望まない神様2

 みずぼらしいアパートから出て、日光を浴びる。背を伸ばして肩を回した。気持ちよい風が流れて往き、やっぱり平和が一番だと思い直す。

 腑に落ちない事件なんてものは、結構そこら辺にあるものだ。

 とはいえ腑に落ちないどころか、ここまでホラーじみた事件を調べるのは初めてである。スティーブは第一発見者の話を聞いている間、背筋に寒いものを感じざるえなかった。──もしかしたらこの事件は通常の事件とは一線を画す恐るべき真実が隠れていないか。


(恐るべき真実か……俺は、それを)


 真実を突き止め犯人を捜し、逮捕することこそ刑事の仕事だ。

 ──だが。




「あれ」


 直視できないほど眩しい太陽へ手をかざしながら目を向けてみる。その時、視界の端に何かが入り込み、軽く驚いてから目を動かした。アンドレアフが今から訪ねようとしていた『第一発見者の家』の前に一人の刑事が立っていたからだ。

 ふと、あの少年の事を思い出した。


「むぅ」


 今度は先を越されたか、とぼやきながら刑事に向かって歩いていく。あの後出会った刑事のことを少々調べてみたのだが、確か名前をスティーブというらしい。業界の噂では敏腕刑事と囁かれているが、さてその腕前はどの程度だろうか。

 先程の奇抜な家の前では上手く誤魔化されてしまったが、今度はそうもいかないと意気込んだ。ここらで人生の先輩として一本取らなきゃ若い者になめられちまうなと、アンドレアフはにやりと笑った。


(まだまだ闘争心はあるもんだ)

「よう、刑事さん。また会いましたねぇ」

「……あんたか」


 今度は反応があった。


「奇遇ですなぁ、はっはっは。で、収穫の方はどうでした?」

「収穫? なんのだ?」

「いやいや、ご謙遜なさる必要はありませんよ」


 そこで一拍置き、アンドレアフは続けた。


「ショパンズ家の事件と、今回の雑貨屋主人の死亡、何かしらの繋がりがないか、と探っていたのでは? しかし、手掛かりはない。それはこちらとしても同じでしてねぇ」

「記者は警察の発表をそのまま記事にしていればいいだろう」

「いやー、そのほうが楽なんですけどねぇ」


 悪く笑った後、アンドレアフは続けた。


「とりあえず裏ってのを取らないといけないんですわ。会社の方針でして」

「ならば、俺に話しかけることもないだろう」

「しかし、あんたとこっちは考えが一致している」


 じろりとスティーブが睨んできた。結構迫力がある。


「なるほど。情報交換を持ちかけたいわけだ」

「そうそう、さっきは誤魔化されましたがね、わしの目的は最初からそれなんですよ。記者ならではの情報と、警察ならではの情報交換が必要と思いましてね」

「論外だな。一般人は出しゃばるな」

「これは手厳しい」

「だが、喉が渇いたな」

「喉?」


 なにを突然意味不明なことを、を訝しんでいると、スティーブは顎でそこを指した。


「そこのカフェテリアは人が少ない。……少し休んでいかないか」


 してやったりと、アンドレアフは心の中で万歳した。




 刑事との情報交換はある意味において有益であったが、重なる部分も多く、新たな情報としてはそれほど使えなかった。

 だが、あの若手刑事に驚かされたのはそこではない。あの刑事の考えそのものが情報の中に見え隠れしていたのだ。


(狙ってやってんだろうなぁ)


 それも鋭い刃で情報を抉った結果の意見だったので、新たな情報より刑事の心から発せられる言葉にアンドレアフは興味を持った。死体となったコール氏の第一発見者から聞いたことと、ショパンズの館には何があったかということ。普段なら警察が街の新聞屋に話すものではないのだが、何故かあの刑事は乗ってきたという形になる。

 それらによると、今回の事件は全て他者の介入によるところが多い、となる。当然目撃情報もないし、世間一般に公開されている内容では実質上自殺と銘打ってある。記者としてはその公開された情報を記事として使うしかないわけで、無理にでも真実らしく書かなければならない。だがそれら全てを違うと否定し、あの刑事は調査に乗り出しているのだ。若い者の勘か、あるいは──


(若手、といえば)


 あの神官学校で新聞の真似事をしていると言っていた少年。意外にも鋭いところがあったので、もしかしたら今頃、事実の一端を掴んでいるのかもしれない。素人の、しかも子供に先を越されてしまうのはプロとしていかんともしがたいのだが。


「警察がちゃーんと事件を解決して発表してくれると、ある意味で楽なんけどねぁ。あ、仕事が無くなるか」


 警察ばかりをあてにするわけにもいかないので、とりあえず例の少年を訪ねてみることにした。もしかしたら自分とは違う視点で物事を見ているかもしれないからだ。他社の記者と少しでも差をつける為には、どんな地道な努力も惜しんではならない。

 彼は愛用のメモ帳を取り出して、彼の住所が書かれている項を開いた。

 住所を確認すると意外とここから近くに家があることに驚いた。そういえばと思い出す。一昨日、彼から住所を聞いた時に近くだと驚いたばかりではないか。霞掛かったような情報を、頭を振ってしっかりとつかみ取る。


(……ボケ、かな。歳は取りたくないもんだねぇ)


 のんびりと歩いてその家までいく。

 兄弟だけで暮らしているとは思えないぐらい、普通の家だった。両親がどうしていないのか彼自身で語る事は無かったが、今日は聞かせてもらえるかもしれない。

 家の戸を叩く。

 反応が無かった。

 もう一度叩く。しばらく待ってみると、中から「はーい」という声が聞こえてきた。来た人が誰か確認するための小さな穴から覗いたのだろう、小さな少女の声で「なんかー、へんなおじさんがー」と言うのに反応する少年の声「なにぃぃ、だったらおれが退治してやらぁ!」──内容はやたらと物騒であった。思わず一歩後ずさる。


「あにぃがああだから、おれが家を守ってやる!」

「でもぉ、お医者様かもしれないし……」

「ンなわきゃないだろー!」


 どたばたと中から音がしてくる。


「あ~……なんつーか」


 ぽりぽりと頬を掻きながら、アンドレアフは言う。


「君たちのお兄さんかな、ハンス君は。ちょっとばかり用があってきたんだがねぇ」

「ほんとかー!」


 扉の向こうから念を押すような怒鳴り声。


「ほんとだよ。なに、ちょいと聞きたいことがあったからきたんだよ。すぐに帰るから、お兄さんを呼んでもらえないかね?」

「む~……」


 唸り声がした。悩んでいるらしい。


「わかったよ」


 扉が開いた。ひょいと中を覗き込むと、そこには小さな男の子と女の子がいた。男の子は頭に鍋を被り、バットを持って真正面に構えていた。女の子はその後ろで不安そうにアンドレアフへ目を向けている。


「もし何かしたら、ぜったいにゆるさないからな!」

(別に何もするつもりはないんだけどなぁ……)


 苦笑気味に「じゃあ、お兄さんを呼んできてくれるかね」と言うと、兄妹は顔をしかめた。


「……どうしたんだい?」

「あにぃは……部屋から出てこないんだ」

「出てこない?」

「きのうの朝から、ずっと変なの」

「どういうことかね?」


 首を傾げるが、二人の弟妹からはいまいち要領を得ない応えしか耳に入ってこない。


「……お兄さんのところまで連れていってくれないか」


 アンドレアフはハンスの部屋まで案内してもらい、戸を叩く。


「わしだ。覚えているかね?」


 返事はなかった。不安が頭を過ぎる。


「勝手に入らせてもらうよ」

「あ、何すんだよー!」


 ペーターの抗議を無視し、中に入る。

 そして声を失った。

 そこには椅子に座ったまま外を眺めているハンスがいた。呆然としているようであり、意識を失っているような。と思えば彼の目は時折風の流れに乗る葉を追いかけていた。意識こそあれその意識が伴うことはない。そんな状態である。まるで風景の一つと化している少年がとても奇妙であり、あるいはひどく自然に溶け込んでいるようでもあった。


「……ハンス、くん……」


 二日前とはずいぶん違うその姿に、アンドレアフは息を飲んだ。この少年の身に何があったというのか。


「声は、聞こえているね?」


 返事はない。


「君はショパンズ家のことについて調べていたよね。それについて君の見解を聞きたいんだがねぇ」


 まるで石像と話しているようだった。


「──ふぅ」


 それほどまでにまったく反応が無い。


「君たち」

「は、はい?」


 リカが返事をする。


「お兄さんは一度医者に診せたほうがいい。わしの方から手配をするし、金も出そう。いいな、きちんと医者に診せるんだ」


 言ってから、アンドレアフはハンスの意見を諦めてその部屋をあとにした。

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