6話 マインカンプ -5

 彼女を中心に同心円状に海兵たちが銃口を並べて待ち構えていたが、大して驚きもしなかった。

 暗視装置越しでも解き放たれるその瞬間を持つ猟犬のような殺気に満ちた視線を全身に感じる事が出来た。

 リートは自分が彼らの怒りに触れている事をよく認識していた。

 兵士は苦楽を共にした戦友を殺された時、最も怒る。その怒りは群集心理と合流し、時として任務を忘れさせる。

 万が一、彼らに敗北すればリートは悲惨な最期を遂げる事になるだろう。

 最悪の想像が快感にも似た戦慄を呼び、彼女の背筋を擽る。

 悠人の温もりを知っておいてよかった。

 リートは心底そう思った。そして、出来るならもう一度その温もりを感じたかった。

 そのための方法は相変わらず一つしか存在しない。

 リートはMG42を構えなおし、若干血の気の引いた顔で海兵をねめつける。

「全軍集結か、ちょうど良い。クラウゼヴィッツがいうところの〝殲滅を目的とした戦闘〟をやろうじゃないか」

 握り締められたバイポットが小さく軋んだ。

 全身が緊張し、神経が張り詰める。

 MG42の銃口を通じて相手の息遣いすら感じ取れる気がした。

 皆が息を呑み、音が消える。

 誰もが微動だにせず、その時に備えている。

 恐らく初めの一撃で戦闘の趨勢は決するだろう。

 海兵はその数をもって、リートはその発射速度をもって相手を一瞬で葬り去る事が出来る。

 お互い、威力は充分に理解している。

 事ここに至って、戦術的な駆け引きなど既に存在しない。

 どちらかが『我慢』出来なくなった瞬間が『その時』になるだけだ。

 リートはゆっくりと息を吸った。

 ロケット装具の燃料にはまだ若干余裕がある。

 彼女はゆっくりと後ずさり、レンガの壁に踵を付ける。

 海兵たちはM4カービンを構えたままにじり寄る。

「点火! 最大出力!」

 絶叫と共にリートは壁を蹴り、飛んだ。

 足元を曳光弾が掠め、さっきまで彼女のいた壁をライフル弾がボロボロに突き崩す。

 海兵の頭上を跳び越しざまに、上半身を振るようにして地面を薙ぎ払った。

 土ぼこりが濃く舞い上がり、弾丸に押しつぶされるように海兵たちが崩れ落ちる。

 撃ち漏らした海兵が反撃に転じ、赤い曳光弾が彼女を追い越していく。

 リートは空中で振り返り、盾を構える。

 衝撃。

 火花が弾け、一瞬バランスが崩れる。

 仰向けに転がりながらMG42を片手で支えて今一度地面を薙ぎ払う。

 強烈な反動を片手では御しきれず銃が跳ね回り、はじめの数発以外は見当違いの方向に飛んでいく。だが、海兵たちは首をすくめて遮蔽物を求めて散開する。

 その隙に乗じて、リートはバイポットを引っ掴み上空から逃げ回る海兵を狙い打つ。

 一人二人と、操り糸を切られたように海兵が倒れていく。

 初めの一撃とこの攻撃で、既に海兵は半数ほどまでに減っていた。しかし、相手も反撃の手は緩めない。

 一体どんな命令を受けて行動しているのだろうか。

 リートは引き金を引きながらそんな事を思った。

 その矢先に、海兵が虫かごを括りつけた付けた水道管のようなものを肩に担ぎ、発砲する。

 白い、一メートルほどの筒が火を吐きながら一直線に迫ってくるのが見えた。

 僅かに姿勢を反らし、飛翔体の射線から逃れる。

 だが、その切っ先は相変わらず、自分の方を向いていることに気づいた。

 彼女は携帯SAMスティンガーを知らなかった。彼女の知る携帯対空火器といえば無誘導の対空ロケット弾ルフトファウストだけだった。

 近づきつつある飛翔体に得体の知れない恐怖を感じたリートは脚を振り上げて、頭から急降下する。

 Gに抗いながら背後を見やると、飛翔体もしっかりと追尾してきた。

「どこで誘導してるんだ……」

 リートは視線を走らせる。だが、それらしい姿は見えない。

 背を丸めて水平飛行へ移り、木々の先を掠めながら手を振ってハーフロールをうつ。

 地面に背を向けながら、背後に迫る飛翔体へ銃口を向けて、撃つ。

 曳光弾が先端に命中し、爆発する。

 それを合図にしたように、あちこちから先ほどと同じ炎が吹き上がる。

 白煙は三本。それらが蛇のようにのたうちながらリートめがけて駆けて来る。

 とにかく逃げるしかない。

 リートは空気抵抗に抗って、半身を持ち上げて上昇に転じ、急機動で振り切ろうとする。

 だが、距離は開くどころか猛烈な勢いで縮まっていく。

 リートの動きに対して常に最短距離をとろうとするからだった。

「しつこい!」

 リートは叫び、引き金を引く。

 上空からかぶさってくる飛翔体を曳光弾が薙ぎ払う。

 尾翼とロケットモーターをもぎ取られたミサイルは小爆発を起こして、錐揉みを巻きながら地面に墜ち、爆発して果てる。

 リートはすぐさま振り返り、背後の飛翔体を狙う。

 至近距離。

 盾を構えながら引き金を引く。

 誘導部を弾丸が貫通し、弾頭が爆発する。

 鋭い破片が不気味な音を立てて盾に突き刺さり。隠れきらなかった腕と脚に醜く切り裂いていく。

「うぐっ……」

 悲鳴をかみ殺す。

 脚が熱い。

 まだ一発残っている。

 リートは水平飛行へ移行しながら視線をめぐらせた。

 足元、ロケット装具の煙に引き寄せられるように飛ぶ飛翔体を見た。

 熱源誘導。

 そんな言葉が脳裏を過ぎる。

「機関停止!」

 やかましくがなりたてていたヴァルター機関が停止し、彼女の聴覚を風の音が支配する。

 飛翔体が全速力でリートを掠め、高温のロケットブラストで彼女の頬を焦がしながら通り過ぎる。

 自由落下しながらその背後に弾丸を叩き込み、撃墜する。

「見たか、海兵!」

 痛みと恐怖とで高揚しきった精神が彼女を吼えさせる。

 地面が目前まで近づいていた。そして、着地地点には海兵がいた。

 海兵が持っていたアサルトライフルを真上に持ち上げ、リートを狙う。

「機関点火、緊急出力!」

 再び叫び、脚を開く。

 地上の海兵からはスカートの中が良く見えただろうが、リートは気にしなかった。

 気にする必要がなかったからだ。

 咳込むようにロケットが点火し、独特な縞模様を描いた巨大なロケットブラストが海兵もろとも地面を殴りつける。

 海兵の末期的な悲鳴とナイロンの焼ける嫌な臭いが鼻を突く。そして、緊急出力の終了と同時にのた打ち回る海兵の上に容赦なく着地した。

 緊急出力に停止の宣言をする必要はなかった。

 緊急出力による減速と、ちょうど良いクッションのおかげで無事に着地したリートは早速一歩踏み出す。

 破片にやられた脚がずきりと痛み、挫けそうになるのを何とか堪える。

 筋肉の緊張にあわせて真っ赤な血が溢れ出し、ブーツの中に溜まっていくのが不快だった。

 木々の間から赤い曳光弾が飛び出してくる。

 とっさに盾で防ぎ、その方向へ反撃する。細い幹ごと弾丸で貫き、また一人海兵を仕留める。

 リートは再び弾倉を交換する。最後の弾倉だった。

 それからの反撃は散発的なもので、相手の士気が低下しているのが見て取れた。

 勝機が見えた。

 リートは悲鳴を上げる体に鞭打って駆け出す。

 背丈ほどあるブッシュへ飛び込み、その中に潜む海兵を撃った。

 木の根元で仲間と連絡を取ろうとする海兵を撃った。

 出会い頭でひるんだ海兵を盾で殴りつけた。

 とにかく、攻撃を加え続けた。

 もちろん反撃も受けた。幸い重傷はなかったが末端への傷は避けられず、軍服と肌を返り血と共に血に染めた。

 いつしか、あたりは静かになっていた。

 リートは今まで息をすることを忘れていたかのように肺の空気を深く吐き出した。

 心臓が無茶苦茶に鼓動を打ち、全身の毛穴から噴出した汗が、煤や泥や血で汚れた肌を伝って落ちる。

 彼女はガードレールを跨ぎ、落ち葉でほとんど隠れている道路へと出る。

 最後の一人を探すために、彼女は道を進んだ。

 もう逃げ出したかも知れない。

 その事だけが気がかりだった。

 これだけ必死で戦ったのはあの男の手足を完膚なきまでに叩き潰し、以後手出しをさせないことを確約するために他ならなかった。

 戦闘ならどちらかが全滅するか撤退すれば終了するが、闘争は勝利宣言がなされなければ終わりは来ない。

 彼女は初めの広場へ戻ろうとしていた。

 そこからエンジン音が聞こえてきたからだ。

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