2話 過去から来た少女 -1
「ちょっと、お前のうちよっていいか?」
「そんなの自分のうちでやればいいだろ……」
閑静な住宅街を通り抜ける風はすでに初夏の香りを帯びていた。
幸いにして天気は良く、見ているだけで気分が良くなるほど晴れ渡っている。
そんな通りを、二人の少年が自転車に乗って走っている。
一人は青いマウンテンバイク。もう一人は銀色のシティサイクルにまたがっていた。
二人とも学校帰りらしく、長袖のワイシャツと黒いスラックスを見につけている。
「まだ何も言ってないぞ?」
マウンテンバイクに乗った少年が口を尖らせる。彼の手にはゲームショップのロゴが入った青いビニール袋がぶら下がっている。中にはさっき買った新作のゲームソフトが入っている。
「だから、自分のうちでゆっくりやればいいじゃないか」
シティサイクルに乗った少年が咎める様な口調で言う。しかし、本当に嫌がっているわけではなかった。
マウンテンバイクの少年もそれが分かっているらしく、全く反省する様子はない。
「自分のうち以外でやるから面白いんだ」
「ったく、うちはネットカフェじゃないんだぞ?」
シティサイクルに乗った少年がさめざめとそんな言葉を口にする。
憎まれ口を叩きながらも、聞く者を決して不快にさせないやさしげな瞳を持ち、その眼差しに良く似合う人の好さそうな顔立ちをした少年。彼の名を
そして、マウンテンバイクに乗った少年は
二人は相変わらずの調子で他愛のない話を続けながら角を曲がる。そのすぐ先が悠人の自宅だ。
彼の家は郊外の住宅としては平均的なものだ。
隣との敷地を区切るブロック塀と二階建ての家屋。その脇を抜け建物を回りこむとちょっとした庭が広がっている。
道路に面しては黒い門扉と表札があり、そばにはチェーンで仕切られた駐車場と父親の家族サービス専用の白いセダンが停車している。
そうした標準的な住宅だが、最も目を引くのは門扉の前で突っ伏している緑灰色の服とヘルメットを被った少女の姿だ。傍らには彼女の荷物だろうか、キャスターの付いた大きなスーツケースが一つ転倒していた。
二人は思わず顔を見合わせてしまう。
「……倒れてるな」
そっけない智彦の言葉に、悠人はあいまいに頷く。
「どうするよ? とりあえず救急車か」
二人は少女へと近づく。とりあえず悠人は家族に知らせようと玄関のインターホンを押す。この時間なら母親が家にいるはずだ。
その間に智彦は自転車を置き、少女の傍らに座り込む。確かに彼なら興味を引くかもしれない。
彼は自他共に認める軍事マニアだ。そして、件の少女は軍服らしい物を着ている。救急車が到着してひと段落したら、きっと彼の薀蓄を聞かされるに違いない。
ボタンを押しながらそんなことを考えていたが、中からは返事がない。
出かけているのだろうか。
肝心な時にいない母親に溜息を吐いて智彦を振り返る。
「お袋、出かけてるみたいだ。とりあえず、救急車呼ぼう」
言って、ポケットから携帯電話取り出すが、しゃがんだ智彦が手を振ってそれを制す。
「いや、ちょっと待て。こいつ、なんか変だ」
「変なのは見れば分かるよ」
「そうじゃない」
いつになく真剣な声を怪訝に思いながら、悠人はダイアルしようとしていた手を止める。
「こいつが着てるのはナチスドイツのM40野戦服だ」
確かに少女は緑灰色をした詰襟の軍服らしいものを着ている。智彦と付き合っているお陰で、ナチスの軍服だというのも言われれば納得できた。
「コスプレとかじゃないのか?」
「こんな街中でか? 多分、この軍服は本物だと思う。コスプレ用のレプリカなんかじゃない……」
智彦の声は驚くぐらいに真面目な声だった。
「でも、経年劣化がない。それに、こいつの体からはさっきから火薬の臭いがしてる」
「どういうことだ?」
「本物のナチスの軍服を着た女の子が火薬の臭いをさせて倒れてるって事だ」
火薬の臭い、と聞いて悠人は眉を寄せた。
「なら、なおのこと警察か救急車呼んだ方がいいんじゃないか?」
「……そうだな、とりあえず一度お前のうちに入れよう。ちゃんと寝かせてやろう」
若干渋る様子だったが、智彦は頷いた。
「じゃあ、智彦は脚持って。俺は体持つから……」
ゆっくりと少女の体を仰向けにして悠人は彼女の背中から両肩を支えるようにして持ち上げる。
一瞬ぎょっとしてしまうほど華奢で柔らかい体を浮かせると、ヘルメットの隙間から音を立てそうなほど艶やかな長い金髪が零れ落ちた。
目を瞑った少女の肌は白く、小作りな唇と長い睫がまるで寝姿をかたちどった人形のようだった。
二人で支えているというのに少女の体は、妙に重い。しかし、気を失った少女を抱き上げるというドラマチックは出来事が初体験だった悠人に、そのことを疑問に思うだけの冷静さはなかった。
慣れない作業ではあったが二人は何とか少女を一階のリビングへと運び込み、ソファへ寝かせる。
「……やっぱりこいつ、変だよ」
智彦は足元のカーペットに鞄とビニール袋を置きながら言う。
「さっきからそればかりじゃないか。だから、さっさと救急車を呼ぼうって……」
悠人もそばに鞄を置き、妙にこだわる友人に眉を寄せる。
「だから、そうじゃないんだってばよ」
見て分からないのかとでも言いたげに、智彦も表情をゆがめる。
「軍服のつくりや生地は本物だ。でも、ごく最近作られてる。でも、この軍服はおかしいんだ」
マニアという生き物は妙な場所にこだわる。のは知っていたが、智彦がここまでこだわることは珍しかった。
少なくとも智彦は軍事にあまり興味のない自分に薀蓄を延々と聞かせたがるような人間ではない。
悠人はそう思いなおし、とりあえず話を最後まで聞いてみることにする。
「具体的にどこがおかしいんだ?」
「まず、さっきも言った通り、これはM40野戦服っていうナチスドイツ時代の軍服だ」
智彦はそこまでは分かるな、と視線を向ける。悠人は頷いて先を促す。
「でも、当時の軍服にこんなスカートはない」
言われてみれば確かにそうだ。彼女のスカートは太ももが顕わになるほど短い。
「じゃあ、コスプレとかゴスロリとかそういうファッションの類じゃ」
「……まずはゴスロリじゃない理由からいこう」
智彦はソファに横たわる少女を一瞥して、そう前置きする。
「そういうファッションで着る軍服モドキは本物の軍服に似せても、軍服そのものを使うようなことはない。彼女が着てるのはどう見ても本物と同じデザインの軍服だ。もし、本物の軍服だったとしても、当時こんなに小さいサイズの軍服はない」
その指摘にも頷けた。ファッションは詳しくないが、彼女の着ている軍服は確かに小さい。
小さいとは言っても袖が少し余っている。彼女には少し大きいように感じられた。
悠人はその疑問をぶつけてみる。
「昔の人間は、背が小さなかったろ? そういうサイズのを見つけて自分で着てるんじゃないか?」
「百年、二百年前の話じゃないんだぜ? このタイプでこの色の軍服は武装親衛隊が使ってたんだけど」
智彦はそこでいったん言葉を切る。
武装親衛隊は確かナチスドイツのエリート集団だったはずだ。悠人は彼から聞きかじった知識の中からそんな情報を引き出し、次の言葉を待つ。
「武装親衛隊は入隊にいろいろ条件があった。家系や健康状態。それに身長、体重……確か入隊するには身長は一七八センチないといけない」
改めて少女の服を見やる。少女には少し大きいが、一七十センチ以上の人間が着れるとは思えない。
「まぁ、これが〝変〟の一つ。もう一つは、軍服のカフタイトル、腕の刺繍と階級章だ」
悠人は言われるままに少女の腕を見やる。彼女の左腕には銀糸で文字の刺繍されたリボンが縫い付けられている。
「……ぱんずえあー、りえど?」
悠人はとりあえず口に出して読んでみたが、どうにもしっくり来ない。
すると、智彦が訂正する。
「パンツァリート、軍歌のタイトルだ。訳せば戦車の歌って意味だけど。腕の刺繍リボンは普通、部隊名が入る。ダスライヒとかLAHとかトテンコプフとか……」
「その言い方だと、パンツァリートって部隊はないんだな?」
先回りして悠人が言うと智彦は頷く。やっと分かってきたか、とでも言いたげな表情だった。
「そうだ。軍服は本物なのにサイズがおかしい。存在しないカフタイトルをつけてる。階級章はつけてない。それに――」
智彦は言って彼女の腕に触れ、触れた指先をじっと見る。
「火薬の煤がついてる。それに制服が少し焦げてる」
「煤?」
「ああ、モデルガン撃ったくらいじゃここまで汚れない」
悠人はマニアの観察眼にただただ呆れるばかりだった。
彼の表情は興奮を押し隠しながら事実のみを並べ、仮説を検証しようとしている科学者のようだった。
「多分、どこかで実弾射撃したんだと思う。それも、ごく最近……」
智彦はそこでまた言葉を切る。そして、立ち上がる。
「まぁ、与太話だと思って聞き流してくれりゃいいけど――」
与太などと宣言しておきながら彼の口元は硬く引き締められ、確信を持った表情をしていた。
「もしかしたら、こいつ。本当にナチス時代の人間かもしれない」
文字通り与太話。だが、素人裸足とはいえ、ちょっとした専門家並の知識を持つ男が、一定の確信をもって結論付けている。
笑い飛ばすにはあまりにもシリアスな表情だ。
「例えば、特注で作ったとか。当時のものを完全に再現して、彼女のサイズに合わせて……」
悠人は問いかける。智彦に賛成しかけている自分を戒めさせるためでもあった。
七十年前の人間がこうして寝ているなんてありえない。
「火薬の臭いまでさせてか?」
智彦は軽く溜息を吐く。彼の表情から緊張が急速に抜けてゆく。表向きは。
「ま、とにかく。俺たちで何とかなる問題でもなさそうだ、救急車呼んでくれ」
さっきまで救急車を呼ぶことを拒んでいた友人が救急車の話を持ち出したことが悠人には少し意外だった。
だが、とにかく救急車を呼ぼう。悠人は握ったままだった携帯電話を持ち直し、ダイアルボタンを押す。
二つ目の1を押したところでどすんと爆発音が響いて、家全体がかすかに揺れる。
「何だ!?」
智彦は弾かれた様に体を震わせる。それは少し過剰反応のような気もした。
「ちょっとアンタたち! 何してるのよ!?」
二人にとっては聞きなじみのある声。だが、あまり聞きたくない声。
怒った
彼女はどすどすと廊下を駆け、リビングへと飛び込んでくる。
ボブカットの毛先を揺らし、少し目尻の下がった大きな目をさらに開き、肩を震わせている。
こういう時の彼女に言い訳をするとろくなことにならないのを二人は経験的に知っていた。
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