解説「資本主義と民主主義の融合」

 さて、いよいよ『八章 屋上の討論会』の『世界を変えるには』にある、最後の討論部分について解説していきたいと想います。


 白川の圧倒的な強さに連敗し、降参しようとしていた剋近でしたが、弥生子の登場によって再び戦意を取り戻します。白川の強さをよく知る弥生子は自分が前衛に出るのではなく、知識量に不足のある剋近のサポートに回ろうとします。剋近はこれに応じて、『この前の続き』をしたいと提案。この前の続きとは、剋近が初めてディベートに挑んだあの日、白川に助けられたあの日のことでした。弥生子の了承を得た剋近は、白川に向けて討論のお題を述べます。


「お題、『企業の在り方』について」


 企業のあり方に青い疑問を抱き続けていた活近と、資本主義経済の成功とそのシステムを理解していた白川の討論が始まります。剋近と白川の意見の違いは以下のようになります。



『剋近』


・トップダウン構造だと現場の意見が経営に生かされない

・上司によって部下の発揮できる能力が大きく変化する

・経営者や上司の不理解があればいずれ企業は行き詰る



『白川』


・上下関係は社員が会社から得ている信用によって決定付けられる

・社員は出資しておらず、経営に口を出す権利を持っていない

・資本主義における企業とは、出資者が労働者を雇用して利益を追求することにある



 このように剋近からは、感情的な意見や葛藤が滲み出ていますね。

 反対に白川は、資本主義や経営の原則、いわば正論を並べることに終始しています。


 知識や討論経験豊富な白川を出し抜くには、剋近が白川の常識を打ち破る必要がありました。剋近は白川の正論に圧倒されますが、弥生子のアドバイスを聞くうちに、そして白川が言った「きみは会社に民主主義システムでも持ち込むつもりかい?」の一言によって、新しい発想へと行き着きます。


 それが解説のタイトルともなっている『資本主義と民主主義の融合』でした。

 剋近が語った企業の民主化案の特徴は以下の通りでした。



・社員が給与の中から株式を購入し、50%以上の獲得を目指す

・社員が任命権を得ることによって、経営者を選挙で選出できるようになる

・社員全体が強力な株主になることによって、株主、経営者、社員それぞれに権限が行き渡る

・社員が株主になることによって、社員には有限責任と共に、株式配当によるリターンも発生する

・社員が株式の過半数を保有することによって、会社の運命は外部の投資家ではなく社員が握ることになる(企業の自立化)



 剋近が新しいシステムを提案したことによって、白川が絶対だと思っていた主張に揺らぎが生じます。白川は出資した者が一番偉いという資本主義の大原則と、企業のトップダウン構造が普遍のものだと思い込んでいました。


 しかし、社員が出資者になることによって、資本主義を維持しながら権限構造を変化できることに気づかされます。それはまさに『資本主義と民主主義の融合』でした。そして白川は短時間の間に様々なシミュレートを行い、それが可能であることを察します。


 そうしてカウントダウンは進み……初めて白川の一敗が確定しました。


 二人がかりとはいえ、まさか1年生を相手にした討論で、自分が考えもしなかった発想が得られるとは思っていなかった白川は、なんとも清々しい思いで一本とられたことを認めたのでした。


 作中を追った解説は以上となります。





 さて、この企業の民主化案については、殆どのメリットを作中で剋近が述べています。社員一人一人に権限が行き渡ることが、本当に良いことなのか? という疑問については、基本的には民主主義国家と軍事独裁国家の発展具合を比べると、一目瞭然だと思います。


 同じリーダー(経営者)であっても、今問題のお隣の独裁国家のようなリーダーがいいのか、国民に頭を下げて丁寧な言葉使いを心がけるリーダーがいいのかは、論じるまでもないでしょう。キリストの言葉『全ての者の王は、全ての者に仕えなくてはならない』という言葉通りです。


 独裁国家においては、国民が独裁者を非難するような発言をすれば、捕らえられて牢獄に入れられるか処刑されます。これと同じようなことが、今の資本主義では日常的に発生しています。社員が表立って経営者の非難をすれば、社員は干されるかリストラされてしまいます。これでは社員は発言を控えて萎縮するばかりです。


 ですが、民主主義国家ではそういうことが起こり難いのです。何故なら、代表者(大統領や議員)は国民の支持を得ることによって、初めて代表者になれるからです。民主主義にはまだ問題が沢山ありますが、それでも独裁政治よりはベターであると言われています。よく言われる『言論の自由』についても、民主主義だからこそ保障されている権利なのです。自由な発言ができるから、自由な議論が出来て、自由な発想が生まれる。それが民主主義国家の底力になっています。


 企業の民主化が進めば、社内意見の汲み上げ(ボトムアップ)が発生します。社員一人一人が会社の経営状況をよく理解し、場合によっては経営陣に株主として意見を述べたりして、トップダウンとボトムアップが相互に作用していくことでしょう。あくまで会社内の上下関係は、会社を機能させる為にあるのであって、上司が部下に偉そうにする為のものではありません。互いに敬意を払い、敬語を使い合うくらいの関係が一番いいのではないでしょうか。


 社員の給料にしても、給料が安すぎれば経営者は社員達から次の『経営者選挙』で落とされるかもしれませんし、社員が給料を貰い過ぎれば会社経営の負担になって社員全体の生活が危機に晒されるかもしれません。お互いが責任を持って、妥当な金額を追求していくのが理想的ではないでしょうか。


 もし会社に莫大な利益をもたらす研究結果(または営業結果)を出せれば、他の社員たちが納得する範囲内で巨額の報酬(ボーナス)を与えていけるでしょう。日本では大企業でも開発報酬は数十万~数百万円程度ですが、社員が一番偉い構造だとこの額がもっと高くなり(自分達がいつか得られるかもしれない為)、よりイノベーターを生みやすい環境になると思われます。


 いやいや、そんなことをしなくとも『労働組合』があるじゃないか、と考える人もいるかもしれません。しかし、残念ながら現在多くの労働組合は機能していません。労働組合の中の偉い人が組合を私物化していたり、政治利用していたりします。結局労働組合までもが上下関係(トップダウン)が確定してるんですよね。特に大企業ほどその傾向が強いみたいです。


 また現在は、企業側が労働者同士が集まって労働組合を形成しないように、人事配置などで調整しており、行動を起こそうとする労働者を早期に排除するなどして対処しています。非正規雇用の増加によって、この傾向は益々強まっていますね。海外で時折見かける『ストライキ』なんて、最近の日本では起こっていないでしょう? 起こせないよう、調整されているのです。特に大企業はその傾向が強いみたいです。


 このようにメリットが多い案なのですが、独裁政治を民主政治に切り替えさせるのが非常に困難であるように、推進にはかなりの計画性が必要です。


 最も現実的なのは、まずは50社でも100社でも良いので、制度を導入するモニタリング用の企業を募って、民主化に必要なコストは国が負担し、その企業は一時的に大幅減税する感じでしょうか。法人税や所得税が抑えられるなら、経営者も社員も乗り気になれるでしょう。あまり大きな企業だと、株価が高過ぎて社員の購入によって保有割合を高めるのが困難ですね。


 民主化すれば税制上有利になると分かっていながらも、独裁経営を続けていれば、周囲の見る目が厳しくなってくるでしょう。でも、独裁経営でもいいのです。社員さえ納得するのなら。独裁国家であっても、産油国のように沢山利益を得ている国は国民が豊かな生活を送っています。独裁経営であるとの非難を避けるために、社員の待遇を改善する企業も出るかもしれません。それはそれで意義があります。



 さて、この企業の民主化について実例はあるのでしょうか? 実はこれにかなり近しい例が中国の村である『天下第一村』(社名は江蘇華西集団公司)にあります。そこでは村が株式会社であり、村人が村長に雇用されいて給料の一部(ボーナスの80%)で株式を購入させられています。


 株式を村人が買うことによって村は多額の資本を得ており、これを村長の采配により使い、また新しい事業を始めるのです。人手が足りない場合には他の村を合併吸収したりもしますが、株式を獲得できるのは初期の村人達だけという話です。村人にとって株式購入は負担ではなく権利なんですね。


 それで、その村に住む人々がどれくらいの収入を得ているのかというと、周辺農村の平均収入が30~40万円程度の時に、なんと1000万円を超えていました。年収1000万円オーバーなんて、日本でも一部の人に限られますよね……。因みに初期村人の年収は、英国紙の報道によると1600万円を超えているそうです。しかも村人全員に一軒家や家具までもが与えられている模様。資本主義を利用して共産主義(皆が公平に幸福になる)を実現していますね。


 そんな株式村ですが、とうとう2013年に危機が訪れました。それはカリスマ的存在だった村長が亡くなってしまったのです。経営者を決めるシステムが定まっていなかった為、村は大混乱に陥りました。


 しかし、その危機を救ったのも村長の息子(4人兄弟の末っ子)でした。製造業(主に鉄鋼)から金融業へと、まるで国家の産業構造が成長する段階を経るようにして、村の経営を急速に立て直しました。


 このように社員が株主になるという仕組みは、企業に大きな活力を与える可能性があります。トップダウン故に生産性の低い行動(残業で給与を稼ぐ、古いやり方を履行する)も、自分達が給与を貰うだけの存在ではなく、経営に関わる株主であれば早急に改善していこうとするでしょう。そして上司も経営者も、それに対して理不尽な文句はつけられません。


 『天下第一村』が危機に陥ったのは、後継者が決まっていなかったことが原因ですが、最初から経営者を株主が選ぶ(村長を選ぶように)システムがあれば良かったんですよね。勿論中国の村なので、民主主義や選挙制度を持ち込むのは困難だったと思いますが……。



 さて、大きな成功実例があり、その成功実例さえもがまだまだ改善して良くしていけそうな企業の民主化案。果たして資本主義のパラダイムシフトに繋がるのでしょうか。


 個人的に一番期待しているのは『富のトリクルダウン構造からの脱却』です。トリクルダウンとは、一部の富める者達から溢れてきた富が、いずれ下々の民に行き渡って経済が豊かになるという現代資本主義の大前提です。しかし、このトリクルダウンは幻想であることが近年明確になりつつあります。


 富める者は、下々の民に向けて富が溢れ出すくらいなら、漏らすことなく全てを自分のものにしてしまおうとしているのです。そして他人に与えるくらいなら、より沢山の富を溜め込もうとしているのです。


 この構図から脱却する為には、一番弱い労働者を一番偉い出資者にする必要があります。出資者が増えることによって、最も利益を得られる人が大多数となるでしょう。少数の特権階級から大多数の下々の民が、この世界を買い戻すというイメージでしょうか。なんともロマン溢れる話ですね。


 また他にも、このシステムを利用することによって起業家が、容易に事業拡大することが可能になるかもしれません。うまくシステムを調整することによって、先進国中最も起業希望者の少ない我が国の現状を変えられないかと考えています。ITを活用したクラウドソーシング的な展開で、株主や社員を集められないかとも模索しています。


 ひとまず、この世界のシステムが如何に未熟で、如何に改善の余地があるかを一考して頂ければ幸いです。我々が住むこの世界は、我々の手によって変えるしかないのですから。

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