死神少女1



    ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 ところで、彼女のその名を知りたくはないかい?

 この希望の町に現れた、悲しい運命を背負う少女のことをね。

 彼女の名は──



     ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 ──あの時。

 霧が晴れた直後の朝は冷え切っている。霧は前日に太陽がもたらした暖かさをすべてきれいに取っ払ってしまい、その上で自らが持つ冷たさを空気にこつりつけてから去り行くのだ。そんな時分にハンスは孤児院へ返す物を返しに行った、あの日の事。

 テースが孤児院でハンスから鍋を返してもらったあと、セーラから頼まれた品物を雑貨屋へ買いに行った時にコールの運命が決まってしまったのかもしれない。

 テースはどこで誰が見ていたかを知らないわけじゃなかった。むしろ彼女は全てを知りつつ、敢えて何もしないのだ。彼女の肩に留まっている黒雀もただ黙ったまま、自分の羽をくちばしでつついている。驚愕と怯えと希望と絶望と喜びが複雑に絡み合って一つとなった視線を、まるで弱々しい風のように気にせず、彼女は雑貨屋へと入っていた。視線の主はただ見ているだけに留まり、それ以上は踏み込めなかった。


「では、これで失礼しますね。今日も一日がんばってください」

「あいよ。朝からテースちゃんの顔が見れたから、今日も一日頑張れるさ」


 軽い挨拶の声は、少年の位置まで届かなかった。

 神官学校へ向かう途中でテースを──死神を見かけてしまったロハンは、ずっと彼女をつけていた。

 雑貨屋から出てきた少女に声を掛けるべく近付いていったが、途中で足が止まってしまった。


 ──近寄れない。


 本能の奥底で、これ以上足を動かすことを拒否する強大な意志が働いていた。

 それも当然ではあった。彼女は今でこそ人と差はないが、その本性は死を司る神である。生を基とする人間が、その正体を知りつつ近寄るなどできるはずもなかった。

 ロハンは歯ぎしりしながらも、なお彼女を追おうと手を伸ばすが、結局その行動も徒労でしかなかった。

 その時、テースが出てきた雑貨屋から一人の女性が出てきた。

 どことなく楽しそうな雰囲気があった。


 ──気に入らないな。


 そうは思ったが、その女は死神がいた店から出てきたのだ。彼女の正体へさらに近付くには欠かせない人間なのだろう。と、ロハンはいつの間にか自由になった足を動かして、女──ドリスへと歩み寄る。ドリスはロハンに気付くと、眉を寄せた。今のロハンは神官学校の制服こそ着ているが、一昨日、昨日から続く出来事のせいで、頬は痩せこけ、目には隈ができていたせいだろう。澱んだ両目でドリスを睨む。

 無意識だったのだろうが、ドリスは一歩だけ後ろに下がった。綺麗に整った顔に、不安の色がうっすらと化粧をされる。それだけで優位という名の優越感に浸れたのだが、彼の心はそれで満足できるほど渇望してはいなかった。


「彼女の名前はなんだ!」


 唾を飛ばしながら叫ぶ。


「な、なにを言ってるのよ。ち、ちょっと、近寄らないで」

「うるさい、今、そこの店から出てきた彼女の名前はなんだと聞いているんだ」


 ロハンがドリスの髪を掴み、無理矢理引き寄せた。

 ドリスは身の危険を感じ全力でロハンを突き放す。軽くよろめいて、数歩後ろに下がったロハンはいきなり凄まじい怒りの形相を浮かべたかと思うと、ポケットから細長く巻かれたハンカチを取り出した。ハンカチを取るとそれがナイフだとわかり、ドリスは小さく悲鳴を上げた。


「こっちは急いでるんだよ!」

「ひっ……」

「答えないと、刺すぞ!」

「ひっ、ひ……!」


 女の両目から涙が流れてきた。叫べばきっと夫が助けに来てくれる。だけど、どうしても声が出なかった。恐怖で身体が動かないのだろう。


「答えろ、答えろよ!」

「──きっ」


 そして、ドリスは悲鳴を上げた。

 ほんの僅かな間だけで、誰もが気付かなかった。

 ロハンは悲鳴を上げたドリスに驚き、そうして彼女をそのナイフで刺してしまった。妹の命を奪った、そのナイフで。

 ゆっくりと、女性の身体がくずおれていく。

 霧で湿った道路に、紅い液体が広がっていく。

 これで、二度目。

 段々と、心の奥底にある柱ががらがらと崩壊していっている気がした。

 ここまで来てしまったら、もう後には引けない。

 ドリスの肩に刺さったナイフを引き抜いた。

 ──もう、戻れない。

 レテーナの優しい笑顔だけが彼の心の中に残っていたが、それすらも踏みつぶして彼は雑貨屋の扉を開いた。

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