宙に浮き、明日はやってこない。

 その日は異常に暑いと感じたことを覚えている。秘めたる力を開放した僕に敵はいなかった、そして今僕はサラと同じ場所に立って戦うことが出来る。夢を夢と思わない様に、夢を夢と知覚出来ることがある。僕はまたここに帰ってくることが出来て満たされた、ここが真秀ろばで向こうは悪い夢なのだから。


 病院はすぐに退院した、その日を境にサラは優しくなった――というよりも、もともと彼女は十分に優しかった、ただその面がより素直に表に現れるようになったという方が正しい表現だ。

 ご飯はいつも僕の分まで当たり前のように作ってくれる、手伝いを申し出ると「じゃあ、お皿を運んで」とその程度しか要求してこない。本当は一緒に料理をしたかったんだけど……とにかくそういうのが妙にお母さんっぽくて暖かかった。

 僕らは実はいつも同じ部屋で寝ている。なぜかと言われればそれが普通だったからと、何の疑問にも思わなかった。

 何が話題のきっかけだったのかは覚えてはいない。夜電気を消して布団に入って眠りにつく前に、ただ話ついでに弱みを見せたことがなかったサラが語りはじめた。。

「今までも”敵”と戦って恐いと思ったことが決してなかったわけじゃない」布団がずれる音、彼女は体を傾けてこちらを向いていた、電気を消して幾分かたって目が慣れてきた。

「でもあの時は本当に勝てないと思った。私が負ければあなたも傷つく、みんな傷ついていくことが取り返しのつかないことに繋がる、それが怖かった。今まで頼れるものなどないと孤独に感じていたけどこんなに近くにいたなんてね」サラは上半身を起こした。「……ありがとう」

 僕はサラを抱き留めたかったけど頷き沈黙で答えることしか出来なかった。

「一緒に寝ていい?」サラは尋ねた。

「うん」僕の心臓の心拍数は急上昇した。

 サラは布団をくっつけてきた、そして僕らは手を繋いで寝た。


 太陽が昇る前に目が覚めた、僕は立ち上がって布団から出て窓の外を見た。蜃気楼のような靄が空を覆っている。日の出は近く世界は白というよりも明るい灰色に包まれていた。それは朝の冷たさとは裏腹に暖かいものとして印象に残った。動物たちもまだ起きていない何の音もしない静かな世界。振り返るとサラが「どうしたの?」と寝ぼけ半分で話しかけてきた。僕は優しかった曇り空に別れを言って布団に入ってもう少し眠ることにした。

 それが夢だったのか現実だったのかおぼろげだった。次に目を覚ましたとき横に彼女の姿は無く、幸せは訪れた時が最良ですぐにそれは逃げてしまう、そんな強迫観念が脳裏をよぎって飛び起きて居間に向かう。

 彼女は居間の奥の台所で朝食を作っていた。

「おはよう」サラは微笑んだ。


 昼前まではのんびりしていた、いよいよ昼飯の時間といったときに家の黒電話がけたたましく鳴った。

 サラが電話に出た。声の明るさが消え、事務的な返事のみが聞こえた。それが”敵”の現出と召集がかかったことを示していた。”敵”が落ちてくる、しかし今は僕が矢面に立っている。どんな”敵”にも負ける気はしなかった。

「降下予測時間約5分、地点ここから北西わずかのところ、急いで支度して」サラは情報を簡潔に伝えた。

 あの時と同じくらいの時間、場所もほぼ一緒、補充補佐の人員到着までまた時間がかかってしまう。嫌な予感がした。


 僕らは前回とほぼ同じ位置、両側を田畑に囲まれた広い一本道の道路の真ん中に陣取った、田舎なので往来する車はない。空を見上げると飛行機雲が一本高いところに伸びていた。会話は無くただ待っている。僕は空を見上げたままだった。

 教訓をもとに現状で装備の問題は少し改善されている。まず予備の剣や刀の本数が増えた、僕はもう後方支援ではなくなったので持ってきたものは道脇に刺した。加えて僕は熱で刃が飛んでしまった後は柄から炎を出し縮退させて使っているので実質一本で事足りている。

 そういえば飛行機雲は途中で途切れていた、なぜそこで終わったのか疑問に思っていた。そしてその切れ端が点となり粒となり段々大きくなるのがわかった。僕は雲を作れるなんて素敵だなと思った。

 ”敵”は前回とは真逆、奥に山と鉄塔がある道路を挟んで東側の畑の上に減速しながらゆっくり着地した。通常の”敵”と雰囲気が違った、落ち着きがあり何か目的を持っている、そんな印象を受けた。

 僕はサラに警戒するように促した。彼女は深く頷いた。

 深く息を腹の下に込めて唸り声に似た声を上げて黒火(コッカ)を牽制として放った。鋭い刃の火球は地面すれすれを疾走し燕の様に跳ね上がり”敵”の真正面に直撃した。目くらまし程度、”敵”は微動だにせず、叫ばず、反応がない。

 僕は疾駆した、サラも反対側から挟撃の形で走り出した。走っている最中に何度か黒火(コッカ)を放つ、大きく楕円を描くように移動し最後の一足で地面を強く蹴る、その力みで抜き身の刃ははじけ飛び、大いなる炎が柄から伸び、僕は”敵”に切りかかった。”敵”は炎の刃を両腕で掴むように受け止めた、サラが後方から突進してくるのが見えた、僕は力を緩めずその鍔迫り合いにより力を込めた。

 サラの突進からの斬撃は背中を抉る様に繰り出された、”敵”の背中は刃をなぞる様に炎症を起こす。挟撃を不利と判断したのか”敵”は横っ飛びに距離を取った。そこではじめて”敵”は声を発した、聞き方によっては笑っている様にも聞こえた。そして”敵”は身を屈め走り出した、サラの方向に。僕は「距離を取って」と叫んで援護に向かった。

 ”敵”は腕を槌のように扱いサラめがけて繰り出した。彼女は身軽にそれを飛んで避ける。僕は追いつき背中目掛けて切りかかった。体重と加速を乗せた切りつけに手ごたえは感じられなかった、”敵”が一瞬動きを止めたので間合いを見誤り蛙のように”敵”の背中にぶつかりへばりつく。

 肩や腕を振り回し”敵”は僕を振りほどき再びサラ目掛けて走り出した。

 はりついたときに背中の傷を見たが表面の外骨格に傷を負わせただけで有効打となっているとは思えなかった。サラはそれに気づいているだろうか。”敵”があの場面で後退を選んだことから彼女は自分の攻撃が通じると思ったはずだ、あの打突は牽制ではなかった。ならば全てが通じないということに繋がりかねない。

 ”敵”は僕らの力量を測りそして最初にどちらを倒すべきか決めたんだ。

 三度の疾駆、僕は居合いの構えから炎の剣を繰り出し地面ごと”敵”を突き飛ばした。土砂が飛翔する、”敵”は後方に転げた。

「距離を取ってくれ、サラ」僕は”敵”を見据えていた目線をサラにずらして言った。

「やってるわよ、……少しくらい強くなったからって!」サラは”敵”に向かって地面を蹴った。

「違うんだ、やつは君を狙っている」弱い方の君を、とは言えなかった。僕も走った。

 ”敵”は飛んで地面を叩いた、跳ね上がった多量の土は壁となって僕の進行を阻む。待っていれば土は地面に落ちて視界は晴れるだろう、しかしそんなわずかの時間でも空白を作ることが恐ろしかった。構わず突き進んだ。”敵”とサラが対峙しているのが辛うじて見えた。

 僕は口を開けまた叫ぼうとした。土の壁を抜けきれずまだ届かない。粘土のように重たく、愚鈍で、歯痒かった。

 ”敵”は大気でも包むかのように両腕を広げていた。サラは剣を構えている「攻撃してはいけない距離を取って」と叫ぶ。届かない声。間合いを詰め彼女は剣を振り上げた。今行くから。彼女は強い、この間まで僕は後ろに隠れているだけだったんだから。ほんの少しの間くらい大丈夫なはずと思った。今行くから。

 次に虚空でも顕現したかのような球状の空間の歪みの塊が”敵”の両腕の間に発生した、サラはそこに吸い込まれて消えた。


 「嗚呼――!!!」発狂した獣のように声が裏返るのも気にしなかった。

 あの声が聞こえた、”敵”は笑っている、嘲るに値する人間が目の前にいるから。

 体が震えた、心が苦しくなって息が詰まった、傲慢、慢心、なりふり構わず”敵”を殲滅しなければいけなかった。奥歯を噛み、柄が軋んだ、剣の炎を力いっぱい縮退させた。

 次のことは考えずその一太刀に全てを込めた。今倒せばサラは帰ってくる、根拠のない願望が脳裏を過ぎった。

 全てを賭けた――込めたその一筋は繰り返しの様に両腕で受け止められ”敵”の蹴りが横腹を撫で僕は吹っ飛ばされ土にまみれて転がった。

 伏して何と惨めな、幸いは逃げたんじゃない、僕が抱き留められなかっただけだ。赤土の味がした。もっともっと質量が欲しかった、何ものの炎にも耐えられる鉄塊が欲しかった。

 僕は拳を握りしめ立ち上がり、”敵”を睨んだ。しかしそれで何が解決するわけでもない、周りの何かを求めて全方位を見渡した。遠くに山、送電用の白と赤色の大きな鉄塔がいくつも等間隔に並んでいた。

 あれが欲しい、山の麓までも距離があるが取りに行くしかない。

 駆け出した、山まで走る、加速加速加速、音が途絶えた、衝撃波が過ぎ去りしものをなぎ払う。

 麓の鉄塔の一本の根元――基礎の部分を疾風の勢いに乗せて叩き切った、加速はそれだけでは留まらず僕は地面にめり込んだ。爆発したように地面がはじける。うねる様に立ち上がり、怒りと粉塵その他によって視界は陽炎のようにゆがんでいた。

 鉄塔はゆっくり滑るように地面に横ずれにそのままの形で落ち、地面が揺れた。用済みとなった柄を投げ捨てる。

 ”敵”は真っ直ぐにこちらに向かってくる、真っ直ぐなら当てられる。でもこんな巨大なものすぐに横に逃げるだけで避けられてしまう。左手の拳を顔の前で、ないものを掴むようにゆっくり握った。小刻みに拳は震える。

 言葉に出来ない声を上げて”敵”を掴むように左手を差し出す。温度の差――熱隔壁を利用し僕の左手は拡張され見えない手となって向かってくる”敵”へ伸ばす。完全に静止させることなど無理だが動きを一瞬制限するには十分だ。

 見上げる空、こんな巨大な構造物を持てるのか、それでもやるしかない。柱の足を掴む、力む、自分が限界と思っているその先へ行かないと異形の力を持ってしてもこんなものは投げられない。圧力ではない、熱量を込める、この巨大なる構造物は新たなる刃となって”敵”を殲滅する。

 繋がっていた頂上の電線は火花を散らす暇もなく焼けて溶けた。腕が押しつぶされてぐちゃぐちゃになりそうだった。叫び足りずしわがれた声が漏れる。質量は地面をわずかに離れて軋みをあげた。

 ”敵”は気づいていない、避けるようとするその一瞬は前にしか進めない、避けることを許さない。

「ひれ伏せえええええ!!!!」

 叫びとともに意思は鉄の塊の頂点まで到達し解き放つ。

 投擲動作を取った腕はもうそこについていないのではないかというくらい激痛が走り感覚が無かった。

 飛翔した構造体は光の柱となり”敵”を直撃、そのまま押し潰し地面へと埋没、爆発、四散、巻き込んだもの全てが花火のように散っていった。溶けた鉄塊が体へと飛んできたが避ける力は残っておらずそれを浴びたけれど何とも無かった。

 歩くのがやっと、ここら一帯は熱量に包まれていたけど関節は冷えて固まった金属のように重く動かない。

 爆心地には”敵”の残骸が散らばり、中心に水晶のように透明な角柱が落ちていた。

 僕は膝をついた。




 朝起きたとき覚えている夢とそうでない夢がある、さっきまで夢を見ていたはずなのにその内容が思い出せないときもある。カガナの心臓の鼓動は早く、息も荒く汗を沢山かいていた。サラを殺してしまったのは自分だとカガナは思った。もっと上手く立ち回っていれば……夢はそこで終わった。

 サラはいなくなった、すがっていた夢は悪夢に変わった。

 電車に乗っているときも授業中もカガナの頭の中は昨夜の夢のことでいっぱいだった。続きはどうなったのか、夢が途切れたときその世界の自分自身は死んだんじゃないかそう考えることが以前もあった。その繰り返しで世界は移ろいで行く、きっとこの世界で死ぬときもそんな感じなんだろうとおぼろげに考えていた。

 放課後、立軍にある施設に向かった。あまり気乗りしていないが守衛さんがカガナの顔を覚えているほど習慣化されてしまった。事務所の扉をそっと開ける。

 イザナキとサラが談笑していた。イザナキは机に座り書類を見ている、サラはそんなイザナキの肩越しに手を回しじゃれていた。会話の内容は聞こえてこなかったがカガナに向けられたことのない彼女の笑顔がそこにはあった。

 カガナは事務所には入らずに二人には悟られぬよう静かにその場を後にした。

 目的地を決めずにカガナは立軍駅から路面電車に乗った。途中枝分かれしているものの路面電車の行路はほぼ一本道だった。地方都市故に狭い市街であるすぐにもう片方の終電駅についた。料金も一律である、降りる時前方降車口脇の料金箱にお金を入れる仕組みである。降りた人間はカガナ一人だった。

 ずっと住んでいるのに知った場所からちょっと離れるだけで異世界に来た気分だった。家に帰りたくはない、学校にももう行きたくない。カガナの習慣化された居場所は全て知られてしまっている。


 夕方、陽はまだ沈んではいない、西はまだ光を宿しているのに東の果ての雲はもう夜の顔をしていた。カガナはその中間にいる気がした。カガナの真上には半分に割れた月がある。

 路面電車の駅は幹線道路の真ん中にある、信号が青に変わりカガナは横断歩道を渡った。その先に見知った顔があることに気づいたが歩みを止めることはなかった。

「僕を探しに来たんですか?」カガナはすれ違い様に立ち止まり背中越しにイザナキに問いかけた。

「そんなに暇じゃない」イザナキは空を見上げた。

 予想していなかった返答にカガナは振り返った、そして彼の視線の先を追った。

 夕日に向かって鳥が弧を描いて飛んでいた。その一団だけじゃない、周りをみると幾つもの鳥の群れが飛んでいた。すごい数だった。

 空から黒い羽が落ちてきた。カガナは鴉の羽だと思ったとき形容しがたい悲痛なる叫び声が世界に響いた。その主、語られるべきではないものはゆっくりと舞い降りてきた。

 カガナは”敵”をはじめて美しいと思った。身の丈十尺ほど翼が二対、鴉のような漆黒、陶磁器を想わせる純白の仮面で顔と胸を覆い、唇と胸から下は真紅に染まっていた、純白の布状のものを身にまとい、非常に細身で腕ははしなやかに美しかった。彼女と形容して良いのかわからないが、見た目からは女性的な印象を受ける巨翼なる”敵”は道路の向こう側の建物の上に着地した。目の前の二人の人間に挨拶でもするようにその細い腕を片方広げ会釈したように見た。

 イザナキは剣を抜いた。”敵”は建物から浮かび、軽やかに道路に降り立つ、彼が飛びかかろうとしたとき、”敵”の手のひらから放たれた一閃が目の前を走り道路が捲れた、地響きを感じたかと思うとあちこちで爆発、火の手が上がった。

 圧倒的であっても彼は踏み出さなければいけなかった。

「逃げて!」サラの叫び声が聞こえた。カガナは声の方向を見る。後方、車から降りてきたサラは今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 イザナキはそれを一瞥すると”敵”に向かって走り出した。

 「嫌っ」サラは口元を押さえてまた叫んだ。

 なりふり構っていては勝てない、何かに遠慮していては失うものしか残らない。ただ剣を振り上げるだけでは負けてしまう。カガナは思った。

 イザナキはあしらうように片腕で”敵”に掃われて脇の電柱まで飛んで動かなくなった。

 彼から弾け飛んだ大剣――アマガが地面を滑りカガナの足元までやってきた。

 サラはおぼつかない足取りでカガナの横までやってきた。目に沢山の涙を抱えている。

 カガナはアマガを拾う、相変わらず重かった。両腕で力いっぱい握り締めた、炎なんて出るはずもない。そしてサラを刺した、深く深く刃を差し込んだ。最初は驚いたように見開かれるサラの瞳、それは段々と細くなり慈愛にも似た眼差しに見えた。ゆっくりとサラに突き立てた刃を抜く、暖かい彼女の体液が心地よい、サラは力なくカガナを抱きしめて耳元で何かを囁いた。

 彼女の最後の抱擁にカガナは満足した。

 彼女だけを感じていたかったけど立ち上がったイザナキがこちらを見ていた。そして状況を理解したのか異形のものにも似た絶叫を上げた。

 カガナは独り言のように「君は僕の夢には出てきていないんだ」と呟いた。


 世界ははっとしたように暗転した。

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