第4章

第1話

(中牧東高等学校 非公式匿名掲示板より抜粋)

20×6年8月11日(木)

〉俺、中学の同級生が立て続けに2人死んだんで葬式に行ってきた。

 そんなに親しいわけではなかったけど、一応、知ってる奴らだったから。


〉ネットで死んだ人たちの友達らしき人のつぶやき見つけたんだけど……

 もしかして、死んだのってO坂N樹とK田T彦って人で合ってる?


〉O坂の名前は聞いたことあるかも。

 こいつ、すごく背が高くて、美形じゃなかったか?  

 もしかしたら、隣の中学にいた奴かもしれん。


〉美形って……そうか?

 写真見たけど、目つき悪いし、もろヤンキーじゃねえか。

 同じクラスにこいつがいたら、話しかけるの相当勇気いるだろ。


〉正直、間近でO坂を見たら大抵の奴はビビるぞ。

 身長も中3の時点で180以上あったし、今は190近いはず。

 誰とは言わんがうちの学校で威張っている奴らも、O坂を前にしたら尻尾巻いて

 逃げるかと。

 でも面はいいし、運動神経も良かったから、一部のアホ女子どもは騒いでいた。

 O坂はいじめとかには興味ないみたいだったが、性格は良くはなかったと思う。

 

〉俺は死んだ奴らよりも、つぶやいているM沢って奴の名前の方が気になるwww

 ”月祈夜”って、何て読むんだよ……


〉「るきや」だよ。

 こいつはロマンティックな名前とは裏腹に狂犬のような奴。


〉M沢のつぶやき読む限り、2人とも自殺っぽいな。

 O坂は沼工場の前の道路に寝転がっていて車に轢かれた。

 K田は、自宅3階からダイブ。

 というか、3階建ての自宅って、金持ちすぎだろ……


〉実はダイブして死んだK田が、「ダチと中牧東の女を拉致してヤッた」って

 自慢してた。

 昔からペラペラと良く喋る奴で、恐喝や仲間の女を使った美人局を匂わせる

 ようなことも言ってた。

 俺はK田と家が近いから、たまにすれ違う時によく声をかけられていたんだ

 けど、正直こうなった今はホッとしていたりもする。


〉O坂って人が死んだ日と同じ日に、沼工場の中でR木って人も大怪我して、

 入院中だって。

 自殺じゃなくて、単に不良同士の喧嘩がヒートアップして止められなくなった

 んじゃない?


〉R木とは中3の時同じクラスだったけど、あいつはそう気が荒いわけでも

 なかったし、割とまともというか、普通な感じした。

 確かにO坂たちとよく話しているところは見てたけど、R木が喧嘩や悪さ

 しているような場面は想像できん。


〉まともに見えても一緒にいたら同類だと思う。>R木って人

 気が合っていたからこそ、死んだ人達とつるんでたんだろうし。


〉R木って人の下の名前って、やっぱり”マサミ”で合ってるよね。

 それなら、きっと私と同じアパートの人だよ。


〉2人目の神が降臨した! もっと詳しくプリーズwktk


〉じゃあ、うちの母親から聞いた情報を投下www

 沼工場の中で事故(?)にあったR木さんは、現在も入院中。

 ちなみにR木さんはお姉さんと2人暮らし。

 仲が良いみたいで一緒に買い物袋を下げて歩いているところもよく見てた。

 お姉さんは、外見ギャルで夜の仕事してるっぽい。

 R木さん自身はギャル男でもヤンキーでもなく、なんていうか素朴な感じの人。

 

〉でも、K田やO坂の仲間ってことはこいつもWさんを襲ったレイパーじゃね?


〉やめようよ。WさんもR木って人もかわいそうじゃない。

 そもそもここに書かれたことが全て「真実に違いない」となっていく流れに

 私は嫌悪を感じるんだけど。 


〉でも、火のないところに煙は立たない。

 私、自分でも最低だって分かっているけど、本音を言うとWさんがレ●プされた

 かもしれないって噂を聞いた時、少しだけ心が軽くなった。


〉人の不幸で心が軽くなるって……どういうこと?


〉私はWさんとはほとんど話したこともないし、直接の恨みもないよ。

 でも、Wさんって複雑な家庭環境らしいけど、大切に愛されて育てられたんだな

 っていうオーラが伝わってくるからさ。

 上品な感じするし、性格も意地悪なところとかなさそうだし。

 でも、そんなWさんが性被害にあったことで、持っていた人生のプラスの部分が

 削り取られ、マイナスへと近づいていったんだって思った。

 やっぱり人生って、帳尻合うようにできてるんだなって。


〉そういう考え方はよせよ。WさんはWさん、お前はお前だろ。

 それに、人生ってプラスとマイナスとかで図るもんじゃないだろ。

 俺たち、たった17か18しか生きてないし、人生ってまだまだこれから何十年

 も続いていくんだからさ。

 自分の人生は自分の人生だと、覚悟を決めて生きるのが大切だと俺は思うぞ。

 

〉うわあ、これは恥ずかしい(/ω\)

 どっかのスピリチュアル本に書かれているようなことをドヤ顔で語る奴www


〉ほんと、なんだか痒くなってきたなwww

 この恥ずかしい奴、今まで挫折したり、死にたいと思ったことなさそうだよな。


〉「覚悟を決めて生きる」か……でも、私は自分の人生に希望が持てない。

 両親は揃っているけど離婚寸前だし、友達とも表面だけの付き合いで心から

 信頼できる親友もいないし、おまけに成績は絶賛下降中。

 そもそも自分のしたいことが分からないから、志望大学だって絞り込めてない。

 これから私、どうなっちゃんだろ……誰か助けてほしい……


〉おいおい、自分語りはそこまでにしろよ。

 女の話って、いつの間にか自分語りになってることが多いよな。


〉同意。男の話は自慢話が多いけどなwww


〉でもさ、Wさん、2学期からどうすんだろ。

 学校に来ることできるのかな。もしかして、退学しちゃったりして……

 今、一体、何してるんだろ?



 佐保の自宅のキッチンからは優美香が洗い物をする音が聞こえている。

 佐保は膝を抱えたまま、リビングのソファーにじっと座っていた。

 今、家には佐保と優美香の2人しかいない。祖父母は泊りがけで家を空けている。数日前にY市のペンションで起こった殺人事件の被害者・八窪真理恵さんの父親と昔、仕事上で付き合いがあったので、娘である彼女の葬儀に出席するために。 行方不明だった八窪さんの妹・八窪由真さんは、無事発見されたものの、心身ともに衰弱が激しくいまだ入院中であるとのことだった。そして、平然と10人もの人間を残酷に殺めた犯人は、今だ野放しのままとなっているのだ。


 突如、鳴り響いた電話の音に、佐保はソファーから飛びあがった。

 優美香がタオルで手をふきながら、キッチンから走ってくる。優美香が受話器を手に取ったときに、今度は玄関のチャイムが鳴った。

 佐保は例え自宅の玄関先であっても、この家の中から出るのが怖かった。だが、優美香の電話相手はなかなか解放してくれないみたいで、優美香も佐保をチラリと見て困った顔をしている。

 もう一度、チャイムは鳴った。

 佐保は立ち上がり、訪問者の姿を玄関カメラから確認した。カメラの荒い画質でも分かるのは、訪問者は佐保の知らない若い女性であるということだけだった。2度も鳴らしたチャイムに返答がなかった女性は頬を膨らませ、苛立たし気な表情を見せている。

 佐保は恐る恐る玄関へと行く。深呼吸をして、チェーンを付けたまま、そっと扉を開けた。


 そこに立っていたのは、やはり佐保の知らない女性であった。

 小柄な女性である。身長も佐保より低かった。肩には大きなトートバッグを下げていた。重そうなつけまつげを付けているが、目じりから少しずれていた。栗色の長い髪は後ろでまとめているのだろう。彼女が身に着けているスカートは、佐保が持っていない丈のものであった。佐保が同じ丈のスカートを履いていたら、美也がきっと目を三角にして「はしたない!」というに違いない代物であった。

 女性は、扉の隙間から見える佐保の顔をまじまじと見つめた後、口を開いた。

「我妻佐保さん?」

――なぜ、私の名前を知っているの?

 女性は佐保の返事を待たずに言葉を続けた。

「私、櫓木麗子っていいます」

 女性が名乗ったその名前にも、佐保は一切の心当たりはなかった。黙って困惑したままの佐保に、女性は携帯をつきつけた。

「私の弟の正巳のことは知ってるでしょ?」

 携帯の画面に映っていたのは、蝋燭が立てられたクリームたっぷりのケーキを真ん中にピースサインをする麗子と、ちょっと照れたような顔で麗子に顔を寄せている少年の写真だった。

 その少年――櫓木正巳の顔を思い出した佐保は思わず「あっ」と叫び口を押えてしまった。

「中に入っていい?」

 麗子が玄関に足を踏み入れた時、やっと電話を切ることができたらしい優美香が「どなた?」と顔を出した。

 麗子が後ろから佐保の腕をつかみ、「2人だけで話がしたいの。お姉さんは呼ばないで。お願い」と小声で囁いた。

 

 佐保の部屋で、テーブルに向かい合って座る2人のところに紅茶とシフォンケーキを持ってきた優美香は部屋を出るとき、心配そうに彼女たちの様子をうかがっていた。

 優美香の足音が遠ざかってから数分たったが、麗子はずっと下を向いたままであった。

 佐保は後悔していた。

――なぜ、私は自分の部屋に”あの少年”の姉を通してしまったんだろう?この人は一体、何の目的で私の家にまで来たんだろう?

 それに目の前の櫓木麗子の濃い化粧には、お洒落のためにというより、鎧のように佐保には見えていた。そして、その鎧は疲弊を隠そうとしているようで、余計に際立たせていた。

 ついに麗子がゆっくりと口を開き始めた。

「……正巳、今、意識不明で入院しているの。このまま、意識が戻らない可能性が高いって……」


 あの日、逢坂夏樹の家に行くと言って家を出た正巳はいつまでたっても帰ってこなかった。いくら、携帯に電話をしても正巳は出なかった。麗子は、正巳に嫌がられると思ったが、逢坂夏樹の家まで迎えに行った。だが、彼の家には誰もおらず、虚しいチャイムが鳴り響くだけであった。繁華街の正巳が行きそうなファーストフードやゲームセンターなどにも足を運んだが、正巳の姿を見つけることはできなかった。

 仕方なしに家に戻ってベッドの上でうとうとしはじめていた麗子は、救急車の音を夢かうつつかで聞いていた。

 日付が変わった真夜中に、麗子の家にかかってきた電話は警察からであった。正巳が大怪我をして病院の集中治療室に運ばれたという信じられないことを、麗子は警察より告げられたのだ。

 繁華街から遠く離れた沼工場と呼ばれている場所で、正巳は中途半場に組まれていた梯から転落し、頭部を打ち、意識不明の重体となった。正巳と一緒にいたらしい逢坂夏樹の事故死も警察より聞かされた。

 正巳は顔半分を赤黒く腫らし、病院のベッドに横たわっていた。

 麗子はそれから、どうやって家に帰ったかは覚えていない。

 そして、店に休みの連絡を入れ、わずか数日間の間に病院と家の間を何度も往復したこと。正巳が面接を受けたスーパーのアルバイトの採用決定の連絡が正巳の携帯にかかってきたが、事情を話して断ったこと。正巳が死んでしまう夢を見て、夜中に何度もうなされて起きたこと。

 昨日、麗子は気が付いたら、正巳の部屋の中で佇んでいた。

――正巳は一体、何を隠していたんだろう? 何に関わっていたんだろう?

 麗子は勢いよく、正巳のベッドのマットレスを持ち上げた。彼女は、正巳が見られたくないものをベッドとマットレスの隙間に隠しているのを以前から知っていた。そこにあった本やDVDなどは、思春期の生理現象の一環として見なかったふりをすることに決めた。でも、今、麗子が自身のバッグの中に入れて持ってきたものについては、見なかったふりをすることはできなかった。

「これ、正巳の部屋で見つけたの」

 麗子は鞄の中から白い封筒を取り出し、佐保に手渡した。

 その封筒の中には写真が入っていた。

 そして、その写真に映っているのは、佐保であったのだ。

 写真の中の佐保は、冬の制服を着ていた。背景には満開の時期を過ぎた桜の木。おそらく登下校中の佐保の姿を隠し撮りしたものであるだろう。


 佐保は「嫌っ!!」と叫び、写真を放り投げた。

 忌まわしい記憶が、加害者たちの手が写真から伸びてくるような――咄嗟に逃げようと立ち上がった佐保の腕を麗子がガッと掴んだ。

「お願い! 家の人は呼ばないで! 私は正巳の身に何があったか、知りたいだけなの! なんで、正巳があんな目に合わなきゃいけないの!」

 何であんな目に――それは佐保がずっと考えていたことであった。

「知りません! 私は何も知りません!」

「だったら、何で泣くのよ! 知らないなら、泣く必要なんてないでしょ!」

 麗子は半ば泣き声に近い声を出し、佐保の肩をつかみ揺さぶった。

 佐保は唇を噛みしめ、涙に濡れた目で、麗子を見た。


 佐保からあの7月7日の話を聞いた麗子は、黙ったまま下を向いていた。

「……ごめんなさい……」

 言葉を苦し気に絞り出した麗子は、そのまま佐保に向かって床に額をつけ、土下座した。

「ごめんなさい!」

 麗子の肩は震え、鼻をすする音が部屋に響いた。麗子はおそるおそる顔を上げる。彼女の頬にはマスカラとアイライナーが流れた涙の道筋を残していた。

「……警察には?」

――行かないんじゃない。まだ、行っていないだけだ。

 だが、佐保はその心の内は言わずに、黙って首を横に振った。

 麗子の顔にわずかな安堵が見て取れた。麗子は目じりの涙を指でぬぐい、鞄からアルバムを取り出した。

「正巳と一緒にいた2人はこの中にいる?……2年くらい前の写真だけど……」

 正巳が卒業した中学校の卒業アルバムで。麗子があらかじめ予測をつけていたのであろう数ページを佐保は見せられる。

 佐保は震える手で、写真の下に「逢坂夏樹」と「桐田照彦」と書かれている2人の少年を指差した。麗子の「やっぱり」という表情が見て取れた。そして、麗子は続けた。

「……この2人、もう手は出してこないよ。2人とも死んじゃったから」

「!!」

「桐田くんは、2日前に病院から自宅に戻ってきたとき、自宅3階から転落死したの。逢坂くんは、正巳が事故にあったのと同じ日に沼工場の前で車にはねられて死んだの。状況から自殺って見られているみたいだけど、私は違うと思う」

 麗子は逢坂夏樹と桐田照彦のことは、彼らが小学校に通っていた頃から知っていた。正巳の容態が気になっていたが、義理として彼らの葬儀には顔を出した。

 白いハンカチで涙をぬぐっていた照彦の母親は、麗子が正巳の姉であると知ると露骨に嫌な顔をした。そして、夏樹が生まれて間もないころに妻が家を出ていき、そしてたった1人の家族であった息子を亡くした夏樹の父親の背中は哀れなほど小さくなっていた。

 彼らの親は自分の息子が目の前のこの少女を複数で凌辱したことなど知らないまま、彼らを送り出したのだ。親が知っている子供の姿と実際の子供の姿は違っている。親と子ではなく、姉と弟ではあるが、それは麗子と正巳の間にも言えることだった。

 けれども、麗子は正巳があんなことになってしまった原因に辿り着くことができるなら、どんな小さなことでもつかみたかった。

「裏で糸を引いていた奴に心当たりはないの?」


――ごめんなさい。本当にごめんなさい!!

 麗子はメイク落としシートで、涙で黒く汚れた目の周りをぬぐいながら、正巳のいる病院へと向かっていた。彼女が泣き腫らした顔で我妻佐保の家を後にする時、家の中にいた女性が麗子を見て何か言いかけたが、佐保が「ママ」とその女性の腕に手をかけ首を横に振った。

 麗子の目からまた涙が溢れた。

 佐保から聞いた話は麗子にとっても酷いショックを与えるものだった。

 正巳がこのような状態になった原因について、どんな小さなことであってもつかみたくて、麗子は佐保の家を訪れた。だが、佐保から聞いたあの事実は麗子の心を深くえぐった。

 あの繁華街で逢坂夏樹に会った夜に、ククッと笑った彼の口より聞いた言葉も蘇ってくる。

――「まあ、あいつは何もしちゃいませんよ。何も……ね」

 そう、正巳は何もしていない。何もしなかった。輪姦には及んではいないが、犯罪の起こったその場にいて、彼女を――我妻佐保を助けることなく逃げたのだ。でも、彼らには彼らなりの世界がある。正巳が一人で彼らに立ち向かっていたとしても、彼女を助けることができる可能性は非常に低かったろう。

――私は、逢坂くんの”正巳は何もしていない”という言葉をそのまま受け取り、正巳に問いただすことをしなかった。私は正巳のことを信頼しきっていた。

 麗子は我妻佐保の姿を思い出す。

 彼女の心の傷は深いものであった。話をすることはできていたが、常に怯えているように目の周りが小刻みに痙攣していた。

 麗子は思う。

――私がもし強姦されでもしたら、絶対に泣き寝入りなんてしない、加害者が知り合いでもそうでなくても絶対にうやむやになんてしない。でも、今日の彼女の姿を目の当たりにしたら、自分が同じ目にあった時、私は本当にそうできるのかしら?

 彼女は正巳たちとは面識がなかったという。正巳たちと同い年であったが、中学の同級生というわけでもない。それに逢坂夏樹や桐田照彦が生前に、女の子を連れて歩いているのを数回見たことがあるが、彼らが好む女の子とは全く雰囲気が異なっている。

 面識のない見ず知らずの少年たちに襲われた少女。それは事実であるだろう。

 そして、麗子は佐保がこんな目にあう要因と作った「依頼者」については、得体のしれない気持ち悪さに全身を蝕まれるようであった。その「依頼者」は、正巳も佐保も、そして夏樹や照彦も自分の手の内で踊っているのを眺めているのではないかと。

――それに、なぜあの日、正巳たちは再び沼工場へと行ったのだろうか? 誰かに呼び出されていた? まさかそれが「依頼者」だったの。その「依頼者」に逢坂くんは殺され、正巳は大怪我を負わされた?

 裏で糸を引いていた「依頼者」については、佐保も心当たりはないとのことだった。だが、人に金を渡してまで拉致させるなんて異常である。拉致の報酬として渡されたらしい10万。家庭環境にもよると思うが、それだけのお金を自由にできる高校生はそう多くないだろう。きっと大人である可能性が高いはず。

 恨みでないなら、愛憎も考えられる。我妻佐保のことを好きな男が自分のところに連れてくるために、拉致を依頼した。

 だが、仮に「依頼者」が男であるというなら、自分が手に入れたいと思っている少女の拉致を同じ男に依頼するだろうか? ましてやその実行役は素行の良くない少年たち。少女を連れてきたのに、時間通りに依頼者が現れず、金ももらえない。いらつき、しびれを切らした少年たちは――その先がどうなるか、馬鹿でも予測はついただろう。

 麗子はハッとする。

――もしかしたら、本当の目的は拉致ではなく、その後のことにあったんじゃ……あの子を性被害に合わせ傷つけた上に、周りから好奇の目で見られるように仕向けることだったんじゃ……

 仮にそうだとすると、実行役のなかで正巳だけは「依頼者」の思惑どおりには動かなかったのだ。

――私が親代わりとして正巳をきちんと見ていなかったから、あの子はこんなことに手を染めてしまったのというの?


 麗子と正巳の両親は麗子が高校3年生、正巳が小学校6年生だったクリスマス前に、事故で死亡した。両親が乗っていた車は、雨のなかスリップしガードレールに突っ込んだ。母は即死であり、運転していた父は心肺停止の状態で病院に運ばれたものの、麗子と正巳の到着を待たずに息を引き取った。一度に両親を失い、どちらの死に目にあうこともできなかった悲しすぎる事故であった。ただ、不幸中の幸いといえたのは、赤の他人を巻き込んだりはしなかったことであっただろう。

 麗子は高校卒業後、県外で1人暮らしをし、トリマーの専門学校に通う予定であった。父母の事故の保険金が出たが、これから先、正巳も中学・高校と進んでいくし、1人で正巳をこの土地に置いておくことなどできやしない。正巳だって友達とだって離れたくないだろう、と思った麗子は進学を取りやめ、地元で就職口を探すことにした。昼間の事務の仕事だけだった時期もあったし、3つのアルバイトを掛け持ちしていた時期もあった。

 そうして現在はキャバクラに勤務し生計を立てている。お酒も強く、初対面の相手とも物怖じせずに話せ、また女の園でもうまくやっていける麗子は今の仕事が割と気に入っている。

 正巳は高校に進んだものの、2年生の夏休み前に中途退学してしまった。麗子が正巳に話を聞くと、彼は勉強についていけていないわけでも、いじめにあっているわけでもなさそうだった。何か他に明確な目的や夢があったようでもない。その時、仲良くしていた学外の友人の大半が、高校を中退していたらしく単に流されるままにといった感じであった。それは今回の我妻佐保についての事件でも同じだったろうと、麗子は思う。

 両親の葬儀の日、正巳は麗子の膝で泣いていた。麗子の制服のプリーツスカートは正巳の涙と鼻水で濡れていた。葬式にはあの2人も来ていた。あの頃はまだ逢坂夏樹も桐田照彦も、まだあどけない顔つきをしていた。夏樹は父親とともに、照彦は2人の兄とともに焼香していた。

 そういえば、と麗子は照彦の葬式で妙な話を耳に挟んだことを思い出す。

 照彦の兄の1人が、照彦が自宅3階より転落死する直前に「来るな」という彼の声を聞いたそうだ。事故当時、照彦の部屋にいたのは彼1人だけであったらしいにも関わらず。照彦は後ろ向きの状態で、まるで何かから逃げるように転落したと――


 麗子は泣き腫らした目のまま、正巳のいる病室の扉を開けた。

 いつもなら彼女は真っ先に正巳の手を握るも、今日はそれができなかった。麗子は唇を噛み、目を閉じている正巳を見つめた。

「……正巳。私、今日、我妻佐保さんに会ってきたよ……全部聞いたよ……馬鹿! 馬鹿馬鹿! あんたたち、なんてことしたのよ! 単にお金が欲しかったの? それとも、逢坂くんたちに逆らえなかったの? ……あんたがこんなことになる前になんで話してくれなかったの! 私は何があっても、あんたの味方なのに! なんで自分から取り返しのつかないような選択をするのよ!」

 麗子の鼻奥はツンとし、目からは再び涙があふれ、流した涙でヒリヒリとしていた頬に流れていく。

 でも、麗子自身も後悔していた。なぜ、正巳が逢坂夏樹に会うという日に正巳にどんなに嫌がられても強引についていかなかったのか? それに家で待つふりをして、こっそり正巳の後をつけることだってできたはずだったのに。

 麗子は頬につたう涙をぬぐうこともせず、正巳の手を握った。正巳の手は大きく温かかった。

「……私、あの子が警察に行ってないって知って、ホッとしたんだ。あんたが警察に捕まるのなんて嫌だから……私も最低だね………正巳、あんたのこと1発殴ってやりたい……でも、目を開けないと殴れないよ……お願い、目を開けて……お願いだから……」

 麗子が正巳の手をさらに強く握るも、彼が麗子の手を握りかえすことはなかった。

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