File2:霧手浦の腕無し少女

起:山手線、怪奇逝き

 人身事故が起こる度に心を痛める人は、果たしてこの日本にどれ程いるだろうか。

 ある漫画で、ニュースの自爆テロに悲痛な表情を浮かべる主人公へ、中東出身の男が、「何故嘆く?」と、問うシーンがあった。その後に続く台詞は、大体こんな感じだった。


「日本でも毎日のように起きているだろう? 人身事故が。君はその度に心を痛めるのか?」


 比べちゃいけないのだろうし、規模も死者も違う。けれど、妙に納得してしまった自分がいた。

 人が死んでいる事には変わりなくて、連鎖的に多くの人間が巻き添えに遭うという点では共通と言えなくもないだろう。


 今日もどこかの路線で、人が死んでいる。それを非日常と思えないのは、それが僕らの日常に組み込まれてしまっているからか。

 だとしたらそれは、考えようによっては下手なホラー小説よりも、恐ろしくはないだろうか?


 ……そんな妙な考えを浮かべてしまうのは、本日人身事故により、大学の講義に遅刻してしまったからなのではあるが……。今考えるのはよしておこう。教授からお咎めなしを貰ったのだから、これ幸いという話にしておくべきだ。

 本日は晴天なり。

 講義を終えた僕はというと、サークル活動に勤しむべく、集合場所に定めた大学のラウンジカフェを訪れていた。


「ここでいいか」


 誰に語るでもなく、そんな呟きを漏らしながら、シンプルな色と形のテーブルに鞄を下ろし、首尾よく座席を確保する。

 カフェはそれなりに混みあっていた。季節は夏。誰もが暑さから逃れようとしているのがみて取れる。席を得られたのは幸運と言う他ない。

 時計を確認すれば、時刻は十五時半。ちょっぴり早く着きすぎたようだ。小腹も空いた所だし、何か適当に注文して、サークルの相棒を待つことにしよう。

 そんな事を思っていると、不意にスマートフォンが震え出す。


『もうすぐ着きそう。そっちは?』


 ディスプレイにそんなメッセージが浮かび上がる。


『さっき着いたよ。適当に何か摘まみながら待ってる』


 トークアプリを開き、そう返事をしてから、僕は席を立つ。ラウンジカフェのメニューは、結構豊富だ。今日はBLTサンドにした。

 それなりに長い列に並び。注文した品を受け取り、ホクホク顔で席に戻る。折角だからポテトフライもつけるべきだったか。そんな事を考えながら、僕は本日のサークル活動に思いを馳せ……。


「私、メリーさん。今、貴方の後ろにいるの」


 聞き慣れた口上がして、僕は振り向いた。

 そこにいたのは、道を歩けば十人のうち十人は振り返るんじゃないか。そんな印象を受ける美人さん。

 肩ほどまでの緩めにウェーブがかかった、亜麻色の髪と、ビスクドールを思わせる白い肌。瞳は綺麗な青紫で。何処と無く浮世離れした容姿。僕のサークルの相棒、メリーがそこにいた。


「こんにちは、辰。……待ったかしら?」

「いや、そんなに。寧ろ、いつもは僕が待たせてる側な気がするから、これくらいは……ね」

「前の会合も貴方が待ってなかった?」

「そうだっけ? その前二回は君だった筈」

「……止めましょう。待たせた数を競い合っても不毛だわ。お互い様。で、落ち着けない? 私は貴方を待つの、嫌いじゃないもの」


 そう言って柔らかく微笑み、メリーは向かいの椅子に腰掛ける。フワリと、ハチミツのような甘い香りがした。


「〝待つことの出来る者には、すべてがうまくいく〟確かにそんな落としどころなら、互いに上手くいく可能性もあるか」

「……ラブレーの『第四の書』かしら? いい言葉だけど、物語自体は苦手だわ。荒唐無稽過ぎるんだもの」

「ラブレー結構な変態だしね。わりといい言葉もあるんだけどなぁ……」

「まぁ、待つと良くなるって考えには同感ね。でも、動くのだって大事よ? 〝地球上のすべての人には、その人を待っている宝物がある〟待っているものに会いに行くのもまた、素敵だと思うわ」

「パウロの『アルケミスト』だね。〝おまえが何か望めば、宇宙の全てが協力して、それを実現するように助けてくれる〟だったっけ。僕個人としては夢があって痺れるフレーズの一つだよ」


 いつもの他愛ないやり取りだ。

 大学の知り合い曰く、お前ら検索エンジンでも付いてるのか。と、言いたくなるらしいが、これが僕と彼女の日常会話だから仕方ない。そこで話を打ち切って、僕は放置しかけていたBLTサンドにかぶりつく。カリカリに焼かれた香ばしいベーコンと、食感のいいレタス。そしてそれを繋げるようなトマトという組み合わせが絶妙だ。

 僕が思わずそれに顔を綻ばせていると、メリーがじっと此方を見つめてきて。


「私も……お腹が空いたわ」


 そんな事を言い出した。


「なら、腹ごしらえしてからサークル活動といこう。注文してきなよ。まだ時間あるだろう?」

「……お腹が空いたわ。けど、サンドイッチ丸々一つは食べれなそうよ」

「なら、マドレーヌでも頼むといい。紅茶と一緒なら、プルーストの小説みたいな気分に浸れるだろうさ」


 こう、じわっとね。と宣いながらジェスチャーをする。メリーはというと、察してくれたのかクスクスと笑っていた。


「生憎、私は基本安眠なのよ? 早寝し過ぎて寝付けなくなった事はないわ」

「そうなのかい?」

「そうですとも。ただ低燃費なだけ。具体的にはBLTサンド一口でお腹いっぱいになれそうなくらいに」

「……よこせってか」


 まぁ、人が美味しそうに食べていれば、欲しくなるのは分からなくもないけども。

 渋々ながら食いかけのサンドイッチを差し出せば、メリーの口がそれにパクりと噛みついた。本当に一口。だけどそれで充分とでも言うように、メリーは小さく喉を動かして、僕からの分け前を飲み込んだ。


「ん。ご馳走さま。……辰がかじった所はくれないのね」

「それやったら僕ただの変態じゃないですか」


 変態というのは否定できなくもないけれど。だってそうでなければ、サークルを……〝オカルトサークル〟なんて立ち上げない。

 確固たるとまではいかないが、僕とメリーにも目的はある。故に大学側から非公認(主に人数的な理由で)でもこうして集まり、今日も怪奇オカルトを追うのである。

 

「さて、腹がふくれたならそろそろ行こうか。今日は君の〝受信〟はあったのかい?」

「ええ、バッチリよ。今日のキーワードは電車と山手線。ただの散歩で終わらないことを祈りましょう」


 その二つは区切らなくてもよかったのでは? 何て思わなくはないけれども、兎も角僕らは大学のカフェを後にした。


 さて、今日は果たして、どんなものと遭遇するのだろうか。

  


 ※


 本日の調査場所は、田舎から上京したてな僕にとって、ようやく馴染み始めた場所だった。

 都会では、当たり前のように利用され。

 田舎では、場所にもよるがあまり利用されない。

 ガタンゴトンと断続的なリズムを刻む電車の一席に、今僕らは並んで座っている。大学の最寄り駅から乗り継ぐこと二十分弱。辿り着いた回り続ける路線こそ、僕らの今回の目的地――。山手線だった。


「メリーの受信ってさ。脈絡もなく、内容もランダムで来るんだよね?」

「ええ。寝てる間。講義中。お風呂に入ってる時。読書してる時とかね。横断歩道を歩いてる時に来たときは、流石に酷いと思ったわ。危うくひかれる所だったもの」


 本人曰く、白昼夢を見ているような感じらしい。単にオカルト現象を視たり、はたまたそういう類いの視界を一方的に覗き視たり。その在り様は実に様々だ。超能力っぽく言えば、ヴィジョンって奴かしら。等といいながら笑っていた。

 オカルト現象を知覚する、アンテナ的なもの。そう僕は捉えている故に、〝受信〟なのだ。


「さて、聞かせておくれ。今回は君の素敵な脳細胞と視神経で何を視たんだい?」

感覚センスと言って欲しいわね。実際に脳で認識しているのか、目で視ているのか曖昧だもの」


 どのみち認識している事には変わらないだろうに。とは思うけど、そこはスルー。彼女は車窓から見える夕焼けを眺めながら、ポツリポツリと己が受信した怪奇を話し始めた。


「山手線。って思ったのは、電車の内装を見たからなのよね。時刻は多分夕方。いいえ、窓から見える景色は黒一色だったから、既に日が沈んでいたのかも。で、驚くべき事にね。そこには私以外の乗客がいなかったのよ」


 VIP待遇ね。と、おちゃらけるように肩を竦め、メリーは話を続ける。


「まぁ、人がいない位は、まだ有り得るんだけどね。そこから先がおかしいの。山手線って、一駅間は二分弱じゃない? でもその車両は、いつまで経っても駅に着かない。ただ延々と走り続けるのよ。回っているのか。直進しているのかもわからないままに」

「……君を疑う訳じゃないけど、山手線が見間違いで、別の電車だった可能性は? それなら一駅に何分もかかる路線があるかもしれない」

「ノンよ。間違いなく山手線だったわ」

「成る程ね。延々と走り続ける。いや、回り続ける電車……かぁ」


 背もたれに深く寄りかかり、一度目を閉じて、感覚を巡らせる。霊的な探査能力は、メリーの方が優れている。だから、僕が集中した所でどうにもならないのだが、ものは試しだ。が、残念ながら僕は何も感じなかった。


 しばらく会話が途切れる。たまにあるけど苦痛にはならないそれに身を委ね、僕らはただそこで寄り添っていた。

 瞼を上げれば、メリーは相変わらず、向かいの窓を眺めている。黄昏に沈みゆく町を映す青紫の瞳に、燃えるような朱色が混ざっていた。宝石みたい。そう思いながら、僕は目を細め、ざわめきの中に意識を置く。

 電車の音と人の群れ。都会特有の喧騒は、どうしてこうも謎の諦感に似た衝動をもたらすのか。そんな無意味な感傷に浸る。やがて、無機質なアナウンスが東京駅への到着を告げたころ。沈黙を破ったのはメリーの方だった。


「〝僕たちと一緒に乗って行こう。僕たちどこまでだって行ける切符持っているんだ〟……電車に乗るとね。このフレーズが浮かぶの」

「宮沢賢治。『銀河鉄道の夜』だね。初めて読んだときは、子どもながらに胸が震えたよ」


 幽霊のような少年が、親友と共に旅をする。共に行こうと誓いあった後の離別。真実と旅の意味。おかしいと思っていた自分との決別。そして少年は現実に帰る。どうしてか、心が惹かれたのだ。


「あれは、異世界渡航にあたるのかしら? それとも、この世とあの世の狭間の旅と言えるのかしら?」

「僕としては両方の要素を孕んだ後者だと思うな。〝約束した場所に赴く巡礼者のように、現世は宿屋であり、死は旅の終わりだ〟カムパネルラが旅を終えたから、ジョバンニは宿屋に戻っていったのさ」


 とある詩人兼劇作家の言葉を引用すると、メリーは脳内検索をかけているのだろうか。暫し考えてから、ああ。と可笑しそうに口元を綻ばせた。


「ジョン・ドライデンね。死を旅に見立てる手法は、昔からあったという訳……。そういえば、死装束も旅支度なのだものね」

「だから、あの世もある意味では異世界って事だね。よくあるだろう? トラックに轢き殺されて、生まれ変わる話」


 アニメ好きな友人が、量産され過ぎィ! と嘆いていたのを思い出す。それを言ったら、結構な作品はありとあらゆる原形に影響を受けているとは思うけど。

 それぞれにオリジナリティーがあり、意外性があり。一つの揺るぎない価値観を出す。何とかモノの言葉の由縁だ。


「思うんだけど、何でトラックなのかしらね? 普通の自動車じゃ駄目なの?」

「完膚なきまでに肉体が叩き潰される事に意味があるんじゃないかな」


 その辺は分からないので適当な仮説を提唱してみたら、そんなに今生きる自分が嫌いなのかしら? と、冷笑を浮かべるメリー。

 見も蓋もないなぁなんて思いつつ、僕の考えは真逆だよと付け加える。

 嫌いではないんだと思う。ただ、僕にはそういった物語が、このままで終わりたくないという誰かの叫びに取れるのだ。誰もが主人公になりたくて、単純に強くありたいと思うのだろう。だから捉えようによっては、エネルギーに満ちているとはいえないだろうか? そんな考えを述べたら、「優しくて残酷な意見ですこと」何て皮肉が返ってくる。

 たまにメリーは容赦がないと思うのだ。わりと切実に。


 そんな雑談で時間は更に流れていく。

 気がつけば何周目かの日暮里駅にたどり着く所だった。今日は外れかな? 何て空気が互いに分かり、二人揃って苦笑いする。

 霊感があるからといって必ずしも毎日のように見るわけではない。こんな日もある。寧ろ毎回変なものにぶち当たる可能性の方が低い位だ。

 メリーが危惧していた通り、散歩で終わる活動になってしまった。


「帰り、どこかで食べていかない?」

「名案だ。何が食べたい?」

「そうねぇ……お肉」

「男らしいなぁ」

「乙女になんてこと言うのよ」


 電車が停車する。外には人の行列が見えた。これではドアが空いた途端に、電車が人でごった返しになることだろう。それを見て思うことがあったのか、メリーは何処か拗ねたように肩を竦めた。


「誰かしら。ガラガラの電車なんて言った奴」

「さてね。大体、人っ子一人乗ってない電車ってのに無理がある。とんだお伽噺……」


 そこまで考えて、僕の思考は中断した。何かが引っかかる。人が乗らない電車。異世界。死後の旅。止まらない電車。


 バラバラのピースが集まっていくような感覚に、僕は思わず眉を潜めた。妙な既視感。何だったろうか?

 そう、トラックに轢かれて始まる物語のように。

 死を旅に見立てたように。ある程度の形というか、様式美的な形。それは……。


 その瞬間、僕はのし掛かるような威圧感に身を震わせた。これには覚えがある。

 幽霊に出会った時。超常現象に触れた時。感じ方は状況にもよるが、総じて理由は一つ。


 こういった尋常ではない空気は、間違いなく非日常の気配だ。


「辰……!」


 人が入り込んでくるその直前、僕とメリーは見た。電車の天井近く。そこに……明らかに人の顔が……。こちらを嘲笑うかのようなネットりとした笑みを浮かべる、男とも女ともつかぬ、能面のような生首が浮かんでいるのを。


 刹那、モヤモヤとした黒い霧が、人混みと共に立ち込めて……。僕らの世界は、暗転した。

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