プロローグ 4

「君は、生まれる世界を間違えた」


 暗黒に包まれた空間で、女は笑いながら、そう言った。


 少女とも呼べるような幼い顔つき。あどけなさすら感じさせる。

 だが、浮かべる笑顔には、濃い蜂蜜のような妖艶さが漂う。


「君さぁ……頭おかしいんじゃないか?」


 笑顔を一転、女は害虫を見下すような表情で言った。


「いくらいじめられてたからってさ、フツー先生殺したりするかね? しかも、あんな惨い方法で。ぶっちゃけ、ありえないんだよね。君みたいな異常、異端、イレギュラーはさぁ……んだよ」


 女は不快そうに眉を歪めたまま、テーブルの上に置かれたティーカップに手を伸ばした。

 ほんの一瞬前まで、テーブルの上には何もなかったはずなのに、竜人たつひとが女の顔に注目していた僅かな時間で、テーブルと同じく白いティーカップが出現していた。


 カップの中身を一口飲み、女は言葉を続ける。


「間違ってるよ、君の存在。この世界に在っちゃいけないものだ。まさに異物。邪魔者。迷惑なんだよな、はっきり言って。わかる? わかってるよね? わかってない振りしたってダメだよ。心の底でそれがわかっているから、余計に君は異常なんだ」


 まくし立てるように言い、女はまた笑顔に戻って、足を組み直した。


 椅子に座っているためにわかりづらいが、女の身長は竜人より若干低いくらいに見える。

 身に纏っている服は、服と言うよりだ。帯状の布を2本、胸と腰に巻いているだけのような格好で、肌のほとんどが露出している。しかも、胸の先端の形がくっきりと浮き上がって見えるほどに薄い。


 だが、下着姿のほうがマシと思える服装よりも、さらにおかしいのが、頭だ。


 女の頭には


 中心に光り輝く太陽、周囲を惑星の軌道を示す金の輪が巡り、水金地火木土天海の九つの星が、金の輪に添って周回している。そんなのような物体が、30度ほどの角度で、斜めに女の頭部に突き刺さっているのだ。


 女の小ぶりな顔を飾る髪は、輝く水色という非常識な色をしているものの、流れる清流を思わせる美しさなのに、そこに突き立つ太陽系だけが、異質で、異常だ。


 お前のほうがよっぽどだろう、と竜人は思った。


「聞いているのかなぁ、竜人くん。私の姿に見惚れていないでさ、何か言っておくれよ。折角、君みたいな異常者と、こうして対等に話してあげているんだからさ。感謝の言葉くらいあってもいいんじゃないかい?」


 人を小馬鹿にしたような態度と口調で、女が言う。その水色の髪に、金の輪を周回する木星が飲み込まれるように消えた。


 竜人は、女の顔を真っ直ぐに見つめ、


?」


 と、問うた。


 すると、女が噴き出す。髪に飲み込まれていた木星が、頭の反対側から再び姿を現した。


「やっぱり、君は異常だよ。これだけ散々に悪口言われてるんだからさ、周りの状況とか置いといて、何か言い返したくならないのかい?」

「……お前は」

「ならないよね。君は何も言い返さないんだ」

「…………」


 言葉を遮られ、竜人は押し黙った。

 言い返したくならないのは事実だから、沈黙で肯定した。


「悪口も罵倒も非難も中傷も、君の心にはなんらのダメージも与えられない。いじめられていたときもそうだった。先生やクラスメイトの嫌がらせに、君は何も感じていなかったよね。辛いとか悲しいとか、怒りすらなかった。ただ、邪魔だった。日々の生活で、彼らのする嫌がらせが、ただただ邪魔だったから、君は先生を殺した」


 竜人は黙ったまま何も言わなかった。


「普通ね、そんな理由じゃ殺さないよ」


 そう言って竜人を見つめる女の目は、黒。

 周りの暗黒を取り込んだかのような、黒。


「君にとっての殺人ってさ、スマートフォンの画面についた汚れを拭き取るようなことでしかないんだ。ちょっと画面が見づらくなったから、クロスで拭き拭き。そんな感覚で君は人を殺す。狂ってるね」


 言葉とは裏腹に、女は楽しそうに微笑んでいる。


「狂っているのが、悪いことか?」


 言い返したらどうなるのか、少し試す気分で竜人は言った。


 だが、女は質問に答えず、


「ほら、そういうことを言えるのが、普通じゃないってことなんだ」


 水色の髪をクルクル指で弄びながら、足を組み直した。


「周りの状況見てごらんよ。異常だろ。変だろ。普通はもっと混乱するものなんだ。理解の及ばない異常事態に際し、心拍数は急上昇して、呼吸も乱れる。一種の興奮状態に陥るんだね。今の君みたいに冷静じゃあいられない。冷静じゃなくなるほうが安全だからね。生物的にはさ。まして――」


 女は、くくくっ、と笑いながら、竜人の右手を指差した。


「そんな風にさ、気づかれないようにゆっくり手を動かして、ポケットから銃を抜こうとしたりはしないんだなぁ」


 思惑を指摘され、竜人は右手の動きを止めた。


「とりあえず撃ってみるか、とか考えたりした?」

「……そうなら、どうする」

「どうもしない。銃で撃たれたくらいじゃ私は消えない。黙らない。この空間もなくならない。無意味だよ」

「それが本当だという保証はない」


 女はわざとらしく溜め息を吐いた。


「君はまるで、心がないようだね。……いや、心はあるか。今の状況に驚いてはいるし、恐怖もしている。だが、そういった心の動きが、体に影響を与えていない。現に、右手に握り締めていたゴルフクラブが消えて君は驚いたが、それが全く表に現れていない」


 世界が崩れている最中に、右手のゴルフクラブの感覚が消えたことには気づいていた。そのことに驚いてもいた。

 しかし、考えたところで理屈がわかるわけではないと、原因追及の思考と、驚きという情動とを、竜人は意図的にシャットダウンしていた。


「言っておくけどね、ポケットに拳銃はないよ。あと、警棒もない。今や君の物と言えるのは、着ている衣服と、そのスマートフォンだけだ」


 竜人の左手には、まだスマートフォンが握られていた。

 右手を動かしてジャケットのポケットに触れると、女の言うとおり、確かに何も入っていないことがわかった。


「ほら、また。銃が消えていることに驚いて、でもそれを体が遮断したね? だから表情にも動作にも表れない。訓練したり薬物を使えば普通の人間にもできるけどさ、君はそのどちらでもない。だから、異常なんだよ」


 心底愉快そうな笑顔で、女は笑う。その表情は、新しいオモチャを買ってもらった幼児のようでもあった。


 竜人は再度、女の目を見つめ、問う。


?」


 女はティーカップをテーブルに置き、答える。



「私はだよ。君が生まれ、そして生きてきた、このだ」



 女の声が、暗黒という液体に混ざっていくように、緩慢に響いた。


 竜人は、表情ひとつ変えなかった。

 変えることができなかった、と言ったほうが正しい。


「どういう意味だ?」


 正直に問い返す。


「そのままの意味だよ。全ての言葉には、そのままの意味しかない」

「世界そのものに意思があるとでも言うのか? お前が、その意思だと?」

「世界に意思なんてないよ。人格もない。今、君の前で、さも人格を有しているかのように語っている私は、君の脳が作りだした幻覚にすぎない」


 女は椅子の上で膝を抱え、体育座りのような格好をした。


「世界は君に干渉した。それに対し、君の脳は、世界という存在と対話しているかのような幻想を作りあげた。一種の防御反応だね。だから、この世界わたしは君の中にしかない妄想のようなものだ。世界は君と対話なんてしない。世界は。それは判断ではなく、法則、システム――ただ、だというだけだ」


 今度は曲げていた足を伸ばし、女は暗黒の中に立った。


「君が目の当たりにしてる、この少女の姿。これもまた、君が脳内で作りだした妄想にすぎない。君の中にある世界に対するイメージが、形を為したものだ」


 艶めいた笑みを浮かべながら、女は肢体をくねらせる。


「一体、この破廉恥な格好にはどんな意味があるんだろうね? 散々恥ずかしい部分を見せておきながら、肝心のところは見せようとしないとか? この頭にある太陽系はなんだろう? 真の宇宙とは、人間の外ではなく、人間の中にこそ存在する……みたいな意味かな?」


 言葉の語尾は上がっているが、質問しようという意図は感じられない。

 この女が、本当に竜人の脳内で作りあげられた妄想ならば、質問にも、会話することにも、意味はない。ただの竜人の独り言と変わらない。


「私の顔やスタイルだって、君の妄想なんだよ? もしかして、君はこういう女の子が好きなのかな? だとしたら、なんだ、割と普通じゃないか。おっぱいも大きいし、顔は幼いけど、君の年齢からすればロリコンってわけでもないな。まあ、あと5年くらいしても私の姿が変わらなかったら、流石にロリコンかな」


 その大きい胸を見せつけるようにしながら、女は椅子に座った。


「……世界は全てを決定している、と言ったな」


 数秒の沈黙を置き、竜人は口を開いた。

 女との会話が無意味でも、確認しておくべきことはある。


「うん、言ったよ」

「その決定とはなんだ? 世界は何を決めた?」

「君を、このだよ」


 女はキッパリと断言した。


「さっきも言ったじゃないか。君は異常だって。イレギュラーだって。そんな君を、いつまでも世界わたしの中に存在させるわけにはいかないんだよ」

「何をもって異常と言う? 俺が人を殺したからか?」


 竜人の問いに、女は哄笑した。

 椅子の背もたれに仰け反って一頻り笑ったあと、女は答える。


「そういうさぁ、否定されるとわかった上での質問、やめてくんないかね。わかってるんでしょう? 人を殺した程度で弾いてたら、世界に人が足りなくなっちゃうよ」


 女は前屈みになり、胸を強調するような姿勢で、艶美な笑顔を浮かべながら、上目遣いに竜人を見た。


「何故か、って問われたら、君は『を止めるため』って答えるよね? 岡本先生を殺した理由をさ。でも、本当は殺す必要なんてなかった。そのことを君だってわかっているんだ」

「他に方法はなかった」

「だから、否定されるとわかってることを、わざわざ言わないでよ」


 ぺろり、と上唇を舐め、女は続ける。


「方法ならあった。君もそれを知っていた。例えば、パパとママに頼んで転校させてもらうとか、登校拒否してフリースクールに通うとか、どっちも逃げることになるけどさ、それを気にするような君じゃないでしょ? でも、君はそれをしなかった。選択肢にすら入れなかった。何故かと言えば……だ」


 竜人は何も言わなかった。

 否定されるとわかっている言葉しか、思いつかなかったからだ。


「いつもの通学路でさ、道路工事をしてたんだ」


 例え話のつもりか、女はいきなり話を変えた。


「道路工事をしていて、道を通れない。ここで普通の人ならさ、迂回路を探してそっちを行くんだよ。でも、君は違った。無理矢理に、工事現場を突っ切って進んだんだ。、って理由だけで」


 異常だよ、と女は繰り返す。


「パパとママに頼み込むより、フリースクールという新しい環境に飛び込むより、岡本先生を殺すほうが面倒が少ないって、君は判断したんだ。それも、そのあとで警察に追われることを計算に入れた上で、殺すほうが楽だと思ったんだ。それが異常でなくて、なんなのかな?」


 女は上体を起こし、足を組んだ。

 暗黒の中で、素足の白さが際立って見える。


「その上、君は何を考えた? 警察と戦うって? バッカじゃないのかい? 夢見がちな中学生の妄想かよ。……ああ、そういや君は中学生だったね。だけど、普通じゃない。普通の中学生は、妄想するだけで実行しないもの」


 コホン、と女はわざとらしく咳払いし、ティーカップを口につけて喉を潤した。


「しかし、君には実行できてしまう。本当に警察と戦えてしまう。君のが、それを実現してしまうだろう」


 竜人は、黙って女の話を聞いていた。何を言っても無意味に思えた。

 女の言っていることが本当だろうとデマカセだろうと、ここで自分にできることはない。女の顔面を殴りつけたところで、きっと周囲の暗黒は、ちっとも晴れやしないだろう。

 そんな根拠のない不明瞭な確信こそが、女の言う〈世界からの干渉〉の結果なのかもしれない。


「君の体は、君の心が思うように動くだろ? それって当たり前のことのようで、そうじゃないんだな。普通の人間は、人の頭を狙ってゴルフクラブをスイングしても、そうそう思うように当てられないものなんだよ。だからさ、何事にも練習ってのが必要になる。心で描いたイメージに、体の動きを合わせていく作業がね。でも、君はそういうの必要ないじゃん」


 女はティーカップを置いた右手で、竜人を指差す。しなやかな人差し指は、竜人の心臓を正確に差していた。


「君の心と体は気持ち悪いくらいに仲が良いんだなぁ。以心伝心、心が思い描いたことを、体は一瞬にして理解して、そのとおりに動いてくれる。本当に気持ち悪いよ。吐きそう」


 おえぇぇ、と女は嘔吐する演技をした。


「心が激情に駆られても、体はそれを表に出さない。逆に体が怯えても、心がそれを叱咤し支える。そういう繋がりがさ、君をまるで強い人間みたいに見せているんだな。本当は人間に似てるだけの異物にすぎないのに。実際、君は警察といい勝負できたと思うよ。だけど、そんなことをされてしまうと世界わたしが困るんだ。わかるよね?」


 いつの間にか、テーブルの上にはティーポットが出現していた。女は慣れた手つきでポットの中身をカップに注ぐ。


「君みたいな存在は、たまに生まれるんだよ。進化のためのバラつきを認めている以上、それは仕方のないことなんだ。もっとも、ほとんどの場合、物心つく頃には普通の人間になっているんだけどね。心と体も疎遠になって、まあ精々スポーツとかで有名になったりするくらいかな」


 カップから、湯気と香りが立ち上る。紅茶の香りだ。


「しかし、どうしたわけか君は異物のまま成長してしまった。挙げ句、あんな馬鹿げた事件まで起こした。放っておいたら世界中の人を相手に戦争しそうだ。君という存在は、言わば世界わたしの中にできた腫瘍なんだよ。悪性の腫瘍なんだよ。なんだよ」


 竜人の理解を促すように、女は言葉を繰り返す。


「だから、この世界から俺を切り離すのか」

「そうだよ。もう大きくなりすぎて薬では治療できないからね。このまま世界の全てが冒されてしまう前に、君という癌を切除するんだ」


 女は湯気の立ち上るティーカップに口をつけた。


「……あちっ」


 だが、中身が熱すぎたのか、すぐに口を離した。


「俺のように大勢の人間を殺した、殺そうとしている人間は、他にもいるはずだ」

「どこにいるってのさ?」

「戦場に。世界のどこかには、いつだって戦場がある」

「あのねぇ……兵士たちみんなが君みたいな精神構造で戦っていたらさ、戦争が終わって国に帰ったのにPTSDを発症して日常生活が送れない、なんて話が出てくるわけないでしょ?」


 女は、ふーふー、とカップの中に息を吹きかけてから、続ける。


「君、あの女の子を殺したとき、何を思った? あの小さくて可愛らしい女の子の頭をぶん殴って、何を感じた? 可哀相に脳みそ垂らして横たわる女の子を見下ろして、何を考えた?」

「………………」

使、って思っただろ。女の子の死体を警官隊に向かって放り投げてさ、さらに動揺を誘って隙を作れるかな、って考えただろ。ほんのちょっとでもそんな発想ができるヤツがさ、普通の人間……いや、普通の生物なわけがないんだよ」


 女は目を見開きながら言った。

 説教するような口調ではなく、嘲笑うような調子で。


「マンションから無事に脱出できる可能性を、少しでも高めるためだ」

「嘘だね。君はあの時点で自分の心と体の異常性に気づいていた。死体なんか使わなくたって、警官隊を突破できると確信していた。そもそも、女の子を殴り殺す必要だってなかったんだよ。君の体は思い描いたとおりに動く。研ぎ澄まされた感覚を頼りに、ちょっと気絶させることくらい、わけなかった」


 竜人は押し黙った。

 口籠もったわけではなく、女の言っていることが、まさに自分の考えていたことと全く同じだったからだ。


「なのに、君は殺した。そのほうが楽だから、ってだけでね」


 この女は本当に、自分の脳内で作り出された女だ。

 そんな確信が、紅茶に落とした角砂糖のように、じわりじわりと自分の脳内に染み込んでいく感覚を、竜人は感じた。


「異常だよ、君は。だから、とっとと出て行ってもらう。世界わたしの中から。永遠にね」


 女は手に持っていたティーカップを落とした。カップは音もなく、ただひたすら、暗黒の中を落ちていく。


世界おまえの外には何がある?」

「別の世界さ。世界は無数にある。人間が無数にいるのと同じように」


 カップを追いかけるように、テーブルが下に向かって落ち始めた。

 女が立ち上がると、座っていた椅子が暗黒へ沈むように落ちていく。


「君がどんな世界に飛ばされるかは知らないけれど、そこにも多分、人間がいる。そこで、ちょっとしたサービスだ。言葉にだけは不自由しないようにしてあげよう。あと、そのスマートフォンは記念に持っていくといい。自分がであることを忘れないようにね」


 女の体が、手足の先から、暗黒に溶けるようにして消えていく。

 それと呼応するように、竜人の意識も薄くぼやけ始めた。


「世界から弾かれた者よ。君は今、何を思う?」

「特に何も」

「だろうね。それでこそ正しい木崎竜人きざき たつひとの在り様というものだ。の在り様だ」


 世界を名乗る女の体が消えていく。

 自分の意識が消えていく。


 女の細い腕が、張り詰めた太股が、小柄な肩が、くびれた腰が、頭の太陽系が、順々に消えていき、最後に残った口元が、



 そんな言葉を発したような気がした。



     ◆ ◆ ◆



 意識を取り戻しても、竜人は闇の中にいた。

 ただ、その闇には光輝くものがあった。


 星だ。


 見上げると、そこに満天の星空が広がっていた。

 黒い布の上に、小さなダイアモンドを無数に散りばめたような星たち。今にも降ってきそうな、手を伸ばしたら届きそうなほど近くに、星空を感じた。


 しばし見惚れたあと、竜人は自分の体を確かめた。

 特に変化はない。下にジーパン、シャツの上に防弾ベスト、その上から父親の黒いジャケットを羽織っている。マンションにいたときと同じ格好だ。


 ただし、ポケットに入れていた拳銃と警棒、それと銃弾も消えていた。

 ゴルフクラブもなく、持っているのはスマートフォンだけ。

 あの女の言っていたとおりだった。


 不意に、肌寒さを感じた。かなり気温が低いようだ。

 辺りを見回すと、すぐ近くに大きなテントが張られていた。テレビで見た遊牧民の住居に似ているテントが、見えるだけで三つある。それらの入り口付近には松明が置かれ、揺らめく炎が周囲を赤く照らしている。


 明かりの近くに、何かの動物が繋がれているのが見えた。最初は馬かと思ったが、目をこらして見ると、まるで違う。

 ツヤツヤした鱗に、大きな翼、それは二本足で立つドラゴンであった。


「おい! 貴様! そこで何をしている!」


 背後から大きな声がした。

 振り向くと、松明を持った髭面の男がコチラに近づいてくるところだった。


「なんだぁ貴様! アウリタの手の者か!?」


 男は、防弾ベストではなく、金属製の胸当てをつけている。肩や足にも鎧のような金属製の板をつけており、腰から、拳銃や警棒ではなく、両刃の剣を提げていた。


 竜人は、男の格好に少し驚いた。

 けれど、体は、心に感じた驚きを表に出さなかった。


「何を呆けとるか! 答えろ!」


 男は左手に松明を持ち、空いた右手で剣を抜く。

 それでも竜人の体は冷静に、左手のスマートフォンを操作した。幸い、電源は入ったままだった。


「さっさと答えんと、叩っ斬るぞ!」


 男の胴間声には答えず、竜人はスマートフォンを左のほうへ放り投げた。

 その直後、スマートフォンから大音量のメロディが鳴り響く。


「のわぁっ! な、なんじゃあ!?」


 男が驚きの声を上げ、視線が地面に落ちたスマートフォンに向けられる。体が心に引きずられ、動きを止めている。

 その隙に、竜人の体は動いた。心の思い描いたとおりに。

 一瞬で間を詰め、男の左手を掴み、松明の炎を男の顔へ押し当てる。


「ぎゃあっ!?」


 男が悲鳴を上げながら後ずさり、右手の剣を取り落とした。

 竜人はそれを即座に拾い上げると、一瞬の躊躇いもなく、男の首に狙いを定めて一閃した。


 だが、剣は想像よりも切れ味が悪かったらしく、男の太い首を半分ほど断ったところで止まってしまった。

 仕方なく、思い切り剣を引き抜く。

 ぶしゃっ、と音を立てて、鮮血が夜の闇に散った。


 男はその場に倒れ、ひゅーひゅーと掠れた声で悲鳴を上げながら藻掻いていたが、やがて動かなくなった。


 その間に、竜人はスマートフォンを拾い上げた。乱暴に扱ってしまったが、壊れてはいないようだ。


「何事だ!」

「どうした!?」

「敵襲か!?」


 男の悲鳴と、スマートフォンの大音響を聞きつけ、テントの中から鎧を纏った男たちが飛び出してくる。


 彼らの鎧には、みな同じ紋様が描かれていて、手に持っている剣などの装備も意匠が統一されている。おそらく、ここは軍隊の宿営地なのだろう。あの紋様は、どこかの国家を示すものか。

 さっき殺した男は「アウリタの手の者か」と叫んでいた。そのアウリタというのが、彼らと敵対する組織、または国の名前だろう。


 飛び出してきた男たちの中に、槍を構えている者がいた。


(とりあえず、あれを奪うか)


 男たちの多くは剣を握っており、槍を使っている者は少ない。そうなると、槍のほうが戦いやすそうだ。


 竜人はすでに彼らの仲間を殺している。今さら何を言い訳したところで聞き入れられはしないだろう。抵抗せずに捕まっても、どうせ殺されるだけだ。

 だったら男を殺さなければよかったのだが、自分の事情を話すのが面倒だと思ってしまったのだ。どっちみち、もう殺してしまったのだから、後戻りはできない。


 だから、戦うしかない。生き残るために。

 彼らを殺してでも、自分のために、自由のために。


 竜人はどう戦うかを心に描く。そうすれば、体がそれに応えてくれる。

 剣の柄を両手で握る。

 寒さはもう感じない。

 心が、体が、戦うことに、殺すことに、最適化されている。


 ここがどんな世界かは、わからない。

 ここがどんな世界かは、関係がない。

 やるべきことは、と同じだ。


 木崎竜人きざき たつひと――は、剣を携え、夜の闇を裂くように駆ける。

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