第21話 ファンタジー1作品

「穏やかな終末に、一杯の葡萄酒を。」

 1-3話。駄目だな横浜駅に勝てないな。作り手が最初からそんな方向を捨ててる気がする。ただそれを言うと横浜駅もどうよ?って話になるけど。私が心配してたフラクタルにちょっと足を突っ込んでる。それをすべて吹き飛ばすのが狼と香辛料になる。ただ方向性はこれキノの旅だな。ビークルが話さなくて可愛い女の神様になってる。会話の系統が違う。狼と香辛料はウィットを効かせてるのとホロの魅力を全面に押し出した艶っぽいからかい。狼と香辛料は鉄板ともいえる王道になる。その点エルメスとキノはちょっと違う。エルメスとキノの会話が面白さとして成立してるのは全体を繋ぐ1話完結の短編にある。その内容が示唆に富んだ寓話的で、やや難解に聞こえる遠まわし哲学的、詩的な会話を全体の雰囲気にマッチさせる。面白さのコアが短編にあり会話はオマケに過ぎない。それに対して狼と香辛料はむしろそっちがメインかもしれない。主軸となる商売のストーリーに絡めた会話二人の会話はホロの知的さのおかげで面白いから。


 フラクタル実は基本はしっかり作ってる。問題は飽きさせないように散りばめた山本監督の刺激がどれもこれもすべってる。これをフォローするような展開の刺激も滑ってる。作品の雰囲気が全く違うけど、虚淵氏と組んで脚本主導なら同じディトピア物の継承者としてもしかしたら上手く行ったかもしれない。ストーリーをやたらと重視する作品は映像作品としてはもう一つ失敗する可能性が高いので展開で勝負するのがてってり早い。さてさてこれも展開の刺激弱いな。それ自体は問題じゃない。会話は刺激になるから。会話はケースによっては話を動かさないで刺激を作れるかなり使えるもの。しかしその方向性が娯楽的ではない。ただ広がりを見せてきた世界観はますます刺激的になってる。本格的にディトピア物の様相を見せてきた。進撃の巨人か?巨神兵か?世界を滅ぼした謎の巨像。ワクワクが止まらない。



 本当は次回からスコップしようと思ってた。実際スコップが目的じゃない。作品のレベルの配分が見たいんだ。私も個人の好みがあるから綺麗にランキングを予見するような評価は出来ない。そしてだからこそ私はライト層に対してランキング至上主義なんだ。あまり頭を使わないライト層向けで特に頭を使わない漫画物語はランキング以上の受け手の刺激を創る事は出来ない。本当の問題はオタク層にある。オタク層は古臭い作品を嫌う。


 なろうが今の潮流を作ったのは全くの偶然。根底に私ははっきり中年臭さを感じるから。普通は若者がそれを拒絶するけど、なろうの読み物は同じ中年層から10代より幼稚と見られると思う。幼児退行か?多分あると思う。私は幼児退行=幼稚だと思ってない。じゃ人間は酒を飲むのを止めた方が良い。必ず人間の脳の機能を落とす結果しかない。一時的だから許される。本気で叔父さん達が幼稚なもの作ってるから見るんだと思う。ラノベに時折感じるのは大人が無理して若作りしてるようなみっともなさ。なろうはすごい数の人間がしのぎを削ってるのでちょっとでもそんなそぶりを見せた人間はおそらく脱落していく。ラノベも十分数が多い。でも節操のなさで正直負けてると思う。


 カクヨム見れば分かるけど、そんな熾烈な競争にやっぱならない。作り手って基本的にひねくれものだからどうしても読者の思いと外れた個性出してしまうから。ラノベってオタク向けの最前線としてはぬるいんだわ。じゃカクヨム大丈夫か?それは後発だから是が非でもカラーの違いを出さないといけないので同じ色にはならないしなったら勝てない。私はカドカワが参入して後発の大手に潰される個人って創造してた。でも2chに潰された1chの歴史を逆に思い出してる。ゲリラにてこずる軍隊のよう。次に調べてみたら企業化して磐石化してるの見たら、カクヨムって具体的なサイトの形で見たらカドカワとなろうってそんなに組織として差があるのか?疑問になってきた。


 なんで今回先送りにしたか?と言うと面倒だからじゃない。むしろわざと最低ランク見てた頃よりはワクワクしてる。ランキング役に立ってるんだなと感動を覚えたのと同時に早く辞めたいって思ってた。しかもそのレベル客観的に見ると私より書き手としてレベルが高い…。私だけじゃなくてネットの中でもっと酷いのわんさか見てるから。だから私結構上位ランク書き手として高いレベルなの知っている。それだけ「穏やかな終末に、一杯の葡萄酒を。」に強い思い入れが合ったから。失望は無い。あらかじめフラクタルで免疫ついてるから。ジブリに被れた連中ほどファンタジーで日常をやりがたるんだ。んで尽く外す。そもそもそれが得意なのは高畑監督で、宮崎監督はすごいというほどじゃない。基本的に宮崎監督映画なのでのんびりだらりだらりの冗長な日常なんて描かない。しかも展開の名手だからすぐに話し動かしてしまう。むしろ落ち着きの無い子供みたいな動き回る作品作る人がじっとしてるほうが珍しい。なおかつ宮崎監督ハイジにすごく憧れていてあれ絵担当で監督高畑さんだから。憧れてるってのはそんなに得意じゃないと思う。上手く高幡カラーを自作に取り入れてるんだと思う。ジブリとして統一されてるけど、宮崎監督も苦労してて、それ以下のクリエイターが作れるわけ無いじゃん。


 やってはいけないいくつかのセオリーとして良いかもしれない。体操に例えるとわかりやすいけど作品ってのは作品作りって何度も挑戦してウルトラCを決めるようなものじゃない。ああいう一発勝負の部分がある。練り直しとかするとは思うけど。そう単純じゃない。0から作ったほうが早くない?ってなるともうそれは一発勝負になる。難易度が高い技を決めるってのは誰にでも出来る事じゃない。そこには出来る人出来ない人の絶対の問題とたやすく決める可能性の問題がある。なんでわざわざ娯楽として扱いにくいジブリやろうとするかなーってのが私の多くのジブリオマージュへの感想。ジブリを真似して失敗した作品を見たら低俗な大衆向け娯楽作品はどう作れば良いのか?の反面教師になる。


 ジブリは私のイメージであって、作者は全然違うのを想定してるかもしれない。それと言うのもジブリオマージュするのは絵の関係者が多いから。見事にオタク向けのストーリーセンスが無いんだよな…。


 悪い作品じゃないけどペース落とそうと思う。切らないだけでも高い評価してるから。かなり重要な部分を無視して期待したから。普段ならやらない。それだけ別格のものを感じたから。横浜もそうだけど元ネタみたいのがある。それ知ってても無視できるほどの刺激があったから。逆に知ってても問題が無い。そういう作品ってちょっとすごい。まどマギもガンダムとかエヴァっぽいあの時代の流れだなと思ってたけど、それを分かった上でこれ刺激的だと思ったから良かった。娯楽作品で本当に新しいものや個性的なものって多分面白くない。


 贅沢に1話を一つの作品で費やしてしまった。でも上位ではもうこの作品しか期待して無い。方向性が違うから勝てるわけ無いんだけど、ひょっとしたら娯楽的な部分すごく上手く両立してるかも?って思って期待してた。無理にやったら作品が壊れるんだけど。本来文芸と漫画物語の先端ってとんでもなく相性が悪い。でもそれが出来てるなと言うのが80~90年代の宮崎駿。ただアノ人が漫画物語の評論の質を落としてしまった。漫画の面白さの大半は文芸じゃない。それは芸術なんだからごく一部変わった作品があるのでは?それは違う。文芸の母体とナル一般小説から著しく乖離したものじゃない。根本が漫画物語はずれてるから。ただ今見ると当時ほどジブリ作品は刺激的じゃないと思う。所詮は古典。

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