2話 過去から来た少女 -3

「もっと情報はないのか?」

 オフィスの上座に座っていた男が声を出す。背広は椅子の背もたれにかけられ、ネクタイも緩められている。

 オフィスには十人が座れるだけのデスクがあったが、今はどれもが空席だ。

 皆、今回の事件で出払っているのだ。

「今のところは……何もかも連中が持って行っちまいましたからね」

 薄い書類の束を手にした男、野村がそれに応じる。彼は背広もネクタイもきちんと身に着けている。

 健康的な肌と程よく鍛えられた痩身が既製品の背広にそれなりの高級感を与えている。

「とりあえず、府中の防空指揮所からレーダーチャートのコピーは貰ってきましたが」

 野村はそこで言葉を切り、ワイシャツの男がその書類を取り出すのを待つ。

「犬吠埼沖の上空に突如現れ、千葉県を横断し東京郊外に墜落した謎の飛行物体。三佐、臭うとは思いませんか?」

 野村に三佐と呼ばれたワイシャツの男は視線をそらさなかった。彼の眼球は書類の文面を追ってせわしなく動いている。

 中年という表現が板についてきたように見える彼も痩身で、色白だったが虚弱な印象は全くない。

 彫りの深い顔立ちと落ち窪んだ眼窩の奥にある鋭い目付き。若干生え際が後ろ過ぎるようにも見えたが、それらのおかげで知的でありながら剣呑、という独特な空気を纏う事に成功していた。

「言いたいことは分かる。ついさっきも在日米軍から防衛省と政府に通達があった。今回の墜落事件について日本は一切手出しをしてくれるな、と……」

「では、今回の事件はやはり米軍関係ですか?」

 三佐はちらと視線をあげた。その目は肯定も否定も唱えていない。

「そう思うなら証拠をそろえて来い。我々はそのために給料を貰っている」

「ですが、手出し無用と言われているのにこうして情報収集をしているのは――」

「我々の仕事を何だと思っているんだ? ガキの使いじゃないんだぞ」

 三佐は咎めるような視線を向けた。

静かな言葉ではあったが、その眼力はちょっとしたものだ。しかし、野村は怯まない。

「つまり、覗くのはOKということですか」

「分かっているならわざわざ言うな。私を試そうとするのは止せ。査定に響かせるぞ?」

 すると、野村は白い歯を見せてどこか子供っぽく笑った。

 三佐は思わず眉を顰めるが彼はこういう男なのだと思い直す。

 それは彼を使い始めてすぐに分かった。今では注意もだいぶ事務的になってきた。

多少クセの強い男ではあるが、仕事はきちんとこなし、時にはこちらの想像以上の成果を上げてくる。

 アクの強い性格ぐらいは大目に見てやるのも上司の務めだろう。

「三佐はそういう卑怯なことをしない方だと信じてますから」

 定年までには少し間があるし、体力的にも精神的にもまだまだ現役で通用するラインを保っているつもりだった。

 だが、野村の掴み所のない性格には時々ついていけない。

 これが老いなんだろうな、と実感した。

「三佐だから信じているんですよ? これがもし一佐だったら――」

「安心しろ。やたらと裏切る大佐はハリウッドにしかいない」

 三佐は野村の言葉をさえぎる。彼はまた歯を見せて笑った。だが、それは一瞬で真面目な表情へと変わる。

「それで、発表はどうすることになったんです? 今も、現場周辺は中継車と報道ヘリで溢れ返ってますが……」

「米軍は一切をシートで隠した上で、墜落した物体を〝事故で墜落した米軍偵察機〟と発表するつもりらしい」

 三佐が答えると野村はあからさまにつまらなそうな表情を浮かべる。結局真面目な表情は十秒持たなかった。

「どうせなら、UFOって発表すれば良いのに……」

「言いたいことは分かる」

 UFOとは宇宙人の円盤を指す言葉ではない。

 空を飛ぶ正体不明の物体は鳥であろうと飛行機であろうと全て未確認飛行物体と呼ばれるのであって、その飛行物体が宇宙人の調査船だと確認されればその瞬間から未確認ではなくなる。

「まぁ、米軍が残骸から何か掴むだろう」

「そのときは、また覗いてきます。アンテナだけはしっかり張っておきます」

「ああ、そうしてくれ」

 三佐が言うと野村はすばやく敬礼し、踵を返した。

 その動作は彼の性格とは対照的に教則どおりの機敏な動作だった。

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