第八章 屋上の討論会

王者の憂い

 白川先輩に呼び出された私は、生徒会室へ向かうために南校舎3階へと向かう。


 南校舎3階は生徒会室や文化系部活動の部室が並んでいるのだが、私はそこで、ある見慣れた男が囲碁部と書かれた部室から出てくる所に出くわした。


「なんだサダ、また部活のはしごか?」


 私の声に振り返ったサダは、いつもニコニコしてそうな糸目を更に細めて近づいてきた。


「あれ? 今度こそロリこんも部活に入るの?」


「違う、俺は帰宅部一筋だ。まぁ、最近は真っ直ぐ帰ることは殆どないけどな」


「それじゃ、何をしにこんな所まできたの? また僕に用?」


「お前なんかに用はない。生徒会室に用があるんだ」


「ああ、運営の仕事ね」


「私もよくわからんが、白川先輩に呼び出されたんだよ」


「白川……? ひょっとして生徒会長の?」


「ああ、そうだ」


 私がそう答えると、サダは少しばかり神妙な顔をした。

 因みに、常に笑っているように見えるサダの表情の変化は、初対面の人ではなかなか見分けがつかなかったりする。


「剋近、念の為に僕もついて行っていいかい?」


 サダが私のことを『剋近』と呼んだ。

 これはサダが真剣な話をする時の合図のようなものだ。

 それを察した私も、気持ちを切り替える。


「いや、それは駄目らしい。1人で来いって話だからな」


「1人で……?」


 そう呟き、サダが更に険しい表情をする。

 そしてなにかを確信したように、私に向けて抽象的な質問を始めた。


「剋近、白川先輩のことをどう思う?」


「どうって……弥生子さんさえ認めるスーパー高校生だろ?」


「確かにそうだけど、あの人がどうやって今の地位を築いたかは理解している?」


 サダの不思議と強い口調に、私も背筋が伸びる。


「ケタ外れの学力、そして討論力じゃないのか?」


「その通りだ。その規格外の個人力を振るい、既に周囲から優秀と認められていた人達を屈服させることによって、今の地位を築いてきたんだ」


「それがどうした?」


「もしそんな白川先輩が、早いうちに新しい芽を摘もうと勝負を仕掛けてきた場合……剋近、きみは勝てるのか?」


 サダの唐突な質問を聞いて、私も真剣に『そういう状況』を想像してみた。


「勝てるかどうかは分からないが、私にもプライドはある。経済討論で簡単に負けるつもりはないよ」


 私の言葉を聞いたサダは。


「そうか」


 と言って口角を僅かに釣り上げ、私に助言し始めた。


「いいかい。白川先輩はこの学校に入ってからずっと無敗のままだ。そして、敗北を知らないまま、つい最近まで討論することをやめていた。もし勝機があるとしたら、そこにある」


「どういうことだ?」


「そうだな……。久しぶりに、剋近好みの言葉を使おうか?」


「頼む」


「勝利は肯定、敗北は否定だ。肯定が続けば今の自分の装甲がより強固になっていく。それも1つの強さの形だと思う。だけど、否定がなければ今現在自分が着込んでいる固い殻を脱ぎ捨てることは出来ないんだ」


「――つまり、白川先輩が固くなっているというのか?」


「自己否定不足で考えが固くなっている白川先輩の発想より先へ行ければ、勝機はあるかもしれない」


 そう言うとサダは片手で道を譲るような仕草をして、私を生徒会室へ行くように促した。私がすれ違いざまに。


「多分、杞憂だと思うぞ」


 と言うと。


「だといいね」


 そう言ってサダは一層目尻を細めた。


 案外こいつ、いい秘書になるのかもしれないな。

 そんなことを思いながら、私は生徒会室へと向かった。




『コンコンッ』


 私が少々緊張しながらドアをノックすると、間もなく中から女性の声がした。


「はーい、どうぞー」


 私は返事を確認して。


「失礼します」


 そう言いながらドアを開いた。


 生徒会室の中には机の上でモニターに向かいながら作業する男子や、色々な書類に囲まれて作業している女子の姿があり、現在ガラガラの運営委員会室とは大分違う印象を受ける。


 運営委員会室でいうところの弥生子さんの席辺りに、白川先輩がいた。席の上にはモニターのようなものがあり、白川先輩はそれを眺めているようだ。1番近い女子生徒が応対するために立ち上がったので、私は軽く頭を下げて名乗った。


「1年の河芝ですが、白川先輩がお呼びということで参りました」


 私の声が聞こえたのか、白川先輩がすぐにこちらを一瞥した。私の顔を見て少しだけ嬉しそうな顔をすると、白川先輩は席を立ってこちらへ向かって歩いてきた。


「そうですか、少し待ってくださいね」


 そう言って女子生徒は振り返ったが、すぐに白川先輩がこちらへ向かっていることに気がつく。女子生徒は白川先輩とアイコンタクトを取って、そのまま自分の仕事に戻っていった。


「すまないね、呼び出しちゃって」


「いいえ、大丈夫です」


「ここではなんだから、屋上へ行こうか? すぐそこだから」


 そう言って白川先輩は先導して歩き出した。


 私も返事をしてそれに続く。




(なるほど、確かに所作の1つ1つに余裕が感じられる……)


 私は先導する白川先輩の後姿を観察した。

 この人があの弥生子さんでさえ勝てないという人物、白川先輩だ。


 身長は私より少し高いくらいだろうか。明るい栗色の髪の毛と自信に満ちた表情が、イケメンオーラをいっそう高めている気がする。そういえばこの髪色、なんだか最近見た気がするのだが誰だっけな?


 すぐ傍にあった階段を上がり、白川先輩は屋上に繋がる重そうな金属製のドアを開けた。


『キィッ』


 音を立ててドアが開くと同時に、涼しい風が2人の体を包む。

 外の眩しさに目を細めながら、白川先輩は愚痴るように話し出した。


「ずっと事務仕事をしていると飽きてくるよ。散歩したり、食事したり、ゲームしたり、なにかしら自分のための活動をしている時の方がよっぽど頭が回る」


「やっぱり生徒会長の仕事は忙しいんですか?」


「普通にやる分にはそんなに忙しくはないかな。1番大変なのは、やっぱり人を使う時さ」


 白川先輩は風が吹く屋上で、目一杯伸びをした。それがたいそう気持ち良さそうに見えたので、私も上半身をひねって軽くストレッチをする。


「河芝くんも運営委員をやるみたいだね? さっき1年生の人事届けを見たよ。それで、なんとなく話をしたくなって呼び出しちゃったんだ。ごめんね」


「いえいえ、私も暇でしたから。ほんの少し前には、まさか自分が運営委員会に関わるなんて想像さえしていませんでした。本当にどうしてこうなったのか……」


「しかも、あの女市が委員長で、きみが副委員長なんだろ? 元大蔵大臣の孫と、元日銀総裁の孫か……」


 そう呟きながら、白川先輩は私の顔を見つめた。


「はぁ。弥生子さんはともかく、私は恥ずかしいくらいに凡人ですがね」


 白川先輩はしばらく私の顔を見ながら考えると、視線を外しながら言った。


「ふぅん。きみは女市とはまた違うタイプだね」


「どういう意味ですか?」


「同じことをさっき言ったのさ、女市の前で」


「――それで、彼女はなんと?」


「はい、と言っただけ。見た目も無反応さ。自慢げでもなければ、重荷とも感じていない。かけられた言葉に対する反応を隠そうとしている様子もない。かなり完成されているね」


「えっと……それは良いことなのでしょうか?」


「その人が何を目指しているかにもよるが、彼女の理想が誰にも負けないパーフェクトガールだというのなら、彼女は理想への道を歩み続けているのだろう」


「そ、それじゃ……私はどう見えたんですか?」


「分かりやすいね」


 そう言うと白川先輩は笑った。


「雑な感じがして、まるで自分を見ているようだよ」


 褒められているのか、からかわれているのかがよく分からず、私は照れくさそうに頭を掻いた。


「あの、やっぱり弥生子さんは有名なんですか?」


「全学年で有名とは限らないだろうけど、僕の場合は女市源十郎の政策について昔調べていたから、注目度はかなり強いね」


「でも、私もネットで調べてみたんですが、女市大蔵大臣は財政健全化を訴えて景気の足を引っ張ったとか、なんだか悪評も結構多いですよね?」


「悪評ね……。私も古い新聞やインターネット上の評論で沢山見たよ。ただ、私にとって女市源十郎が印象深い理由は、景気が好調な最中、永遠に高度経済成長が続くと思われた社会の中で、もっと先を見ていた気がするからさ」


「もっと先?」


「今の日本さ」


「今の……日本……」


「さて、何から話せばいいかな……。そうだな、きみもこの学校の選挙を見ただろ?」


「選挙? ええ、なんだか大変そうでしたね」


「この学校で運営委員長になるためには、同じ学年の生徒から票をもらわなくてはならない。これがもし生徒会長なら、全学年から票をもらわなくてはならない。これを学校の外、つまり社会にまで拡大させていけば、町議会、市議会、県議会、そして国会となっていく……。権力を手に入れるために票が必要という意味では、学校の運営委員長も国会議員も、実は同じ延長上にあることになる」


「なるほど、なんとなく分かります」


「日本の総理大臣なんかは国民からの投票で決まる訳ではない。しかしそれでも、政権与党の代表が総理大臣になるので、党の中で起こる代表選には勝利しなくちゃいけない。どこまで行っても選挙、そして票を追い求める行為は続く訳さ」


「改めて聞くと、大変な世界ですね……」


「まぁ、学校で行われる選挙の場合は、教師から仕事を任せてもらえる権利を獲得するだけだ。結局は身内のごっこさ。しかし、それでもシミュレートにはなる」


「シミュレート?」


「ああ。生徒会長の僕がこんなことを言うと冷めて聞こえるかもしれないが、そもそも学校は社会に出るための訓練施設だ。選挙も、討論も、運営活動もその一環なのさ」


 話を聞いているうちに、私は白川先輩が並外れた討論強者であることを思い出した。確かにこの人の言うことは理路整然としており、説得力がある。そして、何よりも年齢不相応に達観した印象を受けるのだ。


「票のことに話を戻せば、国会議員も総理大臣も票を得ることで権力の獲得が成される。つまり、権力が無ければどんなに崇高な理念、アイデアを持っていても実現させることが出来ない。現代民主主義のシステムがそうなっているのだから、これより優れたシステムが考案されない今、彼らに『票を求めるな』とは誰も言えない」


 私はなんとなくニュースを見るたびに、政治家のパフォーマンスやブレる発言に腹を立てていた。しかし、こうやって白川先輩の話を聞いていると、そんな政治家達さえも頭ごなしには非難出来ないような気がしてくる。


「システム……ですか……」


「そうだ。票を求めて当たり前、票を失えばただの人……。しかし、そんな世界でまったく票に繋がらない、下手をすれば票を失ってしまうような行動、発言をしたのが女市源十郎だったのさ。だから目立った」


「一体何のために?」


「それを考えるのは面白いね。大きく分ければ2つの可能性が思い浮かぶ。1つは誰かに利用された可能性。官僚か、与党議員か、野党議員か。また別の何者かが居たのかは分からない」


「野党の策略は分かりますが、身内である与党議員が利用ってどういうことですか?」


「与党内部でも権力抗争は続いている。身内の誰かが女市源十郎を引きずり降ろそうと画策したとか、可能性は色々と考えられる」


 こうして政治の世界の面倒さを聞かされると、想像するだけでため息が出てくる。


「……それでは、もう1つの可能性とは?」


「こっちは単純さ。女市源十郎が票を得ることよりも『世の中を良くすること』に重きを置いていた可能性だ」


「えっ? あのっ――――それが政治家としては普通なのでは?」


 私がそういうと、少しだけ白川先輩は悲しい目をした。


「説明した通り、その気持ちは分かるが現実は違うんだ。政治家は票が集まらないとただの人。どれだけ正しいことを思い描いていても、権力がなければ実現できない。誰も話を聞いてくれないのさ。順番からして初めに票ありき、それが現代民主主義における選挙制度なんだ」


「そんなの……頭では分かっても……なんだかモヤモヤします……」


「ああ……僕もだよ」


 そう言うと白川先輩は寂しそうに笑った。


「今挙げた2つの可能性も、僕にはどちらか片方という単純な話には見えない。恐らく、誰かにそそのかされたか感化されて、そこに自分の意思を乗せたんだろう。凄いのは最後まで、考えを曲げなかったところだ」


 話を聞きながら、私は弥生子さんのことを思った。何となく女市源十郎のイメージと、弥生子さんのイメージが一致したような気がしたからだ。


「河芝くん、時間はまだあるかい?」


「はい、副委員長の仕事も今は見つからなくって、結構暇でして……」


「今はそうだろうね、じきに嫌でも忙しくなってくるよ」


「そういうものですか?」


「ああ、そういうものだ」


 白川先輩はリラックスした様子で首を傾けたり、回したりしながら肩をほぐしている。


「河芝君、暇ならなにか質問はないかい? 僕が呼び出しちゃったからね。なんでも答えるよ」


「質問ですか……?」


 私は自分が抱いている疑問を、頭の中で整理した。普通なら話の流れから考えて運営委員の仕事について質問すべきである。しかし、私にはここしばらく抱えている、2つの大きな疑問があった。


 それは『私自身について』、そして『弥生子さんについて』の2つである。

 私は誤解を招かないよう、言葉を選びながら質問を始めた。


「えっと、新入生研修の時のこと、覚えておられますか?」


「新入生研修? ああ、きみを初めて見たあの時か。もちろんさ」


「あの時、どうして私を助けてくれたんですか? 白川先輩は長い間討論に積極的ではなかったと、弥生子さんから聞きました……」


「助ける? 女市? ははっ、なるほど。女市は中学生の頃からこの学校の討論会を見学していたからね」


 白川先輩は私の目を涼しげに見つめる。私が女ならこれだけでコロリといってしまいそうだ。


「その質問に答えるには、僕も君に質問をしなきゃいけない」


「え? えっと、なんでしょう?」


「あの時、何故きみはゲストに喧嘩を売った?」


「えっ?」


「討論の決着はついていたし、殆どの生徒達は雰囲気を察して迎合していた。あそこであの質問態度は、あまりに空気を読まな過ぎじゃないか?」


「……うぅむ……」


 唸る私を見ながら、白川先輩は真顔で答えをまっている。

 正直言えば私自身、なんであそこまで意固地になったのかが分からない。

 もし、理由があるとすれば……。


「あの……なんだか腹が立ったからです……」


 それを聞いた白川先輩は少し吹き出した。


「ブふッ……くくくっ……。なるほどね」


 そしてなんだか楽しそうに質問する。


「それで、どうして腹が立ったの?」


「おっさん達が偉そうだったから、ですかね……」


「ふむ。みんながそうという訳じゃないけど、確かにゲストは上から目線が多いね」


「それに……」


「それに?」


「あのままだと、自分も流されたまま、戻れなくなる気がしました……」


「――へぇ」


「なんだかよく分からないですが、これからずっと、負け続けるような気がしたんです」


「確かに、随分と余裕のない口調だったね。聞いてるこっちがハラハラしたよ」


「あはは……。今考えると恥ずかし過ぎて悶えそうになるくらいで……めちゃくちゃ空気読まないで浮いてたんですよね」


「ああ、物凄く浮いてたね」


 白川先輩は、冷やかすような口調で笑って言った。


「なるほどね、大体分かったよ。それじゃ僕もきちんと答えなくっちゃな」


 私は白川先輩の言葉の続きを待った。


「1年生の頃、僕は嫌というほど理論武装して討論に挑んでいたんだけどさ、その動機ってのは結局のところ、今の大人達に負けたくなかったからなんだ」


「大人達?」


「社会と言ってもいい。自分のような子供でも分かることを、なんで大人達は分からないのかと、そう言って見下したい思い、見返したい思いが先にあったのだと思う。なんせ僕の家はとても貧乏だったからね。母がそういう社会の歪みの中で苦労しているのを、随分と見てきた……」


 白川先輩は何かを思いだすような表情をして、ゆっくりと歩き出した。


「討論は知識の引き出しが多ければ大抵は勝てる。特に高校生レベルなら同じ学年の生徒を突き放すのも簡単だ。それっぽいことを言うだけで相手は押し黙ってしまう。何も知らないから反論出来ないんだ。そうして、僕は討論を重ねるにつれて、どんどん自信をつけていったよ。誰にも負けないようにと、更に理論武装を強化していった」


 白川先輩は、目線を遠くに向けて話を続ける。


「そうして迎えたある日、ある有名評論家と公開討論会で一騎打ちする機会が得られたんだ。高校生だからと油断していた評論家は、僕が想定していたよりも早い段階で崩れていったよ……」


「はい。話には聞きました……」


「そうか」


 白川先輩はニコリと笑って、軽く頷いた。


「そうして勝利すると、討論の後から僕を尋ねてくる人が沢山増えた。噂が噂を呼んで、いつしか真っ向から反論してくる生徒も、そして口出しする教師さえもがいなくなってしまった……。それでもしばらくは続けたよ、討論を」


 そう言うと白川先輩は立ち止まる。

 そして、ラピスラズリのように深く青い空を見上げた。


「勝負にもならない討論、僕の意見の1つ1つに脅える生徒達。いつの間にか僕は、周りから顔色をうかがわれる側になっていたんだ」


「そんな……」


「自分が恐れられる側になって、それで他の生徒達の意見を封殺していけば、やっていることは僕が嫌った社会や大人達と変わらない。そう気づいてしまった頃から、僕は討論に対するモチベーションをなくしてしまったんだよ。悟ってしまったからね……」


「悟った?」


「ああ。こうして世の中は作られてきたのかと」


「…………」


 私は息を呑む。


「あの……。では、それがどうしてあの時……」


「きみが必死で立ち向かおうとしていたからさ。しかもきみは、そこそこの経済知識を持っていた。討論慣れはしてないみたいで、突然ヘリコプターとか言い出してびっくりしたけどね」


 白川先輩は思い出すようにして笑った。

 私もその時を思い出し、照れ笑いをする。


「はぁ……。あの時はすっかり頭がテンパっちゃってました……」


「あははっ。その様子を見ていたらね、自分が全力を出すことと、相手がそれに応えられるかは、まったく別問題じゃないかと思えてきたのさ」


「ふぅむ……」


「おかげさまであの日以降、相手がこちらの知識についていけないなら論破することではなく、上手に説明することによって相手を高めていけば、もっと高いところで楽しめるんじゃないかって考えるようにもなったんだよ」


「確かに。白川先輩ほどになれば、そういうことが出来るのかも知れませんね……」


「倒すことより相手に理解してもらう、一定の共通認識の下でアイデアを検討する。多分、その方がもっと先へ進める。残り1年の高校生活の課題にしてみようかと思ってるよ」


 肩をすくめながら、白川先輩はこちらに向き直った。


「以上だ。他になにか質問あるかい?」


 晴れ晴れとした表情で、白川先輩は私に尋ねた。


「あ、はい……。あの、弥生子さんって、どういう人なのでしょうか?」


「ん、知らないよ。きみも知らないの?」


「えっ? はい」


「副委員長なのに?」


「あのっ、私が副委員長に選ばれた理由も、何か白川先輩が関係してる感じでしたが?」


「僕が? そんな馬鹿な。心当たりが全くない訳でもないが……。ただまぁ、彼女が運営委員長なら、きみが副委員長になるのは正しいのかもしれないな」


「どうしてですか?」


「彼女は完璧過ぎる。見た目も、発言も、心の静かさも。まるで『人形』のように整い過ぎている」


「人形……ですか?」


「逆にきみは感情的過ぎる。思いや考えを整理する前に、発言や行動が起こる」


「改めて言われると、なんだか頭悪そうですね」


「僕も似たようなタイプさ。とりあえずやって後悔する、次は後悔しないように修正する」


「ふむ」


「ただまあ、僕から見ても彼女は恐ろしいね」


「恐ろしい?」


「多分僕よりもずっと貪欲だ。それでいて……深い」


「深い?」


「うーんなんだろうね。やっぱり僕もよく分からないや」


「そ、そうですか……」


 軽く笑って見せたあと、白川先輩は私の方を見て言った。


「僕はもう少しすると約束があるけど、河芝くんはまだ暇なのかい?」


「はい。今日も特にやることがありませんよ」


「ふぅん。そうか……」


 そう呟くと、白川先輩は不敵な笑みを浮かべた。

 白川先輩がこんな表情をするのは始めてだった。

 この不敵な笑顔も、栗色の髪とセットでどこかで見たような……。


「それなら――」


 白川先輩が私の目を直視する。


「――少しだけ、討論しないか?」


 その一言で、急に屋上の空気が一変したような気がした。


(本当にきたっ!)


 内心では驚きつつも、私は自然な態度を維持する。


「え? 討論、ですか?」


「ああ、ルールは源十郎式討論。3本勝負だ」


「源十郎式……?」


「この学校の大先輩、女市源十郎が考案した討論ルールだ。知らない?」


「ええ。初めて聞きました」


「それじゃあ説明しよう。まずはじゃんけんで先攻と後攻を選ぶ。先攻は自分の得意なお題をだして、自分が意見を述べるか、後攻の意見を尋ねる。どちらかが論理破綻したり、納得したり、なにも言い返せなくなると勝負ありだ。最初から意見が対立していなければ引き分けとなる」


「ふむ……なるほど。時間制限はありますか?」


「意見を述べ終わった方が両手をパーにして、指を1つずつ折っていく。相手の発言中はカウントを止める。全ての指が折られる、つまり10秒間なにも言い返せないと負けだ」


 こんな競技的な討論方法があったのかと、私は感心する。


「構いませんが……私も本気でやりますよ?」


 自分自身の気持ちを高めるために、そして主導権を奪われないために、私は白川先輩に向けて強い言葉を放つ。


「ふふっ。それが見たくて、誘ってるんだよ」


「そうですか……」


「僕が高校に入ってからこの方法で討論したのは2回。3年生の中村、小宮山コンビを相手に1度、そして『女市弥生子』を相手に1度だ」


 私はそれを聞いて――愕然とした――。


「弥生子さんと……討論を?」


「ああ、当時の女市はまだ中学生だったけどね。あちらから仕掛けてきた」


「それで……結果は?」


「2本こちらが先取しても女市は諦めずに3本目を挑んできたよ。全部合わせても1分とかからずに勝負がついたけどね」


 その時私は、弥生子さんが白川先輩を特別視している理由が分かった気がした。

 昔を思い出すようにして、白川先輩は言葉を続ける。


「でもね、当時中学生だった女市は、物凄いショックを受けているようだった。余程自信があったのかもしれないし……そもそも、負けるという経験がなかったのかもしれない」


「…………」


 私は何も言わずに、ただただ、ジッと白川先輩を見つめる。


「さて、時間も限られている。さっさと始めようか」


「はい」


「きみはこの形で討論するのは初めてだろう? だから先攻でいいよ」


「そうですか――――それではお言葉に甘えて」


 私は最初から頭を完全に、討論モードに切り替えた。

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