転: 合流と帰還
伸びてくる片腕。僕はそれをぼんやりと眺めていた。手を貸す? 何か困り事でもあるのだろうか……?
そんな風に思ったその刹那、不意に背後からパタパタと慌ただしい足音がしてきた。かと思うと、次の瞬間――。僕は誰かに襟首をむんずと掴まれていた。
「へ……? は……?」
突然の事態に僕は目を白黒させ、背後を振り返る。そこには、顔を強ばらせ、明らかに切羽詰まった雰囲気を隠しもしない、メリーが立っていた。
「あ、メリー! よかった、無事合流でき……」
言葉は、最後まで続かなかった。安堵の溜め息をつく暇もなく、メリーは僕の手を強く引き、小走りに来た道を戻り始めた。
あまりの急展開に思考がついていかず、僕は前を見据えたメリーの横顔を見る。彼女の白い肌を、一筋の汗が伝っていた。
「ちょ、どうし……」
「いいから走って! はやく!」
「いや、待って、あの子が……」
思わず自販機の方に視線を向ける。だが、さっきの腕無し少女の姿はそこになく……。
「ねぇ……どこいくの? ……い。……だい。……貴方の……よ!」
かわりに、僕らのすぐ後ろから、カシャカシャと何故か金属の擦れるような音を立てながら、件の少女が追走していた。
霞がかかっているというか、溺れながら言葉を話そうとしているというか。コポコポとした意味をなさぬ言葉が、僕らの足音と一緒にホームを反響する。
俯かれていた少女が顔を上げて……。咄嗟に僕は、「見てはいけない!」と、直感した。
虚ろな眼窩の奥に、隠しきれない激情が見えたのだ。見つめれば、引き込まれる。そんな気がした。メリーが走って逃げた理由が、今ならば分かる。これはきっと……よくない存在だ。
「……して。……ねぇ、……いよぉ……」
すすり泣く声が、耳にこびりつく。直後、「あっ!」という短い悲鳴がして、何かが倒れる音がした。振り返る事は……止めておいた。
「見て、改札よ!」
「……っ、何でホームに直接?」
そんな疑問を口にするも、深くは考えない。こういう空間に現れた特異なものは、大抵出口の鍵か、その他の二択なのだ。
意識を集中する。間違いない。あれは、何らかの楔。恐らくは外に繋がっている。
「……きっと出口だ! あの周辺から、そんな気配がする! 多分くぐるかすればいい!」
僕が声を張り上げると同時に、どこからか、踏切の遮断機が降りる時の、独特の音楽が聞こえてきた。現実に近い場所だからなのか。はたまたこの駅の踏切があるか。いや、細かいことは二の次だ。今は外に……。
「……っ、待って! 止まって! 辰!」
身体が、急激に引き戻される。メリーが急ブレーキをかけたのだ。いきなり止まったりした反動か、僕らの身体は縺れ、危うく転びかけた結果、改札口に寄りかかる形に落ち着いた。
背中に堅い感触と、多少のヒリヒリした痛みが走る。が、僕の意識はそんなものよりも、何故メリーが急に待ったをかけたのか。それにのみ向けられていた。
「メリー? 一体どうし……」
「……ねぇ……だい?」
必然的にメリーが僕の目の前にくっつくようにしてもたれかかっていたので、僕は多少の批難も込めて彼女に話しかけようとする。が、それは割り込んできた第三者に阻まれた。
霞がかったような声で、いつの間にか僕らの前に立った腕無し少女が、下から僕の顔色を伺うかのように話しかけてきた。
「……だい。……ねぇ……。……貴方の……、……に、ち……い」
メリーではなく、僕に何かを話そうとしているのだけはわかった。背後の改札機の先は、やけにざわついていて、ただでさえ聞き取りにくかった声が更に酷いことになっていた。
少女が近づいてくる。ヒタ……ヒタ……。と、一歩ごとに周りの空気が下がっていくような錯覚を感じていた。
「もう少しはっきりと」何を思ったか、僕の頭にそんな言葉が浮かぶ。対話が通じない訳ではないのだ。得体の知れない気配はあるが、何故だかメリーは出口らしきものには近づきたがらないし、ここはもう……。
その瞬間、不意に身体に軽い衝撃が走った。
「……は? ちょ、メリー?」
思わず困惑した声が漏れる。メリーが突然僕の胸元に飛び込むやいなや、僕の両手を、ぎゅっと握りしめたのである。
さっきから続く謎めいた行動に、意図を問おうとするが、当のメリーは少女をじっと睨み付けたまま動かない。
十分。二十分にも思える無言の対峙。
やがて、再び先に動いたのは少女の方だった。
何処と無く苦々しげな表情で踵を返し、腕無しの少女は、暗闇へ。地下鉄のホームの奥へと消えていった。
「…………かな? ……の、……」
キョロキョロと辺りを見渡しながら歩む少女の呟き。これだけ離れても、僕の耳にはそれがこびりついて離れなかった。
繋いだ両手の感触を確かめながら、メリーを見る。彼女は少女が完全に消えるまで、険しい表情を崩さなかった。
※
不思議な存在との遭遇は、唐突に始まり、唐突に終わる。
今回もそうだった。甘いハチミツのような香りと、柔らかな感触に包まれて目を開けると、薄水色のシルクのような生地が目の前にあり……。そういえば今日のメリーも似たような色のブラウスを来ていた気がする。身体も、ほどよい固さなものの上に横たえているらしい。……ベットの上だろうか?
「おはよ」
「……んぁ?」
頭のすぐ上から、聞き慣れた声がする。後頭部に誰かの手が添えられていて、そこで僕は初めて、誰かに抱かれたまま眠っていた事に気づく。
……まずは深呼吸。あ、メリーの匂いだ。……違う、そうじゃない。現実逃避している場合か。
「……何か迷惑かけてごめん」
「私もさっき起きたとこなのよね。だから私が引き寄せたのか、貴方が私にダイブしたのか。その辺は謎よ」
取り敢えず魅惑の谷間から顔を脱出させ、第一に謝罪する。被害者メリーは横向きに寝たまま、そっぽを向きながら、綺麗な亜麻色の髪を指でクルクル弄んでいる。……本人は多分気づいていないだろうけど、照れてる時の仕草だ。心なしか頬に赤みがさしている。色白だから余計に目立ち、何だか僕もくすぐったい。
「……感想は?」
「刹那の桃源郷が見えたよ」
「〝外人の為に道ふに足らざるなり〟って、貴方には言わないといけないかしら?」
「桃花源記だね。そう来ると思ったよ。当然、口は閉ざすさ。再び探す何て間違いは犯さないよ」
「……懸命ね。探せば探すほど。求めれば求めるほど見つからず、手に入らないってね」
本当は「〝デカカァァァァァいッ説明不要!!〟」って叫ぼうかとも思ったけど止めておいた。
「……気がついたらここにいたけど……」
「まぁ、よくある話だよね。変なのに巻き込まれて、気がついたら部屋にいる。電車にいる。原っぱで倒れてた」
「成る程。じゃあ、あの女の子がある意味分岐点であり、もしかしたらあの存在しない駅の主だった……。と」
「その可能性が高いね。後で一応調べてみよう。多分『霧手浦』なんて駅は無いだろうさ」
「……自販機、見た? これなら飲まないにしてもジュースは買うべきだったかしらね」
証拠になるじゃない。と言うメリー。確かにその手の話に証拠品がない事は疑問に思っていた。だが、これは実体験したからこそわかる。実際に遭遇してみると、そんなの見繕う余裕なんかないのだ。
「……一応確認よ。夢ではないわよね?」
「僕ら大学行って、山手線乗ったじゃないか。眠り続けたにしても、それはありえない。だって……」
ぐるりと周囲を見渡す。見慣れた天井。覚えのある家具。
「ここ、僕の部屋だもん。夢だったなら僕は昨夜から、招いた覚えがない君のおっぱい枕で寝てたって話になる」
「なにそれ怖い。洒落にならないわ」
僕の方が怖いよ。知らぬまに友達を招いて熟睡なんて、怪奇を通り越して軽いホラーだ。
そんな事を考えていると、メリーは物珍しいのか、キョロキョロと辺りを見回していた。
「……何気に初めてな辰の部屋だけど、まさかこんな形で乗り込むとはね。……って、うわ、ごめんなさい。しかも土足だわ」
「僕達らしくていいじゃないか……っと、僕もだ。気づかなかったな」
互いに靴を脱ぎ、笑い合う。本当に身一つで飛ばされたのかは分からないけど、今日もまた、不思議な体験だった。時計を見れば、結構いい時間になっている。
お腹も空いたし、検証がてらどこかで外食でもどうだろう? そんな僕の提案に、メリーは頷いて……。
「でも、貴方身体は大丈夫なの? 今更だけど、何ともない?」
そんな事を聞いてきた。あまりにも唐突すぎて、僕が首をかしげると、メリーは静かにため息をついて。「ああ、貴方には聞こえてなかったのかしら?」などと呟いて。
「ちょうだい。そっちの手を。私にちょうだい」
指を指すのは僕の左腕。妖しく淫靡な光をもって、メリーの目が細められる。
思わず沈黙する僕。それを見たメリーは、満足気に微笑むと、ちょんちょん。と、己のスカートを指差した。
「女の子のポケット。何かが入っていたわ。鋏かナイフか。それとも他の何かかしらね?」
「……今の、あの子が言ってた事?」
白いワンピースの腕無しの少女を思いだしながら、僕が問う。するとメリーは神妙な顔で頷く事で肯定した。
「消えていく最後に呟いていたわ。『どこにあるのかな? 私の、手……』って。本当に聞こえなかったの? 私には、貴方の手を狙うあの子の声が、一字一句、はっきり聞こえていたんだけど」
その告白は、僕の血の気を引かせるには充分すぎた。
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