不幸の未来日記

さかもと希夢

不幸の未来日記

一日目


 悟は今日もついていなかった。

 学校にいきゃあ行ったで学年主任と大喧嘩をやらかすわ、舞台のセッティングではコードに足を引っかけてこけた上に照明卓を倒して、照明部にガンつけられるし。まさに晴天の霹靂である。

 彼は演劇専門学校のスタッフ科・制作部二年生である。

 制作部と言うのは主に客席数の確保、チケット取り扱い、観客へのダイレクトメール送付、宣伝戦略、そして金銭の取り扱いなど、本来ならもっとも重要な地位にあるのだが、専門学校ではただの雑用係である。

 理由は簡単。実際に金銭など扱ったりしないから。それでは地位の上がりようもない。結局お金を出してこき使われに行っているようなものだ。とみに、彼のように人間関係のうまくない人間はこういう集団からもはじかれ気味になってしまう。はっきり言って孤独だった。

 脚本・演出がやりたかったのに、本当に悟は面白くなかった。学年主任と仲良くしていれば、演出手伝いが出来たのだが、芝居に対する考え方が違いすぎて仲良くしたくもなかった。

 周りの人間も言うように、悟は芝居に対してのみ、異様に頑固なのだ。自分で劇団を持っているからこその拘りもあるのだろうが、最近は主宰を勤めているくせに、劇団で奇妙な孤独感がぬぐい去れない。思い込みかとも思うのだが、どうもみんなに避けられているような気がしないでもない。元来トップは孤独だと言うが、本当にそうなのかもしれないと身をもって感じ始めている。寂しい限りだ。

 とにかく、最近悟はついていないことづくしであった。

 だから、そんな奇妙な手紙が彼の一人暮らしをしている部屋に届けられたのも、もしかしたら、そのついていないことの延長線上にあったのかも知れない。 


 怒りを抱いたまま家に帰った悟が、郵便受けを何気なく開くと、そこには住所の書かれていない一通の手紙が入っていた。勿論差出人は書かれていない上に、定規で書いたように角張った奇妙な文字で、『高尾 悟様』と書かれている。

 これは直接郵便受けに入れられた手紙に違いない。

 不審に思いつつも、悟は自室に帰ってその郵便物を注意深く開けた。推理小説や刑事物ドラマでは、こういう手紙には得てして剃刀が入っているものだ。

 少し緊張して封筒を開けた悟は、ちょっとでもそんなことを考えた自分が可笑しくなった。自分は刑事でも探偵でもないのだ。無論犯罪のようなものに出くわして、目撃者になった覚えもない。なのに何故にカミソリが入っているなどと心配しなければならないんだろう。封筒には勿論そんな物騒な物は入っていなかった。

 だが、封筒に入っていた物は、悟を尚いっそうに不機嫌にさせた。

 それは俗にいう、『不幸の手紙』であった。

「なんだこりゃぁ」

 手紙には、こう書かれていた。


『この手紙を受け取ってしまった不幸なあなたは、これから一週間とても不幸な目に遭うでしょう。明日からの手紙を楽しみに待ってください。 不幸の宅急便』


 考えてみれば奇妙な『不幸の手紙』だった。普通こういう物には、何人に同じ内容の手紙を何日以内に送るように、などと嫌がらせの内容がはっきり書かれているが、これにはその指定がない。言ってみれば、出来損ないの不幸の手紙だろう。

「馬鹿にしやがって!」

 悟はその手紙をぐしゃぐしゃに握りつぶしてゴミ箱へ投げ捨てた。でも、気になってもう一度拾い上げてしわを伸ばす。何となく捨ててはならないような気がしたのだ。もともと彼は度胸のある方ではない。捨ててしまって何かあったら嫌だな、と思ったのである。

「くだらねぇ……」

 もう一度改めて眺めてみる。手紙の文面さえも、定規で引いたような角張った字で書かれている。

「……まめなヤツ」

 思わず彼は呟いた。

 だが悟はその手紙に二枚目があったことに、気づくべきだったのだ。まあ、いらだった彼に、そんな細かいこと気付けというのが無理な話なのだが。

 悟は原稿用紙の散らばるコタツの横にごろりと横になると、万年筆を手にして、締め切りの迫ってきた脚本の仕上げに取りかかった。勿論不幸の手紙の事なんて、それで彼の頭の中から抹消されてしまった。

 だが、事はこれだけでは済まされなかったのだ。


二日目


 バイトから帰ってきた悟は、いつもの習慣で郵便受けを開けた。

 入っていたのはアダルトビデオのチラシやピザ屋のチラシ、近所のミニコミ誌や、飲食店関係の物ばかり。

「ろくなのねぇなぁ……」

 舌打ちしつつそう呟くくせに、彼はその場でチラシ類を捨ててしまったりはしない。

 前に劇団宛に送られてきた手紙をチラシと一緒にうっかり捨ててしまい、大変な目に遭ったことがあるからだ。全てをひとまとめに取り出すと全部に目を通すべく部屋に向かう。小さなチラシでも、ネタになる物が意外にあるということに、つい最近気づいたのだった。

 寒い部屋に戻ると、チラシをテーブルの上に放り出してコートを脱ぎ、手袋を外すとコタツの電源を入れた。エアコンはつけない。貧乏学生の彼にとって、エアコンをつけることはこの上なく贅沢なことなのだ。変わりに冬大活躍なのがコタツである。エアコンの何が贅沢って、電気代だ。彼の古いエアコンは、一年を通してほとんど可動する事はない。

 演劇をやっている人間は得てして貧乏なのだ。時間もなければ、金もない。

 まぁ、それはいいとして、問題は郵便物だった。

 一番上に乗っているアダルトのチラシをじっくり吟味して、好みのものを探す。探したって買うわけじゃない。金が勿体ないじゃないか。チラシを見終わったら、再考のために脇にどけ、次にピザ屋のチラシを眺める。金があったらこれが食べたいなどと夢をみるのだが、大体いつも夢で終わってしまう。

 勿論、ミニコミ誌は、お友達募集からリサイクルまでしっかり目を通してみたりする。

 四十代の男が結婚相手をこのミニコミ誌で探してるのを見つけて、どうして今までこの男は結婚に縁がないのか考えて、ネタにならないか考えてみたりもする反面、自分もこうなったりしてと少し怖くなってみたりして。

 エステの広告が多いのがちと鼻につくが、結構楽しい物である。

 だが、問題は一番下に入っていた一通の封筒だった。それは、昨日と全く同じように書かれていたのだ。

「……」

 今まで感じていた主婦のようにおばさんじみた楽しさが一気に吹き飛んで、不快感がこみ上げてきた。そう言えばあの手紙には、『明日からの手紙をお楽しみに』などとふざけたことが書かれていた。これがその二通目だというのか。

 不快ながらも、悟は封筒を開けた。中には予想通り、昨日と全く同じ字で書かれた便せんが入っていた。


『悟は明日、学校に出かける際、人身事故に会って電車が遅れる。そして何もない豊田駅で長時間過ごすことになり、脚本を書くしかなく、結構書き進める。      不幸の宅急便』


「……これ、不幸の未来日記か?」

 しかも、明日などと書いてくるのが、また気にくわない。これでは、未来のことが書かれている某番組の『未来日記』ではないか。

 いや、『未来日記』はまだいい。そこから始まるのが恋愛だからだ。だがこの日記はどうだ。明日起こる事故が書いてある。そこから何が始まるというのか? 少なくとも、あの番組のようなドラマティックな恋愛劇はではないだろう。

 その上、今現在彼の脚本が煮詰まっている事を知っている。これは相当な不快さだ。

 そこで、彼はもう一つの疑問にぶち当たった。アパートの郵便受けには、彼は名前はおろか、名字すらも入れていない。勿論部屋に表札なんかも出してはいない。

 この手紙の主は、どこでどうして彼の名前を知り、脚本を書いている人間だと知ったのだろうか?

 勿論毎回、劇団の公演のチラシには本名と住所は入れているが、脚本の締め切りがこの時期にあるなんて、一般のお客さんは知るはずもない。第一お客さんが、毎日わざわざ彼の家に来てこんな手紙を入れていくなんて、それこそもの凄く変だ。

 彼は今度は手紙を捨てずにコタツの上に置いた。起こるはずがない出来事だが、何となくここまで詳しく書かれていると、気になる。彼は見かけより小心者なのだ。

 手紙は気になっていたものの、脚本の締め切りの方が気になって、チラシを片づけて原稿用紙に向かった。手紙の気味悪さも相当なものだったが、脚本があがらない方が何十倍も恐ろしい。劇団員に公然と主宰に文句を言える機会を、自分で作り出す事になってしまう。

 小心者の悟にしてみれば、それはちょっと怖い出来事だ。

 悟は、不幸の未来日記のことを必死で頭から振り落としながら、書きかけの原稿を睨み付けた。

 そして、また彼はこの手紙の二枚目に気づかない。


三日目


 不幸の未来日記が心に引っかかっていた悟は、鞄に原稿用紙と万年筆を放り込むと家を出た。何か、手紙の言うなりになっているようで嫌だったのだが、本当に豊田駅で立ち往生になってしまったら、待ちぼうけている時間がもったいない。

「まぁ、保険みたいなもんだよな」

 家を出る直前に小心者の彼が呟いた一言である。

 彼が住んでいるのは国立市で、最寄りの駅も国立駅だった。ここを走っている中央線は、JR東日本の中でもっとも人身事故が多いことで有名な路線だ。だから、人身事故が起こっても手紙のせいではないと、無意識のうちに悟は自分に言い聞かせていた。

 豊田駅に止まってしまうと、彼の通う専門学校のある八王子駅まで行く手段はないと言ってもいい。タクシーに乗れるようなお金は存在しないのだ。

 そして彼はいつも通り定刻の列車に乗った。悟の心配をはねのけるほど、列車は快調に進む。やはり、あれは悪戯で、そんなに簡単に未来は予知できないんだ。気楽になってきた悟の心は、豊田駅に着いた瞬間まで明るかった。

 ところが、そうは問屋がおろさなかった。

 豊田駅に着いた列車は、停止したまま動かなくなってしまったのだ。いつもならとっくに八王子に着いている時間であるにもかかわらずだ。悟は青ざめた。まさか、人身事故か? ここまで来て……ここまで? ここ、豊田駅じゃないか……。

 車内アナウンスが、響き渡る。

『只今、八王子駅で人身事故が発生致しました。……』

「……当たった」

 悟はぽつりと呟いた。嫌な感じだった。心の中が寒くなった。しかも同時にネタになるなぁとぼんやり考える頭もしっかり残っているところが悲しい。彼の鞄の中にはしっかりと書きかけの脚本が収まっているのだ。家を出るときに持ってきた保険が利いてしまった。

 とはいっても、不幸の未来日記のように、書き進める事は出来なかった。頭がすっかり混乱してしまったからだ。

 結局脚本は進まなかった。不幸の未来日記は、唯一これだけは予想しえなかったようだった。

 

 混乱のうちに授業とバイトを終えて帰宅した悟は郵便受けを開け、中身を掻き回すようにして、例の手紙を探した。心の奥底ではないことを願っていたのだが、案の定不幸の未来日記は郵便受けに当然のように納まっていた。

 他の郵便物と一緒に乱暴にそれを掴み出すと、悟は急いで自室に戻った。人間というのは不思議なもので、一度大きく予言めいたものが当たると次も当たると信じてしまうところがある。悟もそんな大多数の中の一人だった。

 部屋に戻るとコートを脱ぐのも後回しにして、取りあえず手紙を開ける。封筒の表は、やはりこの間と同じく定規でひいたような角張った文字が書かれていたが、今日はそんなこと気にもならなかった。取りあえず中身が知りたい。

 開けてみると、それはやはり不幸の未来日記であった。

「あぁ……」

 悟は深くため息を付いた。この手紙が予告した通り、こんな事が一週間も続くのだろうか?


『悟は、バイト先でミスをして、早く上がらされる。その御陰で脚本がよく進んだ。これなら締め切りに間に合いそうだ。                      不幸の宅急便』


「バイトでミス……ありえる。ウチのチーフ、厳しいからなぁ…」

 自分でも気づいていないようだが、悟はこの瞬間からこの不幸の未来日記に支配されてしまったのだ。

 だが、やっぱり彼はこの手紙の二枚目に書かれていることに気づかなかった。


四日目


 今日は一日ぼーっとしている。不幸の未来日記について考えていたのだ。御陰で学校もサボってしまった。

 この不幸の未来日記のことを忘れて脚本に没頭しようと、悶々としているうちに夜が明けてしまい、眠ったのは結局朝の七時だったのだ。起きたのは午後二時。これではどうしようもない。こんな事ではいけないと思うのだが、小心者としてはしょうがないところであろう。

 起きあがって煙草に火を付ける。一晩中煙草を吸っていたものだから、喉がやけにひりひりする。灰を落とそうとすると、灰皿の中は吸い殻でいっぱいだった。しょうがなく吸い殻を捨てに立ち上がった。

 ゴミ箱の上にはカレンダーが貼ってあるので何気なくそれを見ると、脚本の締め切りと自分の汚い字で書いているのが目に入った。あと一週間と三日だ。何気なくそう考えて、悟は改めて不幸の未来日記に恐ろしさを感じた。その手紙に書かれた不幸の終わる一週間目とは、悟が独自に決めた下書きと訂正の締め切りなのだ。

 彼がワープロに原稿の打ち込みをするのは劇団の締め切りの一週間前。と言うことは、この不幸の未来日記を書いてよこしている人物は、彼の独自の締め切りを知っているのかも知れない。それで、彼にプレッシャーを掛けに来たのか? もしかして、脚本を書かせない気なのか?

 変な不安が心の中をよぎる。

 吸い殻を捨てた悟は、再びコタツに潜り込んだ。

「一体誰なんだよぉー」

 コタツに力無く顔を埋めた悟は、無意識にそのまま眠ってしまった。

 気にしているわりには、結構図太いのかも知れない。だが、これがまた不幸の未来日記を現実へと導いてしまう結果になったのだった。


 夢の中で、彼は得体の知れない何かに追われている。片方の追っ手には顔がなく、もう一人の追っ手の顔には『締め切り』と書かれた紙が貼られている。

「来るなぁー!!」

 追われる悟は必死で叫ぶが、それで許してくれる追っ手ではない。とうとう悟は追っ手に捕まってしまった。

「誰か…助けてくれー<」

 叫ぶ悟の耳に何かのベルの音が響いた。ベルの音?

 夢から覚醒した悟は音の正体に気づくのと同時に、時間についても気づいた。外はすっかり暗かった。慌てて立ち上がり電話を取ると、聞き慣れた低い声が、怒りを込めて悟の耳に飛び込んでくる。

「高尾っ! てめえ、何時だと思ってるんだ!」

 それはやはり、バイト先の店の厨房チーフだった。彼は、居酒屋の厨房でアルバイトをしているのだ。そしてこの店は、厳しいことで有名だ。

「チーフ……済みません! 寝過ごしました!」

 時計をみると、とっくにバイトに行く時間は過ぎている。悟は青ざめた。言い訳のしようがない。

「仕事を何だと思ってる? もう今日は来んでいい!」

「待ってください、チーフ! 行きます!」

 悟の必死さも通じない。一時間も出勤時間から遅れているのに、今更取りすがっても無理というものだろう。案の定、チーフにはとりつく島もなかった。

「いいか、今日は許してやるがな、もう一度やったらクビだ! 今日は暇だから本当にお前はいらん! 来るんなら明日、厨房のバイトと俺達の分の飲み物でも持ってこい!」

 ガチャ、ツーツー……。

 電話の切れる音が空しい。ため息を付くと、受話器を置いた。今まで無遅刻無欠勤だったというのに、これじゃまた信頼を作り直すのに骨が折れる。コタツに戻ると、悟はハッとした。もう一度広げたままの不幸の未来日記を見つめる。


『悟は、バイト先でミスをして、早く上がらされる。その御陰で脚本が家でよく進んだ。これなら締め切りに間に合いそうだ。                    不幸の宅急便』

 

 ミスって……早上がりどころが欠勤になってしまった。夢ではないが、誰かホントに助けてくれ、な心境になる自分が何とも情けない。

 そこで気づいたのだが、彼は今日一歩も外に出ていない。と言うことは、もうすでに不幸の未来日記が届いているに違いない。今度は昨日のように来ているかどうか疑ってもいなかった。来ているに決まっているからだ。

 寒いのも気にせずそのまま外に行くと、郵便受けの中身を全て持ち帰る。そこには当然不幸の手紙が入っていた。


『悟は、徹夜で脚本を書いたために、風邪を引く。しょうがないので、学校を休んで脚本を書いてからバイトに出かけた。                      不幸の宅急便』


五日目


 情けないことにというか、未来日記通りというか、目が覚めたら本当にコタツにいて、しかも目眩がした。風邪を引いてしまったらしい。我ながら悟は自分の馬鹿正直さに呆れた。

 こうなったら本当に学校を休んで脚本を書いていた方がいい。学校に未練はないが、バイトは行かないとマジでクビになりかねない。ここは一日暖かくして薬でも飲んでバイトに備える方が得策だろう。

 取りあえずインスタントラーメンを作ると、冷蔵庫の中に残っていた玉子を割って入れる。これで栄養効果は高まるだろうと勝手に決めつけて、一気にラーメンを流し込む。その後にやはり置いてあった市販の薬を三錠ばかり口の中に放り込むと、コタツに入った。

 眠ってしまっても良いように、目覚ましをしっかりバイトに間に合う時間にセットする。今度の失敗は許されないからだ。

 脚本に目を通すと、昨夜はかなり頑張ったことが自分でも分かって思わずにやりと変な笑いをしてしまう。一晩に二十ページ近く書くなんて、何年ぶりだろう。

 自分が、少し凄い男のように感じられて、一人喜んでみたりもするが、それも所詮不幸の未来日記に踊らされた結果かと思うと、すぐに醒めた。

 彼は、結局何かに追い立てられないと駄目なのかも知れない。それを人はマゾと呼んだりもするが……。まぁ、この際は悟にとってどうでもいいことだ。彼はのんびりと眠りについた。小心者でも、開き直ってしまえば人は逆に強くなるのかも知れない。


 この日は遅刻もせずに無事にバイトに行けた。勿論、調理場の連中全員分の飲み物を買ってこさせられたりもしたが、これは自分の落ち度。仕方あるまい。

 チーフに平謝りに謝ると、彼は今度は気を付けろとだけ言って、昨日の失敗は水に流してくれた。さすが、本物の男は違うななんて、悟は感激したのだが……まぁ、この日のバイトは無事だった。


 仕事を終えて帰宅すると、また郵便受けに入った不幸の未来日記を発見した。気にはなるものの、明日死ぬとか怪我をするなど、不吉なことが書かれていなければよしとすることにする。何となく悟はこの不幸の未来日記が、自分に脚本を書かせるために神が送ってくれた物のようなそんな気がしてきたのだ。その証拠に、すっかり煮詰まっていた脚本がこんなに進んだ。

 家に帰っていつも通りコタツの電源を入れて、コートを脱ぎ手紙を取り出す。


『悟は、脚本のすすみ具合に満足するが、よく見ると重大な欠点があることに気づく。慌てて直すとページも増え、内容が充実する。                 不幸の宅急便』


「脚本にミス?」

 慌てて読み直してみると、後半の物語に必要な複線が、前半で全く引かれていないことに気づいた。昨日得意になって二十ページ書いたところが、何となく前半に繋がってこないのだ。

「マジで、繋がってねぇ……」

 悟は頭を抱えた。何としてでも今日中に直してしまわないと、続きが書けない。ハッキリ言ってピンチである。

「あと二日だぜ、おい」

 誰に言うでもなく呟いた悟は明日も学校をサボることを決意した。幸いなことにバイトも休みである。ここまで日記に見透かされたことが、恐いと言うより悔しくてしょうがない。何か、見透かされてる気分だ。

「日記に負けてたまるか<」

 そうして、彼の五日目が過ぎてゆく。どうやら今夜も徹夜になりそうだった。悟は元々夜型人間なので丁度良いのかもしれないが。

 そして、しつこいようだが、彼は手紙の二枚目に気づかない。


六日目


 午後二時に悟は目を覚ました。病み上がり……と言うか病中にこの不規則な生活は結構きつい。眠ったのはやはり午前八時頃だったのだ。

 だがしゃくなことに、不幸の未来日記の言うとおり直してみるとあちこちに直したい部分が見つかって、すっかり脚本が充実してしまった。ここまで来ると、不幸の未来日記様々かも知れない。

 直しと、あちこちの文章の追加で、昨晩も二十ページ近く書いてしまった。流石にここまで一気に書くと、どうして自分には地道に文章を書くと言うことが出来ないのかと情けなくなってくる。

 少しづつでも書いていれば、こんなに苦労する事もないのに。

 物書きの多数の人たちがこういう目に遭っている事は知っているが、今回の二日で約四十ページは、ハードすぎた。しかも、風邪を引いていると来た。

 出来ないと分かっていつつも、次回からは地道に脚本を書いて、締め切り前にこんなに大変な思いをしないようにしようと心に決める。でも、心の中でそりゃぁ無理だと言う自分もいる。全く情けない。

 起き出してみると腹が減っていたので、狭いキッチンへ向かった。戸棚を開け、特売で買って置いた大量のカップラーメンを取り出してお湯を沸かす。

 やかんが沸騰するまでぼーっと見ていると何だか不思議な気分になった。この景色、どっかで見たことがある。そう、既視感だ。カップラーメンを食べるときはいつもお湯を沸かしているのだから、こんな風景は毎日なのだが、何か違う。家ではないような、でもどこかで見たような気がするのだ。

 あれは確か、前回の劇団の公演が終わって打ち上げをし、終電が無くなって劇団員の家に何人かで転がり込んだ時の事だったような。そしてその時自分は劇団の友人に何か脚本の事を相談していたような…。

 考え込んでいたところで、やかんが高音を立てた。彼が使っているのは、今はなかなかない音の出るやかんだ。

 その音で我に返り、カップラーメンにお湯を注ぐ。気になることよりも、今は脚本が大事だと思い直して、彼はカップラーメンをコタツに運んで座った。三分間待つ間にもう一度脚本に目を通す。

「俺、やっぱすごくない?」

 作品が出来上がったときに、誰もが口にするような独り言を呟くと、満足げに笑った。ここまで来ると、不幸の未来日記に脅された事なんかどうでも良くなってくる。ナチュラルハイ気味の頭でニヤニヤ笑うと、やっとカップラーメンの存在を思い出して、食べ始めた。三分はとっくに過ぎて少し伸び気味だったが、ちょっといっちゃってる彼には、どうでも良いことなのだった。

「赤〇次郎になれそう……」

 無理な話である。彼は売れっ子、悟は売れない劇団の脚本書き。レベルが違う。だが、気分の大きくなっている彼にとってそんなことは関係ないらしい。彼の妄想はどんどん膨らみ、脚本をあと一日で下書き全て完成させることをすっかり頭の彼方に追いやってしまった。これでいいわけは、ないのだが今日頑張る気力をいまいち彼は失ってしまった。

 一日に沢山の原稿を書き上げてしまうと、たまに起こる事……その名を気力の喪失という。

 満腹になると、彼は少し昼寝をすることにした。気持ちにかなり余裕が出来てしまったらしい。本当はそんな暇ないはずなのだが。


 再び目覚めると、もう六時を回っていた。一眠りしたことで幾分か正気に戻る。明日一日で仕上げなければならない。

 悟は青くなった。何を余裕になっていたのだろう。

 再び脚本に向かい始めるが、やはり先程の気持ちの大きさがどこかに残っているのか、さっぱり進まない。これではいけないと思うのだが、どうしても進まない。自然に手はテレビのリモコンに伸びる。

「気分転換も必要だよな、うん」

 テレビに向かって空しくいいわけをするが、よりいっそうに空しくなるだけだった。何時間そうしていただろうか、唐突に彼は玄関から外に出た。ここ何日かで習性になってしまった不幸の未来日記を回収するためである。郵便受けの前に誰かが立っていたが、悟の部屋のドアが開く音を聞くと、逃げるようにその場を立ち去った。

 後ろ姿が、友人に似ていたが、彼が悟の姿を見て逃げる理由はない。きっと、エロチラシを配っていたので恥ずかしくなって逃げ出した若いあんちゃんだろうと、勝手に決めつける。

 郵便受けを見てみると、想像したようなエロチラシは入っていなかったが、不幸の未来日記はしっかり入っていた。一体いつこれが郵便受けに入れられるのか、全くの謎だ。だが、見張ってる時間があるほど暇じゃない。

 寒かったので急いで部屋に戻ると、コタツに入って不幸の未来日記を開く。

「どこで見てやがるんだ!」

 思わず、悟は叫びそうになった。その手紙には、しっかりと彼の現状が書かれていたのだ。

『脚本が思いの外進んだ悟は、気が抜けてだらだら過ごす。明日までに間に合いそうにない。夜中に気づくと早速脚本に取りかかる。                 不幸の宅急便』

「負けるか!」

 彼の闘志に再び火がついた。馬鹿にされてたまるかという気分、大である。大体において、彼の性格を読み切っているところが悔しくてしょうがない。彼は長距離走で、最後の最後に誰かに抜かれてしまうようなタイプなのである。簡単に言うと、いつも詰めが甘い。この不幸の未来日記を書いてよこしている人物は彼の性格を知っているとしか思えない。

 だが、頭に来た悟は、そんな単純な事にも気づかなかった。

「書いてやる…完璧に明日までに仕上げてやる…」

 テレビを消すと、彼は猛然と原稿用紙に取りかかった。先程までのダレ切った彼とは別人のようだった。

 不幸の未来日記は、実は劇団員の幸福の未来日記なのかも知れない。彼は今日も徹夜を覚悟した。もう残り時間が少ない。急がなくては、未来日記のいうとおり間に合いそうにない。

 そして、本当にしつこいようだが、今日も彼は手紙の二枚目に気が付かない。


最終日


「ふふふふふふ」

 悟は怪しげにコタツにう突っ伏したまま、笑い声を立てていた。結局昨晩から一睡もしていないのだ。だが、その彼の目の前にはほとんど書き殴られたと言っていいほど乱れた文字で書かれた原稿用紙が置かれていた。その置かれたページには、確かにエンドマークがついている。本当に書き上げてしまったのだ。

「勝った……」

 もうほぼ抜け殻の彼は、無意味にニヤニヤしながら完成した原稿を眺める。

 全ページ数、ワープロに打ち込んだ推定百二十ページ。彼は非常に満足だった。時計を見ると、バイトまであと二時間ほどある。勿論今日も学校はサボった。

 勝利者の気分で彼はコタツの横に転がった。勿論目覚ましは掛けてある。これで彼は今までの悪夢から解放されるのだ。知らず知らずのうちに、彼は眠りに落ちていた。

 夢の中で彼は、前回の公演の打ち上げ後友人の家に転がり込んだ日に戻っていた。彼は夢の中で友人と話している。

 

『俺さ、締め切り二週間前に手書き原稿仕上げないと、間に合わないんだよなぁ』

 友人はいう。

『じゃあ、書き上げればいいじゃん』

 悟はむっとして言い返す。

『俺は、追い立てられた方が燃える男なの!』

 すると友人は笑いながらこう言った。

『じゃあ、俺がお前さんのやる気を出させる為に、一肌脱いでやるよ』

 何となく楽しそうな感じだ。

『何するんだ?』

『まぁ、楽しみにしてろって』

 何となく気がかりではあったが、彼は一応友人に頼んだ。

『じゃあ、頼むよ』

 

 ここでまた夢が唐突に目覚ましの音によって消えてしまった。何だか、嫌な感じだ。なんだかこの不幸の未来日記の仕掛け人は意外と近くにいるような気がしてきた。そう言えば、その友人に似た姿を昨日の夜郵便受けのところで見たような気がする。

 いや、何となくだが、この不幸の未来日記が来るハメになったのは、自分のせいのような気がしてきた。というより、過去の自分が仕掛け人だったりして。

 考え事をしていた悟がふと時計を見ると、すでにバイトに行く時間になっている。彼は一旦考え事をやめて慌ててバイトの支度をすると、家を飛び出した。また怒られてたら、洒落にならない。

 取りあえず、慌てていた以外は無事にバイトを終えることが出来た。今日の悟は絶好調である。今の彼の心境を一言で言えば、世界の全てが大好きさというところだろう。

 そして、その幸せは一日全てが無事に終わるということとは違う事に、彼はまだ気づかなかった。そう、彼の身に起こった、謎の不幸の未来日記事件が今日幕を下ろそうとしていたのだ。


 バイトから帰った悟は、不幸の未来日記を取り出すべく、郵便受けを開けた。いつも通りそれはあった。だが、何となく様子が違う。今日はやけに厚いのだ。勿論宛名はいつも通り定規で惹かれたような角張った字だったが、今日届いた不幸の未来日記には、何と差出人の名前が書いてあるのだ。そこにあった名前は、彼の劇団の友人のものだった。

「まさか……」

 悟は自室に駆け込むと、コートを脱ぐより先に手紙を開けていた。そこにはあの定規で引かれたような文字ではなく、見まごうことのない、友人の下手くそな字で文面が綴られていた。悟の嫌な予感的中である。


『高尾へ。

 脚本出来たか? 約束通りやる気になるモンを、一週間送ってやったぞ。これで、脚本出来てないとかいったら怒るからな。

 この手紙書くのにどれだけ苦労したか。大体、俺からだって分からないようにする事にどれだけ考えたか。他の劇団員に書いて貰おうかと思ったけど、それじゃあお前にバレるかも知れないしな。昨日はお前が出てきてちょっと俺は焦ったぞ。

 まぁ、そんなわけで一週間後の本読み楽しみにしてるからな。じゃあな!

                   不幸の宅急便改め、日野圭司』


「ち…ちくしょー!」

 嫌な予感が当たったというより、想像そのままだったことが悔しい。もっとちゃんと覚えていたらあんなにビビらなかったかもしれない。とにかく悔しくてしょうがない。

 しかもこの手紙の仕掛け人は他ならぬ自分なのだ。自分で友人に追いつめてくれと頼んでおきながら、いざやられてみると、全く覚えていなかったのでマジで怯えてしまった。自分の馬鹿さかげんに涙が出た。

 だが、その手紙の下の方に書かれた文字がさらに悟を驚かせた。


『P.S. あんまりお前を怖がらせるのも何だから、ちゃんとヒントを二枚目に書いといたろ。あれ、結構おもしろかったんだよなぁ。探偵みたいでさ』


「…二枚目?」

 悟は慌ててとって置いた不幸の未来日記を取り出した。封筒から出して、ここで初めて手紙の書かれた紙以外に、もう一枚用紙があったことに気づく。

 一日目に来た手紙から順にその二枚目を並べてみる。

 一日目『約束』

二日目『通りに』

 三日目『手紙を』

 四日目『書いたぞ』

 五日目『脚本』

 六日目『頑張れ』

 そして、今日『劇団員より』

 最後の用紙には、ご丁寧に劇団員全員からのメッセージが添えられていた。いわゆる寄せ書きというヤツである。最近劇団内で孤立していると思いこんでいた悟には何にも代え難い言葉達だった。

「はは…はははは……」

 悟の口からは力無い笑い声が思わず出ていた。でも、涙も知らず知らずのうちに零れていた。がっかりという気持ちとは全然違うものである。そして、自分が見当違いの孤独感を抱いていた事への空しさに気づいたのだ。

「あいつら…こんなことして………ありがとうな」

 信頼されているのに気づこうとしていない自分がいたのかもしれない。現にこうして奇妙な手紙が来たとき、誰にも相談しなかった。

「ちくしょー! 許してやるよ!」

 涙で叫んだ彼だったが、勿論それを劇団で素直に出せる彼ではない。


 一週間後の脚本完成日。予定通り完成した脚本を持って稽古場に出かけていった彼が、まず不幸の未来日記を書いてよこしていた張本人の友人に回し蹴りを入れたのは、言うまでもない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

不幸の未来日記 さかもと希夢 @nonkiya-honpo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ