんの頭を撫でて褒める。

 お姉さんはそれから、また言った。

「あとは…そうだな。あたしも、みんなも、あんたと一緒にいてやれる。みんなあんたとは違うけど、でも、一人は寂しくて辛いってのは、みんな知ってくれてる。だから、あたしやあんたが寂しく思わないように、って、必ずそばにいてくれる。あたしも、できる限りそうする。あんたもできる限り、誰かが寂しくないようにそばにいてくれよ、この城に住んで、さ」

 ハラっと、零号ちゃんが再び涙をこぼした。

 表情が、まるで崩れるように歪んでいく。

「私…ここにいてもいいの…?」

「ああ、今日からここがあんたの家だ。あたし達が、まぁ、家族みたいなもんだな」

「一緒にいてくれるの…?」

「うん…あんたはひとりじゃない」

お姉さんは零号ちゃんにそう言い、両手でほっぺたの涙を拭ってから、その胸にキュッと抱きしめた。

「寂しかったろ、ずっとひとりで…怖かったよな…でも、もう、安心していい。これからはずっと、あたし達が一緒だ」

お姉さんは、零号ちゃんのクセのある黒髪に頬ずりするようにしながらそう囁く。

「うぅっ……うぅぅぅぅ………!」

やがて、零号ちゃんがそう声を上げて泣き始めた。

 それを聞いて、私はふっと胸につかえていた何かが抜けて、力が抜けてしまうような、そんな感覚を覚えていた。

 緊張感がようやく解けて、思わず、ため息を出てしまう。

 きっとみんなもおんなじだったのだろう。誰からともなくふぅ、と息を吐く音が聞こえてきて、部屋の中の空気がずいぶんと柔らかになる。

 「さて…じゃぁ、手当ての続きをしないと、な」

十六号さんがそう言って十七号くんを見やった。

「そうだな。えっと、十八号、回復魔法の術式、どんなだっけ?」

十七号くんが十八号ちゃんにそう聞く。

「あなたには、多分無理。十六姉さんになら、簡単な物ならきっとできる」

十八号ちゃんはうっすらと笑みを浮かべて言った。

「魔族の回復魔法を試してみるですか?」

妖精さんがそんな風に言って、三人の会話に割り込んでくる。

「魔導士様、ここはお任せしてよろしいですか?私は階下の様子を見てまいります」

サキュバスさんが魔導士さんにそう尋ね、魔導士さんが

「あぁ、任せておけ。十七号、サキュバスに付き添え」

と十七号くんを呼ぶ。

「護衛だな。確かに、回復魔法よりも俺はそっちだな」

十七号くんはなんだか胸を張ってそう言い、サキュバスさんと言葉を交わしながら部屋を出て行った。

 ふと、私は、窓の外が随分と静かになっていることに気がついて、窓際まで行って外を眺めてみた。

 そこには、厚い雲なんてどこへやらで、綺麗に瞬く星々と、明るく光る下弦の月が輝いていた。

 雨に濡れた城壁とその向こうの大地が月明かりをキラキラと反射させていて、まるで地面にも星がたくさんあるような、そんなふうにも見える。

 そう、それはまさしく、嵐が過ぎ去ったあとの、すべてが洗い流された、荒れ果てて美しい景色だった。

 その景色があまりにもきれいだったものだから…ううん、そうじゃなくったって、私は気がついていなかっただろう。

 すでに次の嵐が、もうすぐそこまで近付いて来ているだなんて。

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