同僚

 窓の外は深海のような夜に沈んでいる。


 テス・テアロ天賜てんし城を南方に見上げる統合軍本部庁舎――略して軍庁舎は、ちょうど山陰に隠されるような位置にあるため、日中であっても暗く、日が没すれば星空すら山に遮られ、漆黒の夜に包まれる。


 その軍庁舎の中でも、さらに日の当たりにくい最北部の二階に、第七師団長リュートの執務室があった。


「…………」


 リュートは執務机に向かい、沈黙に身を浴しながら書簡に目を通す。


 室内の光源は天井に設置された精霊石。豆粒ほどの大きさでも、白い光を室内全体に行き渡らせることができる。アウリタ王国では、ごく当たり前に見ることのできる照明装置だ。


 新妻のミナとともに帰宅する途中、何者かの狙撃を受けたリュートは、ミナと別れたのち、最寄りの兵の詰め所で騎竜を借りて、至急、ここ軍庁舎を訪れた。


 その後、すぐに所定の報告と手続きを行い、賊の捜索手配を発した。

 即座に主要な大通りは検問によって封鎖され、城下町を囲う高い防壁、その出入り口となる門も閉ざされた。兵員による捜索も、騎竜を用いて迅速に行われている。


 しかし、一刻の時間がすぎても、未だに賊の発見には至っていない。


 アウリタ王国の首都、サウラアンキの城下町は、他国のそれに比べて面積こそ狭いもの、高低差が激しく、高い建物の隙間を縫う裏路地が、網目のように広がっている。不審者や不審物の発見には時間がかかるだろう。


 リュートは、現状、特に焦りを覚えてはいない。


 狙撃という手段を取ってきたことから考えて、国内に侵入した賊の数は少数と見ていい。相手に〈異邦の民〉がいたとしても、防備の整ったテス・テアロ城を落とすことは極めて困難だ。まして、相手はライフルという切り札を見せてしまっている。狙撃による暗殺を企てるような人間なら、ここで軽挙に走るとは考えにくい。すでに城下町の外へ逃亡している可能性もある。


 よって、リュートは賊への対応を兵たちに任せ、捜索手配のついでに執務室で溜まった仕事を片付けることにしたのだった。


 部下からの報告書に目を落としていると、


「おーっす。いるかぁ?」


 執務室の扉が開かれ、陽気な声とともに背の高い男が入ってきた。


「ノックくらいはしろ」

「いーじゃん、いーじゃん。知らない仲じゃあないんだからよ」


 リュートの窘めに、男は軽く手を振りながら応える。


 この礼儀を知らないと見える男は、名をジンバという。


 胸に略章のついた軍服をだらしなく着崩し、顎には無精髭、男にしては長い黒髪を頭の後ろで束ねている。顔つきこそ彫りが深く精悍な容貌に見えるが、浮かべている表情に締まりがなく、常にとぼけているような、不真面目な印象がある。


 下町の酒場でジョッキ片手に女性を口説いている姿のほうが似合いそうな男だが、これでもアウリタ王国の近衛師団を取り纏める師団長である。


 年齢的にはリュートの倍以上のはずだが、若々しい――というより軽い――服装や態度が、その年齢を感じさせない。


 リュートが軍に入った直後に知り合い、一時期、リュートが近衛師団に身を置いていたことから、今では軍の中で最も深い交流のある人物となった。何度かリュートの自宅を訪ねてきたこともある。無論、リュートが招待したのではなく、ジンバのほうから勝手に押しかけてきた。


「なんの用だ?」


 リュートは書簡に目を戻して訊ねた。

 ジンバがこうしてリュートの執務室を訪ねてくるのは珍しいことではない。大抵は特に用事などなく、適当に雑談をして帰って行く。


「お前、断ったらしいな」

「何をだ?」

「処刑執行役をだよ。ミ・タウ国王の」


 そのことか、とリュートは拍子抜けした。賊に狙われた直後に、それとは全く関係のない話を振られるとは思わなかった。


「誰に聞いた?」

「宰相殿だよ。処刑の日取りが決まったって報告を受けたときにな」


 ジンバは答えながら、応接用のソファに腰掛けた。


「部下に譲ってやったらしいじゃん。アイゼとかいったっけ」

「譲ったわけじゃない。元々、ミ・タウ国王を捕らえたのはアイゼだ。部下の手柄を横取りする趣味はない」


 アウリタ王国は、ミ・タウ王国との戦に勝利し、その国土を、民を、富を、丸ごと併呑した。


 敗戦国の王は捕らえられ、衆人環視の中で首を刎ねられる。そうすることで、戦争が終結したこと、ミ・タウという国が消滅したこと、そして何よりアウリタ王国の力を内外に知らしめることが目的だ。

 敗北した国家や組織の長とは、すなわち戦争犯罪人となる。その首を刎ねる役を任じられることは、名誉なこととされている。


 リュートもかつて、隣国イディスの地方領主の処刑を行ったことがある。あまり愉快な仕事ではなかった。


「日取りが決まったと言ったな。いつだ?」

「来週末だとさ。一応、軍事裁判にかけることになるから、時間がいるんだろうな。場所はエティール通りの階段広場だと」


 首都サウラアンキは聖山アウリタの麓、山の斜面に広がる町だ。多くの住民が生活するために高い建物が密集し、居住空間を無駄にしないよう、広場や公園などが一切ない。

 その代わりに民の憩いの場として作られたのが、階段広場だ。主立った大通りの一部に意図的な広い段差を設けたもので、休日ともなれば露店が建ち並び、多くの国民が足を運ぶ。

 エティール通りは城下町の中心を貫く大通りであり、その中途にある階段広場は、ちょうど城下町の真ん中に位置する。


アウリタ王国こっちでやるのか」

「悪政を敷いた王ってわけじゃないしな。ミ・タウ王国あっちで処刑しても無駄に反感を買うだけだろ」

「賢明だな。宰相の判断か」

「だろうなぁ」


 ソファの前のテーブルに置かれた水差しを取り、並べて置かれていたコップへ水を注ぎながら、ジンバは言う。


「そういや、ミ・タウ国王の娘――リュカ王女は療養所に移されたらしいぜ。怪我は大したことなかったみたいだな」


 リュートは、性暴力を受けて自失状態だった王女の姿を思い出した。


「何故そんなことを俺に言う?」

「なんでって、そりゃ、お前が捕まえたんだから、気になるだろ?」


 キョトンとした顔をしながら、ジンバはコップの水を飲んだ。


「まあ、いい。……それで、王女の処遇は決まったのか?」

「処刑はしないらしい。国民の人気もあったし、まれ美姫びきってことで他国にも名前が知れ渡ってる。下手に首刎ねたらアウリタの王族批判に利用されるからな。じゃあどうするかってーと、まだ決まってはいないってよ」

「まさかとは思うが……陛下は彼女を側室に迎えるなどと言い出さないだろうな?」

「そりゃお前、いくらなんでも――」


 ジンバは言葉を切り、しばし視線を宙に彷徨わせた。


「――ありうるな。陛下なら」


 アウリトス陛下の女好きは筋金入りだ。いくら傷物にされたとは言え、麗しの姫君に興味を持たないとは考えにくい。


「でもまあ、いざとなったら宰相殿が止めるんじゃね?」

「止められればいいがな」


 リュートが言うと、ジンバは苦笑し、一旦、会話が途切れた。


 読んでいた書簡を置き、顔を上げてリュートが言う。


「賊の捜索はどうなっている?」


 質問を予想していたのか、ジンバはすぐに答える。


「どうもこうも、万事に抜かりはないって。大通りは封鎖、門も閉ざして、城の警備も強化したし、警邏中隊の総員で捜索中だ。そうそう逃げ切れるもんじゃないさ。今夜中に見つかるんじゃね?」


 テス・テアロ城と首都サウラアンキの警備は、ジンバが長を務める近衛師団が担当している。だからこそ、彼が執務室に入ってきたとき、リュートは賊の捜索に関する話かと推測したのである。

 通常、町の警備や犯罪の取り締まりといった治安維持活動は、警衛隊けいえいたいという、軍とは異なる組織が行っているが、ここサウラアンキだけは例外で、近衛師団が警衛隊の役割も担っている。


「それにしても、珍しいよなぁ。兵たちも驚いてたぜ」

「何がだ?」

「お前が賊を取り逃がしたことだよ」

「遠距離からの狙撃だった。どうしようもない」

「んなこと言ってお前、前にデーゼルで射られたときは速攻で犯人を捕らえてたじゃねーか。なんで今回は逃がしちまったんだ?」


 リュートは質問に答えず、机の引き出しにしまっていたライフル弾の片割れを取り出し、ジンバに向かって放った。


「……っと。なんだこりゃ?」


 受け取った弾を手の平で転がしながら、ジンバは言う。


「矢尻にしちゃ小さいな」

「銃弾だ」

「ジューダン?」

「俺が生まれた世界で使われていた武器だ」


 ジンバは驚きに目を見開き、すぐに鋭く細めた。真剣な表情でソファに座り直すと、纏っていた軽薄な空気が消え失せた。


「賊は異邦の民か? なんで知らせなかった?」

「知らせても意味がない。兵たちを怯えさせるだけだ。その怯えはすぐに国民に伝わるぞ。騒乱になる」

「なんで怯える。そりゃ遠回しの自慢か?」

「ただの事実だ。過去に現れた異邦の民は武勇に優れる者が多い。歴史に英雄として名を残した者もいる。だから厳命したんだ。不審者を発見しても即時の報告と監視だけにとどめろと。絶対に捕らえようとするなと」

「だからってな、お前……!」


 ジンバはソファから立ち上がり、声を荒げようとした。

 しかし、すぐに言葉を止め、数秒、リュートのことを見つめて、


「はあぁ……」


 溜め息とともに体から力を抜き、ソファに腰を下ろした。


「確かになぁ……。お前の力を一番よく知ってるのは近衛師団うちの兵たちだし、賊がお前と同じ異邦の民だと知ったら、そりゃあビビるかもなぁ」


 元の軽薄な空気を纏い直し、ジンバは再度コップに水を注ぐと、それを一気に飲み干した。


 ジンバが憤ったのは、彼が自分の兵たちを大切にしているからだ。敵に関する情報を隠されれば、兵が死ぬ。普段、不真面目で軽薄に見える彼だが、部下を、そして国を想う気持ちは、師団長の中でも特に強い。


 それを知っているから、リュートはジンバが勝手に執務室に入ってきても、咎めることをしない。


「賊が異邦の民である可能性については、統合大元帥閣下にも報告してある。情報を秘したのは閣下の指示でもあるんだ」

「閣下はなんて?」

「情報の下達は師団長級にとどめよ、と仰った。その旨も合わせて、各師団長には報告してある」

「……は? ちょっと待て。俺は聞いてないぞ?」

「それはお前が書類仕事を嫌がって執務室に近づかないからだ。報告は書簡にまとめて、それぞれの執務室に届けたからな」


 ぐぅ、と短い呻きを上げ、ジンバは押し黙った。

 だが、すぐに顔を上げ、


「と、ところで……このジューダンってのは、どんな武器だ?」


 誤魔化すように話題を変えた。


「銃という道具から撃ち出されるのが銃弾だ。銃と銃弾の関係は、弓と矢のそれと同じと考えていい。銃が弓、銃弾が矢だ」


 リュートは手元の書簡に視線を戻し、ジンバの話題変更に付き合う。


「〈こちら〉の弓に短弓や長弓といった種類があるのと同じように、銃にも様々な種類がある。携帯できる小型の物から、数人がかりで持ち運ぶ大型の物、用途も様々にな」

「この銃弾をのに使われたのは?」

「ライフルと呼ばれる銃の中でも、特に狙撃に特化した物。スナイパーライフルや狙撃銃と呼ばれる、遠距離用の銃だな」

「遠距離ってーと、飛距離はどれくらいだ?」

「銃の種類にもよるが、今回、私を狙った狙撃は、おそらく六〇〇リグ以上離れた場所から行われていた」

「六〇〇!? ばっかじゃねーのお前!?」


 ジンバはソファの上で飛び上がり、素っ頓狂な声を上げた。


「どんなに訓練した兵でも、長弓で二〇〇リグ先の的に当てるのがやっとだってーのに、六〇〇だと!? んなもん、攻性霊術だって届くかどうか怪しいじゃねーか!」

「大声を出すな。俺の生まれた世界では、二〇〇〇リグ以上の距離からの狙撃に成功したという例もある」

「どんな世界だよ、そりゃ……」


 行きすぎた驚きが呆れに変わったのか、ジンバは力なく座った。


「前に、どっかの国で開発されたデーゼルが、五〇〇リグ先の獣を射ったって話を聞いて驚いたが、それ以上かよ……」

「飛距離だけでなく、狙いの正確さも弓より上だな。仮に、六〇〇リグ先まで矢を飛ばせる弓があったとしても、実際に当てることはほぼ不可能だろう」

「その銃ってヤツなら、当てられるのか?」

「ああ。実際、俺を狙った銃弾は、確実に俺の体を貫く軌道だった」


 だからこそ、剣で切り払うことができた。もし、少しでも弾道がずれていたら、反応はできても斬ることは叶わなかったはず。


「マジか。そんなもんがあったら戦が変わるな」


 自分の言葉から何かに気づいたように、ジンバは項垂れていた頭を上げた。


「それ、まさかで作れたりしないよな? イディスとかで量産でもされたら、大問題だぞ?」

「どうかな……銃のほうは作れるかもしれないが、銃弾は難しい。〈こちら〉には火薬がないからな」

「かやく?」

「詳しい説明は省くが、銃弾を飛ばすのに必要な物だ」

「それは作れないのか?」

「わからない」


 リュートは正直に答えた。


 火薬を作るのに必要な物質が〈こちら〉にないことは、ずっと前に調べてわかっている。

 だが、もしかすると、呼び名が違うだけで同じ性質を持つ物質が存在している可能性はある。


「ただ、もし仮に他国が銃や銃弾を量産しようとすれば、それには大量の金属が必要になる。諜報活動を怠らなければ気づけるはずだ」

「統合大元帥閣下には報告したのか?」

「当然だ。狙撃された一件と合わせて、今回使われたと思われる銃の特徴を、俺の知る限り記した報告書を提出してある。宰相にもな」

「あれ? 俺がそれを知らないのって……」

「さっさと執務室に戻れ。秘書が気を揉んでるぞ」


 ジンバは頭を掻きながら、バツの悪そうな笑みを浮かべた。

 それから、部屋の中をキョロキョロと、誤魔化しに使えそうな物を探して視線を彷徨わせ、


「お! そういや、さっきからお前、何読んでるんだ?」


 リュートが読んでいる書簡に目をつけた。


「ジンバ。嫌なのはわかるが、書類仕事からは逃げられないぞ」

「あー! あー! 何を読んでるのかなー!」

「……まったく」


 リュートは溜め息を吐き、彼の怠業に付き合うことにした。どのみち、話すことがなくなりでもしない限り、ジンバは部屋から出て行かないだろう。


「この書簡は、ミ・タウに駐留している部隊からの報告をまとめたものだ」


 軍庁舎の一階には、軍内部の霊術を用いた遠距離交信を取り纏める部署――発令所がある。優秀な交信術士たちが詰めており、各地から届けられる遠距離交信による報告を、ここで受け取っているのだ。


 ただし、いくら遠距離交信と言っても、ミ・タウの首都からサウラアンキまでは届かない。そこで、いくつかの中継点を設け、それぞれに術士を待機させて交信を取り次ぐことで、迅速な通信のやり取りを実現しているのである。


「ふーん。なんか面白いことでも書いてあんのか?」


 ジンバは執務机に近づくと、手を突いてリュートが机に置いた書簡を覗き込んだ。


「面白くはない。地方都市で反乱の予兆あり、だそうだ」

「反乱? そりゃあ面白いわけがねーな」

「村々を回って、アウリタによる占領に反感を持つ者や、ミ・タウ王国軍の残党を集めている者がいるらしい。まだ軍と呼べるほどの規模にはなっていないが……どうだろうな、首謀者の名前を見る限り、無視するのは危険だろう」

「誰だ? 名のある兵か?」

「ジェイガス・

「……は? バンラダウだと?」


 ジンバは報告の書かれた書簡を手に取り、読み始めた。それにはすでに目を通していたので、リュートは彼の行動を咎めなかった。


「本当だ。バンラダウ。確かに書かれてやがる」

「ミ・タウの近衛師団長、キカリ・エル・バンラダウの弟を名乗っているそうだ。少なくない人間が集まっているのは、その名前の力だろうな」


 リュートは、自分がトドメを刺した彼女の顔を思い出しながら言った。


「馬鹿言え。キカリは天涯孤独って話だったろ。孤児だったはずだ」

「孤児だったのは七才までの話だ。そのあとは何人かの里親の元を転々としている。十才の頃、ほんの数ヵ月間、ゾット・レンナーという地方の資産家の元で暮らしていたんだが、そこの息子が――」

「――ジェイガスか」


 言葉を引き継いだジンバに、リュートは頷いて見せた。


「どういう恥知らず野郎だよ、このジェイガスってのは。戦争が終わったあとにノコノコ出てきて、国のために戦って死んだ姉の名を使って人集めだぁ? ふざけてやがるな」


 ジンバは顔にも声にも不快の色を隠そうとしなかった。

 国は違えど、キカリもジンバと同じく、王の最も身近に仕える戦士だった。年齢も近いキカリに対し、彼なりに思うところがあるのだろう。


「どういうつもりかは知らないが、有効な手だ。このまま放置すれば、無為に兵員を損ずることになるかもしれない。早い内に総力を持って潰しておいたほうがよさそうだな」

「なんだよリュート。お前が行くのか?」


 ジンバが読み終えた書簡を机に置きながら言う。


「戻ってきたばかりだってのに、トンボ返りかよ?」

「今はサウラアンキを離れられない。狙撃してきた賊の件もある。それに――」

「それに?」

「……いや、ともかく、三個中隊を派遣して、ミ・タウの駐留部隊と合流、大戦力で一気に壊滅に追い込む」

「連隊長は誰にやらせるんだ? お前の代わりが務まるヤツなんているかい?」

「バールフェイルがいる。中隊長を務めた経験があるし、腕も立つ。人望もある男だ。それに、俺が戦勝の褒美に妻を三人賜ったことを話せば、張り切るだろう」

「はぁ? それがなんの――」


 ジンバはそこで言葉を切り、呆れたように天井を見上げた。


「あー、そういや、バールフェイルってのは……」

「そうだ。王と同じだ」


 要するに、女好きなのである。それも、他の師団に名が知れるほどの。


「そりゃあ結構だけどよ、だからこそ功を焦るってこともあるんじゃね?」

「ないな。三個中隊に女兵のいる小隊を組み込む。万が一にも、彼女たちを危険に晒すような指揮はしない」

「わっかりやすいヤツだなぁ。部下がみーんなそいつみたいにわかりやすけりゃ、楽なのになぁ……」


 リュートは何も言わなかったが、同感だった。


「にしてもさぁ、リュート、お前……」

「なんだ。まだ無駄話を続ける気か?」


 ジンバが話題を変えようとしているのに気づき、リュートは眉を顰めた。


「さっき言い淀んだのって、結婚披露宴のことを考えたからだろ」

「……ジンバ。さっさと執務室に戻れ」

「なんだよ。誤魔化すなよ」


 ジンバはニヤニヤとしか表現できない笑みを浮かべている。明らかにリュートをからかう気だ。付き合ってはいられない。


「いつやるんだ、披露宴。俺も招待してくれよー?」

「知らん。執務室に戻れ」


 リュートが手で虫を払うような仕草を見せても、ジンバは一向に話をやめる様子はない。


「いいよなぁ、三人の新妻なんてよぉ。あー、羨ましい!」

「執務室に戻れ。お前にも妻はいるだろう」

「リュート、知らないのか? 最近じゃ、女房と騎竜は新しいほうがいいって言うんだぜ?」


 こんなことを言っているが、彼が愛妻家であるという事実は、彼の同僚や部下には知れ渡っていることだ。


「執務室に戻れ。女房は知らんが騎竜は乗り慣れたものがいい決まっている。王から賜ったあの煌血竜、手懐けるのにどれだけ苦労したと思ってる」

「お前、煌血竜って言ったら、国を一周するのに三日とかからないとか言われてるんだぞ? そんなバケモン簡単に乗りこなされてたまるか」

「知らん。執務室に戻れ」


 拒否の姿勢を示すべく、リュートは机の上の書簡を束ね、ジンバの手から銃弾の片割れを奪い取った。


「へいへい。戻りますよ。戻ればいいんでしょ。仕事しますよ」


 露骨に拒まれ、ジンバは当たり前のことを言いながら、執務机から離れ、扉に手をかけた。

 ところが、すぐに振り返ると、


「俺は執務室に戻るけどさ、お前は早く家に帰れよ」


 真面目な顔をして言った。


「何故だ?」

「新婚だからだろ」

「……それが?」

「自分で選んだ妻じゃなくても、お前はあの子らの夫になったんだ。結婚したその日くらい、早く帰って可愛がってやれよ」


 ジンバの表情にからかいの色はなかった。むしろ、リュートのことを案じているように見えた。


「妻を可愛がる、ってのが嫌なら、王から賜った品を愛でる、って思えばいいだろ。粗末に扱ったら、それこそ不敬だぜ?」

「……わかっている」


 リュートはジンバの真剣な目を見つめ返しながら言った。


 彼の言っていることは尤もだ。リュートは謁見の間で「ありがたく頂戴します」と言った。彼女たちを妻として受け入れた。彼女たちの夫となることを受け入れた。それを撤回することはできないし、する気もない。


 自分は警戒しているのだろう、と思う。王や妻たちに、何かしらの思惑があるのではないか……と。


(我ながら、弱いな。惰弱だ。この精神は)


 弱いからこそ、警戒する。そして、それはいつしか怯えに変わるだろう。

 リュートが出世することで自分の地位が奪われるのではないか、と過剰に怯えている貴族たちの姿を思い出す。ああはなりたくない。


(そのためには、妻たちと向き合っていかなくてはならない……か)


 ジンバの言葉に背中を押されるというのは、少しばかり釈然としないものがあるがな、とリュートは思った。


「とは言ってもさぁ……」


 ジンバが粘つくような声で言う。


「迷うよなぁ……どんな順番でねやに呼ぼうかって」


 その顔からは真面目さが消え去り、いやらしい笑みが浮かんでいた。


「三人とも美人だけど、それぞれ雰囲気違うもんなぁ……どんなが好みかとか、こうなりゃいっそ三人まとめて……とか、色々考えちまうよなぁ……?」

「執務室に戻れ。ジンバ」

「そうだな。早く戻るよ。お前も早く帰りたいもんな」

「執務室に戻れ」

「頑張れよな、リュート。三人同時となると結構大変だろうからよ。腰、痛めないようにな?」

「とっとと戻れ!」

「精一杯励めよ~」


 余計なお世話としか言いようのないセリフを残し、ジンバはリュートの執務室から出て行った。

 残されたリュートは、


「まったく……」


 と、溜め息を吐きながらも、自分が笑っているのを自覚した。

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