第7話:魔王城の嵐(前編)
「ふぅ、よし。いい具合だ」
「この隙間が気になるな。なぁ、さっきの小さいのどうしたっけ?」
「これのことです?」
「おぉ、それそれ!それ、ここの隙間に入れちゃおうぜ」
「切り役代わろうか?」
「いや、まだ行ける。あと何枚必要なんだっけ?」
「えっと、三枚ですね、女戦士さん」
「うし、じゃぁ、もう少しだ!片付けちまうぞ!」
翌日、私達は朝から井戸の現場に出張って来ていた。
西の門に集合して虎の小隊長さんと鳥の剣士さん、それに十七号くんがゴーレムを引き連れて樽と荷車を使い井戸から水を汲んで運ぶ役を引き受けてくれたので、私に妖精さん、十六号さんに、隊長さんと女剣士さん、女戦士さんと鬼の戦士さんで井戸堀りの続きと庵作りの続きに取り掛かっていた。
集まったとき、隊長さんが、水を撒くのには人手がいるだろうから、必要ならもっと呼び集められるぞ、と言ってくれたけど、私はそれを断った。
それについては、私にも計画があった。
井戸の現場に着いた今は、女剣士さんと女戦士さんが昨日切り出して来た丸太を木材にするために一生懸命に鋸で切り分けてくれている。
その間に、私達は昨日ゴーレム達が掘った五歩四方の腰までの深さの穴に石を敷き詰めていた。
こうして石を敷いておけば、井戸になる穴を掘っても周りの土が崩れてくることもない。
畑のために使う水だから井戸の底に土が入っても構わないのだけれど、修理や何かをするときには、青銅の管をそのまま土に埋めてしまうよりはずっと良い。
「こんなもんか」
太陽が真上に差し掛かる少し前に、隊長さんがそうため息とともに口を開いた。
私の腰ほどの深さだった穴に石を敷き詰め終わり、その真ん中ほどには、井戸を掘るための空間がぽっかりと口を開けている。
あとは、その穴に拳よりも少し太い青銅管を差し込んで、さらにその中に棒の先に羽のついた井戸堀り用の槍を差し込んでグルグルと回していく。ある程度掘れたら槍を抜いて、羽の中に溜まった土を外に捨てる。深くなったら太い青銅管をさらに深く打ち込んで、どんどん継ぎ足していく。槍の柄の長さも足りなくなったら、予備の柄を継ぎ足して金具で止めて長くする。
槍の柄は長くなればなるほど力が必要になってくるから、そんなときこそ戦士さん達に頼る場面が増えてくるだろう。
人数も少ないわけじゃないし、サキュバスさんはこの辺りは地下水は豊富だって言っていたから交代で休みながら掘って行って、今日だけでも泥水くらいは出るようになるといいな…そんなにうまくはいかない、か。
「じゃぁ、一番手は私が受け持つよ」
鬼の戦士さんがそう言って、井戸掘りの槍を持って青銅管に突き立てた。
「お!さすが突撃部隊!」
木を切りながら女戦士さんがそんなことを言って冷やかす。
鬼の戦士さんはそれをなんだか嬉しそうに聞きながら、槍の柄のお尻にあった取っ手を両手でグルグルと回し始めた。
女戦士さんの様に筋肉質とは言えない腕だけど、その手際はとても力強い。ふと、ほんのりと鬼戦士さんの腕に光がまとわれていることに、私は気がついていた。
物を動かすのは風魔法が一番のはず。きっとその力を使っているんだろう。
私は、妖精さんと十六号さんと一緒に、その様子を見ながら残った石を一箇所にまとめ直す。
地下水脈まで届けば、青銅管や汲上機を固定するためにまた必要になるから、これも大事な資材のうち、だ。
「それにしても、今日は暑いな…」
石を運びながら、不意に十六号さんがそんなことを口にした。
確かに、今日は魔界にやってきてから一番の暑さかもしれない。
太陽の日差しがジリジリと肌を焼くような暑さではなく、風が湿っぽくて、ムッとするような暑さだ。
「昨日とは風が違うです。北の方から暖かい湿った空気がこの辺りに吹き込んでるですよ」
妖精さんが額の汗を拭いながらそう教えてくれる。
そういえば、人間界でも夏が近づいてくると、北の方ではベトベトするような暑さが続くんだ、って話を聞いたことがある。
確か、そんな気候でも育つような麦を育てている畑を作るんだ、と父さんが言っていた。私の住んでいた村は南の山合いにあったから、それほど気温が上がることはなかったけれど。
人間界と魔界とは遠く離れていても、季節が違うなんてことがあるはずはないし、人間界の暦ではもうすぐ夏の始まりの時期に差し掛かる。
ここは大陸の中程にあるし人間界と同じで夏の北からの風が続くようなら、北の方までとは行かなくても、それなりに気温や湿度があがるのかもしれない。
ここに植えたお芋、暑さに強い種類だったっけな…それは分からないけど…でも、土の中に出来る作物は、温度よりも湿度に敏感だ。
土の中にあまり湿気が多いと、種芋が腐ってしまったりする。
今は土はカラカラに乾いているしここ何日も雨が降っていないから、少し水はやった方がいいと思う。
でも、あげすぎてもいけないし、この湿度の日が続くのならそれこそ朝露が落ちるから水遣りのことはそれほど気を使わなくても平気だ。だけど、そうなってくれる保証はない。ともすると、あの砂漠の街の様な気候の夏になるかもしれない。サキュバスさんは、そんなことは言っていなかったけど…
とにかく、気候が分からない場所で畑をやるのって難しい。
特に私は、父さん母さんから聞いている方法でしか作れないから、もしものときにどれだけ対応できるか心配だ。
お城の書庫に、畑に関する本はあったかな…?もしあったら、私も少しつづ勉強をしておかなきゃいけないかもしれない。
畑が失敗したら、困るのは私だけじゃない。魔王城に常駐することになる魔族の軍人さん達が一番にお腹を空かせてしまいかねないんだ。
「これは、畑だけじゃなくってアタシ達にも水が必要だね」
十六号さんがおおきな石をゴトリとおいて、ため息をつきながら言った。
確かにそのとおりかもしれないな。お水が来たら、その分を少し別にしておいた方がいい。お城を出るときに準備をした水筒のお水だけじゃ、少し心配だからね。
「うん、そうだね」
私も、運んでいた石を置いてそう答えた。
「日よけでも作っておくかな。この湿度じゃぁ、たかが知れてるだろうが、それでも日陰を作っておけば多少は休める」
隊長さんがそう言って、資材に掛けてあった布をはがし、槍の予備の柄を何本か手にして、簡易のテントを作り始めた。
そうして、それぞれの作業をしているうちに、鳥の剣士さんに虎の小隊長、そして十七号くんが荷車に樽をたくさん乗せて戻ってきた。
「とりあえず第一便だ」
ふぅ、とため息をつきつつ。虎の小隊長さんが私にそう言ってくれる。
「足りなければ、また行って追加してくるよ」
鳥の剣士さんもそう頷いた。
「ありがとうございます」
私はお礼を言って、ペコっと頭を下げた。
湿度のこともあるけど、とにかく水を撒こう。
一樽だけは飲んだりするために取っておくことにして、他の五つ分をみんなで畑に撒いて、それで土の具合を確かめてから追加するかどうかを考えた方がいいだろう。
「これを全部畑にぶちまけりゃいいんだろ?」
十七号くんが袖をまくってそんなことを言う。
「あ、待って。一樽だけ残して、それは飲んだり体を冷やしたりするために使いたいから、別にしておいて欲しいんだ」
私が言うと、十七号くんはあぁ、と声を上げて
「なるほど、なんか今日は暑いもんな」
と納得した様子で頷いてくれた。
これだけの畑に水を撒くのは、人間の私達にはちょっとした苦労がいる。
そう、人間の私達には、だ。でも、私は魔族の魔法のことは少しだけ理解している。
空気の中の水を集めることは難しくても、今目の前にある水を操ることは、そう難しいことじゃない。
それこそ、コップ一杯に入った水に、私でもなんとか渦巻きを作れるくらいだ。
妖精さん達魔族にかかれば、きっとそれほどの労力はいらないはず。それが私の計画、だ。
そう思って、私は妖精さんを見やった。
妖精さんも、私と同じことを考えてくれていたようだった。私と目があった妖精さんはニコリ、と微笑んで
「がんばるよ!」
と、まだ私が何も言っていないのにそう答えてくれて、荷車に乗った樽の蓋を開けると、その腕に魔力の光をともした。
「おぉ…?おぉぉぉ!」
十七号くんがそう声をあげ、樽の中から浮かび上がる水の玉を見上げている。
「なるほど、そうか。その使い方なら、魔族の魔法でも十分にやれる、ってワケだ」
隊長さんもそんなことを言って、またあの口元を撫でる仕草をしてみせた。
「やっぱさ、魔族の魔法って便利だよなぁ。アタシ、教えてもらうことにするよ」
十六号さんも感心しきりだ。
「水撒きは任せた方が良さそうだね。ほら、私と女戦士とで穴掘りは代わるよ。あんたはあっちを手伝ってやって」
「うん、そうみたい。じゃぁ、任せるね」
女剣士さんがそう言って、鬼の戦士さんと穴掘りの役を交代する。
「おい、隊長!テント張りが終わったんならこっち手伝ってくれよ!」
「あぁん?ったく、仕方のねえやつだな」
女剣士さんが木を切る役割りを抜けてしまったので、女戦士さんが隊長さんにそう声をかけると、隊長さんは面倒そうな返事をしながらもすぐに木材作りに加わった。
「そういうことなら俺たちにも任せてもらえるな」
「ですね。俺は向こうの畑を担当しますよ、小隊長」
虎の小隊長さんと鳥の剣士さんがそう言い合って、それぞれ樽の蓋を開けて、水の玉を浮かび上がらせる。
「よぉし、アタシらも負けてらんないぞ!十七号、あんたが樽を担いで、アタシが水を撒く!」
「よしきた、任せとけ!行くぞ、十六号姉!」
十六号さんと十七号くんがそう言うが早いか、荷車から樽を下ろしてそれを十七号くんが私とさほども変わらない体で担ぎ上げ、十六号さんと向こうの畑へと走っていく。
そんな光景を見ながら、クスクスと鬼の戦士さんが笑い声を上げ
「元気だね、あの子達は。さて、私も…っと」
と言うが早いか、他の三人と同じように腕に光を纏わせて樽の中から水の玉を浮かび上がらせた。
宙に浮いた水の玉は畑の上まで飛んでいって、まるで雨を降らせるように辺りに水を撒き散らして行く。
畑に降りかかる霧のような水飛沫に太陽の光が反射して、あちこちに小さな虹が浮かび上がった。
それを、綺麗だな、なんてのんきなことを思っている私に、声が掛かる。
「あー、幼女ちゃん!こっちどうしたらいい?一度土を上げた方が良いよね?」
女剣士さんの方を見ると、人の背丈ほどもあった槍が、もう地面に半分ほど埋まってしまっている。
さすが、人間の魔法で体の力を強化している兵隊さんたちは、並じゃない。
「はい、槍をそっと引っこ抜いて、中に溜まった土を外に出してください!」
私はそう言いながら女剣士さんのところに駆け寄って一緒になって穴から槍を引き上げる。
そこからは、土袋にしたら私が一抱えしても足りないんじゃないか、っていうくらいの土がせり上がってきた。
私はそれを木の皮で編んだ籠に受け取って、緯度から離れたところに持って行って捨てる。女剣士さんはまた槍を青銅管の中につきこんで、グルグルと回しはじめた。
それを横目に、私は掘り出された土の状態を手で触ってみる。
少し湿っていて手触りはベトベトとする。昨日ここをほっていたときにも思ったけど、すこし粘土が多い気がする。
水はけはそれほど悪くはなさそうだけど、特別良いってわけでもないようだ。
そうなると、やっぱり水のあげすぎはお芋には良くないな…あの樽の水をまんべんなくまいたら、それで良い、って事にしておいたほうが良いかもしれない。
私は、そんなことを考えていた。
それから私達はそれぞれの作業へと移った。
木を切り終えた女戦士さんが井戸掘りのところへとやってきて、私は戦士さん達が掘った土を、石で固めた窪みから運び出す。
何度も何度もカゴに土を入れては窪みの外でもっていって、適当なところに山を作る。
ふと見ると、すぐわきでテントを建て終えた隊長さんが切り終えた木材に小さなノミで何かを掘り始めた。
「隊長さん、それ、何してるの?」
私が聞くと隊長さんは、あぁ、なんて言いながら
「組み木だ。見たことないか?」
と、鉤状に曲がった小さな木の枝を手渡してくれた。よく見るとそれは、二つの別の木の枝がぴったりとまるではめ込まれたようにくっついている。
「これ、初めて見ます」
「そうか。こうして木を彫って、互いに組み合わせるんだ。そこに楔っていう木の破片を打ち込む。こいつなら強度も上がるし、釘の類も少なくて済む」
隊長さんはそう言いながら、また木を彫る作業に戻る。
庵の設計図を引いたり、こんな珍しい木を使う方法を知っているだなんて、隊長さんは大工さんか何かをやっていた経験があったんだろうか?
私は、額に汗を光らせながら器用にノミを使って木を彫り進めている隊長さんの横顔を見やって、そんなことを思った。
「おーい、次頼む!」
ふと、女戦士さんが私を呼ぶ声が聞こえた。見れば、運んだばかりのはずなのに、もう山いっぱいの土が井戸の傍に敷いた藁敷の上にたまっている。
「あ、はい、行きます!」
私はあわててカゴを抱え、二人のもとに走っていく。小さなシャベルで土をカゴに移して、窪地の外へと運んで戻った。
「おらぁ、ちゃっちゃと掘れよぉ」
「馬鹿ね、力任せにやればいいってわけじゃないんだから、外野は黙ってなさいよ。ほら、土取って」
「ん、へいへい。でも、そんな難しいもんか?もっとこう、ガシガシ行けんだろ?」
「やってないからそんなこと言えるんでしょ。代わってみる?」
「おぉ、やらせろやらせろ!」
女剣士さんと女戦士さんがそんなことを話して、堀り役と土除け役とを交替する。
堀り機を手にして、得意そうな表情で力を込めた。
その途端、ガリ、っと鈍い音がする。
「んん?」
女戦士さんがそう声を漏らした。
今の音…たぶん、堀り機の先が土を噛んじゃった音だ。こうなると、普通の人なら掘り進めるのは少し難しい。
「なによ?」
「いや、これ、急に固くなって…」
「ほら、だから言ったでしょ?一旦逆に回して、逆」
「えぇ?こっちか?」
女剣士さんに言われた女戦士さんが堀り機を逆に回すと、メキメキ、っと音がして堀り機が動いた。
「あぁ、動く動く」
「押しすぎると今みたいになっちゃうんだからね。力任せじゃない、って言ったでしょ?」
「これは確かに難しいな…こういう微妙な力加減は苦手だよ」
女戦士さんは堀り機を回しながら、私を見やっておかしそうに肩をすくめた。その表情がなんだか妙におどけていて、私も思わず笑ってしまう。
そんな風におしゃべりをしながら、私たちは着々と作業を進めた。
女剣士さんと女戦士さんは何度も交互に役回りを交替しながら、何度も何度も堀り機を回しつづけ、そこからでる土を受け取った私も、何度も何度も窪みの外へと土を運んでは戻った。 そうこうしているうちに、
「よーし、こんなもんだろ!」
となんて言いながらため息を吐きつつ、十七号くんが戻って来た。その後ろから着いてきている十六号さんに鳥の剣士さんや、鬼の戦士さんに虎の小隊長さんも額の汗を拭っている。
畑にはなんとか水を撒き終えたみたいだ。
「お疲れ様です!お水、どれくらい余りました?」
「樽一つと半分だな」
と、鳥の剣士さんが教えてくれる。
良かった、これなら、日が高くなってくるこれからの時間でも安心だ。
「これ、気持ちいいですよ!」
いつの間にか荷車の樽のところにいた妖精さんが水に濡らした手拭いを虎の小隊長さん達に手渡す。
ふぃー、なんて虎の小隊長さんが息を吐きながら、顔や首を拭き始めた。
「そっちはどうです?」
同じように手拭いで首周りを冷やしながら、鳥の剣士さんが井戸を掘っている女戦士さんに聞く。
「うーん、と、今三本目かな。二十歩分くらいは掘れてると思うよ」
「なんか土の感じが変わったね。赤っぽくなった」
鳥の剣士さんに答えた女戦士さんの横で、女剣士さんが掘り出した土をザルに盛っている。
土が変わった、か…。硬い地層がないと良いんだけど…
「女戦士さん、土が硬くなったりしてないかな?」
私が聞くと、鬼の戦士さんは、うん?って首を傾げてからグルグルと掘り機を回し
「大丈夫だと思うよ、今のトコ」
と教えてくれた。とりあえず、良かったかな。でも、いずれは石の多い地層が出てくると思う。そこをどうやって掘り進むかが、大事になってくるかな。
そうなったら無理はしないで今日はやめておく方がいいかもしれない。無理に進めようとして掘り機がダメになったら、新しく都合するのに時間が掛かっちゃう。
「隊長さん、それは何してんの?」
手拭いを首に掛けた十七号くんが十六号さんと一緒になって、隊長さんの作業を見て言う。
「ん?組み木ってんだ。釘やなんかは十分にないみてえだからな。こうして木を凸凹に切って組み合わせんのさ」
そう言った隊長さんは、切り揃えた木材にどこから持ってきたのか炭で印を書いて、その部分を手分けして切ったり削ったりしている。
さっき見せてくれた小さな見本のように窪んでいるところに出っ張りをはめ込んで、楔というのを打ち込む準備なんだというのが分かった。
「ふーん、なんかおもしろそうだな。俺にもやらせてくれよ」
「あん?いいから少し休んでろよ」
「えぇ?これくらい、なんてことないぜ?」
隊長さんにそう言われて、十七号くんはそんな風に返事をしながらも、手は出さずにそばに座ってその作業をしげしげと眺めている。
「俺たちはどっちを手伝えばいい?」
十七号くんから遅れて戻ってきた虎の小隊長が隊長さんにそう聞く。すると隊長さんははたと青空を見上げて言った。
「こっちを頼む、と言いたいところだが、ぼちぼち頃合いだろう。鳥族の若いの、俺と変わってくれや」
と言って手に持っていたノミを鳥の剣士さんに手渡した。
どういうことなんだろう、と思ったのは私だけじゃないみたいで、十六号さんに妖精さん、十七号くんに虎の小隊長さんに鳥の剣士さんも不思議そうに隊長さんを見やる。
そんな視線を感じたのか、隊長さんはヘラっと笑って言った。
「俺達はタダ飯は喰らわねえからな。その代わり、働いた分はしっかり食わせてもらわにゃ、暴動になる」
「なるほど」
隊長の言葉に、虎の小隊長さんが笑って答えた。
確かに、朝から働きっぱなしでそろそろお腹も空いてくる時間だ。空を見上げたのは、太陽の位置を確かめたんだろう。
「昼飯か?!」
十七号くんがそう言って跳びはねる。そんな様子に、私は思わず笑ってしまった。
「あぁ。うちの奴らに準備させてある。坊主も一緒に取りに行くか?」
「おう、行く行く!」
隊長さんの言葉に、十七号くんは嬉しそうに答えた。
「飯の仕度なら俺が行きますよ、小隊長」
そんなやり取りを聞いていた鳥の剣士さんが名乗り出る。でも、虎の小隊長は隊長さんをちらりと見やってからニヤリと笑い
「いや、俺が行こう。こいつは高度に政治的な配慮だ」
とうそぶくように言った。
「政治的…?」
「だははは!そんな大仰な言い方は止してくれ。俺はただ、一人であの南門を通る勇気がねえだけさ」
鳥の剣士さんの疑問に笑ってそう答えた隊長さんの言葉を聞いてようやく意味が分かった。
隊長さん、わざわざ南門を通って私達の食事を運ぶつもりなんだ。それも、虎の小隊長さんを連れて、だ。
一緒にお昼ご飯を食べるんだ、っていうのを魔族の人達に見せつけるつもりなんだろう。でも、隊長さんと鳥の剣士さんじゃぁ、残念だけど少し責任に差がありすぎる。
でも、虎の小隊長さんだったら同じ部隊長同士だ。
隊長さんと鳥の剣士さんだと、上下が分かれてしまって、もしかしたら魔族が人間に従っているように見えるかもしれない。
虎の小隊長さんだったら、確かにその心配はないよね。無駄な誤解を生まずに、魔族軍の中に波風を立てられる。
隊長さんってば、横柄で大雑把なのに、こういうところにはすごく気を回せるんだな、なんて、私はそんな、ちょっと失礼なことを考えてしまっていた。
「…な、なんか分からないですけど…何か意味があるんなら残ってます」
鳥の剣士さんは首を傾げながらそう言って肩を落とした。そんな姿に、私は少し可哀想な気がしたけど、でも、虎の小隊長さんはそんな剣士さんの肩を叩いて
「俺は細かい作業は苦手だ。任せるぞ」
なんて言って作業に戻らせた。
「おーい、幼女ちゃん!そろそろこっちの山、運んでくれよ!」
不意に女戦士さんがそう声を掛けてきた。いけない、またおしゃべりに夢中でお仕事忘れてた!
そう思って井戸の方を見やったら、女戦士さんのそばの敷かれた藁敷の上にこんもりと大きな土の山が出来上がっていた。
「は、はい、すぐに行きます!」
私は女戦士さんにそう返事をしてから、隊長さんと虎の小隊長さんに十七号くんを振り返って伝えた。
「えっと、それじゃぁ、お昼ご飯、よろしいお願いします」
すると、虎の小隊長さんがニコッと優しく笑って私に言ってくれた。
「お任せあれ、司令官殿」
***
「お、うまいなぁ、この燻製肉!」
「え、どれどれ…あ、ホント!これは、ヤマイノシシの燻製かな」
「ヤマイノシシって、もしかしてあのクマみたいにでかいやつのこと?」
「そう、そいつだ。俺たち猛虎族には、一人前になるために、そいつを一人で狩るって掟があるんだ」
「そいつは骨が折れそうな話だな。魔法は使っていいのか?」
「あぁ、もちろん。そのために、魔法をより研鑽しておかなくてはならないんだ」
「その掟ってホントだったんすね。俺たち鳥翼族は飛び方の練習かなぁ」
「あ、なぁ、妖精ちゃん!今日帰ったら魔族の魔法教えてくれよ!」
「いいですよ、十六号さん。人間ちゃんと一緒に練習するですよ!」
「いいなぁ、俺も俺も!」
「それもいいけどな、チビの坊主!あんたの体術は大したもんだから、どっちかっていうと剣の稽古をしておいた方がいいぞ」
「そうだね。あんたは筋が良いから、きっと良い剣士になれるよ」
「バッカ言え、そこは戦士だろ!あの体術は剣士にするにはもったいないよ!」
「なぁ、なら俺には剣術教えてくれよ!姉ちゃん達、剣士に戦士なんだろ?!俺だって強くなんなきゃいけないんだ、親衛隊なんだからな!」
「だははは!肝の座った坊主だ!いいだろう。おう、お前ら、面倒見てやれ」
「うちの方でも構わないぞ?鳥剣士は剣術は相当な腕だし、鬼戦士も近接戦闘においては突撃部隊随一だからな」
「ん、この燻製もなかなか美味しい!なんのお肉?」
「あぁ、鶏だよ。体動かしたあとはこれに限るんだよね」
「おぉーい、隊長!なんで酒持って来てくれないんだよ!」
「バカ、お前飲ませたら役に立たなくなるじゃねえか」
「十六姉、その腸詰め、食わないんならくれよ」
「ヤだよ!最後の楽しみに取ってあるんだろ!」
「ん、鳥剣士さん、お茶のお代りあるですよー」
「あ、え、えっと、あ、ありがとうございます」
「ははは、なに赤くなってんだお前?」
それからしばらく作業を続けて、隊長さん達が抱えるほどのお昼ご飯をバケットに入れて持ってきてくれたので、一休みということになった。
畑から少し離れたクローバーの上に隊長さんが建ててくれた日除けのテントの下に藁敷を敷いて、広げたお昼ご飯をみんなで囲む。
サンドイッチに果物に燻した鶏肉にお野菜、腸詰めのウィンナーに、香草を塩っぱくしたお漬物もあるし、中樽には冷たく冷えたお茶もある。
そのほかにも、虎の小隊長さんが南の魔族軍の陣からもらってきてくれたという、魔界産の見たことのない果物や、分厚いハムのようなお肉もあった。
お城でのお昼ご飯はもう少し穏やかでゆったりしているんだけど、軍人さん達にかかればお酒がなくても賑やかになってしまう。
「あ、これも美味しい!」
「そんなのよく食えるな?アタシはそれダメなんだよなぁ」
「なんだよ戦士の姉ちゃん、これ食べれないの?」
「だって塩っぱい過ぎるだろ?」
「あんたは舌が子どもなんだよ」
「なんだとぉ?!」
「ん、剣士の姉ちゃん、俺、子どもだけどこれ好きだぞ?」
「あはは、だってさ。ならあんたは子ども以下だな」
「な、なんだよ、アタシだって食おうと思えば…んぐぅ、塩っぱ!」
「あの、その、えっと…は、羽妖精さんは、故郷は、どこなんですか…?」
「私は南の森ですよー!城塞から半日西へ行った方にあるです!」
「石組みってのは、小石が大事なんだよ。隙間に入れて強度をあげるんだ」
「ははぁん、そうか…楔と同じ発想だな。レンガを焼くよりも手っ取り早いな。さっき言ってた切り出しってのはどうなんだ?」
「そっちは手間が掛かるな。魔法なしには難しい」
改めて外から眺めていると、とっても不思議だ。魔族と人間が、なんの隔たりもなく、なんの気遣いもなく一緒にご飯を食べて、笑い合っている。
十六号さんと十七号くんは、元々そんなに人間だの魔族だのって気にしてはいなかったけど、隊長さん達が同じように気にしないって言うのは、やっぱりなんだか…不思議だ。
そんなに簡単に怒りって言うのは消してしまえるものなんだろうか?
それとも、南の城塞に駐留していた司令官さんのように、お仕事として軍人さんをやっている人達は、戦いとかそう言うことをもっと割り切って考えられるんだろうか?
でも、東の城塞に詰めかけていた人間軍は、みんな私達を目掛けて攻撃をしてきた。
もちろんそれは命令があったからだけど…
でも、じゃぁ、隊長さん達は今ここで戦えって命令されたらお互いに斬り合うのか、と聞かれたら、そんなことは絶対に起こらないんじゃないか、ってそう思う。
どう違うのかは分からないけど、とにかくそんな気がした。
「なんだ、司令官殿。そんなに見つめて」
不意に、隊長さんが私に声を掛けてきた。ハッとして思わず意味もなしに苦笑いを浮かべてしまう。
「あ、いえ、別に…」
「うるさかったら言ってくれよ。兵隊なんてバカの集まりだからな、言わないと分からねえぞ」
「いえ、そういう訳じゃないんです」
私はそう答えて口をつぐむ。でも、そんな私を見た虎の小隊長さんが言った。
「仲良くやってるのが奇妙なのか?」
一瞬、ギクリとした。
そう言われてしまうと、まるで何かを疑っているように思われているんじゃないか、って、そんな風に感じられてしまったからだ。
別に、そんなつもりはないけれど…でも、やっぱり不思議に思うのは本当だった。
「その、あの…う、疑っている訳じゃないんですけど、どうしてみんなは、お互いに怒ったりとか、してないんですか?」
私は、恐る恐る二人にそう聞いてみる。すると、隊長さんはははは、と笑い声をあげ、虎の小隊長さんは、あぁ、と何かを納得したような表情を浮かべた。
「まぁ、最初はおっかなびっくりだったがよ。何しろ俺達はあのすっとぼけ上司のお陰で今や人間界じゃぁ、立場が危うい。だが、部下をほっぽって置くわけにもいかねえだろ?そうとなりゃ、何とかして新天地のここの暮らしに慣れていかなきゃなんねえからな」
すっとぼけ上司、って言うのは間違いなく大尉さんのことだろう。そう言えば隊長さんは昨日も言っていた。俺達は傭兵みたいなもんだ、って。
いや、だからと言って、あの焼け焦げるような怒りや憎しみを簡単に消せるんだとは思わない。きっと何か、もっと違う理由があるんだ。
すると今度は虎の小隊長さんが言った。
「ケンカは相手がいないと出来ないからな」
私は、その意味が良くわからなかった。でも、それを聞いた隊長さんは、ヘヘっと笑って
「そりゃぁ、名言だな」
なんて言っている。私は虎の小隊長さんを見つめて聞いた。
「どういうことですか?」
「うーん、そうだな…例えば、司令官殿は、魔族か人間、どちらかがもう片方をこの大陸から消し去ったら、平和が訪れると思うかい?」
人間が魔族を滅ぼしたら…魔族が人間を滅ぼしたら…平和になる…?分からない、どうだろう…?もしかしたら、憎しみとか怒りは消えるのかも知れない。
でも、じゃぁ、果たしてそれからずっと平和でいられるんだろうか?
人間だけの世界になったとして、もう誰かが誰かを傷付けるなんてことのない世界になる…?
ううん、きっとそんなことはないだろう。
お姉さんや魔道士さん、兵長さんとあの人間軍との意見が食い違って戦いになりそうになったときのことを思い返せば、そんなのは簡単じゃないって、そう思う。
たくさんの人がいれば、それだけ考えることに差がでてくる。それはもしかしたら、新しい憎しみや怒りの発端になるかも知れない…
私はそう思って首を横に振った。すると、虎の小隊長さんはまた笑顔になって
「やっぱり、指揮官殿は、聡明だな」
なんて言ってから、お茶をグッと飲み干して続けた。
「結局のところ、魔族と人間の違いなんてそんな物だ。大昔から続く禍根があろうがなかろうが、二つの文化、二つの暮らしをしている者同士が触れ合えば、そりゃぁ、ケンカにもなる。ケンカになって傷付く者が出れば、恨むやつだって当然出てくる。だが、それで相手を殺せば済むのかって言う話だ。一時は、それで良いかも知れないが、いずれ、別の誰かとまたケンカになる。殺し合いを続ければ、自分だって傷付くこともあるだろう。相手を殺しても、自分が致命的なケガすることだってあるかも知れない。魔族が大陸を支配ても、必ず魔族の中で争いが起こる。それこそ、今だって城の会議室じゃぁ、言い合いが続いてるかもしれないんだ。魔族同士の争いや人間同士の争いが起きないなんて約束はされない。そういう意味で、魔族だ、人間だと分けて考えること自体にそれほど意味はない」
虎の小隊長さんはチラっと、まだ香草のお漬物について、食べれるだの食べれないだのと盛り上がっている方を優しい微笑みで見やった。
「そう考えたら馬鹿らしいだろ。人間だから憎いだなんて思うのは。話してみれば、これだけ気のいい奴らだっている。種族に縛られて盲目に相手対して感情を高ぶらせても疲れるだけだ。重要なのは、自分達の目で見て自分達が感じた相手の姿だろう。魔族の中にもロクでもない輩もいる。俺はそういう奴らの方がよっぽど憎いね」
小隊長さんはそう言って、お漬物を無理して頬張りむせ返った女戦士さんと、慌ててその背を擦る鬼の戦士さんのやり取りを見て、声を上げて笑った。
小隊長さんの話はなんとなく分かる。トロールさんや妖精さん、サキュバスさん達と出会って、姿形は違っても、同じ気持ちや同じ思いを持てるんだって思えた。
辛い出来事に出くわして、一緒に辛いんだって思えた。穏やかな日は、一緒にのんびりお茶も出来た。そこには、魔族も人間もない。私と“みんな”の関係があった。
小隊長さんはきっとそのことを言いたかったんだろう。
でも、と、頭に言葉が浮かぶ。
それは私が戦争で戦っていなかったからだ。父さんや母さんが戦争で死んだわけじゃないからだ。
もし私が戦争に出ていて仲間を殺されたり、父さんや母さんが戦争で死んじゃったりしていたら、きっとそうは思えない…きっと…
「いい話だがよ、指揮官殿には少しばかり難しかったようだ」
不意に隊長さんが私を見やって言った。難しかった、というのがあっているかは分からないけど…いまいちしっくり来ないっていうのが本当だった。
相手がいなくなってしまっても平和になんてならないから、とか、そんな想いだけで、憎しみや怒りを消せるとは思えなかった。
「指揮官殿は、ケンカしたことあるか?」
そんなことを思っていた私に、隊長さんが聞いてきた。
ケンカは…そりゃぁ、村にいる頃には、同い年の子達と言い合いやときには取っ組み合いをしたことはあったけど…でも、それと戦争は違うよね…?
そんなことを思いながら私はコクンと頷く。
すると隊長さんは、思わぬことを言った。
「そいつと一緒さ」
「えっ?」
戦争とケンカが、一緒なの…?
「虎の旦那は何も例えでケンカなんて言ったわけじゃねんだ。ケンカと戦争ってのは、本質的には似たようなもんなんだよ。ケンカしたあとは仲直りすることがあるだろう?もちろん、ケンカしてそれっきり、ってやつもいるだろうし、顔を合わすたびケンカになるようなやつもいるだろうが…まぁ、とにかく、だ。ケンカしたあとは妙にすっきりすることはなかったか?」
「すっきりする、こと…?」
「そうさ。言いたいことを全部ぶちまけて、相手にも言いたいことを好き放題言われて、で、その後、あれ、なんでケンカしてたんだって思うこと、なかったか?」
隊長さんに言われて、私は村での生活のことを思い返す。ケンカ自体、そんなにたくさんあったわけじゃないけど…
でも、そう、小さい頃、それこそ、十九号ちゃんや二十号ちゃんくらいの頃に、遊びを決めるのに同い年の子と随分長い時間言い合いになったことがあった。
私は鬼ごっこが良いと言って、その子は隠れんぼが良いと言って、お互いに譲らなかった。
それじゃぁ、他の子がどっちをやりたいか聞いてみようって話になって、それで聞いてみたら、返ってきた言葉は
「ケンカじゃなきゃなんでもいいよ」
だった。
そりゃぁ、せっかく楽しく遊ぼうと思って集まったのに、ずっとケンカしてたんじゃ楽しくもなんともない。
結局私とその子は、ケンカをしてしまったことをみんなに謝って、それからみんなでできる遊びを、って考えて、結局缶蹴りに決まったんだ。
私とその子は、お互いに謝ったりしたわけじゃなかったけど、でも、二人ともただ、みんなで楽しく遊びたいってそう思っていただけだったから、
そのあとは仲良く一緒に遊んでいた。
そんな思い出を話したら、隊長さんはニヤリと笑って言った。
「ほらよ、同じじゃねえか。俺達は魔族を滅ぼそうと思って戦争をしたわけじゃねえし、魔族だって人間を滅ぼそうとしたわけじゃねえ。ただ、お互いが平和な暮らしをしたいと思って戦った。それならよ、いつまでもケンカしてたって仕方ねえかねえ。憎しみ合ってりゃ、またケンカが起こる。そうなりゃ、平和な暮らしなんてまた先延ばしになっちまう。俺達は平和な暮らしをしたいだけだったのに、そいつを戦争なんてバカみたいなケンカでダメにしちまった。だが、運が良かったのは城主サマがケンカの後始末をしてくれて、こうして俺達は出会った。で、出会って話をして、ようやくお互いが平和を望んでいることを理解できた。戦場でさんざんに斬り合った間柄の相手が、自分達と同じことを考えていたわけだ。そうなっちまったらよ、もう戦争なんて起こす気にもならんだろう?どっちも平和を望んでんのに、俺達はどうして殺し合いなんてやってたんだ、ってな。そりゃぁ、中には気に入らねえやつもいるさ。だが、そんなときでも戦争なんてする必要はねえ。それこそ、ケンカで十分だ」
隊長さんはクイッと頭を振った。私は釣られて、その先に視線を向ける。
「見て分かっただろ?!せっかく最後に食おうとしたのに!」
「分かるわけないでしょ、あんなの!食べるつもりならもっとちゃんと除けといてよ!」
「だから除けてあったって言ってんだろ!」
「あんなの除けてたうちに入らない!」
そこには、そう言い合いをする女戦士さんと鬼の戦士さんの姿があった。
隊長さん達との話に夢中で、何がどうしてそうなったのかは分からないけど…とにかく、何やら揉めている。
「もう…今のチェリー二個分、午後はあんたに余計に働いてもらうからな」
女戦士さんがそう言って鬼の戦士さんの肩をペシっと引っ叩いた。
「痛っ。なんでよ、あなたが除けてたらこんなことにはなってないでしょ」
そう言い返した鬼の戦士さんがペシっと女戦士さんの腕の辺りを叩き返した。
「痛ってーな、アタシそんな強く叩いてないだろ」
ムッとした表情の女戦士さんがさらに鬼の戦士さんを平手で叩く。
「ちょっ、なによ!鍛え方が足りないんじゃないの?」
鬼の戦士さんも負けずに女戦士さんをベシっと強めに平手を見舞った。
「あんだと?!っていうか痛てえんだよ!」
「それはこっちのセリフよ!盗み食い呼ばわりの上になんで叩かれなきゃいけないわけ!?」
あれ、なんかすごく興奮してきてない?二人とも…
そんな様子に心配になったのは私だけじゃない。
「あの、あの、チェリーならお城に帰ればまだあるですよ…」
「そ、そうだぞ、子供じゃないんだから、チェリーくらいで…」
妖精さんと十七号くんもそんな事を言って何とか二人を収めようとしているけど、二人の言い合いは、もうチェリーがどうとか関係なくなってきている。
「いーや!あんたのさっきのやつの方が痛かった!」
「最初にやってきたのはそっちでしょ!?それだと私が一発多く叩かれてるじゃない!」
二人は興奮して立ち上がり、ベシベシと叩き合いを繰り広げている。かなり険悪だし、お互いにムキになってしまっている。
ソワソワとしているうちに、鬼の戦士さんの放った平手がかなりの強さで女戦士さんの肩の辺りに炸裂した。女戦士さんはギロリと目つきを変えると、低い声で呟くように言った。
「いいだろ、相手になってやるよ!」
それを聞いた鬼の戦士さんも負けていない。鋭い眼光で女戦士さんを睨みつけると、背中に背負っていた剣を外し、着ていた鎖帷子を脱ぎ捨てて藁敷から降りた。
女戦士さんも着ていた軽鎧を外して、腰の革ベルトごと剣をガチャリと外して鬼の戦士さんに続いて藁敷から降りた。
「ちょ、ちょっと隊長さん…!」
私は急な出来事で何がなんだか分からなかったけれど、とにかく止めなきゃ、って一心で、隊長さんにそう声を掛けた。
でも、当の隊長さんはいつものように、ガハハと笑って
「おう、いいぞいいぞ!やれやれ!」
なんてあろうことか、二人をけしかけている。
「後悔するなよな…!」
「そっちこそ、どうなっても知らないから…!」
二人はそう言うが早いか、お互いに飛び掛かって肩と頭を付けてガッチリと組み合った。どうしよう、なんで急にケンカになってるの…!?
せっかく仲良く楽しくやっていたのに…!私がそう思って慌てて立ち上がろうとしたその時だった。
「もらったよ!」
「うりゃぁぁ!」
と掛け声がして、組み合っている二人目掛けて女剣士さんと十六号さんが飛び出して行って、横から勢い良く当身を食らわせた。
「ふぎゃっ!」
「ひゃぁっ!」
と悲鳴を上げて、女戦士さんと鬼の戦士さんが勢い良くクローバーの中に吹き飛んだ。そんな二人の傍らで、
「勝ったよ!」
「うおぉぉ!」
と女剣士さんと十六号さんが勝どきを上げている。
い、いったい、何なの…?
と、戸惑っていたらクローバーの中に倒れ込んだ女戦士さんと鬼の戦士さんがむくりと起き上がり
「不意打ちなんて卑怯だぞ!」
「覚悟しなさい!」
と叫んで勝どきあげていた二人に襲いかかる。
「このっ…往生際が悪いよ!」
「大人しくしなさい!」
「痛たたっ!鬼の姉ちゃん、角が痛いよっ!」
「まとめて潰してやる!」
四人はなんだかそんな事を言い合って、クローバーのうえで揉みくちゃになり始めた。それも、なぜだかケタケタと可笑しそうな笑い声をあげながら…
「ははは、指揮官殿には少しばかり乱暴すぎたか」
隊長さんが戸惑っていた私を見やってそう笑う。
「えっと…あの…おふざけ、だったんですか?」
「さぁな。途中までは本気だったろうさ。まぁだが、そんなこともある。言いたいことを言えば意見の違いも出てくるし、それでケンカにもなるだろう。だが、俺はケンカで収まってるうちは別にそれが悪いことだとは思えねえ。言いたいことを言えるってのはいいことだ。相手を信用してないと出来ることじゃない。収め方さえきっちりやれば、笑い話、さ」
隊長さんは満足そうに言った。
ケンカが出来る相手…か。確かにそうかもしれない。ケンカは一人でなんて出来ない。相手が居て初めてケンカになるんだ。
「相手が魔族だから」ケンカになるわけじゃない。人間同士だって、二人いればケンカになることだってある。
でも、ケンカをしたって、必ず仲が悪くなるとは限らない。小さなすれ違いにお互いに気がついて、前よりも一層仲良くなれることっだってある。
それが、今隊長さんが言った収め方、なんだろう。
そうか…人間だから、魔族だから、って理由で相手を恨んだりすることに、大きな意味なんてないんだ。
そこにあるのは、人間同士、魔族同士のケンカ一緒。なら、それを収める方法も、大きな違いはない。
自分の気持ちを告げて、相手の言い分も聞いて、どこがすれ違いなのかを確かめればいい…
それが出来ていないのが今の人間と魔族との関係だ。魔族は人間の憎しみと怒りの対象で、人間も魔族の怒りと憎しみを受けている。
でも、もし、小隊長さんが話してくれた通り、魔族と人間にさほどの差がないんだ、とみんなが知ることが出来たら…
もしかしたら、相手の言い分を聞くことが出来るようになるかも知れない。それでもし、お互いのすれ違いが少しでもなくなったら、そのときは…
「隊長さん、小隊長さん。もし、人間と魔族がそれほど違わない、ってことをみんなが知ることが出来たら、この戦いの続く世界が少しだけでも平和になると思いますか…?」
私は、思い至った考えを二人にそうぶつけていた。それは、もしかしたらお姉さんが探し求めている答えの一つなのかも知れないからだ。
私の言葉を聞いて、二人は目と目を合わせてから私を呆然とした表情で見つめていた。
「お前さんは…本当に子どもとは思えねえな」
「まったくだ、サキュバスの姫が言っていた通り…」
いや、えっと、その…褒めてもらえるのは嬉しいんだけど、その、争いの話を…
なんて思いで口をモゴモゴやっていたら、隊長さんがふむ、と息を吐いて腕組みをした。
「そいつは簡単じゃねえな。人間と魔族との間は、俺達のような単純な物ばかりじゃねえ。いろいろと複雑なんだ」
「そ、そうなんですか…?」
「例えばよ、人間界で魔族を見たことのあるやつは少ねえ。それこそ、軍人は戦っていたから分かるし、王都西部城塞都市の一般市民や砂漠の交易都市の住民くらいなもんだ。王都や他の小さい村や街に住んでる連中は、魔族を知らねえ。が、魔族は悪だと決めて掛かっている。一人一人の説得はそう難しくはねえかもしれねえが、そういう実態のない感情ってのは厄介なんだ。拭っても拭っても、どこからか湧き出て来て気がつけばまた染まっちまう」
「魔族側も同じことが言えるな。それに、魔族側は先代様を討たれ、人間によって生活を乱された者も多い。実際に目で見て被害を感じている分、それを拭うことは簡単じゃないだろう」
二人は難しい表情をしながらそう言う。
やっぱり、そうだよね…そう言う意識を根っこからどうにかしないと、簡単に変えることなんて出来たりはしない、か…
私はほんの少し灯りそうになった明かりが消えてしまったように感じてなんだかがっくりとしてしまう。
魔族と人間との関係もそうだし、今は魔導協会の人達が何を考えているか分からない。
なんだかやっぱり、どうにも息苦しい感じは取れなかった。
「まぁ、魔界の方は城主サマ次第、ってところもあるな」
不意に、隊長さんがそう言った。
「あの人がこれから魔族のために何をするかで、魔族の見方も少しは変わるかもしれねえ」
隊長さんはお城を振り返えりながら言う。それにため息を吐いた虎の小隊長さんが
「そう言われると、感情で突っ走ってるうちの大将が台無しにしている気がするよ」
と肩を落とした。でも、隊長さんはそんな小隊長さんに笑って言った。
「言いたいことを言うのは悪いことじゃねえと言ったろ?多少の小突き合いがあっても、ただのケンカなら収め方次第だ。元勇者として、そこと向き合わなきゃならんのは当然だ。見方に寄っちゃ、魔王って地位を奪っただけのように思われても不思議じゃねえ。ある意味じゃ、当然だ。だから竜の大将のことは心配することはねえさ。むしろ、先代を討ったようなやつに、大人しく黙って従っているようなやつがいた方が返って不気味だぜ」
「なるほど、諜報部隊らしい見解だな」
「そうか?まぁ、そうかも知れねえな。虎の旦那も気を付けろよ、油断していると俺が後ろからズブっと行くかも知れんぞ?」
「ははは、そのつもりがあるんなら、俺はもう生きてないだろ」
二人はそんなことを言い合って笑った。その雰囲気はやっぱり穏やかで心地良くって、どこか嬉しい気持ちにさせてくれる。
さっきは難しいかも、と言われてしまったけど、もし、魔族と人間が、どこででも誰とでも、こうして冗談を言いながら笑い合ったりケンカしたり出来る世界になったとしたら…
お姉さんは、どんな笑顔で笑うんだろうか?
私はふとそんな事を考えて、さっき隊長さんがしていたように、お城をじっと見つめていた。
「んっ?」
と、そんなとき、妖精さんが声を漏らせてふと、顔をあげた。妖精さんは辺りを見回して、スンスン、と鼻を鳴らして何かの匂いを嗅ぐような仕草を見せている。
「どうしたの、妖精さん?」
私が聞いたら、妖精さんは眉間に皺を寄せながら言った。
「人間ちゃん、雨が降るかも」
「え?雨…?」
私は思わぬ言葉に空を見上げた。済んだ青空には千切れ雲が漂っているくらいで、雨雲らしいのは見えないけど…
「雲はないみたいだけど、いっぱい降りそう?」
私は妖精さんに聞いてみる。きっと、風の魔法で何かを感じ取っているんだろう。すると妖精さんは、真剣な表情で
「うん…たぶん、雷になると思う。南から冷たい風が吹いてきてる。北からの暖かい風とその冷たい風がぶつかると、入道雲になるんだよ」
と教えてくれた。
入道雲、か…だとしたら本格的な雷雨になるってことだよね…そうするとかなりの雨が降るかもしれない…
「なんだ、雨降るんだ?水を撒いた意味なかったなぁ」
十七号くんがそんな事を言って呆れたように笑う。ううん、違う…雨が降るから良いってわけじゃない…。むしろそんなにたくさん降ってしまったら…
「おい、指揮官殿。雷雨はまずいんじゃないのか?」
小隊長さんがそう聞いてきた。
「まずいって、何が?」
十七号くんは相変わらずにそう言う。
「ううん、違うんだ。お芋は土の中に出来るから、雨がたくさん振ると腐ったりしちゃうんだ」
「えぇ?!それ、ダメじゃないかよ!どうするんだ!?」
私の言葉に十七号くんがそんな声をあげた。
ここの土は、きっとそれほど水はけが悪いわけではないと思う。でも、雷雨のように短い時間にたくさんの雨が降ればどうしたって水がたまってしまう。
二日くらいでも水溜まりが残ってしまったら、それだけで植えた種芋が腐ってしまいかねない。そのためには、ちゃんとした排水をする仕組みが要る…
「排水路…もっとちゃんとした排水路がいる」
私は畑を見やった。畑を作ったときに、ゴーレムにも排水のための道は作らせたけど、それは間に合わせのためのものだ。
踝くらいまでの深さを畑をの周りに掘っただけで、大雨になんて耐えられない。畑も畝の間を深く掘って畑の周りの水路ももっと深く掘らなければいけない。
それに、庵も作っておかないと、せっかく掘った井戸の穴に水が入ったら崩れてやり直しなってしまったりもしそうだ…これはのんびりしていられない…!
「隊長さん、庵はあとどれくらい掛かりそう?」
「あぁ、そうだな…あと二刻もありゃぁ、何とかなる」
「なるべく早くに作って下さい、井戸に水が入ったら大変」
「ふむ、そうだな…雷となると、庵の近くに集雷針もいるだろう。せっかく作った庵に雷が落ちりゃぁ一瞬でまる焦げだ」
確かにそうだ…背の高い棒の先に鉄槍の先端を付けて、他の場所に雷が落ちないように引き寄せる、あれも必要だね…!
「隊長さん、作れますか?」
「資材がありゃぁな。一旦城に引き返して、使えそうな道具を探そう」
「お願いします!」
私はそれからみんなを見渡す。
午前中に庵を作ってくれていたのは隊長さんだけだった。井戸掘りをしていてくれていたのが女戦士さん女剣士さんで、魔族のみんなと十七号くんに十六号さんには水撒きをお願いしていた。
水撒きは終わったから、その分の人手で別のことをやってもらわなければいけない…
私はそれを確かめて頭の中で考える。うまく人を割り振って急いで作業しないと…!雨が降り始めるまえに…!
「隊長さん!女剣士さんと鳥の剣士さんと一緒に庵をお願いします!虎の小隊長さんは、女戦士さんと鬼の戦士さんに、十六号さんと十七号くんと排水用の水路を掘りをお願いします!私と妖精さんで、出た土を井戸の周りの積んで山にして、井戸の中に地面の水が入らないように堰を作ります!雷が来る準備をしておかないと、畑も井戸も全部ダメになっちゃうかも知れない!」
私の言葉に、まだ食事をしていたみんなが一瞬、息を飲むのが分かった。でも、そんな雰囲気を女戦士さんが打ち壊してくれる。
「よし、ならいつまでも昼休憩ってわけにもいかないな」
それに、鬼の戦士さんが続く。
「そうだね。早めに終えて、準備しないと」
「でかいシャベルがいるよな。確か、城の物置にあった気がするんだけど」
「あったあった!急いで取りに行こう!」
十六号さんと十七号くんがそう言葉を交わして確認している。
「隊長、あんたその子達と城に戻って資材持ってきなよ。こっちは私と鳥くんとでやっておくからさ」
「ええ、任せて下さい」
女剣士さんと鳥の剣士さんの言葉に
「そうだな、頼むぞ」
隊長さんが答える。
「俺は水路の掘り方を聞いておいた方が良さそうだな。指揮官殿」
なんて小隊長さんが言って来たので私は頷いて返した。それぞれの役割が決まったところで、最後に妖精さんが声をあげた。
「よし、じゃぁ、急ぐですよ!」
そんな、いつもの妖精さんの変わった敬語に、みんなで、おう!っと掛け声を合わせて、私たちはお昼ご飯の片付けをいそいそと始めた。
間に合うかな…そう思って見上げた空には、やっぱりまだ小さな千切れ雲しか浮かんではいなかったけれど。
***
作業を始めてどれくらい経ったか、ようやく私達は畑の周りに膝程の深さの排水路を掘り終えた。
庵と集雷器を作り終えた隊長さん達も途中から掘る作業に加わってくれたので、そこからはうんと早くに進められたのが幸運だった。
と言うのも、妖精さんが言った通り、太陽が僅かに傾き始めた頃には北の空にムクムクと入道雲が立ち上がって、徐々に大きくなりながらこっちへ近付いて来ていたからだった。
「隊長さん、そっち大丈夫ですか?」
「ああ、問題ねえ。虎の、そっちはどうだ?」
「こっちも大丈夫だ。これで突風が来ても飛ばされるなんてこともないだろう」
声を掛け合いながら、井戸のそばに置いていく資材を縄で括って、さらに別の縄でグルッと巻いてから、余った木材で作った杭にその縄を括って地面へと打ち込んだ。
これなら、風が吹いたって大丈夫なはずだ。
「隊長、急げよ!あれ、もう来るぞ!」
荷車に道具を載せた女戦士さんが声を掛けてくる。他のみんなも不安げな表情で入道雲の方を見上げたり、こっちを見ていたりしている。
「よし、これで良いだろう。降ってくる前に逃げ込むぞ」
「はい!」
隊長さんにそう返事をして、私は荷車の方へと走って戻る。
「人間ちゃん、早くー!」
妖精さんが荷車の上から手を伸ばしてくれて、辿り着いた私をヒョイっとその上に引き上げてくれた。あとから来た隊長さん達もそこに乗り込む。
それほど広くない荷台は、私と妖精さんに隊長さんと小隊長さん、十七号くんと十六号さんでぎゅうぎゅう詰めだ。
引き手のところには女戦士さんと鬼の戦士さん、荷車の両脇には女剣士さんと鳥の剣士さんが張り付いている。
「よぉし、良いぞ!出せっ、馬車馬!」
隊長さんがガハハと笑いながらそう言う。
「誰が馬だよ!ちゃんと掴まってろよ、落ちても知らないぞ!」
女戦士さんがそう言ってから
「行くぞ!」
と一声合図をした。
途端に荷車がガタガタと揺れ、クローバーの生え揃う野原を走り始めた。
「うぉっ!わぁっ!あだっ!痛ってぇぇぇ!!戦士の姉ちゃん、もっと静かにやってくれよ!」
「喋ってると舌噛むぞ!」
風を切る音に負けないくらいの大声で言った十七号くんに、女戦士さんのさらに大きい声が聞こえてくる。
ガタゴトと揺れる荷車は、私なんかが走るよりももっと早い。
四人の魔法が得意な軍人さん達に掛かればこんなにも早く動けるんだ、なんて思うよりも私は揺れる荷台から飛び出さないようにと、
妖精さんと一緒に隊長さんに掴まっているのに必死だった。
程なくして荷車は魔族軍の陣地に差し掛かる。
ここを抜ければ、南門。お城まではもうすぐそこだ。
「えぇ!?なんだって?!」
不意に、そう叫ぶ十六号さんの声が聞こえた。見ると、十六号さんは自分の体にしがみついている十七号くんに、そう言ったようだった。
そんな十七号くんが声をあげる。
「だから!魔族の連中は、雷平気なのかなって!」
え、魔族の人達…?
私はハッとして辺りを見渡した。魔族軍の人達は、昼間、私達に向けていたあの冷たい視線を浴びせることも忘れて、慌ただしく動き回っている。
あの入道雲を見れば、備えないわけにはいかないだろう。
「おい、虎の!お前さんの部下、まだ陣地にいるんだろう!?そいつらだけでも俺達のいる兵舎に呼び込むか?!」
「あぁ、助かる!こんな平地じゃ、被害が出てもおかしくない!」
隊長さん達がそう言っている。そうだよね…いくら自然の魔力を扱える魔族だって、あの雷雨なんてのに見舞われたら、平気でいられるはずはないよね…
雷って魔法で防いだり出来るのかな…?
「小隊長さん!雷を防ぐ魔法ってあるんですか!?」
私は風に負けないように大きな声で虎の小隊長さんに聞く。すると小隊長さんは険しい表情で叫んだ。
「いや、雷は無理だな!力が大きすぎるし、そもそも雷を操る魔法を使える連中は少ない!」
待ってよ…それじゃぁ、やっぱりこんなところで陣地を張っているのって危ないんじゃ…!?
で、でも、さすがに三千人の魔族軍の全部をお城の中に避難させるなんてことは出来ないし…だけど、このままだと魔族軍の人達は危ないよね…
「妖精さん!」
私は妖精さんを見上げて叫んだ。
「お姉さんにお願いして、中庭に魔族軍の人達を入れてもらおう!城壁には集雷器があるから、外よりもきっと安全だと思う!」
すると妖精さんはニコっと笑顔を見せて私に言ってくれた。
「うん!一緒にお願いしに行こう!」
ガタゴト揺れる荷車が大人しくなる。目の前に南門が見えてきて、戦士さん達が足を緩めたからだろう。
すぐに荷車は南門の前に到着した。鳥の剣士さんがひらりと城壁の中に羽ばたいて行って閂が外され、重い音とともに門が開いた。
私は妖精さん荷車から飛び降りてお城の入り口へと走る。
「俺は声を掛けてくる。鳥剣士、お前も来てくれ!」
「了解です、すぐに行きましょう!」
「おい、すぐに中へ入ってバカ共に場所を開けるように言え!」
「おし、任せとけ!鬼のも一緒に来てくれ!」
「うん!」
後ろでそう言い合っている声を聞きながら、私は妖精とお城の中に駆け込んだ。必死に階段を駆け上がり、廊下を走って会議をしている部屋へと急ぐ。
途中、後ろから足音が聞こえて振り返ると、そこには十七号くんと十六号さんがいた。
「親衛隊を置いていくなよな!」
十七号くんがそんなことを言って笑う。
「うん、ごめん!」
私は笑顔を返しながら十七号くんにそう言いながらさらに階段を上がる。上層階までたどり着いて廊下を走り、私達はノックもせずに会議室へと飛び込んだ。
「お姉さん、大変!」
大きなテーブルにはいつもの通り、お姉さんにサキュバスさんに兵長さんと黒豹さん、それから師団長さんと竜族将さんに他の魔族の偉い人達も集まっていて、バタバタとなだれ込んだ私達に視線を向けていた。
「なんだよ、慌てて?」
お姉さんが私達にそう聞いてくる、けど、私は慌ててここまで一気に走って来たものだから、息が切れちゃってうまく言葉が出ない。
それを見かねたのか、十六号さんが代わりに
「十三姉ちゃん、雷が来てるんだ!」
と言ってくれた。それに続いて十七号くんも
「外の魔族の連中、あのままだとまずいって!」
と声をあげてくれる。
「お姉さん!魔族の人達をせめて城壁の中に入れてあげないと…!」
私はようやく整い始めた息を吸い込んでそう伝えた。お姉さんはすぐさまイスから立ち上がると窓辺に駆けて行ってその外を見やった。
「雷雨ですか…?」
「まずいな…我が機械族はあれには弱い」
「強い者などありはせん。雷を避ける大気術を使える者は何人居ったか…」
「急ごしらえでも例の避雷槍を作らせるか?」
「必要だろう。だが、あの陣地のすべてを覆える程となると、数が…」
魔族の人達もそう話を始めたる。そんなところにお姉さんが戻ってきて、魔族の人達に言った。
「サキュバス、三階までの兵舎に外の連中を引き込むぞ。兵長、二階の諜報部隊の連中に、兵舎を空けてこっちの生活階へ上がって来るように伝えてくれ」
「はっ!すぐに!」
お姉さんの言葉にいち早く反応した兵長さんが部屋を飛び出していく。そんな姿を見送りもしないで
「お、お待ち下さい、魔王様!あの者達すべてを魔王城に入れるなど、言語道断です!お言葉ですが、未だ魔王様のご意思を理解せぬ者も多く、そのような輩が魔王様を狙ってくるやも知れません!」
と師団長さんがお姉さんに訴え出る。それにサキュバスさんが
「魔王様、全軍三千人を城内に収容するのはかなり厳しいのではないですか?」
と落ち着いた口調で続く。
でも、そう言われたお姉さんニコっ笑って言った。
「入れろ。押し込んででも何でも、とにかく匿え」
サキュバスさんはその言葉に何だか少し嬉しそうな表情で頷き、師団長さんは呆れ顔を見せた。
「人間様、一緒に軍の迎え入れをお願いします」
サキュバスさんが私にそう言ってきた。私もサキュバスさんに笑顔を見せて頷く。
「なれば、我が近衛師団を上階に配置して、警備を固めましょう」
師団長さんも覚悟を決めたって顔をしてそう言った。
「よし、今日の会議はこれまでだ。各師団へ戻って至急、城内へ避難するよう伝えてくれ」
「ふむ、ここは魔王様のご慈悲に甘える他にありませんな。そうであろう、竜族将よ?」
鬼族の賢者さんが竜族将さんを身やって言う。竜族将さんは、ちょっとふてくされた表情を浮かべて、
「ここは魔族を守るための城だ。そうでなくては困る」
なんて強がりのような返事をした。
魔族も人間も、こうなったら関係ない。大きな自然の力の前には、身を寄せ合って逃れる他に術はないんだ。
でも、今の私はそれがやっぱり、なんだか嬉しい気がしてしまっていた。
ふとお姉さんを見上げたら、お姉さんも嬉しそうな笑顔出私を見ていて、不意に手を伸ばして来たと思ったら、私の頭をガシガシっと撫でてくれた。
「よし、サキュバスの言うことちゃんと聞いて、誘導頼むぞ」
「うん!」
「任せて下さいです!」
私と妖精さんとでそう返事をする。
「十七号、十六号!この子から離れずに見ててやってくれよ!」
「任せとけ!俺達は親衛隊だぜ!?」
「ああ、心してかかるよ、姉ちゃん」
今度は、十七号くんと十六号さんがそう声をあげた。
「サキュバス、黒豹。外の魔族を誘導する陣頭指揮を執れ」
「私は城内の誘導を行いましょう。黒豹様は、城外の者達に声掛けを!」
「委細、承知しました。すぐに掛かります!」
サキュバスさんと黒豹さんもそう返事をする。それから私たちはなぜだかお互いの目を見つめ合って、みんなが笑顔でいるのを確かめていた。そんな私達にお姉さんの号令が飛ぶ。
「任せたぞ、掛かれ!」
「はい!」
そんなお姉さんに返事をした私達はすぐさま部屋を飛び出した。廊下を走って階段を駆け下り、南門の正面にある扉へと急ぐ。
するとそこには、隊長さん達の姿があった
「おう、早かったな!城主サマの采配はどうなった?!」
「全軍を引き入れます。ご助力を頂けませんか?」
隊長さんにサキュバスさんがそう叫ぶ。それを聞いた隊長さんは、ニヤリと笑って傍らに居た女戦士さんと女剣士さんに頭を振って言った。
「よし、お前ら!虎の大将に付いて誘導を手伝え!」
「あはは、突撃部隊の指揮下に入れってか!こりゃぁ良い!」
「言ってる場合じゃないでしょ!ほら、行くよ!」
「俺達も外に出て誘導します!指揮は!?」
虎の小隊長さんの言葉に、黒豹さんが答えた。
「猛虎の嫡男殿!私が采配いたします、各部隊への声掛け願います!」
「よし来た、行くぞ!」
虎の小隊長さんがそう言って表へと飛び出していく。私はその時になって、あたりがもう随分と暗くなって来ていることに気が付いた。
厚い雲が空に掛かって、風も吹き始めている。もう、時間がない…
私は十七号くんと十六号さんと妖精さんと一緒に扉の前に立って、虎の小隊長さんが開け放った門の向こうの魔族軍を誘導する準備に入る。
黒豹さん小隊長さんに、戦士さんや剣士さん達が門の外に駆けて行ったのもつかの間、門をくぐって、大勢の武装した魔族の軍人さん達が門の方へと急ぎ足でやって来始めた。
武装はしているけど、手には小さな荷物だけとか、中には何にも持っていない人もいる。本当に慌ててこっちへやってきて入るようだった。
「おーい、あんた達、こっちだ!」
十六号さんが不意にそう声をあげた。
「早くしろ、降ってくるぞ!」
今度は十七号くんも叫ぶ。私も負けてられないんだ!
「急いで下さい!早く!」
「雷来るですよ!急いで下さいー!」
私と妖精さんも声を張れるだけ張って呼びかける。
すぐに先頭をに来ていた大きな体のクマの様な魔族さんが私達の呼びかけに吸い寄せられるようにやって来てくれて、お城の中へと入って行く。
狼の獣人さんに、あの鉄の鎧の様な物を身にまとった機械族の人達も、竜族の人も悪魔みたいな風体の魔族さんも次々と入り口へと押し寄せて来る。
きっと中ではサキュバスさん達が、場所を指定して城内で誘導してくれているはず。中はきっともっと大変だろうけど…私も、気を抜いてはいられない!
「早く中に!中に入ったら、誘導された場所に行ってくださいね!」
そう、今までよりも一層大きな声をあげたその時だった。
パパパっと目の前が真っ白に光った思ったら、まるで大きな山が崩れ落ちたんじゃないか、って思うくらい雷鳴が辺りに鳴り響いた。
それと同時にザザザザァ!と猛烈な雨が降り始める。
雷鳴に驚いて十六号さんに飛びついてしまっていた私と妖精さんはすぐに我に返って、雨と風に負けない大声を出して魔族の人達に呼びかけ続ける。
入り口の扉の外にいた私達はたちまちびしょ濡れだけど、構ってはいられない。魔族の人たちは私達よりももっと濡れちゃうし風も直接浴びてしまう。
吹き込んだ雨に濡れるくらい、どうってことじゃない!私はとにかくそこで声の続く限り、叫び続けた。
「急いでください!魔王様がお城に逃げろと言ってます!みんな、急いで!」
「おら、早く早く!」
妖精さんも十七号くんも声の限りに叫んだ。
魔族の人達は私達にあの冷たい視線を浴びせるのも忘れて雨から逃れるために盾やマントを頭に掲げながらお城の入り口へと殺到する。
雨も風も一段と強くなり、再び閃光とともに雷鳴が鳴り響いた。それでも私達はそこで必死に魔族の人達をお城の中へと急がせる。
「すまないな…!」
不意にそう声が掛かって見上げると、雨にびっしょり濡れた若い男の魔族の人が立っていた。雄々しい角に、黄色に縦長の瞳。
体を覆う棘のようなウロコは竜族独特の特徴だ。
「いいえ!早く中に入って下さい!」
「ああ、感謝する!」
竜族の男の人はそう言い残して足早にお城の中に入って行く。
途端に、後ろからコツン、と何かがあたったので振り返ると、十六号さんがニヤリと笑顔を浮かべていた。
「井戸掘りの成果かも知れないな」
十六号さんはそんなことを言った。
隊長さんや虎の小隊長さん達と一緒に魔族軍の陣地を抜ける道を、私達は道具を運んだり追加の資材や水を汲んだ樽を運ぶために何度も往復した。
隊長さんの考えで、人間と魔族が一緒になってその作業をしてきた。
もしかしたらそれが今になって、魔族の人達に、少なくとも私達は魔族の敵じゃない、と分かってもらうためのきっかけになって来ているのかもしれない。
もしそうなら…きっとお姉さんは、さっきよりももっと嬉しそうな顔で笑ってくれるんじゃないかな…!
そう考えたら私も嬉しくなってしまって、雨に濡れるくらいいっそう構わずに魔族軍に急ぐようにと叫び続けた。
どれくらい経ったか、そんな魔族軍の人達に紛れて女剣士さんと鬼の戦士さんが入り口の扉のところへと姿を表した。二人とも雨に濡れてびっしょりだ。
「外はおおかた大丈夫だ!ここは私らで受け持つから、あんた達は中に入ってあのサキュバスって人を手伝ってやってくれ!」
女剣士さんが雨と風に負けない大声で私達にそう言う。
私は十六号さん達三人と目を見合わせて頷き
「分かりました、お願いします!」
と返事をして、魔族の人達と一緒にお城の中へと戻った。
お城の中は、もうすでに大混乱しているようだった。一階は大広間と大階段があるのだけど、そこはもう魔族の人達でいっぱいだ。
ここがこんな様子なら、二階と三階にある兵舎や訓練なんかに使うんだと言っていた大きな部屋もぎゅうぎゅうになっているに違いない。
私は魔族の人達の間を声を掛け、道を作ってもらいながら大階段へと進む。
何とか辿り着いた大階段を登って廊下を行くと、そこにはサキュバスさんが魔族の人と何かを話している姿があった。
「サキュバスさん!」
「皆様!」
私が声を掛けると、サキュバスさん私達を見やってそう声をあげる。それからすぐに
「では、お願い致します」
と今話し込んでいた尖った耳をした魔族の人に言って私達のところへとやって来た。
「外の様子はいかがですか?」
「今、虎の小隊長さん達が誘導してくれてます。まだ大勢残っているけど目処は付いてるみたいです。お城の中はどうですか?」
「三階と二階の兵舎にはまだ余裕がございます。今、この階の兵舎にいる者の半数を三階に向かわせるようにと近衛師団の者に伝えていました」
サキュバスさんの言葉に私は気が付いた。皆入ったばかりのあの大広間で止まってしまって、奥へと入って来ていないんだ…だからあそこにはあんなにたくさん…
でも、あの大広間に溜まってしまったら、あとから入って来る人が詰まってしまう。早くこっちへ来てもわらないといけない。
「なら、私は戻って広間でここへ来るように呼びかけます!」
私が言うとサキュバスさんはコクっと頷いて
「お願い致します!」
と返事をしてくれた。
私達は広場に戻って、魔族の人達に二階へ上がるようにと大声で触れ回った。そのおかげか、入り口で溜まっていた人達はゾロゾロと二階に上がり始める。
それでもあとからあとから、広間には相変わらず外から人が駆け込んできている。
と、不意にゴゴン、と音がした。大階段の上から音がした方を見ると、その先では広間の入り口の両開きの扉が今まさに閉められたところだった。
扉を閉めていたのは、隊長さんや虎の小隊長さん達だ。良かった、何とか全員を誘導できたんだね…!
「人間殿!」
私を呼びながら、黒豹さんが人混みを縫って私達のところにやって来た。黒豹さんもズブ濡れで、まるで捨て猫みたいな有様だったけど、そんなことに構わずに私達に聞いた。
「中の状況はどうなっておりますか?」
「まだ、二階と三階には余裕があるみたいです!」
私が応えると、黒豹さんは少しだけ表情を緩めて言った。
「何とかなりそうで良かった。外の誘導は完了したと、サキュバス殿にお伝え願えませぬか?」
その言葉に、私も思わず胸を撫で下ろした。
これで全部だと言うなら、あとは中の人達を均等になるように分ければいいだけだから、雨と雷の中で呼びかけるよりはずっと安全だ。
「分かりました、伝えて来ます!」
私はその場を黒豹さん達に任せて、サキュバスさんのところへと戻ってそのことを伝えた。
二階の兵舎にも余裕がなくなって来ていたけど、それでももう全員避難出来たと言ったら、やっぱりサキュバスさんも安心したような表情を見せてくれた。
「もう一息ですね!」
そんなサキュバスさんの言葉に、それぞれ返事をした私達も、きっと安心の表情を浮かべていたに違いない。でもまだ気は抜けない。
みんなが少しでも余裕を持って過ごせるように、うまく場所を割り振らないと、ね!
***
「へっくしっ!ああ、冷えちゃったなぁ…」
ズルズルっと鼻をすすりながら、十六号さんがそんなことをボヤく。私達は暖炉の部屋にいた。
外はすっかり日も落ちてしまったけど、相変わらずの雷と雨。
ランプと暖炉の火だけで薄暗い部屋は時折雷鳴とともに閃光に照らされていた。
私達は雨で濡れたまま走り回っていたせいで、体が芯から冷えてしまっている。気替えだけを済ませた今でもとにかく寒くって、震える私を十六号さんが抱いてくれている。
そんな十六号さんを後ろからへばりつくように妖精さんが抱きしめて、三人折り重なって毛布をかぶり、火を入れた暖炉に当たっている。
「いやいや…大変だったなぁ」
誘ってはみたけど、俺は平気だ、となぜだか顔を赤くして言って、一人暖炉の前で毛布を頭から被っている十七号くんがため息混じりにそんなことを言う。
「そうですね…井戸掘りよりも疲れたですよ」
後ろからは、妖精さんのそんな声も聞こえて来た。確かに大声で叫びっぱなしで、お城の中を駆けずり回って、その上寒いし、もうクタクタだ。
「なぁ、そう言えば、魔族の魔法は寒いのを防げる、って聞いたんだけど?」
「ああ、防げるですけど、風の魔法で温度を伝えないようにするだけです。一旦体が寒くなっちゃったら、もうどうしようもないです」
十六号さんと妖精さんがそんな話を始めた。
「人間の魔法なら体を暖かく出来そうですのに、十六号さんも体冷たいですね」
「やれないこともないけど、今は血の巡りを動かして体の深いところを温めてるんだ。表面を温めようとしたら、余計に中の方が寒くなる」
「だから冷たいですね。代わりに私が温めるですよー」
妖精さんがそう言って、毛布の下で十六号さんの腕を擦り始める。途端に十六号さんが
「妖精ちゃん、くすぐったいよ!」
と声を上げて笑った。
ピカッと部屋の中が明るく光って、ドドドドーンと雷鳴が轟いた。雨が降り出してからもう随分と時間が経っているのに雨も雷も一向に止む気配はない。
「畑が心配だね」
と、妖精さんは今度は私に話しかけてきた。うん、確かに…排水路はかなり深く掘ったし、種芋は拳二つ分のところに植えたから流される心配はそうないと思う。
気がかりなのは、やっぱり土の水はけが思ったよりも良くなくて、種芋が腐ったりしてしまうことだ。
そればっかりは明日畑の様子を見て見ないことには分からない。
やるだけの対策は出来たし、あとは祈るより他にない。
「うん。明日の朝、一番で確かめに行かないとね」
私がそう答えると、妖精さんも、うん、と返事をしてくれた。
カツコツと、廊下で足音が聞こえる。微かに、十六号さんの体が固くなるのを私は感じた。
でも、部屋の前に差し掛かったその足音は、立ち止まることなくそのまま歩き去っていく。十六号さんもすぐに力を抜いて、小さく息を吐いた。
魔族軍をお城に受け入れてからすぐに、上層の私達の生活階では、近衛師団の魔族達が見回りを始めてくれていた。
隊長さん達や虎の小隊長さん達は意外にも大人しくこの2つ下にある元は家臣さん達の部屋だったところに分かれて入っているらしい。
何でも、こういう警備は複数の部隊でやると返って隙が出来ちゃって危ないんだそうだ。
私としては、あの魔族軍の人がお姉さんを狙って襲いかかって来るようなことはない気がしていたし、お姉さんも、それで気が済むんなら、と師団長さんに許可を出していたくらいだから、心配なんてしてないんじゃないかって思う。
でも、私は師団長さんがそうしなきゃならない気持ちもなんとなくわかった。
だって、師団長さんは先代様をとても尊敬していて、そんな先代様が選んだお姉さんのことも、同じように尊敬しているようだった。
それに、師団長さんは戦争で先代様を守れなかったことをとっても気に病んでいるみたいだったし、お姉さんにもしものことがあってはいけないって、強く感じてしまっているんだろう。
不意にまた、廊下で足音が聞こえだした。カツンカツンと言うその足音は、部屋の前で立ち止まる。だけど今度は十六号さんは体を固くすることなんてなかった。
コンコン、とノックの音がして顔を出したのはランプを手にしたサキュバスさんだった。
「皆様、お湯のご用意が出来ましたよ」
サキュバスさんは優しい笑顔で私達にそう言ってくれる。
「うはぁー!待ってました!」
十六号さんがそう声を上げて、私を抱えたまま立ち上がった。
「ようやく暖まれるですね」
妖精さんも毛布を畳みながら嬉しそうにそう言う。
「ほら、十七号も行くぞ」
十六号さんは未だに暖炉の前に座っている十七号くんにそう声を掛けた。でも、十七号くん暖炉をジッと見つめたまま
「お、俺はあとで十二兄と入るからいいよ」
となんだか言いづらそうに言う。
「なんでだよ?あんたも寒いんだろ、風邪引くぞ?」
十六号さんがもう一度そう声を掛けると十七号くんは私達を振り返って、なんだか必死な顔をして
「俺はあとでいいって言ってんだろ!」
と声を荒げて言った。その顔は暖炉の火に照らされているせいか、なんだか真っ赤だ。
そんな十七号くんの言葉を聞いた十六号さんはヒヒヒ、と笑って
「あっそ。じゃぁ、先に行っちゃおう」
と妖精さんに声を掛けて私を抱いたままにサキュバスさんの待つ戸口へと歩き出す。
「十六号さん、私自分で歩くよ」
私は十六号さんにそう言うけど、十六号さんはなお私をギュッと抱きしめて
「寒いんだから抱かれといてよ。湯たんぽ代わりに」
なんて言って笑った。
戸口まで行くと、そんな私達をサキュバスさんが優しい表情で見つめてくれている。でも、私はそんなサキュバスさんの顔を見て、いつにもない疲労感があることに気が付いた。
バタバタと走り回ったせいか、いつもは綺麗なサキュバスさんの髪は少しだけ乱れていたし特に前髪なんかは汗か何かのせいで、うねってしまっている。
「魔王様にもお声掛けしてあります。きっと湯室でお待ちですよ」
サキュバスさんはそんな私の心配をよそにそんな事を言ってくれる。でも、そう言われて私はふと、ここのところお姉さんと一緒にお風呂に入ったりしていないことに気付いた。
竜娘ちゃんを助け出しに行ってからは、お姉さんは軍の再編や会議のこともあって、私とは入れ違いになることが多かった。
それこそ夜に寝るときだって、私が寝入るか寝入らないかって言うときになってやっと寝室に入って来るがくらいだ。
私のそばにはいつも妖精さんと十六号さん達が居てくれるから寂しいなんてことはないけど、でも、何日かぶりに一緒にお風呂に入れるんだと思うとなんだかそこはかとなく嬉しくなってくる。
「あはは、十三姉ちゃんと一緒に風呂だなんて魔導協会以来だな」
十六号さんがそんな事を言って笑う。お姉さんが勇者の紋章を受け継いですぐに、十六号さん達はあそこを追い出されたんだと言っていた。
その後は魔導士さんが皆を引き取ったんだけど、お姉さんはそれからも魔導協会に居て戦争が始まったって話だから、私なんかよりもずっとずっと離れ離れだったはずだ。
きっと十六号さん達にとっては、お姉さんや魔導士さんと一つ屋根の下で暮らして行ける今の生活は、何にも変えがたいくらいに嬉しいことなんだろう、って私は感じていた。
私達はサキュバスさんに先導されてお風呂場への廊下を歩く。私は相変わらず十六号さんの腕の中だけど…お風呂場まではそれほど遠くはない。
廊下を曲がったその先にあるんだ。
「下の様子はどうなんですか、サキュバスさん?」
「はい、ようやくそれぞれの居場所を決めて休むことが出来てきているようです。一晩だけなら何とか過ごせると思います」
「良かったです!」
そんな話をしながら歩いていると、廊下の向こうから鎧を纏った魔族の人が二人、こっちに向かって歩いてきた。
一人は竜族、もう一人は尖った耳をしている以外は人間と良く似ているから人魔族かな?
二人は、私達に気が付くと廊下の端によって壁に背を付け、項垂れて黙礼を始める。
「ご苦労様です」
そんな二人に声を掛けるサキュバスさんに続いて、私達もその前を通過する。途端に十六号さんがはぁ、とため息を漏らした。
さっき、魔族の人達をお城に誘導しているときは感じなかったし何かをしてくるだなんて思いもしないけど、いざこうして狭い廊下で見知らぬ魔族さんに会うと、私も少しだけ緊張してしまう。
でも、そんな様子を見てサキュバスさんがクスっと笑った。
「あの者たちは平気ですよ。先代様のお側に在った故、私と同様に、先代様の意思を他のどの魔族よりも理解している者たちですから」
そんなサキュバスさんの言葉を聞いて、私はふと、昨日の晩の師団長さんの言葉を思い出した。師団長さんもそんな事を言っていたっけ。
「師団長さんも言ってました。先代様を愛していた、って」
私がそう口を挟んだら、サキュバスさんはハッとした表情で私を見やって、それからクスっと笑顔を見せた。
「愛していた、だなんて、少し妬いてしまいますね」
あ、そうだった…サキュバスさんは先代様とその、恋人?夫婦?みたいな関係だったんだっけ…
い、いけない、今の言い方だと、師団長さんが先代様に横恋慕してたみたいになっちゃう!
「あ、あ、あの、そう言う意味じゃなくって、えっと…!」
私がそう声をあげたら、サキュバスさんはなおさら笑って
「大丈夫ですよ、先代様が皆から慕われていたと言うことですよね?」
と、言ってくれた。ホッとして
「は、はい」
と返事をしたのもつかの間廊下を曲がった先には、師団長さんが居て、お風呂場の前で仁王立ちしている姿があったので、私は思わずヒャっと声をあげてしまっていた。
「あ…姫様」
そんな私の声でこちらに気が付いた師団長さんが私達に一礼する。
「どうしたのです、このような場所で?」
「はい、魔王様が湯浴みされるとのことで、丸腰の機を狙う輩がいるやもと思い、こうして番をしています」
サキュバスさんの言葉に師団長さんはそう答えた。相変わらずの心配性だ。
「そうでしたか。私はてっきり、魔王様に色目を使いに来たのやも、と思ってしまいましたよ」
サキュバスさんはそんな意地悪を言ってから私を見やってまた笑った。
「な、なんのことです、姫様?私はそのような事は…」
「ああ、いえ、冗談です。見張り、感謝します」
戸惑う師団長さんにそう言うと、サキュバスさんはお風呂場のドアを開けて私達を中へと促した。
そこには、すでに、脱ぎ捨てられたお姉さんの衣服が入ったカゴが置かれていて、引き戸の向こうからはお姉さんのものらしい鼻歌が聞こえて来ていた。
「おーい、十三姉ちゃーん!」
ようやく私を下におろしてくれた十六号さんがそう声をあげた。するとすぐに浴室の方から
「お、十六号さんか?あんたも来たんだなー!」
と明るい声が聞こえてくる。それを聞いた十六号さんは恥ずかしげもなく服を素早く脱ぎ捨てて、喜び勇んで浴室へと突撃して行った。
「ひゃほー!」
という奇声とともに、ザバッと水が跳ねる音がする。
「おい、やめろってば!」
お姉さんがそう言って笑う声も聞こえてきた。十六号さん、よっぽどうれしいんだな。
私はそう思って、なんだか頬が緩んでしまう。
「ほら、人間ちゃんも入ろう」
妖精さんにそう促されて、私も服を脱いで浴室へと入った。そこには、広い湯船で体を伸ばしているお姉さんと十六号さんの姿があった。
湯船に入ると、すぐに私の体をお姉さんが捕まえて、膝の上に載せてくれる。
湯船は少し深くて、私がその中で体を伸ばそうとすると、鼻のあたりまで沈んでしまう。
ちょうどよくつかるには、お姉さんの膝の上が一番なんだ。
私には少し熱いかな、と感じるくらいのお湯が、それでも冷えた体を温めてくれる。
思わず、ふう、なんて息を吐いてしまうくらいに、心地良い。
「ふぅぅ、いつでもここのお風呂は気持ちいいですぅ」
妖精さんもそんなヘナヘナとした声を出すので、私は思わず笑ってしまう。
そこへ、サキュバスさんが顔を出した。
「では、ごゆっくり」
「あ、サキュバスさ」
と、お姉さんがサキュバスさんを呼び止めた。
「悪いんだけど、冷えた酒と、この子たちに果汁水ってやつもってきてくれよ」
「ふふ、かしこまりました。では、お待ちくださいね」
お姉さんにそう頼まれたサキュバスさんは、小さく笑ってすぐに脱衣所の方へと姿を消して行った。
でも、それを確かめた十六号さんがすぐに不満そうな声をあげる。
「十三姉、サキュバスさん疲れてるのに、小間使いなんてひどいじゃないか」
すると、お姉さんはケタケタと笑って言った。
「だからさ、あいつも一緒に風呂に引っ張っちゃおう。酒を運んできてくれたら、あたしが取り押さえるから、十六号、あんたひん剥け」
「えぇ?!いいのかよ!?」
「あいつ、休めって言ったって休むやつじゃないんだよ。だから無理やり休ませるんだ」
お姉さんはそう言いながらグッと大きく伸びをした。
確かに、お姉さんの言う通りだ。
サキュバスさんは、いつだって早起きして朝ごはんの準備をしてくれるし、いつだって夜遅くまで私たちの身の回りの世話をしてくれている。
休んでいるところなんて、ほとんど見たことなんてなかった。
「いい考えです!サキュバス様は、少し休まないといけないですよ」
「うん、私もそう思う!」
妖精さんの言葉に、私もそう相槌を打った。すると、十六号さんも納得したのか、
「なるほど、そりゃぁ、休ませてやらないとな!」
なんて言って、お姉さんのマネをして大きく伸びをする。
そんな姿を見たお姉さんは、あはは、と笑って
「十六号、あんた、ちょっと見ない間にちゃんと育ったなぁ」
なんてことを言い始めた。
「ん、そうだろ?でも、もうこれくらいで良い気がするんだよ。これ以上大きくなっても、戦いのときに邪魔だろ?」
十六号さんはそんなことを言いながら自分の、その…お、おムネのあたりをムニムニと触った。
「男は大きい方が好きらしいからなぁ、もっと育つようにちゃんと食えよ」
「えぇ?良いって、このままで。姉ちゃんと同じくらいだし」
「あたしのは小さいんだぞ?鎧の板金が安く済むからいいんだけどさ」
「その点、妖精ちゃんはあるよなぁ」
「ん?おっぱいですか?ムフフ、羽妖精族は大きいのが豊穣の象徴なんですよー!一族でも一番の美女は、それはもう、ドーンですよ、ドーン!」
「ドーンか、そりゃぁすごいな」
「肩凝りそうだよな、ドーンて」
妖精さんの話に、お姉さんと十六号さんは、なんだか少し引きつったような笑みを浮かべてそんなことを言っている。
わ、私も大人になったら、少しくらい大きくなるのかな…?まだ、全然だけど…その、そういうのっていつぐらいからわかる物なんだろう?
そんなことを不思議におもったけど、なんだか気恥ずかしくって私は口に出せなかった。
「お、そうだ、十六号。あんた、久しぶりにあたしが髪洗ってやるよ」
不意に、お姉さんが傍らでお湯に浸かっていた十六号さんの髪の毛をクシャクシャと撫でつけながらそんなことを言い始める。
「えぇー?いいよ、そんなの。もうあの頃みたいな子どもじゃないんだぞ?」
「まぁ、そう言うなって。この子だって一緒のときはあたしが洗ってやってるんだもんな。な?」
今度はお姉さんは私にそう話を振って来る。私は、それはあまり恥ずかしくなかったので、十六号さんに向かってうなずいて見せた。
最初のころ、お姉さんはきっと父さんや母さんが死んでしまった私のことを思いやってそんなことをしてくれたんだろうけど、
今では私もすっかり甘えてしまっているのと、お姉さんがそんなことをしていると嬉しそうに笑ってくれるので、進んでお願いすることにしている。
「で、でもさぁー、なんか恥ずかしいって」
「あん?なんだよ、大人ぶって!よし、洗うぞ、ほら、来い!」
それでもモジモジと言っている十六号さんに業を煮やしたのか、お姉さんは私を妖精さんの膝の上に預けて十六号さんの手を取って湯船から上がり、
洗い場の小さなイスに十六号さんを座らせた。
「この、ナントカ、っていう薬草が良い匂いだし、脂っぽいのが落ちて良いんだよ」
と、お姉さんはいつも使っている魔界の薬草を絞った汁をボトルから手の平になじませた。
そんなとき、パタン、と浴室の外から音が聞こえた。
「お、サキュバスさん、もどって来た」
「よし、十六号。ぬかるなよ?」
お姉さんはそう言って十六号さんと笑みを交わして、白々しく髪をこすり始めた。
ほどなくして、サキュバスさんが浴室の戸を開けて入ってきた。
「魔王様、お待たせいたしました」
「あぁ、ありがとう。悪い、ちょっと受け取ってやって」
お姉さんがそう言ってきたので、私が湯船から上がってサキュバスさんが両手で抱えていた陶器のボトルが何本か入っている氷の入った小さな樽にの乗ったトレイを受け取る。
「では、ごゆっくりされてくださいね」
そう言ったサキュバスさんが浴室から出ていこうと振り返ったときだった。
不意に、サキュバスさんの動きが固まったように止まってしまう。
「なっ…こ、これは?!」
見ると、お姉さんが両手を掲げてサキュバスさんの方に突き出していた。
お姉さんってば、魔法を使うだなんて、ズルいんだから!
とは思っても、私だってサキュバスさんに休んでもらいたいのは本当だし…休んでもらう以上に、一緒にのんびりと今の時間を過ごしたい、ってそう思っていたから黙っていた。
「行け!」
「おう!」
お姉さんの合図で、十六号さんがサキュバスさんに飛び掛かった。
「な、何をされるのですか!魔王様!十六号様!」
「サキュバス、あんたもたまには一緒にのんびりしようよ」
驚いた声をあげるサキュバスさんにお姉さんはそんなことを言う。
その間に、十六号さんがサキュバスさんの体に腕を回して、着ていた着物をスルスルと脱がせ始めた。
「ちょっ…何を…お、おやめください!」
サキュバスさんは顔を真っ赤にしながら十六号さんにそう言っている。
でも、お姉さんも十六号さんも辞めようとはしない。
それどころか二人はなんだかとっても悪い顔をして笑っているように、私には見えてしまってなんだか苦笑いが漏れてしまう。
「それ、まずは上から!」
言うが早いか、十六号さんがサキュバスさんの上の肌着をむしり取った。
その、えっと…あの…、お姉さんや十六号さん、ううん、妖精さんよりももっとその、ほほほほ豊満なおムネがバイン、と姿を現した。
「おぉぉぉ!姉ちゃん、サキュバスさんはドーンだぞ!」
「なんだと!?」
楽しそうに言う十六号さんの言葉に楽しそうに答えたお姉さんが、クイっと手首を折り曲げた。
すると、サキュバスさんは体を操られるようにしてこちらを向く。
とたんに、お姉さんは吹き出した。
「ぶふぅっ、こいつは…強敵だっ!」
「下も剥いじゃうからな!」
十六号さんが今度はサキュバスさんの履物に手を伸ばした。
「十六号様!後生です、どうかご勘弁を!」
サキュバスさんは涙目で十六号さんに訴えているけれど、それを聞いた十六号さんはさらに悪い顔をしてサキュバスさんに迫る。
そんなとき、私はふと、前にサキュバスさんから聞いた話を思い出していた。
サキュバスさん達は、神官の一族で、魔界に古くから暮らしている種族だ。もちろん、人間界の大尉さんやあのオニババって人もそうなんだろうけど…
でも、とにかく、サキュバスさんは言ってた。
自分たちは、生みの母たるにも、種たる母たる存在にもなれる、って…。
つまり、子どもを身ごもることも、身ごもらせることもできるってことだ。
いや、子どもが身ごもるっていうのがどういうことかは、私はよくは知らないけど、その…ふつうは男の人と女の人が結婚をして愛し合えばできるものなんだよね…?
そう考えると…なんだかわからないけど、とてつもなくイヤな予感が、私の脳裏を貫いた。
「に、人間ちゃん、サ、サキュバス様って…」
妖精さんもそのことに気が付いたみたいで、私にそう言ってくる。
「う、うん…もしかして…私たちとは違った体をしてるんじゃ…?」
「と、止めないと、まずいかな…?」
「ま、まずいかもしれないよね…」
私と妖精さんがそう考えを確認し合って、声をあげようとしたその時だった。
「され、これで最後だ!」
という十六号さんの叫び声とともに、サキュバスさんの付けていた下の肌着がハラリと剥がれ落ちた。
次の瞬間、私は浴室の空気が凍り付くのを感じた。
感じただけで、何が起こったのかはわからなかった。
なにしろ私の目は、私を膝の上に載せてくれていた妖精さんによって塞がれていたからだった。
「あわわわわわっ!」
妖精さんがそんなうめき声をあげているのが聞こえた。
「お、お、お、おい、サキュバス…?」
「ななななななな…なんだぁ…?!」
十六号さんとお姉さんの戸惑った声も聞こえて来る。
「お二人とも…!幾ばくか、ハメを外されすぎではございませんか………!?」
そんな、まるで悪魔の王様のようなおどろおどろしいサキュバスさんの声が聞こえた次の瞬間には、浴室の中に風が吹き荒れてドシン、と固い何かがぶつかる音が浴室に響いた。
「な、何事ですか!姫様!魔王様!」
バタバタと足音が聞こえて来てお風呂場に駈け込んできた師団長さんと、妖精さんの目隠しを外された私が見たものは、風の魔法で壁にたたきつけられてノビてしまっているお姉さんと十六号さんに、ふくれっ面で、膝を抱える格好で湯船につかっているサキュバスさんの姿だった。
***
「なぁ、悪かったって」
お姉さんがボリボリと頭を掻きながらサキュバスさんにそう謝っている。
「ごめんなさい、調子に乗りました。ごめんなさい」
と、床に這いつくばって十六号さんもサキュバスさんに頭を下げている。
「許しません!」
サキュバスさんは二人の謝罪攻撃にもこれっぽっちもひるまずに、プンプンと頬を膨らませてそっぽを向いた。
あれから、私と妖精さんはサキュバスさんに、二人がどうしてあんなことをしたのか、ということを説明した。
一応は納得してくれて、体を隠しながらだったけれど私と妖精さんとのんびり浴室で時間を過ごしてくれたサキュバスさんだったけれど、お姉さんと十六号さんにはこんな感じだ。
そして、お風呂から出て来て、暖炉の部屋に呼びつけられても引き続きで、この状況だ。
「だいたい、お休みを頂けるにしても、素直にそのまま申してくれればよかったのではないですか?なぜ、嫌がる人の衣服を無理やりに脱がすなどということになるのです!」
まぁ、それはもっともな話だ。素直に言ったところで、サキュバスさんが素直に休んでくれるとは思わなかったにしても、だ。
「だ、だってあんた、休めって言っても休まないじゃないか」
「そういう問題ではございません!」
お姉さんの言葉に、鋭い口調でそう言い返したサキュバスさんの背後に、ピシャリと稲妻が走ってズズズン、と空気が揺れた。
雷雨のせいで、サキュバスさんの怒りが一層激しく思えてしまう。いや、本当にそれだけ怒ってる、か…
「私だったからよかったものの、ほかのサキュバス族やまして人間の大尉様であったらこれがどんな無礼であるか、わからないようなことはございますまい!?」
「はい…仰る通りです」
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
いつの間にか敬語になってしまっているお姉さんがそう言い、もう手足も頭も投げ出して床に突っ伏している十六号さんはもう、うわ言のようにただただそう呟いている。
いつもしとやかなサキュバスさんが怒るところなんて想像すらできなかったけど、普段そういう穏やかな人がいったん怒ると、こんなにも恐ろしくなるだなんて、話には聞いたことはあるし感覚としては何となくわかっていたつもりではあるけれど、想像を超えて、今のサキュバスさんはおっかない。
まるで、頭から生えている角がそのまま伸びだして、黒い翼を広げてお姉さん達に襲いかかってしまいそうな、それくらいの勢いだ。
「まったく…人間様のお申し出がうれしかったのは分かります。ですが、浮かれてこのような行為に走られるのは短慮も短慮!王たる者のすることではございません!」
「い、いや、あたしは別に王としてこの魔界に住まいたいじゃ…」
「そういう意味ではございません!責任者として大人として、責任を持ち礼節をわきまえくださいと、そう申しているのです!」
「十三姉、もう何言ってもダメだよ、これはひたすら謝って時が過ぎるのを待つしかないよ」
「何かおっしゃいましたか、十六号様!?」
「あっ、い、い、いえ、なんでもないです、ごめんなさい。本当にごめんなさい」
そんな様子を見かねたのか、妖精さんが震える声で
「あのぉ…」
と口を開いた。
サキュバスさんの視線が妖精さんに向き、お姉さんと十六号さんは…妖精さんが援護すると思ったのか、少しだけホッとしたような顔付きになる。
二人とも、あんまり反省はしていないようだ…。
「サキュバス様、魔王様も、十六号ちゃんも、サキュバス様の一族のことを良く知らなかったからこんなことをしてしまったと思うです」
「そうだとしても、いきなり臣下の身ぐるみを剥いで良い理由にはなりません」
「あの、いえ、そうじゃなくって……それはいけないことだと思うです。でも…」
妖精さんは、そこまで言った一瞬、口ごもり、それでもグッと震えるのを堪えて続きを口にした。
「サキュバス様なしで、このお城は維持できないです。だから、怒って出て行ったりしないでほしいです…」
そんな言葉を聞いて、サキュバスさんはまるで何かに驚いたような表情を見せた。私も、正直、妖精さんの言葉になんだかハッとしてしまった。
サキュバスさんが怒ったとしても、まさかこのお城から出ていくなんて想像もしていなかったからだ。
でも、確かに妖精さんの心配はもっともだ。
あんなことをされたら、怒って出て行ってしまっても不思議じゃない。
少なくとも、例えば貴族様が家臣の身ぐるみを剥ぐようなことがあったとしたら、どんな理由があったとしたって、なにがしかの責めを受けることになると思う。
そのことに気が付いて、私も心配になってサキュバスさんを見やった。でも、そんな私たちを見て、サキュバスさんはやさしく笑った。
「そんなご心配には及びません。私が魔王様に誓ったのは、この身、この心、この命を捧げる契約です。何があっても、魔王様や皆様を見限って、ここから逃げ出ることなどありえません」
そんなサキュバスさんは、私と妖精さんの目をジッと見て、もう一度やさしく微笑んでくれた。
そう、そうだよね。
サキュバスさんは、本当なら、お姉さんに殺されたい、ってそう思っていた人なんだ。
それが、その考えを改めて、お姉さんと盟主と従者の契りを交わした。
その約束は、こんなことで心変わりしてしまうほどの安いことなんかじゃない。
もっともっと、大事にな近いのはずなんだ。
私はそれを聞いて、ホッと胸をなでおろした。妖精さんも、
「それなら、良かったです」
と安堵のため息を吐く。しかし、それを確かめたサキュバスさんの目が再び鋭く輝いて、お姉さんと十六号さんに向けられた。
「ですが、いえ、だからこそ、私は魔王様にこのような無礼は許されることではない、ときつく申しあげているのです!」
「いや、でもその身とその心をあたしに捧げてくれてるんなら、あんなことも水に流してくれてもいいんじゃ…」
「揚げ足取りなどしてなんといたします!無礼は無礼なのです、分かっていらっしゃらないので!?」
再びバシャっと稲妻が部屋を染め、ゴゴゴゴゴンと雷鳴がとどろいた。
「ごめんなさい」
「ごめんなさい、もうしません、ごめんなさい」
お姉さんと十六号さんが再びそう言って謝り始める。
そういえば、昼間隊長さんが言ってたっけ。
ケンカは信頼していないとできない、大切なのは収め方、だ、って。
これも、きっとそれのうちなのかな…
そう思ったら、こんなに怖いサキュバスさんも、ただ怒っているんじゃなくって、愛情とか、信頼の裏返しでこんなに怖くもなれるんだ、ととらえることもできる気がした。
確かに、お姉さんと十六号さんはやりすぎだったよね。
まぁ、その…私も妖精さんも、あんなことをするってことに賛成したなんて、口を裂かれたって言い出したくはないけれど…
コンコン、と不意に、ドアをノックする音が聞こえてきた。
「どちら様でしょう?」
サキュバスさんがそう答えると、ギィっとドアが開いて、お茶のセットをトレイに乗せた師団長さんが姿を現した。
「なんです、師団長。今は取り込んでいます」
ギロリ、とにらみつけたサキュバスさんに、師団長さんはニコッと笑って
「ですが、姫様。そう大きな声をあげられていますと、喉に良くございません。お茶を飲みながらでも、お説教はできるのではありませんか?」
と、そのまま私たちのところまでやってきた。
「口を出さないでもらえますね?」
「ええ、お邪魔は致しません」
サキュバスさんの鋭い視線に、師団長さんはそう苦笑いで答えつつ、トレイをテーブルに置き、人数分のマグを並べてポットからお茶を淹れはじめた。
「魔王様と十六号様は、明日の朝食は抜きですからね」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!それはなしだろ、横暴だろ!」
「サ、サキュバスさん…あたしはただ、十三姉に言われたからやっただけなんです。十三姉は、あたしが逆らえないのをいいことに…」
「あ、おい!十六号、あんた何言ってんだよ!」
「だってそうだろ!?最初にやろうって言ったのは十三姉じゃないか!あたしはそんなことして良いのか、って言ったんだ!」
「あんた、自分だけ逃げようってのか!?」
「でも、あたしは最後まで反対したんだ!でも、十三姉ちゃんに妖精ちゃん達もそうした方が良いって、そう言うから…」
じゅ、十六号さん!なんてこと言うの!?
ギロリ、と鋭い何かが向けられた気がして、私は反射的に妖精さんと抱き合って身をこわばらせた。
見るまでもなく、サキュバスさんの鋭い視線が私たちに浴びせかけられている。
「お二人も、賛成だった…と?」
「いいいいや、その、えっと…だって、サキュバスさんに休んでほしくって…」
「そそうそうそうそうそう、そうですよ!休んで欲しいと言ったのは本当です!でも、あんなことをするとは思わなかったですけど、思わなかったですけど!」
「嘘つくな!あたしが最初に捕まえて脱がしちゃおうって言ったんだぞ!それでみんな、そうしようって言ったんじゃないか!」
「なるほど…では、やはり魔王様が最初に仰ったんですね…?」
「えっ!?あ、い、い、いや、その、えっと…それは…」
「そうなんですね…?」
そう言ったサキュバスさんが、ゆらりと立ち上がった。
さ、さすがにこれは止めた方が良いかな?そうだよね、止めるべきだよね?
じゃないと、お姉さんがまた、石壁にめり込むような勢いで吹き飛ばされてしまうかもしれない…!
そう思って私がイスを立とうとしたとき、ハハハ、と控えめな笑い声が部屋に響いた。
「素敵ですね」
そう言ったのは、師団長さんだった。
「邪魔をしないと言ったではありませんか」
サキュバスさんが鋭い視線を向けて言う。しかし、師団長さんは顔色を変えずに
「邪魔ではありません。感想を述べているだけでございます」
と、私たちのところに、カップのお茶をトレイに乗せて運んできてくれた。
「家臣が主に、はばかることなく怒りをぶつけることができる。主もそれを認め、非難されるべきを甘んじて受け入れる。こんな主従関係は、素敵ではありませんか」
師団長はそう言いながら、トレイを私たちの真ん中に置いて、そのうちの一つを手に取った。
「湯あみで火照ったお体に心地良いよう、うんと冷やしてお持ちしました。どうぞ、お召し上がりください。もしかしたら、姫様の頭も冷えるやもしれません」
そんな言葉に、サキュバスさんがふん、と鼻を鳴らしてカップを一つ手に取った。
「皆様もどうぞ」
師団長がカップを掲げてそう私達にも声をかけてくれた。
きっと、サキュバスさんの勢いを心配して、水を差してくれたに違いない。
私は、師団長さんの言葉にそんな気遣いがあるのかもしれないと思って、
「私、頂きます!」
と大げさに言ってカップを手に取った。
「わ、私も!」
妖精さんもすぐに私のあとに続く。そんな私たちを見て、サキュバスさんがはぁ、とため息を漏らして
「勢いがそがれてしまいましたね…」
と呟くように言い、チラリと師団長さんを見やってから
「彼女の気遣いに免じて、今日はこのくらいにしておきましょう」
とやおらその表情を緩めた。それから
「魔王様、十六号様。ご一緒にいただきましょう」
と、二人にいつものやさしい口調で声をかけた。
お姉さんと十六号さんはハッと顔をあげて安堵の表情を浮かべ、私たちの座っていたテーブルの席に着いて、それぞれにカップを手に持った。
それを見るや、師団長さんが高らかに
「では、この魔王城の素晴らしい主と、その家臣団の皆様と、それに、魔族、いえ、世界の平和を願って」
と呼ばわった。
本当にケンカは、落とし所、だね。私は、師団長さんの手際に内心、そんなことを思いながらカップを前に突き出した。
お姉さんにサキュバスさん、十六号さんと妖精さんもカップを突き出して、テーブルの真ん中でカチンとぶつけ合う。
「本当にごめんな、サキュバス」
お姉さんがそう言って、カップのお茶を一気にあおった。
「ごめんなさい、もうしません、ごめんなさい」
と、十六号さんもグイッとカップを飲み干す。
「本当です。次は、風魔法程度では許しませんからね」
サキュバスさんがそう念を押して、カップを空にした。
そんな姿を見て、笑いあった私を妖精さんもグイっと一気にお茶を飲む。
師団長さんの言う通り、キンキンに冷えたお茶は、まるで火照った体を冷やすようにギュンとお腹の中へと落ちていく。
冷たすぎて、舌がしびれるような感覚がするくらいだ。
とたん、グラリ、と視界が揺れた。
また雷かな、と思って窓の方に目をやるけど、稲妻が走ったり、閃光が瞬いたりはしていない。
あれ、なに…これ…?
か、体が…動かない……?
そのことに気が付いて、私は周りのみんなにそのことを伝えようとなんとか顔をあげた。
その私の視界に、何かが映った。
部屋の微かな明りにきらめく、私の腕の半分ほどの長さのそれを、師団長さんが胸元に音もなく引き寄せた。
暖炉の火に、再びそれがギラリと光る。
それは、細身のダガーだった。
「申し訳ございません、魔王様」
師団長さんが、低い声でそう言った。
そして、胸元に構えたそのダガーをお姉さんに向けて突き出した。
そういえば、隊長さんはこうも言っていたっけ。
先代様を討ったようなお姉さんに大人しく黙って従っているような人の方が返って不気味だ、って。
師団長さん、そんな、まさか…!
「魔王様!」
部屋に、サキュバスさんの絶叫が響いた。
次の瞬間、ダガーはお姉さんの左の胸に突き刺さり、その先端が背中から飛び出した。
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