アマガ

 中村レイは病室の出口のところまで行くと振り返る。遠くを見るような彼女の眼差し、少しの沈黙。

「それじゃ、帰るよ」レイは唇を締めるように閉じた。

 その動作がカガナには彼女がはにかんだように見えた。

 彼女が戸口に手を伸ばした時、空が陰り、大地が鳴る。

 その声を聞いてはいけなかった、物悲しく世界を満たす異なる声、隔世の只中に放り込まれたのか、それでもここにはレイがいる。彼女の存在だけが現実との地続きの証明だった。

 中村レイの呼吸の音。彼女の目は泳いでいる、そしてカガナへと止まる。

 カガナは彼女を見つめながら考えていた。

 ――音がしたその中心に行かなければいけない、今度こそ壊れてしまった世界を戻すために。

 彼は立ち上がる、寝台を降りて履物や元々着ていた制服を探しはじめた。それはすぐに入り口側の扉のついた収納棚から見つかった。

「着替えるから気にするなら部屋から出て」カガナは事務的な声で服を取り出しながら言った。

「どうしたの、何をしているの。今の地鳴りや唸り声のようなものと関係があるの?」中村レイはカガナの方を見ないように後ろを向きながら言った。

「行かないと」

「何を言ってるの、安静にしてなきゃ」中村レイは振り返り、慌ててまた向き直る。

「行かなきゃいけないんだ」自分に言い聞かせるようにカガナは言う。

 再びの地鳴り、鳥たちの鳴き声、二人は音のした方を見る。遠くの建物の間と間で巻き起こった土煙のようなものが病院の窓から見えた。

「私も行くわ」壁に向ったまま中村レイは言い放つ、表情は見えない。

「駄目だ君はここにいるんだ」

「それはお互い様よ」

「きっと危険なんだ君を危ないところに連れていきたくない」

「一緒にいけないなら病院の先生を呼ぶわ」

 カガナは奥歯を強く噛み、つぐんだ。そして一緒に行くことを渋々了承し病室を出た。腕や腰、足首など違和感や痛みの走る部位は沢山あったがなるべく普通に、お見舞いに来た生徒という気持ちでカガナは歩いた。ずっと寝ていたカガナには病院のどれくらいの人員がどれだけ自分を患者だと認識しているのかわからない。ここで捕まって引き戻されるわけにはいかない。カガナは中村レイの手を取った、手が湿ってきた。彼女の顔は見ずにただ前を向く、階段を2階分降ると正面通路の先に出口が見えた。明るい方へ羽虫が引き寄せられるように周りは視界に入って来ない。

 病院の玄関を出ると牢獄から脱出してきたような開放感があった。胸に空気を貯める、赤焦げたような匂いと暖かさと冷たさ、夕方の味がした。目的地はわかる、煙の上がっている方向。

 ――誘われている、悪夢の続きが離さない。眠りによって逃れようなどとしたから大事になったんだ。

 そうカガナは脅迫的な思いを胸に閉まった。

 緊急車両の警戒音が移り変わりながらそこらじゅうから聞こえてくる。

 舗装された道路、車の通行はない、街へと続く道。二人だけが歩く道。

「痛いわ、離して、病院は抜けたんだからもういいでしょう」嘆願するようなレイ目。

「ああ、ごめん」カガナは思った以上に彼女の手を強く握っていたことに気づいてそれを解いた。

 道中逃げる人は見えても、爆心地に向う奇特な人は彼ら2人だけ。

 大通り沿いを歩き、路面電車の線路を跨ぎ、屋根のある繁華街の入り口へと二人は立つ。埃っぽい空気、横看板には大きく下通りと書いてあった。

 この時間はいつも買い物をする人で溢れている場所、しかし今は電気も落ち人の気配もない。

 カガナは中村レイの前に立ち歩く、足を忍ばせ体を少し屈めて、大股で慎重に一歩づつ進む。

 目的地は繁華街の中心、大きな建物がひしめくその只中にある。近づくにつれ夕闇がくすぶり会話しているよう気がした、薄暗さがこちらを見ている。そちらに目を向けようものなら吸い込まれて戻って来れない気がした。

 突然黒い影が目の前を横切る。カガナは驚き後ずさりしすぐ後ろに付いて来ていた中村レイと背中と顔がぶつかってしまう。

「何よ、猫じゃない」中村レイは鼻を押さえながら言う。

 カガナは影の後先を見回す、既に遠くになった黒猫はこちらを向き一鳴きすると去っていった。

「そうだね逃げた方がいい」

 カガナは独り言のように呟いた。

「びびってるカガナ君も逃げるなら今のうちよ」中村レイは目を細めて口元を少しつりあげて言った。

「うるさいよ」そう言うとカガナは再び前を向いた。


 ――その音は近づいてくるように響きはじめた。

 一段と濃くなるように漂う粉塵、足元は気をつけないと散乱した瓦礫やら捲れた道路や土で転びそうになる。腕で口を押さえ進み二人が抜けた先は開けた場所だった。

 金属音、それは響き渡る戦いの斬撃。

 二人の前にいくつものこぶのように崩れた建物の残骸が大小広がる、そしてその先は用意された演劇の舞台のように放射状に開け舗装された地面が見えていた。

 中心に大剣を持ったあの男ともう一体、対峙する異形のもの。

 背中側には羽のような、幕のようなのもが有り背景が黒く歪んでいた。そして前のやつとは比べ物にならないくらい巨体であった。体も手も細長く野太い骨が皮の上からでもわかる。頭部の面は陶器を思わせるのっぺらさでひび割れのようなものがいくつも走っている。口元は食いしばった歯がむき出しになっている。

「ここにいちゃいけない逃げなきゃ」中村レイは爆心地を覗きそしてカガナの手を取り引っ張る。

「あの時、もう一つ話してないことがあったんだ」カガナは惨状を背後にレイに向き直る。「空からあの異形のものが降ってくることを知ってたんだ」

「どういうこと?」

「正確に言うとそういうことを願っていた、妄想していたんだ」

「そんなのただの偶然」

「僕が招いてしまったのかもしれない」

「誰しも、大なり小なりそういう非現実的なことは考えるものじゃない」

「何かレイさんってやけに肯定的だよね」レイに微笑みかけるカガナ。

「そんな話は後でいくらでも聞いてあげるから今は……」

 その時背後の折り重なった瓦礫の間から「助けて」という弱々しい声が発せられた。

「まだ生きている人がいる、助けないと」中村レイはカガナを押しのけて前に踏み出そうとした。

 カガナは両手で肩を掴みそれを慌てて止めた。

 異形のものは腕を地面に叩きつけた、その場が爆発したように衝撃波と質量あるものが飛散する。余波で瓦礫はぶつかり合いさらに四散する。巻き起こる砂煙、それに混じり赤い液体も飛び散った。もう人の声は聞こえない。校庭でイザナキと呼ばれていた男も回避すべく横っ飛びに転がるが予測不可能な瓦礫片の直撃を受ける。そのまま転がり端で動かなくなった。手放された大剣は空を翻り夕闇に紛れわずかに残った暁の光を反射しカガナの後ろの小山に突き刺さる。

赤い液体や肉片と思われるものが二人の足元にも飛んできた。

 レイは悲鳴をあげた。その口を押さえてカガナは優しく後ろから抱きとめた。

「何かが狂ってしまったこの世界をどうにかしなきゃいけない。僕が責任を取らなきゃならない」

 カガナは囁くように、独り言のように語った。

「レイ、君は逃げて」

 彼女を後方に押しやると前へ出る。

「アマガ」そう言い肺からの熱せられた空気を重々しく吐くカガナ。

 大剣はたしかに手元にやってきた。

 カガナにはもうそれしか見えていなかった。それを左手で引き抜く、その手から全身へと逆立つ血脈、振り上げるのと同じように全身の血肉へと浸透し馴染んでいった。

 《アマガ》は重い/想い、夢では綿のように軽かったが実体としてのそれは立ててカガナの顎に迫る大きさであり、現実としての武骨で巨大な板状の塊をカガナは感じた。夢に重さは存在しない。

 肩に大剣を背負う、両足に力を込めると筋肉は強張り、身震いする。カガナは一度深い息をし前を見据えた。

 そこからの疾走、体重の幾分かのものを抱えながらのその様は彼の身体を超えているように見えた。

 巨翼なる闇との対峙。

 おいでと言わんばかりに両手を広げる異形、それは罠であり――終焉と安堵。

奴は照準を合わせて羽虫を弄ぶように両手を合わせてすり潰しに来た。カガナは口元を三日月のように歪めて更に前に加速し右に異形の手首を跳びのきそれをかわした。その際、《アマガ》を異形の手首に這わせて試し切りとした。撫でるようなしなやかさでさして抵抗も感じなかったが異形のその正に異形なる色をした鮮血が舞い、振り返りそれを確認、この大剣の意味を確信へと変えていった。

立ち止まった場所は崩れかけの建物が近く、ひらけてもいない。奥歯を噛みしめカガナは再び走り出す。反対側に行きたかった、大回りする方が安全だが奴と離れ過ぎるとレイに注意が行くことを懸念したカガナは《アマガ》を支点のようにしてまだきれいな異形の左手首を刺し側転のような形でその真上を素早く通過する。

 空気が震える、カガナは奴の方向に向き直り砂利に足を取られて横滑りに停止した。《アマガ》に付着した体液を振り払うと深い呼吸をし、三度の疾駆。

 空気の振動が奴の咆哮であると先ほどまで気づかなかった。《アマガ》を手にしてから夢中で、それ自身が標であるように目指す場所に迷いが無い、胸に柔らかに手を当てても鼓動はさほど上がってはいなかった。見据える先は奴の足の腱、直下には黒い靄が夕闇に紛れてカガナに空間を歪ませて見せているようだった。

 異形のものの腕は力なく垂れ下がりまだ体液が滴っている。足元で小賢しく動き回る羽虫を潰そうと今度は足裏を露わにして来た。カガナは一旦外に逃げるような動きをしたかと思えば跳躍し一気に内側の体重を支えている動かぬ足に肉薄、突き刺し十字に腱を斬りつけ異形の背中側、後方に離脱して行った。外側の動きには機敏でも内側に対しては対応出来ず、異形のものは唸り、地響き、それに巻き込まれ崩れる周りの建物とともに片膝をついた。

 粉塵が夕闇と靄に紛れ戯れる。

 剣を握るカガナの左手に力が籠る、柄が軋む。

 まとわりつくもの全てを払うように剣を勢い良く横薙ぎに振るうと闇が渦を巻いた。 

 再び空気が震える、最初に聞いたあの物悲しく世界を反芻するような声色。

 すると異形のものの肩が骨でも折れたかのように鳴り出し器械体操のような動きでこちらに向ってきた。曲がらないはずの方向、カガナは足に力を込める。向ってきた片腕を切り落としもう片方を剣身で受け流す、地面に突き刺さり道路は割れる。腕を伝い一気に巨人の首元へと駆け上がり、力いっぱいに突き立てた。暴れ出す中を振りほどかれまいと必死の形相でしがみつき、緩んだところで更に深く差し込んだ。

 異形の巨人の力は抜け落ち、袂の夕闇もまた消えた。


 レイは目に涙を浮かべ口元を押さえて辛うじて声を漏らさずに黙って立っていた。内股の足に力は無く今にもへたりそうである。

 後ろからサラが現れてレイの肩を優しく抱きとめた。

 死地から離れ状況は終了したといっても事態の非現実性にその場を動くことが出来ないでいる。

「彼がやったのね」

 サラの目線の先、舞台の右端でイザナキが倒れている。すこし左に動かしていくと彼、カガナイシキは大剣アマガを讃えて仁王立ちの状態で見ている。その奥、異形の巨人はあぐらをかいたような状態で肩を落とし力なく首を垂れている。そしてカガナに看取られながら己が破壊した建物と同じように今、瓦解し地に伏した。


「あなたがこれをやったの?」

 カガナの背後からサラは言葉を投げつけた。カガナは首だけで振り返り、そしてうなずきもせずサラをただ見つめるだけ。

 彼女は目線をはずし、下を向き、再び顔をあげて舞台端で動かなくなったイザナキの所へと駆け寄った。

「さすがアマガね、本体をしっかり守っている」首筋で脈を確認しサラは呟いた。

 辺りを注意深く観察しながらゆっくりとした歩みでカガナの所に戻り、彼の横に並び立つ。

「隠し通せるんですか?」カガナは横目にサラを見る。

 唇、炎のように赤い。肌、艶があり瑞々しさが空気感からも伝わってくる。ハッキリと見開かれた大きな瞳。

 今、最も近くにカガナはサラを感じている。戦いにも動じなかった心臓の鼓動は今をもって波打ち思考を痺れさせた。

「……今のところわね」サラはゆっくりと首を回しカガナを先ほどのお返しのように見つめた。「誰も信じない、信じたくないもの。空から降ってくるものなんてね」

 ――優しい世界ではなかった。

「あなた異形を倒せるのね」サラは目を細め、微笑して言った。

「夢中だったから」カガナはそうとだけ答えて崩れた、異形だったものを見る。

「興味があるわ、あなたに。そしてあなたの見た世界にね」

 そう言い終えるとサラは異形のところまで行き小型の無線機のようなものでどこかに連絡を取りはじめた。

「とにかく今は休みなさい」サラは無線機を仕舞うとカガナに歩みより肩にやさしく手を置く。「病み上がりな上に身体に無理を強いたんだからね」

「そんな風には感じなかった」

「恩寵ね。みんなを守ってくれてありがとうカガナ君、アマガは回収させてもらうわ」


 その日はそこでお終い、中村レイとカガナはサラが手配した車でそれぞれの帰路についた。

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