5話 飯事の終わり -5

 その後、いくつかの店を回ったところで、悠人と智彦だけ置いてきぼりを食らった。

 どうやら下着類を見に行ったらしい。確かについていくのは気が引けた。

 二人は待ち合わせ場所に指定されたカフェスタンドで手持ち無沙汰にしていた。

 店内の客は多く、テーブル二つに椅子六脚を占有している二人に対する視線がちくちくと痛かった。

「そういえば」

 やたらに甘いクリームの入ったコーヒーをストローで吸っていた悠人とはストローから口を離して正面に座る智彦を見る。

「リートと何かあったのか?」

 悠人は一度合わせた視線をそらす。

 確かに悠人自身も彼女の態度の変化に気づいてはいた。だが、それを認めてしまうと自分が自惚れているように感じられて嫌だった。

 ある意味で、智彦の問いは核心に触れるものだ。

「特にって、事はないと思う」

「お前が気づいてないだけじゃないのか? あんなにわかりやすいカマの掛け方もないと思うぜ」

 智彦のからかうような調子に悠人は若干不愉快そうに眉を寄せる。しかし、智彦は追及の手を緩めない。

「それは、からかってるだけだろ」

「さっき服買った時。あいつはまずお前に聞いただろ、「似合うか?」って。気があるんだよ、お前に」

 悠人は腕を組んで小さく呻く。

 そう言われればそんな気もした。しかし、彼女の態度を自分へのアプローチだと思うことが躊躇われた。

 そういった思考はあまりにも短絡的であり、都合の良い解釈だ。自分がそんなに彼女の気をひく存在だとは思えない。

 心内こころうちが頑なに拒む。

 何故、自分の心が彼女を拒むのか、悠人はその理由を知っていた。

 彼女に恋をしているからだ。

 その感情に気づいているからこそ、積極的になれないでいた。

 軽率な判断と行動が、現状を壊してしまう事が怖かった。

「お前は、まんざらでもないんだろ?」

「う、うん……」

 智彦の言葉に悠人は曖昧に応じた。

「お前の家に通い詰めてるんだってな、彼女」

「何で知ってるんだよ」

 悠人は不愉快そうな表情になっていることを自覚した。

「陽子さんから聞いたんだ」

「それで?」

「……怖い顔するなよ」

「させるようなネタを振ったからだ」

 悠人の内心をバラしたのとほぼ同義の言葉だった。だが、智彦は気にせず続ける。

「結果を出すなら早いほうがいいと思うぜ」

 悠人は何も言わなかった。ただ、目で先を促す。

「彼女は、色々な意味でイレギュラーな存在だ。はっきり言って俺たちの手に負える女じゃない」

 智彦はいったん言葉を切った。そして、悠人に発言を求めるような目を向ける。

 悠人は沈黙を守った。

「正体不明ってのがまず持ってネックだし、生活の問題もある。当面の金は何とかなるかもしれないが、先の事は全く見通しが立たない。違うか?」

 悠人は曖昧にうなずいた。

「最終的には警察か大使館に行って保護してもらうしかないんだ。つまり、遠くない将来に彼女とは離れ離れになる」

 他人事といった様子の智彦に悠人は怒りを覚えずにはいられなかった。

 彼は時折、まるで新聞の社説よろしく完全な傍観者の立場からものを言うことがある。

 今がまさにその状態だ。

 普段ならなんとも思わないどころか、その分析を内心尊敬したりもしていた。だが、今回は彼のそういった態度に腹が立ってしょうがなかった。

 それだけ智彦の指摘が正しく、悠人には全く反論の余地が残されていないという事に他ならなかった。

 そうした正当な指摘に腹を立てるということは、悠人があくまで目を背けてきた問題を露にしたということでもあった。

 悠人はじっと智彦の顔を見つめていた。見つめるというより、睨んでいた。しかし、智彦はそれを正面から受け止めていた。

 現実をよく見ろ。目を背けるな。

 智彦の瞳がそう声高に訴えているようだった。

「……別に俺も悠人を追い詰めるつもりで言ってるんじゃない。ただ、時間を有効に使うべきだって言ってるんだ。何事においても拙速は美徳だぜ?」

 拙速は美徳。智彦がよく使う言葉だった。だが、悠人は彼がよく使うもう一つの言葉を思い出した。

「いくら拙速でも戦略の失敗を戦術では補えないんじゃないのか?」

「俺は悠人とリートの利害は一致してるように見えるがな。彼女の現状認識がどうあれ、お互いに悔いを残すような状態はよくないと思う。一度別れたら二度と会えないかもしれないんだからな」

 そこまで言って智彦は息を吐く。そして、今までの毅然とした表情を少しだけ崩す。

「ダチとして心配してるんだぜ?」

「お前は残酷な男だな」

 いつしか視線を落としていた悠人が呟くように言った。

 今度黙り込んだのは智彦の方だった。

「俺に行き止まりの見えてるレールの上を走れって言うのか? まるで道化じゃないか」

「そこは、お前の自由だ。何も無理に走れとは言ってない。だがな、走らずに後悔するのと、全力で突っ走って後悔するのじゃ、どっちが建設的か考えてみろよ」

「奇麗事なんか聞きたくない!」

 悠人は声を荒げた。店内の視線が一身に集まる。

 頭に集まりかけた血液が急速な勢いで下がってゆく。

 それにあわせて浮かしかけた腰も元の位置へと戻ってゆく。

「きたねぇ事を聞きたいのか? しかも、俺の口から言わせる気か? 妥協点を探そうって話をしてるのにそんな事を言わせたいのか、悠人……」

 智彦が凄む。声音からははっきりと失望と怒りが滲んでいた。

 悠人は己の愚かさに慄然とし、首筋がすっと冷えていくのを感じた。

 長期的な見通しが立たず、根本的な解決が図れない以上、刹那的になってしまうのは仕方のないことだった。

 だが、飯事の中で更に飯事をするような愚かしさを含んだ期限付きの恋愛を受け入れてしまうと、自分の想いすらも飯事になってしまうような気がした。

 そうしたリートへの思慕と絶対的な無力感が智彦のエゴに満ちた消極的な提案を「奇麗事」と断じたのだ。

「……すまない」

 弱々しい声に智彦は煙を払うように軽く手を振り、小さく溜息を吐く。

「いや、いい。俺も少し熱くなりすぎた」

 やがて、新たな紙袋を提げたリートが陽子と光を伴って喫茶店に姿を現し、二人の会話はそれきりになった。

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