パンツァリート!

柏崎ちぇる信

1話 1944年 -1


 敗戦は決定的となっていた。しかし、祖国を遠く離れた雪深い針葉樹林の中で彼らはじっとその時を待っていた。

 月明かりの中に動くものはなく。聞こえる音といえば雪の重みに耐え切れなかった枝があげる、苦しげなうめきくらいのものだ。

 スカンジナビア半島の奥地にひっそりと建設されたこの研究所に今まさに米軍のレインジャー部隊が迫りつつあるなどとは思えないほど静かな夜だった。

「変化は?」

「何もない。ヤンキーどもは本当にくるのか?」

 月明かりを浴びて青白く輝く雪原を見つめていた着膨れ気味の兵士が、信じられないという様子で問いかえす。

 降り積もった雪が月明かりを浴びて青白く輝く様は、確かに戦争とは無縁としか思えないほどに神秘的な光景だった。しかし、既に二つの哨戒所と三つのパトロール隊が消息を絶っている。

米軍は息を潜めながら確実にこの施設へと近づいているはずだ。

「来るさ……でなきゃ、俺たちがこんな地の果てでコンクリートの棺桶に収まってる理由なんかない」

 そう、今は全施設に戦闘配置の命令が下っている。彼らがいるのは研究所の側面を防御するトーチカの一つだ。打ちっぱなしのコンクリートに小さな銃眼が開いただけの、簡素ではあるが堅牢な陣地はまさにコンクリートの棺桶と表現するのがぴったりだろう。

 トーチカに暖房は無く、その代わりに三脚に載せられた機関銃と手榴弾があるばかりだ。

 兵士は真っ白な息を吐きながら鉄兜のひさしを軽く持ち上げる。

 分厚い手袋をしているにもかかわらず、手の感覚はほとんど無かった。下半身に至っては感覚などだいぶ前から無く、コンクリートの床に釘で打ち付けられてしまったような気にさえなる。

 機関銃がわずかに凍り付いている。吐いた息が掛かったのかもしれない。兵士は手袋でその薄い氷を拭う。

 別段短気のつもりは無かったが、こうも寒いと焦れて来る。息を一つ吐くごとに体温が下がってゆく気がしてくる。

「何が親衛隊だ……ガキのお守りのためにこんなこんなくそ寒い思いしなきゃいけないなんて」

 そう零す兵士に後ろに控えていた別の兵士が小さく笑う。

「そう言うな。コーヒーでも貰ってこようか? 少しは暖まるだろう」

「煙草が吸いたい」

「煙草は駄目だ。暗闇に慣れた目が馬鹿になる」

「わかったよ。コーヒー取って来てくれ」

 言った直後、兵士はあわてて機関銃を握る。

「ちょっと待て、何か動いた」

 トーチカから出ようとしていた兵士も動きを止め、機関銃の傍らにある弾薬箱へと駆け寄る。

「もっとよく見ろ……」

 自然と声が低くなる。

「今、見てる。もう一回動いてくれれば……」

 機関銃をゆっくりと振り、照準越しに異変を感じた地点を見やる。

 動いた。直感が動物ではないと告げる。

「敵だ! 警報を!」

 その直後、トーチカにバズーカの砲弾が飛び込み、施設全体を揺るがした。


警告アハトゥンク! 警告アハトゥンク! 連合軍部隊による攻撃を受けた。全ての者は規定に従い所定の行動に移れ。これは訓練ではない。繰り返す。連合軍部隊による攻撃を受けた――」

 あちこちのスピーカーから警報が発せられ、武器を持った兵士や白衣姿の技術者たちが廊下に飛び出し、あたふたと戦闘配置へと避難用の地下壕へと向かっている。

「お父様!」

 そんなあわただしい状況に似つかわしくない少女の声が響く。だが、男たちに違和感を覚えている様子は無い。もしかしたら、そんな余裕すらないのかもしれない。

「お父様!」

 少女がもう一度叫ぶ、するとナチスドイツ独特の様式美を持つ軍服の上に白衣を羽織った男が振り返る。わずかに見える襟の階級章は少佐のものだった。

「――では、よろしいのですね?」

 少佐と話していた技術者らしい男が改めて問う。少佐は横目でちらとその男を見て小さく頷くと駆け寄ってくる少女へと向き直る。

「駄目じゃないか。ちゃんと地下にいないと……」

 お父様と呼ばれた少佐は青い瞳に厳しい表情を浮かべていた。少女は表情を曇らせる。

「だって、私は……」

 少女は年齢にして十四歳ほどだろうか、彼女もまた襟の高い濃緑の軍服を身に纏っていた。だが、ほかの兵たちのように乗馬ズボンやスラックスではなく。淵に細かいレースの施されたスカートを履いていた。

 軍服の丈が少し長いらしく、スカートはレースの部分がわずかに見える程度で、ワンピースのようにも見えた。そして、それらをまとめて、軍服の上から磨き上げられた革のベルトで絞めている。

 手足は長く、華奢だ。それを裏付けるように肌も磁器のように白く滑らかで、腰まであるブロンドの髪は音を立てそうなほど光っていた。

 顔は全体的に小ぶりで、どこか人形めいた妖艶さすら感じさせたが、切れ長の瞼に収まったコバルトブルーの瞳だけは薮にらみといっても良いような三白眼だ。

 見るものに強烈な印象を与える瞳だが、彼女の顔に収まっていると、彼女の強い意志の力を感じさせた。

「私も戦います……」

 しかし、少女の言葉に少佐は首を振る。

「リート、気持ちはわかるが堪えるんだ。連中はお前を狙っているんだ」

「でも、兵士たちが……」

「彼らは君のために戦っているんだ。その努力をムダにしてはいけない」

 口調こそ優しかったが、声音には少女の提案を許さないという厳しさがあった。しかし、

「お父様、ごめんなさい」

 少女、リートは踵を返し、コンクリートが打ちっぱなしになっているの廊下に足音を高く響かせて駆け出す。

 彼女の向かった方向には武器弾薬庫があった。

 兵士たちが何の為にいるのか。何故戦っているのか、そんな事は十分に承知していた。だからと言って何もせずに隠れているのは我慢できなかった。

 私は彼らを知っている。

 戦うために存在する兵士だが、その軍服を着ているのは、皆誰かの優しい父であり、頼れる兄であり、無邪気な弟なのだ。

 皆、誰かのかけがえのない男なのだ。

 何より彼らは私に優しくしてくれた。立場も違う、別種の人間である私に優しくしてくれた。そんな彼らが私の戦い、傷ついていくのを座視しているなんて出来るわけがない。

 どこまで行ってもコンクリートの廊下と規格サイズの鉄扉が並んでいたが、リートはその一つを迷うことなく開ける。

 そこは三方の壁に頑丈な棚を備えた小部屋だった。

 奥の棚にはこれ以上ないほど磨き上げられた機関銃、MG42がデッキランプの黄色い光を浴びて鎮座していた。

 彼女はそばにあった鉄兜をかぶり、手早くストラップをとめる。そして、MG42とは別の棚にある籠手を嵌め、軍服の上からベルトできつくとめる。

 彼女は次いで、左腕にヒンジの付いた黒い色をした細長く薄い箱を取り付け、手と口を使ってベルトを止める。そして、鍵十字を持つ鷲の意匠を軽く押して箱を開くと中にはキーボードとスクリーンのようにぴんと張られた紙が収まっていた。

 ややあって、その小さなタイプライターはカタカタと紙に印字を始める。

――信号なし。指示を求む――

 その文面にタイプライターが正常に作動していることを確信すると、タイプライターを再び閉じた。

 そこまで身に着けるとリートは一度部屋の入り口まで戻り、壁にかけてある黒い受話器をとる。

 籠手を付けてはいるが、フィンガーガード自体は手の甲の部分に折り畳まれているので受話器を取るのに苦労はしなかった。

「私だ。ラケーテンリュストツォイクは使えるか? 今、私の武器庫にいる」

「調整は済んでますが、あれは大佐の許可がないと……」

 父と話すときとは違う、厳しい口調に電話の相手が言いよどんだ。声でわかる。彼は大佐の右腕として働く主席技術将校だ。

「許可は私が取り付ける。今すぐに準備を……私は兵たちを救いたい」

 彼女は一方的に言うと、叩きつけるように受話器を戻す。そして、部屋の一角に積んである弾薬箱の一つを開け、薬莢が艶消しのグリーンで塗られた7.92ミリ弾の弾帯を取り出す。

 弾帯一つで五十発ある。けっこうな重さがある代物だが、彼女は器用にそれを丸く巻きつけ、小さなバケツのようにも見えるドラムマガジンの中に押し込む。

 弾の位置を少し調整して側面に開いたスリットから、弾帯の端についているスタータータブを引き出し、マガジンの蓋を閉じて金具で止める。それを五回繰り返して、二百五十発の弾薬を都合する。

 準備の整ったドラムマガジンに使いやすいようカラビナを通し、腰のベルトにぶら下げて行く。ちょっとした荷物ともいえる重さだが、彼女にはその重さが武装しているという安心感を与えてくれた。

 腰には四つのマガジンをぶら下げ、残りの一つはプレス加工による直線的なデザインが放つ無骨でありながら工業製品としての美しさと、兵器としての禍々しさを併せ持ったMG42に取り付け、これも慣れた仕草で弾帯をチェンバーへと噛ませる。まだ装填はしないがこれでほとんど戦闘準備は整った。

 あとはラケーテンリュストツォイクを待つだけだ。もし来ないなら、もう一度電話で呼ぶか、こちらから出向くしかない。

 またどこかで爆発が起こったのか床が微かに振動し、照明が明滅する。

 この弾薬庫は施設のほぼ中心部にある。今のところ直接の脅威に晒されているわけではないが、外の様子がまったく見えないのは辛かった。

 ラケーテンリュストツォイクを待たずに外へ飛び出してしまおうか、そんな考えが彼女の脳裏をよぎる。

 少女は天井を見上げ、思わずつぶやいた。

「焦れて来るな……」

 その言葉を待っていたように鉄扉が開き、数人の技術者と一緒に台車に乗せられた銀色の塊が現れる。

 それは全体を流線型で構築し、中ほどから薄い後退型の主翼が伸びていた。主翼といっても揚力を発生させるにはあまりにも華奢な造りだ。

 左右に伸びた主翼の先端にはやはり銀色をした筒が取り付けられている。筒とは言っても底の部分だけが抜けており、中から排気ノズルが四本覗いていた。

「遅いぞ」

「燃料の充填に手間取りました……」

 リートの言葉に白衣の男が応じる。先ほど電話口で話していた声だ。

 リートは小さく頷いて見せ、ラケーテンリュストツォイク(ロケット装具)の負い紐を肩に通し、腰のベルトとハーネスで繋いで固定する。

「燃焼時間は最長で六分です」

 技術者の一人が言う。彼女は首だけでそちらを向き頷く。

「少し伸びたな」

「はい、燃料の流入量を計算しなおして、ノズルの形状にもひと手間加えてみました」

「防弾のほうは改善したのか?」

「結局駄目でした。ですから――」

「衝撃と被弾は禁止。だろう?」

 技術者の言葉をさえぎってリートが言った。彼女は僅かに笑みを浮かべていた。

 研究資材すら満足に届かない中で、彼らは懸命に装備の改善に努めてくれた。そのことが彼女には嬉しかった。そして、頼もしく感じられた。

 これで、また一つ守るべき者ができた。

 少女はそう自分に言い聞かせた。

 この研究所に本国のようなイデオロギーは存在しない。ただ、己の本分だけは完璧に全うしようとする職人的な義務感に駆られた男達がいる。

 彼らが義務を全うするように、自分も義務を全うしなければならない。

 もちろん、本当の意味での義務ではない。自分にとって義務とは、そのまま存在意義に置き換えられる。だが、彼らを守ることの出来ない存在意義など必要ない。

 彼女はロケット装具から伸びるコードの先端を左手のタイプライターに差し込む。

 タイプライターを開くと、早速印字された文字が送り出されてくる。

――信号確認。T液、C液、異常なし――

――ヴァルターロケット点火可能――

 機器の調子は完璧だった。

 彼女はMG42を取り上げると、スリングを肩に掛け、技術者たちに振り返る。

 鉄兜に機関銃とその弾丸を二百五十発。そして、背中には液体ロケットエンジン。屈強な兵士でも辟易とする重さの装備を全身に纏いながら、身のこなしはなお軽々としている。

その足取りは鉄兜の下から翻る長いブロンドの髪とあいまって優雅さすら感じさせた。

「往くぞ。屋上から出る」

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