6話 マインカンプ -4

「点火! 機関半速!」

 絶叫に答えたロケット装具が白煙を吐きながら吼える。

 リートは軽く地面を蹴って、レンガの壁に向かって跳ぶ。

 ロケットの噴射時間は三秒少し。距離にして二十メートルほど。

 彼女は空中で体勢を入れ替え壁のすぐ下に着地する。

 密林を強引にすすんだ所為で、彼女の体には枝木が絡みつき、頬から耳朶に掛けては鋭い枝が引き裂いた蚯蚓腫れが残った。

 不思議と痛みはなかった。

 痛みなどという贅沢な感情を味わう余裕すらない、ということだ。

 リートはこのレンガの建築物に入り口がないか視線を走らせる。

 建物は短い煙突と、斜めの屋根を持ったいかにも倉庫然とした建物だった。

 窓は開いているが縄のように絡まった蔦が塞いでいて、とても入れる状態ではない。

 海兵の声が近づいてくる。再び射撃が始まるのにそう時間はかからないだろう。

 ざっと見た限りでは、入り口らしいものは見当たらなかった。

 入り口のない建物など存在するわけがないが、奔放に伸びた蔦の中に隠れてしまっているのだろう。

 レーザーサイトの光点が森林を貫通してリートの周りを彷徨い始める。

 入り口を探している時間はない。

 リートは、MG42を負い紐で背負いなおし、右手につけた籠手のフィンガーガードを展開して握りこむ。

 鋼鉄製の重厚なフィンガーガードはリートの華奢な拳を完全に覆い隠す。

 装甲鉄拳パンツァファストと化した右手を一瞥してセレクターレバーが単発の位置にあることを確認すると、レンガの壁を躊躇せず殴った。

 籠手に付いたノズルから小爆発と共に青い噴射炎が噴出する。

 砲弾の如く繰り出されたパンチは上から下へ振り下ろすような当たり損ないに近いものだった。しかし、下半身はしっかりと地面に付き、体重は充分に乗っていた。

 その威力はすさまじく、規則正しく積み上げられていたレンガ塀をすがすがしいほどばらばらに砕き、ちょうど大人一人が通れそうな孔を造った。

リートは地面に積もったレンガを蹴り上げるようにして建物の中へと飛び込む。

 淵から飛び出したレンガに鉄兜がぶつかり鈍い音がしたが、彼女は無視した。

 屋内は思ったとおり真っ暗だった。だが、壁にあいた孔から差し込む僅かな明かりのおかげで多少見通すことが出来た。

 本当に倉庫として使われていたらしく内装など無く、レンガが裸のままで内壁を作り申し訳程度に床板を敷いてあるだけの殺風景な場所だった。

 リートは奥へとすすむ。廊下へ出て、適当な部屋らしいところへ入り込む。

 ここまで来ると全く光は入り込まなかったが、同時に音も全く無かった。

 放棄された建築物独特の淀んだ埃っぽい空気が息苦しく、リートは軽く咳払いをするが、その音すら分厚いレンガは吸収し、頑なに静寂を守ろうとした。

 リートは軽く壁に寄りかかると、空になったドラムマガジンをMG42の機関部から引き抜く。

 薄い床板に、ごとんとバケツのようなマガジンが転がった。

 リートは手探りで腰のマガジンを外し、ベルトリンクのスタータータブを伸ばす。

 指先でマガジンから弾丸一発分を引き出したのを確認するとスタータータブをレシーバーの左側面にある給弾口に差し込み、そのままマガジンを押し込んで固定する。

 給弾口から伸ばしたスタータータブがレシーバー右側面に設けられたベルトリンク廃棄口から出ている。

 リートはそれをそっと引き、チェンバーにベルトリンクで繋がった初弾を噛ませる。そして、トリガーのほぼ上にあるT字型のスライドレバーを引いて装填する。

 全くの手探りでこの作業を十秒ほどで行った。

 リートにとってMG42は手足と同じように必要不可欠であり、慣れ親しんだものだった。

 不意に爆発音が聞こえ、建物が揺れた。

 衝撃波が廊下を伝いリートの体を芯から揺さぶる。

 彼女の開けた穴に、海兵が手榴弾を投げ込んだのだ。

 突入する気だろう。

 入り口から回るか、穴から入ってくるのか。

「…………」

 リートは盾と、MG42を構えなおし、片目だけで廊下を覗き込む。

 物音は全くしなかった。だが、廊下からは確かに殺気が流れ込んできていた。

 首筋がむず痒くなる。どこか、快感にも似た感覚。

 海兵がすぐそばまでせまっていることはわかった。

 彼女はいったん顔を引っ込め、壁に背中を預ける。

 遮蔽物の少ない廊下は火力に物を言わせて制圧するには絶好の場所でもあったが、長い銃身は行動を妨害するものでもある。

 伏せ撃ちの姿勢で待ち伏せようかとも思ったが、暗視装置を装備している相手には分が悪い。

 あちらはほとんど昼と変わらないように見通す事が出来るが、こちらは撃たれるまで相手の接近に気付く事が出来ない。

 この状況で、一発撃たれてみる気にはなれなかった。

「どうする……」

 誰にともなく呟くと、廊下に何か軽いものが転がる音が聞こえた。

 手榴弾。

 過敏になった神経が反射的に身を屈めさせ、盾を構えさせる。

 四秒待っても爆発は無かった。

「不発か?」

「そいつを受け取れ!」

 英語の怒鳴り声が廊下から聞こえた。

「話がある!」

 リートはあからさまに胡散臭い顔をした。

 戦力で大幅に上回っていれば、わざわざ交渉をする必要は無い。それなのに交渉を持ちかけるということは、向こうで何か不都合が起きたか、見え透いた罠のどちらかだ。

「そちらの所在を明らかにしろ!」

 彼女は彼らの誘いに乗ることにした。

 どんな形であれ、相手に損害を与え続けなければならない。

「ライトをつける」

 海兵からの返答。そして、埃っぽい廊下に光の筋が通る。

 リートは用心深く廊下へと顔を出す。確かに光は人の胸の高さで留まっている。

 光源を直視しないように注意しながら、先方の様子を伺う。

 もちろん、向こうが不意にライトを動かすような事があれば、その場で発砲するつもりでいた。

 視線を足元へ向ける。

 床の上にはインターカムのセットと煙草の箱ほどの大きさをした無線機が転がっている。

 銃口を光へと向けたまま、リートは身をかがめて、無線機を拾い上げ、そのままの姿勢でもとの部屋へ戻る。

 鉄兜を少し押し上げてスピーカー部分を耳に押し当て、言った。

「話があるそうだな」

 双方通話型の無線機は通話ボタンを押す必要はなかった。

「応じてくれるとは思わなかった」

 先ほどの男の声だ。

 この十数分間の間に、リートは彼のことを徹底的に嫌いになっていた。

「停戦の申し込みか?」

「降伏勧告だ」

「失せろ」

 選択肢として考慮すらする気になれない単語を聞いて即座に応じた。しかし、先方はやめない。

「世界最高水準の訓練と武装で身を固めた兵士、六十名がその建物を包囲している。冷静に考えれば勝ち目のないことぐらいわかりそうなものだが……」

「六十名? 貴官の階級は?」

「合衆国、第三海兵遠征軍の大佐だ。名前も聞きたいかね? ペンタゴンに照会できるぞ」

「明日の朝には忘れる事が決まっている男の名など聞きたくないな」

 アメリカ人の冗談に付き合うつもりはなかった。

 だが、これではっきりした事がある。

 彼は正規の命令に従って行動しているわけではない。

 正規の命令の基に戦闘部隊の大佐が指揮を執るなら一個師団は自由に動かせるはずだ。

 それを六十名という中途半端な人数しか展開せず、航空機や戦闘車両による支援も無い所を見ると、彼が戦闘部隊の指揮官ではなく。更には正規の命令が下っていないという仮説を成り立たせるのに充分な証拠のように思えた。

 彼女はこの闘争の落し所を見つけた。

 この場に展開する六十名さえどうにかしてしまえば、この闘争は終結する。そして、軍の命令を受けていない大佐にはこれ以上の手は打てない。

 それどころか、無許可に兵士を殺した事が露見すれば、彼は自動的に処罰される。

 軍隊とは暴力装置である前に、命令がなければ弾薬一つ消費する事もままならない厳然とした官僚組織だ。

「大きなことを言うもんだな」

「私はほら吹きのつもりはないが」

 会話が脱線しかけている。しかし、彼女にとってあまり問題ではなかった。

 時間がかかるという精神的重圧は確かにあったが、雑談は相手の情報を引き出す鍵になる。

 何気ない言葉から重大な情報を手に入れて勝利した例はいくらでもある。

 それよりも彼女が気になっていたのは外の静けさだった。

 建物の外が包囲されているのだから、静かなのは当然だが彼女が気にしているのはその皿に外の事だった。

 これだけ派手に銃声を轟かせているにも拘らず、警察の出動した気配が全くないのが気になった。

 この世界の警察がどんなものか良く知らなかったが、彼女の知る警察は住宅地で無闇に銃声がすればホイッスルを吹きながらすっ飛んでくるものだった。 

 駐留米軍が何らかの圧力を掛けたのかとも思ったが、この戦闘が正規の命令でない事が解かった以上その線は薄そうだった。

 となれば、考えられるのは別の権力が動いている可能性だった。

 それが敵なのか味方なのかはまだわからない。

「なら、証明すると良い」

 男の声と共に淀んだ空気が僅かに動いた。

 突入してくる。

 彼女は直感的に身構え、扉のない部屋の入り口に視線をやる。

 朽ちかけた扉の枠に跳ね返って何かが投げ込まれる。

 軽金属で出来た円筒形の物体。

 手榴弾だ。

 リートは駆け寄り、廊下へと蹴りだす。その瞬間に爆発。

「うわっ……」

 爆風はなかったが思わず声が出た。

 その代わりに強烈な閃光と体を心から揺さぶる衝撃波が自分の体を打ちのめすのがわかったからだ。

 全身から力が抜けかけ、暗闇に慣れた目が眩み、視界が紫色に変色する。耳もおかしいような気がする。

 あの手榴弾が足元で炸裂していれば間違いなく失神していただろう。

「なんだ、これは……」

 とにかく、視力を戻そうと忌々しげに目を瞬かせる。

 リートは入り口のすぐ脇に移動し、壁に背中を預けながら廊下の様子を伺う。しかし、暗闇の中に紫色の輪が見えるばかりで判然としなかった。

 眼前で何かが動いた。

 リートは盾を水平に構えて突き出す。

 鈍い音と共に手ごたえ。彼女はすぐさま右手を突き出し、掴み、体重を掛けて引く。

 ざらざらした冷たい樹脂の感触。恐らく米軍の使っているあの玩具のような小銃だろう。

 右手に米軍採用のレイルシステムM4カービンを掴んだまま体を回転させ後ろ回し蹴りを見舞う。

 踵が腹部にめり込む確かな感触を得た。

 海兵はよろよろと踏鞴を踏むが倒れない。

 急所は外したらしい。

 リートは奪ったM4を片手に構えて引き金を引く。フォアグリップらしいものも付いていたが、つかって構えるほど距離はなかった。

 部屋が黄色い発砲炎に照らされ、リートの視界に新たな紫色の波紋を焼き付けて行く。

 MG42の反動に比べてM4は外見どおり玩具のようだった。しかし、威力は充分だった。

 至近距離でボディアーマーごと撃ち抜かれた海兵が膝から崩れ落ちる。背後には新たな影が迫る。

 リートは駆け出し、脱力した海兵の胸倉を蹴り倒すようにしながら低く跳躍する。

 空中で暗視装置と目が合った。

 リートは盾を突き出す。薄い盾の縁が二人目の首に突き刺さる。

 骨の砕ける音とつぶれた気管に血液が溢れるごぼごぼという音を聞きながら、盾を引き抜く。

 顔と手にぬるつく液体が飛ぶがリートは全く気に掛けず廊下へ振り向く。

 血と硝煙の臭いがする空気が流れ、かすかな月明かりに白刃が閃いた。

 とっさに身を引く。ナイフの切っ先がさっきまでリートのいた場所を通過する。

 三人目だ。

 すかさず突き出された腕をM4の銃身で打ち据える。その衝撃で暴発し、廊下が一瞬照らされる。

 今度は発砲炎を直視してしまった。

 浅い角度で壁に当たった五.五六ミリ弾が殺人的な威力を秘めたまま不気味な風切音を立ててリートの首筋を掠めて行く。

「ちっ……」

 彼女は二重の意味で舌打ちする。そして、前方へM4を放り投げながら後ろへ跳ぶ。

 アサルトライフルが叩き落される鈍い音がして、更に追いすがろうと刃が迫るが、彼女のほうが速かった。

 着地と共に腐りかけた床板が軋み、靴底のリベットが床板を削る。

 自由になった右手は既にMG42の銃把を掴んでいた。

 左手も既に銃身覆いにつけられた二脚を掴んでいた。

 それほど離れていない所為か、海兵の息を呑む音が聞こえた。

 普段は少し重く感じる引き金が、この時だけは軽く感じた。

 チェーンソウにも似た銃声がリートの聴覚を支配する。

 マズルフラッシュに照らされ、眼前の海兵がコマ落ちした映画のようにぎくしゃくと踊りながら吹き飛ばされる。

 彼が倒れると壁に当たった曳光弾が弾ける。

 リートはいったん発砲をやめて、散らばった薬莢で脚をとられないように靴底で床を擦るようにしながら脚を進める。

 立ち込める硝煙にレーザーサイトの光線が走り、超音速の弾丸が盾に当たって鋭い音を立てる。

 彼女は怯まなかった。

 前進を続けたまま、光線に向かって引き金を引く。

 吐き出された薬莢が黄金の滝のように流れ、多少汚れが目立つが充分滑らかな太腿に跳ねてからがらがらと床に降り注ぐ。

 光線が途切れる。だが、リートは銃撃をやめず、進む。

 黄色い曳光弾の奔流に逆らって赤い曳光弾が時折飛来するが、全て彼女の半身を覆う盾に軌跡を大きく歪ませられた。

 一歩足を踏み出すごとに、残された片足が強力な反動によって僅かずつ押し下げられる。

 まるで、泥の中を歩いているような感覚だった。

 下半身の固定が不十分なおかげで、弾丸は散り、壁や床に突き刺さる。

 老朽化した壁は弾丸を受け止め切れず、超音速の弾丸は威力を充分に残したまま、攻撃の機会をうかがう海兵たちに襲い掛かる結果となった。

 リートは海兵の死体をまたぎ、ぬるっとする血溜りに片足を突っ込んだまま、一度引き金を切る。

 耳の奥ではまだ銃声が響いている気がした。 握り締めた両手も、まだ反動で震えているような気がした。

 あたりは硝煙が立ち込め、きな臭い臭いで一杯だった。おかげで、足元に転がる死体の血臭を嗅がずに済んだ。

 遠くに金属的な耳鳴りが聞こえ、自分の荒い吐息が頭の中に響いていた。

 自分以外に、生命の音は全く聞こえなかった。

 リートはMG42の銃口を下ろし、弾丸でささくれ立った廊下を歩き出す。

 靴底のリベットが床板を叩くたびに、粘性の足音と共に紅い足跡を刻みつけた。

 不気味な音だった。しかし、この足音は自分の生きている証であり、背後に続く足跡は着実に目的を達しつつあるという証拠だった。

 リートは前を見据えたままドラムマガジンを交換する。

 まだ中に弾丸が残っていたが、あれだけぶっ放したのだからそうたくさん残ってはいないはずだ。

 次に引き金を引いた瞬間、弾切れを起こしては目も当てられない。

敵の正面で弾切れを起こす事は死と同義だ。

 リートは自分の開けた孔まで戻り、ゆっくりと外へ足を踏み出す。

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