File1:D校舎の秘密
相棒はバッタもん
「あんたの通ってた小学校ね。今度改装されるんだって」
それは本日の講義が終わり、そのままサークルへ行こうとした矢先の事だった。
不意にスマートフォンが鳴動し、ディスプレイを覗けば、そこには『母さん』の三文字。何の変鉄もない平日に電話がかかってきたので、何事かと出てみれば、そんな内容の報告だった。
「……まさかそんな事を報告するために電話してきたの?」
「そんな事とは何よ。全面改装よ? 全面改装。まるっと変わるの。大事件じゃないの。あんたが通ってた時はオンボロだったのにねぇ……」
どの辺が大事件なのだろうと、コメントしたら負けだろうか? 正直母校とはいえ小学校が改装しようが改造されようが、それほど興味はない訳で……。
もしかして、だだ何となく電話したくなったとか、そんな理由なのか。そんな推測が頭に浮かぶ。
僕としてはサークルの相棒を待たせるのも悪いので、さっさと会話を切り上げたいところなのだが……。
「あ、そうそう。オンボロといえばね。D校舎。あれは完全に取り壊されるそうよ?」
「……え?」
そんな折、耳にした懐かしい名前が、そんな僕の思考を暫し停止させた。
が、それも僅かな時間で。直後には僕の頭の中に、いつかの記憶がフラッシュバックのように流れていく。
浮かぶのは廃墟も同然な風景と、そこにあったもの。そして、憤怒の表情を浮かべる先生の顔。
もうすぐ十年は過ぎるかという程前の出来事だったというのに、鮮明に思い出せる辺り、僕にとっても衝撃的な思い出だったらしい。沈黙した僕を、興味が引けたと捉えたのか、母さんはクスクス笑いながらも、懐かしむように話を続けていく。
「覚えてる? 立ち入り禁止だった旧校舎。あんたってば何回もそこに入り込んでは……何先生だったかしら? 取り敢えずその人に怒られてばっかりで……」
「中道先生ね。覚えてるよ。三年、四年生の時の担任だった。……いやぁ、入るな。って言われたら、入りたくなるのが僕なもので」
「それでお呼ばれしたお母さんに何か一言は?」
「あの時はマジすいませんでした」
「よろしい。でね。スーパーでそんなお話を聞いてたらねぇ。何だかあんたの顔が浮かんでさぁ……」
そのまま、他愛ない話の花が咲く。といっても、「あんたは放浪癖があった」だの。「何回補導された事か……」といった母さんの愚痴が大半だったのだけど、それはもう生まれもった僕の性質だよ。の答えで華麗にスルーして。「可愛くない息子め」という母さんの悪態を最後に、親子の会話は終了した。
どうやら本当に、何となくかけてきただけだったらしい。気紛れな人というか、暇な人というか。
思わず肩を竦めつつも、スマホをポケットに仕舞い込み、僕は何の気なしに腕時計を見て……。
「……げ」
そんな声が漏れた。
時刻は十六時三十分。
昔の思い出とかもあり、結局はそれなりに話し込んでしまっていたらしい。サークルで集まる時間は、とっくの昔に過ぎていた。
こりゃいかんと言わんばかりに少し早足になる。が、それと同時に思い出したかのようにスマホが再び震えだし……。
『十二号館。1223教室にいます。あと、購買のシフォンケーキが食べたいわ』
ディスプレイにそんなメッセージが浮かび上がる。サークルの相棒、〝メリー〟からだ。
しばらく母さんと電話していたから、当然僕から彼女には連絡出来なかった訳で。なんと三十分近くも待たせてしまっていた。時に待ち。時に待たされな関係の僕と相棒だが、流石に今回は連絡も無しなので、少し罪悪感がある。故に……。
『遅れてごめん。今ならドリンクもつくよ?』
少しの出費はあれど、それは仕方がないと受け止めて。今日も僕は、サークルへと向かう。
非公認オカルトサークル、『
今日は果たして、どんなものと遭遇するのだろうか。そんな事を思いながら。
※
約束の教室に入ると、メリーは机に向かったまま、読書に勤しんでいた。窓からこぼれたオレンジの日が、彼女の亜麻色の髪を照らしている。
肩ほどまでの緩めにウェーブがかかったそれは、彼女の白い肌とも合間って、絶妙な美しさを醸し出していた。「お人形さんみたい」と、彼女を評する声を聞いたことがあるが、成る程。実に的を射ていると思う。
青紫の瞳は宝石みたいに綺麗だし、彼女の雰囲気自体が、何処と無く浮世離れしているのは否めない。でも……。
静かに、メリーの方へ足を運ぶ。僕の到着に気づいたらしいメリーは、本に栞を挟むと、悪戯っぽく微笑んで。
「私、メリーさん。今、貴方を待ちぼうけなの。……ハニーカフェオレ。買ってきてくれた?」
「ドリンクがつくとは言ったけどさ。まさかラウンジカフェの飲み物を要求されるとは思わなかったよ。これ350円もするなんて……ぼったくりが過ぎる」
「あら、その分美味しいのよ?」
遅れてごめん。と言う僕に、問題ないわ。と返しながら、メリーはお詫びの品々を受けとった。嬉しそうにカップへとストローを通し、幸せそうに味わうその笑顔やよし。
人形みたいといえでも、彼女は決して無機質である訳ではない。
かの有名な都市伝説、『メリーさんの電話』に出てくる謎の少女にあやかって、口癖のように口上を述べ、自ら『メリー』と名乗る。なんてお茶目なとこもあったりするのだ。
因みに、自ら名乗るという点から察して貰えるだろうが、何を隠そうこのメリーさん。偽物である。
……偽物である。
その正体は、ただの女子大生。
名前だって、メリーなんて欠片も関係がない。シェリーで始まり、やたら長い挙げ句、途中で日本姓も入るという、色んな意味で壮大な名前なのだが、当の本人は誰に対しても本名では名乗らない。ので、一応本名を知る僕も、それについては閉口しよう。
彼女が、何故メリーを語るのか。その理由もまた、今は語る必要もない。閑話休題。
そんなどうでもいい事を考えながら、ふと閉じられた本に目を向ける。バーナード・ショーの『ピグマリオン』だった
本の内容はさておき、タイトルの元を思い出し、僕は吹き出しそうになるのを堪えた。人形みたいという彼女の評価を考察している所でこんなタイトルの本を読んでいるだなんて、出来すぎだと思う。
「……〝君が一番影響を受けた本はなんだい?〟」
「……〝銀行の預金通帳よ〟。……バーナード・ショーって、中々にユーモアがある人よね」
「〝ドンキホーテは読書によって紳士になった。そして読んだ内容を信じたために狂人となった〟とも言ってるからね。そこで影響を受けた本なんて口にしたら、自分が狂人だって言ってしまうようなものだから、預金通帳って言ったのかも」
僕の答えに、メリーはそういうもんかしら? などと呟きながら、シフォンケーキにフォークを刺す。僕はというと、その間にメリーと対面するように椅子を引っ張ってきて、ゆったりとそれに腰掛けた。
「……貴方は私にスリッパを持ってきて欲しい? それとも、逆に私に持ってきたいかしら?」
「バーナード・ショーを尊重するなら、持ってきたいにするべきなんだろうけどね」
「私としては、映画の方の結末を推すわね。尽くす女的な」
「ピグマリオンが原作なんだっけ?『マイ・フェア・レディ』……君、オードリー・ヘプバーン好きだよね」
「そうね。彼女の明るくて前向きな言葉は、どれも素敵だと思うわ」
ひょい。と、シフォンケーキの一口分が僕の口元に運ばれて来たので、遠慮なく頂いて。僕らは今日はどうしようか話し合う。
オカルトサークルらしく、大学内の心霊スポット(あくまで噂)を回るか。はたまたちょっと遠出して適当な神社でも見てくるか。
「君の〝受信〟は?」
「残念ながら、本日は反応なしよ。夏だし、暑いし。そういうのが栄える季節なのに、無反応なんて逆に珍しいわ」
トントンと、自分のこめかみを叩きながら、そう告げるメリー。
フム。弱った。そうなると僕らは、ここでシフォンケーキを食べながら悪戯に時間を潰し続ける事になりかねない。どうしたものか。
「そういえば、今更だけど今日どうしたの? 遅れてくるにしても、暫く音沙汰無し何て珍しいじゃない。変なのにでも巻き込まれた?」
「いや、巻き込まれたっていうか……」
そんな事を問うてくるメリーに、僕は言葉を濁す。正確にはわりとどうでもいい事で電話が掛かってきただけだったりするので、彼女が期待するようなものは何もない。けど……。
その時僕は、ふと思ったのだ。あの日の体験は、ただ一人を除いて、誰にも語っていないという事実に。
「ねぇ、メリー。メリーは当然ながら、小学校に通ってたんだよね?」
「……貴方私を何だと思ってるのよ。一応外国の血は入ってるけど、育ちは日本よ? 通ってたに決まってるじゃない」
呆れたようにそう返すメリーに、ですよねー。なんて言いながら、僕はチラリと窓から外を見る。外はまだ明るい。夏だからだろう。
そう、僕があの体験をしたのも、丁度こんな風に天気がよくて。夏特有の空気が濃い、暑い日の事だった。
「じゃあさ。七不思議的な事って、君の学校にはあった?」
僕の問いに、メリーの目がスッと細まる。好奇心に満ち満ちつつも、ちょっとおっかなビックリな表情だ。
「覚えている限りでは、ノーよ。変なのはいたけどね。え、何? 今日は学校の七不思議でも追うのかしら?」
「いや、そうしたいのは山々なんだけど……。僕ら大学生だろう? 七不思議を追って小学校に侵入なんてしたら、しょっぴかれちゃうよ。だから……」
目を閉じる。思い出したのはつい先程。だけど、昨日の事のように思える出来事だ。
「今日は学校の怪談を語らないかい?」
だから、自分の中で鮮明なうちに話しておこう。そんな気紛れに近いきっかけだった。
勿論、せっかくオカルトサークルを立ち上げているのだ。怪談ネタがあるなら、出さない理由はないのだけれども。
「それは……貴方が遅れてきた事に、関係があるの?」
「遅れてきた事には直接は関係ないけど、まぁ、それがきっかけで思い出した話。むかーしむかし。僕が小学生だった頃に起きた話だよ」
僕がそう答えると、メリーはハニーカフェオレの最後の一口を飲み干して、目を爛々と輝かせながら、両の手で頬杖をつく。青紫の瞳が、僕と。僕の手に向けられていた。
「いいわ。今日は私の感覚は休眠中みたいだし、聞かせて頂戴。貴方の手で何に触れて。何を見たの?」
期待するような声色で、メリーは僕に話を促す。僕はそれを合図として、語り始めた。
はじめて遭遇したのは、遡ること九年前の放課後だ。
「そうだね。名前を付けるならば……あれは旧校舎に閉じ込められた、幽霊だったんだ」
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