第2話

 A子が貴俊の家族3人を殺害した事件。

 それは「つきまとい 同級生の家族殺害」等の見出しで、全国紙やニュースサイトを飾った。よって、今、貴俊の目の前にいる宵川斗紀夫も大筋の概要は知っていた事件であった。

 黙って貴俊の話を聞いていた斗紀夫が口を開いた。

「……つらかったね」

 貴俊は涙に濡れた顔を上げた。そして、再び頬に残っているその涙をぬぐった。貴俊は家族以外の人前でこんなにも涙を流したことはなかった。

 それに自分が今、宵川斗紀夫に話したことは正気ではないと思われても仕方のない話であった。おそらく死んでいるに違いない人間が、まだ自分をどこかで見ていて、自分に触れる女性に危害を与えようとしているとなどいうことは。

 けれども、宵川斗紀夫は自分の話を聞いて黙って聞いてくれていた。そして、貴俊は斗紀夫に尋ねられた。

「矢追くん、君は今、A子について、どんな感情を抱いている?」

「……どうって…憎いなんて言葉じゃ表現できないほどです。でも……でも、正直、僕はA子より自分が憎いんです……」

「自分が憎いって……?」

「僕が卒業文集に弟が生まれた時のことを書かなければ、それにあの日、もう少し早く家に帰っていれば……母や弟たちを守ってやれたかもしれない。今も母たちは生きていたかもしれない……」

 躾には厳しかったけど、父とともに自分を慈しみ育ててくれた母。やんちゃで甘えん坊だった光洋。末の弟である和則は言葉を覚え、「にいたん」と貴俊を呼んでくれるようになっていたばかりだった。

「……母も弟たちもこんなことになるために、生まれてきたわけじゃない!」

 つい声を荒げてしまった貴俊に、斗紀夫が言う。

「君も君の家族も何も悪くない。ただ、おかしな奴らに目をつけられてしまっただけだよ。A子にしたって、君を愛しているんじゃなくて、自分を一番に愛しているだけだと思うよ。自分が君に愛されているという、何の根拠もない思い込みで作られた自分の世界においてのヒロインである自分が好きなだけなんだから」

「……僕は今の学校でも、僕に関わったことでこれ以上A子の被害者を出してはいけないと、女の子に話しかけられてもかわしていました。そうしたら、女の子の方から声をかけてくることは少なくなりました。担任の先生も女性なんですけど、なんていうか、ドライな感じの方で……担任の先生については運がよかったと思っています」

 貴俊は担任教師の谷辺千奈津を思い浮かべた。

 谷辺はまるで貴俊が最初から自分のクラスの生徒であったかのように、他の生徒たちと同じような態度で接してくれていた。前にいた男子校の担任教師のように、周りの生徒に気づかれるほどの同情のオーラも出していない。ただ、時々、タイミングを見計らって、さりげなく貴俊に声をかけてはくれていた。

「本当はまた男子校に転入したかったんですけど……」

「そうだね。確かにこのあたりに君に合うような男子校はないだろうね。男子校は一応あることはあるけど、言っちゃいけないけど馬鹿の吹き溜まりのような学校だし、生徒の素行もよくないって評判だからね」

 斗紀夫が大きく息を吸った。

「……矢追くん、これは俺個人の意見として聞いて欲しいんだけどね。自分の欲望によって、人を傷つけ血を流させるような者は、後に自分自身もそれ以上の血を流すことになると思うんだ。君は賢いから分かってると思うけど、この血というのはあくまで比喩だけどね。罪を憎んで人を憎まずって言葉もあるけど、俺は違うと思う」

「ええ、僕もそう思います。そうでなかったら、母も弟たちも浮かばれません」

「俺も君のお母さんたちのご冥福を心から祈るよ。それに、佐保ちゃんを襲った奴らも、きっとろくな死に方しないと思うよ」

 貴俊は夏休み前に見た我妻佐保の姿を思い出した。まるで幽霊のような生気のない顔色で廊下を歩いてきた彼女の姿を。

「犯人は若い男達みたいだけど、どうやらまだ警察には行っていないみたいだね。もしかしたら、佐保ちゃんのご家族は世間体を気にしているのかもしれないな。仮に犯人が捕まったとしても、その後の事情聴取や裁判に佐保ちゃんが耐えられるかどうか……神経の細そうな子だしね。まあ、ただの隣人に過ぎない俺が口出すことではないけどね」

 そして、ハッと思い出したように、斗紀夫は立ち上がった。

「そうだ。俺、取材旅行に行ってたんだ。お土産を買いすぎてしまったから、矢追くんももらってくれるかな」

 斗紀夫が紙袋を手に部屋に戻ってきた。そして、遠慮する貴俊の手にそれを握らせる。

「また、何かあったら、連絡してくれていいからね」

「ありがとうございます。お忙しい時に失礼いたしました」

 貴俊は斗紀夫の家を後にした。

 

 事件の加害者であるA子はいまだ何の裁きも受けないまま、死亡に近い行方不明扱いとなっている。そのA子に対する憎しみが貴俊の全てを覆っていた。

 あの事件以来、「生きる」ということ自体が貴俊には苦しかった。事件の原因である自分が普通に呼吸し、食事をし、生きながらえているということが。A子に殺されてしまった母や弟たちは呼吸することも、食事をすることも、笑ったり泣いたりすることも、もう二度とできないのに。

 貴俊は毎日毎日、母や弟たちに謝り続けていた。だが、3人からの答えが貴俊に聞こえてくることはなかった。父にしても、事件後、めっきり老け込んでしまった。夜、父が酒を片手に家族全員の写真を見て、泣いているのを何度も見た。だが、共に生き残った父が自分と同じこの世にいる以上、貴俊には「死」という選択もできなかったのだ。

 また、事件に関係のない世の人々が自分に火の粉の降りかからない安全地帯で好き勝手な噂話に花を咲かせる人間に見え、父以外の人間を信じられなくなっていた。けれども、今日、宵川斗紀夫という1人の大人が、自分の話を馬鹿にするでもなく聞いてくれた。それだけで彼の心に温かな光が灯された。

 貴俊は目の縁に残っていた涙をぬぐいながら、泣き腫らした赤い目のまま1人で暮らすマンションへと歩みを進めた。



(中牧東高等学校 非公式匿名掲示板より抜粋)

20×6年8月5日(金)

〉今、予備校の昼休み。

 近くにいる女どもが「この事件、怖い~(キャピ)」とかうるせえんだけど。

 可愛くねえんだよ。ブスどもがwww


〉その事件って、ひょっとして、昨日Y市で起こった事件?

 県境のペンション付近にて、複数の他殺体発見って、ニュースのことか?


〉「確認された死亡者は10名と見られる」って、さっき速報でてたよ。

 病院に運ばれた先で亡くなった人もいるけど、まだ行方不明者もいるんだって。

 行方不明になっているのは、殺された八窪さんの妹らしい。


〉八窪さんって人、美人だし、同じく殺された女子大生の人も結構可愛いよな。

 日本の貴重な宝が2人も失われた。なんと、もったいない。


〉なんでこういう事件で、事件そのものよりも被害者の容姿を話題にするんだよ。


〉他に20代の男の人も殺されているけど、被害者の割合はおじさん&おばさんの

 方が多いし、若くて可愛い人が目立って報道されているだけだと思うよ。


〉同じ事件の被害者なのに、性別・年齢・職業・容姿によって、扱いが違うとは、

 人間って生きている間だけじゃなく死後も平等ではないんだな、と実感。


〉そりゃあ、若い美人をクローズアップした方が、視聴率とれるだろ。

 それに、ネットで気になる情報を数件拾ったんだが↓

 

 ・八窪真理恵さん(26)はペンション経営者の娘

 ・行方不明になっている大学生の妹(18)と八窪さんは母親違いの姉妹

 ・八窪さんの元夫が復縁を迫り、ペンションに来ていた? 

  (八窪さんはトラブルを抱えていたらしい) 

 ・生存者たちが口を揃えて、「化け物に襲われた」と証言している


〉俺の推理としては、八窪さんの元夫と妹(ピッチピチの18才)ができていた。

 ペンションの従業員や客を殺し、2人で逃避行。

 生存者たちは殺人を目撃したショックのあまり、自分たちの記憶の書き換えを

 行った。


〉元夫と妹ができていたとしても、たまたま泊まりに来ていた客まで殺す理由は

 ないだろ。

 それに「記憶の書き換え」とか、映画の見すぎwww

 でも、腹違いの姉妹って、何らかの確執はありそうな気がするな。


〉もしかして、逃亡した犯人と生存者たちが共犯。

 警察の捜査をかく乱させようと、「化け物」とか狂ったふりをし始めた。


〉いや、本当に映画に出てくるような化け物が現れ、殺戮を開始。

 Y市のこじんまりとしたペンションを血に染め上げた。

 そして、化け物は、戦利品として八窪さんの妹を連れていった。

 で、おそらく妹はもう殺されていると思われている。


〉あのさあ、お前ら、遺族でも警察でも弁護士でも、必殺仕置き人でもないだろ。

 事件に全く無関係の人間だろ。

 そういう推理はフィクションの世界でやれよ。胸糞悪い。


〉でも、こんな悲惨な事件に無関心でいることがいいと私は思わない。

 殺された人たちが私たちと同じ時代に生き、私たちと同じように夢や家族を持つ

 人間であったことを思い、手を合わせようよ。


〉被害者の人たち、まさか自分がこんな死に方するなんて思わなかったろうな。  昨日の夜に、本当に「死」を覚悟した時、どんな思いで死んでいったんだろう?




 正巳は、冷房の効いた銀行の中のキャッシュコーナーに並んでいた。

 姉の麗子から生活費を下ろしてくるように頼まれたためであった。

 コンビニでお金をおろすと手数料かかるから、必ず銀行でお金をおろすようにと言われた正巳は自宅から離れたこの銀行までやってきていた。麗子は数百円の手数料は気にするくせに、自炊は滅多にせずにほとんど買ってきた弁当だし、キャバクラ嬢という職業柄、必要経費なのかもしれないが服やバッグ、化粧品はポンポンと買っていた。

 本当は、正巳は家の外に一歩も出たくなかった。けれども、今、麗子に経済的に全ての面倒を見てもらっている。正巳は麗子の頼みを聞き入れるしかなかった。

 銀行内のTVがニュースを映し出した。

 Y市連続殺人事件。

 正巳が家を出る直前のTVでも、この事件についてのニュース速報が流れていた。身元が分かった被害者たちの写真が次々とブラウン管に映し出されていく。その中のペンション経営者の娘であるらしい26才の女性が、どことなくあの我妻佐保に似ている気がして、正巳は目をそらした。


 銀行から出た正巳は、後ろから肩を叩かれた。

「よう、久しぶりだな」

「……なんだよ」

 町沢だ。同じ中学を卒業した同級生で、現在は彼も高校を中退しており、夏樹や照彦とよくつるんでいる少年であった。

 町沢の派手な十字架が描かれているTシャツ、ジェルで固めた髪、そして会うたびに彼のピアスの穴は増えていっているような気がする。ガムをクチャクチャ噛んでいるも、彼の吐く息には煙草の匂いが混じっていた。町沢は鼻からフッと馬鹿にするような笑いを漏らし、正巳にニヤニヤしながら話しかける。

「照彦から聞いたぜ。お前だけビビって女ヤらなかったんだって?」

「……できるわけないだろ」

「それによぉ、お前が女逃がすなんて余計なことしなかったら、俺らだってヤれたのに。コンビニで女見たけど、もろタイプだったし。あの女に生で中出しし放題とか最高じゃねえか」

「……話はそれだけか」

 顔をそむけて、再び歩き始めた正巳の肩を町沢がグッと掴んだ。

「あのさ、前から思ってたんだけどよ。お前、俺らの仲間には合わねえよ。お前と夏樹たちとはガキのころからのダチだったかもしんねえけどさ。あいつらも、女拉致るときにお前じゃなくて、俺を誘ってくれりゃあ良かったのに」

 さらににやついた町沢は顎をしゃくる。その先には、制服姿の高校生の集団がいた。

「でも、お前はもうあっちにも戻れねえだろ。お前って、ガキの読む絵本に出てくるコウモリみてえだよな。あっちこっちにいい顔してよ。結局、どこにもいられなくなってさ。まあ、お前がこれからどうしようと、俺は知らねえけどよ。俺らのことをサツにチクリやがったら、どうなるか分かってんだろうな」

 黙ったままの正巳の頭を、町沢がコツンと軽く小突き、言った。

「お前は大好きな姉ちゃんでマスでもかいてろって」



 カーテンを閉め切った暗い部屋のなかで佐保は膝を抱えたまま、ベッドに座っていた。

 数日前のコンビニであの少年たちに会ったことは、優美香にさえ言うことはできなかった。

――あいつらはニヤニヤして私を見ていた。逃げる私に野次を飛ばしてきた。あんな奴らに私は犯されたんだ。私が今どんなに苦しんでいても、あいつらは、何とも思わないだろう。だから、あんなことができたんだ。加害者になるような人間は被害者にも心があることなんて思わないんだ。

 少年たちに対する憎しみや羞恥よりも、恐怖が勝っていたたため、佐保は今もなお、警察に訴えることができなかった。佐保は唇を噛みしめ、膝に顔をうずめた。枯れ切っていたはずの涙が再び、瞳から盛り上がってきた。

 夏休みに入ってから今日までの間、日香里と翼、それに担任の谷辺までもが家を訪ねて来てくれていた。

 日香里たちは予備校の集中講座に通っており、谷辺は運動部の顧問であり、家に小さい子供だっている。彼女たちが多忙な時間の合間をぬってまで、家に閉じこもったままの自分に会いに来てくれたということを佐保は理解はしていた。けれども、佐保はベッドに横たわったまま、彼女たちには会おうとしなかった。

――もう私は前の私じゃない。以前の記憶はあるものの、違う我妻佐保になってしまった。前の私はあの沼工場で、殺されてしまったんだ。あの淀んだ臭いのするあそこに打ち捨てられているままなんだ。

 眠らないと体がもたなかった。でも、目が覚めるたび佐保は怖かった。

 時間が巻き戻されて、自分があの場所にいるんではないか、目の前にあの少年たちがいるんではないかと。

――私は一生苦しむんだ。これからもずっと、この人生が終わるまで……

 暗い部屋の中で、佐保の止まることのない嗚咽が、震え、響き続けた。




 キャバクラでの勤務を終えた麗子は、まだチカチカとした光が瞬いている繁華街を突っ切るように歩いていた。

 今日はアフターのない日であったため、同僚に仕事終わりの一杯を誘われたが、それも断り、彼女は家路を急いでいた。

――今の時間、正巳は何をしているんだろ。布団に入って、ちゃんと寝ているのかな?

 弟の正巳はもう17才になっているのに、麗子はまるで小さな子供に対する心配をしていた。麗子の女友達数人が正巳のことを「正統派のイケメンじゃないけど、母性本能をくすぐるタイプだよね」などと言っていたことも思い出す。正巳は麗子にとって、放っておけない、見捨てることなど絶対にできない世界でただ一人の可愛い弟であった。

 だが――

 あの日、正巳と逢坂夏樹が胸倉をつかみ、睨み合っている場面を目撃して以来、正巳の身に迫る「危険」を知らせているようなシグナルはずっと点滅したままであった。同い年の友達とはいえ、正巳と逢坂夏樹の力関係はおそらく夏樹の方が上だということは、はたから見ていたら分かる。

――それにも関わらず、あの喧嘩の原因は一体、何なのだろう? 女の子の取り合いか何かが原因? 人に対して滅多に怒ったりしないあの正巳が友達に対してあんな……

 その時、麗子は自分の正面より、見覚えがあるシルエットが歩いてくるのに気づいた。

 途中にあるソープランドの看板の派手な電飾が、そのシルエットを照らした。

 逢坂夏樹だ。長身の彼の腕にはキャミソールから華奢な肩を剥き出しにした少女がしなだれかかっていた。

 夏樹が顔をあげた。彼も麗子の顔を、点滅する電飾の光の中で認めたようだ。

「誰? このおばさん、夏樹の知り合い?」

 麗子と夏樹の視線が交わっているのに気付いた少女が、麗子をジロリと見、乳房を夏樹の腕に押し付けるようにして言う。

「おばっ……!」

 麗子は絶句した。私はまだ23才よ――と、少女に向かって口を開きかけた時、夏樹が自らの腕に絡む少女の腕をほどいて言った。

「ダチの姉ちゃんだよ。俺にちょっと話あるみてえだから、お前は待ってろ」


 繁華街を抜けたところにある公園の噴水の前で、麗子は夏樹と向かい合っていた。ただ、近くにホームレスは寝ているし、少し離れたところのベンチにはイチャイチャと青姦寸前のカップルもいるし、足元は暗いのにスケボーの練習をしている数名の少年たちもいた。何より夏樹の彼女らしいあの少女が離れたところにいるものの、嫉妬のこもった眼でじっと麗子を見ているに違いない。

 誰にも聞かれない話にはならない、でも今しか聞くことができないと、麗子は夏樹に切り出した。

「この間、正巳と喧嘩してたよね。何が原因なの?」

「家族なんだから正巳に直接、聞いてみたらどうっスか。ま、あいつは絶対に言わないと思うけど」

 夏樹が薄笑いを浮かべているのが、月明かりの下でも分かった。逢坂夏樹はまだ正巳と同じ年の”少年”と形容できる年齢である。でも、彼のその顔つきや体つきなどは、もう完全に大人の男であり、麗子の背筋にゾクリと冷たいものが走った。だが、麗子は彼に再度問う。

「……どういうことなの?」

「姉ちゃんの前ではいい子でいたいってことっスよ」

「正巳が何かしたの?」

 麗子の胸中にザワザワとした嫌なものが広がっていく。まさに「危険」を知らせるシグナルが――

 麗子の狼狽を感じ取った夏樹は、ククッと笑った。

「まあ、あいつは何もしちゃいませんよ。何も……ね」

「一体、何なのよ? はっきり教えて!」

 声を荒げた麗子を夏樹は軽くあしらった。

「そろそろ、いいっスか? 女待たせてるんで」

 麗子に背を向けた夏樹に、話が終わるのを待ち構えていた少女が走り寄り、「お金まだ残ってるし、ラブホ行こうよぉ」と甘えた声を出した。

 立ちすくむ麗子の眼前で、彼らは再び繁華街の中へと消えていった。



「高校中退かあ……」

 これがスーパーの鮮魚コーナーのアルバイトに応募した正巳の履歴書を見た面接担当者の第一声だった。

 髪の毛をピッタリ七三分けにした30代半ばと見られる、鮮魚コーナーの責任者らしきその男性は今までのアルバイト歴について正巳に二、三質問した後、最後に仕事に対するやる気について尋ねたのであった。

――面接、ダメだったろうな……高校中退のこともちょっと突っ込まれたし、それにやる気なんてどうアピールすればよかったんだか……絶対、俺、テンパってたよな。

 面接時の自分を思い出して恥ずかしくなった正巳は歩きながら頭をかきむしった。

――でも、俺、変わるんだ。さっきの面接が駄目でも、他のところも探そう。姉ちゃんに頼りっぱなしじゃいけない。真面目に生きるんだ。真面目に……

 その時、正巳の心にザワッと嫌な風が吹きぬけていった。その風は、夏樹や照彦、我妻佐保までも、正巳の元に運んできた。

――でも、俺が真面目に生きるようになったとしても、俺の罪は消えないし、あの子の傷だって一生消えることないだろうな……

 表情を曇らせて地面に視線を落とした正巳であったが、「おい、正巳がいるぞ」という声に顔を上げた。

 照彦と町沢、そして彼らと良くつるんでいる少年たち6人がニヤニヤしながら、正巳のところに向かってきていた。パッと目を逸らし、足早に通り過ぎようとした正巳であったが、彼らに立ちふさがれてしまった。

「久しぶりだなぁ、正巳。お前、何だよ、その真面目そうなカッコ」

 にやつきながら、照彦が言った。

「……もう俺のことは放っておいてくれよ」

「『放っておいてくれよ』だってよ。なあ、町沢、どうする?」

 照彦の言葉を受けた町沢が口にくわえていた煙草の煙を、正巳の顔に向かってフッと吹き付けた。

「何すんだよ?!」

「うるせえよ。ムカつくんだよ、お前」

 正巳と町沢が睨み合っているのを、側で照彦たちがニヤニヤしながら眺めていた。

「町沢、こいつの姉ちゃんって結構可愛いよな。化粧濃くてちょっとケバイけど」

 今のこの状況に、油を注ぐような照彦の言葉。照彦より麗子のことを聞いた他の少年たちの瞳が輝き始めた。

「姉ちゃん、見てみてえな」「あ、そうだ。こいつの携帯に姉ちゃんの写真あるんじゃね?」

 少年の1人が正巳のズボンの尻ポケットに入れていた携帯に気づき、抜き取った。

「やめろ! 姉ちゃんには手ぇ出すな!」

 正巳は奪われた携帯を、少年の手からバッと奪い返した。

 正巳の剣幕とその素早い動きを目の当たりにした少年たちの「何、こいつ、シスコン?」「きっも~」という言葉が、頬を紅潮させた正巳の耳に飛び込んできた。

 そして次に飛び込んできたのは、「こいつ、口止めにマッパにして写真撮らねえ?」という町沢の声であった。

 町沢の声を合図としたかのように、次の瞬間、正巳の腕は押さえつけられ、上着に、ズボンのベルトに、彼らの手がかかってきた。彼らのギャハハという笑い声の中には、「今日はナツいねえけど、やっちまおうぜ」「絶対にチンコ小せえだろ、こいつ」「タコさんウィンナーレベルじゃね?」という野次も飛び交っていた。

「やめろよ! お前ら、いい加減にしろって!」

 正巳は彼らの手から逃れようと必死でもがくも、5人もの少年に押さえつけられているため勝ち目はなかった。正巳のベルトは外され、ズボンも膝まで下げられてしまった。

 町沢がププッと吹き出しそうになりながら、今にも全裸にされんとする正巳に携帯のカメラを向けていた。

 ついに照彦の手が正巳のトランクスにかかった時だった。

「てめえ! 何、見てんだよ!」

 突然の町沢の怒声に全員の手が止まった。

 町沢が睨み付けている視線の先には1人の少年が立っていた。

 俳優かと思うくらい整った顔立ちをし、サラサラの髪の毛の艶が夏の日差しを受けて輝いているその少年は、中牧東高校の制服を着ていた。

 その少年の姿を認めた正巳は思った。

――あの人、きっと今に逃げ出すぞ。こんなことに関わりたくないってさ。誰だって自分が可愛い。誰も俺を助けてなんてくれやしないんだ――

 だが、正巳の予測に反し、その少年は正巳たちのいる方角に足を進めてきている。

 町沢が「なんだ、やる気か? あン?」と、指をペキペキと鳴らし始めていた。

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