こわい神様1
アンジェラは頭を強くぶつけていたものの、別段問題は無いということだった。医者のお墨付けを信じればの話だが、結局身体のことは医者が一番よくわかっているのだろう。
テースを孤児院まで送った後、ハンスはすぐにコールを探してケープ市を歩いて回った。あの状態の人間は危険だ。予想もし得ないことを起こす可能性が高い。何かを起こす前、あるいは巻き込まれる前に探し出さなければならない。警察に探してもらうのが最も手っ取り早いのかもしれないが、先程のこともある、とても頼る気にはならない。そんなこんなでケープ市を彷徨っている内にとあるところに辿り着いていた。
目の前に建つ壮大な屋敷。ケープ市でも有数の貴族であったショパンズ家はかつての威光を今もまだ失っていない様だった。屋敷を囲む塀は背が高く、ハンスの身長の倍ぐらいはある。ついでなので塀をぐるりと一周してみる。蔦の一つ張り付いていないところを見るとずいぶん丁寧に掃除をしているようだった。
異変があるとすれば、屋敷に群がる警官と野次馬、そして門に引かれた黄色いロープ。コールのことも気になったが、あの時警官が口にした『ショパンズ家』とは、やはりここだったのかと頭を振る。この屋敷は学校で生徒を刺したあのロハン・ショパンズの家である。
ロハンは持っていたナイフで人を刺そうとしたし、実際に刺した。もしロハンがあの雑貨屋に入ったならばあのナイフも一緒に持っていた可能性は高い。それでコールを襲おうとしたが逆に返り討ちにあって……というのはハンスの想像だ。想像である以上そこに証拠もなければ確証もないが、あくまでロハンが襲ったのにコールが無傷だったことを考慮するならば当然そういう考えに至る。
そしてあの間の抜けた警察官はあのタイミングで「ショパンズ」と口にしたのだ。ただの偶然だろうか。そもそもなんで警察がコールのことを調べようとしたのだろう。あの時点で警察があの雑貨屋で事件が起きていたのを知っていたというのだろうか。
ショパンズ家で事件が起こったのは間違いがない。ドリスのことも気になったが、雑貨屋の近くで人が刺されたという話は無かった。その後幾人かに話を聞いたが、やはりドリスの姿を見たという人はいなかった。ドリスがわざわざ人の目のないところを歩くとは思えないし、人が殺されれば騒ぎになるだろう。騒ぎになっていれば、これだけ訊ねているのだ、嫌でも耳に届く筈だ。
それともドリスは人の居ない場所へ引きずられ、殺された?
彼女も捜さなければならないだろうか、と思ったが、どこに行ったかわからない以上捜しようもない。コールだって依然行方がしれないのだ。同時に二人の人物を捜すなんてことは出来そうにもないし、何より今の精神状態にそんな余裕がない。
ならば先ずは気になっていることを調べるべきだとハンスは判断した。コールも散々探したが見つからないし、もしコールが刺した人間というのがロハンなら、この近くにどちらかがいないだろうか……?
──そして彼は、ここでドリスを忘れてしまった──
「あの~、すいません」
野次馬の一人を捕まえ、訊ねてみる。
「ここ、何があったんですか?」
「ああ、知らないのかい?」
顔を上げる腹の出た老人が、屋敷の奥をぼぅと眺めるような眼で答えてきた。やや草臥れたスーツが妙に気になり、ハンスはちらりと自分を見下ろした。神官学校の制服はそんなに草臥れていない。
「一家心中があったそうだよ。ここで」
「え、心中?」
「ああ、あのショパンズ家の家族が揃って心中だ。前日に召し使い全員を屋敷から追い出して翌日にはあっさりと。酷い話だなぁ、まったく。栄華を極めたと云われた家も、最近はめっきり景気が良くないなって話だったし」
「はぁ」
「追い込められていたんだろうなぁ。金持ちの感覚というのはわからんものだが、いきなり貧乏人になるのは耐えられなかったってことかね。いやはや、恐ろしいもんだ。それにしても……人っていうのは、簡単に死んじまうもんかね。はぁ、長年見てきたが、いまいちわからんもんだなぁ。まぁ、どちらにしろ俺にゃ良いネタに違いない」
まだ独り言を続ける老人の話をてきとうに受け流しつつ、ハンスは屋敷に集まった警官の数を数えた。多い。自殺というのは本当の話なのだろう。
「あの、発見されたのは?」
「今朝だよ。奇妙に思った召し使いの一人が、屋敷に戻って来たときに発見されたらしい」
「なるほど……」
(じゃあ、ロハンは一体どこに?)
ロハンも中で自殺してしまったのか。
昨日の様子は、確かに何かがおかしかった。平気で人を刺しておきながら罪悪感のない様子であったし、何より狂気の色を宿した双眸をしていたのだ。
自殺していたと言われれば、素直に納得しそうではある。
(あるけど……あの狂い方は『自殺しようとした』奴のそれとは違う気がするなぁ)
ロハンが生きているかどうかは明日の朝刊を待てばいい。
そうすれば生死の確認が取れる。
(……なんだか、そういうのは嫌だな……)
ショパンズ家の異常の所為で、ロハンがああなったとは考えられないだろうか。
──そこまで考えてみて、ハンスはため息をついた。
憶測だけで物事を考えてみてもそれが間違えだった場合はまったくもって意味がない。何かを知りたければ自分の足で歩き、事実を一つ一つ確認していく。まるで警察の仕事ではあったが、一番確実な方法でもある。
(召し使い、か。当たってみるかな。警察がいなきゃいいんだけど。いたら面倒だしなぁ)
警察の事情聴取をいまだに受けているとしたら、それが終わるまで待つしかないだろう。どこに住んでいるかさえわかれば直接訪ねられるのだが。そもそも見知らぬ少年一人にほいほいと話してくれるとも思えない。
先ほどの老人がメモ帳を開いて何かを書き込んでいた。
「その召し使いの人、今はどこに住んでるんですか?」
老人に、もしかしたら、という希望を込めて訊いてみる。
「ああ、十七番地区の二の八らしい」
「よく知ってますね」
「そりゃぁお前さん、こっちは新聞記者だからな」
「……」
「だから言っただろう、良いネタだって。こういうネタに飛びつかないとおまんま食い上げだからな」
げらげらと笑い出す。その下品な笑い声は妙に耳障りだった。
そんな笑い声の所為というわけでもないが、思わず口が開いてしまっていた。人は見かけによらないものである。どうりで詳しく話せるはずだと納得した。それを見た新聞記者はにやりと笑う。
「なんだ、神官学校の制服なのに、新聞記者の真似事でもするつもりかね?」
明らかに面白がっている。本物の記者に言わせれば、どんなクラブだろうと真似事になってしまうかもしれない。ハンスは焦り、両手を胸の高さに上げた。
「いえ、そういうわけでは──」
そこでハンスは一端言葉を止めた。
(いや……そうだな)
「ちょっとばかり、新聞記者というのに興味がありまして。学校でも新聞記者の真似事してるんです。今はこのショパンズ家にとてもひかれるものがあるんですよ。ほら、こんな有名な家なのに、こうして警察が大量にいたりするじゃないですか。記者に興味を持つってことは事件に興味を持つってことですからね。まぁ、所詮は学生のやることですから限度がありますけど」
「ほう、面白いな」老人は笑顔のまま「じゃぁ、少しだけついてくるかね」
「どこにです?」
「さっき言ったろう。第一発見者──その召し使いのところだよ。少々、伺いたいことがあるからな」
思っていた以上に好都合な展開になり、ハンスは心の中でほくそ笑んだ。
「はい、行きます」
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