望まない神様5
そして、アンドレアフはぽかんと口を開いた。
よく見覚えのある家。
むしろ昼間に来たばかりの家だった。そこで衝撃を受けて去ったはずの場所の前にアンドレアフは再び立つことになったのだ。ここの来る途中で「ハンスくんの家に近いのか?」とは思っていたのだが、まさかハンス本人の家だとは想像していなかった。
アンドレアフは天才少年少女の二人の顔を見る。ハンスはこんな二人と友達だったのだ。一体彼は何者なのか、俄然興味が湧いてくる。もしかしたらハンスもまた何かしら非凡な才能の持ち主なのかもしれない。
「そりゃまぁいいとして、なんていうか」
アンドレアフは呟く。
「偶然ってのは、続くもんなんだなぁ……」
老人の声が耳にまで届いたのか、アンジェラとオットーが不思議そうな顔をする。
オットーが戸を叩くと、ハンスの弟が顔を出してきた。
「あー! 変なおっさん!」
ペーターが指さして怒鳴るのを、アンドレアフはこめかみを手で押さえて聞いていた。
「……へ?」
案の定、アンジェラとオットーの二人がアンドレアフとペーターへ交互に視線を送る。
「あ、オットーさんにアンジェラさん、それにアンドレアフさん、いらっしゃいです」
ペーターの背後からリカがおずおずと出てきて、ぺこりと頭を下げた。相変わらず正反対の性格をしている兄妹だった。
「あ、こんにちは。あの、アンドレアフさん、ハンス……くんとお知り合いなのですか?」
アンジェラがそう訊ねると、自分でもよくわからないがばつの悪い思いをして、苦笑しながら肯定する。
「ああ、まぁ、だから偶然ってのは怖いなぁと」
「さっきは続くもんだって」
「細かいことは気にしない」
「おまえら! みんなでここを攻めにきたんだな! アンジェラおねえちゃん以外!」
「……」
どこまでもストレートに感情が出せる子供が羨ましいと本気で思いつつ、アンドレアフは用件を言う。
「もう一回、ハンスくんに会わせてくれないかなぁ?」
「私達、お見舞いに来たの」
前屈みになり、子供達と目線を会わせたアンジェラの言葉に、ペーターの顔が明るくなった。
「お、ほんとか!」
「ありがとうございます~」
兄の無礼なところを妹がまかなうように、リカが礼を言った。
「でも、まだハーにぃはあのままなの……」
「そうか」
「アンドレアフさん」
彼の表情を鋭く読みとったオットーが声を掛けてくる。
「ハンスがどうなってるのか、知ってるんですか?」
「ああ。とはいえ、本当にどうなってるかなんてわからなかったからなぁ、医者だけ手配して昼間は諦めたんだ」
「それは、どういう──」
「おっと、アンジェラさん。わしが説明するより、見た方が早いですよ。それに、彼のご友人であるあんた方のほうが、彼に刺激を与えそうだ。その代わり……何が起こっても騒がないで欲しいんだがなぁ」
その物言いに神官学校の生徒二人は何かを察したのか、顔を険しくしながら小さく頷いた。
ペーターとリカが三人を部屋まで連れて行き、そうしてハンスの部屋に入る。
彼のその様を見て、友人である二人は絶句した。
彼の状態は昼間となんら変わりが無かった。まったく身動きもせず、心ここにあらず――いや、そこにいるのは本当にハンスだろうか。ハンス自身はどこかにいってしまい、ここにはただ肉の器だけが残っているのではないか。そんなことをつい考えてしまうほど今の彼は客人達を相手にして一切動くことがない。
「ハンス……」
二人が声を掛けても一向に反応のないその姿は、やはり衝撃だったようだ。特にアンジェラは何度も何度もハンスの名前を呼び続けた。オットーが制止して、ようやく止めたほどだ。
「アンドレアフさん……これは、一体……」
なんとか気丈に振る舞おうとしているか唇を震わせているアンジェラを支えながら、オットーが視線だけを向けてそう訊ねてくる。
「わしにもわからんさ。ただ、それでも察することはできる。ハンスくんは何か恐ろしいモンを見てしまったのではないかな?」
「恐ろしいもの?」
「違う、か……? 頭部に強い衝撃を受けたわけでもなさそうだし、だとするならば問題は精神面ということにならんか。ショックでこうなってしまっているんだなぁ、おそらくは」
「……ハンスくん……」
名前を呟いてから、アンジェラはふいに涙を零した。
「……まぁ、しょうがない、よな」
「そのお嬢さんは──ああ、なるほど」
「そーゆーことです。……しっかし、ハンス、本当に聞こえてないのか? 医者は?」
「医者には見せたかい。手配した医者が来ただろう?」
流れるようにアンドレアフが弟妹に尋ねると、二人は首を左右に振った。
「まだ診せてないのか。これから医者連れてくるか」
「ちがうよ、お医者様きたの」
リカの言葉に、三人が振り向く。
「だけど、いまはほうっておくしかないって言われたの」
「なんてこった」
ばしんと額を叩き、アンドレアフは呻いてしまった。──よもやここまで重傷だとは。手配した医者というのは昔からの知り合いだ。腕だけは確かだと思っていたのに、これは後で詳しく話を聞いておかねば。
その時だった。
コンコン、と、玄関の扉を叩く音がして、ペーターとリカが一階へ駆け下りていく。
「とりあえずハンスはきちんと入院させたほうが良いんじゃないか?」
アンジェラは軽く頭を振ると少しずつ現状を受け容れられたようで、ついでに冷静さを取り戻してきたようだ。
「そうね……、ハンスがこの調子じゃあの子達の面倒も見れないし。そういえば、近くに孤児院があったわ。一時的に──ハンスくんが回復するまでそこに入れてもらう?」
「ああそういえばセーラ様の……そうだな、それが良いと思う」
「あ~。お二人さん、ちょいといいかね?」
アンドレアフが二人に声を掛ける。
「孤児院に入れる云々は、まぁ、いいんだが……それよりもちょっと聞きたいことがあるんだよ。わしはハンスくんと知り合って間もない。けど、君達はそうじゃないだろう。そこで、ここ最近のハンスくんの様子を聞きたいんだが」
「ハンスの?」
「何か、こう、少しおかしかったとか、そんな些細なことで構わないんですよ。ああ、その前にわしがハンスくんと知り合ったくだりから話した方がいいかねぇ。公平を期すために」
アンジェラとオットーの二人に、アンドレアフはこれまでの経緯を話した。おそらくはハンスという少年が彼の調べている今回の事件に深く関わっていると考慮した結果だ。
まずショパンズ家の事件を記者である自分のことから話し、そして次にコール氏のこと、その二つの事件の関連性など、知りうる限りのことを話した。そしてハンスがそれらの事件を調べている途中で自分と知り合ったことという風に続けた。二人は黙って聞いていたが、アンジェラだけはコールの名前が出るたびにわずかに表情を変化させていた。どうやら知り合いらしい、と心の中で呟く。
「ハンスは、ショパンズ家を調べていた……」
どうしてそんな事を、とあからさまに顔に出しながらオットーはハンスを一瞥した。相変わらず外を眺めているハンスは三人のことなど元から存在しない、空気のようなものだとでも思っているのだろうか。それとも彼らを耳障りな雑音だとして、鬱陶しいと頭で毒づいているのだろうか。変化の無い表情からは人間観察に長けた老記者ですら読み取れはしなかった。
「あの」
そこへオットーとアンドレアフには聞き覚えのない、アンジェラだけが覚えている声が流れてきた。
「ハンスさんは、ここに?――あ、初めまして」
神官学校の制服にも負けないぐらい白一色の服を纏う少女が、開いた扉の向こうで頭を下げていた。頭を下げたついでに長い金色の髪がさらりと流れる。
「私、テースと申します。ハンスさんとはちょっとした顔見知りでして、病気だと聞いたものですから慌てて来たのですが」
「あ、ああ……そうですか、そりゃぁ、ご親切なこって」
あまりにも唐突過ぎた。その少女の出現に唖然としながら、アンドレアフも頭を下げる。
「あの弟さんと妹さん、なかなか中へ入れてくれませんでしたね。兄思いの良い弟妹です」
「あったりまえだぁ! 知らないヤツはそう簡単には入れないんだぞ!」
テースの背後からそんな大声がした。テースは微笑んでからペーターの頭を撫でる。小さな家の守手はそれだけで顔を赤くして黙り込んでしまった。
「テースさん、こんにちは。先日はどうもありがとうございました」
アンジェラが前に出て、小さく頭を下げつつ礼をする。オットーは心の中で二人の挨拶の意味にすかさず得心がいった。彼女がこの間、ハンスと一緒にアンジェラを病院に連れて行ったという少女だったのか。
「そんな。私は何もしていません。全部ハンスさんがあなたの為にしたことです。それよりも良かった、だいぶ調子が良くなったみたいですね」
「ええ、おかげさまで、すっかり良くなりました。元々大した怪我ではありませんでしたし。えっと、それで」
アンジェラが口ごもる。テースが小首を傾げた。
「あの、ハンスくんとは、その──」
「え? ああ、大丈夫ですよ。私はそういうのじゃありませんよ」
テースはにっこりと笑う。
「私はお医者様ではないので、診断はしません」
(違うだろ)
オットーとアンドレアフが同時に心の中でつっこんだ。
「はぁ」
アンジェラも気の抜けた返事をする。
その三人の脇をすり抜けるようにして、テースはハンスへ近付いた。彼の肩に手を置いて、何事か囁く。
「重傷ですね」
ぴくりと、彼に反応があった。テースを除く、その場にいる全員が目を見張る。
今までどれだけ声を掛けても、どれだけ触れようとも動こうとしなかったハンスが、わずかに動いたのだ。
「まさか……」──というのは、アンジェラの呟きだった。この場にいる誰よりも信じがたい光景だと思っているのは他ならぬ彼女だった。
「私はお医者様ではありませんので、治すことはできません」
そう言いながら、テースはハンスの脇にしゃがみこむ。目線を合わせたのだ。
「様子だけを見に来ました。また後ほど、来ると思います」
それだけを言い残し、テースはもう一度頭を下げて、顔を上げ、微笑を浮かべた。
その一つ一つの動作が、三人の目を捉えて離さない。
不思議な魅力のある少女だった。
「それでは、失礼しますね」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
あんのハンスって奴、なんて羨ましいんだ。
俺っちはちょっとだけ嫉妬したね。あいつ、まるでテースのお気に入りじゃないか。しかしここでブチ切れてみっともない真似をしたら真摯たる俺っちの鼻がポキっと折れるってもんだ。ここは我慢して大人の余裕を見せつけてやろうじゃないか。
羽休めも兼ねて枝から室内を見下ろしていた俺っちは、テースが部屋を出て行ったのを見送った後、いつでも飛べる準備をした。扉から出てきたら即座に肩へ乗るためだ。
出てきた。羽を広げて華麗にテースの肩へ降り立つ。
「終わったよ」
テースは俺っちを呼んだ。
なんとまぁ、そんな表情しないでくれよ。あんたがどう思っているのか察することぐらいはできるがな、俺っちはあんたを慰めるこたぁできやしない。そもそも慰めなんて求めてないだろ? だったら無駄さ。それにあの坊主だって起きるかどうかわかりゃしない。
「起きますよ。要はきっかけです。ただ名前を呼ぶだけじゃダメなんです」
断言されてしまっては、それ以上の発言はできやしない。
「ハンスさんは今、暗い闇の中にいます。それは眠りにも似た空間です。似ているのなら、対になる空間も存在するんですよ。眠りと対になるのは目覚め。目覚めに似た空間へ行きたいと思いませんか──ねぇ、ハンスさん。私は、どうしてこんなことを望んだんでしょうか。あの時、私は全てを望まないと、決めたのに」
空を飛ぶのは気持ちいい。だがな、人間は空を飛べないんだ。どうやっても羽ばたけない。それはな、翼を持つ者か、選ばれし者のみの特権なんだよ。
「うん、知っている。私はそれを知っている」
あんたほどそれを知っている奴は他にいないだろうさ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
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