結:この手を離さぬように
思いっきり僕の手が狙われていたという事実に僕の身は強張り、少しの震えが走る。
考えれば考える程、あの少女の意図が透けて見えるようだった。
声を聞きづらくしていたのは、油断させるためか、あわよくば無意識に相手が返事をしてしまうのを待ち構えていただろう。
だとしたら、あのまま近づいたり、少しでも。そう、例えば、「うん……?」とでも呟いてしまっていたら……。
背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。結構危機一髪だったらしい。僕は霊と触れ合えるのだ。そんな腕は、向こうから見たら喉から手が出るくらい欲しかったに違いない。
状況を把握し、顔をひきつらせる僕。一方のメリーはというと、己の手を感慨深げに撫でていた。
「霧手浦。手が霧のように雲散霧消するのか。はたまた霧が斬りに転じるのか。どのみち物騒な駅名だな何て思ったけど……まさか本当に手を探す女の子に逢うなんてね」
手を探す。それは、失った自分の腕の変わりか。はたまた自分の手を引いてくれる存在か。真意は分からないけれど。
哀しげに去っていく少女の姿が脳裏から離れない。恨めしげに僕の手を見ていた。嫉妬か羨望か。どちらにしろ、増幅した感情はよくないものになる。あのワンピースの少女は、言い方は悪いが、まさしく悪霊だったのだろう。
「そういえば、どうして出口で僕を止めたの?」
「え? ああ、あれ? どう考えても出口に見えなかったからよ」
そんな中で芽生えた疑問を口にすれば、メリーは肩を竦めながら「貴方、あり得ないくらい狙われていたのね」と、呟いた。
「ねぇ、辰。思い出して。改札の向こうには何が見えてた? どんな音がしてた?」
「え? ……そりゃあ出口の気配が……」
あれ? 少し待て。思い出せない。まるで記憶に霧がかかったみたいに……。辛うじて覚えているのは、踏切の音と……。
「そう、あの先踏切と線路。あれは確かに出口であり、入り口でもあった。あの世へのね」
「……罠?」
「間違いなく。多分あの女の子は、直接は手を下せないのね。何らかの間接的な要因がないと、事が起こせないタイプ。口は災いの元やら、ちょっとした行動を悪意にすり替える。そんな感じ」
霊の探知に長けたメリーならではの推論は、僕の胸にストンと入り込んでくるようだった。あの場で立ち止まったのも、下手な行動をしなければ、危害はくわえられない。そう察したからだろう。
「じゃあ、メリーが僕の両手を塞いだのは、追い払うため?」
「賭けに近かったけどね。ついでに出来るか知らないけど、念も飛ばしてやったわ」
「へぇ、どんな?」
何となくな質問だった。だが、メリーはそれが予想外だったのか、少しだけ目を丸くして、誤魔化すように指を遊ばせている。
何処か羞恥に耐えるような仕草。それが分からなくて、僕は首をかしげる。
「……メリー?」
「あう……えっと……気になる?」
「え? そりゃあ、まぁ」
僕がそう言うと、メリーは顔を真っ赤にしたまま、そっと僕の耳元に顔を寄せる。「ああ見えて必死だったから、他意はないわ」と、告げてから。
「あの……この人は私のものだから。手も全て私のものだから……貴女にはあげない。盗っちゃダメ……って、ね」
我が相棒は結構大胆だったらしい。……意図せず、心臓が跳ね上がってしまったのは……。他意はない。
すると、何処と無く開き直ったかのようにメリーは腰に手を当てふんぞり返る。
「……いいじゃない。あの領域は。非日常は私と貴方の世界だもの。辰は私のもので、私は辰のものなのよ。私間違ってない」
「……いや、何か間違ってないようで間違っているような……まぁいいか」
深く考えるのはよそう。僕は救われた身だ。それに……。
「まだ、お礼言ってなかったね。ありがとうメリー。危うく腕一本持っていかれる所だったよ」
「どういたしまして。……片脚まで持っていかれないでね。私、無骨な鎧になるのは御免よ?」
どこの錬金術師だよ。何て軽口を叩きながら、互いに微笑む。
そう、間違ってはいないのだ。こうして日常と非日常の合間を行き来する相棒は、得難い大切な存在であることは否定できないのだ。
――だから。
「ねぇ、メリー。一つ提案があるんだけど、いいかな?」
「……? 何かしら?」
彼女の方へ向き直りながら、僕はちょっとだけ深呼吸。そのまま、そっと彼女の手を取った。
「もし、君がよかったらだけど……、今後怪異と対峙するときは、こうやってはぐれないように、互いを捕まえているのはどうだろう?」
「…………え?」
欠片も予想してなかった。そんな顔で、メリーはぼんやりと僕を見上げる。が、次の瞬間、彼女はそっと顔を伏せた。
「……手を繋ごう。そう言ってるの?」
「手を組むなんて言葉もある。言うだろう? 〝ひとりよりふたりが良い〟って」
「旧約聖書コヘレトの言葉ね。第四章九から十節だったかしら? 〝共に労苦すれば、その報いは良い〟ああ、そうね。私達が分断されてる間に、片方が面白おかしい事になるのは……ズルいわね」
今回は面白いじゃすまなかったけど。と、付け足しながら、メリーは顔を上げ、僕の手を握り返す。指をしっかり絡ませて組む繋ぎ方。……何て言うんだっけこれ。まぁいいか。
「いいわ。決まりね。辰は危なっかしいし。こうやってればはぐれないわよね」
「もしかして……さっきちょっと心細かったりしたかい?」
はにかんだメリーの表情の中に、気になる色を見つけて、僕は悪戯半分。冗談半分で問う。するとメリーは、儚く。少し寂しげな笑みを浮かべてから、小さく頷いて。
「ええ。そうよ。いつも隣にいた人がいないんだもの。心細くて……死ぬかと思ったわ」
……不意討ちだった。これ以上にないほどに。
取り敢えず、暫く微妙な空気が流れる中で、僕らの手は離れる事がなかったのだが……それはどうでもいい話だろう。
※
お腹も空いたし、ガストかサイゼリアにでも行って、残りはそこで検証しよう。そんな形で方針を決めて、僕らは靴を片手に玄関へ向かう。
こうして、見知らぬ駅へ降り立つ怪異との遭遇は幕を閉じた。
遭遇して即エスケープなんていう、何とも言えない幕切れではあるが、現実なんてそんなもの。
どこぞの寺生まれみたいに、「破~!」の一喝で妙な光弾を出し、お化けを撃退できたら苦労はしないのである。
だから、この話はこれ以上語ることはない。
そう……たとえ……。
「あら、今電車、止まってるみたいね」
「止まってる? 人身事故でも起きたのかい?」
僕の問いに、メリーがスマホを片手に小さく頷く。電車の怪異との遭遇の後に事故なんて、ゾッとしないな。何て事を口にすると、メリーは少しだけ物憂げに溜め息をついた。
「運転見合わせ、凄く長引いてるみたい。……私帰れるかしら?」
「長引いてる? 何でまた?」
首をかしげる僕に、メリーはひょいと、スマホのディスプレイをこちらにかざす。そこに記された事故現場を見た時……僕は今度こそ背筋が凍り付くのを感じた。
そう。もう語ることはない。たとえどんなに今日出逢った怪異と関係がありそうでも、もう今の僕らは調べる術がないのだから。
メリーの青紫の瞳が、畏怖を含んで揺らめいた。血色のいい唇が、少しだけ震えている。
「知ってる? 人身事故で運転見合せが異様に長引く時ってね。事故にあった人の〝大きめな断片〟が、見つからない時なんですって。……一体何処が見つからないのかしら?」
事故現場は、山手線日暮里駅。
僕らが怪異と遭遇した場所だった。
結局その日。メリーは帰ることが出来なかった。
電車がうねる音だけが、夜の街に響く。時折響く汽笛が、無くしたものを探す誰かの悲鳴に聞こえたのは……気のせいだと思いたかった。
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