白昼夢

 学校に行く毎日は退屈だ。

 カガナの一方的な勘違いや思い込みなどで気まづくなっていた中村レイとの関係は空から校庭に降ってきた異形の怪物のおかげでもみ消されたようだ。

 何かの切っ掛けがあれば自分は変われるとカガナは思っていた、しかし学年一の美人自分の中ではそうなっている女の子と映画を見に行っても、空から待ち望んだものが降ってきても変わることはない。

 校庭に出た彼は戦わなかった、その領域ではなかった。


 いつもと変わらぬ朝の教室、その窓際の前から3番目の席、そこが彼――カガナの定位置であった。窓から校庭を見下ろすと重機と盛り土が搬入され大穴を塞ぐ作業が開始されていた。

「結局あれはなんだったんだろうな」アルがカガナの席にやって来て聞いた。今は外を眺めている。

「あー、俺ってやっぱりだめなんだよな」カガナは目線を落として机に突っ伏し顔だけを動かした。

「なんだよいきなり」呆れたようにアルは口をへの字に曲げて聞いた。

「だめなんだよ……だめなんだ、せっかくレイさんといい感じだったのに、空から宇宙人が降ってきてもな、本当だめなんだよ」カガナは手足を不規則に動かし突っ伏した頭を机にぶつける動作を繰り返しながら独り言のように言った。

 アルは溜め息一つつき、首を小さく横に振る。

「どうしたのカガナ君、だらしないわよ」颯爽と中村レイが登場しカガナの後ろの席につく。

「え? うん」カガナは素早い動作で顔を上げ背筋を伸ばしてわざとらしく座り直す。

 それを見たレイは「可笑しい」と言いながら笑い出した。カガナは振り返る、中村レイは珍しく朝から眼鏡をかけていた。普段は授業中眼鏡をかけている、知性倍増、鋭さ減、優しさ増といったところか。

 少しの変化でその人の違った、言葉に表せない印象、魅力が現れる。

「何よそんなに見つめて、私の眼鏡姿がそんなに気に入ったの」中村レイの瞳が見開かれカガナを真っ直ぐに見つめた。

「現金なやつめ」アルは小声でにやける。

 担任の先生が教室に入ってきて、程なくして朝の会がはじまった。


 1限目は物理の授業。

 高位次元物理及び重力子論、与質量子概論、与質量子の広がりこそが我々の宇宙の広がりである。

 与質量子に干渉されにくいのが光子、光子は与質量子が作り出す空間を通るので重力子の干渉を受ける。

 空の広がりが宇宙の広がり、そして空は足元からはじまっている。


 ――蝋燭の炎のように曖昧に揺れ、しかし突然、気がつけば信号が移り変わるようにはっきりと場面は変わっている。

 昼休み、大穴には土が敷き詰められて固める作業がはじまっていた。

 カガナとアル、熊神は机を引っ付けていつも3人で昼食を食べていた。

「そういえば全く報道されてないよな」アルはカガナの横で弁当を食べながら言う。

「そうなんだ」カガナも購買で買った弁当を食べていた。

「県内高校の校庭に巨大な穴っとかいって取材に来てもいいもんなのにな」

 アルの素朴な疑問をカガナは気に留めなかった。

 熊神はだいたい物を食べている時はしゃべらない。


 放課後、校庭からは重機が取り除かれ地面は色こそ違えど元どおり、それを見下ろした。

 今日もよければと、中村レイと一緒に帰りたかった、が教室には彼女はおろか誰一人いなかった。

 もしかしたら最初からこの教室には自分しかいなかったのではないか、そんな気がした。「馬鹿馬鹿しい」とカガナは心の中で笑う。

 帰り道はだいたい高校の裏門を使っている、住宅街を抜けて駅まで行く道のりは直線的で正門からよりも近道である。住宅街の小道は入り組んでいる、すこし脇道に逸れると違った風景が見え、そこは違う世界の入り口なんじゃないかと夢想する。今日はすこし遠回りして行こうとカガナは思った。脇道に逸れても規格化された区画は方向さえ見失わなければ目的地までたどり着くのは容易だ。


 帰路を歩くカガナの脳へ直接映像が流れてくる。

 それは遠い昔の物語かもしれない、経験したことの反芻。女の子と僕は田舎の家に住んでいた。そして直感的に昨日校庭で出会った女の人が連想された。

 彼女の名前はサラ。

 田舎の家、それはどこで見た風景だろうか。何もないところから何かを想像することは出来ない、つまりその情景を見たことがあるはずだった。

 夏の暑い日、雲はなく空は澄んでいて日差しが強く肌を焦がした。サラと僕は赤土がむき出しの田んぼの上に立っていた。雲ひとつなかった空を破るように一筋の飛行機雲が走っている。その筋がか細く消え止まったかと思ったら、やつは降ってきた。


 地鳴りのような震動を感じてカガナは我に返る。白昼夢、その偽りの記憶はいつのものか、今見たのか、既視感はそうでないと彼の心に告げていた。

 再びの震動、地震かと疑問に思い周りを見渡す、街路樹は風に揺れているように見えた。古びた電信柱は何も示していない。磨かれていない曲がり角の鏡は曇りに照らされて何も写してはいなかった。歩みを進める。曇り鏡の角を曲がった時それと目があった、檻のような仮面、その奥底に深遠な暗い瞳、震源の正体は道路脇に停めてあった車を潰し立っていた。

 心臓が締め付けられるように波打ち、逆立ちした時のように頭部に血が上る。思考が麻痺し静寂の中に鼓動が響いた。

 カガナは逃げた、走った。路地を引き返す、振り返らず、速度を緩めず、それでも体力の限界は来る。走る速度が落ち息も絶え絶え、顎は上がり、前に蹴り出される膝は低くなるばかり、空は陰り、また照り出す。太陽を覆うもの、跳躍し前に着地する。地面はめくれ四散し両脇の住宅の塀は壊れ、建物が剥きだしになった。

 静かな夕方、何も聞こえない、血脈による鼓動の圧壊によって全ての音は消えていた。初めて生きた異形の者を目の当たりにする。

 頭部の仮面の様ものは光を吸収しているかのような漆黒に包まれそこに白い目のようなものが6つ、縦に長方形を作るように等間隔に並んでいた。四肢は細く、それで巨体を支えているのが不思議だった。

「ここでお前を倒すことになっている」言葉の通じる相手かどうかもわからぬ、 荒い呼吸の中で搾り出すカガナ。それは不安の表裏、死地への恐怖。

 方向の定まらない足は右往左往し、壊れた塀の石を掴み投げつけようとするも効果を期待出来ずもと来た道をまた走り出す。

 角を曲がると鏡が倒れているのが見えた、駆け寄りその支柱を抱えると鏡の部分が崩れ落ち割れた。

 異形の生物は今度はゆっくりと後をつけるように角を曲がり様子を伺うかのように腰をわずかに曲げてこちらを覗き込んだ。

 カガナは野太い支柱を構え言葉としては理解し得ない声で絶叫した。

 風、強い風。凪、質量による薙ぎ。

 子供が積み木を崩すように簡単な力、先ほどまでカガナが持っていた支柱はわた胞子のように飛んで行った。

 横倒しに滑るように倒れるカガナ、頭を強く打ちつけ、視界が錯乱、目の照準が合わない。

 男の人と女の人がぼんやりと見えた、音は聞こえない。男の人は肩に大きな剣を抱えている。

 それは僕のものだ。手を伸ばす、手を伸ばす,ありったけの想いで、しかし力など入らず手がそこを目指すことはない。

 前にもこんなことがあったなという漠然とした感情が心臓を熱く覆った。思い出せるはずもない感情の波がカガナの鼓動をより強く感じさせた。

 女の人がこちらへと近づいてくる。その背後で異形が地面へと倒れた。地響きが体全体を伝う、奥の男は相いも変わらず肩に大剣をたたえ伏した敵を見下ろしていた。カガナには全てがゆっくりと進んだように感じられる、彼女が何かを叫んでいても音がくぐもって良く聞こえない、体も自由がきかない。こいつもきっと僕が呼んだんだ、そうして僕が倒すはずだったんだ……とだけ思い終い、言の葉は散り散りに消えた。

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