中村レイ
男が人類を助けたのか、人々が男を助けたのかそのことをカガナは考えていた、そして男の旅は続くのだ。
ふと窓が鳴る、カガナは外を見る、風が窓を打っていると最初は思った。それは段々強くなって耳鳴りのように、そして全ての音が一瞬消えたあとに衝撃波、続いて爆発音、振動、割れんばかりに窓が波打った。建物全体が揺れているのが体で感じられた。土煙があがる、誰かが叫ぶ、何と叫んだかは聞き取れない。女子たちの悲鳴、言葉にならぬ怒声、「爆弾?」 誰かが呟いた。
爆発じゃない、何かが降ってきたんだ、そう思った。それはカガナが思い描いた瞬間、待ち望んだ時間だった。唐突にやって来た、何も知らず。しかしいざそれが現実となった所で、その事実が彼をこの場に止めていた。起こるはずのない妄想、幻想のはずだったのだから。
後ろを振り返る、中村レイも窓の外を見て手で口を押さえて固まっていた。カガナは奥歯を噛みしめて立ち上がり教室を飛びたした。
走る、途中知らない先生に呼び止められるが無視した。カガナのいた教室は二階、階段を駆け下りて下駄箱へ上履きから靴に履き替えてまた走った。
校庭に出た時土煙が爆心地全体を覆っていた。中に幻影のようにうごめく形容し難いかたまりが影として見えた、実態はまだ認識出来ない。木霊する金属音、打ちつけるような破裂音が続いた。男が1人うごめく土煙の前に立っている。彼は板状の金属塊を肩に抱えていた。そして中に飛び込む。
「イザナキ、人目もあるんだから早く片付けてよね」後ろから現れた女の人が叫ぶ。
頬までの短い髪、目は大きく整った顔立ち、薄紅色の唇、彼女は腰に手を当てて仁王立ちだった。
土煙が更に増した、わざと大きく派手に男の人は暴れているように思えた。突き刺さるような鈍い音がする、一片のうなり声、萎れた水風船に穴が空いた時のように、力ない水しぶきのようなものが上がり、その後の地響き、総てが影絵のように、実態は見えない。
人影が段々濃くなり顕現したように先ほど飛び込んで行った男が表れた。左肩に抱えられた大きな板にも見える金属塊には液状のものが着いている、生臭い。
「あなた……この学校の生徒さん? この状況でよくここまで来たわね」女の人は見下すような目線でカガナに言葉をかけた。
「これは一体」カガナは自問のように呟いた。
「忘れることね、深入り無用、それに誰も信じたりしない、これは映画の撮影か何かよ」澄まし顔で彼女は鼻にかかった声で言い放つ。
言葉が見当たらないカガナ、目線はイザナキと呼ばれていた男の人へと移った。
「どうした?」 男は女の方へと目配せする。
「とにかく教室に戻りなさい、ここにいてもらっては困るわ」彼女はなだめるように言った。
呼吸しかしていないような乖離、非現実感、そういうものと一緒にカガナはもときた玄関方向に歩きはじめた。
「ちょっと待って、あなたどこかで……名前は?」
「カガナ イシキ」淡い期待、漠然とした何か、その想いと一緒にカガナは答えた。
「ふーん、変な名前」そういい終えると彼女はすぐに興味を失ったのか男とカガナに聞こえない声で話しはじめた。
初対面で変な名前とは失礼だ。カガナはそう言いたかったが立ち尽くし口を開けまた閉じるだけだった。
「サラ」その言葉がカガナの口から意識せず出た、白昼夢なのか、走馬灯のように情報が脳裏を過ぎって消えていった。いつから知っているのか、でまかせの偽りかもしれない。思い出すには遠く、忘れるには近い何か。
教室に戻り机に座る。
「カガナ君校庭に行ったの?」すかさずレイが話しかけてきた。
「うん」カガナは窓の方向、左横向きに座り直して答えた。
「どうだった、あれは何?」レイは体を乗り出して聞いてきた。
「映画の撮影だって」カガナは窓の方を見たまま言った。
「そんなはずがないわ……下で何を聞いたの?」レイは目を細め訝しげに尋ねた。
「何でもないよ」カガナの表情は変わらない。
「おい見てみろよ」「何だあれ」「気持ち悪い」幾人もの生徒が口々に感情をそのまま言葉にして言い放っている。
土煙が晴れて校庭に大きな穴が空いているのが見えるようになった、中心部には先ほどまでうごめいていたものの残骸が横たわったいる。細長い肢体蟷螂のような腕と三角錐状の頭部、あれは間違っいなく空から降って来た。今がまた夢なのかもしれないけれど、そう何度も思い、カガナは左手を見つめ握ったり開いたりした。
次々に窓へばりつく男子生徒達、少し女子生徒も混じっている。「宇宙人じゃない?」「怪獣だよ」「ハリボテ」などと答えの出ない議論をしていた。
ざわめきが包む教室にいなくなっていた先生が戻ってきた、職員室に招集がかかっていたのだろう。
「みなさん、はい、席に戻って落ち着いて聞いてください」教師は教壇に立ちなだめるような声で言う。
カガナは校庭から目を離し向き直り先生に注目した。散り散りになっていた各生徒も自分の机に戻った。
「先ほど校庭に起こったものは映画の撮影に関連したものだそうです、予定には無かったそうで先生も詳しくは聞かされていません。ですがみなさんそういうことなので安心してください、ただし本日の体育、部活動などでの校庭の使用は中止としますのでそれぞれの先生の指示に従ってください」
教室がまたざわつく、部活動及び体育がなくなって奇声をあげ喜んでいるものが幾人もいた。先生もやれやれといった表情でそれを優しく見ていた。
机から窓の方に体を乗りり出し再び校庭に目をやる、窓際の席の特権だ。黒服が何人もいた、規制線が張られ、異形の者には幕で覆いがされた。もうそれの姿を確認することは出来ない。
「もしかしたら本当に映画の撮影だったのかな」頬肘付いてカガナは独り言を言う。
背中が突かれた、やわらかい、これは鉛筆じゃない。中村レイの指の感触、布一枚越し、教壇に立つ先生の動向を伺いながらカガナは振り返る。レイの鋭くもよく見ると優しく吸い込まれそうな瞳が見開かれていた。
「何?」カガナは表情を崩さずとも内心気恥ずかしくて聞いた。
「そんなわけないじゃない」レイの真剣な声。
「そうだよね」カガナ違うことを考えるようにゆっくりと深く頷いた。そして前を向く。
2回目、それはなぞっているかのように緩やかに突かれた背中、窓際、教壇からは死角の左肩越しに見ると紙切れが差し出されていた。また無言の会話が始まる、紙切れでのやりとり、カガナにとってとてもとても心地良い時間。
「あれは何?」
「夢かもね」
「何で?」
「だって僕が学年一美人なレイさんとこんなに親しく話してる」
吐息が漏れる、紙を読みながら中村レイの目は見開かれた、かすかに頬と耳が赤く染まる。
「急に変なこと書かないの! 昨日映画一緒に行ったでしょ!!!」びっくりの字が歪んでいるところから動揺しているのが読み取れた。
カガナが読んでいるのを見計らってレイは一番尖った削りたての鉛筆で背中を突く、「うっ」とカガナの声が小さく出る、鼓動が早くなり息が少し苦しかった。中村レイの無言の抗議、意図せずそれは、違う見えない何かがカガナに深く突き刺さった。
「たしかに、そうだね、うん」
映画で手も繋げず、朝まだ気まづかったのにこの騒ぎで気が大きくなったのか、我ながら大胆な本音を言ってしまったとカガナはその時気がついた。もう一度なぞって欲しかった、中村レイの生の指、女の子の瑞々しいそれが。
そうやって物思いにふけっていると、彼の身体に消しゴムのカスが投げつけられた、その方向をみる。アルが怒ってるような笑っているような表情と拳を握り震えている。声は出さずに口だけを大げさに動かしている。
読みとれる「う、ら、や、ま、し、い、ぞ」そう彼は言っていた。
放課後。
「今日一緒に帰ろう、実は私カガナ君と同じ駅方向なんだよね」レイは少し俯き気恥ずかしそうに上目使いに言った。 鞄に荷物や教科書を詰めていたカガナは驚きの速度で顔を上げた、首の筋が悲鳴をあげた。
「いいよ」なんと語弊の少ない、飛び上がって喜びたかったがそれを表せない自分をカガナは悔いた。
「教室で話にくいのなら帰り道に聞かせて」
「何のこと?」 わざと惚けた。カガナの顔に落胆の色が伺えた、もっと別のことを期待して。
教室を後にした、左右を見渡す、廊下でしゃべっている生徒が何人もいた。学年一の美人と一緒に下校することをカガナは意識して嫉妬の目を向けられていないか注意して周りの様子を伺う。
「カガナ君なんだか挙動不審よ」レイは好奇の目でカガナを見た。
「そんなことないよ」とカガナは小刻みに首を横に震わす。
正門を出て銀杏の樹が並ぶ道にを歩く。そこから歩きながらカガナは校庭での一部始終を説明した。
全てを彼女は黙って聞いていたそして終わると「わかった」とだけ言い、深く頷き考えごとをしはじめた。
「映画の帰り道あんまり話さなくてごめんね」横目でレイの顔を覗くカガナ。
「何急に?」レイは首を傾げて真っ直ぐ見つめた。
「つまらなかったでしょ」
「そんなことはないわ、カガナ君そういう他人の顔色結構気にするよね」
「本当はもう一つ言いたかったことがあってそれをいつ言い出そうかって考えてた」カガナの声は先細り段々小さくなった。
「何?」レイは大きな声で聞いた。
「え?」
「何いいたかったの? 気になるから教えて」蛇睨みのようにレイは真っ直ぐ大きな瞳でカガナを見つめた。
「レイさんと手を繋ぎたかった」カガナ間髪あけず早口で言った。間を空けるともう言う機会は二度と訪れないと思ったから。
「そんなこと?」
「僕にとっては言いだすのに結構な勇気がいるんだよ」レイの反応は淡白だった、それでもカガナの鼓動は早まるばかり。
「なーんだ告白でもされるのかと思ったのに」レイはすこしがっかりしたように投げやりに言った。
「早くない?」カガナは言った。
「早いよ」レイは微笑んで答えた。夕空のように優しくどこか懐かしいようにカガナは感じた。
そして二人は笑いあった。
しばらくの無言の後。
「つまりあれは動いていた、空から降ってきたってことなのね」レイは独り言のように唐突に呟く。
話題は戻った。
夢のこと、妄想のことを、ああなることを望みそれが叶ったことをカガナは話さなかった。
「宇宙人か、本当にいたんだね」レイは振り子のように何度も頷いている。
歩いている、互いの距離が近くそして振る手が交差し触れ合う、無言の意識。そしてまた、二度目の接触。
「そんなに私と手を繋ぎたい?」何気ない中村レイの投げかけ。
レイを見つめ頷くカガナ、彼女の瞳は大きく深遠に沈み行く夕焼けがあった。
「いいわよ、お礼」彼女はカガナの手を握った。
中村レイは大胆である。
そのまま、駅前でさようならを言うまでカガナは何もしゃべれなかった。
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