承:霧手浦

 引っ掛かってたいた言葉が、ようやく引きずり出せたように思う。


 それっぽい話をしていたら、それっぽい話がよってくる。

 怖い話をしていれば幽霊が。

 悪口を言っていたら本人が。

 僕、結婚するんだ。といえば死が。

 そう、古くからある使い古されたシチュエーション。所謂テンプレートというべきもの。


 誰も乗ってない無人の電車。気がつけば僕はそこにいた。

 周囲を見渡せば、さっきまで街灯などで明るかった筈の窓が完全に黒一色に染まっている。

 耳に届くのは、電車が動く機械的な音だけ。

 それを見た時、僕の中で渦巻いた既視感は確かなものだったと実感する。

 

 大学生二人によるしがないオカルトサークル(非公認)により、非日常の扉が開かれた瞬間だった。ただし……。


「……メリー?」


 つい先程まで隣にいた存在は、跡形もなく消失していた。

 明らかに普通でない不思議な電車の中。僕は一人で佇んでいた。


 ※


 世界には一歩踏み出せばすぐ側に非日常がある。残酷な無法社会のルールが広がるか。緩い長閑な田舎風景か。誰もが生きるのに精一杯で、すれ違う人の顔すら見なくなった、都会の喧騒か。

 そこには形は違えど確かに世界が存在していて。そこに生きる人は、誰もが何かに焦がれ、執着し。何かを掲げて、心に刻んで歩み行く。

 そこにある、手の届く範囲が、その人の世界だ。普通ならば、それを広げる事はしても、そこから出ようとは思わない。


 そう考えた時、僕やメリーがやっていることは何なのだろうと思う。

 世界を広げ、世界を観測し、人の普通の世界から離れた場所に手を伸ばす。好奇心。それは否定しない。だが、それとは別に、普通なら見えないものを見て、それに干渉し。時に干渉される自分は一体何者なのか。モラトリウム時代特有の青臭い哲学染みた話だが、僕もメリーも探索する理由の一つはそんな感じだ。

 浮き島のように彼方の存在の元を行ったり来たりする様は、確かに渡り鳥じみている。渡リ烏倶楽部とはよく言ったものだ。


「……携帯は、当然ながら圏外か」


 つい一時間ほど前、メリーと交わしたメッセージの名残を見ながら、僕は溜め息をつく。

 情報社会から隔離されているのは、もう今更驚かない。この領域はすでに、常識から外れている。外れているならば、そう踏まえた上で考えればいい。

 今一番気になるのは、メリーはどうして消えたか……だ。


 無人の電車は今も進み続けていた。メリーが視たヴィジョンのままに。途中停車もなく、ただ延々と。

 そのまま数十分は経っただろうか。相変わらず車窓から写るのは、真っ黒な景色のまま。ただガタンゴトンという音だけが断続して続き、そして……。急激に響く、悲鳴にも似た甲高い音。それと共に臍が引っ張られるような慣性の力を感じた。

 電車が減速しているのだ。体感する力は大きくなり、完全に沈黙した鉄の揺り籠は、最後に一息。空気が抜けるような音が何処かから聞こえてくる。


 どうやら止まったようだ。


 だが、ドアが開く音はしたものの、手近な入り口は閉ざされたまま。それ以上はウンともスンとも言わなくなった電車は、停車したまま再び動く気配など匂わせなかった。

 アナウンスもなく、静寂だけがその場を支配する。これ以上は進展が無いことを察した僕は、小さく、浅く息を吐いた。


「あー……、こちら辰。メリー、メリー。応答願います。僕はここだよー」


 空間に働きかけるイメージを浮かべながら、出来もしない念を飛ばす。一応ここがオカルト的な空間ならば、探査能力に優れたメリーが見つけてくれるかもしれない。そんな淡い期待を込めた、テレパシーもどきの独白は、閑散とした社内に虚しく木霊するだけだった。

 反応無し。仕方なく立ち上がり、僕は列車の中を散策することにした。


「……誰かいませんか~」


 小さな声で囁くようにして、ひたすら進む。ドアを開け、次の車両。ドアを開け、また次の車両。延々と続く繰返しな行動の間、やはり電車の中に誰か他の人がいる様子は皆無だった。

 そして……。

 何枚目かの手動ドアを開けると、ついに行き止まりにかち合った。運転席らしき部屋が奥に見える事から、電車の先頭に来たようだ。その手前のドアだけが開かれて、まるで僕らを読んでいるかのように、ヒューヒューと空気が通り抜けるような音を放っていた。


 運転手はいないらしい。メリーならば「JRを訴えてやろうかしら?」なんてジョークを飛ばすところだろうか。

 何となく笑えて、少しだけ明るい気分になりつつ。僕は早鐘を鳴らす心臓を抑えるようにして、電車から降りた。プラットフォームのコンクリートを踏み締める音が嫌になるくらい仰々しく反響し。僕は外の少しだけすえたような空気を吸い込んだ。

 正直にもの申せば、少しの不安があった。


 ホラーやらオカルト好きなら幽霊や超常現象は平気になる。それは偏見だ。

 戦場に慣れはしても、緊張は欠かさぬ兵士のように。僕もまた、身体が未知なるものへの畏れと興味で、身が適度に強張っていた。

 普通の人にはない力があったとしても、外れた存在と接触する時に、僕らはただワクワクするだけではない。何故ならそれら全てが友好的であるとは限らないからである。

 だからこそ、メリーがいない今が心細いと共に、彼女が心配だった。僕一人がこの胡散臭い世界に迷い込んだならばいい。けど、彼女も、また、分断される形で何処かに……。例えば反対のホームに飛ばされていたら?

 恐らく彼女もまた、僕と同じようにおっかなびっくり進んでいる事だろう。故に心配だ。彼女は僕と違い、自衛の手段は持ち合わせていないのだ。先手〝必走〟で逃げ回るならばお手のものだろうけど。


「……暗いな。それに、寒い。」


 電車から降りたそこは、見たこともない駅だった。だが、もっとも異様に思えるのは……。

 乗っていたのが山手線であるのに、明らかにそこが、地下鉄の駅だという事だ。都内を回るようにしてレールの敷かれた山手線が地下へ行く事はない。この時点で、ここが現実では有り得ない場所であることは証明されたようなものだった。

 古びたような空気が鼻をつく。かなり老朽した造りなのは間違い無さそうだ。

 規則的に並ぶ柱の一つに、駅の名前が記されている。

 

『霧手浦』


 頭の中で検索するが、少なくとも山手線にそんな駅はない。同様に都内の駅を思い浮かべるが、やはり該当しそうな駅はない。


「……駅名は違うけどさぁ……止めてくれよ」


 思わずそんなぼやきが漏れる。該当しそうな都市伝説が、頭に思い浮かんだからだ。

 電車に乗っていたら、知らない駅に着いてしまう話。

 寝過ごして自分が降りたことのない駅に行く。といった話ではない。この世に存在しない筈の駅に降りてしまう。そんな物語。

 異世界に巻き込まれた。と、取ることも出来るその話は、僕の置かれた状況に酷似していた。


「……っ、メリー! おぉーい! メリー! いたら返事~っ!」


 嫌な予感が加速して、相棒の名を叫ぶ。

 オカルトに対峙したら、メリーが受信して、僕が干渉する。つまり、こういった妙なものやら空間にぶち当たった時は、僕が頑張るのだ。何をどう頑張るかと言われたら曖昧で説明しづらいのだが、何かに干渉することで結果的に帰ってこれたり、よくないものを退けたり。僕の手は、それが出来る。

 幽霊と、この世にあらざるものと触れ合える手。助けられた事も、これのせいで酷い目に遭うこともある、信頼をおくにはいささか胡散臭い力だ。

 だけれども、今この場で振るう前に優先すべきは、相棒の安否の確認だった。

 エコーする呼び声。返事は……なかった。

 

「……探すか」


 意を決して歩き出す。

 カツンカツンと、靴の音が地下空間に反響する。

 どこまでも続くプラットホーム。人の気配もしない中、自動販売機の光と朧気な外灯だけが唯一の光源だった。

 喉は乾いたが、飲み物を買う勇気はない。こういった所のものを口にしていいか悪いかはケースバイケースだけれども、少なくとも今はマズイという漠然とした予感があったのだ。そもそも。


「……見たことのない飲み物ばかりだ」


 自販機の前を通る度に立ち止まっているうちに、いつしかそんな感想が漏れる。

 それなりに有名な炭酸飲料もあるけれど、狐にでもつままれたか、過去にタイムスリップしたような気分だった。

 そこにあるパッケージというか、缶のデザインは、明らかに古いものだったのだ。

 考えてみれば、駅の質感といい、置かれているベンチといい。何処と無く古くさいものばかりに思えた。

 まるで時代に取り残されたかのような。いや、違う。強いていうならば、昭和っぽいというか、古き良き日本というか……。


 何て事を思ったその時だ。少し離れた場所から、「ジャリ」と、コンクリートを踏み締める音がした。

 全身が、一瞬で強張るのを感じ、僕は辺りを見回す。

 今僕は、自販機の前で立ち止まっているのだ。足音などする筈がない。

 ……では、この音は何だ?


 カツンカツン。シャリッシャリッ。と、独特の旋律を奏でながら、それは此方に近づいてくる。僕らはその場に固まったまま、ただそれの姿を捕捉しようと、暗がりの奥に目を凝らす。メリーか? いや、違う。脚を引きずるような音が、僕にそんな確信をもたらす。彼女では……ない。ならば……。


 やがて、それは現れた。


 脚を引き摺るようにして現れたのは小さな女の子だった。

 真っ白な長袖のワンピースを身に纏い、ざんばらんに乱れた長い髪の奥からは、落ち窪んだ眼窩が覗いている。

 たゆたうように歩む姿は、幽鬼を思わせた。


 女の子は、僕のすぐ近くまで来ると、無言で自販機を。そこから周りを一望し、最後に僕へと視線を滑らせる。その氷のような目に僕が戦慄した時、そこで初めて、違和感に気がついた。バランス悪く歩くとは思っていが、それも仕方がない事だった。少女の左腕は肩口から先がなく、ワンピースの袖はヒラヒラと頼りなさげに揺れていたのだ。


 冷たい風が吹き抜けるような錯覚。やがて、スローモーションのように動いたのは腕無し少女の方だった。


「…………だい。…………を。……に、ち…………だい」


 モゴモゴとした、うわ言を思わせる小さな声。もっとよく聞こえるよう、僕は屈み込んで耳をすます。


「ねぇ、……だい。お兄さんの……。ちょうだい」


 聞こえたのは、そんな声。


「何を?」


 と、僕が思わず問えば、女の子はそこで初めて顔を上げて。


「欲しいの。ねぇ、手を貸して欲しいな」


 そう言って、にぃい。と、不気味な笑みを浮かべた。

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