1話 1944年 -2

 武器庫から屋上に出たリートを最初に襲ったのは、銃弾ではなく剃刀のような寒風だった。

 だが、リートの体は冷えるどころか一層体温が上がり、素肌に叩きつける雪飛礫は瞬く間に溶けて水となって流れていく。

 彼女は吹き付ける雪に目を凝らす。眼下には必死で米軍を食い止めている友軍兵士たちが見える。そして、上空には悪天を押して出撃した米軍の戦闘機が見えた。

 とりあえず、上空の敵から叩くべきだ。

 彼女はそう結論を出すと、タイプライターにコマンドを打ち込む。

――ヴァルターロケット点火、最大出力――

 タイプライターが「了解ヤホル」と印字すると同時に、主翼の先端に配された二基のロケットモーターが白煙を吹き上げて少女の体を空中へと突き飛ばした。

 リートはむち打ちになりそうな加速に耐えながらMG42のスライドレバーを引き、初弾を装填する。雪混じりの風がびゅうびゅうと渦を巻いているのが見えた。

 目の前をずんぐりとした胴体を持つ飛行機が通り過ぎる。

 主翼と胴体には青い円に白い星が描かれている。

米軍機だ。

 リートは空中で体を入れ替えながらMG42のバイポットを引っつかんで引き金を引いた。

 黄色い曳光弾がカーブを描きながら敵機の星をめがけて飛ぶ。

 旋回中の無防備な胴体が7.92ミリ弾によって引き裂かれていく。至近距離から不意打ちを食らったパイロットに成す術はなかった。

 厳重な防弾が評判の戦闘機だったが、側面から至近距離で撃たれることは想定していなかったらしく、機体は銀色の破片を撒き散らしながら地面に衝突し、真っ赤な火柱となって果てた。

 リートは空中を蹴り上げる。反動で上体が反れ、頭に血が上っていくのがわかる。

 星空を通り抜け、頭上から地上で起こる銃火の閃きが迫って来るのは奇妙な感覚だった。

 そして、その閃きが瞬く間に大きくなっていく。地面が近づいていることはわかるが目測はまったく利かない。

 不意に、友軍陣地から照明弾が打ち上がる。マグネシウムの強烈な閃光が雪原と針葉樹林を黄色く照らし出す。

 彼女はさらに体を入れ替え、ロケットの出力を絞り、着地の姿勢を取る。

 背後の友軍陣地から小さなどよめきが聞こえ、前方の米軍から息を飲む気配が伝わってくる。

 照明弾に照らされた長いブロンドの髪は、風に棚引くと共に、神秘的な力を発しているかのように美しく輝いていた。

 濃い陰影と煌く金髪をもって空から姿を現した少女はまさに、伝説にある戦乙女の姿そのものだった。

「パンツァリート」

 友軍陣地から声が聞こえる。

 荘厳なセレモニーのフィナーレを飾るかのようにリートはゆっくりと着地する。

 まるで魔法の力が解けてしまったように彼女の金髪から輝きが抜けてゆく。上空の照明弾が燃え尽きようとしているのだ。

「目標発見! 撃つな、生け捕りにしろ!」

 米軍兵士の誰かが叫ぶ。

 そのくらいの英語なら彼女にも理解できた。

 自分ほど英語を解する兵士はそれほど多くないはずだが、背後の友軍陣地からも声が上がる。

「リートを渡すな! 彼女を援護しろ!」

「嬢ちゃん、早くこっちへ!」

 自分に良くしてくれる兵士の一人が手招きする。それと同時に友軍陣地が一斉に火を吹く。

 大はトーチカに据えられた機関銃座や、対人用パンツァーファースト。小は土嚢を積んだ簡素な陣地から突き出した小銃や短機関銃。それらが一斉に銃火を上げる。

 リートは腰を落とし、MG42のバイポットを握りなおす。そして、その銃火に加わった。

 幾重もの銃声が聴覚を一瞬で奪い去り、目の前で吹き上がるマズルフラッシュが闇に隠れた米軍の姿を完全に消し去ってしまう。

 暗い森の中に吸い込まれていく何百もの曳光弾と、時折爆発するライフルグレネードやパンツァーファーストの赤い火柱はグロテスクでありながら、どこか幻想的な炎の祭典を思わせた。

 弾丸の奔流を吐き出すMG42は反動で彼女の体をじりじりと後ろに押し下げてゆく。

 リートも歯を食いしばり、今にもどこかへ跳んで行ってしまうそうなバイポットを掴み、弾道を安定させる。

 ほとんど繋がって聞こえる銃声と、生き物のように跳ねまわるリコイルショックが不意に途切れる。

 弾切れと悟り、リートは背後の土嚢へと飛び込む。そこには三人の兵士が身を隠しながら発砲していた。

「助かったよ、嬢ちゃん」

 兵士の一人が引っ込み、リートにぎこちない笑みを浮かべてみせる。さっきリートに手招きした兵士だ。

「お互い様だ。敵はここだけか?」

「何箇所か攻撃されたが、今どうなっているかはわからない。数から言ってこっちが本隊だろう」

 彼の言葉に、リートは小さく頷きながらMG42のマガジンを交換し、給弾口に突っ込んだスタータータブを反対側のベルトリンク排出口から引っ張りだす。

 スタータータブに引っ張られた弾帯がチェンバーへと滑り込み固定される。

 再び空が明るくなる。今度は米軍の照明弾だ。

「敵機! 対空射撃、対空射撃!」

 兵士の誰かが叫ぶ。銃声に混じって羽音のようなエンジン音が聞こえる。

 この照明弾は目標を見やすくするためのものだろう。

 研究所の一角から音は大きいがどこか間延びした対空機関砲の銃火が上がる。それを伴奏にした小火器が一斉に月夜に向けて発砲する。

 正確な敵の位置はわかっていない。もし、わかっていたとしても、地上から狙い撃ってそう当たるものではない。

 何しろ相手は時速数百キロで飛んでいるのだ。狙い撃つよりは弾幕を張って敵機が飛び込んでくるのを待ったほうがいい。

 今にも襲来しようとしている攻撃機を援護するように米軍地上部隊も猛烈な射撃を始める。

 上空に気をとられていた兵士が一人、二人と倒れる。

 リートは身を乗り出し、バイポットを土嚢に立てて針葉樹へ銃口を向ける。

 照明弾に照らされた真っ白い雪原に真っ黒い影を引く木々。そして、米軍兵士の姿が見えた。

 満を持して引き金を引く。

 MG42が驚いたように跳ね、兵士はバットで殴り飛ばされたようにばったりと仰向けに倒れる。

 倒れた兵士に、赤十字の腕章を付けた衛生兵が駆け寄る。

 彼女は再び引き金を引き、薬莢が跳ねるのと同時に衛生兵も倒れた。

 彼女は体をひねって銃を動かし、次の目標を探す。

「地上はいい! 空を頼む」

 兵士が彼女のヘルメットを小突く。リートはずれた庇を指先で戻しながらバレルジャケットを直接掴んで銃身を空へと振りかざす。

 エンジン音は聞こえるが、敵機の姿は見えない。

 煌々と輝く照明弾が極端に夜目を遮る。

 リートは再びタイプライターを開き、ロケット点火のコマンドを打ち込み、空へと舞い上がる。

 途中、落下傘にぶら下がったマグネシウムの塊とすれ違うが、視線を逸らして瞳孔を守る。

 照明弾を追い越したところで、彼女は空中に停止する。

ただでさえ燃費の悪いワルターロケットでホバリングなどすれば、さらに燃費は悪くなる。しかし、地面から敵機を狙うよりよほど建設的だ。

 光源を背後にしたことで視界はだいぶ良い。現に攻撃体制に入ろうとしている戦闘機のシルエットが見えた。

 だいぶ距離がある。そう慌てる必要もない。

 彼女は重いスライドレバーを引きMG42を構える。

 戦闘機は不意に機首を下げると翼下から何かを発射する。

 何か細いものが次々に飛び出し、赤い炎の尾を引きながら友軍陣地へ突き刺さる。

 連続した小爆発の衝撃波がリートの体を小刻みに揺する。

 対地ロケット。

 思考停止した頭脳がその言葉を吐き出した時、既に地上の陣地から対空射撃の銃火は上がっていなかった。

 敵は待っていたのだ。自分が痺れを切らして上空へ上がるのを。

 さっき、兵士たちが叫んでいたのを彼女はいまさらになって思い出した。

「撃つな! 生け捕りにしろ!」その言葉の意味は、つまりこういうことだったのだ。

 自分も一緒になって地上から銃火をあげていれば、彼らが攻撃されることは無かったかも知れない。

 少なくともロケット弾で手も足も出せずに吹き飛ばされてしまうことは避けられたように思う。

 それほど高くない上空からは、切れかかった照明弾の揺らめく明かりに照らされた焼け焦げ、ばらばらに吹き飛ばされた陣地と、累々と横たわる仲間たちの体が十分に確認できた。

 防御の要だったトーチカも崩れ、機関銃が一丁だけ破れかぶれの反撃を試みていた。

 襲い掛かる強烈な自責に胃が捻じれていくのを彼女は感じた。しかし、その不快感はすぐに怒りへと変わる。

「畜生! 畜生! 私がっ……私のせいでっ……」

 彼女は叫び、銃口を真下に向け、低空を駆け抜けていこうとする敵機に引き金を引いた。

 強烈な連射速度を持つMG42は盛大なマズルブラストと共にマガジンの中身を吐き出し。

 弾丸はまずプロペラを砕いた。次いでエンジンカウルに穴を穿ち、パイロットを風防ガラスごと引き裂く。そして、胴体から垂直尾翼に掛けてミシン目を開ける。

 操縦者と推進力を失った機体はしばらく水平飛行を続けたが、施設から突き出す巨大なレールのすぐ横を飛びぬけると急激に姿勢を崩し、その先に設置されたやはり巨大な刺股状のアンテナのそばに墜落し、火炎を吹き上げた。

 弾が切れるとドラムマガジンを毟り取り、思い切り足を後ろに蹴りだす。

 彼女の体はトンボを切って反転し、頭から地上を目指す。

 加速のGが重力を打ち消し。まるで上昇しているような錯覚を覚える。手はほとんど無意識にマガジンを交換し、初弾を装填していた。

 地面が猛烈な勢いで迫ってくる。

 ぶつかる直前に脚も使って上体を起こし、背面水平飛行に移る。一瞬視界が灰色に霞むが、彼女はロールを打って体を正常位へ戻す。

「生け捕りに出来るならしてみるが良い!」

 彼女の叫び声は轟音を上げるロケットにかき消されたが、針葉樹林を猛スピードで駆け抜ける少女の姿に米軍部隊の表情が強張る。

 その中で立ちすくむような兵士を見つけると、彼女は容赦なく引き金を引いた。

 英語の悲鳴と指示を求める絶叫。そして、チェーンソウにも似たMG42独特の銃声。

 暗い森を曳光弾が切り裂き、兵士たちを次々になぎ倒してゆく。

リートを狙う兵士もいたが、雪煙を蹴立てながら木々の間を縫うように跳ぶ彼女に中々狙いを付けることが出来ない。

 一方でリートは秒間二十発という驚異的な連射速度の機関銃でもって正確に兵士の体を引き裂いていく。

 彼女が五十発のマガジンを使い切るころには既に森は静かになっていた。

 遠くではまだ戦闘が続いているようだったが、銃声とロケットの噴射音に侵された彼女の聴覚にはその戦闘騒音はほとんど聞こえなかった。

 リートは仁王立ちに立って肩で息をしながらマガジンを取り、新しいものへと付け替える。

 加熱したMG42のバレルジャケットは雪を降り積もるそばから蒸発させ、湯気を立てていた。

 タイプライターのスクリーンには

――T液欠乏――

――C液欠乏――

――ロケット点火不能――

 という文字がささやかに印字されていた。

 聴覚が戻ってきたのか、遠くで響く銃声が少しだけ現実感を帯びてくる。

 それと共に、自分が殺してしまったも等しい戦友たちの事が胸のうちから込み上げてくる。

 本当の意味での家族が居ない自分に、父のように兄のように接してくれた男たち。彼らが今倒れている。

 彼女は不意に奥歯を噛み締めた。目の前の惨状を「戦争だから」、「兵士なら仕方が無い」などと割り切ることは出来なかった。しかし、今は割り切らねばならない。

リートは踵を返すと、建物の中へと入り開放されたゲートのスイッチを倒す。

 スイッチに連動して鋼鉄製のゲートが閉じ始めたのを確認すると壁に掛けられた受話器をとる。

 まだ回線は無事らしく、すぐに指揮所へと繋がった。

「私だ、西ゲート守備隊は全滅。増援を求める。それとラケーテンリュストツォイクロケット装具の燃料と7.92ミリ弾帯を準備してほしい」

「……了解。どこかで待ち合わせるか?」

 若い兵士の声。ここに勤務する科学者や技術者は敬語を使うが、兵士たちはかなり砕けた口調で応じてくれる。

 非常時でありながらも変わらない口調が、どこまでも共に戦い、守り守られる。〝戦友〟と言う存在を強く意識させた。

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