第6話:幼女と勇者と魔界の民
「ふざけるな!貴様らには土の民たる誇りはないのか!」
ドンっとテーブルに両の拳を叩き付けて、真っ赤な目に立派な二本の角にウロコのようなものの生えた皮ふをした竜族の軍人さんが怒鳴り声をあげた。
バタンっと言う音とともに、十六号さんと十八号ちゃんが部屋に駆け込んでくる。
「あぁ、大丈夫。下がってて良い」
お姉さんが二人にそう声を掛け、いきりたった竜族の軍人さんに
「いちいち喚かねば話し合いも出来ぬのか」
と、金属の鎧とも体とも付かないゴテゴテとした何かをたくさん付けた別の軍人さんが声を掛けて諌める。
でも、それくらいでは竜族の軍人さんは収まらなかった。
「貴様らもこの顔を知らぬとは言わせんぞ。この者は、勇者だ!我ら同胞を無残にも斬り裂き、我らが宿願を妨げた主たる者なのだぞ!」
「我らが宿願?それは違う。いたずらに人間を憎んでおるのはその方らのみであろう、竜族将」
「何を?!獣人の小童が…!貴様らとて土の民の武人であろう!この期に及んで日和ったか!?」
竜族の軍人さんに白い目を向けた狼のような出で立ちの軍人さんの言葉に、また怒鳴り声があがった。
私は妖精さんと一緒にこの会議の場に、サキュバスさんの給仕の手伝いに来ていたんだけど…
さっきから何度も飛び出す罵声に部屋の隅でただただ身を固くしてしまっていた。
昨日、十六号さんが言っていた心配がこうもはっきりした形で現れるなんて思ってもみなかった。
朝から魔王城に集まってきた魔王軍の一団は、今、お城の周囲にテントを張って陣を敷いている。
そんな一団それぞれの指揮官さんたちが集まったのだけれど、お姉さんが挨拶をしてからすぐに、この騒ぎだ。
こんなのは話し合いなんかじゃない、ケンカだ。
十六号さんは昨日言った通り私を守るために、と、十八号ちゃんと一緒にドアのすぐ向こうで聞き耳を立てて部屋の様子を探っていてくれたらしい。
竜族の軍人さんの怒鳴り声を聞いて部屋に飛び込んで来た二人は、何よりもまず、私と妖精さんの前に立ちふさがってくれていた。
「我らは先代様の御心に安寧と繁栄を信じて身を預けた。その先代様がこの方を新たな魔王に選んだのであれば、我らはそれに従うのみ」
狼の姿をした軍人さんが静かにそう言う。
「何を?!このような者、信じられぬ!」
竜族将さんがまた大声をあげた。
「竜族将の言う事も分らぬではない。しかし、事を見極めるには時も必要だ。もし勇者でもある新たな魔王様が我ら魔族を討ち滅ぼそうとするのなら、このような回りくどい真似をするとも思えんしな」
鎧の体の軍人さんが乾いた声で言う。それを聞いた別の軍人さんがあからさまに不快な表情を見せて言葉を返した。
「機械族の族長ともあろう方が何を申す。あの紋章こそが我ら魔族の希望でございましょう。それを疑うなど、正気の沙汰ではございません」
集まった魔族の人達の中でも一番人間に近い姿をしたおじいちゃんで、物腰も柔らかいその軍人さんの言葉に、また竜族将さんが怒鳴る。
「人間もどきの人魔など黙っておれ!」
「我が人間などであればその方は獣とおなじだな、竜族将よ」
「なにおぅ!?」
そうしてまた言い合いが始まる。怒鳴り声や皮肉の応酬は一層激しくなって、いつ殴り合いのケンカが起こってもおかしくはない。
同じ席に着いている兵長さんなんかは、イスに浅く腰掛けて片手を腰の剣にそっと掛けていつでも抜けるようにしているし、お姉さんを挟んだ反対に座っている黒豹隊長さんも前のめりになって警戒しながら成り行きをじっと見つめている。
ガチャリ、とドアが開く音がした。
見るとそこには大尉さんがいた。
「これはまた、随分と紛糾してるね」
大尉さんは言い合いをしている席に一瞥をくれると私を見やって肩をすくめて見せる。
「あたしも、ああいう大きい声って苦手なんだよねぇ」
本当にそうなのかどうか、大尉さんはヘラヘラと笑顔を見せながらそんなことを言って私や十六号さん達のそばにやってきてくれた。
「なぁ、大尉さん。あいつら知ってる?」
そんな大尉さんに十六号さんが尋ねた。大尉さんは、あぁ、なんて声をあげてから
「知ってるよ」
と言ってテーブルを見やった。
「あの興奮してるのが竜族将。魔界でもあたし達、神代の民の次くらいに由緒ある古い一族のはず。その隣の鎧を着てるようなのが機械族の族長。おじいちゃんは人魔族きっての魔法の使い手、鬼賢者。で、あの犬みたいなのが獣人族の若き智将、灰狼頭目。それからあの人が―――
大尉さんはさすがに諜報員だけあって、なのか、ボソボソと小さな声で私達にそう教えてくれる。
「これでは、話し合いどころではありませんね…」
そんな透き通るような声が部屋に響いた。
その声色に、竜族将さんも黙り込む。その声の主は、長い髪を後ろで縛り、角を生やし、コウモリのような翼を背負った、絹のように白い肌の女の人。
サキュバスさんよりも体の作りはがっしりしているけど、一目見て、同じサキュバスの一族なんだ、って言うのわかる出で立ちをしていた。
―――あの人が、前魔王軍の近衛師団長。サキュバス族の中でもとりわけ強い魔法が使える天才」
大尉さんが近衛師団長と呼んだ彼女はサキュバスさんに視線を送って言う。
「いかがでしょう、姫さま。ここはしばし水入りにして…そうですね、一刻ほどそれぞれが冷静になる時間を作られては」
その言葉に、サキュバスさんがハッとしてお姉さんを見やる。お姉さんもそれを聞いてコクリと頷いた。
「では、今から一刻ほど休憩と致しましょう。控室をご用意致しておりますので、どうぞそちらをお使いください」
サキュバスさんがそう言うと、竜族将さんがすぐさまガタンとイスを引いて
「何が話し合いか!」
と言い捨て、肩を怒らせてのっしのっしと部屋から出ていった。
「まったく…うるさいやつだ」
機械族の族長さんも、体中の金属をガチャリと鳴らして立ち上がると、部屋を横切ってドアから出ていく。
それに灰狼頭目さんと鬼賢者さんも続いた。
テーブルに残されたのはお姉さんと兵長さんと黒豹隊長、それにサキュバスさんと同じサキュバス族の近衛師団長だった。
「魔王様、あの者の無礼、どうかお許しください」
四人が部屋から出て行ったのを見計らって、師団長さんがそう頭を下げた。
「あの者は、親しい家族を人間軍との諍いで失っております故…」
「あぁ、知ってる…サキュバスに聞いた」
師団長の言葉にお姉さんはあの悲しい表情で答えた。
「あの竜娘の父親…竜族の男の弟だそうだな」
それを聞いた師団長さんは黙って頷いた。
あの人が…竜娘ちゃんの叔父さんってこと?
竜娘ちゃんのお父さんは、戦争のきっかけになった人間軍の魔界での救出活動のさなかに命を落としてしまったはずだ。
家族を殺されて…人間への怒りの感情が大きくなってしまっているんだ。
「はい…あの者は他の魔族よりもいっそう人間に裏切られたと言う気持ちが強いのです。兄の嫁であったあの人間に、彼自身も心を開いておりましたので…」
「そうか…あの怒り様にはそこまでの想いがあったんだな…」
お姉さんが表情をさらに険しくしてそう呟く。
「ですが、あのような態度をいつまでも続けてもらうのは困ります。いざとなれば、私が魔王様になりかわり粛清させていただきましょう」
そんな二人の会話にサキュバスさんがそう口を挟んだ。そう言えば、サキュバス様はさっき、姫さま、ってそう呼ばれていたな…
確か、サキュバスの中でも特に古い血筋の生まれなんだって言ってたっけ。やっぱ、偉い人だったんだね、サキュバスさん…
「し、しかし姫さま…」
「あのような態度を、彼の兄上や先代様が見てお喜びになるとは思いません。いえ、きっとひどく叱りつけることでしょう。人間を愛した竜族の名士も、先代様も、人間を憎むことを望まれるはずありません。人間との争いを収め、大陸に平和をもたらすことがお二人の気持ちにもっとも沿うことではありませんか?現に、今代の魔王様も、そしてここにお集まりくださった方々も、お二人と同じ気持ちでここにいるのです。こと、魔王様先代様より直々にその御心を託された身。その魔王様をお認めにならないなどと言うのは、魔王様はおろか先代様への裏切りです!」
サキュバスさんは珍しく、そう語気を強めて言う。そんな様子に、師団長は口をつぐむしかない様子だった。
「まぁ落ち着け、サキュバス。あんたまで興奮しちゃったら、誰があたしと彼らの間を取り持ってくれるんだよ」
お姉さんがそうサキュバスさんに言い、それから師団長さんを見やって続けた。
「あたしは何もあんた達を支配しようとか、従ってもらおうとか、そんなことは考えてない。あたしもあんた達と同じで、先代の想いを引き継いだ者に過ぎないんだ。名目上は魔王なのかも知れないが…あたしとしては、先代から平和への想いを受け継いだ者同士で、同じ立場だと思ってる。だから命令するんじゃなく、協力を頼みたいんだ。人間の再侵攻への備えと、それから魔界の治安安定のために」
そんなお姉さんの言葉に、師団長は感じ入ったような表情を見せてテーブルの上に伏せた。
「この身、如何様にもお使いください…」
そんな掠れた声が聞こえてくる。
そんな様子を見て私は微かに胸を撫で下ろしていた。
思えば、お姉さんの意思に反していたのは竜族将さんだけで、他の四人は先代様の気持ちを汲んでいてくれているように感じた。
お姉さん人間だから簡単じゃないかもしれないけど、同じ魔族である他の軍人さん達が説得してくれれば、もしかしたら竜族将さんも納得してくれるかもしれない。
そうなれば、きっと魔界の安定への早道になる、ってそう思えた。
そんなときだった。ガチャリ、とドアを開ける音とともに、十七号くんが部屋にやって来た。
十七号くんは確か、竜娘ちゃんの警備についていたはずなんだけど、どうしたんだろう?
そんな十七号くんは部屋に入るなり私のすぐ隣にいた大尉さんの姿を見つけて駆け寄ってきた。
「大尉さん、大尉さん」
「ん?どうしたの?」
大尉さんは呆けた声色でそう聞き返す。すると十七号くんも首を傾げながら大尉さんに言った。
「なんか、竜娘ちゃんが呼んでるよ。話がしたいんだってさ」
***
暖炉の部屋を出て廊下をまっすぐ。
突き当りの階段を登って、厨房のある階をひとつ越えた廊下を西へ歩いたその先に、
先代の魔王様が魔界や人間界からも取り寄せたんだという膨大な量の書物が収められた書庫はある。
私はお姉さんに断って、大尉さんと呼びに来てくれた十七号くんに着いて、妖精さんと十六号さんに十八号のちゃんと一緒になってその書庫へと向かっていた。
あの会議の場にいても、私は怯えているだけで何も出来ない。
お姉さんのそばにはサキュバスさんも兵長さんたちもいるし、役に立つのなら調べ物の手伝いの方が良いんじゃないか、ってそう思ったからだ。
竜娘ちゃんは昨日の晩から書庫に入ってたくさんの書物を読み漁っているらしい。それこそ、警護している十七号くんと十四号さんにトロールさんが書庫に毛布を持ち込んで夜を明かすほどなんだそうだ。
彼女が寝たのかどうかさえ分からない、と話す十七号くんの口ぶりは心配げだ。
昨日竜娘ちゃんが言っていたその…基礎構文、って言うのは、そんなにも重要なことなんだろうか?
魔導士さんは作り話の類に違いないと言っていたし、私もそう思うのだけど…人間界でも竜娘ちゃんはたくさんの本を読んだ、って、そう言っていた。
もしかしたら、人間界の本にはその基礎構文って言う何かに関することが書いてあったのかもしれない。だから、気になっているんだろうか…?
そんなことを考えているうちに、私たちは書庫の前に辿り着いた。書物は湿気を嫌うから、と、この厚い木の扉を据え付けたのも先代様だという話だ。
ゴンゴン、とその木の扉をノックした大尉さんが
「入るよー」
と声を掛けて扉をあけた。
私は魔道士さんのウコンコウ…ボタンユリについて調べるために入ったから知っているけど、書庫は基本的に真っ暗で、天井の方に小さな明り取りの窓があるくらいで、それもあまり開けてはいけないのだと言う。
なんでも書物は、太陽の光にも弱いらしい。
私は妖精さんの光の魔法を使ったランプを灯してボタンユリについて調べていたけど、書庫の中の竜娘ちゃんは、普通のランプに火を灯して、書庫の二階へと続く階段に座り込んでいた。
周りにはたくさんの本が積み上げられている。竜娘ちゃん、あれを一人で全部読んだのかな…?
魔界の文字があったり、難しい言葉で書かれた文章の本もたくさんあったはずなんだけど…竜娘ちゃんのお父さんは、竜族の名士だって言っていた。
もしかしたら、私が畑仕事を教えてもらったのと同じように、お父さんから勉強を教えてもらっていたのかもしれないな。
「あぁ、大尉さん」
そう声あげたのは十四号さんだった。相変わらず優しそうで、その、かっこいいお兄さんだ。
「あたし用だって?」
そう答えた大尉さんに、十四号さんは少し疲れたような表情を浮かべながら竜娘ちゃんに頭を降った。
「彼女が話がしたいって」
十四号さんがそうまで言って、竜娘ちゃんは初めて私達が部屋にやって来たことに気付いたのか顔をあげて少し驚いたような表情をしている。
でも彼女はすぐに大尉さんに気が付くと、パッと立ち上がって手のしていた一冊の本を持ち、大尉さんに駆け寄ってきた。
「大尉さん、この文字はお読みになれますか?」
竜娘ちゃんが開いて見せたそのページには、片側に難しくて古い言い回しの文章がいっぱい書いてあって、もう一方にはその説明らしいこれもまた古めかしい挿絵が描かれていた。
竜娘ちゃんが大尉さんに指し示したのは、文章の方はなく挿絵の方だった。
私は大尉さんと本との間に体をねじ込んでそのページに目を凝らす。
ふっと明るくなったと思ったら、妖精さんがランプに灯った火の明かりを魔法で曲げて、本を照らし出してくれていた。
「便利だよね、その魔法。俺にも出来るかなぁ」
「やりたかったらいつでも教えるですよ。今の魔王城にはたくさんの強い力を使える人がいた方が良いと思うですからね」
十七号くんと妖精さんの話を聞きつつ、私は改めて挿絵に目をやった。
そこに描かれていたのは、男の人たちが何かを建てている様子だった。
その建物の真ん中には、板のような物が描かれていて、そこに私が読めない文字で細かく何かが書き込まれていた。
「これは…古代文字の一種だね…しかもかなり特殊なやつだ…」
大尉さんはそう言いながら、小さなその文字を小指の先で追いつつたどたどしい口調でそれを読み上げた。
「…記す…落とす…?あぁ、いや、書き残す、ってことかな…礎…世界…世界の礎、か。えぇと…次は…あー、ダメだ、この文字は知らない…で、えぇと…祠…丘の祠…」
そこまで言い終えて、大尉さんは本から指を離し、首を傾げた。
「書き残す、世界の礎、丘の祠…」
自分で言った単語を呟きながら大尉さんは竜娘ちゃんを見つめて、竜娘ちゃんの反応を確かめるように聞いた。
「昨日言ってたのって、基礎構文、って呼んでたっけ?」
その問に竜娘ちゃんは黙って頷く。それを見た大尉さんは、宙を見やって言った。
「世界の礎、ってのは、その基礎構文のことかもしれないね…」
「では、やはりこの挿絵は…?!」
「いや、かも知れない、って言うだけで、本当にそうかは分からないけど…本文の方の解読を進めてみればそれも分かるかも知れないね」
そう言った大尉さんは、再び小指でその絵を指し示した。
「単語の羅列からの想像だけど、この絵はもしかしたらその基礎構文ってやつの場所を示す何かなんじゃないかな、と思う」
そんな言葉に、書庫に居たみんなが息を飲む音が聞こえた。
その基礎構文、ってものがなんなのかは分からないけど…“この世界を世界たらしめている”ものだと言ってた。たぶん、とても重要なことだと言うのは分かる。
でも、でもどうして…?
私はそんな疑問が浮かんで、思わず竜娘ちゃんに尋ねていた。
「竜娘ちゃん。どうしてその基礎構文っていうのが気になるの…?」
すると、竜娘ちゃんは私の顔をじっと見て、それから大尉さんに妖精さん、トロールさんに、十六号さん達みんなの顔をそれぞれ窺ってから、
「きっと、皆さんにとっては気分の良い話ではないとは思いますが…」
と俯いて前置きをし、ややあってクッと表情を引き締めて顔をあげて言った。
「あの塔に囚われている際に、大尉様と戦っていた女性が言っていたのです。基礎構文とは、“争いを促した忌むべきものである”と」
“争いを促した忌むべきもの”…?で、でも、サキュバスさんはそれが“世界を世界たらしめているもの”だと言っていた。
全く違う言葉に聞こえるけど…でも、待って…も、もし二つを繋げて考えるとしたら、その意味は…
「この争いが繰り返される世界を維持しているなにか、か…」
私の思い至った答えを、十六号さんが口にする。それに頷いた竜娘ちゃんが続けた。
「もしあの女性の言を信ずるのなら、基礎構文とは、もしかするとこの争いを留めうる何かである可能性もあるのではないか、と…」
竜娘ちゃんは、そう言って持っていた本の挿絵にもう一度じっと見入った。
もし竜娘ちゃん言っていることが合っていたんだとしたら、それはきっとお姉さんにとっては今以上の力になってくれる。
この魔族と人間が争いを続ける世界に、平和をもたらすことが出来るかもしれないんだ…。
「大尉さん、どう思う?あなたはあのオニババとやりあったと聞いた。俺にしてみたら、あの女のことだ。そう言ってなにか、誘導されているような気がしてならないんだが」
十四号さんが大尉さんを見やって聞く。すると大尉さんはうーん、と唸ってから
「その可能性はあるよね…わざわざ竜娘ちゃんを閉じ込めておいて、でも本なんかを読むようにって命令していて、その基礎構文なんて話を聞かせるってことは、何かを刷り込ませようとしていた、とも思える…」
それから大尉さんはまた首を傾げつつ「でも、」と話を続ける。
「あたしには神代の民の一人として、世界の均衡を保ち、二つの紋章を管理するって責務がある。基礎構文ってのがサキュバスちゃんの言っていた“世界を世界たらしめる”ものなんだとしたら、均衡を保っている何かだとも思える。神代の民的には、そっとしておきたい代物かな。だから、もしあの宗家のオニババがそれを狙っているって言うのなら、あんまり良いことないと思うし、本当に存在するんならそれがある場所を突き止めて、警備するくらいはしないといけない気がする」
そう言い終えた大尉さんは、少し憂鬱そうな表情を浮かべて竜娘ちゃんに聞いた。
「…仕方ない、ちょっと探してみる…?あれば守らなきゃいけないし、ないならないでその方が良い気もするけど…」
「…はいっ!」
大尉さんの言葉に、竜娘ちゃんがはっきりとした返事をした。
それを聞いた大尉さんは、はぁ、ともう一度ため息をつき、本を持ってその場にどかり、と座り込んだ。
「本文まで古代文字と来てるからなぁ、これ。この挿絵の文字に比べたらまだ新しい文字だし読みやすいけど…とにかく、この挿絵が何なのかをよく知るために、これを解読するっきゃなさそうだね…正直、骨が折れそうな作業だよ」
大尉さんは苦笑いを浮かべてそんなことを言った。
ふと、私は何かポッカリと胸に穴が空いたような、そんな感覚を覚えた。それが一体何なのか、と考えていると、答えはすぐに分かった。
私は、ここでもまたなんの役にも立てない。そう実感してしまったからだった。
私は古代文字なんて読めないし、そもそも今人間界で使っている文字も怪しいし、魔族の文字も読めるわけがない。
村には手習いをしてくれるおじいちゃんがいて、文字や計算を教えてもらってはいたけど、それも畑仕事の合間に行くくらいで、王都での学術院なんかで教えているらしい勉強なんてのとは比べ物にならない。
田舎の村の子なんてだいたいみんなそうだけど、でも、いざこうしてそう言う知識が必要だとなると、なんにも出来ない自分がなんだか悔しい。
十六号さん達の様に魔法が使えるわけじゃない。兵長さんのように軍隊のことや戦いについて知っているわけでもない。
みんながそれぞれの力でお姉さんを支えているのに、私に出来ることと言ったら、お姉さんそばにいることとそれからお芋なんかの簡単な畑をやることくらいだ。
食料がで大事だっていうのはわかるけど…でも、なんだか、皆の輪から外れてしまっているような心地がしていた。
「大尉様」
そんな事を思っているときだった。魔王城に戻ってから、あの石人間のような体に戻っていたトロールさんが、そうくぐもった声で大尉さんを呼んだ。
「オイ、ソノ祠ヲ知ッテルカモシレナイ」
「えっ?」
トロールさんの言葉に、大尉さんがそんな驚きの声をあげた。みんなも驚いてトロールさんを見つめていたし、もちろん私も驚いた。
でも、トロールさんの言葉の意味を私はすぐに理解できた。そう、だってトロールさんは…
「オイ達トロールハ、古クカラ北東ノ森二アル祠ヲ守ってキタ」
祠守の一族。そう、トロールさんは自己紹介をするときはそう言っていた。
「魔界二、祠ハ多クナイ。オイ達ノ守ル祠ト、西ノ森二住厶、サキュバス族ガ守ル祠、ソレカラ、北ノ城塞ノ近ク二アル、モウ壊レテシマッタ祠ダケダ」
驚くみんなを見つめながら、トロールさんは言った。すぐさま大尉さんがうーん、と唸り声をあげる。
「サキュバス族の祠、って言うのは怪しいしね…神代の一族が守っているんなら、古えから伝えられてきた何かが収められている可能性は高そうだし…サキュバスちゃんにお願いしたら口利いてくれるかな…」
そんな大尉さんに、竜娘ちゃんは落ち着いた様子で言った。
「サキュバス様にもお願いしてみます。私、どうしてもその祠の中を見てみたいんです」
そんな竜娘ちゃんの瞳は、どこか悲しげな、切なげな色をしているように、私には見えた。
***
翌朝、竜娘ちゃんはお城の北門から、大尉さんと十八号ちゃんと十四号さん、それからトロールさんと一緒に、サキュバス族の師団長さんが用意してくれた馬のような牛のような生き物が引く車に乗ってトロールさんの一族の住むという北東の森へと旅立って行った。
私は門のところで、妖精さんやお姉さん、サキュバスさんと一緒にそれを見送った。
竜娘ちゃんがその場所へ行きたいと相談したとき、お姉さんは少し心配そうな顔をしたけれど、大尉さん達が一緒なら、と、それを許してくれた。
トロールさんの一族が守る祠に行って、それから西のサキュバス属が暮らす森へも行くらしい。
竜娘ちゃんには、サキュバスさんが祠を見せてあげるように、ってお願いをする手紙を持たせていた。
人間界へ行くワケでもないし、と最初は私も思ったけど、でも、よく考えてみれば竜娘ちゃんは戦争が始まる直前、人間界へ旅立つまでは、魔界では忌み嫌われる存在だったと言う話を思い出して、私は心配になってしまった。
あとからそのことをお姉さんに言ったら、お姉さんは私の頭を撫でながら
「大丈夫…あの娘はきっと、あんたと同じように強い娘だ…それに…」
とどこか引き締まった表情で
「ここにいるほうが、もしかしたら危険かも知れないからな」
と言った。
その意味が分からない私じゃなかった。きっと、お姉さんは魔導協会の人達の動きを警戒しているんだろう。
もしあの人達が竜娘ちゃんを奪い返しに来るとすれば、まず真っ先にこのお城を狙うはず。そのことを考えたら、お姉さんも竜娘ちゃんをここから遠ざけて置いた方がいい、と考えているんだろう。
トロールさんは自然の魔法を使った念信というのも使えるみたいだし、何かあったらすぐに知らせるようにと伝えてはいたけど、魔導士さん直伝の転移魔法を使える十八号ちゃんと十四さんもいるし、もしものときはお姉さんのいるこの魔王城に逃げてくればいい…
戦いになるかもしれないけど、お姉さんが傷つくことになるかも知れないけど…
それでも、お姉さんはきっと、私達のうちの誰かが傷付くのを良しとはしない。
そうならなければいいな、とは思うけど、もしそのときが来たら、って言う備えと覚悟は大切だ。
とにかく、お姉さんの考えの通り、竜娘ちゃん達がもし何かあったときに逃げたり助けを呼ぶことができる状態なら、いつ魔導協会の人達からの攻撃を受けるかもしれないここよりは、魔界の辺境へと旅に出ていた方が安全だろう。
私は、今回ばかりは着いて行きたいとは言わなかった。向こうに一緒に行っても、私には出来ることなんてない気がしたし、それに…私には、このお城でやらなきゃいけないことがあるんだ。
軍隊を再編する会議は今日も続いている。竜族将さんが朝から不機嫌そうに息巻いていたし、魔族軍が整うには時間が掛かる。
その間、お姉さんは色んな事に気を使わなきゃいけないし、もしかしたら傷付くようなことをたくさん経験するかも知れない。
そんなときはやっぱり私はお姉さんのそばにいてあげたい。それがきっと、あのときお姉さんに助けてもらった私の役目なんだって、そう思い直していたから。
とは言え、会議の席に居ても何が出来るわけでもない。
竜族ちゃん達を見送った私と妖精さんは、サキュバスさんの言いつけで着いてきてくれたゴーレム二体と十六号さんに十七号くんと一緒に、お城の西の畑へと向かった。
ちゃんと畑を整えておかないと、魔族軍の人達がお城に常駐するようになれば備蓄の食料も長くは持たない。
私と、すっかり人間の体になれた妖精さんが先頭に立って、その後ろにふざけあいをしながらおしゃべりしている十七号くんと十六号さんが続く。
見えてきた畑には小さな緑の芽が、あちこちから吹いている光景が広がっていた。本当にまだ葉っぱ二枚だけ顔を出したばかりの新芽だ。
「わぁー!すごい!本当に芽が出てる!」
妖精さんがまるで踊りだしそうなしぐさでそんな声をあげる。だけど、私はそれほど嬉しいって気持ちは起きなかった。
なぜなら、緑の新芽が出ている辺りの土が、白っぽくカサカサになっていたからだ。
ここに植えたお芋は乾燥には強いはずだけど、この土の乾き方は少し乾燥しすぎのように思えた。
私は持ってきていたシャベルで少しだけ土を掘ってみる。でも、拳一つ分掘ってもまだ、土は乾いたままだった。
この辺りって、雨はどうなんだろう?そう言えば、魔王城に来てからと言うもの、雨が降ったのを見たことがない。でも、最初に畑を始めたときには、土はもう少し湿っていて握ればまとまるくらいだった。
掘り返しちゃったから乾燥が進んだのか、それとも適度に雨が降るのか…
「ね、妖精さん。この辺りって、雨降るのかな?」
「あ、雨?わかんない、どうだろう…」
私の言葉に妖精さんは慌てて踊りをやめて首を傾げる。
そりゃぁ、妖精さんはこの辺りに住んでいたってわけじゃないみたいだし、知らなくっても仕方ないか…
私がそんなことを思っていたら、妖精さんはふっと空を見上げて呟いた。
「風が言ってる…しばらく雨はないみたい」
「風が?」
「うん、そう。あ、言ってる、って言っても言葉じゃなくってね…風が乾いてるから。この辺りは西からの風が吹いてるから少し雨は少ないかも知れない。もう少し南に行けば、海風が中央山脈に当たって雨になるんだけど、ここの風はどっちかって言うとあの砂漠の街の風に似てる」
なるほど、そっか。
さすが風の魔法が得意な妖精さんだ。風を使えるだけじゃなくって、風の様子まで感じ取ることが出来るんだね。
「なら、水撒きしなきゃならないってことか」
そんな私達の話を聞いていた十六号さんが話に入ってくる。
「うん、そうだね…このまま何日も降らないとなると、ちょっと心配かも…」
乾燥には強い種類だけど、だからと言って水気がないままだと枯れたりする危険もある。
ただ、お芋だけに水をあげすぎて土の中で腐ったりしちゃったら大変だ。幸い水はけは良さそうな土だから、多少でも土を濡らすくらいの水さえあれば、あとは多分、葉っぱが育ってくれば朝露やなんかでそんなに心配はなくなるはず。
とにかく、今をなんとかしなきゃね…
「水かぁ…凝固系の魔法は知らないな…な、十七号、あんたは使えたっけ?」
「使えないこともないけど、凝結して雨にするって言うより、俺の体の水分を使って行く感じになるからけっこう体力食うな…畑に撒く水の半分くらいを俺が飲みながら魔法陣を描き続けなきゃなんないかも」
「あはは、そんなんじゃ人間ポンプだな」
十七号くんとの言葉にで十六号さんがそう言って笑う。
歩いて百歩の畑を4面作って、そのうちのひとつは休作用にしているけど、それでも三面分の水を十七号くんに撒いてもらうのは大変そうだ。
魔法も向き不向きとか使えないものとかがあって、思いの外、不便なことだってあるんだな、なんて、私はそんなことを思っていた。
「でも…じゃぁ、どうしよう?お水撒かないと良くないんだよね?」
二人の話を聞いて、妖精さんがそう私に聞いてきた。
それについては、最初にここを選んだときから考え済み。
畑の一角に井戸を掘らなきゃいけない。
もともとそのつもりで、今日もその下準備をするつもりだったけど、土の乾燥が思っていた以上に早いし、少し急がないといけないかな。
「井戸を掘らないと」
「イド…?あの、魔王城にある水が出てくるやつ…?」
「まぁた穴掘りか」
「あはは、アタシら向きだな」
妖精さんが首を傾げ、十七号くんが苦笑い、十六号さんはいつものように明るく笑った。
畑に水は大切だ。それに、本当は肥料も欲しいんだけど…まぁ、それはまだ少し先でいい。
今はとにかく、ここに井戸を掘って出来たら水路なんかも作れたらいいかな…これだけの広さの畑に水を撒くのは大変だからね。
「妖精さん。どこか地面の下に水が流れていそうな場所はないかな?」
私は妖精さんに聞いた。妖精さんは少し驚いたような顔をして
「えっ?私…?!そういうのはトロールの方が得意だと思うんだけど…」
なんて言いながらも、その場にしゃがみこんで地面に手を付いた。その手のひらがぼんやりと光を帯び始める。
自然と話が出来る、っていうのは自然を感じ取れる力だ、って言ってたしね。きっとどこから水が出そうかも感じ取れるに違いない。
私の考えは、きっと正解だったのだろう。しばらくして妖精さんは
「あの少し窪んでる辺りから、水の冷気が強くする…かも」
と言って、畑から三十歩程の少し地面が抉られたようになっている辺りを指差した。
「よぉし、あそこを掘ればいいんだな?」
十六号さんがそんなことを言いながら、担いでいた大きなシャベルを振り回した。
「ううん、掘るのはひとまずゴーレムに頼んでおいて、私達は他にやることがあるの」
「やること?」
十七号くんが首を傾げて私にそう聞いてくる。
「うん、井戸を掘ったらその周りに石を敷き詰めておかないと穴が崩れちゃうでしょ?石を集めなきゃいけないんだ」
それに、魔王城にある井戸は、真新しい青銅で出来た手漕ぎ式の汲上機だった。
サキュバスさんの話では、先代の魔王様が作らせた井戸らしくって、どうやらその予備の資材もお城の倉庫に残っているらしい。
もし汲上機と水路用の青銅管も残っていれば、それをここに運び込んでおきたい。
石を見繕ったり、資材を確認するのは簡単な命令をこなすだけのゴーレムにはちょっと難しいだろう。
「物知りだなぁ」
私が言ったら、十七号くんがそう感嘆してくれる。それがなんだか気恥ずかしくって、へへへ、なんて笑い声をあげてしまいながら、私は
「とりあえず、ここはゴーレムに任せてお城の方に戻ろう。倉庫と石を探しに行かなきゃ」
と皆の顔を見て言った。
一旦、西門からお城に戻った私達は、そのままそぞろ歩いて一階にある倉庫の戸を開けた。中はだだっ広いうえに真っ暗で埃っぽい。
妖精さんが光を灯してくれてようやく中が見えるくらいだ。
そこには、古びた武器や防具、農具なんかに、お城の修繕にでも使うんだろう大工さん用の道具なんかも置かれていた。
そんな中に、私は布を被っている山を見つけた。
それをピラっとめくってみると、そこには束になっている金属の管とそれに立てかけられるようにして置かれている汲上機があった。
それに、管を通すための穴を掘る槍のような道具もある。良かった、ないわけはないと思っていた。これがあれば井戸作りはうんと楽になる。
私の住んでいた村には井戸が二つあって、片方は木のバケツを滑車でおろして汲み上げるやつだった。
父さんは、あの井戸のほうが広く掘らなきゃいけないから作るのに手間がかかるんだ、と言っていた。それこそ穴の中の壁全部を石で補強しながらの作業になるからね。
その点、この汲上機の方法なら、管を通せる穴を掘って、隙間に石を入れていって固定するだけで済む…はずだ。父さんの話なら…
「あぁ、ポンプじゃないか。なるほど。これをあそこに運ぶわけだ」
十六号さんがそう言って、両腕の袖を捲りあげる。
「お、荷車あるぞ。これに載せよう」
十七号くんが倉庫の隅にあった荷車を引っ張り出してきてくれた。
「じゃぁそれ抑えててです。私が持ち上げるですよ!」
そう言うが早いか、妖精さんは両腕を資材の方へと付き出した。
こういう物や人を浮かべたりする魔法は、空気の密度を動かすんだ、と妖精さんは言っていた。
物の上側の空気の密度を低くして下側の密度を高くすると、高い方から低い方へ空気が流れようとするから、それが物を浮かせる力になるんだ、って話だ。
正直、そんな話をされてもほとんどなんにも分からなかったけど、とにかく魔法で汲上機と管がふわりと倉庫の中に浮かび上がった。
「うぐっ…これ、けっこう重いよ…!」
「妖精ちゃん頑張れ!今荷車下に入れるから!」
悲鳴をあげた妖精に十六号さんがそう言って、十七号くんと一緒に器用に荷車を操って浮かんでいる資材の下に荷車を滑り込ませた。
ギシギシ、っと、荷車がその重みで軋む。
「ふぅ…」
妖精さんが息を吐いて両腕を下ろした。
「ホントだ、かなり重そうだな…あそこまで引っ張っていけるかな?」
「俺と十六号姉がいれば大丈夫だろ。強化魔法使えばなんとでもなるよ」
十六号さんと十七号くんがそんなことを言っている。
人間の魔法は体の機能を強化することだって出来る。これくらい、その魔法を使えば楽々、ってことなんだろう。
魔法って言うのは、本当に便利だ。
「よっし、じゃぁ行くぞ」
「うし。せぇのっ!」
二人がそう声を合わせて荷車を引っ張る。ミシミシと音をさせながら、それでも荷車はするりと動き始めた。
私達は倉庫を出た。妖精さんが後ろから荷車を押して、ギシギシと一階呪うかを進む。
「これ、勝手口からは出られないよな…」
十六号さんが言った。
私達がお城に入ってきたのは、西門のすぐ近くにある普通の家に付いているような小さなドアからだった。
十六号さんの言うとおり、この荷車を引いて通るには明らかに小さい。このまま行くのなら、南門の近くにある大戸へ向かうしかない。
大戸から西門へ行く間には石の壁が一枚あって、そこにある通路も狭くて荷車は通れないから、南門使う必要がある。でも、南門の外には…
私はふと不安になった。南門の外には、この城に駆け付けた魔族軍が陣を張っていたからだった。
お姉さんは軍人さん達が来たときには私達を一通り紹介してくれたけど、白い目を向けられたことを覚えている。
そんな人達の中を通っても大丈夫なものか…
「私の魔法で姿を消しても、これを引きながら近くを通れば感づかれちゃうね…」
十六号さんも妖精さんも、私と同じ心配をしているようだった。十七号くんが一人
「何かあったらぶん殴ってやればいいんだって」
と息巻いているけど、そんなことをしちゃったら、今魔族軍を再編するために話合いをしているお姉さんの足を引っ張ることになりかねないし、魔族の人達に人間への怒りを新たに植え付けることになってしまうかもしれない。
それは避けたいな…まぁ、まだ何か起こるって決まったわけじゃないけど…
そんなことを考えているときだった。
「ん、何だぁ?」
そう声が聞えて目の前に姿を表したのは、見慣れない軽鎧を着た人間のおじさんの軍人さんだった。
「あ、隊長さん。こんにちは」
私はそのおじさんに挨拶をする。
隊長さんは、大尉さんの部下だ。
部下なのに「隊長さん」なのは、何でも大尉さんは王都の軍令部から諜報隊に配属になったからで、もともと軍人さんである隊長さんと王都軍令部との調整役兼監視役だったからなんだそうだ。
そういえば、砂漠の街の憲兵団の司令官さんも、王都から派遣されてきた、って言ってたっけ。
大尉さんもそんな王都の重役だったんだろう。そりゃぁ、神官の一族の末裔だもんね。要職についていたっておかしくはない。
私と隊長さんは、竜娘ちゃんを助け出して来てから魔導士さんの転移魔法で隊長さん達を連れて来た大尉さんに紹介されて知り合った。
掠れた声の人で、目つきも鋭い、なんというか、絵に描いたような軍人さんだっていうのが最初の印象だった。
でも、さすがあの大尉さんの部下だからなのか、話してみると怖さなんてこれっぽっちも感じない、ううん、むしろこんな風で大丈夫なのかな、って私が心配になってしまうくらいに大雑把で豪気な人だった。
「なんだ、その大荷物?」
「あぁ、はい。西門の外に畑を作ってるんです。そこに井戸があったらいいなと思って」
私が説明すると、隊長さんは、あぁ、なんて気のない返事をしてからふと何かに気が付いたような表情になり
「それ、南門から出すつもりか?」
と聞いてきた。
「はい…南門くらいしか通れないと思うんです」
「まぁ、その大きさだとな…ふーん、いや、だがそいつはちょっとうまくねえな」
隊長さんはそう言って口に手を当て首を捻った。私達が思うくらいだ。軍人の隊長さんがそのことに気が付かないはずはない。
だけど、隊長さんは程なくして
「そうだな…」
と呟き、私達を見てニヤリと笑って言った。
「勇者…あぁ、いや、城主サマのご意向もあるからな。手を貸してやるよ、嬢ちゃん達」
***
それから私達は四人で荷車を南門の前まで運んだ。ここは「掃き出しの門」って呼ばれていたんだっけ。確か、お城を作るのに使った石の余分な物を運び出すのに使われていたってサキュバスさんが話していた。
だからこれだけ大きな作りになっているんだろう。
そんなことを十六号さん達と話しているうちに、お城の中で一旦別れた隊長さんが私達の前に姿を表した。
驚いたことに、隊長さんはその後ろに人間の軍人さん二人と魔族の人達を三人引き連れていたのだ。
人間の軍人さんは二人とも女の人で大尉さんや隊長さんの部下の人だけど、魔族の三人は初めて見る人達だ。
「初めまして」
そんな優しい声色で魔族の中で唯一の女の人が私達にそう声を掛けてくれる。姿は人間と近いけど、瞳の色が黄色い。
耳も尖っているし、額からは親指程の角のようなものが一本生えている。確か、人間の姿に似た魔族の人達を人魔族、って言うはず。
この人もそうなんだろう。
私達が順番に挨拶をすると、隊長さんが魔族の人達を紹介してくれる。
「彼女は、魔族の突撃部隊にいた人魔は鬼族の戦士だ。こっちの獣人は猛虎族が勇で突撃部隊の小隊長。で、この若いのが獣人でも珍しい鳥翼族の剣士だ」
猛虎族の小隊長さんは、体がガッシリとしていて鎖帷子を身につけたいかにも勇ましそうな男の人で、もう一人、ツンツンの羽のような毛を生やして背中にサキュバスさんのとは違う黒い羽根の翼を持った鳥翼族の剣士さんは、たぶん、十四号さんと同じ年頃くらいだろう。
小隊長さんは腰にナタのように幅の広い剣を提げているし、鳥の剣士さんもその名に違わず、両方の腰に細身の剣がある。
もちろん、優しい声で挨拶をしてくれた鬼族の戦士さんも背中に剣を背負っているのが見える。
私はそんな姿を見て緊張せずにはいられなかった。
魔族の軍人さんと会うのは、黒豹さん以外では遠巻きに会議に参加していた人達を見るくらいで、こうして面と向かうのは初めてだったから。
正直に言えば、怖い。
魔族だからとかそう言うことじゃなしに、少なくとも“戦争をしていた相手”に他ならないし、きっと人間の軍人さんを殺したりしてきた人なんだろうと思うと、気を抜くことなんて出来なかった。
「良かったよ、退屈してたとこなんだ」
隊長さんの部下で、短い髪に女の人とは思えないガッシリとした筋肉を身にまとった女戦士さんがあっけらかんと言う。
「そうだね。剣の稽古をしているよりもよっぽど面白そうじゃない」
そんな女戦士さんに、長い髪を後ろで束ねている女剣士さんが捌けた口調で相槌を打って笑った。
「共同作業を見せる、って、いい案ですね」
鳥の剣士さんもにこやかに笑って鬼族の戦士さんに声を掛ける。鬼族の戦士さんもそれに笑みを返して
「そうね。誰かさんのお陰で上は大もめみたいだし」
なんて言っている。
「まぁ、竜の旦那は一本気な人だからな。おいそれと気持ちを入れ替えるわけには行かないんだろう」
そんな鬼族の戦士さんの言葉を聞いた虎の小隊長さんが苦笑いを浮べた。
竜の旦那…?そ、それってもしかして…
「み、皆さんは竜族将様を知っているですか?」
言葉が詰まった私に代わって、妖精さんが魔族の人達にそう尋ねる。すると、鬼族の戦士さんが苦笑いで教えてくれた。
「知ってるもなにも、私達突撃部隊を指揮していたのが竜族将様だったんだよね。私達は皆、元は北の街に住んでいたんだ」
北の、街…それって、竜娘ちゃん達の家族が住んでいたっていう、あの…?私はそれを聞いて全身が硬くなるのを感じた。
心臓が握りつぶされてしまうんじゃないかっていうくらいにギュっとなる。
この人達は、人間に街を焼かれた人達なんだ…頭に蘇ってきたのは、北の城塞でのお姉さんの所業や、東の城塞で私達に向けられた人間の怒りの感情だった。
それがどんなものかを私は身を持って知っている。だからこそ、体が震えた。
でも、そんな私を見て、鬼族の戦士さん私の前に歩み出て来てしゃがみ込んで言った。
「怖がらないで、って言うのは無理かも知れないけど…私達は大丈夫だよ。戦争はあったけどね…私、人間って好きだから」
そう言った鬼族の戦士さんは笑っていた。人間が、好き…?魔族なのに、どうしてそんなことを…?
「や、やめてくれよ、そんな直接言うのは…て、照れるだろ」
「いや、なんであなたが照れる必要あるのさ。人間族一般の話でしょ?」
鬼族の戦士さんの言葉を聞いて、女戦士さんと女剣士さんがそんなことを言い合って笑っている。
私にはそんな光景がとても奇妙に思えた。どうして笑っていられるんだろう?だって戦争をしていたんでしょ?殺し合いをしていたんでしょ?
それなのにどうして…どうして笑顔でいられるんだろう?
「まぁ、とにかく、だ。お互い暇を潰せるし、城主サマの言いつけも守れるし、ギスギスしてるよりよっぽど良い。かかるぞ」
そんな私をよそに隊長さんはそう言うと、魔族の三人と二人の女の兵士さんに号令を出した。
「ほら、貸しな。こういうのは任せとけよ。なぁ、鬼の!あんたも一緒に引こうよ!」
「ふふふ、良いよ、任せて!」
女戦士さんが十六号さん達を押しのけてそう言い、鬼族の戦士さんも笑顔で了承して荷車の引き棒に並んで見せる。
「この荷、あんな石ころばかりの道を行くのはちょっと不安だね」
「なら、縄でも括って縛ろうか」
荷を見た女剣士さんの言葉に、鳥の剣士さんが答えて身軽に荷台の上に羽ばたくと資材に縄をくくり始めた。
そんな光景を見ていた隊長さんと虎の小隊長さんはチラッと目を合わせてから
「なら、俺達はつゆ払いだな」
「ははは、つゆ払いか。間違いないな」
と言い合って豪快に笑い荷車の前に立った。
私は、ううん、私だけじゃなくて、妖精さんも十六号さんも十七号さんもそんな様子にただただ呆然としてしまっていた。
嬉しいことのはずなのに、なんだか目の前のことがどうしてか信じられない気持ちだった。
「おぉし、門開けるぞ。おい、坊主、手伝え」
隊長さんは十七号くんにそう声を掛けながら門の方へと歩いていく。
「あ、お、おう…」
十七号くんはそんな戸惑った返事をして隊長さんの後へと続いた。
隊長さんが門の閂を重そうに持ち上げて門の脇へと引きずっていく。それを確認した十七号くんが腕に魔法陣を光らせて大きな門を押し込んだ。
ズズズと重い音とともに、両開きの門が外側へと開いていく。その間からは、お城の周りに革張りのテントを張った魔族の人達がじっとこちらを覗き込んでいた。
「よぉし、引くぞ!」
「うん、せぇのっ!」
女戦士さんと鬼の戦士さんが声を掛け合って荷車を引き始める。後ろからは女剣士さんと鳥の剣士さんがそれを押している。
「お、お手伝いしなきゃっ」
不意に妖精さんが声をあげて荷車に飛びつき、一緒になって押し始めたの私もようやく我に返った。
いろいろと驚いてしまっているけど…とにかく、私は私の仕事をしなければいけない。
それを手伝ってくれると言うのなら、それが魔族でも人間でも関係ない…私は自分にそう言い聞かせた。
「ほら、アタシらもやろう!」
十六号さんがそう声を掛けてくれたので、
「うん!」
と返事をして私も荷車を押すのに加わった。
私達は荷車を、魔族軍の陣営の真ん中に出来た通路で押していく。
「なんだ?手伝いなら歓迎するぞ?」
「おい、道を開けてくれ。魔王様直々の命令だ!通せ通せ!」
先頭で隊長さんと虎の小隊長さんが通路を行く魔族軍の人達をそう言いながら蹴散らしている。魔族の軍人さん達は、私達を奇異の目で見つめて来ていた。
居心地は良くない。どの人もみんな、まるでよそよそしくって、冷たく感じる。
ふと、戦争のきっかけになった北の街の事件のあと、魔族から締め出されてしまった竜娘ちゃんの気持ちがなんとなく分かったような気がした。
人間と魔族が一緒に仕事をしているだけで、こんな目で見られるmんだ。私達はこうしてみんなで作業をしているからまだいいけれど、竜娘ちゃんはたった一人でこんな扱いを受けていたに違いない。
それは、どれだけ辛いことだったろうか…そう思うと、胸が痛んだ。
でも、それでも私達は無事に魔族軍の陣地を抜けた。向こうの方に切り開いた畑と、そのそばで井戸掘りの作業を始めているゴーレム達が見えてくる。
そこまで来て、私はようやく少し安心できてふぅ、っと息を吐いていた。
そんな私を見て、そばにいた鳥の剣士さんがあはは、と明るく笑う。
「そんな小さいのに良い度胸してるな。俺はもうシビれちゃってるよ」
「なんだ、魔族の突撃部隊も意外に肝が小さいんだね」
横から女剣士さんがそんな冷やかしを入れる。でも鳥の剣士さんは平気そうな顔をして
「中にはおかしなやつもいるんでね。同じ魔族ながら情けないよ」
なんて応える。すると女剣士さんも
「まぁ、人間も似たようなもんさ。どっちにしたって得てしてそういう奴ほど肝が座ってないんだよね」
と笑った。
「間違いないね」
それを聞いた鳥の剣士さんが同意してまた笑った。
そうこうしているうちに、私達は荷車ごとゴーレム達が井戸掘りをしている場所へと戻ってきた。穴はすでに私の腰ほどにもなっている。
土も湿り気があるようだし、水がまったく出ないってことはなさそうだ。
「イドって、あの水を汲む穴のことでしょ?」
「あぁ、うん。魔族には井戸を掘る習慣はないのか?」
「私達は川のそばに集落や街を作ったり、遊牧して生活している種族がほとんどだから、こういうのを作ったりはしないかな」
「へぇ、そうなんだ。だとしたらあの魔王城は、魔族っぽくないよな」
「あそこは特別なの。山脈のこちら側のほぼ中央で、水が湧き出していた場所らしいんだ」
荷車の引き棒から手を離して一息付いていた女戦士さんと鬼の戦士さんがそんなことを話している。
私はそれを聞きながら、妖精さんに頼んで資材を魔法で下ろしてもらった。
「なんだ、この槍みたいな道具は?」
資材の山から、鳥の剣士さんが井戸掘り用の棒を手にとって首を傾げる。
「あ、そ、それは井戸を掘る道具なんです。地面に刺して回すと真っ直ぐに穴が掘れるんですよ」
私が説明すると、鳥の剣士さんはへぇ、なんて言いながら足元にそれを軽く突き立てて回し始める。
尖った先端が地面にめり込み、四枚の付き出した刃のような板の隙間から、土が中央の柄の方へと溜まっていく。それを見た鳥の剣士さんは
「へぇー!なるほど、よく考えられて出来てるなぁ、人間の道具は!」
なんて子どもみたいに感嘆してみせた。
「なるほど、畑か…」
不意に隊長さんがそうつぶやくように言った。なんだろう、と思って隊長さんを見つめていたら、隊長さんは宙を泳がせていた視線を私に向けて
「井戸を作るなら庵が要るだろうな。それにここは少し位置が低い雨になれば水が溜まるかもしれんから、汲上機はやや高い位置に据え付けるべきだろう。そのためには、汲上機を繋ぐ管を固定する以外にも多少の岩がで足場を固める必要があるな」
と聞いてきた。
私は隊長さんの言葉にハッとしていた。庵は必要だとは思っていたけど、足場のことは考えていなかった。
確かにここは周りより少し低いから、土に染み込まなかった雨が溜まりやすい。雨が溜まったら足場が悪くなるだけでなく、汲上機を据え付けた周りの土が流されて座りが悪くなるだろう。
そうなったら管が外れたりして、井戸が使えなくなってしまうかもしれない。
「は、はい、そうですね…」
私が答えたら、隊長さんはガハハハっと大仰に声をあげ笑った。それから改めて私を見て言う。
「さぁ、それじゃぁ、何でも言ってくれ。俺達は力仕事しか脳のないバカばかりだが、うまく扱ってくれりゃぁ、どんなことだってやってやれるからな。頼んだぞ、指揮官殿」
ししし、指揮官?わ、私が…?
急にそんな風に言われたので、私はぎょっとしてしまった。でも、そばにいた妖精さんはその言葉を聞いて
「うん、私も頑張るよ!畑の指揮官さま!」
なんて言いながら飛びついて来た。でも、私、指揮官だなんてそんな…
「指揮官か。まぁ、確かにアタシら畑ってよくわかんないもんな」
「そうだよなぁ。十二兄ちゃんも良く花を育てられなくって枯らしてるくらいだしな」
十六号さんと十七号くんもそんなことを言っている。
魔族の軍人さんの三人も、女剣士さんも女戦士さんも、まるで指示を待つ兵隊さんのように私をジッと見つめていた。
そんな状態で、私は、なぜだかぐんと胸に力が湧いてくるのを感じた。畑の仕事は私の仕事だ。お姉さんにもそれを任された。
だけど、こうして私の言葉を待ってくれている人がいて、私を頼りにしてくれる人達がいるって言うことが、なんだか嬉しくて、勇気が湧いてくるような気がした。
「じゃ、じゃぁ…」
とっさに私は頭を回転させる。井戸掘りに、庵作りに、それから土台と管を固定するための石を集めなきゃいけない。分担してやればきっとそれだけ早くに完成出来るはずだ。
「えと…鬼の戦士さん!この辺りで木を切り出せる場所があれば、少し必要なので手に入れてもらえませんか?」
「木ね。確か南の森は魔王城建設に使った木材を切り出した森だったかな。そこでならたぶん大丈夫だと思うよ」
「なら、お願いします。そんなにたくさんは要らないので…」
「うん、分かったよ」
鬼の戦士さんはそう言ってくれる。
「なら、俺と剣士で、石を集めよう。南の陣地の周りにも大きな物が転がっていたからな」
「そうですね。あの荷車、借して貰えると助かるな」
それを聞いていた虎の小隊長さんと鳥の剣士さんがそんな風に言い合って石集めに名乗りを上げてくれた。
「お願いします!」
私はそう二人に頭を下げる。
「なら、その森にはアタシと剣士で着いてくよ。な?」
「そうだね。そっちの方が人手が必要そうだし」
女戦士さんと剣士さんがそう言うと、鬼の戦士さんがクスっと笑って
「お願いね」
なんて言う。それを聞いた隊長さんは
「なら俺は、庵の図面でも引くかな」
とニヤリと笑って言った。
「え、えぇっと、じゃあ俺は…!」
そんな軍人さん達の勢いに当てられたのか、十七号くんが唐突に興奮した声をあげた。でも、そんな十七号くんに隊長さんは笑って言った。
「坊主はここに残って井戸掘りと見張りだろう。なんたって、城主サマ直々の、我が司令官殿の親衛隊なんだからな」
「しし、親衛隊…!」
隊長さんの言葉に、十七号くんがキラキラした目をして呟くものだから、私は思わず妖精さんと十六号さんと目を見合わせて、クスっと笑ってしまっていた。
***
「あっははははは!なんだよ鳥の!もうへばったのかー?!」
「もう。ちょっと加減してあげてよ、彼まだ若いんだから」
「それに比べてあんたはけっこう行けるんだね。ほら、お代わり」
「ん、ありがと。まだまだ行けるよー!」
「おぉーし、ならこっからは飲み比べだ!寝るか吐くまでな!」
「おぉい、お前はもうやめろ!収集つかなくなんだからよ!」
「大丈夫か、おい?生きてるか…?」
「小隊長…俺ぁもう飲めませんよぉ…」
目の前で繰り広げられているのは、私がこれまで見たことのない奇妙で騒がしい光景だった。
あれから私達は井戸ほ掘り進めた。鳥の剣士さんと虎の小隊長さんが三度目の石の山を運んできてくれた頃に、森へ木を切り出しに行った戦士さん達三人が丸太を一本担いで戻ってきた。
隊長さんの書いた図面に必要な分の木材を切っている間に日が傾いて来たので、魔王城の倉庫から持ち出した麻布を資材の山にかぶせて城に戻ってきた私は、妖精さんと十六号さん、十七号くんと一緒に隊長さん達が間借りしている城の二階の兵舎にある食堂へと、食事に誘われていた。
ここの食事は全部隊長さん達が食材から運び込んで作っているのだと言っていた。サキュバスさんが作る繊細で整った味とは違う、見かけも味も濃くて大胆な食事だ。
他のテーブルでは、諜報部隊の別の隊員さん達が食事をしていて賑やかだけど、
魔族の三人と女戦士さんと女剣士さんに隊長さんのいるここのテーブルはどこよりも騒がしい。
「なぁ、戦士の姉ちゃん。酒って美味しいの?」
「ん?なんだ?飲んでみたいのか?」
「いや、なんかみんな美味しそうに飲んでるじゃん。気になるよ」
「あっはっはっは!飲むか?ほら、味見だけな、ちょっとだぞ?」
私の隣に座って、向かいで鬼の戦士さんと肩を組んで大騒ぎしている女戦士さんに十六号さんが聞くと、女戦士さんはそう言って持っていたお酒の入った木彫りのジョッキを差し出した。
それを受け取った十六号さんは、恐る恐るそれに口を付けて、すぐにプッと顔をしかめて近くに置いてあったお茶の入ったカップ煽った。
「なんだよこれ!なんか熱いぞ!?ムワっとするぞ?!」
そう叫んだ十六号さんを見て、女戦士さんに女剣士さん、鬼の戦士さんが破裂したように大声で笑い出す。
「あっははははは!あんたにはまだ早かったか!」
「ふふふ、まぁ、最初はびっくりするかもね」
「もう二年したら再挑戦しなよ、早くから飲めてもいいことないからさ」
正直、こんなに酔っ払っている大人は初めてみた。村でもお祭りの日なんかはお酒を飲んで騒ぐなこともあったけど、ここまで賑やかになったためしはない。
女戦士さんも女の戦士さんも女剣士さんも顔を真っ赤にしながら楽しそうにしているし、テーブルに突っ伏してしまった鳥の剣士さんも真っ赤な顔でヘラヘラの笑顔のまんまに寝こけている。虎の小隊長さんも隊長さんも、真っ赤な顔でごきげんだ。
こんな様子に最初は面食らってしまった私達だけど、どこまでも陽気な人達で、今はもうすっか楽しい気分になってしまっている。うん、お料理も美味しいし、ね。
「うーん、やっぱりこのお酒はにおいが強くて苦手です」
私達の中で唯一、少しだけお酒を飲んでいた妖精さんがそんな事を言いつつジョッキを空にしててテーブルに置いた。
「あん?なんだよ、酒なんか酔えれば一緒だろ?」
女戦士さんがクダを巻きながら、空になった妖精さんのジョッキに中タルを傾けてお酒を注いでいる。
「こっちには大麦以外のお酒があるの?」
女剣士さんが鬼の戦士さんにそんな事を聞いた。
「うん、種類は多いかもね。って言っても、各々の一族がそれぞれ作ってることが多いから、どれくらいあるかは分からないけど。人魔族は大麦使うよ。この濃い方のお酒と味も香りもよく似てる」
鬼の戦士さんはそう言って、さっき十六号さんが一口舐めたお酒を指して言う。
「へぇ。じゃぁ、妖精族はどんな酒を飲んでんだ?」
「私達は、木の実を使ってお酒を作るですよ。ブドウとかリンゴが多いのです」
「どっちも聞いたことないな…」
妖精の返事に女戦士さんが首を傾げるのを見て、十七号くんが声をあげた。
「リンゴってのはアップルで、ブドウってのはグレープのことを言うんだぜ」
「へぇ、魔界じゃそう呼ぶんだ?」
「いいなぁ、それ、旨そうだ。今度飲ませてくれよ!」
「今、酔えれば一緒って言ってたじゃない!」
「えぇ?そうだっけ?もう忘れちゃったよ!あっはっは!」
女戦士さんがあまりにもとぼけたことを言うものだから、私も思わず吹き出して笑ってしまった。
「で、司令官殿。明日の作業の話をしようじゃねえか」
そんな私に、笑いを収めた隊長さんが話しかけて来た。私もなんとか笑いを引っ込めて隊長さんに応える。
「はい。明日は、まずお城の井戸から水を運んで畑に薄く巻こうと思います。井戸はしばらく時間がかかりそうなんですけど、畑の方はカラカラなので、そっちをやっておかないと新芽が枯れたりしちゃいそうで」
「ふむ、確かにな…しかし、あれだけの広さの畑に水を撒くとなると、それなりの頭数が必要だな。明日はもう少し人数を考えておくとするか…」
私の言葉に、隊長さんはそう言って顎をひとなでする。そんな私達の話に小隊長さんが入ってきた。
「人間魔法には、水を扱えるものはないのか?」
「どうだろうな。基本的に俺たちの魔法は体の中の機能を増幅させて使うんだ。温度を下げたり上げたり、体の機能を強化したりすることはできるが、水を放つ、となると、それこそ体の中の水分を使う他にねえ。そんなことをしたら、たちまち自分がカラカラだ」
隊長さんがそう答えた。確か、十七号くんもそんなことを言ってたよね。
「魔族の魔法の方がそういうのは得意なんじゃねえのか?」
と今度は隊長さんが虎の小隊長さんにたずね返す。
「水を操るのは簡単なんだがな。乾いたところに水を作り出す魔法というのは難しいんだ。風魔法の一種だが、大気中から水分を集める必要がある」
虎の小隊長さんはそう言って妖精さんを見やった。すると少しだけ顔を赤くした妖精さんも
「そうなんですよ。空気をいっぱい集めなきゃいけないですし、念信で長老様に聞いてみたら、あれだけ広い範囲に雨を降らせようとすると、他のところで降る雨を奪ってしまうかもしれないからあんまりやっちゃいけない、って言われたです」
と応える。それを聞くなり、隊長さんは腕組みをして
「まぁ、土の民たる魔族がそういうんだから、そうなんだろうな。こればっかりは、自分たちでやるっきゃねえか」
と頷いた。
便利なようで、やっぱり何もかもができるってわけではないのが魔法なんだな。穴を掘るにしたって、妖精さんにもサキュバスさんには難しいって言っていた。
もしかしたら、人間の魔法陣を施されて力をましているトロールさんなら出来るのかもしれないけど、肝心のトロールさんは今は竜娘ちゃんと一緒に出かけてしまったし…
「自然は万能ではない。無理に扱えば他にしわ寄せが出てしまうこともあるし、そもそも俺たちでも扱える力には限界がある」
「そんなもんだな。何事も、そうすんなりうまくはいかねえもんだ」
虎の小隊長の言葉に、隊長さんがそう言って大仰に笑い、ジョッキをあおってお酒を一気に飲み干した。
ドン、とそのジョッキをテーブルにおいた隊長さんは、それから呟くように
「まぁ、だからこそやりがいってがある、ってもんだがな」
と私を見つめて言ってくれた。
そんなときだった。喧騒に紛れて、バタン、とドアを閉める音を聞いた私は、食堂の入口の 方に目をやった。
するとそこには、お姉さんとサキュバスさん、兵長さんの姿があった。
「おぉ、城主サマのお出ましだ。お前ら、行儀良く出迎えろよ」
隊長さんがあたりの隊員さんにそう声を上げる。
でも、隊員さんたちは
「うぉー!」
と行儀悪く返事をしては、ギャーギャーと喚いて笑っていた。
「なんだよ、ずいぶんと楽しそうじゃないか」
そんなことを言いながら私たちのところにやってきたお姉さん達は、テーブルの向こう側で、鬼の戦士さんを挟んで肩を組んでいる女戦士さんと女剣士さん達がもう何が楽しいんだか分からないけどヘラヘラと笑っている様を見て一瞬固まった。
「おう、勝手にやらせてもらってるぜ」
隊長さんは新しくお酒を注いだジョッキを高々と掲げてお姉さんにそう宣言をする。
そんな様子を見て、虎の小隊長はパッと姿勢を整えた。
「自分は、猛虎族が首長が末子です、魔王様。酒の席で部下たちもこのていたらく、ご無礼、お許し下さい」
「い、いや、その…うん、まぁ、そういうのは全然…」
そんな虎の小隊長さんの言葉を受けて、お姉さんは兵長さんとサキュバスさんを顔を見合わせて、相変わらず戸惑っている。
三人とも何が起こってるんだ、って感じで言葉に詰まっていいるので私は今日の昼間のことを伝えた。
井戸を掘ろうとして準備をしていたら隊長さんが手伝ってくれると言ってくれたこと。隊長さんたちが、魔族の三人を連れてきてくれたこと。みんなで力を合わせて井戸掘りを続けたことも、だ。
一部始終を話すとお姉さんたちは少しだけ落ち着きを取り戻して、肩の力を抜いたのが分かった。
お姉さんが虎の小隊長さんに向き直ると
「手伝ってくれたのか。感謝する」
とお礼を言う。
「ははは、そうか、そっちはいろいろと難しいんだな。まどろっこしいから、俺たちは城主サマってことにさせてもらうぜ。何しろこうなりゃ俺たちはもう傭兵みてえなもんだ」
そんなやりとりを見て隊長さんがそう言って笑い、それからお姉さんたちにも席を勧めて、空いていたジョッキにお酒を注いで乾杯をした。
「し、しかし、驚きましたね…」
「はい…いや、嬉しいことなのですが…その、なんというか…」
兵長さんとサキュバスさんがそう言いあって、テーブルの向こうで魔界の歌らしい何かを鬼の戦士さんに教わって歌い始めている剣士さんと戦士さんを見つめた。
そりゃぁ、そうだよね。私だって、未だに本当なのかな、って思ってしまうところもある。目の前にいるのは、敵と味方で分かれていたような人たちとは思えない。人間と魔族で分かれているような人たちとも思えない。
見る限り、それはまるで…
「まるで、古くからの友人同士、と言った具合ですね…」
サキュバスさんが、苦笑いを浮かべながらそう言った。うん、私も同じことを思っていた。
ただの友達ってわけでもない。まるで、苦楽を共にしてきた、とっても大事な友達同士のように、私には見えた。
「で、城主サマよ。魔王軍再編についてはどうなんだ?」
不意に隊長さんがそう聞いた。
お姉さんたちは今日も一日話し合いをしていたはずだ。私もどうなったのかは気になる。
「あぁ、まだまとまらないな。一応、竜族将は文句を言いながらも、魔族軍再編については賛成してくれている。あたしのことは認めない、ってのは変わらないけど…」
お姉さんはそう答えて、少しだけさみしそうな表情をした。それを見るなり、虎の小隊長さんがペコリと頭をさげる。
「うちの大将が、申し訳ない」
「いや、仕方ないよ。あの人にはあの人の心情があるんだ。その責めを受けるのもあたしの役目で、勇者だったあたしの義務だ」
お姉さんはそう言ってジョッキに口をつけて、大きく息を吐く。
「それにそのこともあるけど、再編案自体に機械族の族長と鬼賢者が難色しててな。まぁ、大掛かりな配置替えしようってんだ。そりゃあ、不安も不満も出ちゃうよな」
「もうしばらくは膠着する、か。まぁ、そんなもんだろう。下っ端は下っ端なりに、出来ることをやっといてやるからよ」
隊長さんがそう言って笑う。そんな笑顔に釣られるように、お姉さんもようやく笑顔を見せた。
「うん、こうして分け隔てなくしていてもらえるのは、あたしにとっては嬉しい」
でも、そんなお姉さんの言葉を隊長さんは鼻で笑って
「バカ言え。そんなんじゃねえ、井戸と畑の話だ」
と言い返し、パッと笑顔を私に向けた。
「そうだよな、司令官殿!」
思わぬところで話を振られて驚いてしまった私は、
「は、はい!」
となんだかちょっと大きすぎる位の声で返事をしてしまったけど、それでも隊長さんは満足そうな表情をしてくれて、ジョッキをさらにググッと煽ってみせた。
***
その晩、私は差し迫る何かに身を襲われてボンヤリと目を覚ました。
眠気が取れなくってもう一度目を閉じて眠ろうとするけれど、その感覚は私の中でどんどんと強くなってくる。
いよいよ私は眠るのを諦め、起き上がってお姉さんを起こさないようにベッドから降りた。
差し迫る感覚の正体は、簡単。隊長さん達の大騒ぎを一緒に楽しんでいる間に、ずいぶんとたくさんオレンジを絞って淹れた甘い果汁水を飲んでしまったせいだ。
「んぁ?どうしたぁ…?」
お姉さんがそんな寝ぼけたような声を出して聞いてきた。いけない、起こしちゃった…
「うん、ちょっとお手洗い」
「むにゅ…そっか、一人で行けるか…?」
「うん、大丈夫」
本当は寝ているんじゃないかっていうくらいの声色で言うお姉さんにそう伝えると、お姉さんは納得したのかどうか、そのまままた寝息を立てはじめてくれた。
それを確かめて、私はそっと部屋を出た。
廊下には薄っすらとランプの火が灯っていて真っ暗、と言うわけではない。
お城に来た頃は流石に夜一人で廊下を歩くのは少し怖かったけど、今はもうなんてことはない。
お手洗いは寝室を出た廊下を真っ直ぐに行った先にあるから、遠くもないし、一人でも平気だ。
私は足元に気をつけながら、寝ぼけ眼を擦りつつ廊下を歩く。革の内履きが石の床に当たってペタン、ペタン、と優しい音を立てている。
すぐにお手洗いにたどり着いて、私はやっぱり、少しボケッとしながら用を足して手を洗い、廊下に戻った。
そのときになってようやく少し目が覚めてきたのか、廊下のひんやりとした空気が心地良く頬に触れる。
今は何刻くらいなんだろう?深い時間だったらきっと月も綺麗だし、星もいっぱい見えるんだろうな。
そんな事を思いながら寝室へ戻ろうと廊下を進んでいると、さらにその向こうから足音が聞こえた。私の革の内履きとは違う、カツコツという硬い足音だ。
木の底を使ったブーツの足音みたいだけど、夜遅くにブーツで廊下を歩き回っているなんて誰だろう?兵長さん辺りだろうか?
そう思って廊下の先に目を凝らすと、そこにいたのは昨日の会議に出席していたサキュバス族の師団長さんだった。
「あら、人間様」
師団長さんも私に気が付いてくれて、腰に当てていた腕をそっと下に降ろした。
師団長さんは軽鎧姿に、腰には剣を提げている。とてもじゃないけど、寝ていたって感じの出で立ちには見えなかった。
「こんばんは、師団長さん」
私がそう挨拶をすると、師団長さんも優しい笑顔で
「えぇ、こんばんは」
と挨拶を返してくれる。
「どうしたんですか?そんなかっこうで」
私が聞いてみたら、師団長さんはなんだか恥ずかしそうな表情を見せて
「いえ…これでも元は近衛師団の師団長ですからね。夜間警備は、クセのようなものなのですよ。竜族将殿の様子も気がかりですし…ゆっくりと眠ってはいられないのです」
と教えてくれた。
確かに大尉さんが近衛師団の師団長だったって言っていたから、私もそう呼んでいるんだっていうのを思い出した。どうやら、まだ頭が寝ぼけていたらしい。
「寝なくても大丈夫なんですか?」
「えぇ、腹心の部下数名と交代で警備をしておりますから、ご心配は無用です」
それを聞いて私はホッと安心した。夜は警備で、昼間は会議じゃ、いくら魔法が使えても力があっても、体を壊しちゃうからね。
そんな私の思いを感じ取ってくれたのか、師団長さんは
「お気遣い、痛み入ります」
なんて、丁寧にお礼を言った。そんなことをされると、かえって私が恥ずかしくなってしまう。
「魔導協会、って言う人間界の人達がここに攻撃を仕掛けてくるかも知れないってお姉さんが言っていたので、見張りをしてくれるのは、きっとみんなも安心してくれると思います」
私はそう言ってもう一度師団長さんの方にそうしてくれることが嬉しいんだ、と思いを込めて伝えた。
でも、そんな私の言葉を聞いた師団長さんは微かに眉間にシワを寄せて私に言った。
「魔導協会、ですか…。魔王様のお話も拝聴いたしました。どうにも厄介な連中であるそうですね…」
「はい。一つしかない勇者の紋章に模様も力もそっくりな魔法陣を操ったり、その親玉の人がサキュバス一族と同じ…えっと、か、神代の民だったりで、お姉さん達もかなり警戒しています」
私が言うなり、師団長さんは腕組みをしてうーん、と唸る。それについでハッと顔を上げて私に聞いた。
「魔導協会の目的は、魔族を滅亡させることなのでしょうか?」
「それは…分かりません。でもお姉さん達は、ここへ連れて来た竜娘ちゃんと、お姉さんが二つ持っている紋章が狙いなんじゃないか、って、そう言っています」
「やはり、それを手に入れたあと魔導協会が何をするつもりかは、まだ分からないということですね…」
「はい」
「いずれにせよ、魔族にとってありがたいことを成すような意志はないでしょうね…」
「残念ですけど、そう思います」
私は師団長さんの言葉に頷いた。師団長さんも難しい顔をして俯いていたけど、すぐにハッと顔を上げて私に言った。
「申し訳ございません、こんな時間に引き止めてしまって。何かご用事があるところだったのでは?」
「あ、はい。お手洗いに行ってきたんです」
私が答えると、師団長さんはまたホッと柔らかく笑った。
「お済ましになる前でなくて良かったです」
「私も、せっかく警備してもらってるところをお邪魔しちゃってごめんなさい」
「あぁ、いえ、良いんです。今夜は下弦の月が綺麗で、警備のついでに窓からそれを眺めていたのですよ。この上階から東塔へ上がった窓から見る月が格別なのです」
ふと、私はその言葉に気が付いた。
そうだ、師団長さんは先代の魔王様の頃にこのお城の警備をしていたはずなんだ。
お城の構造にも詳しいはずだし、それこそ私やお姉さんなんかよりもいろいろ知っているんだろう。
この二つ上の階から登っていける東側にそびえる塔については知っていたけれど、魔王城に来てすぐにサキュバスさんに案内されて一度行ったことがあるくらいだ。
それも昼間で、月なんかは見えていなかった。
同時に私はこのお城全体に行き渡った優しい雰囲気のことを思い出していた。寝室の月と星を眺める窓。廊下のやさしい照明。
芝生の生え揃った中庭に、先代様が植えたと言う花畑。このお城にはあらゆるところに自然を楽しむ工夫がなされている。
先代様がそう言うのを好きだったのだろうけど、でもそれ以前からこの魔王城はきっとそう言う人達が作り、住んできたように思えてならなかった。
そもそもサキュバスさんの話では、少なくともこのお城が作られたのはサキュバスさんが生まれる前。先代の魔王様が生まれたのもお城が出来てからなんだと思う。
そう考えると、どうして気持ちが穏やかになる。
ここにはこれまでもずっと、そういう心の優しいところのある人が代々住んできたんだってそう思えたから。
そして私は気が付けば師団長さんにお願いしていた。
「あの、良かったらそこに案内してもらえませんか?私も見たいです、きれいな月夜」
すると、師団長さんは何だ少し嬉しそうな表情で笑い
「えぇ、もちろんです。あ、でも、人間様に夜更かしをさせてしまいますと魔王様に叱られてしまいますから、ほんの少しの間だけですよ?」
と確認の言葉を私に投げかけてきた。うん、少しの間でもいい私は、自然を愛し、平和を望んだ人が見た景色を見たい、と、そう思った。
「はい、少しだけでも良いんです」
「分かりました。本当に少しだけですよ」
師団長さんが念を押しながらそう言ってくれたので、私は素直に頷いて二人で階段を上がり一つ上の階の廊下を少し歩いた先にある螺旋階段を登る。
その先が東塔だ。
塔の上には大きく開けた窓のある物見用の小部屋があって、そこからはお城の東側を一望出来る。
それこそ、城壁の向こうまでだ。
階段を上がりきった先の戸を、師団長が開ける。すると、そこにあった部屋は、一面青い冷たい光に照らし出されていた。
「わぁ…」
私は思わずそう声をあげてしまう。
でも、そんな色をしていたのは部屋の中だけではなかった。
師団長さんに促されて部屋に入ると、そこに広がる大きな窓の外もまた、煌々と色付いた下弦の月に照らし出されて、遠くも山も、中庭の芝生も、城壁の外の荒野も、青白く輝いているようだった。
それに、空には満点の星。師団長さんが少しだけ窓を開けると、その僅かな隙間から冷たく澄んだ空気が入り込んでくる。
不意に師団長さんは私を抱き上げて、窓際にあったテーブルの上に腰掛けさせた。
外の景色がより一層よく見えて、そのあまりの美しさに私は息を飲んでしまった。
ギシっと音をさせ、師団長さんがテーブルに寄りかかって窓の外に視線を投げている。
師団長さんの顔も月明かりに照らされて、白いきれいな肌がもっときれいに引き立つようだった。
その姿はまるで一枚の絵のようだったけど、私はそんな師団長の横顔に何か悲しい色が浮かんでいることに気が付いた。
涙を流しているわけでもないのに、どこかとても悲しそうに見える。
「師団長さん…どうしたんですか?」
私は、思わずそう聞いていた。すると師団長はハッとしてから私にクスリと笑いかけて、それからまた視線を外に投げて、呟くように言った。
「あの日、私はここにいたのです」
「あの日…?」
「はい。魔界に侵攻してきた人間軍が、この魔王城に到達した日のことです」
師団長さんの言葉を聞いて今度は私がハッとした。
近衛師団としてお城の警備をしていたのなら…師団長さんは、お姉さん達人間軍と直接戦い、そして守るべき魔王様を討たれてしまったことになる。
「ひどい戦闘でした。門を出て迎撃に出た部隊は半壊。籠城戦に出るも、勇者一行によって東門も突破され、突入してきた人間軍に対し城内で混戦となりました。私は先代様のご指示で、城に残る非戦闘員の保護をしている最中でした。先代様には姫さまの他、我が隊の精鋭二名が警護として残りましたが、勇者一行相手には幾ばくの時間稼ぎにもならなかったのでしょう」
師団長さんの目が、光っている。涙が今にも零れ落ちそうに、瞳の中で揺れていた。
「程なくして、先代様が玉座としていた部屋のバルコニーに、勇者一行の御旗が掲げられました。先代様が討たれた…その合図です。それを見て、戦闘の続行は不可能と判断した私は部下と非戦闘員を連れて、北門より脱出をして西へ向かったのです」
そして、師団長さんはニコっ笑って涙を零した。
「私達は皆、先代様を愛しておりました。敬愛しておりました。常に民の安寧を願い、我らのことを慮り、自然を愛で、優しいお顔で微笑まれるあの方を…」
ギュッと胸が苦しくなった。
だって…だって、そんな先代様の命を絶ったのは、他ならないお姉さんだからだ。
普通なら、他の魔族や人間達と同じように、あの意志を塗りつぶし染め上げるような激しい怒りに囚われたっておかしくない。
でも、師団長の顔や言葉からはそんな気持ちはこれっぽっちも伝わっては来なかった。師団長はただただ、先代様の死を悲しんでいる…私にはそう思えた。
「…申し訳ありません。突然こんな話をしてしまって…」
「いえ、良いんです…私で良ければもっと話してくれて大丈夫ですよ」
急に苦笑いを浮かべて言った師団長さんに私がそう返すと、師団長さんはまた、クスっと笑って言った。
「魔王様…いえ、城主様が仰るように本当に不思議な方ですね、人間様は。幼いながら、頼ってしまいたくなるような、すがってしまいたくなるような、そんな雰囲気をお持ちでいらっしゃいます」
師団長さんの言葉になんだか照れくさくなってしまったけど、それでも私は
「本当に聞くだけですけどね…でも、そう言って貰えると役に立てているんだと思えて嬉しいです」
と答えていた。本音も半分、で、もう半分は少しだけ気がかりなことがあったからだった。
「…でも、師団長さん。どうして、先代様を殺したお姉さんに味方してくれるんですか…?」
そう。私はそのことが心配だった。
師団長さんや、他の魔族の人達が“愛していた”、なんて言うくらいに好かれていた先代様を奪い取ったうえに、魔族の新しい王様としてこのお城に住んでいるお姉さんを、良しと思うほうが難しい。
でも、やっぱり師団長さんの顔や言葉からは、怒りや憎しみはどれほども伝わっては来ない。
正直に言って、私にはそれが不思議で仕方なかった。
私のそんな言葉に、師団長さんはまた、窓の外に視線を投げた。
考えているでも、誤魔化そうとしているでもない。ただ、窓の外に広がる景色を味わうような表情を見せてから、静かに言った。
「あの方を選ばれたのが先代様だった、という事もあります。ですが今は、直接お会いしてお話をさせて頂いて、先代様がなぜあの方に魔族の未来を託されたのかが理解できた気がしています。あの方は、先代様と同じように…いいえ…おそらく、人間であり、勇者であるが故に、私達魔族に対する強い想いをお持ちだと確信しています。その想いを知れたからこそ、私一個人としては、あの方は土の民の王に相応しい人物であり、先代様と同じく敬愛しうる方であると感じています…一族としての習わしや、他の魔族の想いが必ずしも同じとは申し上げられませんが…」
私は、師団長さんの言葉を聞いて、胸の中がポッと暖かくなるのを感じた。
他の魔族さんたちがお姉さんに心を許せないという言葉に落ち込むよりも、私には、目の前の師団長さんが私達のようにお姉さんを好きで、
お姉さんが先代様の意志を継いで魔族や世界のために、戦争とは違う平和の道を歩こうとしていることを認めてくれることが嬉しかった。
いきなりたくさんなんて難しいのかもしれない。でも、昼間に一緒の井戸を掘った隊長さん達や魔族の人達もそうだったように、
こうして少しつづお姉さんの、ううん、私達の気持ちに賛成してくれる人達がに増えてくれれば、人間と魔族の憎しみも、少しつづ薄れていくんじゃないかって、そう感じる。
そうだといいな…
「ありがとうございます、師団長さん」
私は、そんな嬉しい気持ちが溢れ出て、いつの間にかそんなお礼を師団長さんに伝えていた。
師団長さんはそれを聞くと、少しだけはにかんだ笑顔を見せてくれてから、また、窓の外に視線を投げる。
でも、やっぱり、その表情はどこか悲しげで、胸がキュッと苦しくなる。
師団長さんにとって…もしかしたら、魔族の人達にとって、先代の魔王様は、家族程に大切な人だったのかもしれない、って、そう感じた。
愛していた、なんて言葉は初めてだったけど、黒豹の隊長さんも、もちろんサキュバスさんの、お姉さんのことを理解するときには先代様の話をしていた。
それほどの人だったんだろう、先代の魔王様は。
皆に愛されて、きっとみんなを、自然を愛していた、優しい人だったんだろう。
私は、もうずいぶん昔のように思えていたけど、死んでしまった父さんと母さんのことを思い出していた。
もしかしたら、魔族の人達にとって、先代様を失ったってことは、私が父さんと母さんを亡くしたのと同じような悲しみなのかもしれない。
そう思ったら、余計に胸が苦しくなる。
私は涙をこぼしそうになりながら、師団長さんの悲しみや辛い気持ちが少しでも早くに薄れて和らぐようにと願いながら、窓の外の青白い景色を眺めた。
そんな窓の外に広がる満点の星空に、涙の代わりにヒュルリと一筋、星が零れた。
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