2話 過去から来た少女 -2

「何もしてねぇよ」

「そうだよ。うちの前で倒れてたからとりあえず介抱しようと思って……」

 二人は口々に事情を説明するが、悲しいほどに言い訳臭い。

 光自身、言い訳に聞こえたようだ。二人にあからさまな軽蔑の視線を向ける。

「アタシが見たのは、アンタたちがその娘を連れ込むところだけだったんだけど――」

 光は自分の寛大さをアピールするように軽く胸を反らして大きく息を吐いて、二の句を継ぐ。

「百歩譲って介抱したとしましょう」

「譲るもなにも、それが事実だ」

 智明が抗議の声を上げるが、光はまったく取り合わない。

「救急車も呼ばずにどうするつもりだったのよ?」

 彼女の顔には確実に急所をえぐったと確信した勝者の笑みが浮かんでいた。事実、二人は返答することが出来ないでいた。

 やましいことは確かに何もないが、救急車を呼ばずにあれこれ議論していたのは事実だ。

「ほら、やっぱり……やましい事がないならすぐに救急車呼ぶでしょ。それをしなかったってことは」

「だからやましいことなんて――」

「カッ!」

 今度は悠人が抗議するが、光はそれを手負いの猫のように威嚇して遮る。

 これでは全く話にならない。

 弱り果てた顔で智彦を見やるが、彼も似たような顔をするばかりで、良い知恵を持っていそうな雰囲気ではなかった。

「救急車を呼ぶ必要はないぞ」

 状況を打開する声が聞こえた。それはやけに落ち着いた、どこか押し殺したような声だった。

 三人は一斉に声の主へ視線を向ける。

 軍服の少女が半身を起こしていた。

「医者の類は必要ないぞ」

 先ほどと同じ声で少女は言った。鋭い双眸に青い瞳を輝かせながら三人を見上げている。

 彼女の日本語は驚くほど流暢だ。

「……世話を掛けさせてしまったな。何か礼をしたいが、貴君らが喜びそうなものといえば――」

 言って彼女はおもむろに軍服のベルトに手をかけ、バックルを外し始める。

 三人とも一瞬あっけに取られて硬直してしまう。

「ちっ、ちょっと、何してるのよ」

 一番先に我へと返った光が問う。

「何、と言われても礼をしようとしているだけだが……」

 きょとんとした表情で答え、ベルトを抜き取ってしまう。

「いや、でもほら、アタシ女だし、でもこっちの二人なら……って、そういう問題じゃなくて」

 完全に混乱状態の光を尻目に、悠人と智彦は顔を見合わせる。

 ありえないとは思いながらも、脳の片隅で期待している自分がいた。智彦も同じらしく、沈黙を通している。

 そんないかにも童貞らしい不毛な駆け引きの最中、少女は三人の前に金貨を並べた。

「これが礼。正真正銘の金貨だ。何かの足しに……どうした? 日本には無意味に見詰め合う習慣でもあるのか?」

 今度きょとんとしたのは三人のほうだった。

 見れば、彼女はベルトを外しただけで他のものは何一つ脱いでいない。

 彼女のそばに落ちているベルトは二重になっていて、その中に金貨を隠し持っていたらしい。

 だが、いきなり金貨を渡されても困る。換金の方法など知らないし、何よりヒトラーの肖像と鍵十字の入った金貨など剣呑過ぎる。

「大日本帝国と我が国は同盟国だ。パルチザンの心配などしなくても大丈夫ではないか?」

 彼女の発言は先ほど智彦が披露した突拍子もない仮説を裏付けるものだった。まだ、確証を得たわけではないが、少なくともナチスの金貨を並べて日本を大日本帝国と堂々と言い放てる人間は現代にはあまりいないはずだ。

 三人は金貨を前に固まっていた。誰もが目の前の金貨を受け取るべきか考えあぐねていた。

 特に深刻な顔をしているのは智彦だった。彼はこの金貨について何か知っているのかもしれない。

「これから、どうするんだ……えーと」

 深刻な沈黙を破って悠人が問う。しかし、名前を呼ぼうとしてもその名前が分からず、二の句が継げなかった。

 悠人は、初めて自分が冷静でないことに気がついた。「どうするんだ」とは、自分に向けても良いような言葉だ、と彼は思った。

「私は、リートと言う」

 少女は名乗り、改めて三人を見渡す。

「貴君らはイチガヤという場所を知っているか? 大日本帝国のOKHがあったはずだが」

「何? OKHって」

 光が智彦を小突く。彼女も彼が軍事マニアということは知っている。

「陸軍総司令部のことだ」

 智彦は光に向かって言い、そのままリートへと向き直る。

「市ヶ谷大本営はもうないぞ。ついでに言うと大日本帝国は六七年前に滅亡してる」

 智彦の言葉にリートの表情が固まった。そして、本当なのかとでも問いたげに光と悠人の顔をそれぞれ見やる。

 悠人は小さく頷いた。

 大日本帝国は一九四五年の八月十五日に無条件降伏した。日本人なら恐らく誰もが知っている、歴史的事実だ。

 もっとも、智彦に言わせるともう少し日付は後らしい。彼は時々教科書とは違う歴史の元に生きている。

「なら、ドイツ帝国は……」

 彼女の顔が見る見る血の気が引いていくのが分かった。ただでさえ白い肌が、まるで高級な磁器の様な白さになっていた。

「亡んだ。ヒトラーは自殺して、四十五年の五月八日に無条件降伏した」

 リートは青い瞳を真っ赤に充血させてじっと智彦の言葉を聞いていた。

「なら、どうして……」

 リートが震える声で問う。

「第二次世界大戦ははるか昔に終わったんだよ。今年は二〇一六年だ」

 今度は悠人が言った。

 リートは弱々しく息を吐き、その場に崩れ落ちた。

 彼女の表情には怒りや屈辱などというありきたりの感情は見えなかった。

 彼女の顔には喪失感という、三文字の言葉が色濃くこびり付いていた。そのあまりに悲壮な顔に悠人は妙な確信を得た。

 智彦の与太話は恐らく真実なのだ、と。


 リートは耳の奥で轟々と血液が流れる音を聞いた。頭蓋骨の中で脳みそがぼんやりと熱を持ち、パンケーキのように膨れ上がっていることすら自覚できた。

 彼女は極端に回転の鈍っている脳みそに必死で命じる。

 落ち着け、状況を整理しろ、と。

 しかし、気を失う前に見た様々なものは彼らの話を肯定しているように思えた。

 機関車を必要としない鉄道。

 驚くほど静かな自動車。

 色鮮やかな衣服。

 夜を否定するように煌々と輝く電灯に照らされた明るい街並み。

 非常識だとは思わなかったが、どう考えても空想科学の類だ。もし何かのプロパガンただとしても、大掛かり過ぎる。

 彼らの言うようにここは七十年後の未来世界なのではないか、状況を整理しようとすればするほどその疑念は強くなる。

 リートは目じりに溜まった涙を指先で払い、一度軽く鼻をすすって視線を上げた。

「新聞を見せてくれ、とりあえず一週間分を」

 きっとまだ酷い顔をしているのだろうが、自分の中では他人に見せられる許容範囲の顔のつもりだった。

「今日の朝刊はそこにあるよ」

 悠人が言ってテーブルを指し示す。リートはひったくるように手を伸ばし自分の前に第一面を広げる。

 まず目を引いたのは鮮明なカラー写真だ。新聞紙自体も自分の知る新聞とは紙の質が全く違う。

 彼女は目を凝らして日付を探す。

 あった。

 紙上の上、欄外の部分に二〇一六年(平成二八年)とある。

 そこで、妙なことに気づいた。

 日本語は右から左に読むものだったはずだ。

 この新聞は日付も見出しも横書きのものは左から読むように印刷されている。

記事の内容も読んでみようと思ったが、読めない漢字が多すぎて良くわからなかった。

リートは、紙面を睨み付けて小さく唸った。そして、悠人が持ってきた新聞を全て一面が見えるように広げた。

紙の質は全く同じで毎日違うカラー写真が載っている。もちろん日付は全て二〇一六年で、寸分たがわぬ位置に印刷されていた。

印刷が潰れていたり、インクが滲んでいる場所が一つもないのは素直に驚いた。

そういう細かい点が、ここが未来世界なのだと裏付けているような気がした。

もし、この場所が本当に未来の日本だとすると、一つ重大な問題が浮上する。

「私は、これからどうすれば良いのだ?」

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