傲慢な神様1
「コールさん、これください」
神官学校帰りの生徒がノート二冊と万年筆を差し出してくる。店の主人であるコールはすぐに値段を言って生徒から金を受け取った。
「二冊とは、また中途半端だね」
「ちょうど二冊足りなくなったんです。僕たちの授業、二科目だけ多めにノート取らないといけないから」
「なるほどねぇ。学生さんは大変だ」
白い学校の制服が出入り口の窓から差し込む夕日によって綺麗に染められている。その朱色は決して嫌悪するような色ではなく、むしろ一息付けるような温もりを見る者へ与えてくれた。夜を覆う霧もこの時間帯ならまだ落ち着いたもので、通りを見ればまだ行き交う人の姿が疎らに確認できる。コールは何度、この道を歩く学生達を見てきたことか。店を開いてまだ数年の若手ではあるが、気持ちだけはもう何十年も店をやっている気になる。錯覚かもしれないがコールはこのケープ市が好きだった。
「これも神の御許で働くためですから」
雑貨屋とはいえ、学生相手のいわば文房具屋だ。下町じみた空気はむしろこの店からも生まれているというのに、神官学校の生徒は店の中でこういうことを平気で言える。だからこそ敬愛なる神に仕えようとするのだろうし、仕えることも出来るのだろう。それは素質か、あるいは環境か、どちらかによって育てられた少年少女達が集まっている場所こそ、神教官府立神官学校の生徒達であった。実に喜ばしいことである。
コールはにっと笑って袋に入れたノートを差し出した。
「しっかり、勉強するんだぞ」
エールを贈ると、少年は穏やかに微笑んだ。
まるで神に仕えることこそ己が望み、進むべき道だと断言している様ですらあった。その日一日コールはそんな彼らを手伝える自分の仕事が誇らしいものだと踊るような心地よさで過ごした。
――実際、このケープ市で神に仕えることはとても喜ばしいことなのだから。
元教会、という響きだけでそこは尊厳な雰囲気を醸し出していた。
日課と化した早朝の散歩ついでに、コールは孤児院へ足を運んだ。ここの管理人と話をしておきたいと思ったからだ。こんな朝早くからは迷惑だろうか、起きているようなら訪ね、そうでもないようなら引き返そうと思いつつ孤児院を見上げる。
ここの管理人であるセーラは彼にとって不思議な存在だった。
そもそも過去においてこの孤児院こそ唯一の教会であり、町の中心であり、歴史であったのだから、ここに代々住んできた人間が偉大なる何かを感じてもさして不思議な事はないだろう。朝靄の中に隠れるようにして姿を現した尊大なる孤児院と読んでみれば、なるほど我々一般人が気楽に教えの道へ近付けるようになったのかもしれない。そういう意味において神教官府の行いは正当化出来る。そもそも曖昧だった教会の教えをきちんと一本化し、ケープ市の教えとしてくださったのは神教官府が尽力してくれたからに他ならない。彼らは真実神の使いだからこそこうして我々を導いてくれるのではないか。
「……なんてね」
ため息混じりにそう呟く。神教官府は決して否定すべき組織ではなくむしろ歓迎すらしていたが、それと同時にセーラという孤児院の責任者をも尊敬していた。セーラという女性は三年前、ここが市ではなく町だった頃に無理矢理自分達の教えを広めようとした神教官府に真っ向から立ち向かったというもはや伝説的な女性だ。しかし人々は神教官府を迎え入れ、それと同時に当時のセーラを尊敬してやまなくなった。神教官府とセーラという、誰が見ても互いを敵対視している両方を敬うところなど、この国の中に幾ら町や村があろうとおそらくはケープ市ぐらいしかないだろう。
孤児院の責任者となっても未だ司祭を名乗る――実際にはそう周囲に呼ばれているだけなのだが――女性だ。神教官府を許しているわけではないだろうが、三年前の反対運動から今までこれといった活動をしてきたわけでもない。おそらくは孤児院で手一杯といったところだろうか。やたらめったら反対運動されてもこのケープ市で生活している者にとっては迷惑この上ないが、お祭り気分で数年に一度見るのは良い刺激にならないだろうか。反対する方も、強行する方も、この街を、そして神のために行っているのだから。
──なんて、不謹慎かな。
「おはようございます」
まだ朝も早いというのに、その少女は起きていた。
「おはよう。朝早いんだね」
「ええ。早起きなんです」
にこりと可愛らしい笑みを浮かべる少女。
白一色というのはこの街において神官学校に通う生徒か、あるいは神職者の一部にしかいない。通常、街の人間であれば白一色というデザインを選ぶことはないのだ。しかし目の前の少女はまるで聖職者のような格好でそこにいる。綺麗な白には汚れ一つついておらず、流れるような金色の髪は朝の日差しに眩き美しかった。
「セーラ様にご用ですか?」
こちらは何も言っていないのに、心を見透かしたように彼女はそう言ってくる。
「ああ、中にいるかい?」
「はい。そろそろ出てくると思います」
「しかし、よくわかったね」
「ここ最近、しきりにセーラ様とお話しされてれば誰だってわかりますよ」
「ははは、そりゃそうか」
「あ、セーラ様がそろそろ来ますよ」
少女は頭を下げる。
「それでは失礼します」
「ああ」
コールもつられて笑顔のまま、言った。
「ありがとう、テースちゃん」
相変わらず重苦しい音を立てる扉だと思えば自然と気分が引き締まる。この孤児院はかなりの年代物だ。コールが子供の頃特別文化財産指定にすると国が発表したが、その時も猛反対に遭っている。しかしコールの記憶こそ曖昧だがあの時の出来事は三年前ほど過激ではなかった。その時もセーラは参加していただろうか。さすがに古すぎてその辺の記憶は曖昧だった。
「さぁ、こちらへ」
聖堂の横に張り付いた扉から中へと入る。子供達はまだ誰も目を覚ましていないのか、恐ろしいほど静かな空間は一歩一歩の足音が耳障りなほどだった。聖堂の中はグランドグラスから差し込むまだ弱い朝焼けの光のみが唯一司会を通してくれるだけで、基本的には暗い。それなりに気を付けて歩かないとここが教会だったという証である長机に足をぶつけそうになる。
この聖堂というよりも、孤児院そのものならば目を瞑ってても歩けるだろう背の高い老女はコールを扉から続く廊下の先へと案内する。しゃんと伸びた背筋は年齢を感じさせず、凛とした芯の強さを物語っているようだった。
「ここまでしなくても、軽い話のつもりだったんですけどね」
「子供達の事ですから、やはりきちんとした場で話したいと思います。たとえ簡単なことでも」
「あ、そうですか」
少し気まずい思いだった。それはそうだ。
(子供の人生を預かるっていってんだから、慎重に、真面目になるのは当たり前だよなぁ。まだまだこちらが甘かったってことだ)
養子を貰おう、と提案したのは妻の方からだった。
彼女は生まれつき子宮に問題があり、子供を成せない不自由な身体だった。それ以外は特に問題はなく通常の生活にはなんら不便は無かったが、結婚してから数年経ち、最近自分の身体の悲劇に嘆き始めてきたのだ。夫婦なのに子供ができなくてごめん、と謝られた時、コールは何も返事をしてやれなかった。そんなことは些細な問題だ、大したことはない、コールが勝手にそう思って口に出したとしても、彼女は謝ってくるのだ。一言二言では彼女の心を救ってやれない。
そんな時、彼女から養子の提案があった。コールは二つ返事で了承する。あんなに子供を欲しがっていた愛する妻の提案をどうして断ることができようか。これで心が救われるなら養子を迎え入れよう。彼女を助ける力となるなら、その子供も一緒に愛せるように努力しよう。
「あの子も貴方たちを気に入っている様子ですよ」
微笑みながらセーラが言ってくるので、コールは安堵する。嫌われることを懸念していたのは当然として、自分達の子として暮らした際ホームシック等にかかるのではないかと心配の種はいろいろとあった。
客室に案内され、コールは木の椅子に座った。ひんやりと冷たくなる尻をもぞりと動かす。
教会という雰囲気も手伝ってか、まるで懺悔部屋に連れてこられたような錯覚を起こす。薄暗く、静かで広くない部屋。目の前にセーラという女性が静かに座る。これといった罪など思い浮かばないのに何かを告白しなければならない強迫観念が生まれてきた。ただ、壁越しの懺悔部屋とは違い、ここは互いの顔が見える。そのおかげでコールはかろうじて何も口走らずにいる。
(何もないんだけどなぁ)
思い当たることなど何もない。強いて言うなら誇りをもってやっている商売がそこまで儲からず、妻に贅沢をしてやれないといったところか。──けどそれは罪ではないだろう?
「こちらにも手続きの準備等がありますので、あと二週間ほどお待ちください」
「わかりました。孤児院とのお別れもありますから、そこはきちんとやってもらいたい」
「ええ、それはもう。それとですね、行政官府から受け取った身分証名紙にサインをし、引き渡しの際、それを私たちに渡してください。住所変更等はこちらで行っておきます」
「ありがとうございます。──あ、セーラ様」
「なんでしょう?」
「あの子に……会っていくことは出来ますか?」
「まだ朝早いですからね。仕事柄朝早くからしか来れないのはわかっていますが」
思わずコールは苦笑する。いざとなれば昼間は暇なので、妻に店を任せ抜け出すことなど造作もないからだ。
「コールさん」
ふと、セーラは表情を引き締めた。
「あの子を、幸せにしてあげてください」
「はい。神に誓って」
迷うことなくそう返事をした。
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