6話 マインカンプ -7
悠人はリートのいなくなったベッドに腰掛けていた。
リートが玄関を出てからずっとこうしていた。
デスクの上では携帯電話が鳴っている。既に十回以上の着信があったが、電話に出るだけの気力が沸かなかった。
電話に出て、誰と何を話すって言うんだ。
着信メロディーがいくらがなり立てても、床に敷かれた安物の薄いカーペットを見つめた目は動かなかった。
微動だにしない身体とは対照的に、彼の頭脳は後悔という出口のない迷路を彷徨い、あるはずのない出口を探して高速回転を繰り返していた。
一人になると、無力感が一層喚起された。かと言って、誰かに会いたくもなかった。冷静にリートとのことを話す自信がなかった。
愚痴る、という発散方法は全てが終わって、心の整理がついて初めて出来る発散方法なのだと、悠人は初めて気がついた。
不意に、玄関のインターホンが鳴った。
電気的に合成された鐘の音に、悠人は初めて顔を上げた。
更にインターホンが鳴る。立て続けに、せきたてるように。
リートが還って来た。
悠人は直感的に理解した。
鐘の音に急き立てられるまま部屋を飛び出した。
足をもつれさせながら階段を駆け下り、短い廊下を飛び越え、体当たりするような勢いで玄関の扉を開ける。
「リート!」
しかし、門扉の外に立っていたのはブロンドの少女ではなかった。
リートとは対照的な外見をした陽子がそこにいた。
「なに寝ぼけてんのよ、アタシよ……悠人?」
悠人と目が合った瞬間、陽子の表情が固まった。
「……何か、用? 陽子さん」
陽子の表情から、自分がどんな表情をしているのかなんとなく察しが付いた。
きっと憔悴しきった顔をしているだろう。
「聞きたいことがあったんだけど、アンタ見たら大体解かったわ」
「そう、俺ちょっと疲れてるから」
悠人はそう言って、踵を返そうとする。しかし、背後から陽子が制止する。
「リート、出て行ったのね?」
話題にしたくない名前だったが、陽子の口から出てくると、自分の心が軽くなった気がした。
事情を話せば打ちのめされた自分に優しい言葉の一つも掛けてくれるのではないか。
そんな、都合の良い事を一瞬でも考えてしまった自分が悔しかった。
そんな内心とは裏腹に悠人は足を止めた。
それを了承の合図と受け取ったのか、陽子は門扉を開け、悠人の背中を押すようにして玄関へ上がりこんだ。
リビングのソファに腰掛けた陽子は事情を聞いて小さく溜息を吐いた。
「まるで中世の騎士ね」
「……」
悠人はテーブルを挟んだ正面に座っていたが、視線は自分の膝を向いたままだった。
「まぁ、アタシもちょっと予想外だったわ、こんな形になるなんて。あの娘、全然自分のこと話さなかったし……」
「信用されてなかったんだな」
陽子はふっと笑って首を振る。
「それはないわ。少なくともアンタに対してはね」
悠人は視線を上げた。思わず陽子の顔を見つめてしまう。
黒曜石のような彼女の瞳に、自分の憔悴した顔が見える気がした。
「多分気を使ったんでしょうね。リートは自分の立場をよくわかってたのよ」
「立場……」
「そ、立場。あの娘は良くも悪くも、自分が部外者だって事を理解してたってことよ。だから、彼女は自分のことで誰かに頼りたくなかった」
「立派かもしれないけど、それってなんだか悲しいな」
陽子に聞こえるように呟く。すると、陽子は小さく笑みを浮かべる。
「現実的なのよ。彼女の中ではこうなる事もある程度予想してたんじゃないかしら。テレビにかじりついてニュースばかり見てたから」
言ってから、彼女は思い出したように付け加える。
「再放送の時代劇も良く見てたみたいだけど」
悠人はリートがテレビの前に正座して時代劇を食い入るように見ているところを想像して、思わず小さく噴出した。
「でもね、アンタにだけは違った。悠人にだけは部外者の距離を保っていられなかった。だから、〝さいごのお別れ〟にも来た――」
「最期なんかじゃない」
悠人の口は反射的に動いていた。
陽子はぎょっとした視線を向けたが、すぐに目を伏せて「ごめん」と呟いた。
「――とにかく、もう一度会う約束をしたんなら、待っててあげなさい」
「待つことしか出来ないんだな。やっぱり」
「一緒に鉄砲担いで戦いたかった? まぁ、アンタも男の子だからそう思うのは仕方ないかもね。でもね」
陽子は膝に手をついて悠人へと身を乗り出した。
「戦っている人の帰る場所になってあげることも大事な事よ。今のリートにはアンタの所しか帰る場所はないんだから……」
年長者の威厳を感じさせる優しい声だった。
「でも、俺にリートの帰る場所なんて」
「何、先の話?」
悠人が頷くと陽子は出来の悪い弟を優しくたしなめる姉の表情を浮かべた。
「そんな事はあの娘が無事に帰ってきてから考えなさい。それに、リートだってバカじゃないわ。アンタに全部頼ろうなんて初めから考えちゃいないわよ……だからね、今のアンタがやるべきことは、無事を祈る事と、あの娘が帰ってきたらちゃんと抱きしめてあげる事よ」
リートが出て行ってから張り詰めたままだった神経が音を立てて解けてゆくような気がした。
その溶け出した心を外へ逃がすように、躊躇いがちに震える吐息を吐き出した。
数年後、陽子と同じ歳になったとき、自分にも彼女のように誰かの心を揺さぶる言葉が吐けるとは到底思えなかった。
「……凄いな、陽子さんて。やっぱり年上だ」
緊張が緩んだのか、目元を若干紅く晴らした悠人が震える声で言った。
「まぁね、アタシも色々あるわけよ」
陽子はいたずらっぽい笑みを浮かべて応じる。既に彼女は普段の陽子に戻っていた。
その時、不意に物音がした。
小さな音だった。
遠くの大きな音なのか。それとも、小さな近くの音なのか彼女にはわからなかった。だが、悠人は飛び上がるように立ち上がった。
「ちょっと、悠人!」
悠人がテーブルを飛び越えるようにして、玄関へと向かう。
陽子も後を追おうかと思って腰を浮かすが、やめる。
ここで自分が出て行くのは野暮だろう。
もどかしげに閂がはぜる音がリビングまで聞こえて来た。
「リートっ――」
堰を切ったような悠人の声。
それに対する、リートの言葉は聞こえてこなかった。
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