真実はSANチェックと共に

「弱い……ね。まぁ、生きてる人間がそれだけで強いのは当たり前よね。肉体があるんだもの。肉体を持っていても弱い人はいるけれどね」

「うん、まぁそうなんだけどさ」


 帰りの新幹線は明日の朝なので、僕とメリーはほぼ二十四時間営業なファミリーレストランで、少し遅めの夕食を摂っていた。

 語るのはついさっきの出来事。大きめなテーブルには、互いが食べ終えたセットプレート。後はドリンクバーとスープバーで暫くは居座れるだろう。店からしたら堪ったものではないかもしれないけれど。……後でデザートでも注文しよう。


「で……どうするの? それ。警察に持ってく?」

「いや、いらないでしょ? 本人自首するって言ってるし」


 そう言って、僕は手元の小さな機械を指で弄ぶ。

 ボイスレコーダー。先生の言っていた事は一応全部録音済み。ついでにあの時、スマートフォンも胸ポケットに入れて通話状態にしていたりもした。つまり、メリーも少し離れたカフェにて、僕と先生の会話をリアルタイムで聞いていたのだ。


「先生にも、それほど強い霊感は感じなかった。多分あれは……」

「殺人により、限定的な霊感を得た?」

「うん、それ。よくあるだろう? 殺された人の霊が、写真や絵に現れて、犯人を告発するやつ。あれと似たようなものじゃないかな。でなければ……」


 一口。ドリンクバーのバニララテを口にしてから、僕は先生の部屋に入った時の事を思い出す。

 強張り、凝り固まった肩。ああなっても仕方ない。何故ならば。


「肩に組み憑いていた女の子の霊にも気づく筈だよ。本当に霊感があったのなら……ね」

「……マジなの?」


 僕が語った真実に、メリーは顔をひきつらせる。音声だけ聞いていたメリーには、現場の様子までは分からないので、これは予想外だったらしい。

 目の抉られた、全裸の血塗れな女の子。ギリギリと歯軋りする様。先生が見たらどんな反応をするだろうか。


「でも、何でその子まで?」

「取り憑きたいだろう相手は死んでるからね。必然的に……死体を隠した先生に行ってたのかも」

「な~るほど。女の子からしたらあの男の子も中道先生も変わらなかった……と」


 口をすぼめ、レタススープをフーッ、フーッ。と冷ますメリーを見ながら、僕は首を振る。

 色々な道が掛け違い、今回の悲劇は起き、十年間蓋をされていた。母さんが僕にこの話をしなかったら……どんな結末を迎えていただろうか?


「旧校舎を壊したら死体が見つかって大騒ぎ。じゃない? そのまま真実は闇の中。中道先生は哀れノイローゼになりました。じゃないかしら?」

「いや、でも……」

「辰。ねぇ、辰? 貴方も目を背けるべきじゃないわ。あの先生が自首するって言ったのは、辰が来たから。貴方に危害を加えなかったのは、もうどうにもならないレベルまで知られてて、貴方を殺して口を塞いでも、悪戯に罪が増えるからよ。大体先生の癖に殺人犯とはいえ子ども殺して、保身で被害者の死体まで十年以上隠すなんて……良心って言葉を辞書で引いて頂きたいわ」


 そもそも貴方単品で先生の部屋に送るのだって私反対だったのよ! どうして肝心の時だけ貴方じゃんけん強いのよ! と、メリーはプリプリ怒り始めた。容赦ないなぁ何て思いながらも、メリーが言ってることもあり得る。何て思ってしまう辺りは、僕も薄情だと感じるけれど。

 そのまま僕は、暫くメリーの文句に耳を傾ける。罵倒は甘んじて受けるけど一応僕にも言い分がある。万が一があって、中道先生がメリーに襲いかかったら? それは出来れば避けたかった。

 だからメリーには裏方を……。と言ったら、何故か思いっきり頬をつねられた。両手で、捻りまで入れて。我が相棒ながら本当に容赦ない。

 彼女曰く罰から解放され、僕が地味に痛む両頬を擦っていると、メリーは不意にテーブルに突っ伏し、ふぅ……と、溜め息をついた。そして……。


「私、メリーさん。今、心底ホッとしてるの」

「そ、そんなに心配だったの?」


 お決まりな彼女の口上。それに僕は苦笑いで返すと、彼女はキッ! と、こっちを睨む。


「当たり前よ! クトゥルフよ? 私のSANが削られるかと思ったわよ! SAN値! ピンチ! よ? それに……そうね。それらしい用語を使うならば……中道先生は多分、とっくに精神崩壊していたか。狂気に囚われていたと思うわ」

「……え?」


 怒りの表情から一転。こっちを神妙な顔で見つめながら、メリーはそんな爆弾を落とした。

 僕が目をしばたかせているのを見て、メリーは気をよくしたのだろうか。たまに見せる蠱惑的な笑みを浮かべながら、そっと手を伸ばし、白い指を僕の頬へ這わせた。


「〝テケリ・リ、テケリ・リ〟」


 囁くように、その言葉を口にする。それは、微妙に発音が違えど、中道先生が僕に教えた言葉だ。


「調べてみたのよ。これ、ショゴスって存在の鳴き声なんですって。黒いタールのような生き物らしいけど。雪村浩典は、儀式で〝何か〟を召喚しようとしていたのよね? 中途半端ながら、〝何か〟を。……先生が雪村浩典を殺した理由、おかしいと思わない? 殺人現場を見ただけで、いくら小学校で騒がれていたからって、誰かを殺そう。何て狂気染みた思考が起きるかしら?」

「え……あ……」


 そうだ。正義感があるにしろ、行き過ぎだ。それはまさに、狂気とは言えないだろうか?

 唾を飲む僕。メリーもまた、興奮したように舌舐めずりしながら、僕に顔を近づけていく。


「本当にあの場には、中道先生と、雪村浩典と、被害者の女の子だけだったのかしら? 本当に中道先生は、それだけを見たのかしら? いいえ、そもそも……そこにいたのは、〝本当に〟雪村浩典だったのかしら?」

「……っ、〝何か〟が実は既に召喚されていた?」

「中途半端に。だろうけどね。怖いわー。こっくりさん然り。一人かくれんぼ然り。こういうのは中途半端にやってしまうと、必ず手痛いしっぺ返しがくるのに」


 メリーはそう言いながら、青紫の瞳を細める。キス出来そうな位近くで、僕らは見つめ合っていた。


「メリー。まさか……視た?」


 彼女は、殺害現場を俯瞰的に見ている。ならば、〝何か〟を見ていても不思議ではない。が、彼女は静かに。いいえ。と、首を横に振る。


「私が視たのは女の子と中道先生だけ。把握してしまっていたら私も狂っていたのかしら? いいえ、もしかしたら……。私が見たのは、その〝何か〟の視界だったのかも」

「……笑えないな。君が狂ったら、僕はまた一人になるじゃないか」


 彼女の頬を、僕もまた、指でなぞる。そっと上までスライドさせて、彼女の涼やかな目元に触れる。僕と同じ、幽霊を視れる目がそこにある。宝石を思わせる青紫。それを眺めていると、不意にメリーは顔を綻ばせた。


「〝愛には常に幾分かの狂気があるが、狂気の中には常に幾分かの理性がある〟……安心して。私が狂ったとしても、貴方は離さないから。……貴方だけは、ね」

「ニーチェかい? 怖い怖い。〝青春とは、狂気と燃ゆる熱の時代である〟とは、よく言ったものだね」

「フフッ、フランソワ・フェヌロンね。そう来ると思ったわ」


 互いに笑みを浮かべながら、そっと顔を離す。何故か店員の女の子が……高校生だろうか? 顔を紅潮させながら、こっちを見ていた。どうしたんだろう?


「ああ、そうだ。もう一つ。重大な事を忘れていたわ。ショゴスってね。知能を得たものは、人間に化ける事もあるんですって。あと、スライム的な存在だから分裂もするのかしら?」

「……わお。もしかしたら、貴方の近くに。ってやつかい?」

「そ。……反応薄いわね」

「うーん。まぁ、実感わかないし」


 仮に雪村浩典がショゴス的な何かだった。あるいはそれに近いものを召喚していたとして、十年前に事件は止まっているのだ。そこまで脅威には……。


「あら、忘れたの? 辰のお母さんに、旧校舎の話が舞い込んできて、これが貴方まで伝わり、中道先生の秘密が暴かれる。……私には、これが偶然とは思えないわ」

「…………」


 気がつけば、僕は焦燥と共にスマホを取り出していた。通話先は、当然母さんに。数コールの後に電話が繋がり、「珍しいじゃない」と、母さんの驚いたような声がした。

 僕は早鐘を鳴らす心臓を抑えながら、恐る恐る質問した。


「ねぇ、母さん。学校の改装と、D校舎の取り壊し……誰から聞いたの?」

「へ? ああ、それはスーパーで……あら?」


 少しだけ母さんが唸るような声が受話器の向こうからする。そして……。



「誰だったかしら? おかしいわねぇ……顔が思い出せないわ」



 それはまさに冒涜的な響きを持って、僕の耳を侵食した。メリーの目が妖しい輝きを放ち、小さく言葉が紡がれる。

 声に出した訳ではない。ただ、口の動きだけ。柔らかそうな彼女の唇から、僕は目が離せなくて。その意味に気づいた時、背筋が凍りつくような錯覚を感じた。


『ね? 偶然じゃなかったデショ?』


 ※


 数週間後、D校舎は取り壊された。その際、首が折れた男の子の白骨死体が、瓦礫の中から見つかったそうだ。死体のすぐ下には、黒い固形物が絨毯のようになっていたらしいが、警察では古い粘土か劣化したアスファルトに血が混ざり、そのまま固まったものだと判断したとのこと。


 そのさらに数日後。今度は中道先生が自宅にて遺体で発見された。両目がくり貫かれ、腹部から内臓が引きずり出された、哀れな姿で。

 部屋は荒らされ、酷い状態だったようだ。そして……。何よりも警察の首を傾げさせたのは、事件現場の異様さだったらしい。

 中道先生の部屋と、その身体の至るところには、何とも形容しがたい、黒いタールのようなものがベットリとこびりついていたのだそうだ。


 犯人は、まだ捕まってはいない。恐らく、人間では捕まえられないだろう。

 余談だが近辺の小学校では、子ども達がしきりに「てけり・り!」と、騒ぐのが流行り始めたらしい。

 事件との関連は……ないと思いたい。

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