イザナイ

 彼女――サラは何かを考えるように正門にもたれていた、僕の姿を見ると大きく澄んだ瞳をわずかに見開きそして運転席の方へと歩いた。僕は二階の教室から走ってきたのでそこに着いた時には息が上がっていて膝に手をついた。

「はやく乗って」サラは言った。僕は後部座席の扉に手をかける。

「違う前」サラはそう言うと運転席に乗り込んだ。慌てて助手席乗る。車が発進するとき何人もの生徒がこちらを見ていた。僕は少しだけ誇らしいというか、優越感のようなものを感じていた。

 車の低音が肺までやさしく響いている。

「元気そうね」サラは強弱のない声で言った。僕は「はい」とだけ答えた。気まずい沈黙。

「なんで病院を抜け出したの」サラは言った。

「早く家に帰りたかったんです」僕はサラの足元を見ながら答えた。

「へーそうだったの」サラはそう言うと黙った。

「何か怒ってます?」僕はサラの顔色を伺うように少し覗き込んだ。

「私が何に怒らなきゃいけないの?」サラは前を見たまま抑揚のない口調で続ける。

「それならいいんですけど、そういえばよく僕があの高校に通ってるってわかりましたね」僕は話題を逸らすために違うことを聞いた。

「あまりうちの組織を舐めない方がいいわ、あなたのお母さんにも工作が既に入ってるのよ。変だと思わなかったの? 数日間、家に帰って来なかったのに何も言われなかったでしょ」サラは言った。

「それは……変だと思いました、でも疲れていたのであまり深く考えずにすぐ寝てしまって」僕は愛想笑いを浮かべて言った。

「あなたの学校にも協力者はいるわ、生徒もしくは教員、もしかしたらその両方にね」サラは言った。

「なんで曖昧なんですか」僕はまたサラの顔色を伺った。

「私も全てを知っているわけではないからよ、あなたは二人しか知らないでしょう。私と彼」サラは言った。

「お二人にしか会ってませんから」

「知られる情報は少ない方がいいのよ、世間から隠すためにはね」

 赤信号で停車する。車内は静かで沈黙が僕の心を突いてきたけど以前の様に何でもいいからサラと話したいという衝動は消えてしまっていた。

「なんだか今日はよそよそしいのね」サラはこちらには目も向けず真っ直ぐ前を見て言う。

「そんなことはないですよ」

「最初は呼びつけにした癖に」

「……あの時は気が動転していたんです」僕の声はすこし上擦った。

「もう慣れたってこと?」

「いえ、そんなことは」

「ふーん……ところであなた知ってたの?」痺れを切らしたようにサラは言った。

「何がです?」僕は何のことだかわからなかった。

「とぼけないでよ」サラは舌打ちをした。「昨日あなたがいた病院、なくなったわ」

「倒産したんですか?」

「まだとぼけるのね、”敵”に攻撃されて破壊されたの、何かしら見てないの?」 サラの語気が強くなる。

「昨日は抜け出して家についたらすぐ寝たので」僕の電車内での妄想はこういう形で現実となってしまった。

「そう、表向きは爆発事故ってことになってる」サラは一気に興味を失った様に無表情になり戻って声も強弱のないものに変わった。

「それで誤魔化せるんですか」

「”敵”なんて存在しないわ」

「そう、ですよね」僕は下を向いて頷いた。

 沢山の人が死んだんだろう、でも思い出してみれば学校でも病院の話題は聞かなかった、爆発事故であれ何であれ、”敵”に破壊されたのならあの大きな建物を破壊するほどの巨大な姿と力、形容し難い不快な唸り声、それを聞いた人は沢山いたはずだ。

 誰も知らない、誰も知ろうとはしない。僕の右腕も”敵”の行方も。


 車は要塞のような堅牢な門の前で止まった。守衛がこちらに駆け寄ってきた。門の中の監視塔――2階立てくらいの高さの建物からも中の人物がこちらを見ている。

「ここは」

「そう私達の組織、軍の施設を間借りしてるの」サラは車の窓を開けて守衛に身分証らしきものを見せている。守衛が合図すると太い鉄の柵のような門が横に自動で滑り、中へと僕らを乗せた車は進入した。奥の、他にくらべると大分小さい建物の方へと走っていく。建物横の駐車場に車を止めると僕は彼らのこの地域の本部とも言える施設へと案内された。

 中は想像していたのと違い事務所といった感じだった。一人の男性が机から立ち上がりこちらへやってきた。見たことのある顔だ。

「やあカガナ君、ちゃんと挨拶するのははじめてだね、君がいなければ僕は今頃あの世だったよ、ありがとう」イザナキはそう言うと右手を差し出してきた、しかし僕に差し出すべきそちら側の腕は存在しない。

「僕もあなたに助けられたのでこれでおあいこですね」そう言うと僕はまだ存在する左手を差し出した。

「たしかに!」一瞬怪訝そうな顔をしたイザナキは左手を出しなおし、僕らは握手した。

「とりあえずそこに座って」サラは応接用の椅子の方を指して言った。「この書類全部に名前と住所と緊急連絡先を書いて」目の前にいくつかの書類が置かれる、規約だの守秘義務、契約事項などの文字の羅列が並んでいた。

「あの、これって」僕は口を半開きにして尋ねた。

「あなたを組織の人員扱いにするわ、その方が何かと動きやすいでしょ。切り札さん」サラのその言葉にはトゲがあった。

 いろいろな難しい説明を受けた。給与や保障、福利厚生、死亡保険なんて物騒な言葉も聞いた。聞いた話を要約すると、僕はこの”敵”に対抗すべく設立された組織に客員扱いで招かれたということらしい。偶然が重なったとは言え”敵”を一体撃破した事実は揺ぎ無いものだったようだ。その代償はあまりにも大きかったが。いずれは確実な戦力となり人々の安全を守る、この書面に署名することその義務を背負うことになるとのことだった。

「最寄駅が路面電車で立軍駅だからよろしく、交通費もちゃんと出るから安心して」サラの発言に心配するべきはそこではないと感じた。

「まあそんなに肩肘はらなくていいよ、やることは仮称訓練と現場同行、それも学校が終わってからでいい、絶対安全……なんてことが言い切れないのは君が一番わかってると思うけどこれまでみたいに不確定要素で君が単独で”敵”と遭遇するよりずっとましだ」イザナキは笑顔で話した。

 僕は「片腕がない人間に何が出来るのか」喉元まで出かかったその問いを飲み込んだ。右腕の代償の請求先そんなやり場のない怒りだけが僕の中で燻っていた。

 その後施設の説明を簡易に受けた。事務所の奥は機密の面からも屋内の訓練場になっていた、その他武器庫や”敵”の攻撃目標がこの拠点的施設となることも十分に想定されるため、その場合の避難経路なども説明された。


 徒歩で駅までいけるということで電車通りまでサラが見送ってくれた。夕日は沈み、西の空だけが名残に赤く和らいでいた。立軍駅リツグンエキは折り返しの終着駅ということもあって本数も結構ありすぐに路面電車はやってきた。

「ごめんね、急に連れてきちゃって」サラが一瞬はにかんだように見えた。僕は乗る直前だったので完全に不意を突かれた。

「何でもない」サラはそう言って手を振って僕を見送った。

 消えかけていたサラに会うという動機がもう一度衝動として復活するのを感じた。




 次の日から僕は放課後、部活動に行く感覚で立軍にあるそこへ通った。相変わらず理数系の授業は意味も不明だったがそんなことが気にならなくなるくらい足取りは軽やかだ。熊神やアルに昨日の美人は誰だとかやけに機嫌がいいなと聞かれたけれど適当にはぐらかしておいた。

 最初の数日は”敵”の降下がなく知識の習得と仮称訓練に費やされた。

 ”敵”は月と地球の中間点から現出し降下してくること、降下地点から見た月の満ち欠けによって頻度が傾向として相対的に判明していることなどを教わった。しかしながら例外沢山あり此間の病院破壊の件など不明なことの方が多いのが現状であるそうだ。

 事務所の奥の仮称訓練場は小学校の体育館くらいの空間があった。

「こいつは”敵”と同じ構成組織で出来ている」イザナキは黒い箱のような大きな鞄から板状の大剣=アマガを取り出して言った。「特異点が封じ込められていると思われる」

「思われるってそんなこと出来るんですか?」唐突な言葉の飛躍に僕は驚いた。

「そう科学を超えて魔法の領域だよ」その大剣に見惚れるようにイザナキは続けた。「ある特定の人物には与質量子密度に変化が生じてこいつを扱える様になる。名前の天=アマはつまり空間を表している、空間を切り裂ける牙なんだ」

 イザナキはアマガで素振りをはじめた、剣技の型のようなものを一通りやったあと僕にそれを渡して「持ってみて」と言った。僕は左腕でぎこちなくでたらめにそれをただ振り回すだけだった。

「夢の話、サラから少し聞いたよ。誰でもこの大剣を持てるわけじゃないんだ」イザナキは僕を意識せず独り言のように呟いていた。「選ばれた君に誰かが見せていたのかもしれないね、”敵”と戦うために」

 僕は黙って聞いていた。

「これから君にいろいろ教えるよ」イザナキは笑顔で言った。


 仮称訓練が何日か続いた後、授業中知らない先生から呼び出された、「きなさい」それだけ言われその後は終始無言だった。案内された学校の裏口――幹線道路沿いの小脇にサラが赤い車にもたれて立っていた。

「遅いわよ」

「あの」僕は振り返ったがここまで連れてきた先生はもういなかった。

「何してるの早く乗って」

 僕は助手席に乗り込んだ。

 車は重低音を鳴らし猛烈な速さで道路を駆け抜けた、平日昼ということもあり車の量は疎ら、広い道路だったことが幸いしたが警察に捕まりやしないか冷や冷やした。

「この程度の”敵”、別にあなたを招集する必要もなかったけど遭遇戦としては初日だしね」サラは言った。

 現場に着くと既に道路が封鎖され警官が幾人も巡回し野次馬を排除していた。立て看板には緊急爆発物処理とだけ書かれていた。何人かに敬礼されながら僕らは警戒線の中に入る。

「やあ、来たか」イザナキは事務所では見せたことのない厳しい表情だった。横には黒い箱のような大きな鞄があった。

「あの”敵”が降ってくるんですか」僕は尋ねた。

「嗚呼、大した”敵”ではないからそんなに緊張しなくていいよ」イザナキは言葉とは裏腹に表情は厳しいまま言った。「ただ念には念を入れてね」僕はただ頷いた。

「この間話した僕らがアマガを持てる原理と同じ与質量子密度の増減を使て”敵”は一般空間において降下速度を減退させている」イザナキは遠くの空を見つめながら続けた。「つまりそれが緩やかな程”敵”は弱いということさ」

「なるほど」

「逆に言えばより強大な”敵”は空を自由に飛べるってことなんだけどね」そう言い終えるや否や、イザナキは黒い大きな鞄を開け中に収納されていたアマガ抱え駆け出した。僕は風を感じて立っているだけだった。

 ”敵”はイザナキが走っていたその前方、建物五件分くらい先に降下した。ちょっとした粉塵があがり地響きがした。爆発物処理と偽るには好都合だろう。

 ”敵”の形状は僕が一番最初に会ったやつに似ていた。二本足、両腕が板上の刃のようなものになっており頭部は三角、無機質に灰色だった。

 イザナキは降下直後、まだ道路にめり込み立ち上がっていない”敵”めがけて疾駆に裏打ちされたアマガの質量を叩き込んだ。防御姿勢を取った両腕の板はあっさりと砕けた。すかさず裏に回り込み片方の腕の根元にアマガを打ち込む、もげる”敵”の腕、体液のようなものが出ているのがわかった。そして距離を取る。

 ”敵”は力なく立ち上がった、残った方の腕――痛々しく砕けた板は何かにすがるように空を切る。その動作を見逃さずイザナキは再び一瞬の加速と跳躍、アマガは弧を描き、”敵”の首元から残った片腕の方へと滑らかに抜けた。

 再び地面がわずかに揺れた。

「カマキリめ」倒れ沈黙する”敵”を尻目にこちらに歩いてくるイザナキは独白した。

 戦いの高揚からかイザナキがそんなことを言うのが以外だった。


 イザナキは戦っている、僕は後方待機、何もしない自分、何も出来ない自分、そしてサラはイザナキに労いの言葉をかける。

 サラとの距離は縮むはずもなくただ日々が過ぎていくだけだった。僕の足取りは段々重たくなった。

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