望まない神様4

 たった二日前に来た家をもう一度訪れることなど、長い記者生活の中ではざらにあることだ。

 アンドレアフは一つの疑問を解消すべく──そしてその疑問が想像通りならこの事件に解明の光が差すだろうことを確信しつつ──レテーナ嬢の下に訪れたのだ。

 中へ案内され、レテーナ自身から出されたお茶に手を伸ばす。アンドレアフは茶を啜り、芳醇な香りが口の中に広がるのを楽しんだ。


「美味い。なるほど、さすがは名家に仕えていただけはありますな」


 お世辞といわれればそれまでだが、しかし素直な感想でもあった。澄み切ったような後味の無さはまるで彼女自身の人柄を顕しているのではないかとも思えた。


「いえいえ。私なんてまだまだです。先輩方はもっと上手なんですよ。その紅茶は幸せの赤という最近流行のお茶なのですが、先輩方が入れればより一層香りが立ちます」

「なんと、これ以上とは。いやはや奥が深いですねぇ」


 ゆっくりと首を振りながらカップの中を覗く。深い茶と赤が混ざり合った色は見ているだけでも楽しかった。


「それで、今日はどんなご用件でしょう?」


 レテーナが訊ねてくる。記者が訊ねてきた時からある程度は察しているのだろう、穏やかな空気の中に緊張を隠しているのを読み取ったアンドレアフは笑みを絶やさずに彼女へと顔を向けた。


「一応、この間で答えられるだけは答えたつもりでしたが……」

「いやいや、そう構えないでください。ちょっとした確認ですから。この歳になるとどうにも頭の回りが悪くなるんですよ。まったく、困りものです」

「そんなことありませんよ」


 笑うレテーナの顔はとても綺麗だった。身のこなしはもとより頭の回転も早そうだ。元々素養のある人間だったのだろう。このような女性を簡単に雇えるほどショパンズ家は名家だったということになる。礼儀作法も完璧にこなし、相手の思うことをいち早く察知し行動する。おそらくショパンズ家に雇われた召し使い全員が彼女のように超一流だったのだのではないか。


「もう一度だけ、ショパンズご夫婦が倒れられていたところを思い出してほしいんです。そう、倒れられていたというより、ご夫婦の表情を、ですな。あくまで見ていればなんですけどね」

「表情……ですか」

「ええ。もしお辛いようでしたら、無理に思い出していただかなくとも……」

「──いえ」


 その美麗にわずかな青みを差しながら、彼女は否定した。

 思い出したのだ。あの時のことを……。


「そういえば……」


 アンドレアフは身を乗り出しそうになった。しかしそこを堪え、彼女の言葉に集中する。


「あの時、ショパンズ様と奥様は──笑っておられました」

「笑っていた、と?」

「ええ。なんというか、そう、思い出してみればそうです。あれほど嬉しそうな表情で死ぬ……有り得ませんよね、そんなこと」


 笑っていた、というのは一つのキーワードだ。死を受け容れ死したにしても、死を望む状況とは一体どういうことだろうか。


「そうですか。つまり、恍惚とした顔だったんですな?」

「──はい。言われてみれば、その通りです」


 アンドレアフは自分の胸の中に頑として聳えていた壁の一部が決壊する音を、確かに聞いた。


「ありがとうございました。それだけ聞ければ、あとは十分です。ちなみにこの事は警察には?」


 例え言わなかったとしても、現場を調べたのだ。警察が知らないはずもない。


「いえ、今まで思い出せなかったので──どうしてでしょう。こんな印象的なことを忘れていたなんて」

「まぁ、ショックでしょうねぇ。人間、強いショックを受ければ一部の記憶が飛んだって不思議じゃぁない。そんなもんです。それでは失礼致します。紅茶、ごちそうさまでした」


 頭を下げてから家を出て、そうして太陽を見上げて大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。

 ──繋がった。

 コール氏の事件とショパンズ家の事件に、ようやくはっきりとした繋がりが見えた。


(人が嬉しそうに死ぬなんて、そうそうあることじゃないだろ)


 彼らの死因は自殺となっているが、これで他殺の可能性が出てきたと言えなくもない。しかし、その表情の語ることは死を望んでいたそれではないのか。だとすればやはり自殺なのかもしれない。


(──まぁ、何にしろ)


 まずはショパンズ家の構成員を記録したページを開き、もう一度洗い流してみる。

 ショパンズ夫妻は死亡。八歳になったばかりの娘は両親に殺されたらしいことまではわかっている。この家族唯一の生き残りであるロハンという十六歳の息子が現在行方不明となっている。

 ロハン・ショパンズは神教官府立神官学校高等部の二年生である。二日前に殺人未遂事件(今は半分殺人容疑となっている)を起こし、さらに逃走中。三日前といえは、ショパンズ夫妻が死んだのは三日前らしいという警察の解剖結果がでていた。この事件を知る唯一の生徒が失踪したのはやはり痛い。彼こそ全ての事実を語る少年だというのに。


(しかし、これもまた腑に落ちないな)


 これだけロハンが中心に食い込んでいるのに、どうして今まで彼の名前が挙がってこなかったのだろう。いくら歳を取ったからとて、アンドレアフにも長年の勘と知識、経験がある。もっと早めにロハンに当たるべきだったはずなのだ。

 まるで、誰かが故意に意識を操作したみたいである。


 ──そういえば、と彼は思い出した。


 一昨日、ハンス少年と一緒にレテーナ嬢の自宅を訪ねたときに、妙な感覚に襲われた。

 あれは──ハンスが何か鋭い意見を口にした時だった。

 なんともいえぬ寒気が背中を走り抜け、アンドレアフは本能的に危険を感じたのだ。どうやらそれはレテーナ嬢も同じだったらしく、二人してハンスを見てしまった。あの時、その感覚に襲われなかったのはハンスだけだったのだ。

 どうしてハンスだけが、という疑問よりも先に、どうして『事件を混乱させるような感覚』がアンドレアフに生まれてしまったのかというほうが気になった。ただの偶然としか言いようがないのだが、気になるものは仕方がない。そしておそらく、未だに自分でも気付いてないところでその感覚が邪魔をしているのだろうことも朧気ながら予知していた。

 ──しかも他人には言えないその予知は正しかった。


「まずは神官学校でも当たってみるか」


 本来、神教官府立神官学校へ一介の記者が話を聞きに行くなどもってのほかである。神教官府が一切を認めていないのだ。秘密主義という意味ではなく、神教官府並び、神教官府へ勤めるための勉強をする神官見習い以下の生徒は一般市民とは別なのだという示しらしかった。もちろん神官ではないアンドレアフはそこまで強い意識でその学校を神聖な場所として見てはいなかったが、やはり近寄りがたいといった意識はどこかしらにある。当然ながらこの市の多くを占める信者は一般市民とは別ということに異を唱えることはしない。警察や記者にも信者が数多くいるので、神官学校への事情聴取やインタビューはほとんど行われないのが通常だった。

 だからこそ余所の土地から来たアンドレアフはそこを狙う。彼はこのケープ市の人間と比べてそこまで信心深くは無い。

 といえどさすがに直接学校へ行くのはまずい。下校途中の生徒を掴まえて話を聞くのがいいだろう。

 神官学校のケープ大通りへ続く通りのところで張っていると、二人の男女生徒が通りかかった。

 アンドレアフはその二人に声を掛けることにした。


「あー、ちょっといいかい?」

「はい?」


 男子生徒のほうが振り返る。背の高い生徒だった。ふと、見覚えがあるな、と思って記憶を検索してみると、その生徒はつい昨年に陸上代表として外の町まで遠征に行ったというオットー・エアハルトであった。


(なんと……)


 内心で驚きつつ、その隣を歩く女子生徒にも目をやる。彼女にも覚えがあった。この国の首都で行われたジュニアピアノコンクールで優勝したアンジェラ・アデナウアー本人だ。

 二人ともその道の天才と称されている。

 ──凄い二人に声を掛けてしまったもんだ。

 幸運かどうかはわからない。なんにしろ事件についてインタビューするのが惜しいと思ってしまうぐらいの二人ではあった。──ついでだから後でその話も聞いてみるか。


「ちょっととある事件を調べていましてねぇ。この付近の人に話を聞き回っているんですよ」


 自分の名刺を渡すと、二人はきょとんとしながら「はぁ」と返事をした。


「ロハン・ショパンズという少年について、聞きたいんだが」


 その途端、オットーの顔が凍り付いた。

 オットーが左手で右手をさすっている。彼の右手には包帯が巻かれていた。


「あ、ああ、無理に答えてもらう必要はないんだよ」


 慌ててそう言うと、アンジェラはその美しい顔に微笑みを浮かべ「いえ、そんなこと」と言ってくる。


「ショパンズさんについては、私達もよく知らないんです」

「ほう」

「ただ……記者というお仕事をされておられるならご存じでしょうが、なにかしらの事件を起こしたらしいことは」

「ええ、まぁ、ちょっとは」


 ──何の事件を指しているのだろう。


「その事件について、もう一回おさらいしてみようかと思っていたところなんですな。いえ、だからといって記事にはしませんよ」


 神官学校が隠しているかもしれないことを記事にして新聞に載せれば、それこそ勤めている新聞屋はたちまちのうちに潰されてしまうだろう。神教官府の力は、このケープ市においてそれ程のものだった。


「できればこちらから余計な先入観を与えずに、生徒側の話を素直に聞きたいところなんですなぁ。よろしければ、簡単で良いので、話していただけませんか?」

「はぁ……」アンジェラが救いを求めるようにちらりとオットーへ目をやる。オットーは肩をすくめてから「いいですよ」と答えてきた。

「ただ、こちらも用事があるんで、簡単になんですけど」

「ええ、結構です」


 アンドレアフはメモ帳とペンを胸ポケットから取り出した。


「まぁなんていうか、俺たち生徒も先生の口からはっきりとした説明は受けてないんですが、それでも噂話ぐらいは流れてくるんですよ」


 集団の中の噂は、矢が飛ぶより疾い。──アンドレアフも商売柄よく理解していたので同意を込めて頷いた。


「その、ショパンズの家で一家自殺が行われたことは、新聞にも載ってたからいいんですけど、ロハンが三日前に学校へ来ていたんです」


 ペンを落としそうになった。動揺を悟られまいとしてすぐに持ち直し、ペンを指先で一回転させる。


「そんで、三年生をナイフで刺したっていう……生徒が死んだっていうのも、新聞で載ってましたよね。まさか、それですか?」

「あ~。詳しくは言えないんだけど、まったく関わりがないってわけじゃないんですなぁ。それで、そのロハンという少年は今どうなって?」

「ああ、その後はわかんないんですよ。俺の友達が見たって言ってたけど、そいつ、今日学校に来なかったんで」

「ほう、お友達が?」

「ええ、まぁ、そうなんですけどね。なんにしろ、そのショパンズはもう学校なんかにいないでしょう。捕まったんじゃないんですか?」

「さぁ、警察はウチら文屋には何も話してくれませんからなぁ。ところで、そのお友達っていうのは?」

「ああ……会いたいんですか?」

「ちょっと話を聞くだけで良いんですけどね」

「うーん」


 今度はオットーからアンジェラに確認するような目を向けた。アンジェラは少しだけ困った表情を浮かべる。


「今から見舞いに行くんですよ、そいつの家に。だから、どうかなって」

「ああ、なるほど。様子を見てから話を聞けるかどうか判断して、聞けるようなら手短に聞くというのは、ダメですかねぇ?」

「うう~ん。まぁ、それならいいかなぁ」

 アンジェラも小さく頷いた。不安の色こそ隠してないが、一応了承といったところだろう。

「じゃあ、その家に案内してください」

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