3話 夢の逃避行

 リートは要塞の内部にいた。

 打ちっぱなしのコンクリートの壁や天井は細かく振動し、砂埃を僅かに舞い上がらせ、鉄の枠に収まったデッキランプが時折明滅している。

 既に米軍が侵入しているのか内部であっても銃声と爆発が遠くから響いていた。

 リートは一瞬白昼夢を見ていた気がした。七十年後の未来へ行くなどと言うばかばかしい白昼夢を。

 リートは気を取り直し、足を持ち上げ、合流地点へと急ぐ。ラケーテンリュストツォイクの燃料とMG42の弾薬が待っている場所へと。

 要塞内の通路は狭く、MG42が少し邪魔に感じた。敵兵をなぎ払うことを目的とした汎用機関銃は、決して屋内で振り回すようには出来ていない。

 MG42はこの場で捨て置いてしまおうかとも考えるが、敵兵が既に内部へ侵入している現在、丸腰でいるのは心もとない。

 リートは途中でもっと扱いやすい武器を探すことを心に書き止め、先へと進む。

 無機質なコンクリートの風景をさらに殺伐とさせる戦闘騒音が次第に近づいてくる。良く聞けば兵士たちの怒鳴り声も聞こえてきた。

 誰か火炎放射器でも使っているのか、騒音が大きくなるにつれ通路の温度が上がっていくのがわかる。

 冷えていた体に熱風が纏わりつくのが少し心地よかった。だが、そんなのんきな感情はすぐに消え去る。巨大な火炎によって酸素が爆発的に消費され、次第に息苦しくなってくる。

 少し先の角で、数人の兵士たちが固まっていた。

「熱いんだよ! くそったれ!」

 兵士の一人が自棄気味に怒鳴り、角の奥へ向かって手榴弾を投げ込む。

 ややあって爆発が通路を揺るがし、衝撃波が胸を打つのと同時に通路の奥から灰色をした粉塵を運んでくる。

「待て、火炎放射器がいる」

 リートの姿に気づいた兵士が身振りで彼女のことを制止する。

 リートが頷くと手榴弾を投げた兵士が、今度こそ仕留めたかと角の奥を覗き込む刹那。

 暴力的な炎の腕が唸りを上げてその兵士を焼き殺そうとする。

「くそったれ!」

 兵士はほとんど腰を抜かすようにして身を引く。そして、息つく暇もなく握り拳ほどの鉄の実が壁に跳ね返って足元に転がり込む。

 兵士は息を呑んだ。

「手榴弾!」

 兵士たちは我先にと手榴弾から遠ざかろうとする。

「リートも、速く!」

 兵士の一人がリートの手を掴む。しかし、彼女はそれを振り払う。

 彼女は今にも起爆しようとしている手榴弾へ駆け寄る。

 ここより背後はしばらくまっすぐな通路が続く。下手に後退すれば逃げ場はなく、全員が火炎放射器の餌食となってしまう。

 リートはそのまま手榴弾を蹴飛ばし、角の奥へと追い返す。奥から英語の罵声が聞こえて爆発が起こる。

 投げ込まれた手榴弾はすぐさま投げ返さなければならない。兵士たちもわかってはいたが、実際には中々出来るものではない。

「兵隊! 押し込むぞ!」

 彼女のとっさの行動にぽかんとしていた兵士たちを一喝する。

 兵士たちは武器を持ち直しリートを先頭にして突入隊形を取る。まずはリートが飛び出し、MG42を構える。

 通路はクランク状になっていて、十メートルほど先で再び左へと曲がっている。

 米兵がさらに反撃しようと火炎放射器のノズルを突き出す。彼らはまだこちらの動きに気づいていないらしい。

 リートは躊躇せずに引き金を引く。

 金属的な銃声と共に噴出したマズルフラッシュが通路を黄色く照らす。

 強烈な反動が彼女の上体を反らす。それを押さえ込むと今度はブーツが後ろへと滑り出す。

 弾丸はコンクリートの壁を粉砕しながらノズルへ命中する。

 炎が噴出し、制御を失った炎がうねりとなって通路中を跳ね回る。英語の罵声が聞こえ、やがて末期的な悲鳴へと変わる。そして、炎を伴った爆風がリートの眼前に迫る。

 彼女はとっさに顔を背け、腕とあわせて熱波から体の露出した部分を守る。熱波は一瞬で通り抜け、その後に悲鳴は聞こえなかった。

 あたりにはガソリンの燃える臭いが充満している。壁には燃え残ったゲル状の燃料がこびり付き、赤い炎の残滓を見せていた。

 リートはガソリンの臭いに混じって鼻を付く特に不快な臭いを感じ取った。

 直感的にそれが人体組織の燃える臭いだと悟った。

 この臭いを彼女はついさっきも嗅いだばかりだ、到底慣れる臭いではない。彼女の顔面は自然と緊張し、眉間に皺を刻む。

 臭いもさることながら、敵とは言え生きながらにして焼かれた者たちに無感動でいられるほど彼女は冷徹ではなかった。

「リート……」

 兵士が声をかける。しかし、彼女は答えなかった。

 下手な慰めは要らない。想像以上に悲惨な結果だとしても自分が引き起こしたことだ。

 その事実を受け止められるくらいの度量はあるつもりでいた。

 何より今は感傷に浸っているような場合ではない。今この瞬間にも敵味方に死傷者が出ているし、負うべき戦闘も全て終わったとは言いがたい。

 感傷などという贅沢を味わう余裕はないはずだ。

 それは、彼ら兵士の方が良くわかっていることではなかったか。

 リートは小さく溜息を吐く。

 彼らの誰かが「仕方ないことだった」とか「リートのおかげでみんな助かった」などと言ったら怒鳴りつけてやろう。

 彼女はそんなことを考えていた。しかし、

「髪の毛、燃えてるぞ」

「え?」

 兵士の言葉は彼女の意表を突いた。リートは目を丸くして兵士を見やる。そして、ちりちりと音を立てて燻っている自分の毛先に気づく。

「あっ、わっわっわっ」

 リートは自分でも驚くほど間の抜けた声を上げて燻る毛先を叩いて消し止めた。

 リートは兵士たちを怒鳴りつけなくて良かったと心の底から思った。

 そう思ったところで場面は暗転する。

 ――暗転? ――

 彼女は違和感を覚えた。今まで現実だと思っていたあの要塞や兵士たちが急に空虚なものに思えてきた。

 まるで夢でも見ているような気分だった。

 暗転していた場面が不意に明るくなる。次の舞台は地下の格納庫だった。先ほどの兵士たちも一緒にいる。

 格納庫もやはり無機質なコンクリートに囲まれた味気ない空間だった。

 そこには数人の技術者と父がいたが、それはリートたちに何の驚きも与えなかった。

 格納庫の中心に鎮座する。漆黒の航空機が彼女らの視線を釘付けにしていた。

 初めはMe262だと思った。その証拠に機首から胴体部分にかけては葉巻に似た特徴的なラインをしていた。だが、操縦席にあたりから急に胴体は太くなっていた。 二基のジェットエンジンが胴体内部に搭載されているからだ。

 通常のMe262も二基のジェットエンジンを搭載しているが、それは主翼下だ。そして、Me262よりも鋭い角度で主翼が機体後部へ向けて伸びている。

 Me262もずいぶん特異なシルエットをした攻撃機だったが、目の前の機体はそれに輪をかけて異質な機体だった。

 あちらはまだ飛行機らしいシルエットを保っているが、こちらは鉄十字を付けた金属製のエイとしか思えない。

「よし、来たな」

 大佐が満足げな視線を一行に向ける。リートに付き従っていた兵士たちは反射的に直立の姿勢を取る。

「荷物は全て積み終えた。あとはリート、君だけだ」

「まだ戦闘は継続中です。お父様――燃料と弾薬を」

 攻撃機に嫌な予感を覚えたリートが大佐の声をさえぎるように言った。しかし、大佐はそのまましゃべり続ける。

「リート、この基地は持たないだろう……だから、今は生き延びることを考えてくれ。君を失うわけにはいかないんだ」

 彼の言葉に色を失ったのは兵士たちだった。だが、動揺したのは一瞬で、あとはさもありなんという表情を浮かべていた。

「例え陥落するとしても、私だけ逃げることは出来ません。兵士たちは、今戦っているのです! 私は彼らと戦うために生み出されたはずです!」

 自分が抑えられなくなっていることに気がついた。だが、それを自制しようとも思わなかった。

「聞き分けのないことを言わないでくれ。リート」

 激昂する自分とは対照的に優しい言葉をかける大佐が、何の血縁もないとはいえ父と呼んできた男が、こうも父親然と自分に接するのが少しだけ疎ましかった。

 彼の態度が本物の父性だと気づいていれば、それは尚の事、リートの胸を締め付ける。

「……ですが」

 リートは何とかこの場に留まる理由を探そうとした。

 彼女に自分だけ生き残る選択をさせるには、大佐も兵士たちも優しすぎた。そして、彼女自身も。

「行けよ、リート」

 不意に兵士の一人が言った。また一つ爆発が起こり、照明が明滅した。

「俺たちは戦うのが任務だ。リートにはリートの任務があるだろ? そいつを果たしに行けよ」

 他の兵士も同調して頷く。その顔は、敵軍がすぐそこまで迫っているとは到底思えないほど晴れやかなものだった。

「……」

 リートは言葉を継げなかった。

 彼女は彼らが覚悟を決めたことを悟った。

 ここで死ぬことを、リートを逃がすために死を選ぶことを覚悟したのだ。これ以上言葉を弄するのは、彼らの高潔な精神への冒涜になる。

「ありがとう」

「礼を言うのはこちらの方だ。麗しの姫君の盾になるんだからな」

「じゃあ、俺たちは白馬に乗った騎士様だ」

 彼女の礼に兵士たちが軽口を叩く。

 リートは踵を鳴らして右手を高く挙げ、 兵士たちもそれに応じた。

ジークハイル勝利万歳という決まり文句はなかった。

 彼女がタラップを昇り、Me262の後席に着くとすぐさまキャノピーが閉じられる。そして、エンジンが点火され部屋にケロシンの燃焼する臭いが充満する。

「換気装置を最大に!」

 技術者が叫び、機体がゆっくりと前進する。

 機上の人となったリートは不安げにあわただしく動き回る技術者たちを見回していた。

 後部座席は急造されたものらしく、座席があるだけで操縦に必要な計器や装置などは一切取り付けられていなかった。

「安心してください」

 不意にパイロットが声をかけてきた。リートは前へと視線を移す。操縦席の防弾盾を兼ねた背もたれのおかげで、飛行帽の端とベルトに押さえつけられた軍服の肩しか見えなかったが、声は若い。

「この機体は世界で一番速いジェット攻撃機ですし、電磁迷彩も使いますから」

 聞きなれない言葉だったが、反問する余裕はなかった。

 機体は既に格納庫を出て、どこか暗い場所を進んでいた。キャノピー越しにもタービンブレードが大量の空気をエンジンへ送り込む轟音が響いているのがわかった。

 どうやら、トンネルのような場所にいるらしいと、リートはあたりをつけた。

「何でも機体に電磁波を纏って相手のレーダー波を吸収するんだそうです。もし、見つかったとしても、こっちはまっすぐ飛ぶだけで十分振り切れるんですがね」

 黙っているのは電磁迷彩なるものについて聞きたいからではなかった。

 気がかりなのは残してきてしまった兵士たちと、父の事だ。

 生き残ることが任務とは言え、割り切れないものがある。

 機体が大きく揺れ、停止する。それはちょうど脱輪したような揺れだった。

「大丈夫か?」

「ええ、カタパルトに接続しただけですから」

 これから何が起ころうというのか、リートにはさっぱり見当がつかなかった。

その不安感はただでさえ張り詰め、今にも千切れてしまいそうな彼女の精神を締め付け、頬の筋肉を自然と強張らせた。


「ナハトファルケ、定位置につきました」

 手持ち無沙汰な兵士たちをよそに、技術者たちは壁に設置された簡素なコンソールに向かっていた。

 ナハトファルケは原形を留めないほどに改良されたMe262―HG3に付けられた名だ。

「電磁迷彩装置、電荷開始。まもなく電磁皮膜の形成を完了します」

「射出準備完了」

 コンソールにはレールの模式図が描かれていたが、それには魚の中骨のように枝が描かれていた。そして、その先端にはそれぞれ小さなランプが灯り、〝尻尾〟から順に第一薬室、第二薬室と見出しが付けられている。

 原形はロンドン砲撃のために開発されたムカデ砲だが、こちらは砲弾の代わりに機体主脚を牽引するカタパルトシャトルを撃ち出す。

 低速では出力が上がらず、どうしても長い滑走路を必要とするジェット機を迅速に離陸させるには最適の機構といえた。

 技術者の言葉に大佐も自分の目で確認するためにコンソールへ近づく。

 確かに全ての薬室に明かりが灯り、準備が整っていることをあらわしている。

「……よし、射出しろ」

「はいっ」

 技術者が黒いツマミを回す。薬室の状態を示すランプが次々に消えてゆく、その速度は次第に上がってゆく。

「全薬室、順調に燃焼中。まもなく離翔します」

 その声と共に、全てのランプが消えた。

「離翔!」

「電磁迷彩装置、通過……異常発生!」

 別の技術者が声を張り上げる。

「信号が途絶えました。電磁迷彩装置が故障したものと思われます」

「原因は?」

「恐らく戦闘の影響かと……」

 眉を下げる技術者に忌々しげに目を細める大佐。

「……確認を取れ」

 表情こそ穏やかではないが声は落ち着いたものだった。

 たとえ電磁迷彩が不完全であっても離陸に成功してしまえば、時速一千二百キロを超える速度で飛べるナハトファルケが連合軍によって撃墜されることはない。

 しかし、彼の楽観は外縁部で戦闘中だった守備隊の報告で一気に崩壊した。

 その報告とは、機体がカタパルトから飛び出した直後。倒壊した電磁迷彩装置のアンテナにぶつかり、そのまま姿を消したというものであった。

 その後も報告は続いたが、墜落したという報告だけは一つもなかった。


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