5話 飯事の終わり -4
駅から続く雑踏にリートは素直に驚いた。
まっすぐ歩く事すらままならない目抜き通りというものを彼女は生まれて始めて体験した。そして、初めて目にする高層ビル。
六十階あるというその建築物をリートはちょっとした恐怖の面持ちで見上げた。
「あのビルの下に商店街があるの、そこならリートちゃんの買い物も一通りそろうと思うから」
見失わないように手をつないでいた光が言った。
「そ、そうか……」
「どうしたの?」
歯切れの悪いリートに光が首をかしげる。
「高層ビルが怖いんじゃないか?」
智彦がいつもの気楽な調子で勝手な推理を披露する。
勝手な推理には違いないが、的外れというわけでもない。
「市街地の真ん中にああやって建っているのだ、技術的な確実性は十分に確保されているにちがいない。なんと言ってもここは未来なのだしな」
自分を納得させるように、言葉に出すリートを見透かしたように智彦が追い討ちをかける。
「知ってるか? あのビル、上空の風が強い日は微妙に揺れるんだぜ」
「本当か?」
リートの表情が一瞬あからさまに引きつった。
そんな危険を孕んだ建築物の地下で買い物などしていれられない。
彼女の表情が声高に訴えていた。
「相手が知らないからって適当な事言うのやめなさいよ。お里が知れるわよ?」
「でもよ、陽子さん。揺れるのは本当だぜ?」
見かねた陽子が諌める
「そういう問題じゃないの」
いつものように智彦は食い下がるのをやめた。
リートは逆襲のときだと気づいた。
「ヨーコ、トモヒコはヨーコに何か弱みでも握られているのか?」
智彦の顔色が変わる。一瞬で真っ赤になり、目が泳ぐ。何か言おうとしているようだが、口が開くだけで喉から言葉は出てこない。
想像以上の威力だ。
「さぁね……知り合ってすぐの事だったかしら」
「あー! ストップストップ! 本当に、お願いします。マジで、本当に……」
「知り合ってって、高校に入ってからよね? 悠人は何か知ってる?」
「陽子姉さんと智彦の事は俺も良く知らないんだ。できれば、俺も聞きたいな」
「アタシは別に話しても良いんだけど、智彦次第ね」
「だからっ! ほんとにあの件は勘弁してって……」
完全にいたずらっ子の笑みを浮かべた陽子と、わかりやすいほどに取り乱しながら止めようとする智彦。そして、興味津々という様子の光と悠人。
二人の間に秘密が存在することは確認できた。しかも、智彦はひた隠しにしたいものらしい。
これは何かの折に使えるかもしれない。
彼女はそんな事を思い、いつの間にか表情が緩んでいる事に気づいた。
楽しかった。何でもない会話が。
ただ、各々が思うように喋り、歯を見せ、小突いたり腹を抱えたりする、そんな何でもない会話が楽しかった。
こんな瞬間を永久に繋ぎ合わせながら生きてゆけたら。
そんな願望で胸が一杯になる。
智彦をからかいながら、一行は地下へと続く長いエスカレーターと地下通路を通って高層ビルの基部に展開されたショッピングモールへと到着する。
地下という事でもっと薄暗い場所を想像していたリートだが、その場所は驚くほど明るかった。
広々とした地下街には様々な商店が並び、そのどこも人でごった返していた。
「あ、ここよ」
不意に光が立ち止まる。他の商店とは少し雰囲気が違った。両隣の店は、地下街の雰囲気に合わせて暖色を使ったレイアウトになっているのに対して、この商店はモノクロで纏められていた。
中にいる客も、モノトーンな色合いの服を着ていた。
「俺たちも入るのか?」
智彦が若干気乗りしない様子で聞く。
「まぁ、アンタのセンスに期待はしてないけど一応男性の意見も聞かないとね」
陽子が当然という顔で答えた。見れば悠人も乗り気ではないようだった。
「ユート、私の服選びに付き合うのは苦痛か?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
先ほどと同じような会話だと自覚しながら、彼女は言葉を続ける。
「私のセンスは七十年前のものだろうからな。ユートの目から見て判断して欲しい」
少しだけ不遜な態度で言った。
意識的にそういう態度をとったと言っても良いだろう。
「あ、いや……」
悠人の目が泳ぎ、言葉に困る。
リートは悠人のそんな顔が見たかった。
彼の発する、どうしようもなく平和で朴訥な空気が、森に降る霧がしっとりと自分の体を濡らしてゆくように心地よかった。
もっと色々な表情を見たい。微妙に変化し続ける悠人の空気に、自分がどんな反応を示すのか知りたかった。
「嫌か?」
畳み掛けるようなリートの言葉に悠人は首を振る。
「なら店に入ろう。来たまま外へ出るわけには行かないからな」
笑いだしそうな泣き出しそうな、そんな複雑な表情を浮かべる悠人にリートの頬が緩む。
「ほら、悠人。男なら覚悟を決めなさい」
どこか楽しげな陽子の声。
「そういうことだ。行こう、ユート」
店に入ると、既に光がいくつか候補を絞っていた。
「予算とか大丈夫なのか?」
「あの金貨がすごい値段で売れたんだって」
「へぇ、結局いくらになったんだ?」
「そこまでは聞いてないけど」
横に智彦もいたが、彼は服選びに参加している様子はない。
リートは視線が自分に集中するのを感じた。
彼女は知らない事だったが、ゴスロリの憧れでもある、本物の金髪碧眼で人間離れしたきめ細かい白い肌を持った少女がやってきたのだから当然といえば当然の事だ。
「ひらひらのやつはないんだ」
悠人が言うと陽子が頷く。
「ああいうのはオーダーだから」
「……アルゲマイネSSみたいな服だな」
リートは並んでいる商品の一つに目をやり、手に取る。
「あるげまいねって?」
近づいてきた光が問う。
「こういう、上着を着た連中がいたんだ。ほとんど事務方だが」
リートは言って、黒いジャケットを羽織る。少しサイズが大きい。
「それじゃ今まで着てたのとあんまり変わらないね。てか、これから夏だよ?」
「着てみただけだ……」
リートはすねたように唇を尖らせる。彼女の着たジャケットは冬物の売れ残りらしく、タグには三回ほど値札が貼りなおされた跡があった。
「じゃあ、こっち着てみる? 一応、それっぽいのいくつか持ってきたけど」
光は言って、試着室の方を目で指し示す。
「着てみよう」
光から服を受け取り、更衣室へと入る。程なくしてリートが顔を出す。
「着方があってるかわからないんだが……」
「ちょっと見せて」
光が少しだけカーテンを開けて中を覗く。
彼女の明るい声が響く。
「そうそうそれで大丈夫。似合ってるじゃない」
「そ、そうか?」
対して恥ずかしそうなリートの声。そして、カーテンが開く。
彼女が初めに着たのは、肩を紐で止める黒いワンピースだった。胸元とスカートにはやはり黒のレースがあしらわれ、スカートの部分はふわりと広がっている。
体のラインが浮き上がるデザインで腰のラインと胸元が強調されている。
着る人間を選びそうなデザインだが、豊満すぎず、かといって痩せぎすでもない彼女の美しいラインを露にしこそすれ、見苦しいという事はない。
それどころか、黒い生地が彼女のすらりと伸びた白い手足と金髪を引き立たせていた。
「で、頭にこれ」
レースのリボンがついたカチューシャを乗せる。
誰もリートを見つめて声を発しない。
「…………」
リートも固唾を呑むように四人を見渡す。
「変か?」
「いや」
先に口を開いたのは悠人だった。
「想像以上に似合ってて……」
「完璧すぎてなんて言って良いのかわかんない」
陽子も同調する。
光はリートを眺めながら自分の見立ての正しさに感動するかのように小さく頷いている。
「ふむ」
リートは振り返って姿見に自分の姿を映してみる。
確かに、似合っているといえば似合っているような気もするが、今一実感がわかなかった。
彼女の中で黒といえば喪服か親衛隊の制服しかなかった。
「ユート」
「うん?」
リートは振り返らずに呼びかける。
「本当に似合っているか?」
「ああ、似合ってる」
「そっけない返事だな。もっと何かないのか?」
彼女はようやく振り返り、悠人を視界に納める。
悠人はなんと言おうかとリートを見ながら考えあぐねているようだった。
リートはその表情に小さく笑みを浮かべ、そばで悠人の言葉を待っているらしい光や陽子たちに視線をやる。
彼女たちも、彼の言葉を待っているように見えた。
「……か、かわいいよ?」
「アンタ、ボキャブラリー少ないわねぇ」
「及第点じゃない? 悠人なんだし」
即座に陽子の突込みが入り、光がフォローする。
「智彦、お手本」
陽子は矛先を他人事のように構えていた智彦に向ける。
「は? 俺!?」
急にお鉢が回ってきた智彦は自分を指差し間の抜けた声を上げる。
「そうよ、何かうまい事言いなさい」
横暴な注文に智彦は小さく唸りながら「うまい事」言おうと考える。
「……喪服みたいだよな」
「言うと思ったわ」
光の非難めいた声と視線に智彦が噛み付いた。
「大体、俺に服のこと聞くか?」
リートは今一度視線を悠人へ戻し、陽子へ向く。
「ひとまず、これにしようと思う」
「そ、じゃ貸して。他のも着てみる?」
陽子の言葉にリートは頷き、試着室のカーテンを閉めた。
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