7話 ハートオブアイアン -2

 軽い横揺れを感じてリートはゆっくりと双眸を開く。どうやら少しうたた寝をしていたらしい。

 トラックのエンジン音を聞きながら身じろぎすると、全ての関節が錆付いているように痛み、小さく呻く。

「ずいぶん余裕だな」

 人を食ったような声、野村と名乗ったあの男のものだ。そして、自分が何故この場所にいるのかを思い出す。

 今はトラックのコンテナに乗り、〝党〟の指定した場所へ向かっている最中だ。

 傷の応急処置として包帯を巻いてもらった事と、新しい武器を受け取ったところまでは覚えているがそこから先のことを良く覚えていなかった。

 こんな状況で居眠りできるほど太い神経をしているつもりはなかった。

 もしかすると少し失神していたのかもしれない。

「どのくらい経った?」

「小一時間だ。もうすぐ着く」

 どこか斜に構えた感じのする男だったが、口から出た声音は至極真面目なものだった。

 もしかすると、斜に構えているのは演技なのかもしれない。

 靄がかかったような視界で野村を見上げながらそんな事を思った。

「そうか……現地の地理情報は?」

 リートは視界と頭脳をはっきりさせようと、何度か瞬きをする。

 手の中に見慣れない短機関銃(サブマシンガン)があることに気付く。

「とりあえず、廃校ということしかわからない。だが、近隣に民家は無い。思う存分に暴れられるぞ」

「それは先方にとっても同じ事だ」

 リートは抱え込んだ短機関銃に視線を落とす。

 樹脂製のハンドガードとグリップは一見チープな印象だったが、マットブラックで仕上げられた銃身や機関部は見るからに堅牢で、ずっしりとした重量感は射手に必殺の一撃を約束しているように思えた。

 聞いたことのない銃だったが、彼女はこれを自分で選んだ。

 このヘッケラーウントコッホMP5はエルマベルケMP40の正当な後継者として映ったからだ。

 MP40と同じ形をしたフロントサイトや絶妙な重量配分、チープに見えて堅牢で計算しつくされた構造。

 質実剛健を好むドイツ流の兵器作りの精神がしっかりと受け継がれているMP5を彼女は一目で気に入った。

 作ったメーカーや、発射方式、閉鎖方式などよりもそういったことのほうが彼女にとっては大事だった。

 まずその武器を気に入らなければ命を預ける事など出来ない。

「我々の目的を聞こうとは思わないのか?」

「私の目的には関係ない。それに、聞いたところで状況が良くなるわけでもない」

「なるほど。ちっちゃいながら立派な兵隊だ。何でそうまでしてあの少年を救いたいんだ?」

 言葉はともかく声音は真面目な問いかけだった。だから、リートも真面目に応じる。

「惚れているからに決まっているだろう。しかも原因は私にある。彼にこれ以上何かあったら、私は彼のそばにいる資格を失ってしまう」

 野村は肩をすくめながらふっと笑う。

「だが、彼を救っても君は彼の元から離れるつもりでいる。そいつは少し感傷的過ぎやしないか?」

 彼の笑みが少し憎たらしく思え、リートはわずかに視線を厳しくする。

「この状況を解決するにはユートの前で誰かを殺すか、彼の前で軍門に下るしかない。どちらにしろ、ユートに醜い面を晒す事になる」

 一度言葉を切り、MP5を膝に乗せ、弾丸の絵が描かれた側面のセレクターを見つめる。

「それに、彼と私は違いすぎる。醜い私を彼が許容できるとは思えないし、また私が原因の事件に巻き込まないとも限らない。つまり私は奪還に成功しようがしまいが、資格を失う」

「若いな。八方丸く収まる方法を考えなかったのか?」

「考え付いていたならこんな事にはなっていない」

 苛立ちを隠さない声で言ったが、野村は言われて気が付いたと言わんばかりの表情で肩をすくめた。

「それもそうか」

「いちいち一言多い男だな」

「上司にもよく言われる」

「出世できんぞ。軍隊は――」

「言われるまでもない」

 少しだけ不機嫌そうに野村が言葉を遮った。ブレーキがかかったのか荷台が揺れた。

 野村はポケットから携帯電話を取り出して先方の声に小さく頷いて通話を終える。そして、携帯電話を畳みながらリートへ向き直る。

「到着だ。こちらとしてはあちらさんとなるべく顔をあわせたくない――」

 リートはゆっくりと頷いて野村の言葉に耳を傾ける。そして、そうまでして自分たちの関与を否定したいのか、と奥歯を噛み締めた。

「――したがって、少し手前で君を降ろす事になるが……」

「一番近くまで連れて行ってもらおう。停まらなくて良い、通り過ぎるだけで良い。後は勝手に飛び降りる」

 意見できる立場にないのは充分に理解していたが、こちらばかりが苦労をするのは面白くなかった。

 ほんのわずかでもリスクの共有をした気分になりたかった。

 そんな心情を察したのか、野村は逡巡した後に頷いた。

「……わかった。タイミングはこちらが指示する。転ぶなよ?」

「反射神経は良いほうだ」

 リートはゆっくりと立ち上がり、扉の前に立つ。傷が包帯と擦れて痛んだが我慢できないほどではない。少し休んだおかげか幾分身体も軽い気がした。

 車体が加速し、ディーゼルエンジンの乱暴な排気音が強まる。

 車内の明かりが消え、閂が弾ける。

 黒々としたアスファルトが眼下を猛烈な勢いで流れていく。

 現在位置はどこかの山奥らしく、排気ガスに混じって、夜露に溶け出した緑の匂いがした。

「……よくよく私は闇に縁があるようだな」

 彼女の言葉は猛烈な風にかき消され、すぐそばにいる野村に聞こえる事はなかった。

 彼は車外に背を向けて荷台の縁に立ったリートの肩に右手を置き、左手は携帯電話を持ってタイミングを計っていた。

「よしっ、行け行け!」

 肩を叩かれるのと同時にリートは空挺部隊の様に車外へ飛び出した。

 道に明かりはなく、足元すらおぼつかなくても不思議と恐怖はなかった。

 悠人に会える。そう思うだけで、自然と足が出た。

 接地と同時に脚のばねを軽く利かせる。ブーツのリベットが金切り声と共に火花を散らし、彼女の航跡をアスファルトに焼き付ける。

 既にトラックは走り去り、遠くにテールランプが見えていた。リートは踵に重心を移し制動を掛ける。

 停止してもあたりは依然騒々しいままだった。しかし、あたりを支配する音はリベットがアスファルトを擦る音ではなく。ターボシャフトエンジンの高周波音だった。

 すぐ右手に古びた二階建ての木造校舎と、回転翼を振り回す芋虫のようなヘリコプター、UH60ブラックホークが見えた。

 リートは躊躇することなく敷地へと足を踏み入れる。それにあわせて夜空と同じ色をしたブラックホークが背伸びでもするように機首を持ち上げ、飛翔する。

 下草が生えて、校庭は大分荒れていたが今までのことを考えれば地面のコンディションはかなり良好と言っても良かった。

 リートは校舎の前に陣取る人影に向けて歩を進める。

 手にしたMP5のコッキグを引き、初弾を装填し、セレクターを乱暴にフルオートの位置へあわせる。

「グーテアベント」

 独特の間延びしたドイツ語。間違いない。昼間の〝党員〟だ。

 彼女の推測を裏付けるように上空から真っ白な光が降り注ぎ、男の姿を浮かび上がらせる。

 リートが空を仰ぐと、先ほどのオートジャイロがホバリングしながら探照灯を向けているのが見えた。

 既に機体が高度を取っているおかげで十トンの機体を支えるダウンウォッシュもローターブレードの騒音もそれほど気にならない。

「私は来たぞ」

 リートは言いながらさりげなく視線をあたりに走らせる。しかし、悠人の姿はない。

 手が自然と動き、MP5のストックが肩に当てられる。

「伊藤悠人さんを探していますね?」

 男は悠人の部分を日本語のように発音した。

「約束が違うようだが」

「約束を破ってはいません。伊藤さんは確かにいます」

 言って上空を指す。その先には悠然と空に留まるブラックホークが見えた。

「あそこにいます」

「彼を降ろせ」

「あなたの答えが先です」

 即答。

「ユートが先だ!」

 更に即答。

「これでは埒が明かない。あなたの返答が得られなければ、犠牲が出る事になります。この状況の支配権を握っているのはあくまで我々であることを忘れてもらっては困ります」

 妙に上手い癖にたどたどしいドイツ語が耳障りだった。

 リートは銃口を持ち上げ、フロントサイトのリングの中に男を捉える。

「お前がそのカードを切る事は出来ない。カードを切ったが最後、私がお前たちに従う理由は消失する」

「それはあなたも同じだ。悠人というカードを切らせないが為に、武器まで用意してあなたはここへ来た」

「私が保身に走るとは考えなかったのか?」

 男は笑った。それはまさしく子供の戯言を笑い飛ばす大人の表情だった。

「保身に走る人間が不利を知りながら米軍部隊と戦闘することはないだろう。あなたの行動原理はひとえに悠人の奪還に因っている」

 男は言って。ちらと上空のブラックホークを見やる。

「お互いにとって一番損害の少ない方法は、あなたが我々の元に下ることです。あなたさえ承知すれば伊藤悠人は無事に解放されます。あなたが強硬な態度でいる限り、彼は開放されないし、場合によっては危険な状態に陥る事になる。それはあなたの本意ではないはずだ」

 ついさっきまでのリートならこの言葉に心が揺らいでいただろう。

 心身ともに疲れ果て、途切れることなく我が身に降りかかる不条理に怒りを通り越してただ、絶望するしかなかった。しかし、今は違う。

 不条理に対する怒りを向ける先を知っている。不条理の元凶は目の前にいる。

「黙れ、ウィリアムズ」

 リートの言葉は魔法の呪文のように効いた。男は黙り込み、口を真一文字に引き結んでリートを見つめる。

「御託はたくさんだ。私はそちらの意図に気付いている。口先だけで私が折れると思うな」

 押し殺したリートの声をウィリアムズは鼻で笑った。

「すばらしい、冷静な判断力だ。では、その聡明さで事態を解決させてください」

 その顔には優位に立った者の笑みが浮かんでいた。対してリートは彫像のようにSMGを構えたまま微動だにしていなかった。

「一つ聞く」

 それは、勝機を見出すのに必要なプロセスだった。

「何でしょう?」

 優位に立ったが故の慢心。

 鼠を追い詰めた猫が逆にかみ殺されてしまうように、ドイツ軍がモスクワ市内まで二十五キロに迫ったというのにとうとう制圧できなかったように。

 慢心は最後の瞬間にほころびを生む。

「私が強硬に抵抗を続けた場合、ユートはどうなる?」

 ウィリアムズはブラックホークを見上げ、間延びした発音でことさらゆっくりと告げる。

「あのヘリから。まっすぐにここへ落ちてくるでしょう」

 綻びが見えた。

 間隙というにはあまりにも狭い。正確に突く自信はなかったが、その間隙を突く以外に道はない。

「そうか……手は、無いと言う訳だ」

「そうです、抵抗は無意味です」

 ウィリアムズの表情が緩む。勝者の顔だった。

 リートは構えていたMP5を掲げて見せ、弾倉を取り出す。

 失敗すれば、自分の命では購い切れない。

 左手に持った弾倉をウィリアムズに放る。

 視線が放物線を描く弾倉へそれた。

 右手が動き、フロントサイトに頭部が収まる。

 右手よ、ぶれるな!

 チェンバーの一発がウィリアムズの頭蓋を砕き、吹き飛ぶように倒れる。

 リートはその姿を見届ける前にロケットで跳び、空を見つめた男の死体を白煙が覆った。

 ブラックホークのサイドドアに悠人の姿が見えた。機外に押し出されまいと機内の誰かと激しく揉みあっていた。

 不意に彼の口が大きく開かれ、身体が傾ぐ。

 シャツが空気を孕んで膨らんだかと思うと、彼は背中から機外へ放り出された。

 リートは驚愕と絶望に表情を強張らせた悠人に傷だらけの腕を伸ばす。

「ユート!」

 祈るような絶叫。しかし、悠人にその声は届かないのか、どんどん遠ざかるブラックホークの航行灯をうつろに見つめていた。

 落下する悠人と上昇するリートの距離は急速に近づき、すれ違う。

 その瞬間にほとんど体当たりするようにして落ちる身体を抱きとめる。

 掴んだ身体を引き剥がそうとする重力が恨めしかった。

 リートは渾身の力で悠人の大きな身体をかき抱く。数時間前に感じた温もりが変わらずそこにあった。

「リート……」

 悠人が恐怖の抜け切らない青白い顔を向けてきた。

「怪我はないか?」

「あ、ああ」

「良かった」

 リートは小さく頷いた。後は着陸するだけだ。体重が増えた分制動に時間がかかるだろう。

 悠人を抱いたまま空中で姿勢を変えて、ロケット装具に点火する。

 ロケット装具に反応はなかった。

 被弾、故障、オーバーヒート。

 考え付く原因が脳裏を次々過ぎる。だが、左手のタイプライターは最も単純な原因を提示した。

 T液、C液、残量ゼロ。

 さっきの上昇が最後の燃料だったようだ。

 上昇の惰性は、悠人を抱えた事で打ち消され、既に降下に入っていた。

 自分ひとりなら何とか着地できるだろうが、余計な荷物を抱えた状態では難しいだろう。しかも、この荷物は決して手放す事の出来ない荷物だ。

「リート?」

「大丈夫だ。だが、しっかり掴まってくれ」

 なるべく不安を表に出さないようにした積もりだったが、あまり成功してはいなかったようだ。悠人は困惑気味な表情で軍服の襟を両手で掴む。

 その仕草が妙に可愛らしく思え、リートは小さく笑みを浮かべる。

 こんな状況で笑みを浮かべられるのは余裕があるからなのか、それとも諦めたからなのか、彼女自身よくわからなかった。

 そのまま彼の頭を抱いて自分の胸に押し付けながらる。

 自分の体はどうでも良い。少しでも悠人から遠ざける必要があった。

 リートは右腕の装甲鉄拳を展開し、握り締める。そして、超然と空を舞うブラックホークを殴りつけんばかりに突き出し、右手の中にある点火トリガーを引く。

「ぐあっ……」

 装甲鉄拳から青白い噴炎がほとばしり、伸びきったリートの腕を引き千切ろうとする。

 歯を食い縛って漏れそうになる呻き声を飲み込み、更に引き金を引く。

 引く。

 引く。

 引きまくる。

 装填された全てのロケットモーターに点火し、噴炎はみるみる成長する。

 彼女の右腕を飲み込んで巻いた包帯を一瞬で消し炭に変え、白かった皮膚を真っ赤に焦がす。

「うあああぁっ!」

 悲鳴とも怒号ともつかない声で吼える。落下速度が幾分緩まった気がした。

 首を捻って落下地点を探す。トタン屋根の物置が見えた。

 迷っている暇はなかった。

 一層強く悠人の身体を抱きしめた瞬間。

 落雷のような破壊音と、全身がばらばらに砕けるような感覚。そして、肋骨が荷重に耐えかねた末期的な悲鳴。

 五感を通して様々な信号が全身から頭脳へと駆け上り、悲鳴を上げる間もなく、視界は暗転した。

 全ての感覚が遠ざかって行くなか、第六感が強く『死』という信号を発信した。

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