第2話:勇者と砂漠の街の憲兵団

 「よう、大丈夫か?」

「あぁ、うん…はい、なんとか」

「涼しくなるまで休んでろな。もうじき街だ。夕方に出れば、夜になる前に着けるから」

お姉さんはそう言いながら、そっと私のおでこのところに手をかざした。とたんに、溶けかかっていたタオルがキュンと冷えてくる。

 気持ち、いい…

 そんなことを思って私はまた目を閉じた。ゆっくり深く呼吸をして、頭の中がぐるぐると回っているような感覚を追い出す。

 もうここにたどりついて休み始めてからずいぶんたつし、ようやく体の方も落ち着いてきた。

私たちは、砂漠の真ん中にあるオアシスにいた。

 見たことのないサボテンのような植物にロープを括って、反対側を地面に刺した杭に結びつけ、その上にシュラフを掛けて簡単なテントをお姉さんが作ってくれた。

 私は暑さで完全にやられてしまって、テントが作り出した日陰に寝そべってじっとおとなしくしていた。

 お姉さんも妖精さんも全然平気そうにしている。

 私は、父さんと母さんと一緒に一日中だって畑仕事をしたってへっちゃらなくらい、体力に自信はあったんだけど、この暑さばかりはどうしようもなくってこんなことになってしまった。私がもう少し頑張れていれば、お姉さんも妖精さんもきっともう街について、ふかふかのベッドで眠れたはずなのに。

 そう思って謝った私にお姉さんは笑って言った。

「こんな暑さじゃ普通は大人だって参っちゃうよ。あたしや羽妖精が平気なのは自然の力を魔力で操れるせいだからな」

確かにお姉さんも妖精さんも、着替えをしたりたくさん汗をかいているなんて様子もない。魔力って、すごい力なんだね。

「回復魔法より、水と木苺がいいよ」

妖精さんそう言って、お姉さんの水筒に汲んできてくれた水と山で採ってあった木苺の入った革袋を持ってきてくれる。

 水筒の中身はお姉さんか妖精さんが冷やしてくれたみたいでキンキンに冷たくなってい。

 コクリ、コクリってゆっくり飲んで、木苺も二つ口に入れて、もう一度水筒に口を付けてからまた私はバタっとその場に寝転んだ。

 それにしても、こんなところに住んでいる人がいるんだね…私のいた山の麓とは気候が全然違う。

 もう何日も旅して来たし当然なのかも知れないけど、やっぱりこの暑さにはなれないなぁ。

あの日、私はお姉さんと一緒にあの山を後にした。

 最初の晩は、洞穴と同じように野宿をして、次の日の夕方には、草原の真ん中にあった城塞都市の宿に入った。そこで休んで、次の日は食料とかそういう物も買い込んだ。私はお姉さんに旅用の服やマント、それに小振りなナイフと小さな肩掛けのポーチを買い与えてもらった。

 ポーチには水筒に傷薬に、それから革袋に包んだトロールさんの石も入ってる。

 本当はお姉さんに預けておくほうが安全なんだろうけど、どうしても私が持っていたかった。 お姉さんは「気をつけろよ」なんて笑いながら私にそう言った。

 そこから次は、村のそばにあった山よりも少し険しい山を一つ越えて、麓の宿町にたどり着いた。宿町から先が、この砂漠。町で一泊し砂漠の旅を始めて二日目。

 お姉さんはさっき、もうすぐ街だ、って言っていた。あとちょっと休んだら、歩けそうかな…その街の宿屋さんには、お風呂はあるだろうか?出来たら、体が冷えるくらいの温度の湯船にしばらく浸かっていたいな…あるといいな。

 私はそんなことを思いながら、ふぅ、と大きく息を吐いて、目を閉じた。

 お姉さんが魔法で冷やしてくれたタオルと、妖精さんが持って来てくれたお水でなんとか頭の中がぐるぐるしているのは落ち着いて来た。

 うん、この調子ならやっぱり、あとちょっと休んだら歩けそうだ。

 やがて太陽が傾いて来て、憎いくらいに真っ青だった空が微かに橙色に染まり始めた。とたんに空気が冷たくなるような感じがする。

 砂漠の夜は想像していたよりもずっと寒い。夜になったら冷えたお風呂なんて必要ないかもしれないな。私はそう思いながらもゆっくりと体を起こしてみた。

 頭の中のぐるぐるは、もうだいぶ治まった。これなら平気そうだ。

「お姉さん、もう、大丈夫そう」

私が言ったら、お姉さんはニコっと笑って

「そっか。無理するなよな。また何かあったらそんときは背負ってやるから、あと少し頑張れよ」

と言ってくれた。

 そもそもお姉さんにとってはこの旅は、本当になんでもないようなことみたいだ。でも、転移魔法を使わないでわざわざこうして、町から町へと歩いている。

 お姉さんは、その方が楽しいだろ、なんて言っていたけど、私にはなんとなくわかった。

 お姉さんはきっと、人間の世界にお別れをしているんだろうって。

 これから魔界に行って、魔族のために魔王になろうとしているお姉さんは、きっと簡単にこっちの世界へ戻ることはできなくなる。寂しくないように…ううん、きっと寂しいから、こうして歩いて向かってるんだろう。ひとつひとつの出会いとか、そういうのを確かめるみたいにして。

  昼間、砂漠を吹いていた焼けつくような風はどこへやら、で、肌に触れる空気はもうひんやりと冷たい。夜になる前に着かないと…そう思っていたけれど、私たちの目に、蜃気楼のようにぼんやりと浮かんでいた町が、ようやくはっきりと姿を見せた。あれは幻やなんかじゃないだろう。

「あれ、そう?」

私はかぶっていたフードをめくってお姉さんに聞いてみる。お姉さんは

「あぁ、うん」

と少しだけ安心したような表情で笑ってそう返事をしてくれた。

 私たちはようやく町へとたどり着いた。妖精さんが私のフードの中にもぐりこんでくる。声は出るようになったけど、やっぱりたくさんの人間を見るのはまだ怖いみたい。

 それもそうだろう。私だって、トロールさんたちみたいな大きい人がたくさんいる町になんて迷い込んだらきっと何をされてなくたって怖いって思うに決まってる。

「まずは、とりあえず宿を押さえないとなぁ」

お姉さんは慣れた様子でそういうと、私の手を引いて町の中を歩き始めた。

 町は、想像していたよりもずっと賑やかで、人がたくさんいた。

 町の真ん中を抜ける大きな通りには出店のようなものもたくさん出ていて、あちこちから良い匂いが漂ってきている。

 夕方になってきたこともあり、あちこちでランプに火が入りワイワイと声をあげて客引きをしたりしている。

「面白い町だろ?ここは砂漠の大きなオアシスを中心に栄えた町でさ。王都のある北から南へ行くのと、西への交易街道とが合わさる場所なんだ」

お姉さんがそう教えてくれる。そうなんだ…そう思っていたら、お姉さんが不意に足を止めて、そばにあった屋台のおじさんに怒鳴った。

「おっちゃん、これ二つ!」

「あいよ、ねーちゃん!」

お姉さんは銅貨を二枚払って、屋台で何かを買った。その一つを私にヒョイっと手渡してくれる。

「えっと…」

それは私が今まで見たこともない食べ物だった。

 白くってふわっとしたものが、パンみたいな生地にくるっとくるまれている。中の白いのからは、赤い粒々がチラチラと混ざっていた。

 持っている手の平にひんやりとした感触がある。冷たいもの、みたいだけど…

「あぁ、知らない?クレープってんだ。まぁ、クレープにアイスクリームを包もうなんてのはこの年中暑い町くらいだけど」

「ア、アイスクリーム?」

「えっ?知らない?そっか、あの村、街道からも逸れてるからなぁ、王都の流行は入りにくい、か」

お姉さんはそんなことを呟きながら、それでも自分はそれにかじりついて

「牛やなんかの父に卵とかを混ぜて冷やして作るんだよ。甘くって冷たくっておいしいんだぞ!」

と私に勧めてきた。

 あ、あ、甘いんだ?甘いのは好きだな…

 私はお姉さんの言葉を聞いてなんだか少しドキドキしてしまって、恐る恐る、クレープってのを口に運んだ。

 フワフワのパンの生地みたいなのがムニュっと避けて、中から冷たくって甘いのが舌の上に出て来て解けるように広がる。

 これ…こんなの初めて!おいしい!すごくおいしいよ!

「んーー!」

私は、口にそのクレープをほおばりながら目を見開いてお姉さんを見つめていた。そんな私の顔を見てお姉さんは満足げに笑って

「どうだ?うまいだろ?」

と言ってくる。私はコクコクうなずきながら二口目をかぶりつく。ふと、フードをかぶっていた耳元でボソボソと声がする。

「人間ちゃん、私にも頂戴!」

妖精さんの声だ。

 私はとっさにあたりを見渡して見つめられていないことを確かめてから、クレープを少しだけちぎってフードの中の妖精さんに手渡した。

「んっ!冷たい!うわっ、甘いー!」

妖精さんがフードの中で喜んでいる声が聞こえてくる。

「あはは!砂漠だけど、ここは交易の重要拠点だからな。物資には事欠かないし、うまいものも揃ってる」

 今日は川の魚なんかじゃない、とんでもなくうまいもの紹介してあげるよ!」

お姉さんはなんだか無性に楽しそうにそう言った。

「うん!」

「わ、私も、頂くです魔王様!」

フードの中で妖精さんもそう声をあげていた。

 そんな私たちは町の中心の道と同じくらいの道の交差点に出た。真ん中はちょうど大きな広場になっていて、そこにはなんだか、たくさんの人だかりができている。

「ほら、宿はこっちだぞ。迷子になるなよ」

お姉さんはそんなことを言って私に手を差し出してくる。

 そういえば、村のお祭りのとき、母さんがこうして手を引っ張ってくれていたっけ。

 私はそんなことを思って、どうしてかお姉さんがそうしてくれることがうれしくて、ニコニコしながらお姉さんの手を握っていた。

「おいおい、ほんとだな…これ、どうなってんだ?」

「気味が悪いね…こんなのがあの山の向こうにはうごめいてるってのか?」

「なんでも今度新しく来た憲兵団長の指示らしいぜ。晒し者にしろってさ」

「どうして国王軍はこいつらを根絶やしにしてくれなかったんだ!おちおち夜も寝てられない!」

「まぁまぁ、もう戦争は終わったんだ。ほれ、みろ。こいつらは負けたんだよ。なさけねえ姿じゃねえか」

ふと、中央にあった広場の声が私の耳に届いた。

 いったい、なんの話をしているんだろう?

 私はそのことが気になって広場の方を向いた。

 大人たちがたくさんいて小さい私にはその向こうの様子は見えないけど、大人たちはみんな眉をひそめて不穏な表情をしている。

「ね、お姉さん。あの向こう、何があるの?」

私はお姉さんに聞いてみた。お姉さんは私の言葉に何かに気が付き、ふっと広場の方を振り返って急に顔をしかめた。

 ど、どうしたの?なにが見えるの?

 そう聞こうと思った私に、お姉さんは

「そこに、道具屋さんがあるだろ?あそこに入ってちょっと待ってろ」

と言ってきた。

 私はなんだかわからないけど、お姉さんに言われるがまま、道具屋さんの店先に入って、人垣の方を見つめる。お姉さんは、なんのためらいもなくそこにズンズンと突き進んで行って、怒鳴った。

「おいおいおい!ここに魔族がいるって?どういうことだよ?!」

 ま、ま、魔族!?町の真ん中に、魔族がいるの!?

 私はお姉さんの言葉に耳を疑った。でも、お姉さんはなおも声を荒げるようすで言う。

「おい、どけよ!あたしの部隊のやつら、魔族の連中に殺されたんだ!あたしが仇を討ってやるんだ!」

お姉さんはそう大声をあげた。とたんに人垣が割れるように道を開ける。その先に、私は、見た。

 そこに居たのは、まるで熊みたいに全身毛むくじゃらの黒っぽい、なにか。でも、熊や狼みたいな動物じゃない。あれは、人の形をしている。

 でも、でも…あれは、人じゃない。体の外側の皮膚には毛がたくさん生えている。顔こそ、鼻と口元に目元は人間に似ているけど…で、でも、耳が頭についている。

 あれ、あれって、確か、獣人、ってやつじゃなかった…?

 そんな獣人さんに、お姉さんは肩を怒らせてズンズンと進んでいく。

 ま、待ってよ、お姉さん…いきなりどうしちゃったの!?お姉さんは魔王でしょ!?そんな、仇を討つ、ってその獣人さんをどうする気なの!?

 私はそんな思いに考えがいたって、思わず道具屋さんの店先からお姉さんの方へと飛び出していた。

 幸い、お姉さんが大声をあげて剣を振り回していたお蔭で、道ができるように人が居なくなっている。

 私はその中に飛び込んで、お姉さんに駆け寄った。

 お姉さんは、鎖につながれ、広場に用意された木製の磔台に鎖で括られている獣人さんのところにたどり着いて、左手をその胸元に伸ばした。

「お姉さん、ダメ!」

私はお姉さんの体に飛びついた。でも、そんな私の体はお姉さんの片手に簡単に捕まってしまう。

「なんで来たんだよ!待ってろって言ったろ!」

「お姉さんは、そんなことしちゃダメ!自分でわかってるでしょ!」

私はお姉さんをキュッとにらみつけてやる。でも、お姉さんはあきれた様子で小さくため息をついた。

「いいから、少し黙っててくれ」

お姉さんは私にそう言った。私はもう一度叫んで止めなくちゃ、って思って、お姉さんの体に縋り付く。でもそんなとき、私の目に写った。

 お姉さんは人獣さんの胸ぐらをつかむのと同時に、スッと左の袖を捲っていた。

 その事に私が気づいたときには、お姉さんは今までの睨み付けるような視線から悲しげな瞳に変わって獣人さんに囁いていた。

「すまない、夜まで辛抱しろ」

お姉さんの腕をみて、言葉を聞いた獣人さんはハッとした様子でお姉さんを見つめていた。

「おう、ねえちゃんやっちまえ!」

「そうだ!汚らわしいやつなんてぶん殴れ!」

辺りからそんな声が一斉にあがる。そんな声を聞いてお姉さんは獣人さんを見つめて腕を振り上げた。

 な、殴るつもりなの!?そ、それはいくらなんでもやりすぎじゃ…

 そう思って私が声をあげようとしたとき、ピッピーと鋭い音が聞こえてきた。

 ふ、笛の音だ!

 驚いて振り返るとそこには、ビシッとした揃いの軽鎧を着こんだ一団の姿がった。

「何をしているか!広場での騒ぎは憲兵団が許さんぞ!」

そのなかでも、胸に大きな勲章のような物を着けた女の人が怒鳴った。

 け、憲兵団?って確か、街の治安を維持してる、って人達…だよね?

「げ、まずいな」

お姉さんがそう口のしたのが聞こえた。私もほとんど同時に気がついた。

 周りにいたたくさんの野次馬の人達がまるで散らばるみたいにそそくさと居なくなっていく。

「貴様、よそ者か?」

お姉さんはとっさのマントのフードを被ると顔を伏せ、いきなり私を抱き上げた。

「走るぞ、捕まれ!」

お姉さんの声が聞こえてきて、私はとっさにお姉さんにしがみついた。とたんに、お姉さんはすごい勢いで駆け出した。

「待て!貴様、逃げるな!」

すでに広場から抜け出した私たちにそう怒鳴ってきていkるのが聞こえる。でも私はこれっぽっちも慌ててなんていなかった。

 お姉さんがその気になったら、捕まるなんてことはきっとない。このままどこかに隠れて時間が過ぎるのを待てばいいんだ。

 思って通りにお姉さんは大通りから路地へと駆け込んで辺りを走り回ってから、いつの間にかたどり着いていた宿の中に入った。

「ふぅ、いやぁ、ビックリした」

お姉さんはそんなことを言いながら、抱えていた私を下におろして大きく深呼吸をする。

 特に息が切れている様子はないけど、確かにいきなり追いかけられたらビックリするよね、なんてお姉さんを見上げて私は思ってた。

「おう、お客さんかい?どうした、あわてて?」

宿の人らしいおじさんが私たちにそう話しかけてきた。

「あぁ、いや。広場で晒されてる人獣に話しかけたら、憲兵団に怒られちゃってさ」

お姉さんはそんなことを言って嘯く。それを聞いたおじさんはガハハと笑って

「あの人らの手間をかけないでやってくれよ。多少偉そうだが、あれでこの街を救ってくれたし今も守ってくれてるんだからな」

と言った。

「あぁ、知ってる。魔王軍の三度に渡る侵攻を食い止めたこの街の英雄だろ?」

「そうさ!お陰で俺たちゃ、こうして生活が出来てるってわけだ。もう駐屯所に足を向けて眠れやしねえよ」

お姉さんの言葉におじさんはそう言ってまたがははと笑った。

 あの憲兵団さんたちは、そんなにすごい人達だったんだ…魔王軍と戦ってこの街を守ったっていうんだね…

 でも…でも、あの人達はそれでも、あんなところに人獣さんを磔にされているのを黙っているか、もしかしたらあの人達が磔にしているのかも知れないんだ。

 そう考えたらなんだか、胸がぎゅっと苦しくなった。街の人達にしてみたら、魔族を追い払った英雄なんだろうけど…魔族が悪い人達で憎いって思っているんだ。戦争で魔族にたくさんの人が殺されたんだろう。だから、そう考える人がいても不思議じゃないとは思う。

 …だけど、そんなのは苦しい…私だって苦しく感じるんだから、お姉さんや妖精さんはもっと苦しく思っているに違いない。

 私は改めてお姉さんを見上げた。お姉さんはおじさんの言葉にニコニコ笑顔で何か言葉を返していたけど、私にはそれが、どこか取り繕った笑顔に見えるような気がした。

 私たちはそのままおじさんに案内されて部屋に通された。するとすぐに、私のフードの中から妖精さんが飛び出してくる。

「ま、魔王様…あの獣人族、嫌いです?」

妖精さんはなんだかとっても心配げな表情をしている。それを聞いたお姉さんは、なんだか申し訳なさそうな表情で言った。

「あぁ、ごめん、驚かせちゃったな…獣人の一族たちはみんな武辺者で、あんなままにしておくと舌を噛んで自害した方が良いって思うやつが多いんだよ。さっき言ったのはうそ。ああでもしないと近づけなかったからさ。でも、あの獣人くんはわかってくれたと思う。今夜彼を助けてやるつもりだ」

やっぱりそういうことだったんだよね。私は不安だったわけじゃないけど、なんだか安心して胸をなでおろしていた。

 妖精さんは感激したみたいで、空中をパタパタクルクルと回りながら

「すごいです!やっぱり魔王様はえらいです!」

なんて喜んでいる。お姉さんはそれを見て苦笑いしているけど…うん、でも、あんな方法は私もいけないってそう思う。それこそ、私のときのあの偽勇者様とおんなじで、ああいうのは一方的に相手を傷つけることが目的だもんね。それは絶対やっちゃいけないことなんだ。

 でも…ちょっと待って…今夜助けに行く、ってことは…

「お姉さん、もしかして今夜さっきの獣人さんを助けるんだったら、この街でのお泊りはなし、ってこと?」

私はそのことに気が付いて、お姉さんにそう聞いてみる。

 お姉さんは、私をみてあって感じの顔をして

「そうだったな…ごめん、ゆっくりはできそうにない」

と私に謝ってきた。

 ふかふかのベッドに眠れないのは、すこし残念…でも、仕方ないよね。獣人さんは、もっと大変なことになっているんだもん。放っておかれたら、あの磔にされた体制のまま、夜も寝ることになるかもしれない。そんなのって、ひどいもんね。

 そう思った私はお姉さんに言ってあげた。

「平気だよ!あの獣人さん、助けてあげよう!」

そしたらお姉さんはすごく嬉しそうな表情をしてくれる。でも、ちょっとだけわがまま言っていいかな…

「でも、その、あのね?寝るのはダメでも、お風呂とか入るのはダメかな?」

私が聞いたらお姉さんはニコっと笑って

「お風呂くらい入ろう!それから、うまい夕飯も約束するよ!」

って言ってくれた。

 うん、私、それだけでもすっごく楽しみでうれしいよ!

 私はお姉さんにそう伝える代わりに、ありがとう、って言ってお姉さんの体に飛びついて抱きしめた。



***



 その晩、私はお姉さんの声を聞いて目を覚ました。

 いけない私…寝ちゃってた…獣人さんを助けに行かなきゃいけないのに…そう思って慌てた私をお姉さんが押し止めた。

「大丈夫、まだ浅い時間だ。慌てずに、静かに仕度しよう」

そう言って笑ってくれたので、私もうなずいて笑顔を返す。念願のふかふかベッドから這い出て着替えを済ませる。ポーチを肩に掛けて、中身を確かめた。

 水筒はこれから水を入れるから出しておいて…もしものときのためにポーチの掛け紐に、山で村の人に押し付けられたダガーの鞘を通してすぐに使えるようにした。

 ポーチの中にはお姉さんに買ってもらったナイフとトロールさんの石もちゃんと入ってる。トロールさんの石は革袋から飛び出てぶつけたりしちゃったらトロールさんが痛いかなと思って、袋の口の紐を閉め直した。

 最後にマントを羽織って私の準備は完了だ。

 終わったよ、と声を掛けようと思ってお姉さんを見やったら、お姉さんは感心したような顔をして私をみていた。

「はは、すっかり旅慣れたな」

そう言ったお姉さんは、そんなの持っていたんだと私が思うような真っ黒なマントに身を包んでいた。きっと夜に目立たないようにするための物なんだろう。

 私のマントは暗い茶色だけど…平気かな?

 妖精さんは落ち着かない様子で部屋の中をパタパタと飛び回っている。妖精さんは準備がそんなに要らないし、これから獣人さんを助けに行くと思うと落ち着かないんだろう。

 それから私たちはこっそり部屋を出て、階段を降りたところの宿のホールで専用の井戸から水筒に水を汲んで、物音を立てないように気をつけながら宿を出た。

 外は砂漠の夜で凍えるような寒さだった。思わず私はマントにギュッとくるまる。それを見たお姉さんはクスっと笑って私に言う。

「回復魔法なんかより、防御魔法の基礎を先に教えてあげた方が良さそうだな」

あ、それってお姉さんや妖精さんが寒くなかったり暑くなかったりするやつだよね?それ、出来るといいな…そう思ってうなずいた私にお姉さんはまた笑顔を見せてくれた。

 でもお姉さんはそれからすぐに表情を引き締める。

「それじゃぁ、行くか…見張りがいるかも知れないから用心だ」

私はもう一度お姉さんにうなずいた。

 真っ暗で人の気配のない大通りを広場の方へと歩いて行く。下弦の三日月で月明かりも微かだから、身を隠すには良いんだけど、目が慣れて来るまでは私も周りがよく見えない。

 なんだか妙に胸がドキドキと大きな音を立てている。そのドキドキは広場に近づいて行くほどに大きくなってきて、心臓が口から出てきそうだって思うくらいだ。すごく寒いはずなのに手の平にはじっとりと汗をかいているのが分かった。

 そ、そりゃぁこんなの緊張するよね…私はいつの間にか握りしめていた拳をほどいて握り直す。でも…これはドキドキしているだけで、怖いわけではない。私にはお姉さんも妖精さんもいる。怖いことなんてこれっぽっちもないんだ。

 そうして私たちは宿からしばらく歩いた。ぼんやりと暗がりに昼間見た覚えのある景色が現れた。確か、この先が広場のはずだったけど…私はようやく夜の闇に慣れて来た目を凝らして遠くを見つめる。

 そこには確かに磔台があった。それからそのすぐ近くに、ぼんやりと何かが見えた。あれ…なに?

 そう思ったとき、そのぼんやりしたなにかがユラリと動いた。

 あ、あ、あれ…!誰か人がいるんだ…!まずいよ、もしかして、誰かが獣人さんに戦争の仕返しでもするつもりで…!

 私は慌ててお姉さんを見た。するとお姉さんは私の手をとって、そのままずんずんと広場に踏みいった。

 磔台の前にいたのは私達のように頭からすっぽりとマントをかぶった人で、暗いこともあって、顔をうかがい知ることは出来ない。

「よう、なにやってんだ?」

急にお姉さんがそう声をあげた。私は急にお姉さんが声を出すから心臓が跳び跳ねるくらいに驚く。

 マントの人も驚いたみたいで、慌てた様子でこっちを振り返った。少しの間、お姉さんもマントの人も喋らなかった。

 私がその様子をハラハラしながら見ていたら、不意にマントの人が口を開いた。

「やはり…見間違えではありませんでしたね…」

マントの人はそう言うなり、かぶっていたフードを取った。私は、その顔を見て少しだけ驚いてしまった。

 マントの人は、昼間、お姉さんが獣人さんに詰め寄った時に笛を吹いて来た、あの憲兵団の大きな勲章をつけていた女の人だった。

「久しぶりだな、兵長」

「勇者様…やはり、ご無事だったのですね」

兵長、と呼ばれたマントの人はお姉さんにそう声をかけるなりその場に跪いた。

「幾度も街の危機を救ってくださったのに、いつもことが終わる頃には雲隠れでお礼も申し上げられませんでした。この場を借りて、この街の憲兵団を代表しお礼を」

「いや、あれはあたし達だけじゃどうしようもなかった。この街に残って戦ったあんたたち憲兵団と、あんたたちを信じて街に残り、あんたたちへの補給を絶やさなかった街の人たちの勝利だ」

お姉さんはそう言って、兵長さんの肩をポンっと叩いた。

 でもそれから、獣人さんの方を見て

「それで、説明してくれないか?」

と兵長さんに聞く。

そういえば、と思って私も獣人さんの方を見る。すると、昼間は鎖で磔台に縛られていた獣人さんが地面に座り込み、お肉やパンがいっぱいに盛られたお皿を手に呆然としていた。

「ゆ、勇者…?」

獣人さんがそう口にする。

 その言葉に兵長さんが気がついて顔を上げ

「獣人の兵士よ。聞いてくれ、この方は、魔族と見れば斬りまくる鬼とも悪魔とも言われるような人じゃない」

と獣人さんにそう説明をする。

 でも、私には獣人さんが言った言葉の理由がわかっていた。獣人さんはきっと、お姉さんのことを魔王だと思っていたはずなんだ。昼間、あの紋章を見せたから…

「あなたは、魔王様ではないのか!?」

とたんに、獣人さんの口調が鋭くなる。お姉さんは、それを聞いても少しも動じなかった。でも、あのときと同じ、少しだけ悲しい顔をして両方の腕を捲くった。

「見ていてくれ。その目で見たものと、あたしの言葉を信じられなければ、それでも構わない」

お姉さんはそう言うと、両方の腕にグッと力を込めた。

 左腕には赤い魔王の紋章が、右腕には青い勇者様の紋章が浮かび上がる。

「こ、これは…!?」

「な、なんてことだ…!」

兵長さんと獣人さんが揃って言葉を失っている。それを見たお姉さんは腕の力を緩めて、ふう、とため息をついた。

 腕から光が消えて、お姉さんは袖を元に戻しながらしゃべりだした。

「あたしは、もともと勇者だった。でも、魔王城決戦で、魔王と対峙して、魔王を討った…そのときにあたしは託されたんだ」

「た、託された、と?」

「あぁ、うん。あたしは、魔王に魔界の…世界の平和を、託された」

お姉さんの言葉に、獣人さんは唖然とした表情を見せている。でも、兵長さんは違った。もちろんおどろいていたけど、すぐにハッとした表情を見せてお姉さんに聞いた。

「まさか…魔王は、勇者様に、力を返した、と…?」

「うん、たぶん、そうだったんだと思う…それしか方法がないんじゃないか、って、魔王は思っていたんだとあたしは感じてる…先の三回の魔王軍侵攻だけじゃない。これまで、魔界と人間界との戦いは何度だって繰り返されてきた。世界が二つに分かたれたその日から」

「そ、それはまさか、いにしえのこの大陸創造の伝説…?」

獣人さんが、ようやくって感じでそう口を開いた。うん、たぶん、そうなんだろうって私は知っていた。

それは、母さんが読み聞かせてくれた絵物語のことだろう。

「うん。かつて、この大地は魔族と人間族が入り乱れ、あちこちで争いが起こって、たくさんの命が失われてきた。大地と自然と共に生きる魔族と、山を切り開き、野を焼き払い、自分たちの生活の場を広げて田畑としてきた人間との争いだ。その争いを憂いた各国の代表が、魔導学者を集めて作り上げたのが、この二つの紋章…契約の呪印だ。この呪印の最初の依代となった『勇者』は、魔族たちを西の大地に、人間たちを東の大地に集めて、その間にその強大な魔力を使って巨大な山脈を作り出した。そしてその『勇者』は、魔界の安寧を願って施政者を立てた。そしてその者に、契約の呪印の片方を譲った。そして、世界は二つに隔てられ、勇者は人間界に帰り、そして魔界には魔王が生まれた…」

そう…それが絵物語の内容。

 大昔、平和を願った人達の希望を集めて出来上がったその紋章の力で、世界は平和になったはずだった。

 そう、そのはずだったのに…

「世界と共に分かたれた二つの紋章が、ひとりの『勇者』の元に戻ってきた…それがすなわち、二つの世界に分かれて繰り返し続いてきた戦乱を収める手になる、と、魔王は考えた…」

「うん…あたしは、そうだと思ってる」

兵長さんの言葉に、勇者様は頷いた。

「先代魔王様が、あんたに世界を託した、ってことなのか?」

今度は獣人さんがお姉さんにそうたずねる。お姉さんは、コクっと頷いた。

「たぶん。あたしは、魔王とはそのときに一度会っただけだから、魔王の人となりは分からない。だから、本当に託されたのかは分からないけど…でも、あいつは言った。あたしに、魔界の住人を守ってやってくれ。世界に平和と繁栄を、って、ね」

お姉さんの言葉に、獣人さんも兵長さんも黙り込んでしまった。

 お姉さんは、それでもなお、悲しい表情をして二人に言った。

「あたしはもう、人間でも魔族でもない。きっと世界でただ一人、世界の運命を左右することのできる存在になっちゃったし、もしかしたら裏切ったなんて思われてるかもしれないってのは分かってる。でも、あたしはあいつと…魔王とその従者に約束したんだ。あたしなりの答えを持って、魔族を守り、世界に平和と繁栄を紡がなきゃいけない。だから、ここでなにがあったのかを、あたしは知りたい。魔族のことはあたしの問題だ。それに、勇者として人間のが困っているのなら見過ごすわけにもいかない。兵長、どうして獣人族がこんなところで捕らえられてるんだ?あんたはどうして、そんな獣人族に飯なんか食わせてるんだ?」

ふと、お姉さんのその質問は、お祈りをしているみたいだな、って私には思えた。

 まるで、「どうか私を嫌いにならないでくれ」って、そう言っているように私には聞こえた気がした。

 どうしてなのかは、わからなかったけど…

 お姉さんの質問に、二人共少しの間黙っていたけど、不意に兵長さんが喋り始めた。

「二日前のことです…街の西側の衛門に、この獣人族が現れました。彼は、この街で行方知れずになった子供たちを数人連れており、すぐに私の部下が取り押さえたのです。ここ一ヶ月ほどの間、この街で子供達や若い女性が姿を消すという事案が複数起こっていて、私たちはその捜査を行っていました。 最初は、行商人に紛れた組織的な人買いによるものと考え、街の出入りの際の検閲を強化しましたが、それでも一向に減ることなく、危機を感じていたところに、 彼が現れた、という報があったのです…行方がわからなくなっていた内の子どもを三人と若い女性を連れて」

兵長さんはそう言って獣人さんをみやった。獣人さんは、しばらく黙って兵長さんとお姉さんを交互に見つめていたけど、少しして、地面に跪くと深々と頭を下げた。

「…確かに、あなたからは魔王様と同じニオイがする。あなたは、魔王様から魔界の王としての責任を引き継いだのだな…ならばこれより、私はあなたを次の魔王様であると思い、お話をさせていただきます…」 

獣人さんの言葉に、お姉さんは黙って頷いた。

「俺は、この街へ侵攻した第三次攻撃で、機動諜報小隊を指揮していました。ご存知のとおり、勇者一行と憲兵団の防衛陣に対して玉砕。そのまま人間軍の反攻へとなる契機となった戦いですが…我が隊はあの玉砕後の残党救出のために活動しておりました、先代様のご指示です。ですが、その最中に我が隊十名が次々と命を落とすこととなりました。原因は定かではありませんでしたが、とある地域へと捜索に向かった者達が一斉に、です」

「小隊員が全部…?」

「はっ。私がついていながら、情けない…。私はそれから、単独でここから西、魔王軍が退避した中央山脈裾野の森林地帯に潜伏し、状況を探り続けました」

獣人さんは、そこまで言って、兵長さんをチラっとみやった。兵長さんは、獣人さんの話を聞いて何かの合点がいったような表情でうなずき、しゃべりだした。

「彼が連れてきてくれたのは子供が三人と、若い女性が一人。彼女たちは口々に、報告をしました。『私たちは、あの黒猫の人に助けてもらった』、『西の森にはオークがいて、そいつらに攫われたんだ』と」

「オーク?」

「はっ、魔王様。我が救助隊を屠ったのは、人間ではなく、同じ魔族。オーク族の兵士たちでございました。私は、オーク族の集落に潜入したところで、粗末な小屋に人間が捉えられているのを見つけました。先代様は、かのような狼藉を決して許すようなお人ではございませんでした。戦争は手段であり目的ではないと、そうなんども仰っており、私もその心を理解していたつもりであります。そして、そのお心に従い、オーク族を討つよりもまずは人間を助けようと思った次第」

「取り調べにおいても、彼は同様の説明を私たちにしてくれました。私も、彼の言を信用に値すると判断したのですが…」

獣人さんの話のあとに、兵長さんはそう言葉を添えてから口ごもる。

「それなのに、磔、か…」

お姉さんがそう口にした。

 そうか。

 兵長さんは獣人さんの言葉を信じた。

 きっと、悪い人じゃないって、そう思ったんだ。

 それなのに、どうして磔なんかになっているんだろう?私がそれに気がつくくらいだ。お姉さんもきっと不思議に思っているに違いない。

「はい…新しい憲兵団長の指示でした。あの方は、魔族を赦すわけにはいかないと…

 我々が後手に回っていた人拐いを見つけ出し、捕らわれていた者たちを助け出してもらっていただきながら、こんな磔なんてマネをさせて…私にもっと力があれば…獣人の戦士よ、申し訳ない…本当に、申し訳ない…!」

「人間の兵士よ、頭をあげてくれ。貴殿は俺を粗末には扱わなかった。毎夜こうして食事を持ってきてくれているではないか」

獣人さんはそんな兵長さんに恐縮してそう言葉を返している。

 そんな様子を見て、お姉さんの表情が、すこしだけ穏やかになったのを私は見逃さなかった。

 私も、なんだか暖かい気持ちになっていた。

 お互い戦いあっていた兵隊さんたちなのに、こうやってお互いに謝り合うことができるなんて、なんだかとっても嬉しいことのように思えた。

 でも、そんな様子を一通り見ていたお姉さんは二人の話を割って質問した。

「それで…じゃぁ、西の森にはまだオークのやつらが潜伏しているんだな?」

「はっ、おそらくは。やつらは魔王軍から逃亡した者たち。魔界にも戻らず、この地で好き勝手に暴れようという魂胆のようでした」

「なるほど…そうか。それで、兵長。憲兵団の動きは?」

「はい。今朝より、団長が精鋭部隊を率いて西の森へと進軍しました。私は彼を庇ったからでしょう、街に留守番を言い渡されました」

「その団長、ってのも、クセ者だな…まぁ、憲兵団の団長は王都から派遣で回されてくるからなぁ。手柄を立てて王都に戻って出世するしか脳のないやつも多い」

「恥ずかしながら…」

お姉さんの言葉に、兵長さんが悔しそうにうつむいた。

 兵長さんに、少し申し訳なさそうな顔をしたお姉さんは、気を取り直したみたいに表情を厳しくした。

 お姉さんのことだ。オークって人たちも、その団長って人も、厳しくお仕置きするつもりでいるんだろう。私だって、できるならそうしてやりたいって思うくらいだ。魔王で勇者様なお姉さんが、そんなのを放っておけるはずなんてない。

 私の思ったとおり、お姉さんは兵長さんと獣人さんに言った。

「その場所に案内してくれ。あたしが行って、全部ぶっ叩いてやる」

兵長さんと獣人さんは揃って顔をあげた。

「私も行きます!部下たちの無念を晴らさせてください!」

「勇者様、私もです!このような横暴、やはり許されてはならない!」

そんな二人の言葉に、お姉さんはやっぱり、なんだか嬉しそうに笑った。

 でもそんな時だった。

「兵長!兵長!!」

そんな叫び声が聞こえてきた。

 獣人さんが慌てて磔台に飛び上がって、自分で鎖をグルグルと巻きつけて縛られている振りをする。

 そうしている間に、私たちの目の前に、憲兵団の鎧を来た兵士さんが一人、姿を表した。

「どうした、このような時間に大声など、感心しないぞ」

「そ、そ、それが!屯所に魔族が!奇襲です!」

「なんだと!?門衛はどうしたんだ!?」

「わかりません!とにかく今、総出で迎撃していますが、混乱しきりで!至急戻って指揮をお願いします!」

「オークの連中か!?」

部下の人なんだろう、憲兵団の兵士さんの言葉を聞いて、獣人さんが鎖をほどいてそう言った。

「うわぁぁっ!」

「おい、彼は味方だ。とにかく屯所に戻るぞ!もしオーク族だとしたら、団長の部隊がしくじったってことになる…!」

「人間の兵士よ、俺の武器はあるか?」

「兵長と呼んでくれ!あぁ、受け取れ!」

兵長さんがそう言って、懐から抱えるほどの革袋を取り出して獣人さんに投げた。

「たかじけない!」

「あたしも行こう。憲兵団の精鋭が負けたんなら、よほどの勢力だ。あんた達にもしものことがあったら、あたし、寝覚め悪そうだしな」

「勇者様…!」

「魔王様…!!」

「二刻で屯所を奪還して、追撃隊を組織したら西の森へ向かうぞ」

「はい!」

お姉さんはそう指示をしてから、私を振り返った。優しくて、嬉しそうな顔をして私の頭を撫でたお姉さんは、

「悪い、ちょっと仕事してくるよ。羽妖精と宿に帰ってフカフカのベッドで眠っててくれ」

と言ってくれた。

 ホントのことを言うとついて行きたいけど…でも、私が一緒に行ったってなんにもできやしない。お姉さんを心配させちゃうだけだし、私は宿でおとなしくしていた方がいいよね。

「うん、分かった。お姉さん、気をつけてね」

私が言ったらお姉さんはまたガシガシと私の頭を撫でて

「あぁ、分かってる。昼飯までには戻るから…ほら、こいつで、昼飯用意して待っててくれな」

と、お金の入っている革袋を私に手渡してくれた。それからお姉さんはギュッと表情を引き締めると

「よし、行くぞ!獣人はあたしから離れるなよ!混乱してる状況じゃ、憲兵団に敵だと思われて斬られるかもしれない」

なんて指示を出しながら、兵長さんたちに先導されて通りの向こうの方へと走って行った。

 私はそんなお姉さんの後ろ姿を見送ってから、宿への道へと引き返す。

 妖精さんがフードの中から出てきてパタパタと心配げにお姉さんの走って行った方を見つめている。

「大丈夫だよ、妖精さん」

「うん…でも、心配。魔王様、負けちゃイヤです…」

「負けるわけないよ!お姉さんは勇者様で魔王様なんだから!」

私はそう妖精さんに言ってあげた。

 私たちは、お姉さんが帰ってきて安心できるように、美味しいご飯とそれから元気な姿で迎えてあげられる準備をしてあげなきゃいけない。きっとお姉さんには、それが一番喜んでもらえるって、そう思うんだ。

 向こうの方に、宿の看板が見えてきた。

 寒いし、今日のところはあのふかふかのベッドに戻って寝よう。それで、明日の朝は早起きをして、宿のおじちゃんに美味しいお昼ご飯を手に入れられるところを教えてもらわなくちゃ。

 そう思っていたときだった。

 暗がりに、ユラリと何かの影が蠢いた。

 私は、なんだかわからないけど、背中がツツッと寒くなるのを感じて、脚を止めた。

「よ、妖精さん!」

私はそう怒鳴りながら、ポーチの掛け紐につけておいたダガーを抜いた。

 暗がりの中で影がユラリとまた動く。

 来る…こっちに、来る!

 私はダガーをギュッと握って構えた。妖精さんも、ピカピカと光りながら警戒しているのがわかる。

「グフフフ、これはうまそうなガキじゃねえか」

暗がりから現れたのは、人間じゃなかった。

 くすんだ苔色の肌に、尖った耳、突き出た下顎から上に伸びる牙が見える…これ…これって…オーク!?も、もしかして、襲われているのは屯所ってところだけじゃないってこと!?街中にオークが入り込んでるの!?

「よ、妖精さん!お姉さん呼んできて!」

私は叫んだ。でも妖精さんが

「ダメ!あなた一人じゃ、どうしようもない!私も一緒に戦う!」

と言い返してくる。で、でも、妖精さん、戦えるの!?回復魔法しか見たことないけど…他に何かできるの?そんな小さな体じゃ、このオークに叩かれただけで大怪我しちゃうよ!

 そう思って妖精さんにもう一度お願いしようと声をあげようとしたとき、ガツン、と何かが私の背中からぶつかってきた。

 痛い、と感じる暇もなかった。

 私はその衝撃で、頭から血の気が失せていくのを感じた。

 あぁ、しまった…後ろにもうひとりいたんだ…お願い、妖精さん…お姉さんを…お姉さんを呼んできて…!

 言葉にできていたのかどうなのか分からない。とにかく私は、そうやって必死に妖精さんに伝えようとしながら、意識を失っていた。



***



「おい、お嬢ちゃん、お嬢ちゃん、しっかりしろ」

私は、そんな声と体に何かがぶつけられるような衝撃で目を覚ました。

 視界がぼんやりとしてよく見えない。何度か瞬きを繰り返して、ようやく自分がいる場所がはっきりと見えてきた。

 そこは、土壁でできた小さな小屋のような場所だった。目の前には竹か何かで作られた格子がある。

 身を捩るのに腕を動かそうとして、自分が後ろ手に縛られているのが分かった。

 ここは…オーク族の集落、かな…?

 街で、獣人さんが言ってた場所に違いない。私は街で、宿に帰ろうと思って、オークに出くわして、それから…

 意識を失う前にことを思い出して、私はふと自分の頭の後ろの方の感じに注意を向ける。

 確か私、思いっきり殴られたんだ…でも、痛みはない。背中側にある壁に押し付けてみるけど、痛まない。

 どうして…?あんなに強く殴られたのに、コブの一つもできていないの?

「大丈夫か、お嬢ちゃん?」

声がしたのでハッとしてそっちを向くと、すぐそばに憲兵団の軽鎧を来た女の人が私と同じように後ろ手に縛られている姿があった。

 でも兵長さんじゃない。金髪で青い瞳の凛々しい顔立ちをしているけど、勲章もついていない…

「あ、あなたは?」

「私は砂漠の街の憲兵団員だ。騎馬部隊の小隊長をしている」

「女騎士さん…?そ、そうだ、憲兵団の人たちはオークの集落に戦いに向かって…」

「知っているのか?残念ながらこのザマだ…やつら、集落中に罠を仕掛けていたようだ。数でも練度でもこちらが優っていたのに…!」

女騎士さんはくっと悔しそうに声を漏らした。

 でもすぐにその気持ちを立て直して私に聞いてきた。

「あれは、お嬢ちゃんの友達か何かか?」

「あ、あれって?」

私は、女騎士さんがそう言って見つめたその先に視線を走らせた。

 小さな小屋の、少しだけ高くなった天井。その梁のところに、チラリと見える、小さな体…!

 あれ、妖精さんだ!そっか、私の頭の殴られたところは、妖精さんが治してくれたんだ…!

 それに気がついて妖精さんを呼ぼうと思ったけど、次の瞬間に女騎士さんがドンっとぶつかってきた。

「見張りがいる」

女騎士さんはそう言って格子の向こうを顎でしゃくった。

 そこには、あの街で見たのと同じ、緑の肌に牙をはやしたオーク族が椅子に座ってウトウトと船を漕いでいた。

 妖精さん、お姉さんに知らせてくれたかな?で、でも、こんなところにいる、ってことは、知らせるよりも私が心配でついてきちゃったのかな?それは嬉しいけど…お姉さん、間に合うかな?

 このオーク族はトロールさんとは全然違う。

 人をさらって、なにか悪いことをしているに違いない。そうじゃなかったら、こんな檻になんて入れるはずがない。

 どうしよう、困ったな…お姉さんが来てくれないと、私、なにかされちゃうかもしれない…あぁ、もう、どうして私は戦えないんだろう?

 あの偽勇者さんのときにも思った。怖いって気持ちもある。でも、こんなときに私は戦えない。どんなに怖くっても、歯向かうことができない。どんなに悔しくっても、それを叫ぶことしかできない。

 まだ子供だから、と言われてしまえばそれまでかもしれないけど…でも、悪い人たちにいいように弄ばれて自分の身も守れないで、トロールさんのときみたいに、なんにもできないまんまなのは…悔しいよ…

 そう思ったら、知らず知らずの内に涙がこぼれてきた。歯を食いしばってこぼれないように我慢したけど、それもうまくいかないで、ポロポロと目から溢れ出てきてしまう。

「お嬢ちゃん、大丈夫、怖くなんてない。私がなんとかしてやる…気持ちをしっかり持つんだ」

女騎士さんがそう言って励ましてくれる。

ありがとう、女騎士さん。

 でも、私怖いんじゃないよ…怖いんじゃなくて、今は、悔しいの…

 そう思っていたとき、ガタン、と音がして小屋の隅にあった扉が開いた。椅子に座って寝こけていたオークがビクッと体を震わせて立ち上がる。

 まさか、お姉さん!?

 一瞬そう期待したけど、小屋に入ってきたのは、同じオーク族達だった。

「グフフフ、さぁて、女ども、よく聞け。この小屋は俺たちの分け前になった。ありがたく思え」

オーク族の一人が笑いながらそう言う。

「貴様らには、我らオーク族の繁栄の糧になってもらうぞ、グヘヘヘ」

別のオーク族が言う。

 全部で五人。お姉さんがいれば、片腕を振るうだけで終わるだろうけど…私なんかじゃ、いくらやったってひとりに噛み付くくらいしかできないだろう。

 どうする?どうすればいいの、お姉さん…!?

「くっ、殺せ!」

女騎士さんがそう言ってうめいた。でも、それを聞いたオーク族はまた気味の悪い笑い声をあげて

「殺すものか。我らオーク族のために、子を産んでもらうまでは、な」

「さて、どちらから相手をしてもらおうか?」

と口々にそう言って格子に手をかけてこっちを覗き込んでくる。

「こんな幼女にまで手を出すつもりか!」

女騎士さんがそう吠える。

「んん?なんだ、お前が二人分頑張ってくれるというのなら、その子どもの方は見逃してやらんでもないぞ?」

「くっ…外道め!」

「グフフフ、まぁ、悪いようにはせんさ。せいぜい楽しませてもらおう」

オーク族は格子を開けてのそりのそりと中に入ってくる。

 女騎士さんが…私のために、乱暴されちゃう…!

「やめて!」

私は叫んだ。

「抵抗するな…!わ、私は、大丈夫だっ…!」

女騎士さんがそう言った。歯を食いしばって、全然大丈夫そうなんかには見えない。

 オーク族が女騎士さんに群がって、軽鎧を剥ぎ取って行く。ダメ、ダメだよ…そんなの!

 私はそう思って体を捩り手を縛っているロープから抜け出そうとする。でも、固く縛られていて手首に食い込むばかりで緩む気配もない。

 そんなとき、ゴトっと重いものが地面に落ちたような感覚があった。見ると、お姉さんに買ってもらったポーチが地面にずり落ちていた。トロールさんの石が地面にぶつかったんだ…

 ま、待って…確か、このポーチにはお姉さんに買ってもらったナイフが入っていたはず…!

 私は天井を見上げた。

 妖精さん、お願い…ポーチからナイフを出して…ロープを切れば…私が助けを呼びに行ける…だから、お願い!

 天井にいた妖精さんは、すぐに私の気持ちがわかったみたいだった。音もなく、光を消して天井から落ちてくるように私の胸元に飛び込んできて、そのままポーチのあたりまで這いおり中からナイフを出してくれる。

 妖精さんはそのまま私の後ろに回って、私の手にナイフを持たせてくれた。

 「グヘヘヘ!なんだ、胸は小さいな」

「孕めば育つ。問題は、下の具合だ」

「俺はそのままでもかまわんがな」

オーク達は口々にそんなことを言いながら女騎士さんに群がっている。。

 急がないと…!

 そうは思っても、背中側で縛られている自分の手首に巻き付いたロープをナイフで切るなんてことがそう簡単にできるはずもない。

 ナイフの切っ先が腕や指に刺さって痛む。だけど、痛がっている暇なんてない…!

 私は自分の腕が傷ついているのが分かりながら、それでも無理矢理に手首とロープの間にナイフの刃を差し込んで、手をひねった。

 ブツっと言う感触と共に手首が自由になったのが感じられた。

 でも、このままこのナイフでオーク達と戦うの?わ、私にそんなことができる…?ううん、きっと無理だ…で、でも、どうにかしないと…!

 そう思っていたら、縛られた振りをしたままの手に何かが張り付く感じがした。ペタペタと私の指先にまとわりついて、私の手からナイフを取ろうとしている。

 これって、妖精さん?妖精さん、何をするつもりなの…?

 私はそうは思いつつも、妖精さんの促す通りにナイフを手放した。

 ま、まさか、妖精さん、戦うつもりじゃないよね?

 ふと、そんなことが心配になって私はそっと後ろを振り返った。

 でも、なぜかそこに妖精さんの姿がなかった。妖精さんの姿どころか、ナイフさえない。

 う、うそ…!妖精さん、どこ行っちゃったの…!?

 私はそう思って慌ててあたりを見回すけど、どこにもその姿がない。

 妖精さん…?いったい、どうしちゃったって言うの!?

 「グフフフ!おら、脚を開け!」

オークの一人が女騎士さんにそう命令した。

「くっ…その汚らわしいものを私に近づけるなっ…!」

女騎士さんが体をよじってオークから少しでも離れようともがいている。

 見れば、オークはいつの間にか履いていたズボンを脱いでいて、そこから…その、えぇっと、“アレ”をそそり立たせていた。

 私は思わず、顔を背ける。

 どうしよう、このままじゃ女騎士さんが…!

「ゲヘヘヘ、貴様が拒むのなら仕方ない、そっちのガキにブチ込むとしようか」

「まっ、待て!わ、分かった…わ、私がやる…で、でも、少し待ってくれ…!」

女騎士さん…そんな!

「グフフ、素直にそういえば良いのだ。おら、まずはその口でキレイにしてもらうじゃないか」

くくくくく口で!?キレイにするってどういうこと!?そそそそ、そんなことするの…!?

 大人のことはよくわからないけど、そんなことを女騎士さんが…私のために、私を守るために、そんなっ!

 私は、よっぽどやめてって怒鳴ろうかと思った。でも、そうしてしまったらきっと私も同じ目に合わされてしまう。

 そんなことになったら、女騎士さんの我慢が無駄になっちゃう。

 でも、このままだと女騎士さんが…どうしよう…?どうしたらいいの、お姉さん!

「分かった…その汚物を、キレイに掃除してやることにしよう」

だけどそのとき、女騎士さんはそう、冷たくするどい口調で言い放った。とたんに、オーク達の顔が憮然とした怒りの表情に歪む。

 でも、次の瞬間だった。

 女騎士さんが鋭く腕を振るったかと思ったら、オークの“アレ”に下から私のナイフが突きたてられていた。

 よ、妖精さんが女騎士さんに渡してくれてたんだ!

「うっ…ぎゃあぁぁぁぁ!!!」

オークが絶叫するのも構わずに、女騎士さんはその腹を蹴飛ばした。

 女騎士さんが握ったナイフが突き刺さったままだったオークの“アレ”が裂けて、血が吹き出す。女騎士さんはその返り血を浴びながら、それでもそのオークが腰から下げていた剣を引き抜いていた。

「こ、この!」

「貴様ァ!」

オーク達が次々と腰の剣に手をかける。しかし、女騎士さんは目にも止まらぬ素早い動きで剣を振るい、オーク達を斬りつけて行く。

「ひぃぃっ!だ、誰かぁ!!」

その様子に、檻の外で見張りをしていたオークが悲鳴を上げて小屋の外に駆け出した。

「くっ!しまった!」

女騎士さんはそううなって私を振り返る。

「お嬢ちゃん、走れるか!?すぐにあいつらの増援が来る、逃げるんだ!」

に、逃げるって、どこへ!?そ、そうだ、妖精さん…妖精さんは、どこ…!?一緒に逃げないと!

 そう思ってあたりを見回すと妖精さんはまた天井の梁の上にいて、何かをやっている。

「妖精さん、早く!逃げないと!」

私は妖精さんに怒鳴った。

「待って!」

妖精さんが小さな声でそう返事をしてくる。

 でも、そんな短い時間に、ドカドカと足音が聞こえて、さっきよりもたくさんの、小屋を埋め尽くす程のオーク達が駆け込んできた。

「くっ!」

「貴様…黙って子を産んでいればいいものを!」

「女の分際で!」

オーク達は剣や槍を構えて女騎士さんに詰め寄る。女騎士さんは剣を握ったまま、後ろ手に私を背中の方へ押しやって盾になってくれようとしている。

 女騎士さんは強い。今の一瞬の動きを見ただけで分かった。でも、こんなに囲まれたら手も足もでない…それこそ、きっと一歩でも踏み込んだたたちまちに串刺しにされちゃう。

 だけど、他にできることなんてない…戦うしかないよ…!

 私はそう思って、傍らに倒れていたオークの体から剣を抜いた。

 剣はずっしりと重くって、とても自由自在になんて振り回せそうにない。でも、それでも…!頑張っていればきっとお姉さんが来てくれる…それまでなんとか生き延びれば…!

「妖精さん!お願い、手伝って!魔法でもなんでもいいから!」

私は天井を見上げて妖精さんにそうお願いした。でも、妖精さんから返って来たのはよくわからない返事だった。

「大丈夫、もう終わる!」

 もう、終わる?

 な、何が?

 妖精さん、さっきからそこで何してるの!?

 私がそう聞こうと思ったときだった。

 妖精さんのいる辺りからパパパっと言う眩しい光がほとばしった。

 眩しくって思わず目をつぶってしまう。

 何…?いったい、何があったの…?

 私は少し痛んだ目を恐る恐る開けてあたりを見た。

 すると、そこに誰かの後ろ姿があった。

 ううん、誰か、なんかじゃない。あの背中、あの髪、あの服!あれは…あれは!

「お姉さん!」

そう、そこにはお姉さんが立っていた。なんでか知らないけど、でも、確かにお姉さんだった。

「よう、待たせた!」

お姉さんは私に振り返ってそう声をかけてくれる。

「お姉さん!」

私はお姉さんに駆け寄って飛びついた。お姉さん、良かった…やっぱり来てくれた!

「騎士長、ケガは!?」

「兵長!これは返り血です、問題ありません!それよりも、ここを切り開いて生存者を助けましょう!」

お姉さんでも女騎士さんでもない声がしたので振り返るとそこには、女騎士さんと並ぶようにしている兵長さんの姿があった。

 へ、兵長さんも!?

「魔王様、ここは私にお任せを。部下たちの仇、討たせてもらう!」

今度は反対の方から声がしたのでお姉さんの肩越しに見やるとそこには獣人さんの姿もあった。

 どうして?どうして急に、三人してこんなところに現れたの!?

「まぁ、あんた達、ここはあたしに任せとけって。こうも囲まれてたんじゃ、暴れるに暴れられないだろう?」

お姉さんはそう言うと、左腕にグッと力を込めた。

 袖をまくっていなかったお姉さんの腕が赤く光る。お姉さんはその腕を、まるで煙でも払うみたいにシュッと振るった。

 次の瞬間、あの空間が歪むような何かがあたりに広がっていき、ドスン、というトロールさんの足音みたいな重くて大きい音がして、オークたちも土壁も格子も妖精さんがいたはずの天井さえもが弾き飛ばされるように吹き飛んでいく。

 気がつけば私たちは、星空の下の外に立っていた。

 す、すごい…ひと振りで小屋もオーク達も吹き飛ばしちゃった…

「い、今の力は…!?あなたは、いったい…!?」

「騎士長、その話はあと!…来る!」

女騎士さんの言葉に兵長さんがそう言って剣を構える。

「なんだ!」

「女が暴れてるぞ!」

「武器を持て!取り押さえろ!」

「殺せ!」

外にはまだたくさんの小屋があって、あちこちから武器を携えたオーク達が飛び出して来ていた。

「くっ、なんて数!」

女騎士さんがまた唸る。でも、それを聞いたお姉さんが落ち着いた声色で言った。

「大丈夫。すぐに応援を呼ぶからな。妖精ちゃん、もっかい魔法陣頼む!」

「はいです、魔王様!」

「兵長、黒豹隊長、それからえっと、騎士長ちゃん!少しの間、この子を守ってやってくれ!」

「はい!」

「お任せを!」

お姉さんはそう言うが早いか、何かを唱え始めた。

 それに反応するみたいに、私たちの周りの地面に何か光る物が動き回り始める。その光る何か、は、まるで地面に絵を描くみたいに光の筋を残しながら素早く動き回っている。

 こ、これって…魔法陣!?そっか、お姉さん今、魔法陣、って言ってた。この光、これは妖精さんがやってるの!?

「魔王様、できたです!」

「よくやった!…来い!」

どこからか妖精さんの声がした。

 それを聞いたお姉さんが最後の一言、何かの呪文を唱える。

 するとまた、あたりがパパパっと眩しい光に包まれて、気がつけば私たちの周りには憲兵団の軽鎧を来たたくさんの兵隊さん達がいた。

「これは…転移魔法!?」

女騎士さんが驚いている。

 そっか、お姉さんたちは転移魔法でここまで来てくれたんだ!あの魔法陣の描いてある場所に転移できる、ってことなのかな?あ、もしかして妖精さんはさっき、天井の梁にこの魔法陣を描いていたの?

 私がそのことに気がついたとき、パッと目の前に妖精さんが姿を表した。どこからか飛んできたんじゃない。本当に、何もないところにパッと出てきたみたいに。

「おぉ、妖精ちゃん!ありがとうな!おかげで間に合った!」

「お安い御用ですよ!」

お姉さんの言葉に、妖精さんがそう言って胸を張っている。

「よ、妖精さん、あの光は妖精さんなの!?」

私が聞いたら妖精さんはエッヘン、といっそう胸を張って

「私のとっておき!姿を消せるんだよ!」

妖精さんはそう言うと、パタパタと羽ばたきながら消えたり出てきたりを繰り返してみせた。

 妖精さん、すごい!そんな魔法も使えたなんて!

「騎士長!第一分隊を連れて生存者の捜索と救助に当たれ!第二分隊は黒豹殿の指揮に従い、騎士長と第一分隊を援護!第三分隊は私と来い!集落東側に橋頭堡を取る!」

兵長さんがそう素早く指示を出すのが聞こえた。

「ははっ、さすがの手腕だな!」

お姉さんがそう言って笑った。

「お姉さん、みんな、大丈夫なの?」

私は兵長さんや女騎士さんが心配になってお姉さんに聞いた。するとお姉さんはニコっと笑顔を見せてくれて私に言った。

「大丈夫。あの街の憲兵団は、オークなんかに遅れをとったりはしないさ。 ここに先に送られてきたやつらは、団長ってのが下手を打ったんだろうけど…兵長に任せておけば問題ないよ」

「へ、兵長さんはそんなに強いの?」

「あぁ、強いぞ!あたしの仲間だった剣士が足元にも及ばなかったくらいだ。剣の腕だけならあたしよりもすごいかもしれない。それに、兵長は指揮の才能もあるしな!」

お姉さんはそれからなんだか嬉しそうな顔をして、いきなり私の頭に頬ずりをしてきた。

「怖い思いさせたな…大丈夫、あとはあたし達に任せておけ」

 私は急にそんなことをされたものだから、こんなときだっていうのに、なんだか嬉しいやら恥ずかしいやらで抱き上げてくれているお姉さんの腕のなかでムズムズと体を動かしてしまっていた。

 お姉さんはそんな私にまた優しく微笑んでから、キッと表情を引き締めて、低く、そして張りのある声でみんなに言った。

「集落周辺には物理結界を張った!魔王と勇者の名において、あんた達無法者どもを粛清する!逃げられると思うなよ!」



***



 二日後の朝。

 私たちは砂漠の街の衛門にいた。旅の支度はばっちり済んでいる。お水も汲んだし、食料もたっぷり買い込んだ。

 私も、自分の分は自分で持つよとお姉さんに言ったら、お姉さんは今度は私用にって大きな背負い鞄を買ってくれた。

 着替えや何かを突っ込んだら重くなっちゃって、宿で背負った瞬間には少しよろけてしまった。

そんな私を見てお姉さんは

「無理すんなよ」

なんて苦笑いをしていた。

「それじゃ、世話になったな」

「いや、私たちの方こそ…幾度も勇者様のお世話になり、なんと感謝を申し上げていいか…」

あっけらかんって感じで言ったお姉さんに、兵長さんが畏まってそう返す。

「んまぁ、仕方ないさ。今回はあたしの連れも巻き込まれたわけだし、そうでなくったって放ってはおけないしな」

お姉さんはそう言って兵長さんの軽鎧の肩をバンバンと叩く。

 見送りには、兵長さんだけじゃない。憲兵団の他の人達もビシっと並んで私たちを見つめていた。

「あんたもしばらくの間は頼むな。向こうに戻って体制が整い次第、なんかしらで連絡付けるから」

「はっ。くれぐれも、道中お気をつけて…!」

お姉さんの言葉に深々と頭を垂れて返事を下のは、獣人さん、黒豹隊長ってお姉さんは言ってたけど、とにかくその人。

 驚いたことに、黒豹隊長さんはこの街に残ることになった。

 オーク討伐の業績と、勇者であるお姉さんの推薦に、それから兵長さんが全部の責任を負うってことで、オーク達につかまり危うく殺されてしまうところだった憲兵団長にお許しをもらった。

 お姉さんは黒豹隊長さんに「在駐武官」だの「友好特使」だのに任命する、って言っていた。

 私にはそれが難しくてなんのことかはよくわからなかったけど、とにかく街の人の安全のために、オーク達のように悪いことをする魔族の取締をした。人間とうまくやっていくための交渉なんかをする役目なんだろうってことだ。

 「お嬢ちゃんも、気をつけてな」

「はい、ありがとうございます!」

あの日、オークの集落で私を助けてくれた女騎士さんが優しく言ってくれる。

 私は、女騎士さんに助けてもらった、って思ってるんだけど、女騎士さんは私に助けられたって思っているらしくって、あれからいっぱいお礼を言われたけど私はどうしていいかわからなくって、ちょっと困ってしまった。

 お姉さんが

「まぁ、気持ちはもらっといてやりなよ」

って言うので、お礼に何かする、と言って聞かない女騎士さんの好意に甘えて、

 私は街の道具屋さんで女騎士さんに手渡してそれから戦いでどこかに行ってしまったナイフの代わりに、すこし上等なダガーを買ってもらった。もってたって使い方はあんまり分からないけど、でも、この間みたいなこともあるし、やっぱり持っていた方がいいよな、って思ったから。

 女騎士さんは、それなら鎧の類もあったほうが良いだろうって言って、危うく高価な鎖帷子みたいな物も買いそうになったんだけど、それは断った。物とかそういうのをもらうのって嬉しいけど、でも、ありがとうって言ってもらえることの方がずっと良い気がしてしまったから。

 そんな報告をしたらお姉さんはケタケタと笑って

「立派だなぁ、くれるって言うならもらっておけばいいのに」

なんて楽しそうに言っていた。

「困ったら、なんでも兵長に相談しろな。彼女、ちょっと硬いところあるけど、見かけや性別や種族で偏見持つような人じゃないから」

「はっ、心得ております」

「ちょっ、黒豹さんったら、もうっ」

とたんに、兵長さんがなんだか真っ赤な顔をしてうつむく。

 あれ…?

 そこ、照れちゃうところなの?

 そんな兵長さんの肩にガシっと腕を回したお姉さんは、真っ赤な顔した兵長さんにヒソヒソ声で

「オークがそうだったけど、基本的に人間と魔族の間でも子どもとかいけるらしいからな!」

なんていたずらっぽい顔をして言っている。兵長さんの顔がさっき以上に真っ赤に膨れ上がった。

 あー、なるほど、兵長さん、黒豹さんのこと好きになっちゃった、ってこと?

 むふふ、そっかそっかぁ、それは応援してあげないとね!

「そそそそそそういうのはまだ!世の中的に、受け入れられるかどうかも分かりませんしっ!!」

その言葉に、お姉さんの顔が一瞬曇った。

 うん、でも、そうだよね…魔族、ってだけで、事情も関係なしに磔にされちゃうんだもん。人間と魔族の間に子どもができた、ってことになったら、もしかしたらイジメられたりしちゃうかもしれない。それは…やっぱり、いろいろ辛いよね。

 でも、お姉さんは直ぐにパッと明るい顔をして

「安心しろ。すぐにでもそんな世の中、あたしがぶっ壊してやる!なんたってあたしは魔王で勇者だからな!」

と兵長さんの真っ赤な頬っぺたを指でつまんでグイグイ引っ張ってからかった。

「やややややめてくださいよ、もう!」

兵長さんがキーキー声でそう叫んだので、私も妖精さんも思わず笑ってしまっていた。

 それからまた、お姉さんと私とでお礼を言って、兵長さんや女騎士さん、黒豹さんとお別れをして、私たちは衛門に背を向けて西の森への街道を歩き出した。兵長さんたちは姿が見えなくなるまで、ずっと衛門のところで私たちに手を振ってくれていた。

 しばらく歩くと、道の先に鬱蒼と茂る森が見えてくる。さらにその森の向こうには、真っ白な雪をかぶった中央山脈がまるで壁のようにそびえている。あの山を越えた先が、魔界。魔族さん達が住んでいる、分けられた世界の、もう半分。トロールさんの、故郷…あの山を越えるのは、大変そうだな。

 早く私も、寒かったり暑かったりしなくなる、あの魔法を教えてもらわないと。

「お姉さん、魔法って、どうやって使うの?」

「ん?あぁ、そうだったな。歩きながら、基本的なことを教えておこうか」

お姉さんはどこか嬉しそうな表情で話し始める。

「魔法、ってのは、自然の力を操るってことなんだ。人間と魔族では、その方法が違ったりするんだよ。自然と共に生きる魔族たちは、自然の力を割と自由に使うことができる。人間はそういう感覚がイマイチつかみにくいから、こうやって呪印を彫るのが一般的かなぁ。これをやることで、人間の内側にある自然の力ってのを増幅させて使うんだ。で、その自然の力を操るときに必要なのが魔力、ってことになる」

「魔力って、なんなの?」

「ん、魔力ってのは…言っちゃえば、気合い」

「き、気合い?」

「そ。あと、集中力、かな。自然の力を操るためには、それだけの精神的な力が必要なんだ。使えば使うだけ、感覚が疲れて力を扱いにくくなる」

「その魔力ってのがないと魔法は使えない?」

「いや、魔力は生きる物すべてが持ってるもんだ。強い弱いはそれぞれあるけどね。重要なのは、そいつで自然の力を捕まえるコツ、ってことになるかな」

「ふぅん、難しそう。じゃぁ、私もその呪印…ってのを彫らないといけないの?」

「うーん、それはどうかな。人間でも、自然の力をそのまま操ることのできるやつもいる。もしかしたら、父さん母さんと畑やってたあんたならそういう自然の力を掴むのも案外出来るかもしれないってあたしは思ってる。それにほら、あたし魔王だし、羽妖精ちゃんもいるしさ」

「私、頑張って教えるですよ!」

お姉さんがそう話しかけると、妖精さんは張り切った様子でそう言って、パタパタと空中を飛び回った。

 私たちはそんな風にして、楽しくおしゃべりをしながら道を歩く。

 こうしていると、きっちり詰まったザックの重さもたいして気にならないし、なによりなんだか楽しくって胸があったかくなる。

 ずっと先に見えていた森が近づいて来ていた。

 砂漠を越えてゴツゴツと荒れ果てた様子の地面にも、ポツリポツリと緑の草が生えだしている。今のところ天気はいいけれど、向かう先のあの山には、分厚い雲がかかっていてなんだか薄暗く感じた。

 あんな山、本当に越えられるのかな?

 私はそんな不安を少しだけ感じてお姉さんを見た。

 でも、明るく笑うお姉さんの顔を見たら、そんなことも簡単に出来そうな気がしてくる。いざとなったらお姉さん、私を抱えて空でも飛べちゃいそうな感じだし、きっとなんとかなるだろう。

 そう、旅をするくらい、お姉さんと入れば、なんてことはない。だけど、お姉さんはなんでも出来るわけじゃない。

 だって、ときどきどうしようもなく悲しい顔をするから。さっきの兵長さんと話していた時の顔。初めて私の前で、魔王と勇者の紋章の力を使った時の顔。あれは、お姉さんが越えられない辛さや悲しみを抱えているんだって証拠だと私は思う。

 私は、きっとお姉さんなしじゃ、この旅は無事に終わらせられない。魔法も使えないし、戦うことも、自分を守ることさえ、怪しい。

 それでも私は、お姉さんと一緒にいてあげたい。お姉さんの辛さや悲しみをどうにもすることができなくたって、きっと一緒にいてあげられれば、それを和らげることくらい出来るって、そう思うから。

 ふわっと、何か冷たい物が私の肌に触った。

「おっと、冷えてきたな…マント、きっちり閉めておいた方がいい。ここから先は、あの山からの吹き降ろしで冷えるんだ」

お姉さんはそう言って自分のマントの紐をキュッと引っ張って私にそう言ってくれた。

「うん!」

私も、なるだけ明るい笑顔でお姉さんにそう返事をし、マントの前についていた紐を結んで閉め、冷たい風に備える。

「さて!夜にならないうちに良さそうな野営地を見つけないとな!」

「うん!」

お姉さんの言葉に私はそう返事をして、森へと向かったずんずん歩く。

 木々と雲で太陽がかくれて、ひんやりとした空気がさらに強く冷たくなってくる。

 だけど、私の胸の中は、なんだかポカポカした心地で満たされていた。

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