6話 マインカンプ -2
悠人が学校を終えて自宅へ戻ると、リートが玄関の門扉に寄りかかっていた。
「どうしたんだよ」
「少しはやく来すぎたようだ」
口調は相変わらずだったが、その声に違和感を覚えた。
悠人には彼女の声が震えているように感じられた。
見れば、ガレージに車がない。何かの都合で出かけているのかもしれない。
本人不在の部屋に通す事はないかもしれないが、息子の知人を外で待たせるほど彼の両親は非常識ではなかった。
悠人は無人の家の前で律儀に待ち続けていた少女に呆れたような、困ったような笑みを浮かべる。
「それは大変だったな」
一言くらい返って来ると思ったが、リートは答えなかった。
悠人はその事を不審に思いながらもポケットから鍵を取り出して玄関の扉を開け、リートに入るように手招きをして促す。
「先に部屋に行ってて、準備してから行くから」
それは半ば儀式と化したやり取りだった。この次にリートが言う言葉は決まっていた。決まっているはずだった。
「……」
リートは答えなかった。それどころか、部屋にあがってゆくこともしない。
台所で冷蔵庫を覗き込んでいた悠人は怪訝そうな顔を彼女へと向ける。
「どうかしたのか?」
「ユート」
ようやく口を開いたリートだが、その声は明らかに沈んでいた。
悠人は掴んでいた牛乳パックを元の場所に置き、冷蔵庫の扉を閉める。
「私は……ユート。私は出て行こうと思う」
躊躇いがちに口から漏れた言葉を悠人は理解できなかった。
「米軍が私を狙っているらしい。このままではユートたちに迷惑をかけるかもしれない」
悠人はさっき牛乳を置いた自分を褒めてやりたかった。
首から背中にかけて血が引いていくのを感じ取れた。そして、智彦の言葉がよみがえった。
結果を出すなら早い方がいい。というあの言葉だ。
「急、だな……」
「残念ながら、な」
悠人はかける言葉を捜した。
俺が守る。
一緒に逃げよう。
とっさにこの二つが思い浮かぶが、これはあまりに無責任だ。
そんなチープな言葉でリートを傷つけたくなかった。
「どうにもならないのか?」
出てきたのは結局、懇願するような情けない言葉だった。
「どうにかしたい、私だって……この生活、存外気に入ってたんだぞ」
リートは弱々しく笑んだ。
悠人はこれを今まで現実から目をそむけて来た報いだと知った。
「いつ行くんだ?」
「ぎりぎりまで居たいが、そういうわけにも行かないだろうな……」
「居ていいんだぞ?」
悠人は静かに言った。
もう行き止まりは見えている。智彦の言うように全速力で駆け抜けてみるのもいいかもしれない。
米軍が彼女を狙う理由など悠人には思いつきもしなかった。そして、具体的にどんな事態になるかも想像がつかなかった。
不意に悠人は重みを感じた。
視線を下ろすと、あごの下辺りにリートの滑らかな金髪が見えた。
抱きつくというより、顔を押し付けるような姿勢だった。
「私はいつもそうなんだ。大事なものは、大事にしたいと思ったものはいつだって守れない。ユート、私はユートの事が好きだ……」
悠人は彼女の体を抱きしめるべきか迷った。この期に及んで迷った。
自分に彼女を抱きしめる資格があるか不安だった。
見るべき現実に目を背け、現実を突きつけられれば一人で絶望する自分に、最後の最後に現実に立ち向かうことを決意した彼女を抱けるのか、と。
「ユート、私の理由になってはくれないか? 私が出てゆくことへの、私が戦う為の理由になってくれ」
「戦うための理由?」
口を開くと鼻腔に彼女の匂いが流れ込んできた。
胸がざわつく、儚くも甘美な香りだった。
「そうだ、私は連中の手に落ちるつもりは、ない」
彼女の呼気で胸が熱くなってくる。
胸騒ぎがした。
彼女は死ぬ気なのではないか、と。
「じゃあ、リート。約束して欲しい。全部終わったら、一度だけ、ほんの少しでもいいから俺に会いに来てくれ。そこで、ちゃんとお別れをしよう。こんな、二度と会えないかもしれないお別れは嫌だ。もう一度会えるかもしれないお別れがしたい……」
リートがぎょっとした顔で悠人を見上げる。だが、すぐにその表情が和らぐ。
「……そうだな。私も、こんな別れは嫌だ」
悠人はそっと彼女の体に腕を廻す。
兵士だと言ってはばからない彼女の体は華奢でいてやわらかく、とても戦う事のできる体だとは思えなかった。
そんなリートに気休めの言葉しかかけられない自分が悔しかった。
「ユート、部屋にいこう。お前の部屋に」
リートが静かな声で告げた。冷蔵庫に張られたコルクボードには仕事で今夜は帰らないという両親の書置きと、夕食代らしい千円札が貼り付けられていた。
リートはそっとベッドから身を起こし、マットレスの縁に腰掛ける。
長いような短かったような、濃厚だったような希薄だったような。
肌を重ねた時間はあまり現実感のない時間だった。しかし、下腹部の違和感と汗の匂いがこの部屋であった出来事を如実に物語っている。
リートはそっと鎖骨あたりの僅かに紅くなった部分に触れた。そして、小さく溜息を吐くとゆっくりとベッドから立ち上がる。
もう女の時間は終わった。未練が無いと言えば嘘になるがいつまでもベッドの中で丸まっていてもしょうがない。
これも解決一つの方法なのだ。正確には解決に必要なステップの一つだ。
初めの一歩を出し損ねるわけにはいかない。
リートは悠人の部屋に置きっぱなしになっているコンテナを引きずり出し、開ける。
中には綺麗に折り畳まれた予備の軍服と武器弾薬。そして、主要部品に分割されたロケット装具が収められていた。
本来なら軍服の下にはワイシャツを着ることになっていたが、もって来てはいない。
だが、リートは別に憲兵が見ているわけではないと思い直し、バンドで止められた軍服広げ、下着の上から袖を通す。
幸いにして気候は穏やかで、ウールの上衣を着れば少し熱いくらいだった。
衣服を身に付けると、ベルトで腰の位置を決める。バックルには鍵十字を持つ鷲の意匠と、今となっては皮肉でしかない『忠誠こそ我が名誉』という銘が掘り込まれてあった。
そして、弾倉をぶら下げるカラビナを腰の左右に取り付ける。
それから左腕の入力装置と音声入力用のスロートマイク(咽頭通話機)、弾倉、ロケット装具とを身に付け、すっかり戦闘態勢を整える。
後は右手の籠手と鉄兜。そして、MG42を残すのみだった。
彼女はコンテナから鉄兜を取り出そうと手を伸ばすが、さっきまであった場所にない事に気付いた。
不審に思い視線を上げると、寝ていたはずの悠人がグレーの鉄兜を持って立っていた。
「そっと出て行くつもりだったのだがな」
リートはポツリと呟いた。すると、悠人は鉄兜を彼女の頭に乱暴に載せながら言った。
「酷い女だな」
「悠人の顔を見ると決意が鈍りそうでな」
「俺だって、リートの顔を見たらみっともない事を言いそうだし、やりそうだ」
悠人は言ってデスクに立てかけてある、いかにも工業製品といった趣の機関銃を重そうに持ち上げる。
「MGは一度包むからそこに置いてくれ」
鉄兜のあご紐を締めながらリートが指示する。
悠人は黙ってそれに従い。彼女の足元に広げられたキャンパス地の布の上に置く。その間にリートは無骨な籠手を右手にはめる。
「武器が軍服着て歩いてるって感じだな」
悠人がMG42を置いたキャンパス布を丸めながら呆れたように言った。
「そうとも、私は全身が武器だ……ユートもさっき嫌というほど味わっただろう?」
「下品だな」
「武器に品性など不要だ。私はMG42と同じく唯一の目的のために生み出された、生ける殺戮機械だ」
不敵に言って、リートはやわらかく微笑んだ。
「幻滅したか?」
「リートが何者かなんて興味ない。リートはリートだ。俺は、リートが好き。それで充分だ」
彼女に釣られるように悠人も僅かに笑みを浮かべる。
「でも、そうすると俺は機械に恋した変態ってことになるのか?」
言葉のわりにその口調はとても穏やかなものだった。それをわかったリートも同じように応じる。
「……ばか」
一人は戦いに赴き、もう一人はそれを見送る立場だというのに二人の間に流れる空気は穏やかなものだった。
軍服と武器さえなければ、それは平和な恋人たちの会話でしかなかった。しかし、彼女の体に重く圧し掛かる様々な装備が彼らの会話の中に隠されたやるせなさを代弁していた。
だが、リート自身は不思議と穏やかな気分だった。
一時間後に自分の命があるかどうかわからないというのに何故こうも穏やかでいられるのだろうか。
きっと悠人がいるからだろう。
彼女は素直に結論付ける事ができた。
悠人の為に戦おう。
全ての危機を退け、生きてもう一度彼に会うために戦おう。もし、途中で死ぬ事があっても結果的に彼を危険から遠ざける事ができればそれでかまわない。
リートは、ノルウェーの研究所で戦った兵士たちの心理をようやく理解できた。
かつて戦う事の意味を求めた事はなかった。だが、今ははっきりと自分の中に戦う事の意味と目的が存在している。
一度覚悟してしまえば、その果てにあるのは高揚感ではなく、一種の悟りにも似た平安な感情だと彼女は気付いた。
「そろそろ行こう。ユート」
彼女の言葉に結うとは黙って頷き、MGを抱えながら玄関へ向かう。
その彼を、リートはしっかりとした足取りで追った。
玄関につき、黒光りする乗馬ブーツに脚を通すと悠人がキャンバスに包んだMGを差し出す。
その姿は悲しみやもどかしさを押し隠しながら毅然とした態度で騎士に長槍を手渡す、誇り高き従者のようでもあった。
「……往ってくる」
「待ってるからな……」
二人は短く言葉を交わす。悠人の声は半ば掠れていた。
「ユート、笑ってくれ。これは今生の別れではないのだぞ?」
穏やかなリートの声で悠人はようやく自分の表情に気付いたらしく、ややぎこちない笑みを浮かべる。
「そう、それで良い」
「約束、守れよな?」
悠人の言葉にリートは思わず噴出したように笑う。
「わかっている。兵士はたいてい義理堅いものだ……」
リートはそのまま扉を開け、すっかり陽の落ちた外へと足を踏み出す。そして、首だけで中の悠人へと振り返る。
「ユート、愛している」
彼女のさいごの言葉を遮るように扉が閉じた。
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